Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第十一話 作家と白花茉莉と本当のこと(2/2)

 瞬間、全ての点が星座のようにつながって、僕は五年半前の記憶をはっきりと思い出す。

 桜色の便箋にたどたどしく書かれたたったそれだけの言葉が、僕の指針になった。人生の全てをささげようと決心したのだ。この一言のために、自分の全てを懸けるって。

 そんな風に背中を押してくれた君の名前は。

しろはなまつり〟

 ああ、ずっとここにいたんだね。

 いや、前に教えてくれていたっけ。

 僕の作品の最初の読者フアンだって。

 名前の漢字は難しくて、まだ学校で習っていないとファンレターには書かれてあった。だから、僕はしろはなという名字と難しい漢字というヒントから、ジャスミンの花を想像しながら返事をつづったんだ。よく知らない花だったから、調べもした。

 もしかしたら、君の名前は〝まつ〟って書くんじゃないかって。

 白い花のまつには、温順とか柔和って意味があるんだよって。

 そして、凡ミスを一つ犯したことも思い出す。僕は初めてのファンレターに浮かれ、返信の封筒に自らの住所を書いてしまったのだった。ああ、そうだ。個人情報の流出に、少しだけ不安になったっけ。でも、なんにも起こらなかったからすぐに忘れてしまっていた。

 続いて、もう一方の、今度は新しい空色をした封筒を手にする。中には、白と黄色の花が散りばめられた二枚の便箋と銀色の鍵が入っていた。僕の部屋の鍵だった。


 ──面白かったです。


 随分とれいになった文字で、そう書かれてあった。


 拝啓、八月朔日ほづみ先生


 こんにちは。

 先生の部屋を訪れる最後の日に、学校でこの手紙を書いています。

 桜の花が咲いて、空は青くて、空気は暖かくて。グラウンドからは、サッカー部が練習するかけ声が聞こえています。とても気持ちのいい春の日です。でも、さよならを告げるには、少しだけ気持ちがよすぎるかもしれません。春は出会いの季節だから。


 開け放たれた窓から見あげた空は青くて、多分、まつくんも似たような空の下でこの手紙をつづったのだと思った。便箋の上で、僕の形を切り取ったやけに淡い輪郭をした影が揺れていた。

 ざあっと風の音がした。


 なにも言わずに去ってしまうわたしに、先生は戸惑ったでしょうか? あるいは、怒ってしまいましたか? それとも、しょうがないなあと笑ってくださるでしょうか?


 たくさん、戸惑ったよ。

 少し、怒った。

 笑ってやることは、できなかったな。

 しょうがないなあ、と思えるかは君次第。

 これから、たっぷりと言い訳を聞かせてくれるんだろう?


 さて、今回、こうして筆を取ったのは、先生にいろんなことを直接、お伝えする勇気がなかったからです。

 楽しい話ではないのですが、少しだけわたしの昔話に付き合ってくださいますか?


 もちろん、いいよ。


 わたしが母親に捨てられたのは、十一歳の秋のことでした。父親はわたしが小さな頃に病気でくなり、それまで母が一人でわたしを育ててくれました。けれど、それは母にとってとても大変なことだったのでしょう。いつしか、わたしは重荷になっていたようです。


 不意に、まつくんの悲しそうな笑顔が思い浮かんだ。

 あれは、そう。

 彼女に名前の由来を教えてあげた時のことだ。

 僕が、君はご両親からのたくさんの愛と祝福の中で生まれてきたんだよ、なんて言ったら、どうでしょう、と困ったように笑っていたっけ。

『そこまで考えてなかったと思いますけど』

 僕は、なにも知らなかった。

 まつくんの過去も、おもいも。

 ぎりっと、歯を強くみしめた。


 その日、わたしは母に連れられ出かけました。

 これから捨てられるということも知らずに、馬鹿なわたしはニコニコと笑っていました。いつも一人で家にいたわたしは母と一緒にいられるだけでうれしかったというのに、途中、珍しく本屋さんに寄って、母がわざわざわたしのために一冊の本を選んでくれたからです。

