第四章 追跡者達

 まるでそれはかいな生き物の様にすら見えた。

 肉のむし──そんなさつかくをしてしまう位にだ。

 人間の左手首。

 実際、透明な円筒の中に浮かんでいるその形はクモに似ている。

 どうたいから四方八方にあしばした形のクモだ。にぎこぶしでもなく指を伸ばした平手でもなくその中間──まるで何かをつかもうとした途中であるかの様な状態で、固着している為に、そう見えてしまうのだ。

「──それが大事なものなのか?」

 思わずトールはそうたずねていた。

 わざわざ金を払って人をやとい、領主の館に忍び込み、挙げ句には領主とやり合ってまで──まあこれは単に結果だが──彼女が手に入れようとした品。したるこんきよも無くトールはそれを宝石や美術品の様な何かだと思っていた。

「そう」

 こっくりと頷くチャイカ。

 どうやら間違いないらしい。彼女は背中から降ろしたひつぎを開くと──その左側の中程に、つまりは遺体が普通に入っていればそこに左手首が来るであろう位置に、問題の円筒を置くと、これを固定用のひもらしきものでしばった。

「……この棺はその為の、ものか」

「そう」

 とまたチャイカは頷く。

 その表情は何の暗さも迷いもふくまぬ、しんな喜びに満ちている。

 だが……

「一体、そんなものどうするんだ? っていうか──そもそもそれは本物の、人間の死体なのか?」

「…………」

「本物の死体だったとして、それは、誰のものなんだ?」

「……トール」

 チャイカはしようかべた。

「アカリ」

「──む?」

 改めて呼ばれアカリも首をかしげる。

「感謝。残り。半金」

 ごそごそとさらに棺の中をあさってこうを数枚取り出すとチャイカはトール達にそれを差し出してきた。銀貨である。それも主に北方諸国で流通しているボフダーン銀貨だ。元々銀のがんゆうりようが多い為に大陸中何処どこででも使い易いへいだった。

「ここでか?」

 トールはあきれて言う。

 道の真ん中──という訳ではないにせよ、仕事の帰り道に戸外でいきなり仕事料の残金をわたされる事になるとは思ってもみなかった。

「っていうか──あんた」

「…………」

 チャイカはにっこり笑ったまま、銀貨を差し出したまま、動かず、しやべらない。

 その様子にトールは彼女の言いたい事をさとった。

(これ以上は関わるなって事か)

 思えば細かい事情を話すのを彼女がしぶったのもこの為なのだろう。

 どんな背景が在るのかは知らないが、トール達は彼女にとって一時的に傭っただけの、ただの行きずりで、それ以上でもそれ以下でも無かったという事か。

 あの独角馬ユニコーンと戦った際のこうようかんの為か、トールはどうもチャイカに必要以上の親近感というか仲間意識の様なものを知らず知らずの内にいだいていたのかもしれない。

 元々他人だ。

 だから用事が終われば別れる。それだけの事。

 チャイカのさがしているものが他に何処にあるのかは知らないが、彼女はそれを求めてまたこのデルソラント市を出て行くのだろう。

「感謝!」

 改めてチャイカが銀貨をせた両手をつきだしてくる。

 何をしているのか、早く受け取れ、とでも言わんばかりである。

 だがトールは束の間ながらこれをしゆんじゆんした。アカリの物問いたげな視線が横から投げけられるのを感じながら、しかし彼はその銀貨に手を出せずに居た。

 これを受け取ればトール達とチャイカとの関係はそこで終わる。

 終わる──筈だった。

 しかし……

「──!?」

 反応はほぼ同時。

 若干だがアカリの方が早かった事を思えば、やはりトールはここしばらくの修練不足が多少たたっているのかもしれない。ともあれトールはチャイカをき飛ばし、アカリはチャイカを背後から引っ張っていた。

 突然の事にチャイカの両手から銀貨がこぼれて路面にねる。

 すずしげな音を立てるそれらの内の一枚を──


 ──ぢぃん!!


 するどい異音と共に何かがつらぬいていた。

 何が?

 それは──

(──投針!)

 がらなチャイカはほとんど空中を飛ぶ様にして移動──受け止めたアカリは一歩下がった後、勢いに逆らわず、チャイカの身体を巻き込む様にして手近な建物のかげに飛び込んでいた。

 一連の動作は全て一瞬の事だ。

 トールもまた腰のしようけんに手を掛けたまま、路面をってちようやく、やや大きめのゴミ箱の陰に身をひそめた。

 そして──

「……ヴィヴィ」

 困った様な、あわてた様な、そんな声が通りの奥からただよってきた。

「いきなり、そんな──」

「ジレット様。失礼ながら」

 若い男の声と──おそらくは少女の声と。

 やみからゆっくりとぶんする様に、三つのひとかげが現れる。

 それは……

乱破師サバター相手にじんじような会話などの極みですよ」

「…………」

 トールはまゆひそめた。

 何者かは知らないが、相手はどうもトール達を乱破師と知っているらしい。もちろん、投針に対する反応を見て──ではないだろう。予め知っていて、問答無用に針を放ってきたのである。トール達が反応したのはそのとうてき者の殺気に対してだ。

「……何者だ?」

 良くも悪くもトールとアカリ達は分断されてしまった。

 しかもチャイカの棺は先程の位置に置かれたままだ。それを気にしてかチャイカがジタバタしているのをアカリがおさえ込んでいるのがトールの位置からは見えた。

(……アカリ)

 トールは素早く手話でアカリに告げた。

 乱破師にはこの手のとくしゆつう法がいくつかある。混乱する戦場、静まりかえったてきじん如何いかなるじようきようでも混乱せずに仲間とれんけいがとれる様に──との考え方からだ。

(チャイカを連れてげろ。裏山で合流。棺は俺が回収。チャイカにそう伝えろ)

りようかい。チャイカを連れてだつ。裏山で合流。棺は兄様が回収)

 うなずくアカリ。

 それを確認すると、トールはふところからかくらん用のけむりだまを取り出した。

 何かにこすりつければ着火して静かに煙を吐き出すが、かたいものにたたき付ければ、れつして音と光を放つ。彼は両手に持ったそれを近付いてくる三人に向けて投げた。


 ──どん!


 にぶさくれつ音と共に夜の街路にせんこうあふれ、風景の闇を一時的に追い払う。夜の明るさに慣れている人間にとって、これは光で眼をふさがれたのと同じだった。

 チャイカをかかえてだつの勢いで走り出すアカリ。

 同時にトールは路上に置き去りになっていたかんおけに飛びついていた。

 うんぱん用──だろう多分──の取っ手をひっつかむと、これを背中に担ぐ様にして更に路面を蹴る。ついでに最後の煙玉をしとして地面に叩き付けるのも、忘れなかった。

 だが──

「──!?」

 煙玉は炸裂しなかった。

 一瞬の内に近付いてきた何者か──恐らくは三人の内の一人が、剣でこれをくししにしていたからである。強いしようげきあたえられなければ煙玉はばくはつしない。

 つまり──

(こいつは……!)

