Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第十一話 作家と白花茉莉と本当のこと(1/2)

〝放課後、制服姿の君と。〟が発売されてから十日がった。

 発売直後の重版が呼び水となったのか、すでに前回よりも大きめの重版がかかることが決まっていた。これで三刷り目。

 デビュー作からずっと鳴かず飛ばずだった作家の新シリーズとしては異例の売れ行きらしい。

 ライトノベルの新刊だけ取ってみても、ひと月に多分、二百冊くらいは刊行されているはず。単純計算で週に五十冊。客の目をく平台には限りがあるので、置かれているのは人気作か発売直後の作品だけ。一週間もすれば、多くの作品は棚へと収められてしまう。

 そうなると、もうヒットは絶望的だ。

 けれど、〝放課後、制服姿の君と。〟は違う。

 ポンコツが描き下ろしてくれた重版祝いイラストを使用した様々な販促グッズがすぐに作られ、多くの本屋でアニメ化作品を含む人気作と並んで、平台に置かれている姿を目にするようになった。どころか、日々、平台を占める面積は増え、書店員一押しという手製POPが付き、需要に対して供給が全く追い付いていない。このままのペースだと、四刷り、五刷りもありえるらしい。そこまでいけば、まず打ち切りはないとふたつ担当は言った。

 完全に追い風が吹いていた。

 あとはくこの風を捕まえ、遠く遠くまで飛んでいくだけ。

 僕がずっと待ち望んでいた風だった。誰もが乗れるものじゃないんだ。才能だけでは駄目。運だけでも足りない。タイミングとか流行とか読者のニーズという額に、イラスト、タイトル、カバーデザイン、帯、内容。そういうのが過不足なくがっちりとはまらなくちゃいけない。

 選ばれた、本当に幸運な人間だけが進める道が、今、僕の前に開かれている。

 去年のクリスマスイブに、ふたつ担当が言っていたセリフを思い出した。


『きっと、世界は君を見つける』


 その通りになったってわけだ。

 だというのに、僕は──。

「──ミ先生。ホヅミ先生ってば」

 電話のむこうから、ふたつ担当の声が聞こえてくる。

 輪郭を淡くさせていた意識が、呼び起されたみたいにはっきりしていく。少しくすんだ窓から、春色の風が入り込んで前髪を揺らした。視界の端で、黄色い光がチラチラとはじけている。

 ホヅミ先生、髪、だいぶ伸びてきたんじゃないですか。先生は短い方が似合っていると思いますよ。そんな声が聞こえた気がして、不意に部屋を見回した。狭い部屋だ。まどぎわに座っている僕からは一望できる。

 でも、にんまりと笑って、指でハサミをチョキチョキと動かす仕草をしていた女子高生の姿はどこにも見つけることができなかった。そこにいるわけないと知っているのにも拘らず、それでも僕は何度も何度も見回した。がらんとした空間に、有りもしない希望を求めていた。

「もう、ちゃんと聞いてるの?」

「え? あ、ああ。えっと、なんだっけ?」

「なんだっけ、じゃなくて。〝君と。〟シリーズの今後の展開についてよ。編集部としては、今の追い風を絶対に逃したくないの。なので、できるだけ短いスパンで二巻、三巻と発売していきたいって方針なわけ。現状の売り上げを見て、そうね。四巻くらいまでなら、もうプロットを提出してもらってかまわないわ。どうかしら? できそう?」

「多分」

「多分って。そんな自信なさそうな声で言わないで。どうしたのよ。らしくないわ。いつもの君なら、無理そうでも、できるって即答してきたじゃない。ホヅミ先生。しっかりしてください。ここが勝負どころなことは、わかってるでしょう」

 僕は答えられなかった。

 もちろん、ふたつ担当の言っていることを理解していないわけじゃない。逆だ。誰よりもよくわかっている。僕はまだヒット作を生み出したわけじゃない。ヒット作になれる可能性を秘めた作品を書いただけ。一冊が爆発的なヒットになる一般文芸と違い、読者層が極端に狭いライトノベル業界では、二巻、三巻と続けていくことでヒット作へ成長していく。そう。頭ではわかっているんだけどなあ。心が、体が、ちっとも動かない。

