第二章 ヒロインは王太子ルートを選んだようです 第五話

    ◆◆◆◆◆◆◆


 あれからフェリシアは、フェリシアとエマの二重生活を送っている。

 あまりひんぱんにエマにはなれないが、〝ウィル〟からのお呼び出しがあったときだけは、必ずダレンのしんりようじよおもむいた。

 といっても、ウィリアムはフェリシアより忙しい身だ。ウィリアムの予定が空く時間は、フェリシアの予定もほぼほぼ空いている。抜け出すことに苦労はなかった。

 そしてある日、気づいたのだ。

〝フェリシア〟は、ウィリアムと円満なこんやくを目指して、いかにも無害な婚約者を演じなければならないけれど。

〝エマ〟は、特に何を演じる必要もないのだと。エマは自由だ。エマがウィルに何を言って何をしたところで、シナリオにはかかわらない。

 それに気づいてからは、フェリシアはかたが下りた思いだった。

 そして、暴走した。

『ウィル、ウィル! 見てくださいませ、タンポポがいてますわ』

『本当だね。エマが植えたんじゃないの?』

『自生です。なんてらしいのかしら! そうね、この子はポポちゃんにしましょう。ポポちゃんはですね、根をかんそうさせてこうばしくなるまでると、コーヒーのような風味になるんですよ。ほかにも目のケアや尿によう作用、あと生活習慣に関連した病気の予防に効くと伝わっていますの。ああ、これは今後が楽しみだわ』

 というように、我を忘れて土いじりにはげんでしまった。それだけじゃなく、ウィリアムまで巻き込んでしまった。だって、彼が「興味があるんだ」と言うから。

 実際ウィリアムは、フェリシアがどれだけ暴走してもいやな顔一つしなかった。微笑ほほえましそうにフェリシアを見つめてくるだけだ。それが、少しだけくすぐったくて。

 しかも興味があるというのは本当のことなのか、彼は王宮内にある彼いわくの雑草広場の野草を持ってきては、フェリシアにこれは何かとたずねてくる。フェリシアにしてみれば、そこは雑草広場でもなんでもなく、素晴らしい宝のねむる場所だと言いたい。なのに誰も知らない場所だというから、今度ひそかにのぞきに行こうと思っている。

 とにもかくにも、ウィリアムはフェリシアの土いじりをけんするどころか、いつしよになって楽しんでくれたのだ。さすが、人望厚い王太子である。心が広い。

 他にも。

『ウィル! ティリーにさわらないで!』

 いきなり声をあらげたフェリシアに、彼は無礼だとおこりもせず、ただだまって両手を上げた。

 むしろその冷静な対応に、ったフェリシアのほうが我に返って狼狽うろたえたものだ。

『申し訳ありません! ですがあの、ティリーにはとげがありまして、れると赤くれたりほつしんが出るのです。だから……』

『エマ』

『は、はい! ばつでしたらなんなりと。何も説明していなかったのに、急に怒鳴ったりして申し訳ありませんでしたわ』

『そうじゃなくて、ティリーの名前を教えてくれる? 私はまだ覚えられていないから』

『え……? でもあの、怒らないのでして?』

『どうして? 君は私を守ってくれたのに』

 本気で彼が神様に見えたしゆんかんである。ちなみにティリーというのは、ネトルというハーブのことだ。

 とにかくそんな調子なものだから、フェリシアはウィリアムという人間に好感を持ち始めていた。好意ではない。決して好意ではないと、大切なことなので内心で二回り返す。

 人々が彼をしたう理由を、フェリシアはエマとしての当たりにした。

 だから、どうしても重ならない。ゲームの中の彼と。

 ゲームの中のウィリアムは、決して優しいだけの王太子ではないからだ。

(そもそも優しいだけの王太子なら、私はこんなに苦労してないわ……)

 フェリシアは自室のソファでうなだれた。

 今日はライラがいる。でもそのライラも、一日いてくれたことはない。夕方ぐらいに来て、フェリシアの様子を見たらすぐに帰っていく。まるで祖国にいたころの、かん目的で来ていた兄の護衛たちのように。

殿でんがわからなすぎてこわいわ。だってゲームではかなりちくな性格してたわよね? そう言ってたわよね前世の私の妹!)

