春夏秋冬代行者 春の舞《上》

第二章 冬の代行者 寒椿狼星 ⑥

 その知らせを受けた時、いてちようは病院からようやく退院し、自身が所属する機関である『冬の里』にて連日春の代行者誘拐事件を調査していた。

 冬の里に滞在していた春の代行者が、冬の代行者の代わりに人質を申し出て、賊はそれを受け入れ彼女を連れ去った『春の代行者誘拐事件』からはや三ヶ月が経過していた。

 連れ去られた春の代行者の行方は依然として知れない。

 冬の里の者達は汚名を返上するべく機関総出で捜索にとりかかっている。

 いてちようあるじであるろうせいも、度々体を壊しながらも周辺の監視カメラの映像を眺め続けていた。まだ諦めるには早い。それを合言葉にを吐く日々。だというのに、代行者ひなぎくとその従者が所属する『春の里』は、三ヶ月目で、捜査から手を引くと発表したのだ。

 これは異常な事態だった。『里』とは代行者を輩出し、養育する機関である。彼らにとって代行者という存在は何よりも大切な存在だ。だというのに、捜査から手を引いた。

 それはもう『ようひなぎくの命は諦めた』と言っているようなものだった。

 捜査に関わるすべての者を主導して捜索すべき機関が代行者を見捨てたという知らせは関係者にどよめきを与えた。

──次代の春の代行者が誕生したというなら話はわかるが。

 聞きつけたいてちようは居ても立ってもいられず春の里へと向かった。

 春の里の決断を問いただしたかった。何より、同じ従者仲間であるさくらが心配だった。

 さぞ気を落としているはずだ、と。

 しかし、事態はいてちようが想像するより更に最悪な方向へ傾いていた。

『……見捨てないで下さいっ! 開けて下さい! 見捨てないで!』

 まるで、飼い犬を捨てるように、九歳の子どもが里から締め出されていたのだ。

『さくら……?』

 飛行機と公共交通機関を乗り継ぎ、レンタカーを飛ばして駆けつけたいてちようは石塀に囲まれた春の里の門前で泣きながら門をたたいている少女を見つけた時には言葉を失った。腕に三角巾をつけて、事件後の傷が痛々しい。無事な片手で門をたたいている。

『……いてちよう様……私……』

 さくらは、いてちようを見つけると瞳にいっぱいんだ涙をぼろぼろとこぼし、えつを上げた。

 握る拳は、門をたたつづけたせいで皮が剝がれ、血がにじんでいた。

『……お役目を、降ろされました……ひなぎく様をお守り出来なかった罰です……』

『……は?』

『……春の里を、追い出されてしまいました……』

『いや、待て……そんな……』

『わかっています、私が悪い。罰は受けるべきです……追い出されても、構いません……でも、まずひなぎく様を捜さないといけないのに……捜索を打ち切ると……』

『さくら、聞け。どう考えても君のせいじゃない、幼少期の代行者の守り役は、警護より精神の安定の為だ。そんなのは誰もがわかっている。九歳の子どもが賊の攻撃から守れるはずないだろうっ! 責められるべきはもっと他の大人だ、私だ……!』

『でも、私は従者です……私は従者なんです……ひなぎく様を命に代えてもお守りするべきでした……なのに生き残ってしまった……放り出されて、どう、捜せばいいか……』

『……こんなのはおかしい! そもそも、賊に侵入を許した我ら冬が罰せられるならばまだしも、なぜ君が……! ちょっと下がりなさい。おい、開けてくれっ! 開けてくれっ!』

