君死にたもう流星群 SS

旅立ち

 春の陽気が、ふんわりと街を包み込み、どこか世界が明るくなっていく季節。

 三月。

「じゃあパパ、ママ、行ってくるね」

「大丈夫、忘れ物ない? パスポートは?」

「大丈夫だって。てか、その質問何度目?」

 母親の心配そうな顔に、娘は苦笑しながら答える。

「……気をつけてな」

「うん、パパも元気で」

 父親は神妙な顔で、絞り出すように低い声で言う。それは、娘の門出を祝うというよりも、手塩にかけた一人娘を嫁に送り出すような複雑な表情。

「じゃあ、行ってくるよ。……いや大丈夫だって、駅まで自分で歩くから」

 少女は苦笑して、玄関を出ていく。両親はそれをなおも心配そうに見つめる。


 旅立ちの日。


「みんな心配しすぎ」

 ぼやきつつ、少女は道を進む。新調したキャリーバッグは鮮やかな花柄模様で、旅の支度と少女の夢が詰まっている。

 角を曲がったときだ。

「あ……」

 道の端に、一台のバイクが停まっていた。派手な銀色のバイクには見覚えがある。

りょうすけ……?」

 声をかけると、バイクに寄りかかっていた人物は、ちょっと腰を浮かし、ヘルメットを脱いだ。薄茶色の髪がさらりとこぼれる。

「あ、えっと、ちゃん、今日、だったよね?」

 ちょっとつっかえながら、少年は言う。なんだかいつもより緊張した様子。

「なーに涼介、空港で見送りするんじゃなかったの?」

「いやまあ、最初はそのつもりだったけど……。あっちはみんないるし、あんま話せないだろうから、と思って」

 少年は、いたずらの言い訳でもするように、自信なさげにうつむく。

「なにもじもじしてんのよ」

「も、もじもじしてねーよ」

「気色わる」

「な……人がせっかく心配して来てやったのに、だからおまえはモリマンなんだ」

「意味分かんないし、べつに頼んでないし。あとモリマン言うな」

 少女がキャリーバッグをハンマーのように振り回して少年にアタックする。少年はステップバックして回避するが、バッグがかすって「イッテ」と叫ぶ。

「伊万里ちゃんはどうして狂暴なの?」

「あたしはおしとやかよ、あんたがバカだから鬼になって戒めてんの」

「今シメてんの?」

「戒めてんの」

 しゃべりながら、少女はローキックを繰り出し、それを少年が避ける。攻撃と防御の応酬。

「もう、これから出発なんだから余計な体力使わせないでよ」

「伊万里ちゃんが勝手に蹴ってるだけじゃん」

「もうあたし行くからね、飛行機の時間あるし」

「待って待って」

 少年が、慌ててバイクを引きずり、後についていく。

「なんでついてくんのよ」

「そんなに俺のこと嫌い?」

「大嫌い」

「ショック!」

 少年が天を仰ぐ。

 その様子を見た少女が、はあ、とため息をつく。

「あんたとくだらないやりとりするのも、これが最後だと思うと感慨深いわ」

「いや~、伊万里ちゃんがいなくなると寂しくなるなあ」

「あんたが言うと軽いっていうか、嘘くさいわね」

「ひっでえ、これでも別れを惜しんでるんだぞモリマン」

「だったら神妙な顔をしなさいよ」

「さっきは神妙な顔をしてただろ」

「神妙というより珍妙だったわ」

「うまいこと言う」

「ったく……あとモリマンいうな」

 軽妙なやりとりをしながら、二人で並んで歩く。少女はキャリーバッグを引きずりながら、少年はバイクを引きずりながら。

 少し歩いたところで、

「……伊万里ちゃんはすごいよね」

 少年が、ぽつりとつぶやいた。

「は?」

「だって、海外だろ? 渡米とかすごいよな」

「渡米じゃなくてベルギー」

「ベルギーに渡米だろ」

「あんたよくそれで医学部受けようとか思うわね」

 少女は呆れたように肩をすくめる。

 角を曲がる。

 駅は少しずつ近づく。

「なんにしろ、海外なんだからスケールが違うよな」

「べつに、ちょっと転校するだけよ」

「俺、日本を出るとか考えたことねぇし、なんなら市内から出るのもツーリングだけだし」

「いつもツーリングでどこ行ってんのよ」

「ん? ゲーセンとか?」

「市内じゃん」

「あ、そっか」

 他愛もない話。

 だがそれは、今日という日を最後に、二度とないやりとり――少なくとも、高校時代の同級生としては。

 鼻の頭に、水滴の感触。

「あーサイアク。雨降って来た。涼介のせい」

「なんで俺のせいなんだよ」

「あんたが引き留めるから、駅に着く前に雨になったじゃん」

「このくらいの雨、大丈夫だろ」

「ずぶぬれでみんなに見送られたくないし」

 少女は立ち止まり、キャリーバッグを開ける。折り畳みの傘を探そうとしたが、

「あっ……!」

 どこかに荷物が引っかかったのか、キャリーバッグが弾み、中身を盛大に道路にばらまく。

「あー、もうっ!」

「うわ、やっちまったな」

