一節 修羅異界 一.柳の剣のソウジロウ

 これは、一人目の話だ。

 とおかぎづめのユノにとってのそれは、同窓の友人、リュセルスの記憶から始まる。


 リュセルスは美しい少女だった。陽光に流れる銀の髪。整ったまつげからのぞく、切れ長のみどりの瞳。人間ミニアなのに森人エルフ血鬼ヴァンパイアよりも魅力的で、同じ女のユノが見てもそう思えるほど、養成校の中で──それどころか彼女の住むナガン市の中で、誰よりも輝いて見えた。


 だから級分けのはじめ、じゅつの授業中にリュセルスが教えを請うてきた時、ユノは内心の喜びを抑え切れなかったものだ。

 じゅつの中では多少、りきじゅつの分野を得意としてきたユノにとって、多くの同級生の中から彼女が自分を見つけて、ユノの唯一の取り柄を認めてくれたことは、初めての誇りだった。

 生来の少ない口数を振り絞って、ユノは彼女と話した。

 話してみると、リュセルスも華やかな見た目からは意外なほど臆病で、成績が悪い事に悩んだりもする、普通の少女だった。しかし彼女の話し方はいつでも思慮深く、優しく、ユノの憧れが裏切られることはなかった。やがて植物学の分野で驚くほど話が合うことに気付いた。

 彼女らはいつしか一緒に行動することが多くなって、新しく見つけた星の名前や王国の併合の話、おもいを寄せる男子候補生について教え合ったりもした。

 ナガン市は、だいめいきゅうを中心に発展した新興の学術都市である。この市には複雑な生い立ちを持つ者も多い。遠く親元を離れて探索士養成校まで志願したリュセルスにももしかしたら、ユノの知らない何か複雑な事情があったのだろう。

 けれどそういった話に踏み込まなくとも、二人は友人でいられた。


 魔王自称者キヤズナが作り上げたナガンだいめいきゅうには、二人が大人になってもきっと掘り尽くせないほどの無数の秘密と遺物が残されている。この市ならば、どのような過去の者にも、どのような身分の種族にも、栄光をつかむ道がひらけているのだ。

〝本物の魔王〟が死んで、恐怖の時代は終わった。破滅におびえる必要もなくなったこの時代なら、未来にそんな夢を見ることだってできた。


 ──その未来が今だった。


「かはっ」

 炎に包まれたナガン市の石畳の上に、リュセルスの体は踏みにじられていた。

 彼女の細い背を見下ろしているのは、緑を帯びた金属光沢の、うつろなきょよろいだ。太く重い四肢。頭部はそのほとんどが胴体に埋まっていて、青い単眼の光だけが見える。歯車仕掛けの機魔ゴーレム

「あっ、ぎ」

 リュセルスの美しい腕はユノの眼前で無造作に二回りひねられて、ブチブチと裂けた。

「リュセ、リュセルス……」

 それがユノではなくリュセルスだったのは、ただの偶然でしかなかった。リュセルスが左側を逃げていたから、石路地の左から飛び出してきた機魔ゴーレムに彼女が捕まった。

 刃も通さぬ重金属の装甲で鎧われた機魔ゴーレムには、馬の胴をも捻り切る力があるのだという。ただの少女二人には、立ち向かうことはおろか、逃げ延びることも不可能だった。

 それが全てだった。

「嫌! そんな、嫌ぁっ!」

 ユノは叫んだ。美しいリュセルスの肩の付け根から覗いた醜い骨と肉を、見ていることしかできない。ろっこつごと肺を押し潰されたリュセルスは、末期の悲鳴も上げられずにいるようだった。

 リュセルスは、かすれる声を吐いた。

「痛い……いっ、う……ああ……」

 親しい誰かが死にゆく時、自分が無力であること以上の絶望が、この世にあるのだろうか。

 ──ああ。それとも、絶望ではなかったのか。

 最後の言葉が『助けて』という懇願でなかったことへのあんを、一片でも抱きはしなかったか。

 大好きだったリュセルス。誰しもの憧れだったリュセルスは……

 そのまま、左脚も根元から引き抜かれた。まるで食肉みたいに脂肪の膜が糸を引いて、もがいていたしつかんせつは、だらしなく垂れた。

 機魔ゴーレムは何ひとつとして感情を見せず、他の市民をことごとくそうしたように、ユノの崇拝する美しいリュセルスをも、生きながら解体した。

 華やかな見た目からは意外なほど臆病な、普通の少女だった。

 リュセルスのもんの断末魔を聞きながら、ユノはぐしゃぐしゃになったナガン市を逃げた。

「ああ……! うあああああああああ!」

 走る景色が、ゆが陽炎かげろうに溶けて流れていく。

 意識すら手放した捨て鉢の逃避の中で、街をはいかいする機魔ゴーレムのどれかに一度も捕らわれることがなかったのは、天の与えた不運だったのかもしれない。

 傷だらけの足がついに歩みを止めた場所は、いつかリュセルスと休日に通った思い出の丘の上である。

 汚れた血が、顎を伝って落ちた。ズタズタにほつれた三つ編みを気にかける余裕すらなかった。

 ──ナガンめいきゅう。町の中心にそびえる鉄と歯車の仕掛け迷宮のまわりを、しんちゅう色に縁取られた商店や学校が取り巻いた、学問と工芸の市。

 この丘の上で、緑に茂る木々の枝の合間から見えた光景は周囲の自然とは別世界のようで、けれど不思議なほど調和の取れた、素晴らしい景色だったことを覚えている。

 もはや何もない。都市も、草花も、全てが燃えていた。残酷な炎の内には、まだ動き回る影がある。燃えることのない、無慈悲な機魔ゴーレムの群れだった。

「……ねば、よかった」

 変わり果ててしまったあらゆる全てに、ユノはぼうぜんつぶやく。

 あの炎の中に、リュセルスがいた。小麦屋のミラー小母おばさんも、同窓のゼンドも、あんなに強かったキヴィーラ先生も、森人エルフのメノヴも、盲目の詩人ヒルも、皆がいた。

