Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第十二話 作家と読者と君のヒーロー(2/2)

   ❁


 すっかりと葉桜になった桜並木を、僕は肩で風を切りながらずんずんと進んでいった。葉の隙間からこぼれる光で、空気が青く染まっている。さわさわと揺れる影の中を選んで歩く。

 やがて見えてきたのは、まつくんが通っていると推測される学校。坂の上にそびえ立つその公立高校の門戸は今、盛大に開かれている。

 時間は午後二時過ぎ。

 ちょうど六限目の授業が行われているあたりだろう。

 僕はなんでもないですよー、ちょっと散歩してるだけですよーってな顔をしながら正門前まで近付き、ちらりと中をのぞき込んで警備の目がないことを確認してから、姿勢を低くしてグラウンドまで一気に走り抜けた。抜き足差し足忍び足。

 正門からグラウンドまでは大した距離はなくて、すぐに辿たどり着く。

 小学校なんかとは違い、遊具の一つもない。サッカーゴールが二つほどぽつりと置かれているくらいなものだ。しきの端には、でもテニスコートやプールなんかが見えた。

 幸い、体育の授業は行われておらず、誰にとがめられることもないまま、僕はグラウンドの中心に立つことに成功する。

 多分、僕に与えられる時間は多く見積もっても五分くらい。

 心臓が痛いくらいに、ドクンドクンと脈打っている。

 まだ季節が冬だった頃、まつくんと二人で見たテレビ番組の様子を頭に思い浮かべた。百万円積まれても無理だと思った。一千万円積まれても嫌だと思った。

 けれど、かつて隣にいた女子高生が少しだけ羨ましそうな目をして、頰をピンクに染めて、


『ちょっと憧れもある、かなあ』


『だって、一生懸命な姿は、格好いいから』


『真剣じゃないですか。本気じゃないと、絶対にできないですよね。その熱意、みたいなものが伝わると弱いです』


 そんな風に口にするのなら、僕はタダどころかリスクを負ってだって実行してしまう。

 今度こそ、伝わるかな。

 僕のおもい、感情、気持ち。

 そういうもの全部、こうしたら伝わるだろうか。

 ああ、口の中が渇いてきた。僕って小心者だから、こういうのはほんと、全然向いてないんだよな。仲間内の乾杯のおんすら取れない男だ。

 それでも、〝やらない〟なんて選択肢はなかった。

 部屋から持ち出した聖剣を力いっぱい手の中に握りしめる。その拡声器という名前のエクスカリバーに向けて、胸いっぱいにめた気持ちを僕は一気に放った。


「あー、あー、テステス。んん! よし。いい感じ。しろはなあああぁぁぁ、まつくん! こちら、ホヅミ。聞こえますか?」


 僕のおもいを、声を、拡声器が何倍も大きくしてくれる。

 さいは投げられた。

 開け放たれた教室の窓から、なになに、と声が聞こえてくる。おい、見ろよ、あれ。グラウンドだ。それに反応して、僕よりもずっと年下の学生たちが次々に顔を出した。は? 今日、なんかイベントあったっけ? ないだろ。じゃあ、あれはなんだよ? 不審者? こわー。春だから、変なのが出てきたなあ。そんなざわめきが連なり学校中に広まっていく。

 千以上の視線が、不審者たる僕に集まる。

 あの中にまつくんはいるだろうか。


「あー、えっと、なんだ。その、そう。今日は君に伝えたいことがあってきたんだ」


 震える声で僕は続けた。

 まつくんが僕に残してくれた手紙の中で、彼女はずっと泣いているように見えた。

 さよならの文字はひりつくような冷たさをしていた。

 なにが、迷惑をかけてごめんなさい、だ。

 そんな言葉のために、僕は小説を書いてきたんじゃない。人生の全てを懸けてきたんじゃない。内臓をぐちゃぐちゃに踏み潰されるようなプレッシャーとか、生きる価値がないと言われたような無力感に歯を食いしばって耐えてきたんじゃないんだ。

