春夏秋冬代行者 春の舞《上》

第二章 冬の代行者 寒椿狼星 ②

「  」


 青年の姿をした冬の神様が、夢からめ、寝起きのかすれた声で何事かささやいている。


 黒塗りの高級車の中で、まるで久方ぶりの友でも見るように外の風景を眺めている彼は、端正だが気難しそうな顔立ちをしていた。

 陰りのある瞳、薄い唇、からすいろの髪は若者らしく整えられている。

 まだ幼さの残る横顔だが、落ち着いて見えるのは彼の身の内から湧き出る高貴さのせいだろう。瞳のまたたきも窓に手を置く様も、どこか品がある。身を包んでいる着物は正に貴人でなければまとうことを許されない名品。紫黒の長着、黒地にきんしゆうじゆばんうすねずおり。同系色でまとめられた靴。すべてが彼の為に作られたオーダーメイドだとひと目でわかる。まるで一つの作品のような青年だ。かもす雰囲気はそれゆえ、おいそれと声をかけることの出来ない近寄りがたさがあった。

 黒塗りの高級車の車内は葬式のように静かだったが、おもむろに彼が窓を開けたので自然の音が流れ込んできた。鳥の鳴く声。緑や花々を揺らす風の音。

 ほう、と感嘆のため息をきたくなるような夢のような景色が広がっている。

 場所はつく、日付はれいめい二十年二月二十八日。

 春の代行者ひなぎくが、りゆうぐうにて春の召喚をしてから約二週間が経過していた。

 十年ぶりに春が召喚された大和やまとは各地でお祭り騒ぎになっており、花見が盛んに行われている。高級車は今現在、花見客の渋滞にはまっていたせいか、窓を開けると自然の音以外にも様々なラジオの音が聞こえてきた。

『──大和やまとは十年ぶりの春ということで、各国から祝いの言葉が届いています』

『──突然の春来訪による景気の向上で、株式相場は……』

『──合衆国の大統領からは、友好国として祝いの言葉が届いています。また、世界各国の春の代行者からも大和やまとの春を祝う贈り物が四季庁に届いており……』

『──それにしても、大和やまとの春の代行者は十年の間どこに居たのでしょう。有識者の方からコメントをいただいています』

 青年は目を閉じて、腹いっぱい春の空気を吸い込み、そして吐いた。

 そうすると、険しい表情が常態である彼の顔に少しの安らぎが見えた。

 まさに、春の恩恵と言える現象があらゆる所でもたらされている。

ろうせい、窓を閉めろ」

 つかの間の安らぎは、この声により一瞬にして終わった。

 彼の幸せを邪魔したのはすぐ隣に居た男性の従者だった。

 ろうせい、と呼ばれた冬の神の青年は例えるなられいえんせい、この従者はけん姿えんしつと言えた。

 年は二十代後半から三十代半ばくらいだろう。

 銀糸に黒のメッシュが入った髪は夜に抱かれた雪原のよう。顔はサングラスで隠れているが隠しようのない色香があふている。服装は遠目で見れば黒のジャケットににびいろの柄ベストを合わせたスリーピーススーツだ。しかし近づけばあるじそろいの黒地に金の意匠が入った一品だとわかる。凝った衣装を着こなすにふさわしい長身たいは同性ならずとも誰もが憧れるところだろう。腰にるした刀だけが妙に異彩を放っている。彼は一見すると何をするにも色気があふれる執事然とした寡黙な男なのだが。

「撃たれたらどうする。窓を閉めなさい」

 しやべると、母性というか父性がにじていた。

「黙れ、いてちよう

 一方、受け答えをするあるじの方は反抗期の息子のようである。

「……」

 いてちようと呼ばれた従者は身を乗り出して窓を閉めようとするが、ろうせいが肘鉄を軽く当ててそれを阻止した。ずれたサングラスを直しながら、いてちようあきれたように言う。

「おいたがすぎるぞ。やめなさい」

 近距離で切れ長の瞳ににらまれ、諭されるように美声でささやかれても、ろうせいひるみもせずにらかえした。今は停車中だが、車の振動が起きれば互いにあらぬ事故が起きそうな距離だ。

「どけ、いてちよう

「どかないぞ、ろうせい

「……」

「……」

「こんな所で撃たれるはずはない。ただの峠道だ」

「峠道だが渋滞で停車中の状態だ。私がお前を付け狙う者ならしめしめと思って撃つ」

「射程範囲内に撃てる所が見当たらないだろ。木の上に登るのか?」

「必要とあらば長距離スナイパーくらい用意するだろう、過激派連中は。あらゆることを想定して動かなくてはならない。何の為に経費をかけて特注の防弾ガラスにしてもらっていると思う? お前を守る為だぞ」

「あと少しだけ待て。俺にとって、十年ぶりの春なんだ」

「それは大和やまとの全国民がそうだろう……」

ひなぎく…………が、戻って来ていると感じられるだろう。だからもう少しだけ待て」

 最初の方の言葉は、呼び慣れない単語を無理して言ったように聞こえた。間近に居るいてちようでも聞き取るのが難しい程小さな声。いてちようはそんなろうせいを見てため息をいた。

ひなぎく様にはその内会える。『四季会議』があるからな」

「……わかってる。文の返事はきたか」

「ない。あちらとしては我らに会いたくないのだろう。だが、我々はそういうわけにはいかない。私達が生きているのは彼女のおかげでもある……命を助けて頂いたお礼を直接申し上げねば……文だけでは足りない」

