第二章 森の病魔 その6

 そんな楽しそうな彼らとは裏腹に、洞窟の奥からはゴブリン達の悲鳴が響いてきた。

『ギャギャッ⁉』『グギャ、ガッ……』

 火と煙を吐きながら走ってきた仲間の死体に、驚き戸惑っているうちに、煙の中に含まれたポイズントードの麻痺毒を吸ってしまい、体が痺れて逃げる事もできなくなり、ついには呼吸さえ不可能となって息絶えていく。

 そんな断末魔の悲鳴を耳にして、ミラの幼い顔が曇った。

「こうする他に、なかったんですよね」

 自分に言い聞かせるような彼女に、テリオスは深く頷き返す。

「はい。平和な世界を築くという事は、平和を蝕むものを取り除くという事と同義です。だから私は、人間に害なすものは病魔だろうと魔物だろうと全て滅ぼします」

 ミラに何度も語ったように、彼は二度と人間を殺さないと決めている。

 けれども、人間以外の命を救うつもりはない。全ての生物が殺し合わずに生きていける楽園など、効率よくエネルギーを得るために、他の生命を殺して取り込む行為=食事をするように進化してきた時点で、絶対に達成できないのだから。

「幻滅しましたか?」

 平和な世界という綺麗な目標に反して、そこへ至る道程は真っ赤な血で濡れている。

 もしも、テリオスに協力しようと思うのなら、今日よりもさらに惨い光景を目にする事だろう。

 だから、深く関わるのを止めてもいいのだと、そういう意味も込めた問いに、ミラは首を横に振って答えた。

「いいえ。先生が創る平和な世界を、私も見てみたいですから」

「ありがとうございます」

 屈託のない眩しい笑顔で言い切られて、テリオスは後ろめたさを感じながらも笑い返す。

 そして、悲鳴が途絶えた洞窟の中へ、念のため確認に向かおうと足を向けた瞬間、彼の鋭敏な感覚が強い魔力を捉えた。

「ミラさん、後ろに下がっていてください」

「は、はい」

 張り詰めた空気を感じたのだろう。ミラは黒猫と共に大きく後退した。

「ゴブリンが偵察に来たという事は、それを命じたボスがいるのだろうとは思っていましたがね」

 そう呟くテリオスの前に、洞窟の奥からゆっくりとそれは姿を現した。

 背中を丸めているため小柄に見えるが、実際には大きめのクマほどもあるだろうか。

 全身を覆う毛皮は血の赤や泥の黒、そしてカビのような緑色でまだらに染まって、もはや元の色が何かも分からない。

 太い鞭のような尻尾をしならせ、頭の上に生えた耳をピクピクと動かし、赤い血走った目でこちらを見据えるその魔物の名は——

「鼠獣人ですか。珍しい」

「キシシッ」

 テリオスの呟きを褒め言葉とでも受け取ったのか、呪いや病気によって半獣と化した元人間の魔物——ワーラットは、長い前歯を鳴らして笑う。

 その全身から漂う腐臭があまりにも酷すぎて、かなり後ろに下がっていたというのに、ミラは吐きそうになって口を手で押さえていた。

「うぐっ……」

「ドブネズミの方がまだ清潔ね」

 黒猫も不快そうに顔をしかめ、腐臭を吹き飛ばそうと前足を振る。

 そんな背後の様子を窺いながら、テリオスは内心で溜息を吐いた。

(嘘から出たまこと、とはこの事ですね)

