第一章 これくらいは変態じゃない……よね?⑦

じんぐうおり


 右耳をじゆん君の身体からだにぴったりくっつけると、心音がかすかに聞こえる。

 これはせいの音だ。生きている。血が体をめぐっている。

 平常時で一分間に約七十回。筋肉が収縮をかえす。

 およそ八十ccの血液が、その臓器から送り出される。

 ひびどうは、七十回どころじゃない。それがうれしい。

 私はアネモネになりたいけれど、私たちまいはハシとキクだ。いつだってこのせいの音を聞きたかった。この音を聞いて、たいないに回帰する。いろんな考えがカタチを失って、どろどろにけていく。身体からだのあちらこちらが役割を失って、ぶんさいぼうとなり、はいもどっていく。

 生命のスープの中で、私の意識だけがただよっている。

 ずっとお姉ちゃんにひとめされてきたけど、これからは私がこのせいの音を聞くのだ。

 私は頭の悪い二人に勝手にるいすいされ、判断され、今に至る。

 初めてじゆん君に会ったとき、お姉ちゃんはこいに落ちた。

 理知的な少年にお姉ちゃんはかれた。自分の周りに居ないタイプの少年に関心を持った。

 私に言わせてもらえば、それは自分の父親に似たタイプを見付けたから、気になっただけでしかない。しよせん、少女のこいなんてたいていそんなものだ。自分だけの父親を見付けたかっただけなんだ。父親に対する独占欲エレクトラコンプレツクスだ。お父さんが私にばかり構うから、お姉ちゃんは父親に似た男の子を好きになったんだ。

 そんなお姉ちゃんとちがって、私は昔からしんちようだった。理性的だった。

 この男の子は、お姉ちゃんがれるにあたいする男の子なのか調べなければ。そう思った。

 気持ちでぱしるお姉ちゃんをいさめるのは私の役目だ。

 その使命を果たすため、私はとなりに住む男の子を観察した。本を読む姿を見れば、どんな本を読んでいるのかたずねた。映画をたと聞けば、どんな映画をたのかたずねた。まずは彼のこうと思考をさぐった。

 そうやってちくせきされた情報は、じゆん君は悪いやつじゃないと私に告げた。親同士も仲がい。勉強も出来るようだし、進学や就職でそれほど苦労することは無いだろう。条件は悪くない。

 つばをつけておくには悪くない物件。それが幼き日の私の結論だった。

 しばらくじゆん君を観察して得られた物はもうひとつあった。

 けなんて分からない。

 いつしよた映画の好きなが同じとか、こっちが言おうとしていることをいちいち説明しなくてもんでくれるとことか、別れるのがしくてげんかんまえで話し込んじゃうとか、そういうありがちなことの積み重ねだった。たまにじゆん君のことを見直す出来事があったりもしたけど、それはそれ。いつもいつしよに居て、しゆの話をして、ふと実感しただけ。

 ──なるほど。、と。

 姿かたちはそこそこ似ていた私たちだけど、性格は似ていなかった。初潮をむかえるころには、体型にも差異が生じ始めた。それでも、お姉ちゃんはもっと明確な差異を求めてかみを切った。

 でも、私は知っている。そんなことしなくても、小さなころから知っている。

 私たちは別の人間だ。差異を探すなんてにんしきが甘いだけだ。そう思っていた。

 それなのに、同じようなかんきようで同じ男の子を見て育つと、こんなややこしいことになってしまうのか、といささかがっかりした。

 あとから気付いた私に、お姉ちゃんをずうずうしさは無かった。関係をこわす勇気も無かった。冷静な判断こそが私の美徳だと思っていた。だからがんけなんかにげてしまった。

 本を置き、私はたいのように丸くなる。せいの音を聞いた私は、すべてをリセットする。

 かんきようと時間と経験と知識が人を作るのだ。塩基配列なんてほっておけ。ミトコンドリアゲノムも知らん。すっこんでろ。私は私のやりたいようにやってやる──、

 不意に私の頭に手が置かれた。

 これはどういうことだ? いつからそんな芸当が出来るようになったのだ?

