プロローグ


 覚えているのは赤。

 

 視界一面をおおきょうぼうなまでに美しい色――――赤、あかあかあか、あか、アカ……らめくしゃっこうがすべてを吞 の み込もうとしていた。


(……ほのお……)


 あらゆるものが焼かれ、あるいはかれ、空気が――――せいれい達が悲鳴をあげているのがこえていた。

 くるほのお――――それはほのおの精霊のらんであり、灼かれ続けている風の精霊のまつの……死のとうだった。

 きつける熱風にはだが灼かれるかのようなさっかくいだき、呼吸するのすらままならない中、 よろめきながら進んだ。


(……あし……いたい……)


 ほんの十数歩先で物言わぬ人のかたまりが炎に巻かれ、さっきまで聞こえていたはずのだれかの泣き声がいつの間にか聞こえなくなっている。

 どれほど足に痛みを感じようとも、ここで立ち止まってはいけないことだけは理解していた。

 何が起こっているのかはわからない。

 でも、見たことないほどの数の精霊達がそうらんする様を見れば、幼心にもとてつもないことが起こっているのだと感じ取れた。

 キィ――――――ンという空をくかのような不協和音――――初めて聴いた音だったけれど、それが精霊達のさけごえだというのも、おのずと理解していた。

 不安で、こわくて……でも、助けてくれる人はどこにもいない。


(だって…………) 


 ここは知らない場所で、生ある人は自分以外誰もいない。

 目のはしに、少しでも自分を安全な場所に導こうとしている小さな精霊達がえた。

 だから、無中で足を動かした――――ここにいてはいけないのだと、みなが口々に叫ぶから、必死に火の粉が降り注ぐ中をよろめきながら走った。


「……あっ」


 何かにつまずいて転び、転んだ先に見知らぬ人の亡骸なきがらを見つけて息を吞む。

 身を起こしながらも背筋がふるえて止まらなくなり、なみだがこぼれた。


(……たすけて……とうさま……かあさま……)


 父と母を呼んでも無意味だと、頭のかたすみでは理解していた。

 両親をくして季節は三回変わっている。いまだ本洗礼を受けるねんれいには足らずとも、彼らがもうどこにもいないことを理解するには十分な時間がっていた。


 すぐ近くにせまってきた炎のせいですすけてしまった小さな風の精霊が、早くここをはなれようと言わんばかりにけんめいかみを引っ張っている。


「……うん……」


 震える足で立ち上がる。


(……たすけて、おとうさま……)


 心の中で養父となった人を呼んでみたけれど、一度しか会ったことのない男の顔を思い出すことは難しかった。

 代わりに思い浮かべたのは、となった少年のことだ。

 そっと左耳のみみかざりにれる。義兄と一つずつ分けたそれは大切なまもりだ。


(……おにいさま……)


 そうめいな義兄は、自分と同じ銀色の髪をしていて、年の離れた自分にも目を合わせて話してくれるやさしい人だ。

 それだけではない。

 一つ屋根の下で暮らしているのだから、と、できるだけいっしょに食事をとってくれたし、よく遊んでもくれた。


(……たすけて……おにいさま……)


 でも、義兄は今、はるとおていにいる。応えてくれるはずもない。


(……おにいさま……)


 涙がこぼれる。

 自分が、この炎の中でただ独りであることを理解していた。

 それでも、の人を呼ばずにはいられなかった。そうやって義兄を呼んでいる間は、まだ足を進めることができる。

 このしょうの中で自分が生をつないでいるのは、精霊達の加護があること――――そして、おのれがまだあきらめていないからだった。

 ぐいっと髪を強く引っ張られて足を止める。

 焼けた建物のいしかべが音をたててがんぜんに落ちた。


「……っ !! 」


 その勢いと大きさに目を見張り、足が震えた。

 あと一歩前にしていたら、きっとそのしたきになっていただろう。


(もうやだ……たすけて……だれか……)


 空気は熱できしみ、そこら中で炎が荒れ狂っている。

 それは誰かのいかりだった。

 ふん――――あるいは、げきあふれんばかりの怒りがち、その怒りが死を呼んでいた。


(…………どうして…………)


 どうしてこんなことになっているのかわからない。

 でも、自分はこの怒りに吞み込まれてはいけないし、おそろしさにとらわれてもいけなかった。


(わたしには、せいれいのかごがあるから……)


 自分がこの怒りに吞み込まれれば、正気を保っている精霊達も荒れ狂うことになる。それはさらなるさんのはじまりであり、今以上の死を呼び込んでしまうにちがいない。

 踏みしめたあしもとが揺らぐ――――地面が大きく揺れた。


(…………っ!)


