AS.A・S.①《略》Anglo-Saxon.
AS.A・S.②《略》〔軍〕armslave.
arm slave[àmsleīv]〈名〉{C}〈armored mobile master-slave system から〉〔軍〕強襲機兵,アームスレイブ,AS。
〈検究社 新英和中辞典/第五版より〉
アーム‐スレイブ[armslave]主に全高八メートル前後の、人体を模した機体に、武装・装甲した攻撃用兵器。八〇年代末期に開発。強襲機兵。AS。
〈岩浪書店 広治苑/第四版より〉
「いい、ソースケ? A4のコピー用紙、二〇〇〇枚よ?」
職員室の扉の前。のんびりした放課後の喧騒とは裏腹に、千鳥かなめは深刻な声で言った。
気の強そうな少女である。腰まで届く長い黒髪。赤のリボン。人差し指をぴしりと立て、目の前の男子生徒に説明する。
「用紙は五〇〇枚の束になってるから、合計四束、こっそり持ち出すの。わかった?」
「了解」
詰め襟姿の男子生徒── 相良宗介は簡潔に答えた。
きりりと引き締まったむっつり顔に、愛想のかけらもないへの字口。油断のない目つきで、職員室の扉をにらむ。
かなめと宗介は念入りに、作戦の確認を徹底した。
「コピー用紙の場所はわかってるわね?」
「ああ。職員室の最奥部、コピー機の脇に積んである」
「段取りも心得てる?」
「君がコピー機近くの狭山先生と会話し、注意を引き付けている隙に、俺がコピー用紙を奪取する。その後はすみやかに撤退だ」
かなめは腕を組み、満足げにうなずいた。
「よしよし、ふっふ。……教員側の連絡ミスで、写生会のパンフを二〇〇〇部もミスプリしたんだから、生徒会側としては、その損失を返してもらって当然なのよ。大義はあたしたちにあるわ」
強引なその理屈には反論せずに、宗介は彼女に別の質問をした。
「しかし、先生に気付かれたらどうする。君が引き付けるだけでは不十分かもしれん」
「むっ……。いいから、気付かれないように工夫するの!」
「工夫だな。わかった、工夫する」
「よろしい。じゃあソースケ、行くわよ」
かなめは宗介を従えて、職員室へと踏み込んでいった。顔見知りの教師に愛想よく挨拶しながら、職員室の奥、くたびれた白黒コピー機へと歩いていく。
コピー機のとなりの席に、四〇前後の社会科教師が座っていた。
「こんにちは、狭山先生!」
にこやかに声をかける。
「おー、千鳥かぁ。なー。どうした?」
狭山教諭が椅子をきしませ、ふりむいた。かなめはコピー機のある一角を、彼の視界から隠すように立つ。これで宗介の姿は、教諭からは見えなくなるはずだった。
「えーとですね、昨日の授業のことで質問があるんですけど」
「んん? 古代インドのあたりだったなー。なにかな?」
「そのですねー、チャンドラグプタ二世って、なんであんなヘンな名前なのかなーって思いましてぇ……」
「はっはっは。なにをバカなこと言っとるんだー。なー。あれはだなー、ちゃんと意味があってだなー、グプタ朝の──」
教諭がそこまで言ったところで──
しゅぱぁっ、と手持ち花火のような音がしたかと思うと、かなめの背後で、濃密な白煙が膨れあがった。
「えっ……!?」
驚いて振り向くより早く、白煙が一気に立ちこめて、彼女の視界はゼロになる。
「ごほっ! なにごとだー、なー! げほっ!」
狭山教諭も咳き込んで、煙の向こうで悲鳴をあげた。白煙はたちまち職員室全体に広がって、ほかの教師たちを大混乱させる。
「えほっ。なんなのよ……!」
激しくむせながら、まろぶように間近の書類棚にすがりつくと、だれかが彼女の腕をぐっと掴んだ。
