春夏秋冬代行者 春の舞《上》

第一章 春の代行者 花葉雛菊 ⑦


 さくらは後ろから薺を抱き上げて墓から離した。


 儀式を邪魔させない為の拘束だったのだが、薺は今度は暴れず、されるがままになっている。一度、さくらを見上げて微笑んだ。この小さな娘とはそりが合わないままここまで来たが、ようやくお互い少し打ち解けられた気がする。さくらの声も自然と優しくなった。


「薺、いいか……今から雛菊様がすることを簡単に説明する」


 雛菊は比較的開けた大地となっている位置で入念に足元の雪を固めて、自身が儀式を執り行う範囲を作っている。


「四季の代行者とは四季に変わって季節を大地に届ける為、とある能力を授けられている」


 地面を均し終えたら、次に精神統一。腹式呼吸で息を吸って、吐いていく。


「春の代行者は生命促進、夏の代行者は生命使役。秋の代行者は生命腐敗、冬の代行者は生命凍結。それらを駆使することが出来る。春の開花の儀式には種類が様々あり……初めて出会った時に雛菊様がお見せしてくれたような、花をただ咲かせるだけでは春の顕現とはいえない」


 衣を少しはためかせて、身体がうまく稼働するように扇を振る。


「まず発声による音声術式。我々が歌と言えばそれは『四季歌』を指す。春夏秋冬、それぞれの代行者達が受け継いできた歌を所有してる。春の代行者は春歌を唱えることにより日照及び生命の成長促進を行うことが出来る。次に舞踊術式。舞踊というものは世界中至る所で、太古から我らに力をお与えくださる四季へ奉納する儀式として行われてきた。音声術式と舞踊術式を組み合わせることで広範囲に力を届けることが可能となるんだ」


 言葉や習慣が違う国々でも、歌うことと踊ることは何処の国々でも行われている。

 そして往々にして、歌や踊りは神々に捧げられる。

 四季の代行者は、四季から授かった力を行使すること自体は何もせずとも出来るが、こと、季節を広げていく顕現に関してはこの方式に則らなくてはならなかった。

 一息に説明したが、さくらに抱かれたままの薺は三分の一も理解していなさそうだった。顔を上から覗き込むが、目が合って疑問符を浮かべられる。


「わかんない」

「……」


 子どもでもわかるように言うのにはどうすればいいのか。


「ええと……」


 少し考えて、さくらは投げやりに返した。


「今から、雛菊様が歌って踊る。そしたら春が来る。そういうものなんだ。お前も春景色を見たことがきっとあるはずだぞ……まあ、二歳までの記憶なんて無いかもしれんが……」

「……お母さんと見てた……かもしれない?」

「四季の代行者は国の隅々まで季節を届ける。竜宮に居たなら、きっとどの土地よりも早く春を見ていたはずだ。春はここから始まるからな。それはそれは美しい季節なんだぞ」


 薺は、何度も興奮気味に頷いた。


「……いよいよ始まる」


 銀の鈴と、色とりどりの長紐がついた扇がばさりと雛菊の顔前で広げられた。

 見る者すべてを耽溺させてしまいそうな流し目で虚空を一瞥し、扇を振り大地を蹴る。

 鈴がシャンと鳴り、雛菊が再び大地に足をつけた時にはもう空気が変わった。

 薺が息を呑む音が、さくらにも聞こえた。

 雪が敷かれた墓地で、春の衣を纏った少女が祈るように踊る。

 はためく袖が空を斬る。祈りは四季に届き、力が事象として具現化する。


 ――目が。耳が、肌が、五感が。


 ただでさえ、心をかき乱してくれるさくらの神様が。


 ――奪われる。


 目の前で春を乞うその様は、あまりにも美しい。




「朧月夜 剣の鋭さ潜め」




 歌はまさしく歌。

 ただ唱えるのではなく、明確に音色があった。

 扇の飾り紐が空中を緩やかに漂う。

 赤、桃、緑、青、それらの紐が混ざり合って、踊る雛菊の肢体に絡まっては解ける。



「暗夜霞み揺蕩う」



 足取りは軽やかで体重を感じさせない天女の舞だ。

 雛菊のその身には、明確に何かが降りていた。

 春の化身のような娘に、春を乞われて。

 その身がこの場を神域へと変化させる何かが降りている。

 春の風が鼻をくすぐる。



「恋しさ堪え 春の宴 絢爛に」



 気がつけば、あれほど足元を覆っていた雪が消えていっている。

 雛菊が踊り、歌う、その場所から春が始まっているのだ。

 雛菊が踏む大地に、飛び跳ねる度に花が、草が、咲き始めた。

 春の代行者は生命促進。



「藤に彩られよ 山野 菜の花に染め上がれ 大地」



 まさにその言葉を体現する働きがこの場に起こっている。

 先程まで、吐息すら凍りつかせそうだった冷気は霧散した。

 いまはただ、日照に心躍らせる春の陽気が一帯を包んだ。



「永久に咲く花は無し あはれいと恋し 冬の君よ 月の如く その背を 永久に追う」



 雛菊が流し目をして跳ねるように飛び回る。

 すると、急速に緑の葉を纏った周囲の桜の木が一斉に開花した。

 まさに桜花爛漫、花鳥風月。




 この世の春とはこれぞ、と謳われるであろう風景が完成した。




 ――出来た。


 桜吹雪が吹く中で、さくらはこみ上げてくる感動を噛み締めていた。


 ――立派ですよ、雛菊様。


 さくらは本当は不安で一杯だった。ここまで二人が歩いてきた道のりは長く険しく、こんな日が来るとは思えない時が何度もあったのだ。


 ――けど、貴方は出来た。


 くじけそうになった瞬間は数え切れない。雛菊と子どものように泣いていた時間も少なくはない。二人には味方が居なかった。守ってくれる者は居なかった。だから少女二人で旅をした。


 ――完璧な春の顕現です。


 此処に至るまでの困難や苦労が思い出されて、胸がぎゅっと苦しくなる。


「薺、これが……これが春だ……どうだ、素晴らしいだろう?」


 喜んでくれていることを期待してそう声をかけたが、薺の反応は予想とは違った。


「……さくら」


 雪解け水のような水滴がさくらの手の甲に落ちる。薺の胴に回していた腕に降り注いできたのは少女の涙だった。さくらは、そこで初めて気づいた。


「しってる……」


 春を授けた幼き民が泣いている。人の瞳というのは、こんなにも美しい宝石を作れるのかと思ってしまうような大粒の涙を流している。


「あのね、これ、しってた……」


 涙まじりの声。薺は、ぽろぽろと涙のしずくを零しながら必死に言う。


「なずな……これ、お母さんと、見たことがある……」


 その声には、どうしてこの思い出を忘れていたのだろう、という気持ちが現れていた。


「ぴんくのやつ、見たことある」


 空中を浮遊する桜の花弁に手を伸ばしたが、薺の手は空振りした。泣き笑いをしてしまう。


「この、あったかい、空気、すいこんだこと、ある」


 まだ生まれて十数年の、艷やかな髪や肌を照らす陽光。

 解けてゆく雪と共に生まれる陽向の場所を見て、嗚咽を漏らす。

 薺の母の墓が段々と雪の衣を脱いでいく。


「これ……」


 興奮して喋る薺の脳裏には、遥か遠い昔の記憶が思い出されていた。

 それはもう二度と彼女の人生で起こらない出来事だ。



「これ……『春』を、お母さんと見たことあるよ」

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