 もうだめだ、と思ったのと、その声が耳に届いたのはほとんど同時だった。


『…………ねえ、助けてあげましょうか?』


 すずやかな声が聴こえた。


「助けてくれるの?」


 そのしゅんかん、折れかけた心が力をもどした。

 救いの手が差し伸べられたからというだけではない。

 一人ではない、ということが、己の中に小さな光をともしたのだ。


『ええ、もちろんよ』


 その答えとともに、ふわりと空気が揺らぐ。

 炎の支配する空間が軋み、そこに、光が降り立った。

 それは、まるで光のしんのように…………あるいは、光そのもののように見えた。


「…………あなたは、だぁれ?」


 夜のやみの中、ゆるやかに波打つ金色の髪がこぼれる。炎の照り返しを受け、まるで光を発しているかのように見えるその姿…………やや赤みを帯びた むらさきひとみんだ。


けいやくしましょう。銀とあおの――――精霊王の加護を持つひめ

 

 精霊というにはその姿形はとてもはっきりしていて、とても人間に近かった。


(……でも、ひと、ではない)


「…………あなたは、なに?」

『私? …………そうね、私は……たぶん、ゆうれいなんだと思うわ』

「ゆうれい?」


 聞き慣れない単語をかえすと『なげきの乙女おとめ』だと精霊がつぶやいた。

 それは、清らかに生を終えたにもかかわらず、生前果たすことができなかった強い願いゆえに天にかえることができない乙女達のことだ。 

 よくわからないという表情をした私に、目の前のその人は軽くかたすくめた。


『まあ、いいわ。……それよりも、さっさと契約をしましょう。…………ここは危ないし、 この火をしずめなければならないわ』


「……けいやく?」


『ええ。…………あなたには力がある。そして、私には知識が││││界をえた知識がある。私はあなたに私の知識をあたえるわ││││だから、あなたは私に力を貸して。そうすれば、きっとこのごくを終わらせられるから……』


「わたしに、できる………?」


『ええ…………だって、あなたは■■■■■だから』


 かんじんなところが聞こえない。

 でも、この炎を鎮めることがかなうのなら、きっと何でもできると思った。


『私の名は、ヴィヴィアーナよ。ヴィヴィアーナ・リオーネ゠アルフェリア。ビビと呼んで』


「わたしは…………」


 自分にも呼ばれている名はあった。正式な真名もある。

 けれど、洗礼前の身では名乗ることができない――――名乗ってはいけないと教えられているからだ。

 ヴィヴィアーナは、しーっとくちびるの前に指を一本立てた。


『…………わかっているわ。私はアルフェリアだと言ったでしょう』


 わたしは、それが何を意味するのかを知っていた。

 ああ、そうか……と、幼いながらもなっとくができたのだ。

 だから、いざなうようにべられたその手をこばまなかった。

 半分けた真っ白な指先と、煤や土でよごれてしまった己の指先が触れる――――本来ならば触れることなどできないはずの手がしっかりと重なった。


『…………やっぱり』


 何がやっぱりなのか告げぬままヴィヴィアーナは笑って、短いじゅもんを唱える。


(…………あ…………)


 ズルリと身体からだの中身が引きずり出されるような不快感がこみあげた。


『ごめんなさい。幼いあなたにはつらいかもしれないわ……』


 言うのが遅いと思ったものの、言葉にすることはできなかった。今口を開けばきっと、おうしてしまうだろう。

 そうならないよう小さな身体をぎゅっと縮こまらせてしゃがみ込んだ――――ぎゅうっと強く、すべてをうちに押し込めるように。


『ごめんなさい。あなたにばかり負担をいて…………でも、幽霊の私にはりょくがほとんどないの。ごめんなさい』 彼女は、何度も繰り返し謝罪を口にする。


「…………いい」


 この炎の世界が鎮まるのなら、まんできる。


「だから……はやく……」


 この炎を消して、と言葉よりもゆうべんに物を言うまなしを向けた。


『……ええ。ええ、任せて』


 いっしゅん、目を見開いてこおりついたように静止したヴィヴィアーナは、ぎこちなく何度もうなづいた。

 そして、深呼吸を一つすると再び流れるように言葉をつむぎ出す。


(…………うた、なのかな)


 その美しいひびきが周囲の空気をえてゆくのがわかった。

 不快感をこらえながられていると、まるで最後の仕上げをするように彼女は自由な方の手で空にいくつかの図形をえがく。

 次の瞬間、耳元で叫ぶような精霊達の悲鳴がして顔をあげ…………頭上からものすごい勢いで降り注ぐ炎が目に入った。身体が凍りつく。


『……だいじょうよ。目をつぶっていて』


 なおにその言葉に従って目を閉じると、ポツリと冷たいものがほおに落ちる。


(…………みず?   ……ちがう、あめだ…………)


 次から次へと落ちてくるすいてき…………それは天から降り注ぐめぐみの雨だった。

 おおつぶの雨が、ものすごい勢いで落ちてくる。


(…………つめたい)


 それを気持ちよいと感じていたら、ふわりとき上げられるようにして身体がかんだ。

 ひどくこころもとないその感覚が、その夜の最後のおくとなった。

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