2章 ハンガクベントゥのち、からあげ その1

「もしかして、あの後ろ姿は……」

 オルガン練習を終えて教会を出た帰路の途中。土日の休み前に食材を買い込もうと寄ったスーパーで、俺はまた奇妙な縁に出くわしていた。

「…………」

 うちのクラスのお姫様が、実に真剣な表情で陳列されている半額弁当を見下ろしている。

 見事にうるわしい立ち姿は、半額弁当を見つめる様もまるで映画のワンシーンのような情景になっていた。

 周りの買い物客たちも好奇の視線を向けながらも、やや距離を置いてその周りを通り過ぎていく。

(ヴィリアーズ……何やってんだ?)

 まったく動かないクラスメイトにおみが眉をひそめる。

 同じマンションに住んでいるわけだから、生活のために利用する店も必然的にかぶって鉢合わせする可能性が高いのは必然。

 今後を考えると友好的なご近所付き合いをしておいた方が何かとスマートだとは思う。

 が、しかし現状ユイとはただのクラスメイトで友達とも言えない距離感。

 そして夏臣にはけいのように「よっ、何かお困りか?」と、爽やかに声をかけることは難しい。

 夏臣がどうしたものかと悩みつつ数分が経過しても、ユイはその場から動かず半額弁当を見下ろし続けている。

(……もしかして、何か困ってるのか?)

 まったく感情の読み取れないポーカーフェイスから、夏臣がかすかにそんな気配を察知した時、ユイが夏臣の視線に気づいて顔を上げた。

かたぎりさん」

「おう、偶然。俺も近いし安いし品ぞろえもいからこのスーパー使ってるんだけど、どうかしたのか?」

 ユイの後を追っていると誤解されないようとっさに説明じみた言い訳を忍ばせつつ、さも今来たばかりのようにユイに声を掛ける。

 するとユイが上品にエスコートをするかのように手のひらを上にして、半額シールの貼られているしようが焼き弁当を指し示した。

「こちらのお弁当は、どうして半額なのかと思いまして」

 あまりに普通なその一言に夏臣が数度、目をまたたかせる。

「……え、それだけ? それだけのことでずっと悩んでたのか?」

「はい。どうしてなのだろうと考えていました」

 至って真面目な様子でユイが首を縦に動かす。

 あまりに普通で意外だった答えに、夏臣も思わずずっと見ていたことを漏らしてしまったが、特にそこに言及されることのないままユイが黙って夏臣を見つめ返している。

「えーと、イギリスには半額弁当はないのか?」

「ハンガクベントゥ……ですか? すみません、初耳です」

 やたらりゆうちような英語っぽい発音でそうつぶやいてユイが首をかしげた。

 あ、やっぱりヴィリアーズってイギリス人なんだなと改めて思いつつ、定価の上に貼られている値引きシールを指先で示す。

「ここに賞味期限が書いてあるだろ? これを過ぎたら売れなくなるから、それなら半額でも売った方が店は損しないってことだよ」

 そう説明をすると、ユイが納得がいったように数度うなずいた。

「そうでしたか。ハンガクベントゥとはとても合理的なシステムなのですね」

「システムと言えば……まぁそうか」

 スーパーの仕組みであることには間違いないので、そのおおな説明に同意してうなずく。

 イギリスにも売り切りのタイムセールくらいはあるんじゃないかと思うが、でもヴィリアーズは貴族のお姫様って話だし、スーパーで買い物なんてしたことがないのかもしれない。

 そのレベルのお姫様だとしたら、そもそもどうして日本で一人暮らしをとも思うが……この世間知らずさをたりにすると、やっぱり貴族のお姫様なのかとも思えた。

「とにかく、半額だからって別に疑うもんじゃないから安心していいぞ。一人暮らしには節約も楽も出来るありがたいシステムだし」

「ご説明ありがとうございます。それでは私もありがたく晩御飯にいただくとしま──」

 ユイがかすかにうれしそうにしながら半額弁当に顔を向けた瞬間。

「……あ」

 ひょいっと横から伸びた手がそのしようが焼き弁当をさらっていった。

「…………」

 ユイが無表情に半額弁当があったはずの場所を見つめる。

 販売している弁当は早い者勝ちが鉄則。つまりこれは誰が悪い訳でもなく、致し方のないハンガクベントゥのシステムだった。

 ポーカーフェイスで落胆しているユイがほほましくて、思わず笑ってしまいそうな口元を手で隠して顔をらして心を落ち着かせる。

「夜の七時くらいから毎日半額になるから、また明日来れば買えるぞ」

「そうなのですね。それでは明日にまた来てみようと思います」

 口元の笑みをころしながらユイにそう教えると、わずかにしやくをしてからユイが店外へと歩き去っていく。

 半額弁当を買えなかったせいなのか、その足取りが若干とぼとぼと気落ちしているようにも見える気がする。

(半額弁当くらいで一喜一憂するお姫様もいるんだな)

