第三章 幽霊令嬢と皇帝陛下と私④


(…………まぶしい)

 ろうも十分明るかったはずなのに、謁見の間はさらに明るい光に充ちていた。

 帝城のシャンデリアは、灯火なくしてかがやくとぎんゆうじんが歌うそうだが、なるほど、シャンデリアに使われている吉祥紋様にカッティングされた宝玉に、光の精霊がたわむれている。光源などなくとも十分すぎる明るさだった。

 昔から伝わる縁起が良いとか幸運を運ぶなどと言われている紋様や意匠というのは、精霊達の気を惹くものだ。その結果としてちょっとした加護だったり、それに類するものを得ることができる。

(それをもっと複雑化すると、魔法陣とか魔方陣になるんですよね)

 ここのお城は私の知らない吉祥紋様や意匠の宝庫だ。それを覚えることができれば、きっと面白い陣をえがくことができると思ったら、ビビにいつもおこられているこうしんのようなものがムクムクと大きくなる。

(リルフィア姫でいる間に、ここにはまた来る機会がありますよね、きっと!)

「…………ここまででございます」

 マラガ夫人は私がそんなことを考えているとはつゆ知らず、頑張ってくださいと小声でささやくと、そっと手を離した。

 身分によって皇帝陛下に近づける距離が決まっている。謁見の間ではそれをとうかんかくに並んだ柱で示していた。彼女の身分で付き添えるのはこの黒曜石の柱までだ。

 そして、柱の間には正式な謁見に必ず従うことになっている大臣職にある男性が全部で五人立っていた。

 大臣だとわかったのは、彼らが大臣職に在る者しか身につけられないいろの裏打ちのされたマントを身につけていたからだ。

 大臣の席は十一あるが、すべての椅子がまっていることは少ない。うち三人以上が従うことで正式な謁見とされ、五人が同席するというのは最上級の格式だった。

(さすが筆頭選帝侯家のお姫様です…………ここまでていちょうに扱われるのですね)

 フィアリス選帝侯家の格式の高さに少し感心しながら、床の上をすべるように足を進め、作法通りにすいしょうの柱────玉座から約三ロドル三メートルの距離まで近づいて立ち止まった。

 そして、ドレスのスカートを軽く持ち上げてこしかがめ、静かに頭を下げる。

(…………腹筋が!!)

 どうめつけるコルセットにこの帝国式の礼が加わると、ちょっとしたごうもんだと思えるくらい腰とももと腹筋にがかかる。

「フィアリス選帝侯家が娘、リルフィア・レヴェナ゠ヴィイ゠アルフェリア・フィアリスでございます。はいえつえいたまわきょうえつごくに存じます」

 か細く聞こえるように、が消え入るような話し方で帝国式の作法に従って名乗った。

(内気なお姫様は、決して説法をするように声に力を乗せてはいけません)

 頭のかたすみで自分に注意をうながしながら、言葉をつむぐ。

 内気で虚弱で引きこもりであるリルフィア姫は、どう考えても私とは真逆なお姫様だけど、演じることは可能だ。

 声の出し方やしぐさ、歩き方…………そのあたりに気を配れば、そういう印象をつくることは難しくない。

「余が、レクター・ラディールである」

 それは、力ある声だった。

 決して張り上げているわけではないのに、しっかりと耳に届く声────その強い響きには、ひざを折ってこうべを垂れたくなるようなおごそかさがあり、まるで頭上から降ってくるようにも聞こえた。

 そんな風に聞こえるのは、聖堂でも使っている建築技法で声をはんきょうさせているせいで、これは壁の装飾と天井の高さに秘密がある。

(────それがわかっているのに、どうしようもなくかれる)

 その声に従いたい、と自然と思えてしまう。

 意志の弱い者であれば、この声に強く命じられたら逆らうことができないだろう。

(だってこれは、王者の声だ)

「…………おもてをあげよ」

 私はゆっくりと顔をあげ────そして、五段ほど高くなった位置にえられた玉座に座すその人を見た。

 ヴォリュート帝国第八十三代皇帝レクター・ラディール゠ヴィイ゠フェイエール・ヴォリュート陛下。

 帝国の帝位選定選の慣例に従い、決闘により力ずくでその帝位を得た方だ。しかもこの方は決闘に代理人を立てず、ご自分で闘って勝利をもぎ取ったという帝国最強の武人であるという。