 彼女は頭をむしった。

「わ、私も……引き裂かれて、死ねば、よかった……!」

 何も分かっていなかった。誰一人、何も分かっていなかったのだ。

 あの〝本物の魔王〟の出現によってかすんでしまったとしても、かつて魔王を名乗っていた者達──魔王達もまた、人を脅かす最悪の脅威で、魔王だったのだと。

 ……魔王自称者キヤズナが作り上げたナガンだいめいきゅうには、きっと二人が大人になっても掘り尽くせない秘密と遺物が残されている。

 まさしくその通りであった。この日、かつてない規模で機魔ゴーレムを生成しはじめただいめいきゅうによって、午前が終わるより早くナガン市は滅んだ。

 なぜ、なんのためにと、理由を考えることすら許されなかった。そうすることができたはずの教授達は教員棟から出ることもできず、真っ先に焼け死んだ。

 ユノやリュセルスにとって雲の上の存在だった正規の探索士達は、虫よりも群れる機魔ゴーレムの軍勢を前にして、信じられないほど、ただ死んでいった。一級生も、二級生も。ユノの背丈の半分すらない二十四級生に至るまで、生きたまま解体されて死んでいくのを見た。

「もう……もう……嫌だ……」

 しげみの中に、機魔ゴーレムの青い眼光がある。こんな街の外れにまで。ユノのように、心折れた少女すら。

 今は、ユノの左を歩くリュセルスはいない。同じように死ぬのだと悟った。

「嫌だ……【ユノよりフィピケの鏃へuno io shyipice軸は第二指un2 lino──】」

「ジッ」

 無機質なきしみ声とともに、機魔ゴーレムの突進が地面をえぐった。

 その時には叫んでいる。

「【──格子の星corro enuha爆ぜる火花8dihine回れviradma!】」

 袖の内から、研ぎ澄まされた鉄のつぶてはじけた。素早く、円を描く軌道で、機魔ゴーレムの装甲の間隙へと突き刺さった。

 金属の擦れる、鳥のさえずりのような命中音。キュイ。キチキチキリ。

「ジ、ジリ、ジ……ギッ」

 それが機魔ゴーレムの内側のどこか致命的な部分をいて、巨体は停止した。

 機魔ゴーレムは精巧な機械仕掛けの人形だが、それに命を与えているのは、一体ごとに異なる位置に刻印された、命のじゅつだ。それは授業で習って知っていた。

 ……けれど今しがたのユノの芸当は、奇跡的なまでの偶然だった。狙いをつけたわけでもない。ひどく捨て鉢な、苦し紛れのりきじゅつに過ぎなかった。

 彼女は、自ら研いだ礫に、速度の力を与えることができる。二つ目の名は、とおかぎづめのユノ。

「なっ、なんで……なんで!?」

 自らの技で命を取り留めたユノはむしろ、当惑と絶望に後ずさった。

 じゅつの中でも、少しだけりきじゅつの分野が上手うまい。それだけが取り柄だった。

「なっ……なんで、こんなので、死ぬのよ!? ……あの時、ひ、助け……助けられたじゃない!」

 リュセルスの時にはそうできなかったのに。

 彼女と同じように引き裂かれて死ぬことだけが償いだとすら思っていたのに、今、生き残るために術を使っている。

 なんと浅ましく卑しい、とおかぎづめのユノ。あのリュセルスへの友情さえ、その程度だったのか。

「もう嫌……あああああ……! リュセルス……」

 両手で顔を覆って、傷だらけの裸足はだしで、ユノは再び逃げた。

 火の手が回りつつあるこんな森のどこに隠れたとしても、恐ろしい機魔ゴーレムに行き当たるに違いない。それでも、この罪と後悔を背負ったまま生きることだって、変わりのない地獄ではないか。

 ……果たして、木々を抜けた広場にも、六体の鉄の巨兵が彼女を待ち受けている。

 悲鳴とともに、礫の弾丸を撃つ。しかし奇跡は二度起こることはなく、それらは尽く鎧の曲面に弾かれた。ユノがあらがう術は、もはやどこにもなかった。

「ジ」

「ジジジ」

「ころ、殺しなさいよ……ねえ……私が何を言っても、あなた達は私を殺すんでしょう! だから、何もかも私の望み通りになるのよ! 死ぬのが望みだもの! そうよ、私は……!」