 具体的に何がどう鬼畜なのかは知らないが、とりあえず邪魔者フエリシアを婚約破棄後に殺すという行動は、どう考えてもやばいやつだ。それとも、彼にそのせんたくを選ばせるほど、ゲームの中のフェリシアがやばかったのか。

(とにかく、平民になるための準備は着々と進んでるわ。許可書に関してはダレンが任せてって言ってくれたし、はんについてもダレンのくちきとかで目星はついてるし)

 問題は、婚約破棄のほうだった。平民になるための準備にばかりかまけてしまい、フェリシアは今、サラがどこまでウィリアムをこうりやくしているのかを知らないのだ。

 聖女の人気は日に日に増している。

 その聖女と王太子のなかむつまじいうわさだって、聞かなくても耳に入ってくる。

「ねぇ、ライラ」

「はい。なんでしょう、王女殿下」

「ちょっと教えてほしいのだけど、サラ様はお元気かしら?」

「どうしてそのようなことを?」

「少し気になっただけよ。だって聖女様って大変なのでしょう? 知らない方でもないから、心配もするわ」

 これは本心も混ざっている。なるべく二人のじやをしないようけてはいるけれど、サラ自身がきらいなわけじゃない。

 ライラはさぐるようにフェリシアを見つめたあと、さらっと言った。

「聖女様はお元気です。先日も、湖でボートを楽しまれたそうです」

「ボート!?」

 フェリシアは思わず立ち上がっていた。

(まずいわ。もうそこまで来ていたの? 婚約破棄イベントまで、あと一つじゃないの!)

 なのにまだ、フェリシアは婚約破棄の準備をかんぺきに整えられていない。

(これは急がないとまずいかしら)

 急いで許可書を取って、家を見つけて、あとは何をすればいいだろう。

(かなり申し訳ないけど、少しダレンをかさなきゃ。あと、家の下見も早めましょう)

 なんなら今から行くのでも構わない。それくらいの行動力を発揮しないと、とうてい間に合わないような気がしてきた。

(そうね、それがいいわ。どうせこのあと用事もないし、ライラもすぐに出ていくだろうし)

 と思ったが、こういうときに限ってライラは一向に出ていかない。

 れたフェリシアは、ついに決断した。

こう)

 ツカツカととびらまで歩いていく。

「王女殿下、どちらに?」

 ライラから声をかけられ、扉の取っ手に手をかけたフェリシアは、わざとらしくにっこりと微笑むと。

「ちょっとようよ」

 パタン。部屋を出た瞬間に走り出した。背後では予想どおりライラが追いかけてくる音がする。気にせず最初の角を右に曲がった。

 ここは城の中でも王族の居住区にあたるので、日中はあまり人がいない。曲がってすぐに、フェリシアはカーテンの裏にかくれた。

 ライラの足音が近づいて、遠ざかっていく。

 しばらく耳をましていると、やがて何も聞こえなくなった。

 フェリシアはしんちようろうの様子をうかがって、人がいないことをかくにんしてから出ようとしたが。

「……アの部屋で……イドがぬすみを……たって?」

「はい。もともと部屋に……ので、殿下は気づいてな……です。……イラが気づ……とか」

 ライラのものではない、男性二人の声が聞こえてきた。そのうちの一人を、フェリシアはすぐに当ててしまう。

(ウィリアム殿下!)

 なぜ、彼がこんなところに。という疑問はいつしゆんだ。

 フェリシアが部屋を飛び出して、右に曲がった角。あそこは左にも曲がれる道がある。そして左に曲がった先は、聖女サラがたいざいするとうつながっている。彼の行き先なんてそこしかない。

 本当はこのあと、フェリシアはまた自分の部屋にもどり、いつもどおり窓から城をける予定だった。しかしこのじようきようでは出て行きにくい。万が一にも変な疑いをかけられたくないからだ。

(とにかく息を殺して……。お願い。〝ウィリアムあなた〟には会いたくないのよ。だからさっさと通ってちょうだい、殿下)

 彼さえ通り過ぎたら、すぐにでも部屋に戻ろう。そうしてやはり、城を抜け出そう。せずして二人の仲がいいことを再確認したのだから──だって彼はきっとサラに会いに行こうとしている──もろもろの準備をまえだおしにしなければ。

