春夏秋冬代行者 春の舞《上》

第二章 冬の代行者 寒椿狼星 ⑤

 峠での交通事故は、突然現れた冬の代行者の救出劇により事件発生からまもなくして解決した。にんは全員助け出され、その後はつつがなく処理が進んでいる。

 大型トラックの運転手は骨折はしているが生命に別状なし。

 ガードレールに衝突した車の父親の意識は戻っていない。いしはらにより応急処置は受けたが、どうなるかは病院に着いてみないとわからないらしい。ろうせいはずっと、子ども達と手をつなぎながら救急隊を待っていた。何もしやべりはしなかったが、彼らはぴったりと離れなかった。

 そして、救急車が来ると、子ども達はわかぎわにそっとろうせいに手を振ってくれた。ろうせいも、同じようにそっと振り返した。後は他の仕事人の領域だ。もう何もしてやれない。

ろうせい、こっちに来なさい」

「……」

 三人の命を救ったというのに、ろうせいは無力感に襲われていた。

「いつまでそうしている。いま、四季庁から通達が来た。これから先の道に車両が用意された。乗ってきた車両は放棄するぞ。運転手はすでに待機してくれている」

「……野次馬の方々に撮影されないよう死角から行きましょう……もう撮っている人、何人か居ましたけど……嗚呼ああ、始末書ものです……」

いしはら女史、お互い気を強く持っていこう……ろうせい、聞いているか?」

「ああ……」

 救出劇からそう時間はっていないが、ろうせいひどく疲れているように見えた。

 それか、途方に暮れているようにも見える。

いてちよう……あの親子に必要な物を手配したい。詳細、追えるか?」

もちろん、私の方で経過を後で確認しよう。母親が居なかったのが気になるな。頼れる親族が居なければ誰か派遣しよう。子どもを見る人が必要だ。それで良いか?」

「……ああ」

じんつうりきを使って疲れただろう。車の中で少し寝ると良い」

「……うん」

「何か、欲しい物があれば言いなさい。途中で調達する」

「……」

 ろうせいの心ここにあらずな状態は続いたままだ。

「……ろうせい

 いてちようろうせいの腕をつかむ。そのまま無理やり引きずって歩かせた。少しでも早く、この場を去り、あるじの意識を変えさせたかった。ろうせいはされるがままだ。

──春のうるわしい景色の中で、ろうせいが……いや、私が……途方に暮れたことは前にもあったな。

 いてちようは、ふと過去を追想した。その時は、もう世界は終わりだと思ったものだ。

 だが、今も日常は続いているし、自分も周囲の人の人生も終わる様子が無い。

──私達だけは死んだまま生きているようなものだ。

 現実は自分達と同じ速度で歩いてはくれないものだ。いてちようの頭に声が響く。


いてちよう様、うそですよね。見捨てませんよね。ひなぎく様を、私を……見捨てませんよね……? うそだって……うそだって、言ってください……助けるって、言ったじゃないですか……私に、言ってくれたじゃないですかっ……!』


 過去だけは、時折、思いついたように足早で近寄って背中を刺してくる。

 そういう時、過去はけして人選を間違えない。最も心に刻まれた人で刺してくる。

 いてちようは自分の心の中にいつも居る娘の懇願を思い出しては目を伏せた。

「……!」

 その時、急にぐっと腕を引っ張られて、いてちようは振り返った。ろうせいが歩きながら小石につまずきかけていた。いつもの彼らしくない。

「おいろうせい、大丈夫か?」

「……」

「おい、聞いているのか、おい」

「……ああ、誰に聞いている。当然、大丈夫だ」

 その『大丈夫』は、誰が聞いてもうそだとわかるものだった。

 いてちようろうせいの腕をつかむ力をぎゅっと強めた。

「……痛い」

「痛くしている」

「何でだ」

「お前が本当に苦しい時に『痛い』と、『つらい』と……そう言わないからだ」

 ろうせいがふっと視線を向けた。迷い子のような瞳が揺れている。

「……俺にそう言う資格は無い。そういうのは言ってはいけないんだ」

「誰しも自身の感情を言う資格はあるさ」

「無い。俺だけには無い」

「……ある。誰かが無いと言うなら、私が代わりにあると言う。お前は痛いと言っていい」

「甘やかすな……」

「甘やかしてない……私は……」

 いてちようは、この青年だけは、苦しみから救ってやりたかった。

 自分が救われなくても、そしりを受けても、この冬の神様だけは楽にしてやりたかった。

「お前が大切なんだ。何度も言っているだろう」

 彼を救うことが、自分を救うことになるわけではない。ただ、そうしたかった。その献身は痛々しいほど無欲だ。しかしろうせいは理解を示さずぐしゃりと顔を悲しげにゆがませた。