「そ、ソースケ……!?」
「用は済んだ。脱出するぞ」
「ちょっ……」
煙の中から現われた宗介が、かなめの手を引き、片手でコピー用紙の束を抱え、まっしぐらに職員室の出口へと走り出す。天井のスプリンクラーが作動して、部屋中に豪雨が降り注いだ。
「た、助けてぇ!」
「火事だっ! 地震だっ! 洪水だぁっ!」
「ワープロが……ワープロがぁっ!」
渦巻く悲鳴をかきわけて、宗介とかなめは職員室を飛び出し、北校舎への連絡通路まで来てようやく立ち止まった。
「はぁっ……はぁっ……」
「ここまで来ればもう大丈夫だ」
二人とも、スプリンクラーの水を頭からかぶって、全身ずぶ濡れである。憔悴しきった目で、かなめはスカートの裾を絞りながら、
「い、一体なにが……」
「発煙弾を使った」
宗介は平然と答えた。
「なんですって……?」
「君は『工夫しろ』と言っただろう。職員室の視界をゼロにすれば、安全にコピー用紙を持ち出せるし、俺たちの顔も見られずに済む。稚拙な陽動作戦などより、よほど効果的だ。あとでIRAなり日本赤軍なりのテロ組織を名乗って、偽の犯行声明を電話で入れれば、我々への疑いも──」
ごすっ!!
かなめの強烈な右フックを食らって、宗介はきりもみしながら床に倒れた。三秒弱、身じろぎもせずに突っ伏したあと、彼はむくりと身を起こし、
「痛いじゃないか」
「やかましいっ! こ……の、戦争ボケのネクラ男っ!! だいたいなによっ、紙も台無しじゃないのっ!? これじゃ意味がないでしょっ!?」
ぽたぽたと水滴の落ちる、ふにゃふにゃになったコピー紙の束を、相手の顔にぐいぐい押しつける。
「……乾かせば使えると思うが」
「言い訳するんじゃねーわよっ! あんたね、頭悪すぎなのよ! スゴ腕の傭兵だかAS乗りだか知らないけど、その前に一般常識を覚えなさい、常識を!!」
「むぅ……」
宗介は額に脂汗を浮かべ、きびしい顔付きのまま黙り込んでしまった。そこはかとなく、傷ついたようにも見える。彼は彼なりに、かなめの役に立とうと努めたのだろう。
悪気がない分、なおさら始末に負えない。
(ああ、もう……)
かなめは頭を抱えた。
幼い頃から海外の紛争地帯で育ってきた相良宗介は、平和な日本での常識がまるでない。
やることなすこと、すべてが空回りして、周囲に大迷惑をかけてしまう。
バカ。それも、桁外れのバカ。学校のみんなは、宗介をそんな風に考えている。
(ったく……。どーしてあたしは、こんな役立たずと出会ってしまったのかしら……? 神様、どうか教えてください)
などと嘆いてみるが、答えは当然返ってこない。
いや。
答えならすでに知っている。そうでなければ彼女はとっくの昔に、この厄介者と友達付き合いするのを止めていたことだろう。彼の世話を焼いたり、説教したり、ドタバタの後始末をしたり──かなめにはそうする義理があったし、彼を憎めない理由がある。
宗介がこうして、ここにいるのには、いろいろと複雑な事情があるのだ。
(ああ。そうなのよね……)
ふと、彼女は思い出した。
相良宗介の本当の姿は、戦争ボケの役立たずなどではない。
ひとたび平和から離れれば、彼は一流の戦士に早変わりする。そして──いまも籍を置く組織があり、共に戦う仲間がいる。
ある出来事を通じて、かなめはそれを知ることとなった。
彼と彼女が知り合うことになった事件。そこで出遭った重大な危険。そのとき芽生えた確かな感情。そして、いまだに全貌の見えない──巨大な謎。
その出来事の副産物が、現在の彼らの日常なのだ。
そう。すべての発端は、いまからおおよそ一カ月前──