 あっとうてきな存在感と輝きが、目を逸らすことを許さない。

 ゆうぜんと玉座に座す様子は、いかにも大国の皇帝陛下らしかった。

(この方がどんな格好をしていたって、私はもう絶対にちがえないわ)

 それほど彼の光はとくちょうてきな色をしていて、目がかれそうなほどの輝きを放っている────まるで、燃えさかるほのおそのもののたましいを視てしまった気がした。

「その美しい顔容かんばせを拝むことができぬのは残念だが、極度に内向的な気質であるためとさいしょうより聞いている。我が名において、どのような席であっても姫がヴェールを纏うことを許可する」

 どこか面白がるような表情で玉座から私を見下ろした皇帝陛下は、とってもありがたいことを言ってくれた。

(素晴らしい根回しです、お義兄様!)

「…………おこころづかい痛み入ります」

 弱々しさの中にほんのわずかなよろこびをにじませて一礼し、そのままぜんから下がろうとした私に、まさかの声がかけられた。

「いや、礼にはおよばぬ。…………さて、俺の今日の仕事は、そなたとの謁見が最後だ」

 玉座から立ち上がった皇帝陛下の、その燃えさかる焰のような赤い髪がさらりとかたぐちからこぼれ落ち、思わず目を奪われた。

「…………はい」

 彼が何を言い出したのかわからないまま、私はただ小さくうなづいた。

(…………え? この方、今、〝俺〟って言いませんでした?)

 立ち上がった皇帝陛下は、キビキビとした身のこなしで段上から降りてくる。

(え? え? ちょっと待ってください。何でこっちに近づいて来るんです?)

 あわてた私はその場で再び足を折って腰を屈め、頭を垂れた。

 本心を言えば、即座に逃げ出したかったけれど、今の私はリルフィア姫の身代わりなので滅多なことができない。

「お待ちくだされ、陛下っ」

 大臣のだれかが声をあげる。

「陛下、フィアリスの姫君はこんの淑女であらせられますっ」

(え? 何をしようとしてるの?)

 私は思わず顔をあげた。

 ニヤリと笑った皇帝陛下の顔を驚くほどの至近距離で見てしまう。

 ほのおがチラチラとれるかのように見える赤毛の毛先がいっそう燃え盛った。

(…………ああ、これ、魔力が多すぎて燃えてるように見えるんですね)

 ぼんやりとそんなことを考えてしまう。

「姫君、俺は宰相に用がある。……姫君も宰相の元に向かうのだろう? 俺が連れていってやろう」

「…………え?」

 一瞬、反応が遅れたのはしょうがないと思う。

(…………陛下って女性に気安い人でしたっけ?)

 いや、そんなことあるはずがないとそくに否定した。

 レクター・ラディール陛下は、女性をはなでることはあれどおぼれることはなく、そのおん近くに決まった女性を寄せることがないというのがよく知られている話だ。

 ほどほどの色を好むけれど溺れることがない、というのは王者の大事な資質だと誰かが言っていたような気がする。

 そして陛下のお相手について最も大事なこと────この方は乙女おとめには手を出さないと言われているのだ。

 ヴェールの中を覗き込むような至近距離に、底に金を帯びた緋色のひとみがあった。

「…………あ…………」

 目が合ったしゅんかん、くらりと視界が揺れる。

(…………誰? あなた? 私? ビビ! ビビ、助けてっ!)

 何かが…………己の中の閉ざした扉をこじ開けようとしている、私の奥底で何かの存在がうごめいた。

 それにきょうした私は、助け手の名を呼ぶ────いつだって私を助けてくれる私の運命共同体の名を。

 遠くでゆらりと揺れる気配────だが近くにはいないのだと理解した。

(…………どうすればいい?)