 ぶちまけた荷物を、少女は慌てて拾い上げる。少年もバイクを停め、いっしょに拾うのを手伝う。

「わお、伊万里ちゃん、可愛いブラつけてるね」

「ちょ、バカ涼介!」

 少年が手にしたブラジャーを、少女はひったくるように奪い返す。

「今の勝負下着?」

「バカじゃないの」

 そう言いながら、少女の顔は真っ赤だ。

「ほい、傘」

 少年が、道の端に転がる、水色の傘を拾い上げる。

「……ありがと。あたしが拾うから、あんた差してて」

「へいへい」

 少年は傘を開き、少女が濡れないように差す。

「…………」

「…………」

 二人の胸に、何かが去来する。

 それは数日前、学校の古い用具入れの裏であった出来事。

 傷心の少女に、少年がそっと傘を差した、あの雨の日。

 少女が荷物を拾い終わり、バッグを締める。

 少女の肩は濡れている。少年も濡れている。

 あの日と同じように。

 そして二人はまた歩き出す。

「あんた、濡れるでしょ。もう行ったら?」

「いや、大丈夫。ライダースーツだし」

「……そ」

 少女は強く言わない。

 少年は黙ったまま、バイクを引きずって少女の隣を歩く。

 濡れた肩を並べて。

 また、少し歩いてから、

「この前さ……」

「ん?」

 少女が瞳を向けると、

「いやなんでも」

 少年は目をそらす。

「なによ、はっきり言いなさいよ」

「伊万里ちゃんも、女の子だなあって」

「は、ケンカ売ってんの?」

 少女が威嚇するように、首を傾げて睨む。

「あー、待って待って。なんか俺と伊万里ちゃん、いつもこうなっちゃうけど、あ、いや、こういうの好きだけど、でも今日はちょっと待って」

 少年は頭をガリガリと掻く。

「なによ、言いたいことがあるなら早く言いなさいよ」

「う、うん」

 少年は意を決したように、口を開く。

「伊万里ちゃん、俺――」

 何か言おうとして、角を曲がる。

 そのとき、前から来た通行人とぶつかりそうになり、少年と少女は道を空ける。二人の間に間隔ができて、

「なんか言った涼介?」

「あ、いや……なんでも」

 少年は水を差されたように、その先の言葉を飲み込む。

 駅前に着く。

 少年はまた頭を掻きながら、

「伊万里ちゃん」

「なに」

「元気でね」

「……今生の別れみたいに言わないでよ」

「だって……」

 いよいよ駅の階段が見えてくる。

 ここから先はバイクを引きずってはいけない。

 少女は立ち止まり、今度は急かさずに、相手の言葉を待った。

 少年は何か言おうとして、言葉を選ぶように視線をさまよわす。

「……さびしくなるなぁ」

 それは情感のこもった声。

「本当に?」

「マジだよ。……伊万里ちゃんは寂しくないの?」

「べつに私は……」そこで少女は、わずかに視線を上げて、雨空を見て、

「まあ、寂しいは、寂しいけど」

「ああ、ごめん、俺なに言ってんだろ、伊万里ちゃんのほうが一人で外国行って、さびしいのに」

 少年はすまなさそうに言う。

「ごめん、しめっぽいこと言って」

「何よ、バカ涼介のくせに殊勝なこと言わないでよ、珍妙なこと言いなさいよ」

「そんなこと言ったって……ごめん、俺もう行くわ」

 少年が、ヘルメットをかぶり、バイクにまたがる。

 少女はそれをじっと見つめ、少しだけ胸に手を当てて、

 そして、


「待って」


 呼び止める。

「なに?」

 少年がヘルメットを脱ぐ。

「えっと、これはママの受け売りだけど」

 少女は視線をそらし、ちょっと照れくさそうに語る。

「『旅』っていう漢字、あるでしょ」

「たび……旅行の?」

「そう」

「えっと……」

 少年は眼をパチクリさせ、『旅』という漢字を思い浮かべる。

「もう、あんたマジで医学部受けるのよね? ほら」

 少女がスマートフォンで、『旅』という字を表示する。

「それで、これがどったの? 受験に出る?」

「出ないわよ、小学校で習うんだから。……で、この旅という字は、『旗を持って歩く人たち』って意味なの」

「確かに『旅』と『旗』って似てるな。間違えそう」

「間違うのあんただけよ」

 少女は呆れつつ続ける。

「旅という字の右側のつくり、これは『人』という字が二つ重なったものなの。旅は二人で行くもの」

「二人……」

 少年は首を傾げる。

「でも伊万里ちゃん、今度の旅……っていうか留学、一人じゃん」

「一人旅でも、二人なのよ」そこで少女はちょっと恥ずかしそうに「心の中では」

「心の、中……」

「人はね、一人で旅をしていても、心の中ではいつも誰かといっしょなの。これ、私が小さいころにパパが単身赴任するとき、ママに言われた言葉なんだって」

「へえ、伊万里ちゃんちはラブラブだね。ウチなんか冷え切ってるけど」

「まあ、半分はママの創作で、元々の由来は旗を掲げて多人数で戦地に赴く、みたいな意味らしいけど、とにかく旅には『人』が二つ入ってるの。……だからね」