 トールは一瞬にして目の前にせまっていたその人物をにらえた。

(相当──できる)

 それはきんぱつへきがんの若い男だった。

 恐らく先程、まどったかの様な声を仲間に掛けていた人物だろう。

 だがこの男は煙玉の光や、その後に生じた煙にもまどわされず、一瞬で間合いをめてきたかと思うと、剣で、それも煙玉を破裂させない程に鋭く──衝撃をともなわない様な鋭さでこれをし貫いていたのだ。

 生半可な武芸者では此処ここまで出来まい。

「──君」

 その青年は身構えるトールに対して悠々ゆうゆうと言った。

 自分の技をことさらほこる様子も無い。それがかえってこの青年の秘めたる技量の高さを示していた。今のひときなど、彼にとってはへいぼんな技なのだろう。

「君は先程の、あのぎんぱつの少女とどういう関係なのかな」

「……なに?」

「ヴィヴィが──私の部下が君の事を乱破師だと言っていたが。もし単に金でやとわれただけの関係ならばこれ以上、関わるな。それが君のためだよ」

「…………」

 トールは眼を細める。

 この青年は──恐らく本気で言っている。

 トールに対して敵意や害意を抱いている訳ではない。この台詞せりふちようはつでも無ければちようでもないのだ。むしろ善意からの忠告が一番近いだろう。

 たけと姿勢の関係で、若干、トールを見下ろす様な形になっているが……その表情は実に静かで清々すがすがしささえ感じられる。きちんと使命感を抱いて行動している者の、迷いの無いかおだ。

 だが……

「先の、アバルトはくしやくていしゆうげきも君達だろう?」

「…………」

「いや。それを責める積もりは無い。決してめられた話ではないが。ただ君はそのひつぎを我々に渡して、立ち去るべきだ。そうすれば我々は君を追わない。我々が用があるのは、あの少女と、その棺の中身だけだ」

機杖ガンドの事か?」

「あの少女がアバルト伯爵邸からうばったものを、君は見ていないのか?」

 首を傾げる青年。

 どうやらチャイカの機杖の事ではないらしい。まああの機杖に関して言えばトールが見ても判る位に年代物だ。まさかこつとうしゆという訳でもあるまいし、この青年達が求めているのは他のものという事になる。

 それはつまり──

「どうだかな」

 だがトールはえてしらばっくれた。

 ここはこの人の善さそうな乱入者にしやべれるだけ喋ってもらった方が良いと判断したからだ。

「一体、何が入ってるってんだ、この中に?」

「…………」

 青年は口をつぐんで首をった。

 言えないという事か。まさか知らないという意味ではあるまい。

「ジレット様」

 ふらりと──およそ体重を感じさせない動きで青年の左横に歩み出る少女が一人。

 小柄で青年のかたの辺りまでしかない。年齢も恐らくはチャイカと同じ位──つまり十代半ばかそれ以下だろう。

 顔立ちとしては非常に可愛らしい少女だ。

 ただし──そのにびいろそうぼうはまるでものの様な光を帯びている。

 今までのやり取りからすれば、恐らくはこの少女が先程の投針を放ったのだろう。

 はじくならともかくこうかんつうさせるとなると……それはとんでもない技量の存在をする。

「乱破師との会話は無駄です。彼等の口は人をだまあざむく為にのみ動きます」

 少女──恐らくヴィヴィという名なのだろう──が言った。

 さらに……

「同感ですな」

 青年の右横に歩み出る三人目。

 さびふくんだ低い声を発するその人物は、かたはばも広く背丈も青年より更に頭一つ分高い、きよかんであった。先のヴィヴィと異なり、こちらは何処どこか岩を想わせる、見るからにいかつい印象の容姿で、ただ歩いているだけでも周囲の空気をまわし、足音をひびかせるかの様な印象がある。ただ腕を組んで立っているだけでもあつかん満点だ。

 しかもその背には大剣を背負っている。

 それは──

(──機剣コンブレイドか)

 トールの小剣と同じくけをほどこされた代物だ。

「乱破師はおよその価値観とは真逆の存在です。努々ゆめゆめ真正面からこうしようなどなされぬ様──」

「言ってくれるな」

 うなる様にトールは言った。

「暗殺者やようへいにそこまで鹿にされるいわれはねえぞ」

「…………」

「…………」

 ヴィヴィと巨漢はわずかに表情をらがせたのみだ。

 だが恐らく──トールの読みはちがってはいまい。

 真ん中の『ジレット様』なる青年は騎士。

 左横の『ヴィヴィ』という少女は暗殺者。

 右横のめいしよう不明の巨漢が──恐らく傭兵。

 明らかに立場がばらばらで何の統一感も無い連中だが、一体何の目的で一緒に行動をしているのか。

「ニコライ。ヴィヴィ。何者であろうと我々の目的は基本的に彼女一人だ。事情を知らずにただ傭われただけの者に非はあるまい」

「…………」

 騎士ジレットの物言いに──トールはかちんと来た。

 何なのだ。この上から見下ろす様な物言いは。

 騎士ジレットにはトールを殊更に馬鹿にする様な言動は無い。恐らくこの青年は見た目通りの真面目まじめな善人だろう。だから彼はごくごく自然に──意識する事無く他人を見下しているだけだ。騎士としての──貴族としての教育によって、ごく当然の事として、彼は貴族以外の人間を下に見る。

 それに──

(何が『事情を知らずにただ傭われただけ』──だ)

 トールは地面に転がる銀貨をいちべつした。

 そう。実の処トールの立場は騎士ジレットの言う通りだ。ただの通りすがり。ただの傭われ。チャイカとは仕事が終わればえんの切れるあいだがらである。それ以上でもそれ以下でもない事は他でもない、チャイカがそう態度で示していた。

 だからこそ……それを全くの他人から指摘されるのは余計に腹が立った。

 確かにいざ戦となれば冷酷無惨──すなわじんりんにもとる行為でもそれが有効と分かれば実行するのに躊躇ためらいも無いのが乱破師だ。必要とあれば人質を取る。背後からやみちする。きよを唱えて惑わす。わなを仕掛けておとしいれる。未だに騎士や戦士を主役とし、大義名分がはばを利かせる戦争において、れつ上等、きようじようとうの、勝つ為に手段を選ばないやく──そういうよごれ役を一手に引き受けるのが乱破師なのだ。

 だが──

(……だからこそ)

 何かを成したかった。

 あのあらしの様な戦乱の世界で──ただほんろうされて散っていく羽虫のいつぴきにはなりたくなかった。何の為に生まれて、何の為に死ぬのか、そんな事すら分からない。そんなもの、生きているといえないではないか。

