Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第七話 作家と担当とクリスマスイブ(2/2)

 多分、僕がエスコートすべきなんだろう。

 わかってる。

 わかっているけど、作法がちっともわからない。

 学校ではいくらか勉強ができた。微分積分も、小難しい英語の構文も、名前が微妙に違うだけの将軍の名前も。ちぃ、覚えたって言いながら、全部、全部、インプットしてきた。けれど、学校の授業ではデートの仕方なんてことをただの一度も教えてはくれなかった。こういう時、自分の経験のなさというか、器の浅さが浮き彫りになる。

 シオさんが予約してくれていた店に入る時、ふと一組のカップルが目に入った。

 女性が歩き出そうとすると、ヒールが段差に引っかかったのか、少しよろけた。男の方は別段慌てる風でもなく、そっと手を伸ばし支えていた。ありがとう。どういたしまして。つながれた手は優雅だ。気遣いと優しさを持って、大事にエスコートしているのが見てとれる。

 同じことが僕にできるだろうか?

 無理だ。

 なにしろ、僕は今日、なにもかもをシオさんに任せきりだったのだ。

 デートのコースや、ディナーのお店も。

 ワインのテイスティングすらスマートにできずに慌てる僕に失望する風でもなく、ただただ優しくほほみながらシオさんは慣れた感じで注文を済ませてしまった。これでいいかしら、なんて聞かれたけれど、僕はうなずくしかない。ワインの銘柄なんてろくに知らないしさ。

 前菜で出てきたテリーヌを口に運ぶ。

 エビ、キャベツ、アボカドにニンジン。アスパラガス。この爽やかな酸味はレモンかな。さすがに前に同期と飲みにいった大衆居酒屋とは違って、きちんとしかった。

「こういう店はよくくるの?」

「そうね。たまにかしら」

 シオさんがフォークとナイフを使って、れいにテリーヌを切り分け、口に運ぶ。そうして、ふっとまるで子供をあやすみたいに笑った。

「そんな顔しなくても仕事よ、仕事。接待とかでね」

 ふうん、と僕はうなった。

 テリーヌをしやくし、み込む。

「じゃあ、今日のこれも接待?」

「え?」

「このデートはどこまでが仕事なわけ?」

「あら? 今日はプライベートって言わなかったかしら?」

「言ったけどさ。シオさん。いや、僕の知ってるふたつ担当はそういう人間じゃないもの。ニンジンだけぶら下げて、延々と走らせ続けるタイプ。人を見る目はあるんだ、これでも」

「あら、はじめくんは私のことをなんだと思ってるのよ?」

「そうだなあ。鬼。悪魔。人でなしってところか」

「君、まだこの前の原稿をボツにしたこと恨んでるでしょう」

「あー、そこに話を持っていくのか」

 僕がニヤリと笑うと、ふたつ担当は降参とばかりに手をあげた。

「忘年会の時に言われたの。連続で全ボツらって相当ヘコんでるから、ちゃんとフォローしてあげてって」

あずまとウミ?」

 ふたつ担当はイエスともノーとも答えず、ただワイングラスを傾けた。

「君は本当にいい同期に恵まれてるわね」

「まあね。なるほどなるほど。それで、今日は僕のご機嫌取りをしようと思ったわけだ」

 引き続き、ニヤニヤと笑っておく。

 ふたつ担当は、残りのワインを手の中でゆっくりと揺らしてたっぷりと香りを楽しんだ後、一息でこくりと飲み込んだ。ちょっとだけ頰が赤くなっていた。

 ウエイターがやってきて、彼女のグラスにワインを注いだ。

「ま、はじめくんに格好つけてもしょうがないか。あのね、こう見えて、反省してるのよ。もっと言い方があったんじゃないかとか。やりようがあったんじゃないかって。たまにいるもの。編集とこじれて小説が書けなくなった人たちが。とても才能があったのに。もしかしたら、私のせいで栄光を受け取るはずだった才能が消えたんじゃないかって思うと、とても怖いわ。私だって出したくてボツを出しているわけじゃないのよ。ただ、やっぱり流行とかそういうものがあって、勝算の見込めない勝負はさせられないの」

「後悔してるってわけ?」

「……いいえ。しているのは反省だけ」

「じゃあ、それでいいんじゃないの?」

「え?」

「後悔してないってことは、あの原稿をボツにしたことは間違ってなかったって今でも信じてるんだろう。だったら、気なんて遣わなくていい。いや、遣って欲しい時もあるけど、というかしょっちゅうだけどさ。でも、僕らがヘコむのはいつものことだ」