 ユノの支離滅裂な言葉を当然のように無視して、死神の群れは動いた。

 ナガンだいめいきゅう機魔ゴーレムに刻み込まれた行動指令は極めて単純なもので、視界に捉えた動くものへと向かって、それを解体するだけだ。

 六体の機魔ゴーレムはそのようにすべく、前傾の姿勢を取った。


 ──それと同時、一番右側の個体が、土に滑り落ちた。腰から上だけが。

 ざくり。

 燃える落ち葉が散った。

 機魔ゴーレムの腰から下は、直立したままだった。重く厚く、刃も通さないはずの装甲が、胴の部分でれいな横一文字に切断されていた。


「え……」

 木々の合間で、何かが揺らめいたように思えた。錯覚のごとき速度は果たして、光か。影だったか。

 その不可解を見て視線を戻した時には、残りの五体も斬られている。

 ある一体は縦に二つに割れて、ある一体は肩の一点を刺し貫かれて、ある一体は頭部が存在していなかった。断面はまるで鏡のように滑らかで、炎の赤をはっきりと映していた。

 あまりにも、鋭すぎる──そして。

「ウィ」

「ひいっ!?」

 ユノの真横だ。こつぜんと声が聞こえた。

 いつの間にそこにいたのか。背を丸めたたんの男が、彼女の足元にしゃがみ込んでいるのだ。

 長い片刃の剣を──候補生用の練習剣を、右の肩に担いでいた。このさつりくの海に倒れた誰かの剣であろうことは間違いなかった。

「ああ……なに、オメェ。死ぬのが好きか」

 ユノの足元で背を向けたまま、ろんな男は続けた。

(全部)

 これまで生きてきたユノの常識が、眼前の現実を否定している。

(全部夢だ)

 六体もの機魔ゴーレムが、一瞬で斬られた。

 候補生どころか正規探索士の剣にすら断つことのできなかった装甲を、練習用の剣で、あれほど綺麗に切断できるはずがない。

 頭を落としても腕を落としても動きの止まらない機魔ゴーレムを、ユノ自身にすら倒せた理由の分からないような理不尽を、まるで必然の如く、ことごとく必殺できる道理などないのだ。

だいめいきゅうが動き出して、機魔ゴーレムが現れた時から、全部、夢だったんだ)

「な。死ぬのが好きかって聞いてンの」

「う、はい……いいえ」

「なんだァそりゃ」

 男は笑い混じりに呟いて、膝を起こした。

「ヘンなやつだな、オメェ」

 その男は立ち上がってもなお異様な猫背で、まだ十七のユノと比べてすら、僅かに目線が低い。

 紛れもなく人間ミニアだが、つるりとした印象の顔と、ぎょろぎょろ動くそうぼうは、どこか蛇やちゅうるいを連想させる顔面造形である。

「死ぬのはもったいねェぞ。オメェ、……人間こっから面白いんだろうよ」

 何よりも、身にまとっている衣服が異様であった。くすんだ赤色で、柔軟に伸び縮みする、滑らかな質感の生地。それは手足に沿うように、白い線が走っている。

「お、面白いって」

「……ウィ。な。なんでも、何もなくなってからがいい。どこ行くのも何やんのも、オメェの勝手でできる。……いいもんだぞ」

 男の言葉を呆然と聞きながら、授業で学んだその装束の名を、ユノは思い出していた。この地上のどこよりも遠い異文化の衣である。

 ──ジャージ、という。


「……〝客人まろうど〟」

「あー……この街でもその呼び方かよ? ま。好きに呼びゃいいけどよ」

 この世界とは文明も、生態系も、月の数すらも異なる、〝彼方かなた〟より現れる者。

彼方かなた〟の文化を伝来し、時に繁栄を呼び、時に不吉を運ぶ、まれなる役目の来訪者。

 はるか異世界より転移する者達。それは〝客人まろうど〟と呼ばれている。

「あの、あなた……い、今、機魔ゴーレムを……」

「んァ」

 男はただ、麓の方向を振り返った。ユノも、その視線を追う。

 その先に広がるものを見た。

「そ、そんな……!? ぜ、全部……これ……」

「つまんねェや」

 剣を担いだまま、客人は口の半分だけで笑った。

 鉄の残骸の海だった。

 丘の上からは見えなかったそのくぼみには、切断され機能を停止した機魔ゴーレムが、おびただしく堆積している。装甲の内側に、それも個体ごとに異なる位置に隠された命の核を持つ生命体が、尽く迷いのない一刀で斬殺されているようであった。

 機魔ゴーレムの弱点を外見から類推することなど不可能だ。そのような芸当が可能なのか。

「こんな世界にも機械があんのな。なんだっけか、機魔ゴーレム? いっくら斬っても、大したもんじゃねェー……」

「──大した、もんじゃない……って」

 残骸を見下ろして、ユノは呆然と呟いている。

 この市に住む全ての者達が──構造を自ら組み替え続ける機械迷宮に挑むべく鍛錬してきた者達の尽くが、この鉄の軍勢の前についえた。

 機魔ゴーレムの生態を知らなかったからではない。防衛機構として機魔ゴーレムを生成し続けるナガンだいめいきゅうに挑む者達は、むしろ他のどの市の戦士よりも、機魔ゴーレム相手の戦闘にけていた。最大の中央国家であるこうの正規兵だったとしても、この災厄の前では結果は同じだったはずだ。