 早くも怯みそうになった心に熱が籠っていく。

 これは怒りだ。ああ、そうだ。僕は怒っているんだよ、まつくん。

 だから、君に文句を言いに、わざわざここまできたんだ。


「いつか尋ねられた質問に答えるよ。どうして、僕が小説を書くのかっ。書き続けるのかっ。答えは、とても単純なんだ」


 ポケットの中にある二通の宝物てがみに、一度触れる。じんと、指先がしびれた。それが力になった。今もまた、僕の進むかてになる。


「最初はただ、読者みんなに喜んでもらえることがうれしかった」


 その喜びを僕に教えてくれたのは君だったね。


「でもさ、世界はそんなに優しいだけのものじゃなかった。僕の作品を好きだと言ってくれた子がSNSである時、批判された。売れてない作品を好きだなんて見る目がないって。彼女の〝好き〟が馬鹿にされたっ!」


 触れた記憶は、今でも僕を傷つける。不意に視界がゆがんだ。胸の内に込みあがってくるものがあった。瞳を拭った手のひらは、熱くれていた。

 それでも、僕は構わず声を張りあげた。

 今、どうしても伝えたいことがあるから。


「僕相手なら、なにを言ってくれてもいい。面白くなかったなら、僕の責任でもある。我慢するさ。けど、みんなの〝好き〟や〝面白い〟が否定される世界は嫌なんだ。間違ってる。どうしようもなく悔しいんだ。苦しいんだ。だから──」


 僕の書いた小説に〝ありがとう〟って言ってくれる君たちだから。

〝面白かったです〟、〝好きでした〟って言ってくれる人たちだから。

 せめて、僕はそんな読者みんなの〝好き〟って〝おもい〟くらいは守りたくて。

 守れるくらいに強く在りたくて。

 そのために──。


「僕は、世界を変えたいって! たくさん小説を売って、もう二度とあんなことを言われない世界にしたいって、そう思う!」


 仮に僕の望む世界になったとしても、戦争はなくならないだろうし、絶望はその辺に当たり前のように転がっているだろう。不況もイジメも悲しみも痛みだって。

 僕のつむぐ物語にそんな力はない。

 知っている。

 だけど、僕の書く作品が売れたら、たくさんの人に認められたら、僕の作品を好きだと言ってくれる人の〝好き〟って気持ちとか〝面白い〟って感情が否定されることはなくなるはずだ。少なくとも、あんなつらい思いをする人はいなくなる。

 強く在ろうとする理由は、それだけ。

 そう、たったそれだけの意地だ。

 それくらいなら、僕にもできる気がするんだ。


「君が言うように、確かに小説を書くのは苦しい。しんどいよ。死にたくなる時もある。泣いた夜は数え切れない。もっと楽な道が、正しい生き方があるのだと思う」


 ああ、やっぱり注目されると緊張するなあ。

 こんなに注目を集めたのは、人生で二度目。

 前回は、新人賞の授賞式だったからみんな優しい目をしてたけど、今日は冷たい視線ばかり。なに言ってんだ、あいつ、って顔に書いてある。必死すぎとか、意味わかんないとか。怖いとか。まあ、そうだよな。わけわかんないよな。ごめん。

 だけど、ここで逃げ出すわけにはいかなかった。

 だって、今の僕には大切にしたい人たちがいる。

 もちろん、誰でもってわけじゃないぞ。うん。

 そこまで僕は人間として成熟してなんかいない。

 僕がここまでするのは、が僕の大切なだから。まあ、でも十分だ。僕が頑張るのに、必死になるのに、それ以上は必要ない。そうだろう。

 だってさ。


「それでも、それでもさ。僕が小説を書き続けるのは──」


 ためなら、はどんな苦難からでも立ちあがれる。

 ためなら、は世界だって救ってしまう。

 ためなら、は何度だって運命を、未来を、書き換える。

 どうかしあわせにと願いながら、もがく。き続けるよ。みっともないところばかり見せてきたんだから、せめてクライマックスは格好つけてもいいだろう。

 の前でくらいはヒーローでありたいんだ。


「ただに胸を張って面白いって言って欲しいからなんだよっ! それがもう、最高に、めちゃくちゃに、この世で一番、うれしいことなんだっ! 人生全てを懸けても惜しくないって思えるくらいにさ。一度でもその喜びを知ってしまえば、もうやめられない! 知らなかった頃に戻れないっ!」