 ふたつ担当がおばけでも見たみたいな目をしている。

 ああ、酒だ。酒が足りない。

 グラスを空ける。

 ウエイターがやってくる前に、自分で注いでしまう。

「そりゃさ、悔しいよ。作家にとって作品は子供みたいなもんだ。その出来が悪いって言われたら、愚痴だって吐くさ。悪口も言う。僕らは自分の作品こそが世界で一番面白いって信じているから。信じ込まなくちゃいけないから。作品の一番の味方でいなくちゃいけない。でも、編集はそうじゃないだろ。あんたたちはいつでも正しい顔して、冷静に判断して、僕たちをだまして商品になる作品を書かせるのが仕事だろ」

 ただ自分のためだけに小説を書くのなら、こんなに悩まない。

 けど、商業作品は誰かの目に触れることが前提だ。僕以外の誰かに喜んでもらいたくて書くものだ。だから、悩む。苦しむ。わからなくなる。心の重心をどこにおけばいいのか。内側か、外側か。

 そんな時、作品を客観的に見てくれる編集が、僕らのたった一つの道しるべだ。

 ぐに僕たちの道ゆく先を照らしていって欲しい。

 でなければ、僕たちはこの細い体のどこに力を入れて、どんなふうに必死になって、どこに向かえばいいのかを迷って、最後には立ち止まってしまうから。

「そうね。そうよね」

 ふたつ担当も再びグラスを空け、自分でワインを注いだ。慌てて近付いてきたウエイターに、彼女はにっこりと笑いかける。声に出さす、大丈夫です、勝手にやるので、という感じ。慣れたもので、それを確認したウエイターはすっと頭を下げ自然に体を引いた。

 ふたつ担当は見た目によらず、相当気が強い。

 案外と、僕は彼女が持つそういうしたたかさが嫌いじゃなかった。

「確かにどうかしてたわ。朔くんはデートの一つもしたことのない童貞くんだから、ラブコメを書き切る前に一度くらいデートの経験を積ませといてあげたかったって方がずっといつもの私らしいか。うふふふ。ごめんなさい、朔くん。これ、やっぱり編集の仕事かも」

 今度はふたつ担当がニヤリと笑う番だった。

「うわ。いきなりキッレキレ。でも、そうだな。それこそがふたつ担当って感じがする」

 それから、僕たちはもうデートなんてことをすっかりと忘れて盛りあがった。ふたつ担当は僕の作品を時に褒め、時にけなした。僕は僕で、まりにまっていた愚痴を全部吐き出した。

 ワインをがぶがぶ飲んで、料理だって残さず食べた。

 メインで出てきたのは、和牛のステーキだった。

 焼く前に一度見せてもらったブロック肉には、見事な赤身とれいなサシが入っていた。味も想像以上。最初にかすかな塩とスパイスの存在を感じ、それがむごとにあふれてくる脂の甘みを一層深くさせている。この肉、溶けるぞ。いと言いながら、夢中で口に運んだ。

 デザートまで食べ終えた頃には、二人とも酒のせいで顔が真っ赤だった。

 出会ってから、五年。

 いや、新人賞の受賞から作品の発売まで約一年あったから、もう六年以上になるのか。

 とにかく、それくらい長い時間を相棒として過ごしてきたというのに、僕らは多分、今、初めて素の自分を少しだけさらし合った。たくさん怒って、たくさん笑って。いくらかねて。