 そんな背中をほほましく思いながら、夏臣も持っていた食材の会計をしにレジへと向かった。


   ◇   ◇   ◇


「……よう」

「片桐さん」

 そして帰宅したマンションのエレベーター前。

 俺は本日五回目の出会いに、苦笑いを浮かべながら手を挙げて応えた。

「一応言っとくけど、ヴィリアーズの後を付いて回ってるわけじゃないからな?」

「そんなことは思ってもいないのでご心配なさらず。同じ学校で同じマンションに住んでいるのですから、こういうこともあるでしょう」

 ユイも別段驚くこともなく、降りてくるエレベーターの案内板を見上げていた。

 偶然もここまで重なると驚かなくもなるなと思いながら、気まずい空気の中で早くエレベーター降りてこいと願って視線を落とす。

 するとユイが手に持っているビニール袋が目に入って、その中身が透けて見えていた。

「……水だけ?」

 最寄りのドラッグストアのロゴが印字されたビニール袋いっぱいに水のボトルが入っていて、思わず心の声が漏れてしまう。

「今日はとても安く売っているとのことでしたので」

 顔を案内板に向けたままユイがさらりと答える。

(……ヴィリアーズはさっきスーパーで、晩御飯に弁当を買おうとしてたんだよな?)

 そして俺と別れた後、ドラッグストアに寄ってまたここで鉢合わせた。

 そうだとしたら、この短時間で外食をして来たとも思えずに首をひねる。

「どうかしましたか?」

 夏臣の様子に違和感を感じたのか、ユイが顔を向けてそう尋ねた。

「いや、晩飯は買って来なかったのかと思って」

「明日の七時にまた半額のお弁当が並ぶと聞きましたので」

「いや、そうじゃなくて今日の晩飯の話」

「水はありますから大丈夫です」

 ガサ、とユイが持っているビニール袋を少し持ち上げて見せる。

 エレベーターのドアが静かに開いたので、二人で順番に乗り込むとゆっくりとドアが閉まって小窓の外の景色が動き始める。

「明日の半額弁当まで何も食べない気か? 水じゃ腹は膨れないだろ。それとも換金忘れて手持ちがないのか?」

「ちゃんと日本円である程度は持っています」

「それなら体調が悪くて食欲がないのか?」

「時差にはまだ慣れていませんが、体調は問題ありません」

 そんな会話をしている間にエレベーターが二階に到着。あっという間にお互いの家の前に着いた。

 それ以上話をする間もなく、何か釈然としないまま夏臣が自宅の玄関を開けようとすると、一瞬考え込んだようにうつむいたヴィリアーズが夏臣に顔を向ける。

「ご心配はありがたいのですが、私はお金を使いたくないだけなので気にしないで下さい」

 ユイが静かに口にしたその言葉は、真摯でぐなものだった。

 決して攻撃的ではなく、突き放すような冷たい言葉でもないが、見えない線を引くかのようにはっきりとそう口にする。

『許可されている範囲で、少しでも自分で生活費を稼ぎたいので』

 教会でそう言っていた彼女の言葉を思い出して、それ以上の言葉に詰まる。

「ヴィリアーズ……」

 この年齢で親元を離れて、住み慣れない外国に一人で留学。さらに少しでも生活費を稼ぐためにアルバイトをしようとしている。

 つまり、ここで一人暮らしが出来る程度の仕送りはもらってはいるが、それを使わずに少しでも自分で稼いで生活をすると、そう決めている彼女の意志。

 きっとヴィリアーズには相応の理由があるんだろうし、そういうことを軽々しく他人に話さずに自分の意地を貫く。

 そういうのは、人としてとても好きだった。

「ヴィリアーズは見た目通りのお姫様じゃないんだな」

「お姫様? 何のことですか?」

「いや、何でもない。こっちの話だ」

 自然と口元を緩めながら、いぶかし気に眉をひそめるヴィリアーズにそう返事をする。

「悪いんだけど、少しだけここで待っててくれるか?」

「え?」

 首をかしげるユイをその場に残して部屋の中へと一旦戻る。

 すぐに冷凍庫を開いてめぼしい真空パックをふたつビニール袋に突っ込むと、また玄関を出てりちに待ってくれていたヴィリアーズにそのビニール袋を差し出した。

「とりあえず二食分はあるから。これで明日の晩までは持つだろ」

 袋の中にある冷凍保存された肉じゃがとミネストローネを見て、ユイがぱちぱちと青い目をまたたかせる。

「耐熱容器があるなら電子レンジで温めてもいいし、なければ鍋かフライパンに出してコンロで温めればいいから」

「いえ……あの、これは……?」

「電子レンジかフライパンはあるか?」

「それはありますけど……その、お金は……?」

 突然のことにどうしていいか戸惑っているユイに、夏臣が肩をすくめて軽く首を振った。

「ただの俺のお節介だから気にしなくていい。そもそも金なんか取れるレベルの料理じゃないし、味は期待し過ぎるなよ?」