 こんな時、どう行動するかなんて誰からも教わっていない。だから、自身で考えて対処しなければならない。

(わ、私…………)

「陛下っ! ご無体は! どうかご無体はおやめくだされ!」

 大臣の誰かだろう。老人が必死に皇帝陛下を止めているようだった。

 でも、私のじょうきょうには欠片かけらも変化がない。

(ばか! もっとちゃんと止めて〜)

 老人の悲鳴にも聞こえるような声音とついでに私の心の声を、当の皇帝陛下はほがらかに笑い飛ばした。

「ははははははっ。……ノーレルは何をそれほど心配しているのだ。俺がエリアスの義妹に無体など働くはずがなかろう!」

 ものすごく間近で大音量のしょうせいを浴びる。

 耳が痛いのと何が起こっているのかわからないのとで、頭の中が真っ白になった。

「安心するがいい、ここは俺の城だ。姫君のたるエリアスもいる。だと思ってゆるりと過ごすが良い」

 ははははは、と明るい笑い声が天井にまで響いて聞こえるけれど、私にはまったく意味がわからなかった。

 自分を落ち着かせ、置かれている状況をあくする────視界が揺れているのは、あろうことか皇帝陛下に抱きかかえられているからなのだとわかった。

(…………これは、十分無体なのでは?)

 それとも、帝国ではこれは許されることなのだろうか?

 問いただしたくとも、教えてくれるだろうビビはここにいない。

「陛下っっ!! その御方は、宰相閣下のこんやくしゃにございますっ!」

(もっと言って! これを止ーめーてー!!)

 わりと雑にかかえられているせいでグラグラと視界が揺れる。己の身長では見ることがない景色だったけれど、それを楽しむ余裕なんてあるはずもなかった。

「…………ははははは、姫君、そう硬くならずとも大丈夫だ。姫君は驚くほど軽いからな。俺はこんなにも軽い姫君を落とすほどひ弱ではない」

 何を言っているのだ、と思った。

(違うっ! 私が軽かろうが重かろうが、落とさないなんてのは当然のことなんだから!)

 持ち前の利かん気が首を持ち上げた。

(…………よく考えなさい、私。どう対処するのが正解なの?)

 皇帝陛下をなぐたおす……あるいは、め落とすのは最後の手段だ。

(ビビ〜〜〜!)

 心の中で半べそになりながらその名を呼ぶ。

『…………いきなり何なのよ! あわれっぽい声で呼ぶんじゃないわよ!』

 たぶん私があんまりにも必死で呼んだから、強制的に引っ張られたのだろう。目の前にビビが現れた。

「たーすーけーてー」

 私はふわふわと浮いているビビに手を伸ばす。

『あなたねぇ、何やってんの? この男、何なの? もしかして、ゆうかいされそうになってるの?』

(わかんないの。謁見のご挨拶をしたら、なぜかこんなことになってて…………ビビ?)

 私を抱えている陛下の顔を見たビビが、こおりついたように動きを止めた。

『…………ディール?』

 ビビのくちびるが知らない音を紡ぎ…………そしてビビは、そのまま再び私の中へと姿を消してしまった。

(何なんですか!! これ! ビビ! ビビってば!!)

 ビビの気まぐれはいつものことだけど、そのとうとつさに違和感がある。私の必死の呼びかけにもビビは応えてくれない。

(……ディール? ええっと、陛下のラディールのあいしょうでしょうか? もしかしてビビ、皇帝陛下と面識があるの? ああ、でも、ビビが閣下の義妹姫の従姉妹いとこだっていう私の推測が合っていれば、ありえないことではないですけど…………ねえ、ビビ? どうしちゃったの?)

 私の言葉が聞こえているのかいないのか、ビビは返事をしない。

(確か、ビビは私が生まれた年に死んだのだと言っていたから、生きていれば三十をえているとして……皇帝陛下とは同年代なのか。ってことは、選帝侯家の子供同士知り合いでもおかしくはないわけで…………あ、このすきに腕の中から降りちゃおう!)

「陛下、失礼いたします」

 何やら動きが止まったので、その腕の中からそうとすると、はっとした陛下は、まるで私をがさないとばかりに反射的に腕に力をこめた。

「……っぐっ」

 成人したばかりのか弱い少女は、倍くらいのねんれいの帝国最強の武人である男に、まるでぬいぐるみにすがるかのように力強く抱きしめられた結果────。

(…………くるし…………)

 しゅんさつされるがごとき容易たやすさで、私の意識はくらやみの中へとたたとされた。

「ぎゃああああああああっ、陛下、姫君をお離しくだされっ、御身の力で抱きしめたら死んでしまいますっ!」

「姫君っ、意識をしっかり!」

「陛下、その手をお離しなされよっ」

 遠ざかる意識の向こうできょうかんさわぎが起こっていたようだけど、ほぼ一瞬で意識をり取られた私は、目を開くことはなかった。

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