『一時間、ここに居ます。誰も、開けてくれません』

『……うそだろ』

 さくらは保護する形で冬の里に呼び寄せられた。里に着いて、お世話になりますと頭を下げた彼女の頭は、九歳なのに白髪交じりだった。今はどうなっているかわからない。

 もう、世界のにも行き場がなく、後がない娘なのだと、その場に居る誰もが理解した。

 理解、していたのに、しかし、その五年後には、冬の里も大規模捜査を打ち切った。

 ごく小規模な捜査に切り替えられたとはいえ、死ぬのを待つのに等しい。


 みんなが見捨てた。娘二人を。何年も、何年も見捨てた。


 そうして、見捨てられた春の代行者と従者は、現在帰還している。

 戻ってきた春は、花も緑も、風さえも、力強く美しいと評判だ。

 何にも負けない、誰の指図も受けないと、二人だけで生きている。野に咲く花のように。

 いてちようには、この春はあまりにもまぶしすぎた。

 ろうせいのようにこうこつとして眺めることが出来ない。

──あまりにも痛々しい。

 死ねばいいと思われていた少女と。

 死ぬのを待った方がいいと言われていた少女。

 春の花の名前を冠した二人は銀世界を春に染め続けている。

『私達はに居る』と、見せつけている。すべての大人達へ向けた優しいふくしゆうだ。

 死ねばいいと思っていた者達と。

 死ぬのを待った方がいいと諭していた者達へ向けても春を贈る。

 いてちようひなぎくの死を望んだことなど一度とてなかった。

 さくらに死ぬのを待てと言ったこともない。

 だが、守護者の役割を果たせず、彼女達の人生を守ることも出来てはいなかった。

 あの時、いてちようは十九歳だった。それから十年。

 彼もまた、大きな渦の中で翻弄され続け今に至る。

 三人はもっと幼かった。

 ひなぎく、さくら、ろうせいいてちようにとって守るべき存在だった。

 守りたかった。守ってあげたかった。本当は、守って死にたかった。

──だが生きている。

 十年前、かばうどころかかばわれて喪失した。

 五年前、ある日屋敷を飛び出してしまうほど追い詰めた。

 現在、『大丈夫』と言い聞かせて心が砕けないようにするしか出来ない。

 いてちようが望むような世界はきっとこれからも訪れない。毎秒、現実を突きつけられる。

 これからもきっと、そうなるはずだった。


「どうかされましたかいてちよう様」

「ああ、何でもないよ……」


 いてちようは意識を切り替えた。ラウンジの窓を見る。外には夜桜が咲いていた。

 ようやくしよくざいが果たせる『春』がいま訪れているのだ。


 人生で、こんな救いはもう二度とないだろう。いてちようは、かすれた声でささやいた。




「さくら、まだ私が憎いか」




 桜の花弁は、捨て置くことが出来ず、拾って胸ポケットに入れた。




 白い箱の中に少女は居た。


『■■■■』


 そこはひんやりとしていて、とても静かな鳥籠だった。

 もう何年も閉じ込められている。


『■■■■』


 少女をさらったその人は、違う名前で彼女を呼んだ。人生も、名前も奪うことで彼女を隷属させたかったのだろう。そのもくは成功している。ゆっくりと、人格は壊れ始めた。


『……わたしは』


 一年目、少女は希望を持っていた。きっと誰か助けに来てくれるはずだと。


『わたし、は』


 二年目、まだ記憶はしっかりしていた。慕っていた人達の顔が思い出せた。


『わ、た、し、は』


 三年目、疑いを持ち始めた。もしかしたら違う名前で呼ばれる自分のほうが正しくて、過去の記憶は誤りなのかもしれない。だって誰も助けに来てくれない。


『ひな、ぎく、は』


 四年目、声がうまく出せなくなった。自分の存在がとても不確かで、自信を持ってしやべれない。本当にに存在しているのだろうか。外の世界はある? この自分は正しい?


ひなぎく、は』


 五年目、人格がかいしていくのを感じて、怖くなって自分の名前を復唱し始めた。


ひなぎく、は』


 六年目、与えられる罰が怖くて、何も出来なくなった。

 言い聞かされる言葉で精神が壊れてゆく。もう誰も捜していないだなんて言わないで。


『ひ、ひなぎく、は、■■■■じゃ、あり、ま、せん』


 七年目、生かされているから、生きている。喜びも悲しみもなかった。

 外の世界を思うことすらやめた。でも、まだ信じていたい。


『……い、や、です』


 八年目、誘拐犯からとある提案をされた。

 提案というよりは命令だった。もう失うものもないのに、八年前に自分が守った人達の顔がおぼろげながらに浮かんだ。すがる対象がそれしかなかった。


『い、や、い、や、いや、いや』


 身体からだが悲鳴を上げる。少女の身体からだは見知らぬ者に乱暴にたたきつけられ、組み敷かれた。


『さくら、さく、ら、さくらあああああああっ』


 たんで出た名前は、神様ではなく、たった一人の昔の友達だった。


ろうせいさ、ま、ろうせいさま、ろうせい、さま、ろうせい、さま』


 頭に浮かんだのは、結局いつまでも好きなままの初恋の少年の顔。もう忘れていたのに。


『助けて、誰か、助けて、誰か、助けて、誰か、誰か、誰か、誰か、誰か』


 叫びながら、少女は自分を鳥籠に入れた存在と、いまの彼女の世界すべてを攻撃した。

 大人たちが叫んでいる。これは悪いことだとわかっていたが、められない。

 皆が静かになるまで少し時間がかかった。

 少女は、気がついたら外に出ていた。世界は銀色の雪に包まれている。とても寒い。


『……みんな、どこ』


 裸足はだしの足は、雪を踏むごとに血の色の足跡をつけた。


『……帰りたい、よ、う』


 それから少女は山を下った。もう誰も捜していなかったとしても、帰りたかった。


いてちよう、お兄、さま』


 帰りたい。あの子が守られていた場所へ。


『さく、ら』


 すっかり中身が壊れて違うモノになってしまっていても、歓迎してくれるだろうか。


ろうせい、さ、ま』


 肉体に魂が宿るのか、魂に肉体が宿るのか。自分殺しは罪になるのか?


『みんな、どこ』


 わからないことだらけの、この不確かな世界で、ただ一つだけわかることは。


ひなぎくに、いる、よ』


 閉じ込められていた世界の外に、ちゃんと別の世界が存在していたこと。

 あの子の頭がおかしくなったわけではなかったのだ。嗚呼ああ、よかった。


、に、いる、よ』


 嗚呼ああ、良かった。帰ろうね、帰してあげるよ。




 すっかり壊れてしまった少女ひなぎくはいま、同じような娘を連れて春を咲かせている。

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