Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第十話 作家と重版とハッピーエンド(2/2)

 まあ、つまりはそういうことだった。

 やがて、まつくんの顔が耳まで真っ赤になった。つられてこちらまで赤くなる。改めて見ると、キザすぎたかな。でも、もう本になってるから取り返しはつかないし。

 しばらくしてから、まつくんはようやく口を開いた。

「この、あとがきのこれって。ヒロインのモデルってことは、ええっと、だから」

「うん。まあ、君のことだよ」

 やっぱり照れくさい。

 頰をぽりっといてしまう。そうこうしていると、まつくんがずいっと新刊を僕の目の前に差し出して、ばっと頭を下げた。その手は少し震えていた。

「あの。せ、せんせー! サインください」

「急にどうしたの?」

「我慢してたんですけど、もう駄目です。限界です。本当はずっとホヅミ先生のサインが欲しかったんです。お、お願いします」

「そんなの、早く言えばよかったのに。サインなんていくらでも書くよ?」

「でも、だって。……わたしは先生のそばにおいてもらってるから」

「バイトだからって、君は真面目すぎだな」

 ペンケースから油性ペンを取り出し、筆を走らせた。

 大したサインじゃないから、十秒もかからない。それから、今日の日付と。宛名。……宛名。そういえば、どういう漢字なのか知らないな。

「〝しろはなまつり〟ってどういう漢字を書くの?」

「ええっと、しろはなはそのままです。白い花。まつは、ジャスミンって言えばわかりますか?」

「ああ、もりおうがいの長女と一緒のまつ?」

「すみません。それはわからないです」

 ふむっと考えてから宙にさらさらっと書いてみると、筆の運びを見てまつくんはうなずいた。

「そうです。その漢字です」

「了解」

しろはなまつくんへ〟

 最後にそう書き込んで、完成だ。

「よし、できた」

「ありがとうございます」

 まつくんに本を渡す。

「それにしても、白色のまつか。こういうのを名は体を表すって言うのかな」

「どういうことですか?」

「ジャスミンの花言葉は、あいがいいとか、愛らしさだから。誕生日はもしかしたら、六月八日なんじゃない?」

「え、すごい。正解です。どうして?」

「だって、その日の誕生花がジャスミンなんだもの」

「先生、花にも詳しいんですね」

「いや、ジャスミンについてだけは、昔、調べた覚えがあって。だから、知ってるのは実はこの花だけなんだ。あとは、たとえば、そうだね。ジャスミンは色の違いによっても、それぞれ花言葉があるんだ。黄色だと優美と優雅。そして、まつくんの名前と同じ白いジャスミンは、温順、柔和。温順は素直なことで、柔和は優しくて穏やかなこと。うん。やっぱり君にぴったりだ」

「あ、それは知ってます。から。だから、名前のように在ろうと、わたしはつらいことがあっても、今日までずっと頑張ってこれたんです」

「そっか。もっと詳しく知りたいなら、今度、ご両親に名前の由来を聞いてみるといいかも。多分、いろんなことを考えて、たくさん調べて、君の名前をつけただろうから」

「……教えてくれるでしょうか?」

 不意に、どうしてか悲しみの色がまつくんの顔に濃く浮かんだ。

 その感情をどうしていいのかわからずに、構わず続けた。

「大丈夫さ。ジャスミンって花の名前の由来については聞いたことある?」

「いいえ」

「じゃあ、最後に一つだけ教えておこう。ジャスミンって、ペルシャ語で〝神からの贈り物〟を意味する〝Yasmin〟が語源になってるんだって。君はご両親からのたくさんの愛と祝福の中で生まれてきたんだよ」