 このっ。犬の頭をでるみたいなことしやがって。


 ──くそぅ。にやけそうになるでしょ。てか、にやける。ズルいよ。


「それは追加料金取られない? サービスの内というにんしきい?」

「ああ、ごめん。なんか気付いたらでてた」

 じゆん君が手を引っ込める。ちゆうでやめるのはずるい。ルールはんだ。

「それ、お姉ちゃんとかんちがいしてやったなら一生のろう。ふんしよしてやる」

 顔をうずめたまま、私は毒づいた。何だよ。結局、私もなおじゃないじゃん。

 じゆん君が息をんだ。

 私は今、君のおうかくまくとなりでうずくまっているのだぞ? 身体的反応はつつけだよ。

「でも、そうじゃないなら、そのまま続けて」

 これで手をもどさない男が居たら、そいつはクズだ。関係をつべし。

「さっき読んでた本っておもしろい?」私の頭をでながらじゆん君がたずねる。

 こういうのって、なんだかカップルみたいだ。やだ。照れる。けど、悪くない。

「めちゃくちゃおもしろい。買って良かった。今度貸してあげようか? ちなみにわんこの話ね」

「そんなに言うなら読んでみたい。しかし、よくジャンルがかたよらないよな。僕はどうしてもけいこうが出ちゃうから、中々ジャンルが広がらないんだよ。この前までル・カレを読んでたから、ちょっとさかのぼってフォーサイスに手を出す、みたいな感じばっかりだ」

「それでいいんじゃない? じゆん君は、物語をしやくして、はんすうして、それかられいに形を整えてひきだしの中に並べてっておきたいタイプなんだよ。だから特定の作家を追いかけたり、テーマを決めて選んだりするんだよ。でも、それはそれでとても大切なことだと思う」

「あーそう言われると、そうかも知れん」

「私はちがうの。整理する気なんてないの。大きな湖に、読んだもの、たもの、いたものをどんどん投げ込んで、私はその湖の上でぷかぷかいていたい。自由で居たい」

「密度がすぎて、頭から落ちたらいぬがみになりそうだな」

「それって、一九七六年のかどかわえいから始まったイメージだからね。そこは押さえておかないとダメだよ。それより前の一九五四年とうえいばんいぬがみなぞ あくおどる』では、あの足のビジュアル出て来ないから」

「そうなの? 知らんかった」

「そもそも原作だと、足だけじゃなくて、へそから上がこおった水面にまってる、だよね」

「そう言えばそうだったな。で、とうえいばんおもしろかったのか?」

「……ごめん、実はてない。完全にがくなきゃとは思ってるんだけど」

「なんだよそれ。……ただでさえおりを追いかけるのは大変なのに、ブラフはきようだぞ」

 え? ける?

 それって──私は思わず身体からだを起こしてじゆん君の顔を見る。

けてたの? 私の読んでる本とかを?」

 ぷいっと顔をそむけて、じゆん君が私の目からげた。

 読んだ数だけだと思ってた。私の読んだ本を、あとからこっそり読んでいたんだ。私に対してそんなに興味を持ってくれていたんだ。そんなの全然気付かなかった。

 私は脈動を感じる。しおを感じる。私は、私のせいを感じた。

「……まぁ」

 何だよ何だよ。わいいとこあるじゃん。このっ。

「何そのあいまいな返事。気に入らない」

「……ああそうだよ。僕はおりが読んでる本は大体読むようにしてたんだ。さっきの本だっておりが貸してくれるって言わなきゃ、自分で探して読むつもりだった……」

「貸してって言えばいいのに」

「……だってそれはなんか負けた気がして」

 こっちを向いてよ。その顔を見せて。

 弱々しくてすきだらけで、本音をれきしたはかない顔を見せて。

 こんな時、じゆん君がどんな表情をするのか、私は知りたい。

 こっちを向かせようとあごに手をえると、はらわれた。

 けちっ。

 でもいい。

 私はちゃんと意識されていたんだ。私たちのはまだ続いていたんだ。

「ねぇ、キスしよっか」

「は?」

 うるさい。せんたくなどあたえてたまるか。私の初めてをいつくしめ。

 せいの音を聞いて、私はリセットされたのだ。

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