 幼いあの日。

 あの人が死んだあの時。

 トールは──

「君は乱破師サバターなのだな」

「……だったらなんだ」

 確認するかの様にたずねてくる騎士ジレットにトールは顔をしかめて応じる。

 何にせよまずい状況だ。

 この三人を相手に、けむりだまの残りも無く、しかも棺をかついでとなるととてもれない。あるいは棺をてれば──そしてその中のあの『手首』も棄てていけば、逃げ切れるかもしれないが……

(……あいつ)

 チャイカ。

 満足にこちらの言葉も操れないのに。

 そんとくきでたよれる相手も居ないのに。

 それでも何の迷いも無く彼女はあの『手首』をほつしていた。自分に出来る事をやって、目標に一歩ずつ近付いていた。恐らく自分の命が危険にさらされる事だって分かっていただろう。そもそもあの不器用で要領の悪い少女が、一人旅をしていて今まで生きていられたのが不思議な位だ。戦後と言っても──いや戦後だからこそ兵士くずれのさんぞくやらとうやらには事欠かない。あるいはトールが知らないだけですでに何度もしんさんめてきたかもしれない。

 それでもなお──惑わず。

 ただ真っ直ぐに彼女が求めたものならば……

(置いてける訳ねえだろ)

 そんな風にトールは想う。

 自分のこの考え方が、ある意味で乱破師としては異常なのだという事を、トールは自覚していた。そもそも彼のういじんおくれたのも、能力不足ではなく、彼のこの性格をおやいていたからだろう。

 しかし……

「乱破師はてつていした合理主義者と聞く。君が彼女を主君と定めていたならばともかく──そうでないならば、かばてする義理はあるまい。私は騎士だが、騎士だからこそ、な争いはけたいのだ」

「ご立派なこった」

 静かにそう告げてくる騎士ジレットにトールは言った。

 なめられたものだ。

 要するに騎士ジレットはこう言っているのだろう。お前は勝てないからひざくつして言う事を聞けと。合理的に判断すればここでかんおけわたして消えるのが正しいと分かるはずだ──そう告げているのだ、この男は。

(……〈鉄血転化〉はしばらく使えない)

 領主ていしのび込んでから二時間とっていない。最低でも半日は間を空けなければ、色々な意味で危険だ。

(その状態でこの三人を──たおせるか?)

 それは極めて難しいだろう。

 ではどうするべきか。

「さあ。その棺を渡してくれ」

 騎士ジレットがそう告げてくる。

(考えろ、考えろ、トール・アキュラ)

 自らをそうしつしつつトールは──棺の取っ手を強くにぎめた。



! 不可! 戻る!」

「──駄々だだをこねるな」

 じたばたと暴れるチャイカをわきかかえながら走るアカリ。

「あまりめんどうな様だと気絶させるぞ」

「むっ──」

 アカリが本気で言っているのが分かったのだろう、チャイカは暴れるのとさけぶのを止めた。

「……そもそも」

 アカリは立ち止まってチャイカを降ろした。

 先にあの三人に声を掛けられてから、区画としては二つばかり移動している。この辺りはいくつか店の並ぶ商店通りだ。昼間はにぎわっているのが常だが、夜は逆に気持ち悪い位に人の姿が絶える。おかげで誰かがひそんでいても気配で見つけ易い。

 幸い──つけられた様子は無い様だった。

「あなたの大事な棺桶は兄様が回収すると言っていた」

「本当?」

「ああ」

 まゆひそめた貌でアカリはうなずいた。

「とはいえ……むしろ心配すべきは兄様だ」

「むぃ?」

「あの三人……全員が同じ技量とは限らないが、仮にあの投針を放った者と同等と考えれば、兄様でもあの場からだつしゆつするのは難しかろう。ましてお荷物を持っては──」

「お荷物?」

「あなたの棺桶の事だ」

 アカリのけんしわがわずかに深さを増す。

「……納得」

「兄様も……どうしてこんな……」

 頷くチャイカと、そして表情こそ変わらないが、何やら納得しかねる様子でつぶやくアカリ。

 やがて──おうのうを脇に除けるかの様に首を振ると、アカリは改めてチャイカに向き直って言った。

「──あなたはここに居ろ」

「…………」

「私は兄様を助けに戻る」

「同道。私」

「駄目だ。足手まといだ」

 アカリはすっぱりとそう告げた。

「でも──」

「既に仕事は終わっている。あなたは──私や兄様のやとぬしではない。ここまで連れてきたのはむしろオマケだ」

「…………」

 チャイカが言葉にまった様子だった。

 無理も無い。先程──もう自分達のよう関係は終わったと彼女自身が示したからだ。

 アカリの言葉は筋が通っている。

 だが──

「アカリ──トール、回収」

 チャイカはアカリを指差して言った。

「私──棺、回収」

「だからそれは無理だと……」

「無理。私の事情。トール手助け。アカリの事情。別物、別物」

「…………」

 今度はアカリが言葉に詰まる番だった。

 要するにチャイカは、棺を取り戻しに──そしてアカリはトールを助けに戻るという事になる。同行はしても目的は異なる。

 そして当然──棺を取り戻しにチャイカが戻って、あの三人組にらわれても、あるいは殺されても、それはチャイカの事情だからアカリは気にするなと言っているのだ。

 もちろんそう割り切るのは乱破師サバターアカリにとって無理な考え方ではない。

 いやむしろ──

「兵はどうなり……」

 アカリは腕を組んで言った。

「まさか私達が戻ってくるとは想っていないか……?」

 わざわざトールが煙玉を使ったのは、チャイカとアカリを逃がす為だというのは、あの三人組にも分かっている筈だ。

 逆に言えばしばらくアカリ達は戻ってこないとんでいる筈である。そこにい戻れば──例えば回り込んで背後からこうげきけるなり何なりすれば、まだ勝算はあるかもしれない。

「……分かった。ならば」

「感謝」

 頷くアカリにチャイカは微笑した。



 結論から言えば──トールは早々にばくされていた。

 棺を抱えて逃げようと動いた彼を、素早く動いたきよかん騎士キヤバリアジレットの剣が左右からこうする様に差し出されて制していたのである。首筋に触れるやいばかんしよくにはさすがのトールも動きを止めざるを得なかった。

 まして──

「……お前の剣も機剣コンブレイドの様だな」

 巨漢はきよだいな剣を片手で軽々と保持しながら言った。

「俺も機剣使いだ」

 機剣使いは地味にやつかいだ。

 使い手が気を送り込み感覚を通じ合わせた機剣は、使い手の一部になる。剣を持ったその状態こそが最も安定した状態となり──つまりそのしゆんかんから、剣とけんはそういう形の生物に変化するのだ。

