Day.1 女子高生、はじめてのおてつだい

第三話 作家と女子高生と買い物(1/2)

「ぬぬぬぅぅぅ」

 うめく声だけが、狭い部屋に響く。

「ぬぬぬぅぅぅ」

 ラブコメを書くことを決意してから、早くも一週間が過ぎようとしていた。

 実にわかりやすく、僕はスランプに陥っていた。スランプを体全体で表現しているといっても過言じゃない。これはもう、一つの芸術と言ってもいいのではないか。芸術は爆発だ、と聞く。ラブコメでリア充を爆発させるより先に、僕の体が爆発してしまいそうですらある。え? リア充、爆発しろ、はもう古いって? ははっ、冗談を。……マジなの?

 閑話休題。

 やはり、これまでと勝手が違うというのがデカい。

 僕が今まで発表した作品たちはどれも、現実に寄り添いながら現実ではありえないこと──たとえば、時間を逆行したり、幽霊が見えたり、人格が入れ替わったり──をエッセンスとして一滴垂らすというものだった。少し不思議な青春恋愛小説ってとこ。

 それが同時に僕の作風にもなっていた。

 ただ、今回に限り、その手法は使えない。

 ふたつ担当の求めている現代風ラブコメになると、非現実的な設定は現在の多くのラノベ読者にけんえんされるのだそう。

 となると、別のところ──担当いわく、しいシチュエーションとか──で読者が食いつくようなフックを作らなくてはならない。作品の〝売り〟になるようなものを。

 ひとまず現状で売れているラブコメの漫画やらラノベやらを片っ端から読んでみたが、いいアプローチの仕方はついぞ思いつかなかった。

「ぐぬぬぬぅぅぅ」

 頭を抱えても駄目。

「ふぬぬぬぅぅぅ」

 逆立ちしても駄目。

「んぬぬぬぅぅぅ」

 腕立て伏せを連続でしてみても、当然、駄目。

 出ない時はとことん出ないのだ。

 いら立ちだけが募り、トントンと指先でテーブルの端っこをたたく。

「くそっ。思いつかない」

 つぶやいて、書き進めていた数千字ほどの文字を一息で消す。僕の一週間がたったそれだけでせる。真っ白なテキストファイルには、黒色のバーが一つだけ点滅し続けていた。

 まあ、でも、スランプの時はいつだってこんなものだ。

 小説の神様が降りてくるまで、もがいて、もがいて、もがき続けるしかない。

 ごろんと背中から寝転がり、天井をぼうっと眺めた。

 眠れない夜にするようにシミなんて数え始める。ひい、ふう、みい。あのシミ、人の顔みたいでちょっと怖いんだよな。三十を超えたあたりで、頭は空っぽになっていた。

 仕方なく目をつぶると、そこには暗闇があった。

 小説を書いている時、精神はいつもその闇の中に在る。

 僕らは、時間も方位もわからないまま、指針も持たずにさまよい続ける旅人だ。

 運がよければどこかに辿たどくだろう。

 けれど、大抵の場合、途中で野垂れ死んでしまう。

 そして、仮に辿たどけたと思っていても、まだゴールじゃなかったりするもんだ。本当のゴールは、そこからさらに奥にある。小説という表現方法はどこまでも自由であるが故に、どこまでも果て無く広がっているのだった。

 ほんと、小説家ってあきれるほど馬鹿な職業だと思う。

 と、テーブルの上に置いてあるスマホがブブッといきなり震えた。

 ガサゴソと手探りで見つけて、つかる。

 案の定、ふたつ担当からメッセージアプリで催促がきていた。

『お疲れ様です。進捗どう?』

『進捗、駄目です』

 さつそうと打ち込んでから悩み、結局、一文字ずつきっちり消していく。

 そんなの素直に打ってどうするよ、僕。

 ほんと、どうしようかなあ。どうすればいいかなあ。誰か教えてくれないかなあ。くれないよなあ。知ってました。

 スマホを放り投げ、世界を逆さまに眺めていたら、キッチンの上にめ込まれた擦りガラスから外の世界が透けて見えた。分厚い雲が光を遮断し、空気はどんよりとした灰色に染まっている。雨だ。

 そういえば、今日、まつくんは食材の買い出しをしてからくるとかって言ってたっけ。

 彼女は学校から直接この部屋にやってくるので、当然、カバンは持ったままだ。

 どうも真面目な性格らしく、置き勉などせずに教科書ノートは全部持ち帰る派らしい。その様子が、不意に頭の中にはっきりと浮かんだ。

 左手に荷物の詰まったスクールバッグで、右手には傘。

 だとしたら、エコバッグはどうやって持つのだろう。

「……よし。迎えにいくか」

 時計を見ると、ちょうど四時を過ぎたところだった。

 今、部屋を出れば、駅で彼女を捕まえることができるはずだ。

 逃げるわけじゃないよ?

