Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

エピローグ 僕と君とそれから

 あれから、数日が過ぎた。

 まつくんとは一度も会っていない。

 あの一瞬、交わした視線、おもい、笑顔、それが全てだ。

 ──なーんて書けたら格好いいんだろうけど、そもそも僕が彼女の名前を第一声で叫んじゃってるからね。ふっつーに巻き添えで、まつくんも職員室に呼ばれてました。てへっ☆

 たった十数分での再会だったから、情緒もなにもあったもんじゃない。

 現実は物語のようにれいにいかないらしい。

 まつくん、顔を真っ赤にして恥ずかしがってたもんなあ。

 それでも、まつくんの口添えもあって、厳重注意だけで終わったのは行幸だった。警察沙汰になってもおかしくない事案だったし、それなりの覚悟もしていた。

 二度目はない、と熊のような体格の体育教師ににらまれた僕は、チワワに匹敵するれんさで、ふるふる震えて何度もうなずいた。うそだ。二十八のおっさんが、チワワのようにわいいわけがない。

 あと、鳴き声だって、わふーとか、ワンワンとかじゃない。

 ラノベ作家の鳴き声、改め、泣き声は、一部の売れっ子を除いて大体が〝売れたーい〟である。ちなみに、リア充とやる気のない居酒屋店員のなき声は文字で表せば共に〝ウェーイ〟だけど、発音が微妙に違ったりするので要注意。

 ウェーイ⤴ と鳴くのがリア充。

 ウェーイ⤵ と泣くのが飲み放題のおかわりを配膳から三秒で注文された居酒屋の店員。

 はい、ここ!! テストに出るので覚えておくように!! 紛らわしいから、注意してください。Desert(砂漠)とDessert(ケーキやアイスなんかを指すデザート)くらい違います。

『先生っ! ホヅミ先生っ!』

 隣に立つまつくんが、小さな声で必死に叫ぶ。

『え? なになに?』

『今! わたしたち、怒られてるんですよ! 先生の! せいでっ!』

『うん。だね』

『せめて、申し訳ないって空気くらい出してください。なんで笑ってるんですかっ?』

『いやあ、新鮮で、つい』

『つい、じゃないですよおおお、もおおお!!』

 職員室で𠮟られるというのは初めての経験だったので、思わずワクワクしてしまう僕だった。学生時代、成績上位組の大人しく目立たない生徒であったが故に、職員室で𠮟られるとか、そういうラノベ的お約束イベントとは無縁の生活を送ってきたのだ。

 あと、なぜだか怒られている僕よりしゅんとしていたまつくんがわいくて、ちょっとだけえたのは内緒。だから、なんでニヤニヤしてるんですかあああ、と泣きそうな声で言うまつくんに思わず笑ってしまい、一層彼女を困らせる結果になった。

 と、まあ、そんなわけで、僕の日常はあまりにあっさりと返ってきた。

 ふたつ担当は相も変わらずタフに仕事をさばき、ポンコツは神イラストでファンを魅了し、あずまは大きめの契約が入ったとかで本業を忙しそうにしていて、ウミはウミで〝放課後、制服姿の君と。〟と発売日が同じだった新刊がすでに四刷りとなり僕との差をさらに広げていた。

 まつくんは学校へ。

 そして僕は変わらず、時に悩み、時に泣いて、絶望した! 書いても書いても終わらない原稿に絶望した! とか万策尽きたーなんて叫び、でもたまに笑いながら小説を書いていく。一歩一歩、そんな風に進んでいくんだ。望む世界にさ。

 とは言っても、

「あー、やる気でねえええぇぇぇ。なーんにも思いつかないいいぃぃぃ!!」

 そんな日もあるわけで。

 四月のカレンダーも残すところあと数日。

 二巻のプロット提出まで、そう時間がない。

 だというのに、ちっとも仕事がはかどらない。

 床にごろんと寝そべり、放ってあった本に手を伸ばす。

 パラパラとめくる。

 紙の香りがした。

 インクの匂いがした。

 内容はちっとも入ってこなかった。

 時は、まるでその体を海に落とし込んだかのようにゆるやかに流れていく。沈黙の中、秒針を刻む音だけがりちに聞こえてくる。傾いた西日に目を細めると、瞳の奥ではちみつ色をした光がちらちらと揺れていた。

 目をつぶる。

 開いたままの本を胸の上に落とす。

 無意識に、聞こえないはずの声に耳をすませていた。


『言い回しが、すごくホヅミ先生らしいなって。あー、この人は本当にホヅミ先生なんだなあって実感しちゃって』

 僕らの生活が始まった日。

 ふたつ担当への愚痴を吐き続ける僕を前に、彼女は楽しそうに笑っていた。


『あ、ご飯粒ついてますよ』

 そう言って、僕の頰に指を伸ばしてきたんだ。


『じゃあ、仕方がないですから、責任をとって、わたしがずっと作ってあげなくちゃですね』

 ご飯がしすぎて困ると告げたら、プロポーズみたいなことを言っていた。


『ふふっ。童貞さんの考えることくらいはお見通しです』

 メイド服を着て、勝ち誇っていた彼女。


『おかえり、と言ってもらっていいですか?』

 そんなさいなワガママしか言わなかった。


『さすがにそれはちょっと恥ずかしいです』

 テスト勉強の終わりに、つい頭をでたら本気で照れてたっけ。


『──おもしろかったです』

 僕の書いた物語に、百点満点で応えてくれたんだ。


 あの笑い声も、足音も、息遣いも。なにもかもが部屋のあちこちに転がっているのに、彼女の気配はいまだ色濃く残っているのに、まつくんだけがいない。つまらない。物足りない。