 どうでしょう、とまつくんはつぶやいた。

「そこまで考えてなかったと思いますけど」

「その辺も含めてさ、聞いてみるといいんじゃない?」

 ややあって、まつくんは、はい、とうなずいた。

「機会があれば、聞いてみますね」

 やっぱり、少しだけ寂しそうな顔をしながら。


   ❁


「ホヅミ先生。童貞卒業、おめでとうございます!」

「いきなりなんの嫌味だあああどちくしょぉぉぉ。意外かもしれないけどさ。こう見えて、実は僕、まだ女の子を知らないんだよね!」

「意外でもなんでもないです。当たり前のことを叫ばないでください。セクハラですよー♪」

「うっそだろ、おいっ。どっちがセクハラだっ! ええ、今日はなんでそんなテンション高いの。こわっ。つか、当たり前のことってなにげにひどくないっ?」

〝放課後、制服姿の君と。〟が発売されて、三日目。

 珍しく、このタイミングでふたつ担当が電話をかけてきた。

 いつもなら、大体一週間くらい後に電話をかけてくるのに。

 このあたりの事情は、僕ら作家にとって大変面白くない〝初動売り上げ〟ってヤツが関係してくる。要するに、新刊が発売された直後に売れた冊数のことなのだが、この数字を見て、ライトノベルだと続巻が出せるのか、出せるとして何巻くらいまでなのかが判断されるってわけなのだ。この数字がかんばしくないと、発売一週間とかで打ち切りが決まったりもする。

 初動売り上げ、マジ大事。

 お財布に少しでも余裕がある人は、発売から一週間以内とかに是非とも買ってあげてね、というか、買ってください。お願いします。続き、書きたいんです。

 僕はスマホ片手に、窓辺に座った。

 青い春の日が、そこには広がっていた。

「それはもう、うれしくもなるってものよ。うふふふ」

「なんでさ」

「本当におめでとうございます。売り上げが好調なので、発売三日で重版決定です」

 言われた意味がよくわからなかった。

 思わず、スマホを落としそうになる。

「え? あ? は? ……うそ」

「こんなことでうそつかないわよ」

「あははは。だまされないぞ」

だましてなんかいないから」

「じゃあ、夢?」

「夢でもないわ」

「重版、するの?」

「重版するわ」

「本当に?」

「ええ。重版童貞、卒業おめでとうございます!!」

 頰を引っ張ってみると、確かに痛かった。夢じゃない。夢だけど! 夢じゃなかった! いや、今、この瞬間に夢は夢じゃなくなった。

 重版!

 冬の朝の雪原のように真っ白に染まった頭に、その文字だけが何度も刻まれて、ようやく僕は現実に起こっていることを実感する。

 じわじわと、本当にじわじわと膨らんでいた感情が一瞬ではじけた。

「うっ」

 拳を固く握って、高く突きあげる。

「ホヅミ先生?」


「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 叫んだ。そりゃもう、力いっぱい叫んだ。叫びすぎて、むせた。ごほっ、ごほっ。うへえ。涙も出てきた。それがやがて、喜びの涙になった。体から力が一気に抜けていく。

 ぽろぽろと涙はこぼれ続けた。

 熱い、熱い、熱い。

 喜びが温度をあげ、胸を焦がす。

 ここまで、五年以上かかった。

 何度も何度も諦めかけた。

 心は折れて、死を選びそうになったこともある。

 それでも、諦めきれなかった。

 捨てきれなかった。

 たった一つきりの夢だった。


「よっしゃあああああああああああああああああああああ!」


 怖かった。

 道を間違えたんじゃないかって。

 いつも怖かった。

 無責任な誰もが口にした。無理だよって。小説で食べていくなんて現実的じゃないって。でも、大丈夫だ。僕は間違ってなんていなかったんだ。そうだろ。

 僕は、みんなに恥じない自分になれただろうか。

「ふふ。大喜びね。まあ、無理もないか。発売日に買って読んでくれたファンの人たちが、SNSで感想とかファンアートをすぐにあげてくれたみたいなの。ああ、そうそう。POP☆コーン先生も描き下ろしのイラストで応援してくれたのよ。今度、お礼を言っておいてね。そこからは一気に広まっていったって感じかしら。専門店でも売り切れが続出。追加発注で特設コーナーを設置したいって言ってくれてるお店もあるわ。このまま伸びれば、二巻発売前に再重版もありえるかも。営業も力を入れてくれるって約束してくれたし」

「ふ、ふたつ担当。僕、僕はぁ、僕は、さぁ」

 想いがく言葉にならない。

 ああ、違うか。体が感情に追いついてこないんだ。僕はそいつがやってくるのを待って、ぽつりぽつりと降り始めの雨のようにたどたどしく言葉を継いでいく。

「なあに?」

「怖くて、本当に怖くて。誰も読んでくれないんじゃないかって。楽しんでもらえないんじゃないかって。不安で、眠れなくて、飯もろくに喉を通らなくて」

「うん」

「それでも、ふたつ担当とか、ポンコツとか、まつくんが面白いって言ってくれるから、信じてくれるから、頑張ってみようって。ほんと、それだけで。それだけを支えにしてさ」