 一息で言い切って、酸素を求める。

「はあ、はあ、はあ。すう、はあ」

 多分、もう時間はそんなに残っていない。

 ざわめきはどんどん大きくなっているし、なにやら屈強な体格をした男性教師陣がさすまたを持って玄関に集まり始めている。そろそろ逃げないと。心臓がひりついてきた。

 でも、最後にもう少しだけ。

 十分注目も集めたし、ここからは拡声器もいらないか。

 僕は地面に拡声器を投げ、両手を空にしてから最後は自分の力だけで届けることにした。

 それにしても、ほんと、嫌になる。なんて口下手なんだろう。ここまでくれば、立派な職業病なんじゃないかな。僕たち作家は、たった〝三文字〟を伝える為に、いつだって長い長い〝ラノベ一冊分じゆうまんもじ〟を積みあげてしまう。そこまでしてるのに、ちっとも伝わりやしない。馬鹿だ、ほんと、馬鹿だ。世界一の大馬鹿だ。だけど。──ううん。馬鹿だからこそ、もう一回。いや、何度だって、声の限り叫ぶんだと思う。こんな風にさ。


「と、まあ、いろいろ言ってはみたけど、はあ。僕が伝えたかったのは、つまり。一言にすると──」


 ほらっ、叫べ! 叫べ! 叫べ!

 喉が千切れても、肺が裂けてもっ!

 届かないのなら、届くまで。何度も何度も。何千回だって。

 力いっぱい、叫び続けろっ!


「笑っ、えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 それがかなうなら、馬鹿にされてもいいよ。

 ちょっとくらいみっともなくてもいい。

 僕の気持ちがっ。おもいがっ、本気がっ。

 君に少しでも伝わるのなら、構わない。


「笑顔でいてよ。ずっと、ずっとさ。いつも、いつまでもっ!!」


 君が僕の横にいて、笑ってくれて、僕がどれだけ救われたのか。

 ただそれだけのことに、僕がどれだけ助けられたのか。

 どれだけ幸福な時間だったんだろう。

 君との日々が教えてくれた。

 君の笑顔が気付かせてくれた。

 君の言葉が思い出させてくれたんだ。

 僕が小説を書く意味と理由を。

 目的とか、夢とか、気持ちを。

 僕が人生を懸けて守りたかった、たった一つを。

 そうして、あの一冊が、〝放課後、制服姿の君と。〟が書けたんだよ。

 だから、君が笑っていられない世界なら、本がどれだけ、それこそ百万部売れたって、ちっとも意味はないんだ。

「はあ、はあ、はあ。ああ、しんど。届いたかな。はあ、どうか届いてますように」

 息は荒れに荒れていたけれど、言いたいことを言い切ったからか、気分は随分と晴れてハレルヤだ。僕の気持ちを溶かしたみたいなすっきりとした青空が頭上には広がっていた。

 黄色い太陽は昨日よりも一歩だけ夏寄りで。雲の端の、ちょっと透けてるところが光を巻き込み、巻き込まれ、段々細く薄く形を変えていく。

 言いっ放しの、自己満足だけどさ。

 作家と読者の関係なんてそんなもんだろう。ハッピー、ラッキー、みんなにとーどけ、と願いを込めてが物語を投げかける一方、それを受け取ってどうするかは彼女たち読者の自由。それでも、どうか笑って欲しいとさらに強欲に願うのが、叫び続けるのが、不器用な僕らだ。

 よしっ。じゃあ、逃げるか。

 これ以上は、さすがにまずい。

 筋肉隆々とした益荒男ますらおたちが、ギラギラとした目でこっちを見てるし。

 ほんと、同じ人間かよってくらい僕とは体格が違う。

 盛りあがった筋肉のせいで、ジャージなんてパツンパツンになっている。美女に追いかけられるのは悪くないけど、あんなマッチョに追いかけられるのはごめんだ。というか、先生方、この状況をちょっと楽しんでません?

 円陣なんて組む必要ある?

 ねえ、ある?

 ないよね?

 ないだろ。

 あと、なんでちょっと笑ってんの?

「豊穣高教諭ー、ファイッ!」

「「オッー!!」」

 だから、なんでそんな部活のノリなわけ?

「総員、突撃ぃぃぃ! 訓練通り、不審者をひっとらえろ!」

「「応っ!!」」

 野太い声が風を切り裂き、響く。

 教諭陣は、散っと四方に分かれ迫ってきた。ノリのいい学生たちはまるで見世物のように、やれーとか、いっけーとか、おのおの無関係に口にしている。

 どうやら、先生含め割と自由な校風のようだ。

 そんなんで大丈夫?

