Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第六話 作家と女子高生とテスト勉強(2/2)

「ふうん。見た感じ、結構理解していると思うけど」

「ここの構文が難しくて。時制がズレてたりするので」

「ああ、仮定法か。面倒だからって構文をそのまま暗記しちゃう人も多いよね」

「わかりますか?」

「これくらいなら、なんとか」

 教科書に載ってあった練習問題を二人で一つ一つ解いていく。

 最初はシャーペンのノックボタンを顎に押し当て、うんうんと悩んでいたまつくんだったけど、ひとたび仕組みを理解してしまえば、あとはもう僕の手助けはいらなかった。

 手を止めることなく、応用問題までばっちり解き終えてしまった。

 気付けば、九時前。

 まつくんの帰る時間になっていた。

「終わりましたー」

 うーん、と気持ちよさそうに体を伸ばすまつくん。

「ありがとうございます。ホヅミ先生のおかげです」

「そんなことないと思うけど。最後らへんは一人で解いてたじゃない」

「ホヅミ先生の教え方がよかったからですよ。わかりやすかったです、本当に」

「うん。まつくんもよく頑張りました」

 そして、なんにも考えずポンとまつくんの頭をでる。さらり、さらり。上等な絹を思わせる素晴らしい触り心地がした。

「うえっ! ホ、ホヅミ先生」

「なに?」

「さすがにそれはちょっと、恥ずかしいです」

 ぽしょぽしょと小さくつぶやきながら、まつくんの顔が朱に染まっていく。

 それを見て、僕は自分がなにをしでかしたのかようやく理解した。

 ばっと、頭から手を離す。

「あーっと。ごめん。つい」

「嫌なわけではないんですけど、その」

「うん。その、ほんと、ごめん。悪気はないんだ。訴えないで」

 ズバババと距離を置いて、土下座。

 こういうのがセクハラになったりするんだろう。わざとやってるセクハラはいいけど、無意識のヤツはどうしてか良心が痛む。

 まつくんは少しだけうつむいて、僕が触れたせいでくしゃっと乱れた髪をくしくしとぐしで整えていた。そのせいで、顔はよく見えない。

「いえ、訴えたりとかはしないんですけど」

 やっぱり、ぽつりと小さな声だけがこだました。

「でも、あのっ。また、勉強教えてもらってもいいですか?」

「ああ、うん。いつでもどうぞ」

 こくんこくんと僕は何度もうなずいた。

 それから、テストが終わるまでの十日間。

 僕はまつくんの家庭教師になった。


   ❁


「もうすぐ年末ですね」

「だねえ」

 僕たちはこたつに入って、まつくんが買ってきたみかんを食べながらのんびりしていた。今日はやる気が全く起きないので、執筆行はお休み。

 テレビには、若い子の間で流行しているというお笑い芸人が映っていた。ボケる、突っ込む。笑いが起きる。ぼんやりとその様子を眺める。

 みかんの白い筋はラテン語で〝アルベド〟っていうらしいよ、格好いいよね、という僕がここぞとばかりに披露した豆知識を、そうなんですねーとまつくんは笑顔で受け流した。

 もう少しかまって欲しい。

 しかし、そんな気持ちの悪いことを口にするわけにもいかず、僕はまつくんがいてくれたみかんをまた一つ口に放った。果実独特の甘さが口いっぱいに広がっていった。

 みかんでまつくんの指先が黄色くなり始めた頃、

「ホヅミ先生。そういえば、期末テストなんですけど」

 そういえば、なんて付けていたけれど、最初からタイミングを見計らっていたかのように聞こえた。こくんと、僕は口の中のみかんをみ下した。

「今までで一番成績がよかったです。ありがとうございました」

「そりゃ、よかった。でも、それはまつくんが頑張ったからだよ。前に言っただろう。勉強はやった分だけ成果が出るって。つまり、君が頑張ったからこその成果さ」

「だけど、わたしは感謝しています。なので、こんなものを作ってきたんですけど」

 そう言ってまつくんがカバンから取り出したのは、れいに包装されたカップケーキだった。冷めてはいるけれど、見ただけでわかる見事な焼き色は、素直にしそうと思わせた。

「食べていただけますか?」

「もちろん。喜んで食べさせてもらうよ」

 と、包装を解こうとしたところで、今は口の中がミカンの甘さでいっぱいになっていることに気付いた。

「コーヒー、入れてもらえる?」

「わかりました」

 テレビをそのままぼんやりと見ていると、やがてコーヒーの香りが漂ってきた。まつくんがやってきてから、インスタントではなく本物のコーヒーを飲む機会が増えた。

 なんでも、彼女の住む家の近くに生豆を好みに応じてローストしてくれる喫茶店があるらしく、そのお店で時々の気分に合わせた豆を買ってくるのだった。

 全然、香りが違うんです、とはまつくんの談。

 気が付くと、目の前には白いカップが置かれていた。

「熱いから気を付けて飲んでくださいね」

「いただきます」

 香りを楽しみ、ほんの少し口に含む。

「あ、今回のは結構っぱいね」

「浅煎りなので、酸味が強いんですよね。苦手でしたか?」

「いいや。しい」

 腐っても小説家なのだからもっと豊かな表現をするべきだろうとは思いつつ、そんな言葉しか出てこなかった。いやね、そりゃ、やろうと思えば、いくらでも方法はあるさ。酸味にだって種類や濃さがあるわけなんだし。

 でも、そういう面倒な作業を重ねれば重ねるだけ、物事の本質から遠ざかってしまう気がする。

 きっと、本当にしいものを口にした時、人はしいとしか言えなくなるんだと思う。

 そんなことを考えつつ、カップに注がれた黒い液体の表面を眺めていた。

 白い湯気が立ちのぼり、やがて消えていく。

 少し冷えた頃にもう一度口をつけると、舌触りが変わっていた。

 不思議と、味の深みと香りが増したような。

 まつくんが珍しく緊張した面持ちでこちらを見ている。

 僕はようやくカップケーキをかじった。ふわっとした歯ごたえの後にやってくる優しい甘さは手作り独特の味だった。ああ、やっぱりだ。

 さっき立てたばかりの仮説が補強される。

 僕はそのカップケーキを持ったまま、にっこりと笑って、まつくんに言った。

「うん。しいよ、これ」

「よかったです」

 どこかホッとしたようにまつくんも笑い、コーヒーの入ったカップに口をつけていた。

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