 ならばこの男は、都市一つを滅ぼしてあまりある悪夢をただ一人で、ただ一本の剣で上回るほどの、真なる怪物だというのか。

 火の熱を帯びた風が、ユノのれた頰をむしろ冷やした。

「ウェ」

 一方で〝客人まろうど〟は、手近な野草を口に含んで、吐き出している。

「これ、食える草じゃねェんかよ」

「あ、あの……それ。こんぞくそうなら、毒草、だけど」

「だと思ったわ。オメェ、飯は持ってねェのか」

「に……逃げたほうがいいわよ、あなた……!」

 それでも、世界のことわりの外にある絶大な力を目の当たりにしてもなお、ユノはそのように言うしかない。もはや知っているからだ。魔王自称者キヤズナが作り上げたナガンだいめいきゅうが、彼女やリュセルスの暮らしていたこの街が、地獄そのものの魔境であったことを。

「絶対に……いくら強くたって、もう、この街は、無理なの……!」

「なんだなんだ、怒んな。無理って、何が」

「な、何がって……あなたこそ、あれが見えないの!?」

 ユノは、丘から見下ろせるナガンの光景を指した。

 うんの破壊で街を覆う、無限に群れなす機魔ゴーレムではない。

 炎の陽炎の、さらに向こうを。

「その剣一本で、あれも殺せるっていうの!?」

 市の建物のどれよりも大きい、山にも及ぶ巨影が揺らめいている。

 それは人型を成している。

 ……ああ、これこそが悪夢。彼女の育った市街を見れば、そこには狂気の夢がある。

 ナガンだいめいきゅうが動き出して、機魔ゴーレムの群れが現れ出た。それは一切比喩ではない。

 何も分かっていなかった。誰一人、何も分かっていなかったのだ。

 それは、絶大な軍事力を誇示するための構築物なのだろうか。あるいは伝説的な機魔ゴーレム製作者、魔王自称者キヤズナですら、世界の表裏を区別なく恐怖に陥れた〝本物の魔王〟を打ち倒す試みのために、そのようなものを造り出すしかなかったのだろうか。

 炎の向こうで、ナガンだいめいきゅうは低いしおさいのようなほうこうを上げた。

 ──誰一人、何も分かっていなかった。都市が興り栄えるほどの十年、この地に根付いていた魔王自称者キヤズナのだいめいきゅうは、まさしくそのものが、巨大な一つの迷宮機魔ダンジョンゴーレムだったのだと。

「ウィ」

 ……答えることなく、男はユノに剣の切っ先を向けた。

 ぞっと、ユノの全身が総毛立った。

 未熟な彼女には殺気を感じ取る力もなかったが、それでもその剣が帯びた、おぞましいほどの死の予感は分かった。

 剣の切っ先が霞んだ。

「──チェァッ!」

「ジッ」

 ユノの背後で、機魔ゴーレムが刺し貫かれている。

 彼は低い姿勢をますます低くかがめた踏み込みで、ユノの股下を潜って刺突を放ったのだ。外見からはうかがい知れぬはずの、機魔ゴーレムの命の核の一点へと。

 剣の柄は、脚で蹴り込まれていた。

「こんな、技……な、なんで……」

 股下を潜られたことへの羞恥の心すらなかった。その一瞬を認識することもなかったのだから。

 正常の剣術ではない。

 この世界どころか、他のどの世界にも、このような剣術体系があり得るはずがない。ユノは恐怖している。それは認識の外側に立つ存在への恐怖だった。

 爪先だけで柄の先を器用に跳ね上げて、〝客人まろうど〟は再び剣を背負う。

「飯持ってねェか。別に草でも虫でもいいんだけどよ。まだ朝飯食ってねェんだわ」

「け、携行食なら……あ……あるわ。けど、これ、そんなに味もなくて」

「面倒っちいなオイ。じゃあ交換だ交換。オメェ、その飯よこせ」

 剣士は陽炎の彼方を見つめた。

「──代わりにあのデカブツ、やってやっからよ。そろそろやっちまおうと思ってたんだわ」

「できる……はず、ない」

 ユノは、剣を見た。ユノにも支給されているのと同じ、使い古しの軽い練習剣。男の担いでいる得物は、確かにその一本だけだ。

 この男には何ができるのか。秀でた知略があるのか。強大な仲間がどこかにいるのか。何かひとつでも、攻撃のじゅつを使えるというのか。

「やっちまおうぜ。いいだろう。おもしれェだろう」

「……」

「楽しそうだ」

 戦闘を。殺戮を。死の極限を、この男は楽しんでいる。

 故郷が地獄に変わるのを見た。けれどこの異貌の小男は、それ以上の地獄の果てからの悪鬼であろうか。

「あなたは……なっ……何なの!? その技は何!? どこから来た、誰なの!?」

 錯乱して問うユノに、男は口の端を非対称に歪めた。

 そして答えた。

柳生やぎゅうしんかげりゅう


 この男の、異世界の素性を知ったところで、どうなるというのか。

 その自称が果たして真実であるのかどうか。ユノには窺い知れようはずもない。

「──柳生やぎゅうそうろう。このオレが、地球最後の柳生だ」

 この世界とは異なる、〝彼方かなた〟から現れる者。

彼方かなた〟の文化を伝来し、時に繁栄を呼び、時に不吉を運ぶ、稀なる役目の来訪者。


 その剣豪は、最悪の不吉とともに来た。


  ◆


「おい。一つ聞かせろ。さっきの技、あいつがじゅつか。どうやる」

「えっ……」

「やってたろ。礫を飛ばしたアレだ。そんくらい教えてくれろ」

 ユノは、〝客人まろうど〟と自分達の違いに思い当たる。授業でそれを習ったことがあった。

 異界の剣豪の目には、彼女の行使したりきじゅつが物珍しく見えたはずだ。ユノが命を助けられた理由などは、あるいはその程度でしかなかったのかもしれない。

「あの、〝客人まろうど〟には……この世界で生まれていない者には、使えない力だって習ったわ……〝客人まろうど〟の世界では、音の言葉で話しているから、認識が追いついてこないって」