 ……ほんとだって。

 うんともすんとも言っていないスマホが、どうしてかこちらをにらんでいる気がしたけれど。

 まあ、気分転換も必要だから、と聞かれてもいない言い訳を一つこぼした。



 改札から出てきたまつくんを見つけ、声をかけた。

 ちょうどいいタイミングだった。

 二人並んで、傘をさしつつ帰り道にあるスーパーへ。

 駅からは徒歩十五分、僕の部屋からは徒歩五分の場所に位置するお店だ。

 平日の夕方はおばさんたちであふれ返っていて、僕のような三十手前の男やまつくんみたいな女子高生は他にいなかった。

 僕がカートを押して、商品をカゴに入れるのはまつくんの役目。

 んー、と顎に指を置いて実にわかりやすくまつくんは悩んでいた。

「なにか食べたいものはあります? リクエストがないなら今日はハヤシライスにしようかなって思うんですけど」

「どうしてハヤシライス?」

「え? だってお好きですよね」

「それは、うん。超好き」

「じゃあ、ハヤシライスでいいですか?」

「異論はないなあ」

「了解であります」

 と、お菓子売り場を抜けようとした時、新商品のパッケージが目についた。

 めちゃくちゃ体に悪そうなスナック菓子だった。つまりはめちゃくちゃしそうだった。ひょいっと手に取ってみる。

 少し先を歩いていたまつくんが、テテテとこちらに駆け寄ってきた。

「せっかくだから他のおかずも少し多めに作っておこうかなあ。冷凍できるヤツ。そうしたら、朝とお昼もコンビニに頼らなくてすみますもんね」

「そこまでしてくれなくていいけど」

「駄目ですよ。コンビニの濃い味付けのものばかり食べてたら舌が馬鹿になっちゃいます。どうしようかな。ええっと、ホヅミ先生はこんにゃくが苦手なんですよね」

「ん? ああ、そうなんだよ。あの見た目と食感がどうにも。って、あれ? さっきも思ったんだけど、僕、好き嫌いとか言ったっけ?」

「いいえ? ただ、小説の主人公たちがみんなそうだったから、そうなんだろうなあって思いまして。当たってますか?」

「うん。正解」

 言いつつ、僕がお菓子の袋を一つカゴに入れたところで、それを手に取ったまつくんが棚へと戻していった。

 思わず顔を見る。

 彼女はにっこりと笑っていた。

 アルカイックスマイルってヤツだった。

まつくんは家でも料理をよくするの?」

 尋ねながら、再びチャレンジ。

 が、辛くも失敗。

 今度はカゴに入れることすらできずに、棚に戻された。

「……そうですね。ので、昔から手伝いはしてました」

「そうなんだ」

「先生は一人っ子でしたよね?」

「君はなんでも知ってるね。僕、そんなことまで書いてた?」

「あとがきに少しだけ」

 あとがきにまで目を通してくれていて、なおかつ覚えてくれているのか。

 不覚にもちょっとじんときた。

「君は本当にありがたい読者だよ」

「えへへへ。なにやら照れてしまいますね」

「僕だってそうさ」

「ところで」

「なに?」

「いい加減、諦めませんか?」

「君こそ」

 僕たちはにこやかな会話を繰り広げつつも、さっきからずっとお菓子を買ってもらいたい子供とお菓子を食べさせたくない母親がやるような攻防戦を続けていたのだった。それこそ、お菓子売り場をいったりきたりし続けている。

「小説を書いてると小腹がすくんだ」

「それは日頃からちゃんとした食事をとっていないからです。わたしがきたからには、そんな心配はありません。だから、これも必要あ・り・ま・せ・ん」

「でも、ほら、今から帰って食事の準備をしてだと、一時間くらいかかるだろう」

「今から食べるつもりだったんですかっ。余計駄目です。夕ご飯が食べられなくなります」

「大丈夫だよ。これくらい」

「知ってますか? 空腹は最高のスパイスなんですよ」

「そんなスパイスなくても、まつくんの料理はしいから問題ないさ」

「くう。そんな甘い言葉をささやいてもだまされませんから」

 あれ? この子、結構ちょろい?

 押したらいけるんじゃないか?

「いや、もう本当に。世界で一番と言っても過言じゃないね」

「だったら、お菓子は必要ないですよね。わたしのご飯だけで十分なはずです」

 はい、そんなわけなかったです。

 と、ぎゃあぎゃあと幼稚なやり取りをしていたら、小さな男の子がじいっと僕たちを見ていることに気付いた。幼稚園くらいだろうか。少々目つきが悪い。はっきり言って、生意気そう。

 それに気を取られている一瞬の隙を突いて、まつくんが僕から袋を奪い取り棚に返す。

 むう。これで決着か。

 僕の負け。

 同時に、男の子の口が開いた。

「なあ」

「えっと、どうかしたのかな?」

 僕は腰を下ろし、目線を少年の高さに合わせながら尋ねた。

 小さい子供相手だと上から話されるだけで威圧的に感じてしまうんだとかって、なんかの小説で、昔、読んだ気がしたからだ。

 以降、子供との会話の時はできるだけそうするように心がけている。

「あんたたちってバカップル?」

 ん? ん、んんんんんん?