 少女はちょっぴり恥ずかしそうに、視線をそらしながら、

「あんたのこと、旅先でちょっと思い出してあげるから……それで元気出しなさい」

「…………」

 少年は、じっと少女を見つめる。

 それから、ハッとした顔をして、

「もしかして、伊万里ちゃんの心の中には俺がいるってこと!? 俺のこと好きなん!?」

「バカ! なんでそうなるのよ!」

 そこで少女は少年の足を蹴る。「イデッ」と少年が足を押さえる。

「だ、だって、『心の中に俺がいる』って、そういう意味じゃん!?」

「あんただけじゃないわよ! パパもママも、友達だってそうなの! でもその中にあんたも混ぜてやるって言ってんの!」

「今までは混ぜてもらえなかったの?」

「当然でしょ」

「ガビーン」

 少年がおどける。

 それから、

「……じゃあさ」

 少年は空を見上げて、誓うように、

「俺も、伊万里ちゃんのこと考えてるよ。……伊万里ちゃんが帰ってくるまで」

「……そう」

 少女は小さくうなずき、

「まあ、そういうことよ」

「俺のこと、励ましてくれたの?」

「あんたが子供みたいに寂しがるから」

「だって寂しいんだから仕方ないだろ」

「……まあ、寂しがってくれるのは……、悪い気は、しないけど」

 少女は小声になり、ちょっとだけ目をそらす。

 そのときだ。

 甲高いメロディが響く。

 少女はスマートフォンを取り出し、

「あ、やば、遅刻!」

 キャリーバッグを掴み、

「じゃああたし、行くからね!」

 少女はエスカレーターに乗る。

「行ってらっしゃい!」

「うん、行ってくるよ!」

 なんだか売り言葉と買い言葉のように、二人は言葉をかわす。

「じゃあね! 元気でね! 早く帰ってきてね!」

「子供か!」

「体に気をつけてね! 俺のこと忘れないでね!」

「はいはい、忘れたくても忘れられないわよ!」

「伊万里ちゃ――」

 エスカレーターは上昇する。

 二人の言葉が届かなくなる。

「……何しに来たんだか」

 コンコースを歩きながら、ため息を吐く。

 べつに今生の別れでもなければ、絶海の孤島に行くわけでもない。

 両親との約束で、少なくとも年に一度は帰ってくるし、電話だって日本とつながる。

「でも……」

 ――どうしたの、伊万里ちゃん。

 あの日のことを思い出す。

 ――濡れちゃうよ。

 少年に傘を差しかけてもらったとき。

 あっち行け、と言いながら、でもあと少しだけ、そばにいてほしい――そんなふうに思う自分がいた。

「デリカシーあるんだか、ないんだか……」

 口元に笑みを浮かべ、ささやくように、つぶやいた。


「……バカ涼介」


         〇


「伊万里ちゃ――あ、もう聞こえないか」

 別れの言葉をかけたとき、少女の姿はもう駅に飲まれていた。

「…………」

 少年は黙ったまま、じっと、駅のエスカレーターを見つめる。

 ――ほっといて。

 あの日、少女は泣いていた。 

 ――あっち行ってよバカ涼介。

 決して人前で泣くことのない少女が、人知れず、ぽろぽろと、涙を流していた。

「きゅんと来たなぁ、あのときの伊万里ちゃん……」

 自分の胸に手を当てる。

 留学すると聞かされた日には、そこまで深く考えなかった。

 だが、別れの日が近づくにつれ、日増しに自分の中で募る寂寥感に、少年自身も戸惑いを覚えていた。

「次、会えるのは来年かァ……」

 少し考えたあと、少年はヘルメットをかぶる。

「やっぱ俺も空港行こ!」

 バイクのハンドルを握る。

 エンジンをふかす。

「旅、か……」

 なんとなく、その言葉から、授業で習った『奥の細道』を思い出す。

「月日は百代の……価格……なんだっけ、そうだ、過客にして、行きかう年も、また旅人なり……だっけ?」

 少年は、うろ覚えの知識をそらんじる。

 離れていても、一人のときも。

「『人生は旅』って、昔のエライ人も言ってるもんなァ……」

 雨上がりの空に、七色のアーチが架かる。

 それはまるで新たなスタートラインのように少年を出迎える。

「あ、やべ、急がないと」

 少年はアーチに向かって、徐々に加速していく。

 バイクは銀色の軌跡を描いて、まっすぐ明日へと進んでいった。


                                      (了)

関連書籍

  • 君死にたもう流星群

    君死にたもう流星群

    松山剛/珈琲貴族

    BookWalkerで購入する
  • 君死にたもう流星群 2

    君死にたもう流星群 2

    松山剛/珈琲貴族

    BookWalkerで購入する
  • 君死にたもう流星群 3

    君死にたもう流星群 3

    松山剛/珈琲貴族

    BookWalkerで購入する
Close