 ゴブリンが緑腐病の感染源かもしれないという話は、ミラに発破をかけるために言った嘘である。

 肌の色から感染源だと疑われて、過去に大規模な討伐が行われたのは事実だが、その際に実験が行われて、ゴブリンはどうあっても緑腐病にかからない事が判明していた。

 ただ、ミラに伝えたもう一つの話、人間にしか感染しないはずの緑腐病が、例外として魔物にはうつるという話は本当である。

 ゴブリンを始め大半の魔物には感染しないのだが、極一部の例外——目の前にいるワーラットのような獣人だけは、元人間であるため緑腐病を宿せるのだ。

 そして、毒も効かないほど強靭な生命力を持つ魔物と化したために、病魔と共存をはたして死ぬ事もない。

「貴方がクリオ村に緑腐病をばらまいた張本人ですね?」

 毛皮に生えた緑色のまだら模様を見れば、わざわざ聞くまでもない事なのだが、テリオスはあえて確認を取る。

 すると、ワーラットはまた前歯を鳴らして笑いながら頷いた。

「キシシッ」

「この人が、お母さんを、皆を……っ!」

 腐臭に苦しんでいたミラの顔が、怒りで真っ赤に染まっていくのが、後ろを振り返らずとも分かった。

 そんな彼女が爆発する前に、テリオスは最後の確認をする。

「理由をお聞かせ願えますか?」

 だが、その問いに答えが返ってくる事はなかった。

「キシャァァァ———ッ!」

 無駄話は飽きたとばかりに、ワーラットは奇声を上げて跳躍し、テリオスに襲いかかってくる。

「先生っ⁉」

 悲鳴を上げるミラは知る由もないが、ワーラットは数ある魔物の中でも、人間を殺す事に異常なほど特化している。

 身体能力はそこまで高くない。歴戦の戦士ならば互角に戦えるだろう。

 ただ、鋭い爪による掠り傷どころか、近づいて唾や息を浴びただけで、体に宿した無数の死病をうつされてしまうのだ。

 治療手段を持たない相手ならば、半神の英雄だろうと殺しかねない病魔の塊。それがワーラットの恐ろしさである。しかし——

「申し訳ありませんが、私は骸骨ですので」

 とっくの昔に死んでおり、病気と無縁の不死者であるテリオスは、跳びかかってきたワーラットの腕を平然と掴み止める。

 そして、人間に不幸しかもたらさない、この病魔の塊を世界から消滅させるため、静かに呪文を唱えた。

「『焼殺』」

 燃えさかる赤い業火が、掴んだテリオスの手ごとワーラットの全身を包み込む。

「——ッ!」

 灼熱の火柱に呑み込まれて、ワーラットの悲鳴も、その体に宿した病魔も、全てがこの世から焼き消されていく。

 そうして、炎が消えた後に残ったのは、地面の黒い焦げ痕だけだった。

「ふー……」

 生前の癖で、テリオスはつい首の骨を鳴らしてから、ゆっくりと背後を振り返り、呆然と立ち尽くしていたミラに向かって頭を下げた。

「ミラさん、貴方の仇を奪ってしまいました。申し訳ありません」

「えっ、いや、先生が謝る事じゃないですよ!」

 まさか謝罪されるとは思っていなかったようで、ミラは取り乱してブンブンと勢い良く両手を振る。

 それからテリオスの前まで歩いてきて、まだ少し熱の残った骨の手を握り締め、花が開くように微笑んだ。

「みんなの仇を取ってくれて、ありがとうございます」

「ミラさん、私は——」

 平和な世界を築くという、自分の目的のためにした事であり、仇討ちのつもりなどなかった——というテリオスの言葉を、ミラは首を左右に振って言わせなかった。

「どんな理由だろうと、先生は私達を救ってくれて、お母さん達の仇を取ってくれました。だから、本当にありがとうございます」

「……はい、どう致しまして」

 久しく忘れていたむず痒さを感じて、テリオスは照れて頬骨を掻きながらも、ミラのお礼を受け止める。

 そんな二人を茶化すように、黒猫が髭を揺らして笑った。

「やっぱり、偽善も復讐もしっかりやるべきね。何故なら、そっちの方が傍から見ていて楽しいから!」

「最低の理由ですね」

「黒猫さんの嘘を吐かないところは好きだよ」

 どこまでも身勝手な傍観者に、テリオスは軽蔑の眼差しを向け、ミラは苦笑してぎこちない賞賛を送る。

 それから、生き残りの魔物がいないか、念のため洞窟の奥まで調べてから、彼らは皆が待つクリオ村へと帰っていくのだった。


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試し読みは以上です。


続きは2020年5月29日(金)発売

『不殺の不死王の済世記』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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