「音の言葉? ああー、そうだな、日本語なわけねェわな、こっちの言葉」

「……あなたと私が、こうやって話せているのが、じゅつりきじゅつねつじゅつは……そのじゅつで、動いたり燃えたりするように、頼むの。空気や物を……相手に」

 ソウジロウの言う〝ニホンゴ〟は、ユノ達が定義するような言語ではなく、空気を伝わる音声を使い分ける技術のことであろう。

 確かに、音は会話に必要となる媒介だ。どのような音でも、じゅうぞくの鳴き声であっても、そこに込められた言葉を他の種族へ疎通することができる。

 この世界の心持つ種族ならば誰しもがそうできるのだが、〝客人まろうど〟の世界では異なるらしいと聞く。

「あっそ。じゃあ別にいいわ。面白えけど、面倒だ。刀のがいい」

 反応はそれだけだ。元より、純粋な興味本位でいた事柄に過ぎないのだろう。

 尋常ではなく。何の大言でも虚勢でもなく、この男は……果てしのない迷宮機魔ダンジョンゴーレムに、一本の練習剣のみで挑むつもりだ。

「しっ、死ぬわよ……!」

「関係ねェ」

うそ……! だって、あんなの斬っても何にもならない! 倒したって誰も感謝しない! あなたは外から来ただけなんだから! 逃げたほうがいいに決まってるでしょう!?」

「なんでだよ」

「だ……だって……死んだらおしまいなのに」

「おしまいか?」

 ソウジロウは素朴に訪ねた。

「……っ」

「敵が勝てねェバケモンなら、そこで終わりか」

「でも、だからって、私に何ができるの……! あんな、あんな、災害みたいなやつに……私、戦えなんて言えない……」

「オメェのことは関係ねェよ。オレは楽しいからやるんだ。あいつ、ありゃ絶対楽しいぞ。なァ」

 丸い眼光は、炎の赤をギョロギョロと映している。

 それは絶望のふちにあったユノの意識をますほどの、深い戦闘の狂気だ。

「行くか」

 ソウジロウは──まるで市場に買い出しに行くかような足取りであった。ユノが呼び止める間もなく、炎の海のただなかへと歩を進めた。

 小柄なたいは丘を越える。すぐに、機魔ゴーレムの影が群がる。それらは尽く、乱反射する光のような刃の軌道に斬って落とされる。

 小さな影の点は、入り組んだ市街の中に紛れてすぐに見えなくなる。影が紛れた地点にはさらに多くの機魔ゴーレムが集まり、しかしソウジロウに触れることはできない。それが分かった。

 敵を、炎を、空気までも切断しながら、山の巨怪へと突き進んでいる。

 明るい炎が切り払われて、暗く細いまっすぐな道が伸びていくのだ。


 ユノが知る中で最も瞬足の探索士であっても、あれほどの速度で街を駆け抜けることなどできない──たとえこの地平全土を見渡したとしても、厚い黒煙が視界を塞ぎ、炎のばくごうが聴覚を遮る中、焼けたれきの地形を踏破できる者がいるだろうか。

 ソウジロウが突き進む。巨影も揺らめいて形を変える。迷宮機魔ダンジョンゴーレムが腕を振りかぶっている。

「HWOOOO──OOO──」

 低いえ声の鳴動が、丘をも揺らした。ソウジロウの存在地点にたたきつけられた拳の猛威は、風圧の余波だけで瓦礫を円状に吹き飛ばすほどである。

 ならば、遥かにわいしょう人間ミニアであるソウジロウはちりと消し飛んだのか。

 違う。たった今大地に突き刺された長大な左の腕を、ソウジロウは駆け上がっている。

 不可能な所業ではないのだろう──理論の上では。

 だがその勾配は、人間ミニアの体感上は崖にも等しいはずだ。小さな影が体表の凹凸を足がかりに駆け、その速度を一向に落とさぬままでいることが、果たしてどれほどの超絶であるか。

「HWOOOOOOOOOOO──」

 市街の炎をびりびりと震わせる悪夢の潮騒に、市街のあらゆる音がかき消えた。

 肩まで到達したソウジロウの影を一瞬にして覆い尽くした黒雲は、遠目からは羽虫の群れのようにも見える。そうではない。それは迷宮機魔ダンジョンゴーレムの全身に開いた機構から放たれた迎撃の矢と、とうの物量を以てソウジロウをまんとする、機魔ゴーレムの軍勢であった。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、ただ力を奮うだけの怪物ではない。その巨体の内に兵器の物量を併せ持つ災害であるのだ。

 それは人の形を成して災厄をもたらす一つの機魔ゴーレムであると同時に、十年近くも探索士を阻み続けた、踏破不可能のだいめいきゅうである。攻勢を阻む城壁を、射撃を繰り出すやぐらを、機械兵を生産し送り出す兵舎を、その見上げるほどの体躯に包含している。