 剣が剣士の一部になるという見方が多いが、これは逆に考える事も出来る。

 剣士が剣という武器の一部になるという事だ。

 機剣使いに『剣を振る』という意識は無い。

 彼等は行動の全てが技だ。

「観念しろ。お前の力量ではいかに機剣使いでも俺達三人からのがれる事は出来ない」

「…………」

 トールはしばしにらむ様な視線をその巨漢に向けていたが──

「…………ふん」

 トールはかたすくめて構えを解いた。

 ただし棺の取っ手からは手を放さない。

「改めて聞くが」

 騎士キヤバリアジレットが剣をき付けたままたずねてくる。

 こちらの剣は機剣コンブレイドではない様だが──むしろある意味でその方がおそろしい。

 この騎士はただの剣で機剣使いと同じ動きをした事になる。武門の騎士には二本あしで歩く前に剣を握る者が居るなどと言われるが……あながちこの青年を見ているとちがいではないのかもしれないと思える。

「君は彼女とどういう関係だ?」

「…………」

「彼女が何者か知っているのか?」

「そっちこそ知ってるのか?」

 トールはわずかに首を動かして騎士ジレットに視線を向ける。

 ほんの少しだが首の皮に刃が食い込んで──トールの首に血がにじんだ。

「チャイカが何者なのか」

「勿論だ」

 騎士ジレットは頷く。

「我々は正当な義に基づき、各国政府のようせいを受けて行動している。自分が何者を追っているのか──彼女が何を追っているのか。理解した上で行動している」

「あんたとは違うよ」

 とヴィヴィが言ってくる。

「私達は正義だ」

「…………暗殺者が、正義、ね」

 トールの言葉にヴィヴィの視線がとがるが、彼女はそれ以上、何も言ってこなかった。

「まあいい。分かった。俺にこの状態で勝ち目は無い。あんたらが追ってるって品物をわたす。それでいいか?」

 トールはゆっくりと身をかがめてチャイカのひつぎを地面に横たえる。

「手を放せ」

「いいのか?」

 命じてくる巨漢にトールは言った。

「この棺にゃばくやくが仕掛けてあるぞ。無理に開けるとばくはつする。あんたらの不注意でばされたくはないんだがな」

「…………」

 騎士ジレットと巨漢は顔を見合わせた。

 彼等は束の間、考え込んでいる様だったが──

「いいだろう」

 巨漢が頷いた。

「仕掛けとやらを解除しろ。それから俺達に問題の品を──『遺体』を渡せ」

「…………」

 トールは考える。

 この連中はチャイカの求めているものが『遺体』なのだと知っている。

 ならば本当に──チャイカが何者で何を目的にあんな遺体を集めているのか、そしてあの遺体が誰のものなのかを知っているという事だ。勿論、この連中もまた誰かにやとわれたか使われているだけで、本当は事情を知らないという可能性もあるが──それならそれでむしろ好都合だ。

 彼等自身には細かい判断がつかないという事なのだから。

 トールは騎士キヤバリアジレット達の視線を背中に受けながら、棺の『仕掛け』を解除する真似まねをする。言うまでもなく爆薬云々うんぬんはハッタリだ。だが『敵対者に渡す位なら』という考えは別にめずらしくはなし──また先にけむりだまを使って見せている分、彼等も爆薬の類にはびんかんになっているだろうとトールは考えたのだ。

 そして……

「あんたらが言ってるのはこれか」

 トールはチャイカの棺を開く。

 その中に手を入れて固定用のひもを外し──問題の品を取り出すトール。

 とうめいえんとうに入った手首。

 トールはそれをよく見える様にと三人にかかげて見せた。

「そう。それだ」

 騎士ジレットが満足げにうなずく。

 それを確認するとトールも満足げに笑うと──

「そうか。これか」

 つぶやいて──投げた。

 夜のやみの向こう側に向けて、その透明なつつふうにゆうされていた、手首を。

「──!!」

 思わず騎士ジレットや巨漢、そしてヴィヴィの視線がそちらにれる。

 さすがに突き付けた剣を外す様な真似はしなかったが、しかし、注意が逸れている者の持つ剣など、死んだも同然だ。トールはやや強引だが両手のこうで──ぶくろには非常時に刃を受けられる様にと鉄片が仕込んである──首の左右をはさむそれらをはじき、身をしずめると、チャイカの棺をつかんでだつごとした。

「ちッ──」

「構わん、あちらを!」

 騎士ジレットがそうさけぶと同時に、投げられた手首を追って走り出す。ヴィヴィもその後を追ってとつに走り──そして。

「…………あんたは追わないのか」

 トールは一人、手首ではなくその反対方向──すなわち自分をついせきしてくる巨漢を睨みえながら問うた。

乱破師サバターは油断ならない」

 トールのすぐ後を走りながら巨漢は言った。

「投げたフリをしているだけかもな」

「そこまで器用じゃねえよ」

「いずれにせよ」

 巨漢は言った。

「俺はジレット殿ほど、優しくはない」

 次の瞬間、空気をえぐく様な勢いで巨漢の機剣コンブレイドが飛んできた。

 これをトールは身を沈めてかわすが、躱しきれず、動きに取り残された彼のかみの何本かが千切れて空中に舞った。

「敵は減らせる内に減らしておく。相手の事情など知った事か」

「合理的な判断だな」

 機剣がひるがえって頭上に振り下ろされるのを見ながらトールは──手にしていた棺を強引に振り回した。

「ぬおっ!?」

 まさか棺を武器にしてくるとは思ってもいなかったのだろう。棺のおうもちろん、躱されてしまったが──無理なかいで、ほんのわずかだが巨漢の体勢がくずれる。

「──っしゃ!」

 するどい呼気をきながらトールは棺をそのまま──投げた。

 この巨漢を相手に余計な荷物を持っていてはとうてい、勝てない。

『敵は減らせる内に減らしておく』──まさしくその通りだ。折角、あの騎士ジレットとヴィヴィとかいう暗殺者をはなしたのだから、この際、この巨漢だけでもたおしておくのが鉄則だろう。

 棺が何処どこかの建物のかべにでも当たったのだろう。何やらかたい音が背後からひびいてくるが、構わずトールは両手で双機剣を引き抜いて巨漢に相対していた。

「ふん」

 きよかんは野太い笑みをかべながら言った。

ぞうくせに、中々、やる」

「そうかい」

 トールはくちびるを舌でめながら言う。

 次のしゆんかん、二人はほぼ同時に動いていた。

「──ふんッ!」

 巨漢が放つけんいちげき

 これを──トールが体さばきでかわす。

 どれだけゆうしゆうな機剣使いだろうと、どれだけ強いわんりよくの持ち主だろうと、モノの重さは無視出来ない。ただでさえ機剣は重い上に、この長さ太さとなれば、まともに振り回すのも難しいはずだ。

 自然と──そのどうは限定される。

 予め飛んでくる方向が限られている攻撃ならば〈鉄血転化〉無しの状態でもけるのはそう難しくない。

 やいばむなしくトールの頭上を通り過ぎてゆく。

 そして──

「──ぬっ!?」

 巨漢の剣がすぐ近くの建物の壁に、音を立てて深く食い込む。

(──もらった!)