 いや、防犯面に関しては、僕が口を挟むことじゃないけどさ。

 はあ。というか、これ、捕まったらどうなるんだろ。やっぱり、警察いきかな。嫌だなぁ。体力、ないんだけどなあ。

 と、負け犬根性丸出しで走り始めようとした僕の出鼻をくじくように、その瞬間、ひと際強い風が吹いた。わぷ。

 思わず、目をつぶる。

 足が、止まる。

 そして、風の行方を追いかけた先。

 二階の、右から三つ目の教室に。

 たくさんの見知らぬ学生たちが笑ったり叫んだり手をたたいたりしている中で、たった一人だけ、くしゃっと顔をゆがめている女生徒がいることに気付く。

 ああ、もう。

 ほれ、見たことか。

 やっぱり、そんな顔をしてるんじゃないか。

 だからさ。

「笑えって言っただろう」

 声には出さず、口だけをそう動かす。

「ほらっ!!」

 僕は君の、いや、君たちの笑顔がなにより好きなんだ。

 にっと、見せつけるように唇で弧を引く。

 と、少女のれた瞳が大きく見開かれた。桜みたいなピンクの唇がゆっくりと動く。なにしてるんですか、と。もう、と。馬鹿じゃないですか、と。

 そして、いつかのように、あるいは、いつものように彼女は──。

 ああ、十分だ。

 僕は天才なんかじゃない。無欲に、苦しいことなんか続けられない。一方で、ただ楽しいから小説を書いている人間ってのはいる。ウミとか、そういうタイプだ。ああいうのを天才って呼ぶんだ。

 ほんと、僕は違う。

 時々でいいから、報われなくちゃ頑張れない。

 でも、たまに、本当にごくたまに、こうして報われる瞬間があるのなら、僕は明日も明後日あさつても、来月も来年も、それこそ死ぬ最後のひと時までだって小説を書き続けるんだろう。

 欲しかったものを一つ。

 僕は今、ちゃんと手にした。

 そうだよ、それでいいんだ。

 それは、いいんだけど……。

 こっちは全然片付いてないんだよなあああぁぁぁ、もおおおぉぉぉヤバい。体育教師、めちゃくちゃ足が速い。つか、ストライドが広いんだ。足、長すぎんだろ。

 ぬああああああ!!

 ようやく、駆け出す。

 グラウンドの土を蹴りあげる。

「逃がすなあああ、追えぇぇぇ!」

「うるああああああああああああ!」

「裏門から逃げるみたいだぞ」

「ふんぬらばあああああああああ!」

「回り込めっ!」

 ぐんぐんとリードが縮められる。

 足を止めたほんの数秒が、命取りになった。

 逃げ切るのはもう無理だ。

 作戦を、プランDに切り替える。

 そもそも作家なんてのは、大体、家に籠って、カチャカチャカチャ……。ッターン! なんてキーボードをたたくだけのお仕事なんだから、体力なんてあるわけない。

 二十メートルも全力疾走すればひいひいと言い、三十メートルを過ぎると足がもつれそうになる。四十メートルを走るには限界を超えなくちゃいけない。

 それでも、裏門まであと十数メートルのとこまでは逃げ切れた。

 校舎の陰に隠れてしまえば、少なくとも彼女に見られることはないだろう。そう。作家が格好をつけるのは読者の前だけでいい。あとは知らん。

 第一、案外と目に見えないところで、大人は日々、いろんな人にぺこぺこと頭を下げてるもんである。たとえば、作家なら編集とか編集とか編集とか。あとは、うん。編集とか。締め切り、守れなくてごめんなさい。次からは気を付けるんで、とかなんとか。

 そんなわけで、頭を下げるのは得意中の得意。

 んー、じゃ、いっちょ、かましてやりますか。見せてやるよ、本物のDO☆GE☆ZAってヤツをさ。

 プランDのDは土下座のDだ。

「確保おおおおおおおおおおおお!!」

 野太い声が響くのと同時に、校舎の陰に入った僕はくるりと方向転換。そして、


「すみませんでしたああああああぁぁぁぁぁぁ!!」


 ふたつ担当にもお披露目してない最高のDO☆GE☆ZAをビシッと決めてやったさ。

 ダサい?

 知ったことか。

 プライド?

 なにそれ? しいの?

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