 ソウジロウの姿は、黒い雲にかき消された。超越の剣士は理解の及ばぬ怪異に戦いを挑み、そして無為に果てた──ように、思えた。

 だが、違う。迷宮機魔ダンジョンゴーレムいまだ迎撃体制を取ったままである。

 巨大な青い単眼は、自らの腕の異常を捉えた。黒く長い斬線があった。迷宮機魔ダンジョンゴーレムの左上腕を斜めに走るように、明確な傷が刻まれている。

「ウィ」

 ソウジロウは、斬線の端に練習剣を食い込ませたまま、獣の如くわらった。先の一瞬、左肩から飛び降りながら雲霞の軍勢を回避し、落下の威力で迷宮機魔ダンジョンゴーレムの巨腕を斬撃していたのだ。

 もはやじんの領域ではない。

 矢。砲。そしてさらなる機魔ゴーレム。瞬きのうちにソウジロウは飛び移り、駆け、降り注ぎ続ける殺意の暴嵐の中で、ただ一点の影が目まぐるしく位置を変える。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムの輪郭も、大きく動いた。ソウジロウの取りついた左腕が──巨体に相応の、そこに立つ当事者にとっては恐るべき速度で振り抜かれた。

「COOOOOOOO────」

「……!」

 壮絶な遠心力が、ソウジロウを機魔ゴーレムの軍勢ごと死の宙空へと投げ出している。それが一人の人間ミニアである限り、どれほどの絶技と神速をもってしても覆せぬ、ばくだいな質量の差という攻撃。

「LLLL────LUUAAAAAAA────」

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムの咆哮はこれまでの潮騒のようなうなりとは明確に異なる、金管楽器のような音色である。

 鉄と岩が複雑にった胸部装甲が大きく開いて、その内奥に煮えたぎる青い超自然の溶鋼の光が、ナガンのはいきょを明るく照らした。

「【ナガンよりナガネルヤの心臓へluulaaal lel leee夜が昼であるようにluolaue eeolu】」

 ユノは、一種の諦観とともにその終末を眺めていた。

(……ああ。だ)

 ナガンを焼き尽くした、光だ。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、魔王自称者キヤズナの魔と技の全てを凝らした、あるいは〝本物の魔王〟を倒すための兵器であった。それは思考し、人の域を越える使い手のソウジロウにまで対応し、その知性は、人のようにねつじゅつを用いることすらできた。

 金管の音色は、詠唱である。

「【角雲の流れlea lelooro天地の際looau luuaao溢れし大海leeo luouu──燃えよlaaa】」


 破滅がひらめき、炎は天までを貫いた。

 光の軌道で、雲はあぎとが開くように引き裂かれた。

 風と熱が波を打って広がり、地上の炎は、その衝撃にむしろかき消された。

 空をつんざく射線の直下、川が蒸気と化して消え、夕暮れそのものに等しく空が燃えてゆく様が、遠くの丘に立つユノの視界にも見えた。

 ──果たして。

 異界より来た〝客人まろうど〟のソウジロウもまた、その蒸気の一筋と化したであろうか。

 ユノは眼前の、天を機魔ゴーレムの影を見ている。

 敵なき荒野を、もはやじゅうりんするだけの鉄の機構を。

 爆炎を透かして、滅亡を示す星のような双眸が光っている。

 光が。


 光が、ずるり──と、滑って落ちた。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムの首が、落ちた。

「……ウィ。そうか、そうか。こいつが、じゅつか」

 けい断面の背後。

 空中に投げ出され、滅殺の熱衝撃に跡形もなく消滅したはずの奇剣士が、如何いかにしてか、そこにいた。

 ソウジロウ自身の視点でなければ、一連の動きを捉えることは不可能であったろう──青い溶鋼のねつじゅつが射出される寸前、ソウジロウがどのように動いたのか。

 とはいえその真実は、不可思議の魔術を用いて死の爆炎を回避したものと、どれほどの差異があったものだろう。

 自分と同じく宙に投げ出された無数の機魔ゴーレムの群れを、空中にあるうちに飛び石の如く蹴り渡ったなど──ましてやその到達点が頭部であるよう瞬時に跳躍軌道を見定めていたなどと、彼以外の何者が信じられるだろうか。

 その超人の芸当を以て、彼はユノから伝聞したじゅつの特性を攻略していた。

 じゅつは、現象を命令する。破壊のねつじゅつであろうとも、方向と範囲を指定するということである。

 故に自分自身を巻き込む方向への攻撃はできない。自らの頭部の背後にも。

 神殿の柱ほどに太い石造りの首が、落とされている。断面はだいだいに染まっている。鏡のように炎の光を反射しているのだ。不条理なほど鮮やかな切断面だった。

 物理の天則を超絶したそのような現象すら、剣の魔技の所業と呼ぶべきであろうか。

「WWWWWOOOOOOOHHHHHH────」

 ソウジロウが剣を再び背負ったその時。悲鳴のような、胴深くからの地響きが風を揺らした。断末魔ですらない。それが常識を絶する巨大さであろうと、迷宮機魔ダンジョンゴーレムは命の刻印によって動く機魔ゴーレムなのだ。命なき巨兵は死ぬことがない。