 その様子を見てトールは確信した。

 あれではすぐに剣は抜けまい。なまじ高いかいりよくあだになっている。弱いち込みならば単に壁に弾かれただけであろうに。

 トールは一歩み込んで巨漢の胸元に双機剣の一撃を送り出した。

 必殺の確信を込めてぱしる右の小機剣の切っ先。

 だが──

「──ッ!?」

 突きは、相手のわきばらを抉る事無く、くうへと抜けていた。

 信じ難い動きで巨漢のたいが突きを避けたのだ。

 それも──いきなり上に。

 巨漢の体躯はおそろしく不自然な体勢で空中にあった。

 あり得ない。

 巨漢の立ち位置、姿勢、そうしたものから避けられないとトールは判断していた。どれだけじゆうなんな人間であろうと、その動きには人体構造や力学的な限界が在る。つうに立っている人間がいきなり頭を基点に一回転する様な事は不可能だ。そもそも剣を振り抜いた巨漢のあしは、ちようやくできる状態に無かった筈なのだ。

 なのに──

「──ははっ!」

 こうしようと共にブーツのかかとがトールけててつついの如く振り下ろされる。

 トールの頭上に居た巨漢から──だ。

 一撃をかわされて体勢が泳いでいたトールは、これをかわせる状態に無い。とつに左の小剣で踵を受けるものの、しようげきを殺しきれず、トールの手から小剣が吹っ飛んで、近くの建物の壁に突きさった。

「……っ!」

 トールはえて立つ事にしつせず、地面に転がって一回転。

 きよをとって巨漢に相対した。

「……そういう事か」

「そういう事だ」

 にっと巨漢が笑ってくる。

 巨漢の機剣コンブレイドは未だへきめんに食い込んだままだった。

 食い込んだ? いな。食い込ませたのだ。

 きよだいな機剣はそれに見合うだけのがんじようさを持っている。巨漢が体重を掛けても折れない程の──だ。つまり巨漢は、壁に食い込ませて固定した剣を力点として、己の身体を空中にね上げたのである。

 騎士の剣術ではない。

 剣士の剣術でもない。

 それらの正統派剣術とは似ても似つかない。

 この身もふたも無くじようきようを──周囲に在るものをそのまま利用する戦い方は、ようへいならではのものであり、強いて言うならばトール達の様な乱破師サバターのそれに近い。正統派騎士ならばきようののしじやどうさげすむ様な技術であった。

 だが──

「まさか卑怯なんて言わねえよな? 乱破師が」

 剣を壁から引き抜きながら巨漢は笑う。

「いわねえよ」

 トールは言った。

 卑怯上等。れつじようとう

 如何いかなる手段を用いても己の主に勝利をもたらすのが乱破師サバターきようである。戦いに正当もへったくれもある筈がない。

「ならば──」

 だん! と路面を踏み割るかの様な激しい音と共に地をって、巨漢がせまる。

 真正面からのとつげき

 走る勢いをせたそれは、巨漢本来のりよりよくと、さらに剣の重量を加えたものとなる。しかも走り込んでの撃ち込みは間合いを測りにくい。更に──突撃する事により意識を前面に集中するため、放たれる一撃はれつぱくの気合いを注ぎ込んだ、まさに必殺の斬撃。

 たとえ軌道が単純だろうと、真正面からやや低め、よこぎに放たれる一撃は、右にも左にも下にも避けようが無い。そしてかつに跳躍すれば無防備な状態を相手にさらす。

 単純に見えてそれは恐るべき攻撃であった。

 だが──

「まさか卑怯なんて言わねえよな!!」

 叫びと共に回転しつつトールが跳躍。

 彼のすぐ下を巨漢の斬撃が通り抜けた。

 右にも左にも下にも避けられないのならば残るは上のみ。ごく当然の道理だ。

「──しゃっ!」

 鋭く呼気を吐きながらトールは小剣を巨漢の頭上に振り下ろす。

 元より岩をも断ち割るトールの斬撃、しかも身体全体の回転を載せた斬撃は、加速され、当然にりよくが倍加する。

 しかし──

おろかッ!」

 巨漢はさけぶ。

 確かにトールは横薙ぎの斬撃はかわした。だがそれだけだ。空中に在って動き様の無い彼に、巨漢は剣をひるがえしてすくい上げる様な一撃を放つ。どうあっても巨漢の一撃の方が軌道が直線で短い分だけ早く届く。

 届く──筈だった。

「──!?」

 巨漢の体勢が崩れる。

 その時になって彼はようやくさとっただろう。

 黒くられた鋼紐が──己の脚にからんでいる事に。

 トールが先程ばされた片方の小剣。そのつかがしらに取り付けられていた鋼紐が突撃してきた巨漢の脚に引っかかったのだ。トールがわざわざ回転しつつ跳躍したのは、小剣の斬撃を加速する為ではなく、地面に張っていたその紐を巻き取って巨漢を引っかける為だったのである。

った!」

 巨漢の頭上にたたとされる小剣の一撃。

 だが、これを巨漢はあろう事か、己のひだりうでかかげて受けた。


 ──鋼の打ち合う異音。


 トールの一撃は、巨漢の腕を切り落とせず、その太い筋肉の半ばで止まっていた。恐らくは服の内側に鎖帷子チエインメイルを着込んでいたのだろう。戦場においてそれは当然のだ。卑怯と評する様なものではない。

「ちっ……!」

 トールは深追いせず、巨漢の胸に蹴りを入れてそのまま離れた。

 同時に改めて紐を手繰たぐせて壁に突き刺さっていたもう一本の剣をもどす。

 しかし──

「……ぬ……む……」

 巨漢は左腕をだらりと垂らしてうめいた。

 出血と──恐らくは筋肉を大きく切断された為に、腕に力が入らないのだろう。二の腕から先は真っ赤にれ染まり、指先からも紅いしずくしたたっていた。

「──さて」

 トールははさみごとく双小剣をこうさせて言った。

「敵は減らせる内に減らしておく。だったな?」

 さすがに片手であの大機剣をり回すのは不可能だろう。

 まして大量の出血──放っておいても止血するすきあたえなければトールの勝ちだ。

「…………」

 巨漢は顔をしかめると、それでも巨大な剣を担ぐ様にして構えて、こしを落とし──

「まだやるかよ」

「おう。傭兵には傭兵の矜恃があるでな。乱破師サバターには無いのかもしれんが」

「…………」

 トールはいきをついて、双小剣を降ろす。

 次の瞬間──

「──!?」

 ごつりとにぶい打音と共に巨漢の頭部がれる。

 ひびきを立てる様にして地面にしずむその男の背後に──

だいじようか兄様?」

「救助。トール」

 鉄槌を手にしたアカリと、そしてチャイカの姿があった。



『遺体』の手首は問題無く回収出来た。

 夜という事もあって困難を予想したアルベリックとヴィヴィだったが、意外にもすぐに見つかった。一定かんかくで道路沿いに設置されたしよくだい式の街灯が、ぼんやりと光を広げており──とうめいな容器がそれにきらめいていた為だ。