 ──ズキ。

 彼とサラの笑い合う姿を想像して少しだけ胸が痛んだなんて、きっと気のせいだ。

「どう……す、殿下」

「……るもない。そのまま泳がせておけばいいよ」

「よろしいのですか?」

「ああ」

 だんだんと声がはっきりしてきた。比例してフェリシアのどうが速くなる。

 より一層隠れようと、さらに窓にりついた。外からはフェリシアが丸見えかもしれないが、ここは二階だ、人物を特定されることはないだろう。

「ただ、彼女に危害を加えるようなら、ようしやなくつかまえて私の前に連れてきてくれ。それ以外のことならあとからまとめてついきゆうするから構わなくていい」

りようかいしました」

 会話を聞いて、フェリシアの手がじよじよふるえ出す。

 今のウィリアムの声は、ウィルとは似ても似つかなかった。ウィルが春のひだまりのような声を持つなら、今のウィリアムは冬のかげのように冷たい声だ。顔なんて見えるはずもないのに、きっと彼が変わらないみをかべているだろうことが想像できてしまう。

 それが、余計に怖かった。

(やっぱり殿下は、やさしいだけの王太子ではないんだわ)

 そもそも、それだけでは国は治められない。フェリシアも十分理解している。

 しているからこそ、王という人間がどこまでもれいこくになれることも知っている。

(〝彼女〟って、たぶんサラ様のことよね?)

 きっとだれかがサラに危害を加えようとしたら、容赦なくしよけいするとかそういうことだろう。サラは聖女だ。ウィリアムにとっては私的にも、公的にも、大切な人である。

 そしてその〝誰か〟は、フェリシアである可能性も大いにありえるのだ。

(むしろ私だと思ってそう……! 絶対そんなことしませんわ! しませんからえんざいだけはやめてくださいね!?)

 フェリシアが打ち震えている間に、二人の会話は進んでいく。

 その声は、もう目の前と言っていいほど近づいていた。

「それと、グランカルスト王からの手紙についてはどうしますか?」

 そのしゆんかん、フェリシアは「え……」と目を見開いた。

ほうっておきたいところだけど、どうせもうこちらの返事など待たずに来ているだろうね、あの王は。念のためむかえの準備と部屋の確保をしておいてくれ」

「かしこまりました」

「フェリシアには──」

 カーテンがれた。このどうようを隠せなかった。

 それを、ウィリアムがざとく見つけてしまう。

「誰だ」

 ウィリアムの冷たい声が耳にさって、側近らしき男にカーテンをバサリと開けられる。

「フェリシア?」

「あ……でん、か」

 さすがのウィリアムも予想外だったのか、一瞬だけ彼の笑顔が固まった。

 しかし次にはもう、彼はいつものように微笑ほほえんでいて。

「フェリシア。そんなところで、何をしているんです?」

 答えなきゃと思うのに、色々なことが重なって口が動かない。

 一番しようげきを受けているのは、グランカルスト王──兄がここに来るかもしれないということ。

殿でん、本当なのですか。兄が……グランカルスト王が、ここに来るって」

「……ちょうどいい。少し話をしましょうか。あなたの部屋を訪ねても?」

 ためらいのあとにうなずいた。フェリシアとしても、くわしく話を聞いておきたかったから。

 場所を移動すると、フェリシアはウィリアムを部屋の中へと招き入れる。

 じよやメイドは来ないけれど、フェリシアは毎日そうをかかさない。すみずみまでていねいよごれを退治している。やっておいてよかったと、このとき心の底から思った。

 でなければ、使用人からいじめられている女として、少しだけみじめな思いをしたかもしれない。だんのフェリシアなら気にしないが、このときはなぜか、それが気になった。

おどろいた。れいなものだね」

「え?」

「いえ、なんでもないですよ。それより、何か不自由なことはありませんか? この国に来てからそれなりにつのに、そういえばあなたからは何も聞いたことがないなと思いまして」