「……」

「会いたくないか?」

「……会いたいよ。でもあっちは会いたくないんだろう」

 ろうせいは自分の従者がこの言葉を否定してくれることを望んだが、いてちようは渋い顔をした。

「……ひなぎく様のご意思なのか……従者の……さくらの意志なのかはわからないが、今のところはそういう見解をとるしかないな。当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。会えばひなぎく様のお心は乱れるだろうし、顔すら見たくないと言われる可能性は大いに有り得る」

 淡い期待を裏切られて、ろうせいはうなだれた。そして諦めきれない様子で言う。

「……最悪、四季会議では必ず会うはずだ。殴られようが、罵られようが……会える。それまでに誠意を尽くす。今後の活動でも、こちらが手を貸せることは何でもしたい。いいないてちよう

「もちろんだ、気付いたことは何でも手配しよう」

「それで、派遣を命じてた護衛から何か報告はあったか? その……いまの様子とか……」

 かすれ声でささやかれた寂しげな言葉に、いてちようはすぐ返答をしようとしたが、迷ってまた閉じた。

「……」

 結局、やはり口を開く。いてちようの低い声がろうせいに降り注いだ。

「一応、ある。あまり良い報告ではないが……」

「……陰で守ってることがバレたのか? さくらに知れたら、あいつの性格だと怒るかも……」

「いや。まだ露見していない。そういうことではなく……護衛の者の報告によると……どうやら誘拐された当時と様子が違うようなんだ」

 ろうせいの顔に少しの恐れが浮かんだ。

「違うって……何がだ? か? 身体からだに障害が?」

 いてちようはなるべく言葉を選んで話した。

「いや、そういうのではない。客観的に見ると、姿形は立派に成長されているが、中身が別人のようらしいんだ……」

 ろうせいの心臓にびしりと痛みが走った。

──待て。

 ひなぎくの様子を知りたいのに、思わず頭の中で待ったをかけてしまう。

「まるで違う幼子が器に入っているように見えるらしい」

──待ってくれ。

 それは彼が想像していたよりもはるかに悪い事態だったからだ。

「精神年齢もほとんど幼少期で止まっている可能性がある。PTSDの一種かもしれない。里の当時の生き残りをつけた。我々の交流を見守っていた者達だ。不確かな情報ではないだろう」

 声にならない悲鳴のようなものがろうせいの唇から漏れた。苦しげにまぶたをぎゅっとつぶる。

──いつかはこういうことを聞かされると思っていた。

 しばらく苦しんでいたが、いつまでも現実から目を背けるようなはしなかった。またすぐ瞳を開き、いてちように先を促す。

「他は……」

「……しやべかたも、きつおんではないが、途切れ途切れにしか話せないらしい」

「……何か、何か良いことは、ないのか」

りゆうぐうでの春の顕現を無事終えたことだろう」

 ろうせいの苦しげなため息がいてちようの顔にかかった。

「……護衛は継続。接触は少し様子を見よう」

「了解した」

 ろうせいは罪悪感という絵の具で染められた声音でささやく。

「……少し考えればわかることだったな……」

 憂いを帯びた瞳に、髪の毛がぱさりとかかる。その瞳は少しれている。

「春帰還の触れはあまりにも唐突だった。同時にりゆうぐうに春顕現……おかしいだろ」

「ああ……」

「俺達は十年捜していたのに、戻っていたのを四季庁に隠されていたということになる。何か問題が起きていたに違いないんだ。心が子どもで止まっているなら、嫌々代行者の仕事をさせられている可能性が高い。薄氷を踏む思いでやっているかもしれない……」

「……ひなぎく様のことはさくらが守っているようだが、無茶をしている様子は私の耳にも入っている……寄り添えるのは同じ立場の我らだぞ、ろうせい

「……そうありたいが、そうなれない最大の理由が自分自身なんだから笑える……いっそのこと、違う冬の代行者に代替わりしていたほうが、あいつにとって優しい世界だったのかもしれないな……あいつが望むなら、今からでもそうしてやりたい……」

ろうせい……」

 いてちようろうせいの頰に手を添えた。二人の距離が更に縮まる。なぐさめるようなまなざしがいてちようからろうせいへ注がれる。男の主従同士、このまま、親密な雰囲気に突入するかと思われたが。

「ぐあっ」

 一瞬の間の後、いてちようはかなり激しくろうせいに頭突きをし、悲鳴が上がった。

 少し車内が揺れてしまうほどの衝撃だった。高級車の運転手は、閉めていた後部座席との連絡窓であるパーティションを開けて後ろを確認する。痛みをこらえているろうせいと、サングラスをかけ直しているいてちようを見て、いつものことだとまた閉めた。

「最後のは絶対に言ってはだめだ!」

 ろうせいの瞳の中に星が飛んだ。突然の教育的指導にもんの声を返す。

「口で言えよ! 頭突きする必要なかっただろ!?」

 ろうせいは痛みで半泣きになっている。いてちようは涼しい顔のままだ。

「ある。お前は口で言ってもわからないから窓も閉めない。自分をおとしめるようなことも言う。私を悲しませる天才だから頭で語るしかない」

「……頭の意味違うだろ!……おい、従者って差し替え出来ないのか?」

 いてちようはむっとした顔を見せ、再度頭突きをしようと試みた。すかさずろうせいがその頭をがしりとつかむ。ろうせいいてちようは無言で取っ組み合いを始めた。

 しばらく兄弟のようにじゃれあっていると、後部座席の反対側のドアがノックされた。ろうせいいてちようは互いに顔を見合わせる。続いて運転手がパーティションを再度開けて声をかけた。

「渋滞の原因を見に行っていた四季庁のいしはら様です」

 このドライブの同行者の一人、四季庁保全部警備課の女性職員だ。いてちようがドアを開けると、きよくアナウンサーにでもなれそうな見た目のいしはらが緊張した面持ちで立っていた。

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