 こちらの反応を見て、今はなにを言っても無駄だと感じ取ったのか、ふたつ担当は、はあ、とため息をこぼした。

 途端に、彼女のスイッチが切り替わる。仕事モードはOFFへ。声のトーンが少し高くなり、僕の呼び方が本名の〝はじめくん〟へと変わる。

「〝まつくん〟だったかしら。まだ、彼女のことを考えているの?」

「悪い?」

「いいえ。やるべきことをきちんとやっているなら、いくら考えてもらっても文句は言いません。でも、今のはじめくんはやるべきことをちゃんとやっていないじゃない」

 正論だった。

 故に、僕はやっぱり言葉に詰まる。

 正しさというのはシンプルに強くて、どれだけ感情を武器に戦おうとも決して勝つことはできないのだということを、ある程度、年齢を重ねた僕がよく知っていたからだ。

「そもそも、そのまつくんっていう女子高生は本当にいたの?」

「どういうこと?」

「だって、はじめくん以外に見た人も会った人もいないんでしょう。連絡先も交換していないって言うし。幽霊とか妖精とか。童貞をこじらせた君が見てしまった幻覚って可能性はないの?」

「知り合いの誰とも会っていなかったり連絡先を交換する必要がなかったのは、基本的に僕の部屋でしか会っていなかったからで。編集部の雇ったバイトだと思っていたからで。でも、ランドにデートにいったし、スーパーで買い物したりしたから、まつくんはちゃんといたんだよ。ご飯だって作ってくれたし。幽霊とか幻覚が、そんなことまでしてくれるはずないだろ」

「あのね、逆に素性のわからない人間を部屋にあげてたって可能性の方が怖いのよ? 少し考えれば、わかるでしょうに。編集部にわざわざ作家の家事手伝いをさせるようなバイトを雇う余裕なんてないことくらい。……一応聞いておくけど、通帳とか盗まれてないわよね?」

「さすがに怒るぞ」

「私ははじめくんの心配をしてるのよ」

まつくんは、そんな心配をされる女の子じゃない」

 はあ、と本日何度目かになるふたつ担当のため息。

 もう一度、彼女のスイッチが編集者モードに切り替わる。

「もう。わかった。わかりました。この件について、私は今後、一切、口出ししません。勝手に好きなだけ落ち込めばいいじゃない。でも、原稿だけはきちんと進めて。今月中に、最低でも二巻のプロットは提出してください。ホヅミ先生の担当編集として、そのラインだけは譲れないわ。私には、私がれ込んだ作品をたくさんの人に届ける義務があるの。そのチャンスを潰すようなは、たとえ作者であっても絶対に許さない」

「……わかった」

「はい。じゃあ、今日の打ち合わせはこれで終わりにしましょう。お疲れ様でした」

「お疲れ様」

「ところではじめくん、あれはもう届いた?」

 仕事が終わったからか、ふたつ担当の声のトーンが少し明るくなる。

「あれ?」

「君のやる気を出させるためのカンフル剤。今回はいつもより反響が多くて、上は四十代の男性から下は女子中学生まで様々だったのよ」

「えっと、なんの話?」

「あら? まだ届いてないのかしら。二日前に発送したから、そろそろだと思ったんだけど」

「ちょっと待って」

 もしかしてと思い、電話をつないだまま玄関の扉を開ける。

 扉のすぐそばには、雨風にさらされ続け、すっかりと色あせてしまったボロボロの洗濯機が置いてある。

 この近辺を担当している配達員とはすっかりと顔見知りになっていて、玄関のチャイムを鳴らして僕が出てこなかった時、かつ、ポストに入りきれないような大きな郵便物は、再配達なんてせずこの洗濯機の中に入れておくように頼んであるのだった。

 洗濯機のふたを開けると、予想通り、編集部からの荷物が入っていた。

 ひょいっと手にする。品名の欄には見慣れたふたつ担当の字で〝ファンレター〟と書かれてあった。それをそのまま読んだ。

「ファンレター?」

「ええ、そうよ。よかった。ちゃんと届いてたのね。やっぱり作家の先生たちを一番やる気にさせるのは読者の感想だから。私たち編集者にとっても、とっておきの〝秘密兵器〟なのよ」

 秘密兵器。

 ふと、その響きに引っかかりを覚えた。

 そもそもの話。僕がまつくんのことを〝編集部が雇ったバイト〟だと勘違いしたのは、ふたつ担当が僕に〝秘密兵器〟を送ったとかって言ったからだ。

「あのさ、ふたつ担当。一つ聞きたいんだけど。前に僕に向かって〝秘密兵器〟って言ってたのも、もしかして〝ファンレター〟のことだったりする?」

「ううん。そうね。よく覚えてはいないけど、君にそう言ったのなら、多分、ファンレターのことだと思うわ。重版もコミカライズもアニメ化も、これまで縁はなかったわけだし」

「余計な情報まで、どうもありがとう」

 ふたつ担当の嫌味に応えつつ、僕は思考の海へ船をこぎ出す。

 だとしたら、どういうことになる?