「だな。オメェはここじゃねェー……」

 首の断面に立つソウジロウを、怪物が右てのひらぎにかかるのと同時である。

 剣士はまたしても跳躍した。巨兵を人とするなら、その剣士は小虫。しかし大振りの一撃をかわすその疾さもまた、人に対する小虫である。

 頭部という重要器官を失った巨兵は盲目のまま、今は自らの右肩に立つ敵を自らの左腕で叩き落とそうとした。

 どれほどの絶技と神速を以てしても覆せぬ、莫大な質量の差──

「──そこが、命だ」


  ◆


 えいろく八年。

 当代の剣聖と称されたかみいずみのぶつなは、門下老弟、じん伊豆守いずのかみを伴い、柳生やぎゅうの郷を訪れたとある。

 この時、柳生やぎゅうしんかげりゅう開祖、柳生やぎゅうむねよしは神後伊豆守を相手取り、真剣が打ち込まれると同時にその手中の剣を奪う──所謂いわゆる〝無刀取り〟にてこれを下し、信綱より新陰流の印可を受けたものとされる。

 達人域の剣士が真剣を振るう場合、一説に、その先端速度は時速130㎞にも達するという。そして平均的な打刀の刀身の長さ、約0.8m。

 ならば無手の人間が実戦において、この0.8m半径を時速130㎞の刃が走るよりも速くかいくぐり、持ち手となる手指を制し、一瞬にして刀を奪うことが、果たして可能であろうか。

 現代における〝無刀取り〟は、この技そのものを指したものではなく、無刀において帯刀の者を制する総合的な防御技術……あるいは単に活人剣の心構えであるとも解釈されている。

 前述した〝無刀取り〟が、誇張された創作の逸話であるという見方すらもある。


 ──その速度よりも速くかい潜り、間合いの内を制することが、可能であろうか。


  ◆


「見たぞ。オメェの命」

 先の刹那まで迷宮機魔ダンジョンゴーレムの右肩に立っていたソウジロウは、今は空中にいた。自身を叩き落とそうとする左腕の動きを知っていて、そして攻撃を躱し交差するように、前方へと跳んだ。

 ──超絶の跳躍力を以て自らを弾丸と化したような、それは斬撃であった。

「そこだ」

 バチン、という音があった。

 亀裂の音だった。迷宮機魔ダンジョンゴーレムの左上腕、一直線に刻まれた溝から響く音だった。彼が狙っていたのは最初から、迷宮機魔ダンジョンゴーレムの武器──左腕そのものだ。

 それは寸分違うことなく……最初の一撃で刻まれた左上腕の傷を、さらに長く延長していた。

 表層に切れ込みを入れただけだ。

 塔よりも太い巨人の腕を、練習剣の刃渡りで切断することは不可能である。

 だが左腕が振るわれる、この最中だけは。その直線の切れ込みから先に加わる負荷は、巨体重量に比例した壮絶な遠心力であり──

「HOO──O」

 爆裂音があった。

 右肩部から跳んだソウジロウを狙った巨兵の左腕は、それ自体の莫大な質量によって、切れ込みから割れた。

 そうして千切れ飛んだ左腕の先端は、その勢いのままに自らの右肩部へと爆撃じみて突き刺さり、その内奥までを破砕していた。

 ソウジロウが真に狙った箇所は、斬撃した左腕部そのものではない。直接に刃の届かぬ位置に、分厚く深く隠された命の刻印。左腕の大質量によって爆裂した、右肩の内奥である。

 ──敵の刀を、取った。


 剣の伝説の全ては、創作された幻想に過ぎないのであろうか。

 自身の数十倍の巨体の腕が、その速度を以て剣士を叩き潰そうとする時。

 その速度よりも早くかい潜り、間合いの内を制することが、可能であろうか。

「──〝無刀取り〟」


 


 奇剣士は結末を見届けることすらない。不安定な上腕をそのまま滑り落ちて、胴へ、腰へ。当然の摂理でそうなるかのように、あまりにも巨大な構造体上を、無傷のまま飛び渡っていく。

 その小さな影の動きに遅れて、大きな影もまた、全身の構造が破綻し、崩壊し、地に沈んでいく。命のじゅつの刻印を失った機魔ゴーレムは……魔王自称者キヤズナの迷宮機魔ダンジョンゴーレムであっても、そのようになるのだった。

 ナガン迷宮都市を一日とたず滅ぼした迷宮機魔ダンジョンゴーレムは、一日と経たずに死んだ。


  ◆


 逆巻く滝のように、どう、と塵灰が噴き上がった。

 とおかぎづめのユノはそんな光景の一部始終を、呆然と見ていた。

「……本当に、倒した」

 何事もなかったかのように丘へと戻ったソウジロウは、人間ミニアに見えた。巨人ギガントでもドラゴンでもない。ユノと同じ、ただの人間ミニアであるかのようだ。

「斬ったぞ。〝エムワン〟のやつを斬るよか楽しかったな」

「なんで、ソウジロウ……あなたは、そんなことができるの……! あんなの……絶対に誰にも、倒せないって思ってたのに……」

「あァ。作った奴の気分になりゃいける。地面からすぐ届く脚じゃねえ。腰は荷重がかかりすぎる。胸は火を吐く武器。最初に殴りに使ったのは左手。残った右腕の、上の方だ」

「……」

 きっとこの男は、今日斬った全ての敵を、そんな判断で読み当てていた。推測とも直感ともつかない、恐ろしくどうもうな殺戮者の本能だけで。

 ──いつかユノが〝客人まろうど〟について習っていたことは、もう一つある。

 彼らの来る〝彼方かなた〟は、じゅつの力が働かない。言葉ではなく物理の法則のみで全てをつなめなければならない、とてもぜいじゃくな世界であるのだと。

「ソウジロウ、〝エムワン〟って……」

「んァ、M1エイブラムス? どうせわッかんねーだろ。こっちの連中はよ」

 そんな〝彼方かなた〟の法則からあまりにも逸脱した力を持って、その世界にいられなくなってしまった個人こそが、この世界に流れ着いてくる〝客人まろうど〟の正体なのだと。