「これが──あの」

 ヴィヴィが興味深そうにその手首をながめる。

「だろうな。さすがに私も本物かどうかのかんていはしかねるけれどね。ズィータかマテウスにたのまねばならないだろう」

 言ってアルベリックは手首をふところから取り出した布で包むと──これを剣とは反対側の腰にしばり付けた。

「──ところでニコライは?」

「あの乱破師サバターを始末する為に残ったみたいですよ」

 とヴィヴィは言った。

「始末って……」

 顔をしかめるアルベリック。

「ジレット様。相手は若いとはいえ乱破師ですよ。それこそにせものを投げてす位はやりかねません」

「……それはそうかもしれないが」

 アルベリックは溜め息をついた。

 基本的に彼は無関係の人間を巻き込みたくないと考えている。そして乱破師であろうが何だろうが、あの少年はよく事情も知らずに、やとわれただけの様に見えた。

「とりあえず戻ろう。上手く行けばニコライを止められるかもしれない」

「ジレット様」

 今度はヴィヴィが溜め息をつく。

 この生粋きつすいの暗殺者はアルベリックのお人好しりにあきれているのだ。

 だが──実の処、この二人はどちらも『ニコライが負ける』という可能性についてはじんも考えていなかった。機剣士ニコライ。その実力は並ならぬものが在る。機剣による精密なこうげきと、ようへいけんじゆつ独自の特異な身体運用術。アルベリックですらもまともにやり合えば勝てるかどうか分からない──としている程だ。

 そして……

「……え?」

 先の、乱破師サバターの少年をとらえた場所に戻ったとき。

「ニコライ!?」

 がくぜんとアルベリックはそうつぶやき、ヴィヴィはわずかに身構えた。

 彼等が強者と認めその敗北など考えもしなかった仲間は──そのきよたいを地面に横たえ、その上にあしを組んだ乱破師の少年が座っていたからだ。

「君が──ニコライをたおしたというのか?」

「さあな」

 乱破師の少年はぶすっとした表情で言った。

ねんの為に言うが、こいつはまだ生きてる」

「…………」

 アルベリックはまゆひそめた。

 乱破師は勝つ為には手段を選ばないという。もちろん──殺人にきんの情など在るはずも無い。ニコライを倒したなら倒したで、そのまま息の根を止めるのが当然だ。

 では──

「……これか」

 アルベリックは腰に下げていた包みを開いて手首を取り出した。

「ああ。悪いな──わざわざ拾ってきてもらって」

 と乱破師の少年は言った。

 皮肉の積もりなのだろうが、表情はしかめ面のままだ。

「あんたらがこいつの命よりもそっちが大事だってんなら、それを返す必要はねえよ。俺はこいつを殺す。手こずったけど、ま──こうなってしまったら、あかぼうの首をひねるよりも簡単だよ」

「…………」

 ヴィヴィが低くうなるのを耳にするアルベリック。

 だが彼は──

「君は、知らないのだったな」

 アルベリックはゆっくりと言葉を選びながら言った。

「何の話だ?」

「彼女の事だよ。君を傭った少女。今は何と名乗っているのか、知らないがね」

「…………」

 乱破師の少年は眼を細めてアルベリック達をえる。

いくら彼女に貰ったのか知らないが、鹿真似まねは止めておくんだ。彼女に協力しても良い事など何も無い。むしろ世界中を敵に回すぞ?」

「そう言われてもな」

 乱破師は言った。

あいまいちゆうしよう的な言葉ばかりじゃ、判断のしようがねえよ」

「…………」

「…………」

 アルベリックとヴィヴィは顔を見合わせる。

 やはりあの乱破師は何も知らないのだ。

 これは重要機密だが──しかし。

「──ガズていこく

 アルベリックは言った。

「この手首は、ガズ帝国こうてい、〈魔王〉あるいは〈禁断皇帝〉などと呼ばれた男の──王にして最強最大の魔法師ウイザード、アルトゥール・ガズのものだ」

「…………」

 しかめ面の上に更に眉を顰める乱破師。

 胡散うさんくさい話だと思っているのだろう。

 アルトゥール・ガズは強大な存在だった。

 ほとんど伝説や神話の領域と言っても過言ではない。人間ではないとまで言う者達も少なくなかったが、いずれにせよ、その存在はあまりに大きすぎて、むしろ普通の人間にはおよそ現実味が無い。

 しかし……

「そして君を傭ったあの銀髪の少女は」

 アルベリックは相手の反応をうかがいながら続けた。

「チャイカ・ガズ──ガズ帝国皇帝の、むすめだ」



 アルトゥール・ガズ。

 の者を指し示す言葉は多い。

『禁断皇帝』『魔王』『不死王』『怪物』『大賢者』『超帝』『戦争狂』……

 そのいずれもが正しくいずれもが誤りとも言える。何故なぜならばただ一言で言い表せる程にその存在は小さくなく、また単純でもない。フェルビスト大陸史上他に類を見ない存在であり、実を言えばあまりに長命かつあまりに強大である事から『個人ではなくガズ帝国の国王そのものを指す言葉ではないか』とまで言われていた位だからだ。

 北方の大国をべる独裁者であると同時に、数々の魔法技術を生み出した大賢者であり、そして長い戦国時代、常にそのちゆうにあって列強諸国を手玉にとり続けた策士でもある。

 特に……魔法技術に関しては、現在のそれのを造り上げたのはちがいなくアルトゥール・ガズであり、魔法が様々な分野で使われている現在の状況をかんがみ、『彼の人がおらずば人類文明はおよそ百年は遅れていた』『ガズ皇帝こそが人類の導き手である』などと評する学者や賢者さえ居る。

 だがその一方で──ガズ帝国をおこす以前のアルトゥール・ガズについては一切の記録が無く、全くの正体不明であり、『アルトゥール・ガズ皇帝そのものの存在が壮大なある種のではないか』と言う者も居る。

 いずれにせよ……

 アルトゥール・ガズ皇帝はそれ程にフェルビスト大陸においては強大な影響力を持っていた存在であり、記録があるだけでも三百年近くにわたって世界そのものの情勢に影響をおよぼし続けて来た。

 しかし……数々の魔法の使し、三百年という歳月にわたってガズ帝国皇帝に君臨し続けた『魔王』もうわさ程に不死身ではなかった様だ。

 ガズてい攻防戦においてアルトゥール・ガズは討ち取られた。

 そして彼の者の死をもつてフェルビスト大陸における戦乱は幕を閉じたのだ。

 すなわち──アルトゥール・ガズはこのフェルビスト大陸における戦国時代そのものをしようちようする存在とも言える。

 当然その影響力は未だに大きい。

 そして…………



「〈魔王〉の──娘?」

 眉を顰めてトールは呟く。

 それは彼にとって全く予想外の一言だった。

 衝撃的と言っても良いだろう。乱破師サバターとしてはつくづく未熟な話だが、おそらくは顔におどろきの相が出ていたに違いない──トールの反応にうなずきながら騎士キヤバリアジレットは続けて来た。