 あの秋の終わり。白銀の月明かりに照らされた少女は、確かにファンレターと書かれた郵便物を手にしていた。それこそが、ふたつ担当の言っていた秘密兵器だったってわけだ。

 だけど、どうしてまつくんがその荷物を持っていた?

 いや、疑問点はそれだけじゃない。

 わからないことは他にもある。

 なぜまつくんは、? 呼ぶことができたんだ?

 よくよく考えればおかしいじゃないか。僕はメディアへの顔出しを一切していない。もちろん、住所だって公開していない。近所に住む人間ですら、僕が作家をしていることは知らない。

 荷物の宛名を見てわかったとか?

 いいや、それも違う。

 だって、編集部からの郵便物は全部、ペンネームじゃなくて本名で届くから。

 からつかはじめ八月朔日ほづみを結びつけるのは無理だ。

 であるなら、編集部となんの関係もないただの一読者である彼女が、作家の住所を知っていたのはどういう理由が考えられる?

 偶然、ではないよな。その一言で片付けてしまうには、あまりにいろんなことが重なりすぎている。ここまでくれば、必然だ。

 とすると、あとなにか一つ。もう一つでもいいから情報があれば、全部がつながりそうなものなのに。つながりそうでつながらない糸に僕がイライラしていると、

「あら? 別に全部が全部、嫌味で言っているわけじゃないのよ?」

 その最後の一ピースをふたつ担当が不意にこぼした。

「もう随分と前のことだから君は忘れてしまっているかもしれないけど、私は今でもあの日のことを覚えているわ。編集部で〝季節〟シリーズの二巻の打ち合わせを終えた後だったかしら。初めて届いたファンレターを前にして、はじめくん、小さな子供みたいに喜んでいたわよね。ファンレターを送ってくれたのは、十一歳の女の子だった。そう。若い女の子のファンレターはライトノベルだと珍しいから特に覚えている。たどたどしい字で、おもしろかったです、って書かれていたの。はじめくん。いえ、ホヅミ先生ったら、それを見ていきなり泣き出しちゃって。男の人の涙なんて久しぶりに見たわ。でも、れいな涙だった。そして、ぐに言ったのよ」

「……なんて?」

「〝決めた。僕は一生を懸けて作家をやる〟って。だから、ホヅミ先生にとっての秘密兵器は、あの日からずっと読者からのファンレターなわけ。君は誰かのために物語をつむぐ作家だから」

「あ!!」

「思い出した?」

 思い出した。

「うん。ありがとう。それから、ごめん。打ち合わせ終わってるなら、ここでもう電話を切ってもいい? ちょっと急ぎの用事ができた」

「え? あ、はい。もちろん。じゃあ、プロットだけくれぐれもよろしくお願いします」

「わかった」

 ……いた。

 見つけた。

 世界中でたった一人、僕の住所を知っている読者が。

 最初に、僕の作品を〝面白かった〟と言ってくれた人。

 どうして忘れていたんだろう。大事な人だったのに。忘れちゃ駄目な人だったのに。他のなにを忘れても、全てを捨ててしまっても、僕が絶対に手放してはいけないものだったのに。

 慌てて部屋に戻り、そして、押し入れの前に立ち尽くした。はっ、はっ。緊張していた。ここには僕のファンレターたからものがしまってある。

 けれど、僕は自分の未熟さ故の無力さにさいなまれて、読者の期待に応えられないことがつらくて、本当に長い間、それらと向き合うことができずにいたのだ。

 なんとか扉にかけた手は、震えていた。右手に左手をそっと添える。ゆっくりと力を込める。すすっと音がして、扉で閉ざされていた空間に光がしていく。

 いつからか未開封のままになっている郵便物の山の上に、目につくように空色と白色をした二つの封筒が並べてあった。片方の消印は、もう何年も前。

 僕が初めてもらった手紙だ。

 まずはそちらから、破いてしまわないように慎重に封筒から取り出した。


 ──おもしろかったです。

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