 こんなに感情が揺れ動いた夜は、一体、いつぶりだろう。

 ほんといい夜だ。

 せめて会計くらいは格好をつけようと、ふたつ担当がトイレに立った隙にウエイターを呼ぶと、もうすでに支払いはされていると言われてしまった。

 ああ、そうか。

 経費で落とすのか。

 その事実を前にして、どうしてか寂しくなったのは墓場まで秘密にしておこう。作家と編集。ケチをつける権利なんて、少なくとも今の僕にはない。

 高級レストランの超高層ビルには当たり前のようにホテルも入っていたけれど、当然、そういう展開は少しもなく、僕たちはそのまま外へ出た。

 途端に、吹きつけてくる風の強さに、身を震わす。

 天気予報の通り、雪が降ってきた。

 音もなく静かに降り積もっていく雪は、開いた手のひらに落ちてくると、僕の体温を奪い、ゆっくりと水になって流れていった。

「わあ」

 と、少女みたいな気軽さでふたつ担当が三歩を駆けて、空を見あげる。

れいね」

 僕たちは駅までの道をゆっくりと歩き出した。

 夜のイルミネーションは昼のそれとはまったく違い、まるで星が落ちてきたんじゃないかと錯覚させるほどきらびやかに、世界の闇を染め、人々の営みをすくいあげていた。

 道には僕らと同じようにデートをしている人がたくさんいて、はぐれないようにと、ふたつ担当は僕のコートの袖をまるで子供のようにちょこんとつかんだ。

「こういう時って手じゃないの?」

「たまにはこういうのもいいじゃない。ラブコメっぽいでしょう?」

 お酒をたらふく飲んで、ご機嫌なふたつ担当がそう言う。

「ふふっ。なんだか高校生の頃に戻ったみたい」

ふたつ担当にも、そんなわいい時があったの?」

「あったわよ。もちろん。私、学校で一番モテたんだから」

 それは、知ってるよ。

 今だって、何人も何人もふたつ担当を見ては振り返ってるし。

 隣にいる僕にはやっかみの視線が注がれている。どうしてあんな貧乏そうなヤツと、なんて等しく彼らの顔に書いてある。

 うるせえええ!

 その内、大金持ちになるんじゃあ、僕は。

 がるるる、と獣の目をして周りを威嚇していると、ふたつ担当に、なにをしているの、とあきれられてしまった。

 駅の改札に着くと、ふたつ担当は手を離した。

「ありがとう。ここまででいいわ」

「わかった」

 正直に言えば──。

 僕はもう少し彼女といたかった。

 聖夜にカップルが行うというアレやコレやまではしなくても、ちょっとしゃれたバーなんかで甘いカクテルを一杯飲むくらいでもいい。

 ……誘って、みようかな。

 ディナーはごそうになったから、それくらいは僕のおごりでとかって言ってさ。少しくらい、格好つけてみてもいいかな。駄目かな。どうだろう。ああ、経験値が圧倒的に足りてない。

 ごくりと生唾をみ込む。

 駅まで歩く間、僕はずっと悩み迷い、それでも口に出せないでいた。何度も何度も口の形を〝あ〟とか〝お〟とかにするのに、感情はちっとも声にならない。

 結局、先制を打ったのはふたつ担当の方だった。

「ねえ、はじめくん?」

 改めて見る彼女は、アルコールのせいで、頰は赤いし、目はとろんとしていた。暑いのかコートのボタンをいくらか止めていない。

 はっきり言って、色っぽかった。

「今日のディナーのお支払、私は経費で落とすつもりはないの。だって、そうでしょう。せっかくのクリスマスデートなんだもの。無粋じゃない?」

「それって」

「だからね? 覚えておいて。理由があったにせよ、デートの相手が誰でもよかったっていうわけじゃないのよ?」

 そうして、僕の手は握らなかったくせに、僕の唇に、それ以上はなにも言ったら駄目、という風に人差し指を軽く押し付けて。

「でも、今日はここまで。続きは、百万部売れる作品を書いてからね。童貞くん♡」

 とてもれいなウインクを一つ。

 それから、今日一の、とびきりの笑顔を浮かべてふたつ担当はこちらに背を向ける。僕はその背中を見送るだけ。あっという間に改札を抜け、彼女は僕の手の届かないところへ。

 ただの一度も振り返らない。

 ぼうぜんと彼女を見送った僕は、さっき告げられた言葉の意味をしっかりしやくし、そして。

「あははは」

 我慢できずに笑っていた。

 周りを歩く人たちが、奇妙なものを見る目で見てきたけど、かまうもんか。

「あははは。おなか痛い。あー、やられた」

 参った。

 僕はまだまだ、彼女に勝てそうもない。

 肺がひりつくくらいひとしきり笑うと、もう寂しさも後悔もなかった。ただ、いつものように小説を書かなくてはと思っただけ。編集の仕事としては百点満点だ。

「さあ、僕も帰るか。帰って、最高の小説を書こう」

 いつか、このデートの続きができるようにさ。

 今はまだ、それを夢見て楽しみにしておくくらいでちょうどいい。

 なあ、そうだろう。

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