 この世界に生きる、森人エルフ山人ドワーフ大鬼オーガドラゴンも──その最初の祖先は、〝彼方かなた〟の世界に生まれた、突然変異の〝客人まろうど〟であったのかもしれないと。

「じゃ、オレは行くわ」

「……待って」

 ユノは、〝客人まろうど〟の背を呼び止めていた。

 ただの少女でしかないユノとはひどくかけ離れた、世界逸脱の剣士だ。

 人間ミニアの形をしているが、ナガンを滅ぼした迷宮機魔ダンジョンゴーレムりょうする怪物だ。

「ソウジロウ。これ、携行食だけど」

「あー……そういや腹減ってたっけな。楽しくてすっかり忘れちまってたわ。あんがとよ」

 まがまがしい。凄まじい。恐ろしい。

「ウィ、うめェな……へへ。虫やら草より随分いい。こっちの世界も悪くねェな」

 それでもあの戦いを見て、幾度も命を助けられて、ようやく自覚できた感情がある。


(そうか。私は──)

 手の届くことのない領域で、全てを思うままに破壊し、悲劇すら蹂躙する様に浮かんだ感情。

(この男が許せないんだ)

 それは怒りだ。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムもこの〝客人まろうど〟も、本質は同じだ。

 不条理な、冗談のような力が、彼女の生きてきた人生を矮小な、取るに足らないものであるかのようにおとしめてしまって、ユノのような無力な少女にはそれを否定する権利すらない。

「次だ。次はもっと楽しいやつがいい。どっちに行くかな……」

「……こう

「あァ?」

「強い人達を探すなら……こうがいいと思う。今はあそこが、一番大きい国になったから」

「そっか。強い連中もいそうか」

「……いる。こうの議会が、世界中から英雄を集めてる。すごく大きな、何かを決めるために。だから……きっと、あなたと戦っても負けない敵が、きっといる」

「は。そりゃあいい」

 ひどく曖昧な予感があった。

 ──なぜ今日のこの日に、ナガンだいめいきゅうは起動したのだろう。

 それは例えば、外部から訪れたあり得ざる異界の剣士。魔王に匹敵するほど強大な脅威に対しての、自動的な防衛機構ではなかったか。

 あるいは……このソウジロウが、強者との戦いのみを望む、そのためなら如何なる無謀もいとわぬ真の戦闘の怪物であるのならば、自分自身が楽しむためだけに、自らの手であの迷宮を起動した可能性すらあったのかもしれない。

(──ふくしゅうだ)

 もはやそれしか残されていない。

 見当違いの憎悪であっても、幻のような可能性であっても……全てを失ったユノは、いまや目の前にある何かで自分自身を支えていく必要があった。


 この男を殺す。


 そうだ。この世界には、それができる強者がいる。

 ナガンだいめいきゅうすらも造り上げた……〝彼方かなた〟が生み出した全ての逸脱を受け入れてきたこの世界には、まだ誰も掘り尽くせないほどの、無数の脅威と真実が残されている。


 誰もがその名を知るこうの第二将、ぜったいなるロスクレイがいる。遠くワイテの山岳に潜む、おぞましきトロアの名を知っている。人に知られぬ第五のじゅつ系統を極めたと語る、しんふたのクラフニル。九年前に大氷塞を解放した〝客人まろうど〟、くろいろのカヅキが来る。あるいは誰も見たことのない、ふゆのルクノカさえ。

 立ち向かえることを示さなければいけない。

 この男が何者なのか、〝彼方かなた〟の世界とは何かを、知らなければならない。

 そして無敵の転移者を殺し得る強者を、地平の全てから探すのだ。

「ソウジロウ。私が……案内、するわ。ナガンの学士としてだけど。それでも、こうに怪しまれない身分にはなるから」

「ウィ。いいじゃん、その顔」

「……何が?」

「や。あンがとよ。こっからはもう、オメェも好き勝手できるってことだろ。自由だ」

「……そう。私も、ありがとう」

 口の端を歪めた蛇のような笑いに向けて、ユノも薄く笑い返してみせた。

 その隣にリュセルスはいない。彼女の過ごした街は全て焼けてしまった。

 自由だ。何もかもを失った今は、そんな途方もないこともできるような気がした。

「名前は?」

「ユノ。……とおかぎづめのユノ」

 憎悪を支えにして歩き出す。

 彼らの旅はそうして始まる。


 ──そして。

 読者諸兄は既にご存知であろう。


 


 この地平にうごめく無数の百鬼魔人の、修羅の一人だ。

〝本物の魔王〟が倒れたこの世界になおも闘争を求める、その一人目に過ぎない。

 これは彼が巻き込む物語ではなく、彼が巻き込まれる物語である。



 それは単独の真剣のみで、史上最大の機魔ゴーレムを撃破することができる。

 それはあまねく伝説をただの事実へと堕する、頂点の剣技を振るう。

 それは全生命の致死の急所を理解する、殺戮の本能を持つ。

 世界現実に留め置くことすらできぬ、最後の剣豪である。


 剣豪ブレード人間ミニア


 やなぎつるぎのソウジロウ。

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