 はあ、とため息を吐いたその瞬間だった。


 ピンポーン。


 チャイムの音で現実へと引き戻される。

 ゆっくりと瞳を開く。

「はーい。誰?」

「……わ、わたしです」

 ふわっと、春風みたいな優しい声が返ってきた。

 時計の針は、いつしか午後六時を過ぎていて。

 学校を終えた学生が、電車を乗り継ぎやってくるのにちょうどいい時間になっていた。

 僕は上半身を起こし、本をテーブルの上に置いた。

 部屋の鍵はかけてある。

 けれど、世界中でたった一人、彼女にだけはそんなこと関係ない。

 シンデレラが置いていったガラスの靴を、解けてしまった魔法を、もう一度と、他でもない僕が願ったから。王子様なんて柄じゃないけどさ。うん。だから、そんなんじゃなくて。もっと単純に。ただ、僕はついていけそうになかったんだ、君のいない世界のスピードに。

「入っておいで」

 外に聞こえるように叫んだ。

 少しのしゆんじゆんの後、カチャリと小さな金属音。

 僕と彼女を隔てていた厚さ数センチの境界が、開かれる。

 長方形に切り取られた東の空には、小さな星々。

 夜を慌てて塗っているまだ淡い色をした空がそこにあって、しかし、日没の準備はすでに始まっていた。西から東にかけて、紅からだいだいだいだいからピンク。白。紫。藍。移り変わっていく鮮やかなグラデーションが少しだけ目に痛い。

 そんな夜の始まりを後ろに背負った制服姿の女子高生が、扉のむこうで待っていた。

 彼女の手にあるのは、桜の花弁をほう彿ふつとさせるピンク色をした真新しい封筒と銀色の鍵。

 先日、僕は随分と久しぶりにファンレターの返事を書いた。

 彼ら、彼女らが、僕の作品に向けてくれる〝好き〟に、ようやく少しだけ報いられたんじゃないかって思えたから。少しだけ世界を変えられたんじゃないかって信じられたから。

 当然、にも返事を送った。

 一通の手紙に、あの日、返却された銀色の鍵をまた添えて。

「すみません。またきてしまいました」

 なんて、彼女が殊勝な態度をとったのは最初だけ。

 部屋に入ってきた瞬間に、

「って、あー、どうやったらこの短い期間でこんなに散らかせるんですか? 掃除は? ああ、またとんも敷きっぱなしだし。わたしがいなくてもちゃんとしてくださいよ。大人でしょう」

 そんな声すら、ほら、こんなにもいとしい。

「面目ない」

「ほんとーにそう思ってます?」

 目を針のようにほそーくしながら、尋ねてくる。

「もちろん」

「絶対に思ってないですよね」

 もう、とプリプリ怒りながら、彼女は制服の袖をまくっている。

 バレバレだった。

「すぐに掃除を始めますよ。いろいろと手伝ってもらいますから」

「えー、僕、まだ仕事があるんだけど」

「今日はどうせやる気の出ない日でしょう。顔を見ればわかります。うう、台所からすごい異臭が。よくこんなお部屋、改め、汚部屋で生活できますね?」

「慣れるもんだよ」

「そんなものに慣れないでください。ほらほら、座ってないで立ちあがる。スーパーで七時からセールがあるみたいなんです。それまでに終わらせないと」

「それ、移動時間考えたら、あと三十分くらいしかなくない?」

「だから、一気にやってしまいましょう」

 もうすっかりと、いつものやり取り。彼女は、一秒で僕の日々にみ、溶け込んでいった。全く、見事なもんだ。十数日のブランクをまるで感じさせない。

 同時に、ふと、思った。いや、ずっと考えてはいたんだ。仮に、本当はどこでこの物語を終えるのが正しいんだろうって。

 かつて、一度だけそのタイミングはあった。

 僕の本が重版して、彼女が僕のもとを去った時だ。

 けれど、僕はそれを否定した。

 世界を革命し、運命をげ、未来を書き換えた。

 だったら、代わりの終わりを僕は提示しなくちゃいけないのではないか。だからね、本当にずっとずっと考えていたんだ。この物語らしい、めでたしめでたしってヤツをさ。

 そして、今、改めて提案する。

 たとえば、こんな終わり方はどうだろう。

 君がいて、僕がいる。

 これはそんな、なんでもない日常をつづった話だから。

 そんな日々がこれかもずっとずっと続いていくような。

 それを想像させるような終わり方はどうだろう。

 ところで、読者のみんなは覚えているかな。

 ラノベ作家・八月朔日ほづみの描く物語の鉄則を。

 もしも忘れた人や読み飛ばしてしまった人がいた時のために、もう一度だけ言っておく。

 八月朔日ほづみのモットーはいつだって、みんな笑顔のハッピーエンド。バッドエンドも、ビターエンドも、メリーバッドエンドすらも許容しない。

 だから、ほら。

 僕は言った。

「おかえり」

「え?」

「今回はまだちゃんと言ってなかったから。君とした大事な約束だものね。だから──」

 何度も何度も口にした言葉を、また言った。

「おかえり。まつくん」

 そうすると、まつくんはその大きな目をパチパチとまばたきして、

「はい! ただいまです!! ホヅミ先生」

 そんな風に応えてくれるのだった。

 四月の風に揺られて、テーブルの上に置いていた本がめくれる。


〝放課後、制服姿の君と。〟


 パラパラと音がする。

 はちみつ色の光がす。

 そうしてめくれたページの最後の方に、顔をほころばせた女子高生とどこか照れくさそうなおっさんの挿絵が一枚、ちらりと見えた。

 作家茉莉くん読者も、物語に出てくる彼も彼女も。

 みんながみんな、笑っていた。




 おわり

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