「そうだ。五年前のガズ帝国首都攻防戦の際にアルトゥール・ガズ本人は討ち取られたが、その娘──チャイカ・ガズはびた」

「…………一人で?」

 チャイカはどう見ても十代半ば程、という事は五年前は十歳前後の幼児であった筈だ。

 怪物アルトゥール・ガズが討ち取られる様な現場から、彼女一人が逃げ延びたとは考えにくい。だが臣下の類が協力していたとすれば、どうしてその者達の姿は今──チャイカのかたわらに無いのか。

 ちからきて死んだのか。

 それともチャイカを見捨てて逃げたのか。

 あるいは──


 ──「馬鹿な、貴様は、死んだ筈だ!」


 確かにあの領主はチャイカを見てそう言った。

 それはつまり死んで当然の状況から、せきごとぐうぜんが作用して彼女を生き延びさせたという事なのだろうか。

「その辺の事情は我々も知らない」

 騎士ジレットは言った。

「いずれにせよ我々は彼女を放置しておけない」

何故なぜだ」

 トールは問う。

 彼が見たところ、チャイカはただちょっと魔法が使えるだけの、どんくさい少女に過ぎない。わざわざ騎士だのようへいだの暗殺者だのが寄ってたかって追わねばならない様な存在には思えなかった。

 だが……トールのそんな考えは甘いものであったらしい。

「未だにガズ皇帝のしんぽう者は少なくない。そもそもガズ帝国首都を各国が協力体制をいてめる事が出来たその事自体が、奇跡と言っても良い位だ」

 本来ならば敵対関係にあった列強諸国が……諸事情から、偶然、一時的な協力体制を敷く事が出来た。その結果として実現したのがガズ帝国首都攻防戦だ。恐らく再びガズ帝国が再興されても、列強諸国の同盟は実現しないだろう──と騎士ジレットは言う。

「死して後もあの〈禁断皇帝〉の影響力は大きすぎる。その娘であるチャイカ・ガズを担ぎ上げてガズ帝国を再興しようという連中も居る」

「…………」

「同時に──」

 騎士キヤバリアジレットは手にしたえんとうに視線を向けた。

「そのしようがいが三百年、いや五百年とも言われる〈怪物〉──その遺体は間違いなく強力な魔法念料となる。ちくせきされたりよくは計り知れない。魔法機杖ガンドに組み込めば強大無比な兵器が出来上がる」

 魔法の原動力──魔力とはつまるところ、生物の思念である。

 そして知的生物の死体はその生涯分の残留思念を蓄積しているために、適切な処置をほどこせばそこから魔力を引き出す事が出来る。多くの魔法機関は、物質的に安定しているという事で化石やろうを使う。これらからちゆうしゆつした魔力に術式という形で方向性を定め、魔法師の思念を『種火』として使う事で『ばく』させるのだ。

 多くの場合には棄獣フエイラの化石を使うが……くつから言えば、ぼう処置を施した人間の遺体も魔力の源泉として使い得る。

 あの──手首の様に。

「…………なるほどな」

 確かに領主のあのしきそのものを効果けんないにしていた大型機杖の事も在る。

 単にあれは機杖ガンドが大きいから可能であった訳ではなく、強大な魔法師たる〈禁断皇帝〉の手首があったからこその技術であったという事か。

 だからこそアルトゥール・ガズの遺体は幾つもの部位に分割され、ばらばらに保管される事になったのだろう。その全部を集めればどれだけの魔法兵器が作れるか、ましてそれがガズ帝国再興をもくむ者達の手にわたればどうなるか──その事を騎士ジレットの背後に居る者達は恐れたに違いない。

「分かっただろう?」

 騎士キヤバリアジレットはわずかながらもれた様に言った。

「チャイカ・ガズはこの──ようやく訪れた平安の世に再び戦乱のうずを呼び込むさいやくの種なのだ。彼女に父親の遺体を集めさせてはならないのだ!」



「チャイカ・ガズはこの──ようやく訪れた平安の世に再び戦乱の渦を呼び込む災厄の種なのだ。彼女に父親の遺体を集めさせてはならないのだ!」

 騎士ジレットのさけぶ様な声は──少しはなれた位置に身をひそめていたチャイカと、アカリの処にも届いていた。

「…………」

 アカリが無表情にチャイカの方をかえる。

〈禁断皇帝〉の娘は──くちびるんでわずかにうつむいていた。

やつの話は真実なのか?」

「…………」

 チャイカは答えない。

 ただトールをえんする為にと民家の屋根の上で構えた彼女の機杖ガンド──その杖把グリツプにぎめる指が、ひどく白かった。

 事実だ──と認めた様なものだろう。

「〈魔王〉の娘……」

「……私」

 チャイカはぽつりと言った。

 大陸公用語ではなくガズていこくでも使われていた北方言語のラーケ語である。

「私はただ……ばらばらにされた……父上の遺体をちゃんと集めてとむらいたかった……だけ……そうしないといけないから……そうしているだけ……」

「…………」

 アカリは無言。

 だが確かにチャイカがガズ帝国の残党や支援者とつながりが在るとも思えない。というよりそんな者達に伝手つてがあるならば、わざわざトールやアカリをやとったりはすまい。

 アカリはだ。アキュラの里にはそも家族を知らぬ者も少なくない。孤児を拾い育てて乱破師サバターにする──伝統的にそういう事も行われてきた。

 だからアカリにはチャイカの気持ちは分からない。

 ただ想像する事しか出来ない。

 しかし……

「──兄様」

 トールはどう思うのだろうか。

 アカリは眼を細めて義理の兄の決断を待った。



「……結構なこった」

 トールはつぶやく様に言った。

 だが騎士ジレットの耳には、そしてそのとなりのヴィヴィの耳にも届いたらしい。

 二人はそろってげんの表情をかべた。

「再び戦乱の渦を巻き込む? ──いいな。それ」

 トールは歯をいて笑った。

 騎士ジレットは眼を見開いてうなり、暗殺者ヴィヴィはすべき下衆げすを見るかの様な眼でトールをにらえる。

 だが彼は気にせず言葉を続けた。乱破師としても、無職のごくつぶしとしても、とうされるのにもけいべつされるのにも慣れている。

「戦乱上等だ。もう一度もどしてもらおうじゃねぇか──戦国時代によ」

「君は……!」

 まるで理解不能のじゆかいぶつを見たかの様に、騎士ジレットは表情をゆがめた。

「俺は乱破師だ。こんな平和な世の中、くそらえ──何も出来ずに、何ものこせずに、何も変えられずに、ただ死んでいく為のへいおんなんぞいらねえ!」

 のうを過ぎる幼い日のおく

 死した我が子をささちながら息絶えた──彼女ハスミン

 世界を変えたかった。

 世界に己の存在を刻みつけたかった。

 ただ生まれただ死ぬのではなく──自分が此処ここに居る意味をえて生きたかった。何の為に自分は生まれ、何の為に自分は死ぬのか。その事を全力で追求したかった。

 だから……

「戦乱を望むというのか!」

「おうよ!」

 トールはどうもうに笑う。

 だが実の処……それは理由の全てではない。全てではなくなっていた。

(……それがあいつの生きる目的だというのなら)