「そういうのは、さくらに言え」

 それはいてちようにとって一番心をえぐるであろう台詞せりふだった。

「……言えたら苦労はしないな。でも今はさくらは関係ない。お前に必要だ」

「……やめろ。うる、さい」

──やめてくれ、俺は。

 ろうせいはこの男から度々離れたいと思うことがあった。いてちようろうせいの絶対的な味方であり続ける。それはろうせいにとっては救いなのだが、ろうせいは救済は欲しくなかった。

「近くにいるから、言える時にちゃんと言うようにしているだけだ」

──断罪されるほうがいい。断罪されたい。

ろうせい、大丈夫だ」

 だが、彼はけしてろうせいを見捨てない。ろうせいの為に人生をささげることに疑問も抱かない。時に厳しい言葉を投げかけることもあるが、見捨てることはない。

 その愛し方に、疑問を持って欲しいのにしない。

──俺は。

 ろうせいの目頭が熱くなり、喉がぐうと鳴る。

「いつか、きっと、ひなぎく様のこともなんとかなる……」

 この男から与えられる、ただ、無責任な『大丈夫』の力が。

 こんな自分に向けてもらえる親愛が、肯定が。

「言ったことの責任も取れないのに……そんなこと言うなよ……」

 この年までろうせいを生かした。

──こんなにもうれしくなるなら、俺も、あの子達に言ってやれば良かった。


『大丈夫だ、お父さんはきっと助かるぞ』と。


 無責任だとしても、かけてもらえる言葉一つで、人の気持ちは随分変わるものだ。

 それがこの男の存在でわかっていたのに、怖がって言ってやれなかったことが今更悔しい。

「責任はとるさ。お前のことは生涯かけて守る」

 ろうせいこぼれかけた涙を着物の袖で拭った。それから八つ当たり気味に着物の袖で、ぱしりといてちようをぶつ。この、何をしても完璧に見える男が憎らしかった。それはあくまでろうせいから見た彼に過ぎないのだが。

「……誰彼構わず口説くな」

 ろうせいの為なら道化にも騎士にもなる。いてちようはそういう男だった。

「人聞きの悪い。愛情を向ける相手はちゃんと選別している」

 従順ではないが、最高の従者である男はひようひようと答える。

「……本当かよ」

「本当だ。いいかろうせい……お前は人であれ。『神様』になり過ぎるなよ」

「……ああ」

「そうだ……あとな、氷の花は見事だったぞ。春の代行者様の……ひなぎく様の作り上げた春をけがさないようにああしたのだろう?」

 ろうせいは小さな子どものようにこくりとうなずいた。いてちようは、この年の離れた兄弟のようなあるじがたまらなくいとおしくなる。空いている片手で髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜるようにでた。

「良い春景色だった。あの方は氷の花をお前に作ってもらうのが大好きだったものな……ろうせい、今日はい飯を食おう。お前の好きな物でいい。何が食べたい?」

 ろうせいは、鼻声で『スーパーの寿』と答える。いてちようは『つつましいな』と笑った。

「……イカはいらないからお前にやるよ……」

「嫌いな物をよこすのか? それじゃあお前の好きなサーモンは私が食ってやろう」

 二人の主従は、互いに拳で軽くこづきあい、それからまた歩き始めた。

 いてちように引っ張られていく中で、ろうせいは一度だけ後ろを振り返る。きらきらと春の陽光の中で光る氷の花畑。その中に、ふと、とある少女の姿が見えた気がした。

 それは、ろうせいにとって世界で一番特別な人の幻影だった。

──ひなぎく、お前は、にでも居るな。

 もう、顔も声も記憶の中で薄れているのに。

──俺が、恋い焦がれるからにでも現れる。

 色鮮やかに、心にはずっと存在しているのだ。

──まだ、お前のことが好きだ。お前は俺のことを恨んでいるか?

 ろうせいは、自分のせいで誘拐された女の子のことをおもった。

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