 冗談混じりにそう言いながら、戸惑っているユイにビニール袋を押し付けた。

 でも実は一年かけて自炊をし続けたなりに料理には自信がある。

 でも味の好みもあるし、本物のお姫様の口に合うかまでは心配だったので、これはあくまで厚意だからと自分に言い聞かせて開き直ることにした。

 夏臣のお節介を困ったようにユイが表情を曇らせる。

「いえ、その……ありがたいご提案ではあるのですが、私が片桐さんのご厚意をいただく理由もありませんので……」

「俺と余計な話をしてなければ半額弁当も買えたかもしれないし、見ての通り作り置きの余りものだから気にするほどのもんじゃないし」

「いえ、でも……」

 ユイが何かを言いかけながらもく言葉に出来ずにうつむくと、きれいな黒髪がその顔を隠すように覆いかかる。

 横顔を隠したまま、搾り出すような声を小さくくすぶらせる。

「……ご厚意はとてもうれしいです。でも私は、ご迷惑をおかけしたくありませんので」

 顔も上げずに、渡されたビニール袋を申し訳なさそうに差し戻す。

 長い髪の隙間から見えたその表情は、唇を強く引き結んで何だか泣きそうな顔にも見える。

(……申し訳ない、っててだけじゃなさそうに見えるけどな)

 意志のこもった言葉で断るユイを見て、事情がありそうなことを察した夏臣が小さくためいきを息を吐き出した。

「そういうのは、一人前のやつが言う台詞せりふだろ?」

「……え?」

 その言葉にユイが驚いて顔を上げる。

「ヴィリアーズの事情は俺にはわからないけど、隣の部屋で多少なりとも知ってるクラスメイトが腹が減ってるのを我慢してるって分かってて、それを気にするなって方が俺には無理だ」

 えて軽い口調で、あつられてるユイから目をらさずに続ける。

「そうやって誰かに心配かけるようなやつは一人前じゃないし、一人前になりたいなら誰かの助けがないと無理なんだよ」

「片桐、さん……」

 ユイが表情を曇らせて顔をうつむけた。

 薄い唇をさっき以上にぎゅっと引き結んで小さくむ。

 その様子がきやしや身体からだ以上に小さく見えて、ビニール袋を差し出していた手がゆっくりと下がった。

 少しバツが悪そうに夏臣が鼻を鳴らして顔をらす。

「……良くわかるんだよ、俺も同じだったから」

「片桐さんが、同じ……ですか?」

 ユイがかすかに揺れる瞳を夏臣に向けてつぶやいた。

「俺も去年、何も出来ない半人前のくせに、意地になって色んな人に迷惑掛けたんだよ。それで反省して、色んな人に助けてもらいながら何とかやれるようになった」

 夏臣が苦笑いを浮かべながら、あまり思い出したくない思い出話を口にする。

 出来ないやつほど出来てると勘違いをして周りの人に心配と迷惑をかけてしまう。

 痛いほどに身にみた反省を、似たような境遇のユイに重ねてついお節介を焼きたくなってしまった。

「だからこれは余計なお世話かもだけど、俺の勝手なお節介だから受け取ってくれ。それに」

 そこで言葉を区切ると、ユイに苦笑いを向ける。

「一人でも頑張ろうとしてるやつは、嫌いじゃないからな」

「片桐さん……」

 ユイの手に握られたビニール袋ががさりと音を立てた。

 もう夏臣のお節介を突き返そうという意志がなくなったのを見て、ユイの返事を待たずに夏臣が自分の部屋の玄関に手を掛ける。

「それじゃ」

「あ……! 片桐さん、その……!」

 呼び止めようとしたユイを振り切って玄関をくぐってドアを閉める。

 閉じた玄関にもたれかかって一息つくと、自分がやったお節介が照れ臭くなって苦笑いが込み上げてくる。

「……さすがにちょっと説教臭かったかな」

 勝手に昔の自分を重ねて、勝手に説教をして、お節介をして。

 一人になった途端にやや恥ずかしくなって額を押さえる。

 でも見返りを求めてるわけでもないし、下心があるわけでもないし、こんな余計なお世話を焼くのは今日だけのことだ。

 向こうだって明日の夜まで空腹を我慢するよりは、変な隣人のお節介の方がまだマシだろう。

 そして靴を脱ごうとすると、『ピンポーン』とどこか遠慮がちなインターホンが鳴り響いた。

「……どうした?」

 変にカッコつけた感じで姿を消した手前、ややバツが悪くドアを開く。

 するとユイがさっきよりも困った顔で気まずそうにうつむいていた。

 手には俺が渡したおかずを持ったままで、この短時間で部屋に戻ったような素振りはない。

 一体何だと思って見ていると、ユイが意を決したように顔を上げて口を開いた。

「……すみません。電子レンジは確かにあるのですが、私の部屋はまだ電気が通ってなくて使えなくて……」

「……そいつは、確認不足で悪かったな」

 何とも締まらない空気に、二人して気まずく顔をらしたのだった。


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