 発売されたばかりで、平積みにされていた本でした。多分、アニメっぽい絵柄が表紙だったので子供向けの小説だと考えたのでしょう。

 旅のゴールは、知らない町の知らない道路。

 ここで少し待っていなさい、と言われるがまま、わたしは買ってもらったばかりの本を読みながら、母を待ち続けました。

 その本は、これまで読んだどの物語とも違っていました。

 文字たちはキラキラと輝いて、ストーリーは優しいメロディみたいで、込められた感情は時に甘く、時に切なく。なんて素敵な文章なんだろうと何度も胸が高鳴りました。

 登場人物たちの声が聞こえるような、目の前に彼らが現れたみたいな。

 なんというタイトルの本なのかは、八月朔日ほづみ先生が誰よりもご存知なはずです。

 先生のデビュー作、〝季節〟シリーズの第一巻です。


 なんて皮肉なんだろう。

 きっと、まつくんが母親に捨てられなかったら、僕らが出会うことはなかった。僕らの出会いは、この物語は、彼女のつらい別れから始まっていたんだ。


 夢中になって読み続けて、気付けば二時間がっていました。母は帰ってきません。それからさらに二時間がっても、三時間がっても、母が帰ってくることはありませんでした。

 その後、いろいろあって、結局、わたしは児童養護施設で暮らすようになりました。

 施設自体に、不満はありません。

 でも、どうしたって寂しくなってしまう日があるんです。

 そんな寂しさを紛らわしてくれるのは、大好きな先生からもらったファンレターの返事です。わたしの一番の宝物。何度も何度も読み返しました。どうしてわたしが先生の住所を知っていたのかは、もうおわかりですよね?

 先生の住所は、そのファンレターの返事で知りました。

 わたしの住む施設からあまり遠くの場所ではなかったので、実は何度か足を運んで、前を通ったりしていたんです。ごめんなさい。

 本当に、なにもするつもりはありませんでした。

 ただ、八月朔日ほづみ先生がいるであろう場所を見ているだけでよかった。遠くから眺めているだけで勇気をもらえた気になれた。

 けれど、去年の、あの秋の日だけは違いました。

 いつものようにアパートの前を通った時のことです。

 部屋の外に置いてある洗濯機の前でなにかをしている人にわたしは気付いて、不審に思って、少しだけ迷ってから洗濯機の中をのぞいてしまいました。

 そして、そのタイミングで先生が帰ってきてしまったのです。


 きっと、僕とまつくんが出会った、あの秋の日だ。

 思い返せば、その日は、僕のデビューちょうど五年目の記念日だった。なるほど。まつくんが編集部からの荷物を持っていた秘密がようやくわかった。

 普通、洗濯機の中に郵便物を入れるなんて思わないものな。


 わたしは、慌てました。

 でも、先生がなにか勘違いをしていることにすぐ気付きました。どうしよう、どうしよう、ちゃんと説明しなくちゃ、と慌てるわたしがいる一方で、同時に冷静なわたしもいました。

 そして、冷静なわたしは誤解を解かずに、どころか利用して先生にうそをつきました。

 憧れの先生に、ズルをして近付いたのです。


 サインをられた時、そんなことを言っていたっけ。

『……わたしはズルをして先生のそばにおいてもらってるから』

 彼女の震える手が脳裏に浮かんだ。


 そのうそは、わたしに夢のような時間を与えてくれました。

 ずっと憧れていた先生との日々。

 先生は、想像とは少し違っていました。


 ほ、ほーん。どう違ったんだい?

 ちょっとドキドキする。


 思っていたよりスケベで、思っていたよりいい加減で、思っていたよりだらしがなくて。


 それは、悪かったね。

 君は少し小説家に夢を見すぎているんじゃない? まあ、そりゃ、割とスケベで、結構適当で、家事とかあんまりやらないけどさ。

 手前の男なんてどいつもこんなもんだよ。多分。


 それで、思ってた以上に、優しくて。真面目で、温かくて。大きくて。一生懸命な人。全てを懸けて小説を書いてくれる人。

 わたしたち読者に、世界で一番誠実な人。


 ……。


 ただいま、と迎えてくれる家があることがうれしかった。

 二人で食べたご飯はどれもしかった。

 テスト勉強が楽しいと思ったのは初めてでした。

 男の人となんでもない日々の買い物をしたり、デートをしたりするのは、少女趣味っぽいですけど、実は憧れていたんです。

 オレンジの陽だまりの中を二人、手をつないで歩いたことを忘れません。

 細く長く伸びた影を、あのまぶしさや温かさを、わたしは一生、忘れません。

 掃除に洗濯も、全然嫌じゃなかったですよ。

 セクハラは、もう少しだけ控えて欲しいと思いましたけど。


 はいっ!