「ええ」

「たくさんの人に読んでもらえるのがうれしい。ああ、そうだ。僕は今、すごくうれしいんだ」

「そうよ。だから、先生。涙を拭きましょう。ここはゴールじゃない。まだスタートなんだから。百万部売れるラブコメを書くんでしょう。勝負はこれから。二巻、三巻ですよ」

「わかってる。でも、僕にとっては現状、最高のハッピーエンドだよ、これ。ああ、そうだ。まつくんにも知らせなきゃ。次はいつきてくれるかな」

 僕はぐしぐしとれた瞳を拭った。

 喜びのカケラで、手のひらはれていた。

「本が発売した途端にきてくれなくなるんだもんな。全くさ。まあ、バイトだから仕方ないんだろうけど。でも、続刊決定ってことは、バイトも継続ってことだよね?」

 まつくん、喜んでくれるかな。

 喜んでくれるよな、きっと。

 春の空に、どこからか優しいバラードが流れてきた。

 アパートの住人の誰かが、窓を全開にして音楽を聴いているのだろう。

 まるで、映画のエンディングに流れるような、気持ちをぐっと揺さぶられるような、春色のバラードだった。

ふたつ担当から、またまつくんにきてくれるように連絡しておいてよ。〝放課後、制服姿の君と。〟が書けたのは、本当にまつくんがいたからなんだ」

「ねえ」

 それを合図に、曲のラストフレーズと、双夜担当がつぶやいた、待って、がぴったりと重なった。

 だから、続く彼女の声だけが、やけにはっきりと耳に残った。

「ホヅミ先生、うれしいのはわかるけど少し落ち着いて」

「落ち着いてなんかいられないって。ああ、もう。どうして、今日、まつくんがここにいないんだろう。あ、そうだ。編集部にきてたりはしないの?」

「だから待ってってば。ホヅミ先生、あの、ごめんなさい。話がさっぱり見えないのだけれど。さっきから話題に出してるまつくんって誰のことなのかしら?」

 瞬間、僕の世界から全ての音が消し飛んだ。

 一拍遅れて、心臓が勢いよく走り出す。

 ドクン。

 血液が巡っているのがわかる。

 桜が散っていく様子が、スローモーションで瞳に映る。

 ゆく末を目で追う。

 世界を斜めから横断するように、チラチラ舞って、光を反射して、やがて景色に溶けて見えなくなる。黒いもやみたいなものが、胸の中に立ち込める。

 こういう時、得てして悪い予感というのは当たってしまうものだ。

 いやいや、違うだろ。

 なんだよ、悪い予感って。

 今日は気持ちのいい春の日で、僕にとって待ち望んでいた最高のハッピーデーで、これからなにもかもがく回っていく、そんな門出のはずだろう。

 悪いことなんて、なにもないはずなんだ。

「誰って、冗談言うなよ。ははっ。ふたつ担当も相当な役者だなあ」

 声は、でも、震えていた。

「あ、もしかして、あとがきに書いてた執筆の協力をしてくれた子のこと? よかったら、私からもお礼を言いたいのだけど、紹介してくれないかしら」

「な、なにを言ってるんだよ。まつくんだよ。女子高生のしろはなまつふたつ担当が雇ったバイトだろう? 僕の執筆の手伝いをさせるためにさ」

「ホヅミ先生、なにか勘違いしてない? 私、そんな名前の女の子、知らないわ」


「……は?」


 ふたつ担当が知らない?

 どういうこと?

 そういえば、まつくんもふたつ担当の顔を知らないとかって言っていたっけ。待って、待って。じゃあ、あの子は、編集部が雇ったバイトでもなんでもなかったということか?

 それなら、この半年間、僕のそばにいたあの女子高生は一体、誰だったんだ?

 エンドロールのその先に、しろはなまつという少女はいない。

 それから、もうまつくんが僕の部屋にくることはなかった。

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