 この子はいきなりなにを言ってるんだ?

 思考が停止する。

「もう一回言ってみてくれる?」

「バカップルかって聞いたんだ」

「チガウヨ」

「じゃあ、どうしてこんなところでいちゃいちゃしてたんだ?」

「イチャツイテナンテイナイヨ」

うそだあ。母ちゃんが言ってたぜ。人の目を気にせずにいちゃついてるのはバカップルってヤツだって。あんたはそんな風になるなよって。なあなあ、そうなんだろ」

 まるで新種の虫でも見つけたような純粋ででキラキラと輝いた瞳。

「……僕たち、いちゃついているように見えた?」

「うん」

 子供だからだろうか。

 女子高生も、社会人も、みんなひとくくりに大人に見えてしまうんだろう。きっと、そうだ。え、あせってなんかいないって。これまでそういうイジリにちっとも縁がなかったからって、こんな小さな子供の言うことを真に受けてなんてないよ。当たり前じゃないか。

 そうして必死に心を落ち着けている僕の隣にはしかし、トマトのように顔を赤くした女子高生が立っていた。

まつくん?」

「え、あああ? はい? なんでしょう?」

「いや、なんでしょうじゃなくて、大丈夫?」

「もちろんですよ大丈夫です元気です」

「そう。元気ならいいんだ、元気なら」

「やっぱりそうじゃん。こういう時って、イチャツクナライエニカエレヨ、でいいんだよな」

「RPGの呪文みたいな言い方だな。よその家の教育方針に口を出すべきじゃないけど、とりあえず君のお母さんがいろいろとこじらせていることはわかった」

 子供まで産んでいるのに、いまだこちら側の──カップルへの妬みと怒りに塗れた──人間だとは。多分、学生時代に相当なカルマを背負わされたに違いない。

 ちなみに僕のカルマは五十三万です。どうして戦闘力とかの数値化って、いつの時代もこんなにオラの胸をワクワクさせるんだろう。はちゃめちゃが押し寄せてくる。

「違うのか?」

「ああ、違う。僕とこのお姉ちゃんは、えーっと、その。仕事でって言っても、説明が難しいし。だから、その、なんだ。そう、友達! 友達だからカップルじゃないんだ。わかる?」

「友達?」

「君にも女の子の友達がいて、普通に話したり、けんしたりするだろう。それと一緒」

「ふうん。そーなのか」

 男の子はそれで納得したのか、おまけ入りのお菓子を一つだけ手に取って、トコトコといってしまった。なんだったんだ、一体。

 僕も立ちあがり、そして言った。

「最近の子は、なんていうか、その。ませてるね」

「ですね。あー、びっくりしました。まさか、カップルに見られてるなんて。ああ、まだドキドキしてます」

 それは僕も同じだった。

 照れくさいけど、こんな美人が相手だと、まあ、悪い気はしない。

「それにしても、まつくんまで照れるなんて意外だったな」

「どうしてですか?」

「だって、君。モテるだろう?」

「……え?」

「まだ知り合ってからそんなにってないけどわかるよ。わいいし、気遣いできるし。真面目で優しい。家事も得意。これだけ条件がそろっていたら、男が放っておくわけがない」

「は、ははは、はい? なんですか、急に。そんなおだててもお菓子は買いませんからね」

 まつくんの顔の赤がさらに濃くなったことには気付いていたけど、構わず続けた。

「いやいやいや、本心だよ。ずっと思ってたんだ。まつくんはモテるだろうなって。だから、こういう、イジリみたいなのにも慣れてるものだと。てっきり。でも、そっか。違うのか」

「あ、ああ、いえ。そうですね。そういうのは確かにたくさんありますね。はい。けど」

 まつくんは、呼吸を整えるように前髪をクシクシとひねりながら、

「その、やっぱりクラスメイトとうわさされるのと、あの、なんて言えばいいんでしょうか。だから、ええっと、憧れの人とうわさされるのは違うっていうか。照れるっていうか。戸惑うっていうか。嫌とかではもちろんないんですけど」

「そ、そうなんだ」

「はい」

 僕もまた、まつくんのヤツがうつったみたいに顔が熱を持っていた。

 あれ? なんだろう、このふわふわタイム。甘い空気。僕、二十八年ほど生きてきたけど、こんなの知らないんですけどー? いつの間にこうなった。

 これ、どうするのが正解なんですかねえ。誰か教えて。しかし、教えてくれる都合のいい神様なんていないのである。

 いつだって、自分の力でどうにかしなくちゃいけない。

 どうにかって?

 ううむ。

 悩んだ末に、結論を下す。

 よし、話をらそう。

 こういうところでビシッと決められないのが童貞なんだよなあ。情けないね。

「買い物の続きをしようか。あとはなにを買うの?」

「そ、そうですね。ええっと、とりあえずお肉でしょうか」

「そっか、了解、肉ね、肉」

 結局、スーパーを出るまで、僕たちはお互いの顔を直視できないままだった。

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