「いえ、特に不自由はしてませんわ」

「……そう」

 フェリシアは、ウィリアムに二人がけのソファをすすめる。彼の側近はそのななめ後ろをじんった。

 この部屋に侍女もメイドもいないことを、二人の男性は何も問わない。

 フェリシアは自ら紅茶をれると、ウィリアムの前にそっと置いた。

「ありがとう。それで、さっきは隠れんぼでもしていたんですか?」

「そんなところですわ。それより、先ほどのお話について詳しく教えてくださいませ」

 ウィリアムが困ったようにまゆじりを下げる。その表情は、ついさっきあんなに冷たい声を発していた人間とは思えないほどだ。

「これはまだ確定ではないんです。だから情報を止めていました。実は、あなたの兄君が、この国に視察に来たいと手紙を出してきましてね」

「視察ですって? アイゼンお兄様が? ありえませんわ」

 フェリシアはそくとうする。こう言ってはなんだが、グランカルストにとってシャンゼルとは小国かくしたなのである。あの合理的な兄が興味を持つとは思えない。

「お兄様のことですもの。絶対ほかに何かたくらんでるに決まってますわ。お断りしましょう」

「もしかして、兄君とは仲が悪いとか?」

 ウィリアムがしようしながらカップを手に取る。

かくす必要もございませんから申し上げますが、とても悪いですわ」

「そう、とてもですか」

 すると、そのカップが小刻みに震え出した。もしかして、笑われているのだろうか。

「それは気の毒に。いや、いっそうれしいような……ふふ」

「で、殿下?」

「失礼。とりあえず、私もあなたの兄君とは二度ほど会ったことがありますけど、行くと言ったら来る人でしょうし、こんやく者であるあなたの兄君でもあるから、断れそうにありません。いつしよむかえてくれませんか?」

「……殿下がお決めになったのでしたら」

「ふふ、本当にいやそうですね」

「そんなこともありますわ」

 兄から受けた嫌がらせは忘れていない。この婚約だってそうだ。兄が最後にこんな嫌がらせをけなければ、あるいはフェリシアはここまで四苦八苦しなくて済んだかもしれない。

 それでも、祖国から遠くはなれたここなら、もう二度と兄たちに会うことはないと思っていた。

 それが視察に来るだなんて。これまでの経験から裏を読みたくなるのは仕方ない。

 ハッとした。

(まさかお兄様、サラ様と殿下のうわさを……?)

 聞いたのだろうか。いや、でも、遠い国のことだ。そこまで噂が届くだろうか。

 と思ったが、いい例が目の前にいることに気がついた。

(確か殿下の噂は、つうに届いてたわね……!)

 となると、やはり噂を聞いたのか。それで妹──ひいては国がないがしろにされていると思ってこうに来るつもりなのだろうか。

(いいえ、それは絶対にないわ。というよりは、私がこんやくされて、国にもどってくるかもしれないことにけんを示すような人よ)

 自分で思って、みようにすんなりとなつとくする。きっとそうだ。兄は、フェリシアが戻ってこないよう画策しようとしているのだ。

 では、かいするために、兄は何をするつもりなのか。

(私と殿下をくっつけようとするわね。合理的なお兄様なら、きっと私自身のりよくよりも、私をめとることで得られる利益について説きそうだわ)

 そんなのたまったものではない。フェリシアは円満な婚約破棄を望んでいるのに。

 すでにサラへと気持ちがかたむいているであろうウィリアムにとって、大国の王からの圧力はうつとうしい以外の何ものでもないだろう。

 そのせいでデッドエンドなんて、本気で笑えない。

「殿下!」

「うん?」

「お兄様は、わたくしが案内いたします。殿下はおいそがしい身ですもの。兄のことでわずらわせたくありませんわ。どうぞ、わたくしにお任せくださいませ」

 なんとかして二人を引き離さなければ。兄には何も実行させてはならない。

「殿下が心配なさることは何もございません。わたくし、ちゃんと兄を説きせておきますわね。もし何かかんちがいをしていたら、そのしようごと修正しておきますから」

 バンッと胸を張る。しかし。

だいじようですよ、私も一緒に接待しますから。あなた一人に押しつけたりなんかしない。たまには私をたよってください」

「で、ですがほら、殿下は聖女様のことでお忙しいでしょうし……」

「それくらい問題ありません」

「でもあの、お兄様はひとくせも二癖もある人でして、非常にめんどうくさい人ですし……」

「ええ、知ってます。だから余計に、ね」

「でも……その……」

「大丈夫。共に乗り切りましょう」

 キラッキラの微笑みを向けられて、フェリシアはついに言い訳を失った。〝共に〟が嫌だからえんりよしてるんですわ! とは、さすがに言う勇気がない。

 どうしてこうなった。どうして食い下がる。

 フェリシアは、ウィリアムの代わりえしない微笑みを見ながら、がくぜんとするしかなかった。

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