 ごめんなさいっ!!


 そんな風に、もうちょっと、あと少しだけと願いながら、わたしは結局、いつまでも本当のことを言えずに最後まで先生の隣にいました。

 けれど、そんな夢の時間も今日で終わりです。

 こうして本が完成した今、わたしはもうそばにいられません。

 シンデレラにかけられた魔法は、十二時になったら消えてしまうから。

 ねえ、八月朔日ほづみ先生。


 なんだい?


〝放課後、制服姿の君と。〟、本当に本当に面白かったです。

 素敵な作品を書いてくださって、ありがとうございました。


 こちらこそ、読んでくれてありがとう。


 きっと、たくさん売れると思います。

 そうして、夢を一つ一つかなえてください。

 これからもずっとずっと応援しています。

 先生の本が、描く世界が、見ている景色が、世界で一番大好きです。

 最後に、お預かりしていた部屋の鍵をお返しします。

 たくさんご迷惑をおかけして、ごめんなさい。

 さようなら。


しろはな まつ


 手紙の文字は、ところどころ不自然ににじんでいた。

 まるで雨でも降っているかのように。

 指先で触れると少しだけ凸凹していた。全く、おかしな話だ。だって、彼女は晴れ渡った春の下でこの手紙を書いていると、そう最初に添えてあったっていうのにさ。

 すうっと青い空気を吸い込み、肺の深いところから息を吐き出す。

 物語はこれで終わりだ。

 僕は予定通り小説を書きあげ、重版した。

 まつくんの秘密も事情も全部、把握した。

 世界のなにもかもが、今、きちんと正しい位置にある。

 仮に、物語はここで閉じなくちゃいけない。

 わかっている。

 ちゃんと、わかっている。

「ふふふ」

 それなのに、込みあがってくるこの笑いはなんなのか。おかしいわけじゃない。愉快なわけでもない。笑い声はすっかりと乾いている。

「うははは」

 ああ、そうか。僕は怒っているんだな。頭では理解しているのに、心がちっとも納得していないんだ。こんな、こんな馬鹿な話があるかっ。

 まつくんは、〝放課後、制服姿の君と。〟を読んだというのに、どうしてこんな勘違いをしているんだろう。なにも伝わっていなかったのかな。

 ああ、くそ。悔しいな。悔しい悔しい悔しい。悔しいぞ。

 めっっっちゃ悔しい。

 不意に、いつかのまつくんの声がよみがえった。


〝ホヅミ先生はどうして、小説を書くんですか?〟


 答えは、確かにあるんだ。

 そして、それは決してこんな結末に辿たどためじゃない。

 そうさ。だから、八月朔日ほづみの描く物語は、さよなら、なんてかなしい言葉で終わるわけにはいかないんじゃないのか。僕の中の僕に問う。僕は応える。認めないっ。許されないっ。

 脳内会議の結果、全会一致で否決とされた。

 八月朔日ほづみのモットーはいつだって、みんな笑顔のハッピーエンド。

 バッドエンドも、ビターエンドも、メリーバッドエンドすらも許容しない。この物語が、仮に僕とまつくんを中心とした年の差ラブコメだったとしたら、なおさらだ。

 ヒロインが泣いたまま終わるラブコメがどこにある。そんなシナリオ、つまらない。だったら、どうするかって?

 書き換えるんだ。

 世界を、運命を、物語を、未来を。結末を。

 それができるのが、世界中で唯一、作家って職業だろう。

 だから、今はあえてこう言おう。

 あのまわしき言葉をつむぐ。

 何度も何度も僕を絶望へと追いやったあのセリフを、希望へとつなために。


「ボツだ! ボツだボツだボツだあああっ! こんなクソシナリオはボツだっ!」


 叫んだ。


「──全ボツだあああっ!!」


 ここに地終わり、海始まる。

 僕たちの物語は、まだ終わってなんかいない。

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