 チャイカ。〈禁断こうてい〉のむすめ

 父の遺体を集めて回る──ひつぎ担ぐどくひめぎみ

 たった一人で。全てが敵とも言うべき、絶望的なこの世界の真ん中で。

 彼女はそれでも真っ直ぐに自分の目的を見据えて動いていた。

 それがどれだけ無茶でぼうな事であろうとも──彼女にとってそれはらがない目的で、生まれてきた意味に等しい重さを持つならば。

 それは……

(……かなえてやりたい)

 心底からトールは思った。

 自分とちがい──世界が変わっても、いな、変わったからこそ、まるで揺らがぬ意志。

 それはトールにとってほうも無くまぶしく見えたからだ。

 ゆえに──

「──チャイカッ!!」

 叫びながらトールは飛び出した。

 もうれつな勢いでとつしんしながら彼は──眼を閉じた。

「──!?」

 身構える騎士キヤバリアジレットと暗殺者ヴィヴィ。

 どちらも相当な使い手だ。真っ直ぐ飛び込んでも今のトールに勝ち目は無い。

 しかし……


 ──ばし!!


 きようれつせんこうがトールと騎士ジレット達の間にさくれつする。

 あらかじめチャイカと打ち合わせしておいたほうだ。

眩ませるものザ・ブラインド〉──げんえい系の魔法の発光量を極限まで上げて使ったのである。

 当然、無防備にこれを見た者は、数秒間ながら視界をつぶされる。

 対して──暗夜でのおんみつ行動は乱破師サバターの専門分野だ。音を殺し気配を殺しやみの中を──視界の効かぬ中をわずかな空気の流れと反射する音によって移動する技術がトールにはある。

 当然、眼をつぶっていても相手におそいかかれる程に。

「ぬっ──!?」

 騎士ジレットがけんはなつが、すでにチャイカの魔法の光によって眼を眩まされている彼の動きは、大きく乱れていた。これはヴィヴィも同じだ。暗殺者もトール同様の技術を持ってはいるだろうが、何の前兆も無く炸裂する閃光から眼を守る術は流石さすがに無いはずだ。

 それでもこうげきしてきた二人はやはり大したものだ。

 剣がせんかいし針が飛来する。

 だが視界も利かない状態で放たれたいちげきは、そうほう共に万全の技には程遠い。二人の攻撃はトールのかかげた双機剣がいつしゆんたたとしていた。

「──くっ!?」

 うめく騎士ジレット。

 その彼に体当たりしながら──

「返して貰うぜ」

 トールは彼の手が握っていた『手首』を強引にうばい取っていた。

「ま──待て!?」

 もとを左手で押さえながら叫ぶ騎士ジレット。ヴィヴィは反射的に投針を構えて──しかし動かない。眼が眩んだ状態で針を放って、仲間に当たる事をおそれたのだろう。

「待て、君は──」

 なおも叫ぶ青年騎士。

 だが──トールはわきもふらず、彼等を背にしてけ続けた。



 いざとなると持ち出す荷物はほとんど無かった。

 愛用の武器と道具。他には衣類を少し。そして最低限の金銭と。

 全部をかばんめて背負ってもチャイカの棺程、おおなものにはならなかった。

「──アカリ?」

「こちらも荷造りは済んだ」

 アカリの方も似たようなものだ。

 血の繋がらぬ妹にうなずくと──トールは改めて確認する様に言った。

ねんために言うが。お前は別に付き合う必要は無いんだぞ?」

もんだな兄様」

 アカリは首を振った。

「私はどこまでも兄様といつしよだ」

「……アカリ…………」

「兄様に──」

 アカリはれいに整ったその顔で静かに言った。

「知らぬ処で死なれてははくせいに出来ないではないか」

「死ぬ時はそうぜつばくしてやる」

 唸る様に言うと、トールはいきを一つついて家を出た。

 未だれいめいにも至らぬ暗い早朝風景──冷たく冷え切った空気の中に、棺を背負った少女は独りぽつんと立っていた。

「そんじゃ、行くか」

「──む」

 声をけると、チャイカはかえってこんわくの表情を浮かべる。

「トール。アカリ。何故なぜ?」

「顔──領主に見られたしな」

 とトールはかたすくめる。

「どっちみちこの街にはもう居られない」

 領主の館にしのび込むどころか、領主と一戦交えた挙げ句、どうやら列強諸国から特別任務を授けられた連中とまで事を構えてしまった。とてもではないがこのデルソラントの街に留まる訳にはいくまい。

「なら旅のついでに、あんたの──お前の『仕事』を手伝ってやるさ。格安でな」

 何処どこに行くアテがある訳でもない。

 ならばチャイカの行く方向と同じでも構わない。

 彼女はどうやらそれなりに金銭を持ち出してきている様で──一緒に行動していれば少なくともえる事は無いだろう、という現実的な打算も在った。

 それに──

「でも。私」

 うつむくチャイカ。

 自分のじようについて──やはり気にしているのだろう。

「〈禁断皇帝〉の……」

「言ったろう」

 トールはおおかぶせる様に言った。

「戦乱上等だ」

「…………」

「お前についていけば──世界は変えられるかもしれない。クソ下らないり返しの平穏じゃない、俺の生きてきた意味を見いだせる様な、こんとんと変化に満ちた世界に、変えられるかもしれない。だからそれは、俺にとって望む所だ」

 何も出来ずに死んでいくより。

 たとえあつののしられ下衆とあざけられようとも。

 自分の生きたあかしをこの世界に刻む──

「チャイカ」

 トールはぎんぱつの少女に向けて手をべる。

「俺は行くぜ。行ける所までな。お前はどうする?」

「…………」

 チャイカはトールを見て。

 次にアカリを見て。

「……うむ」

 アカリも頷いて見せる。

 そして──

「──うぃ!」

 ぱっと表情をかがやかせると、チャイカはトールの手をとった。


〈禁断皇帝〉の娘──チャイカ・ガズ。

 乱破師サバター兄妹きようだい──トール・アキュラとアカリ・アキュラ。

 その日、黎明と共に彼等はデルソラントの街を出た。

 世界を再び戦乱に巻き込む──その旅へと。

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