電撃の新文芸『傷心公爵令嬢レイラの逃避行』/染井由乃

電撃の新文芸より5月18日発売予定の新作!

溺愛×監禁。婚約破棄の末に逃げだした公爵令嬢が囚われた歪な愛とは――。

著者:染井由乃 イラスト:鈴ノ助

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★特別書き下ろしSS『亜麻色の髪の天使様』


 雲一つなく澄み渡った青空の下、きらきらと鮮やかな色の紙吹雪が舞う街の中を、薄紅色のワンピース姿の私は勢いよく駆け抜けていた。


「早く早く! ぐずぐずしていると日が暮れちゃうわ!」

「待ってよ、レベッカ……。そんなに慌てると転んじゃうよ」


 情けない声を上げて私のすぐ後ろにくっついてくるのは、双子の弟のオリヴァーだ。もう10歳になろうかというのに、泣き虫な性格はいつまで経っても直らない。


「一年に一度の素敵な祝祭で、じっとしていられるものですか!」


 くるり、とオリヴァーの方を振り返れば、ワンピースの裾がふわりと舞う。私とそっくり同じオリヴァーの灰色の目に、満面の笑みの私が映り込んだ。

 ここは、王都ルウェイン。幻の王都とも呼ばれる魔法の街。夏も盛りを迎えようという今日は、一年に一度の祝祭の日だ。

 普段から賑わいを見せている幻の王都だけれども、やはり祝祭の今日は格段に華やかだ。

魔法によってどこからともなく舞い落ちてくる色とりどりの紙吹雪に、街のメイン通りに沿って並んだ甘いお菓子の屋台。広場では、魔法で咲かせた花を配っているようで、回らなければならない場所は盛りだくさんだ。


「そんなに急いだら、はぐれちゃうよ……」


 迷子になる未来を予期したのか、オリヴァーが瞳を潤ませ始める。同い年だと言うのに、手が離せない弟だ。


「もう、しょうがないわね……」


 そっとオリヴァーに左手を差し出せば、彼はぱっと表情を明るくして、すぐに自分の手を重ねた。

オリヴァーとはもう何年も、こうして一緒に歩いてきた。多分、これから先もそうだろう。


「レベッカ、オリヴァー。林檎の飴はもう貰ったかい?」

「二人とも、喉が渇いたろう。こっちで冷たい紅茶でも飲んでいきなさい」


 街の大通りを歩けば、大人たちがあれこれと私たちに構ってくれる。お金なんて払わなくても、すぐにお腹がいっぱいになってしまうくらいに、みんな優しくしてくれた。

 多分それは、この街に子供が極端に少ないせいだと思う。理由があるにはあるのだが、まあ、今日はそのあたりには触れないでおこう。


「レベッカ、これ」


 色とりどりの花で溢れかえる広場に到着して間もなく、オリヴァーが差し出してきたのは、可憐なアネモネの花束だった。

華やかな花が勢ぞろいする中では慎ましやかな印象を受ける花束だが、オリヴァーが選んでくれたのならそれだけで嬉しい。


「ありがとう。お家へ帰ったら飾らなくちゃね」


 父さんと母さんに頼めば、枯れないように魔法をかけてくれるかもしれない。私はオリヴァーから貰った花束を抱きしめながら、ふっと笑みを深めた。


「あっ」


 私が花束を愛でている横で、ふと、オリヴァーが情けない声を出したかと思うと、彼は広場の段差に躓いて転んでしまった。

ちょっと手を離したすきにこれだ。本当に将来が不安になる弟である。


「ちょっと、大丈夫? オリヴァー」


 花束を小脇に抱えながら、オリヴァーに視線を合わせるように屈みこめば、両の掌を擦り剥いていた。深い傷があるようには見えないが、じわじわと血が滲んでいてとても痛そうだ。

 案の定、オリヴァーはただでさえ潤んでいた灰色の目をさらに潤ませて、ついにぽろぽろと涙を流し始めた。

 これには私も困り果ててしまう。父さんか母さんがいれば、すぐに治癒魔法をかけてくれるのだが、生憎私はまだそこまでの域に達していない。オリヴァー自身も似たようなものだった。


「……お水で洗った方がいいかしら」


 ちょっとした傷は、すぐに魔法で治してもらっていたせいで、魔法を使わない手当ての仕方というものはうろ覚えだ。人で賑わう広場の中、心細さに軽く俯く。


「こんなところに屈みこんで、一体どうなさったのですか?」


 不意に、私たちの頭上から鈴の音を転がすような可憐な声が降ってくる。優しくて甘い、素敵な女性の声だった。

 私もオリヴァーも、示し合わせたように同時に顔を上げる。夏の日差しに目が眩んだが、ふわりとなびいた亜麻色の髪に、思わず言葉も忘れて見惚れてしまった。

 私たちの傍にいたのは、亜麻色の髪に亜麻色の瞳の、とても綺麗な女の人だった。年のころは、十代後半と言ったところだろうか。この街の多くの人間よりは若く見える。


「……オリヴァーがね、怪我をしてしまったの」


 見慣れぬ相手だったが、縋るように見つめれば、亜麻色の瞳が痛みに共感するように揺らいだ。


「大変、血が出ていますね……。立つことはできるでしょうか?」


 彼女は菫色のワンピースが地面に着くことも厭わずに、私とオリヴァーの傍に屈みこんだ。


「失礼しますね」


 言葉がいちいち丁寧で品のある人だ。彼女は白い手でそっとオリヴァーの手を取ると、まじまじと傷口を観察している。

 陽の光に照らされた彼女の姿は、思わず人目を惹く何かがあった。

この人もこの街の住人なのだろうか。こんなに綺麗な女の人がいたら、とっくのとうに噂になっていてもおかしくないのに。

 泣いていたはずのオリヴァーも、いつしか亜麻色の髪の女の人に見惚れているようだった。痛みなどとうに忘れているような顔だ。


「ふふ、お姉さんすごい。何もしなくてもオリヴァーを泣き止ませちゃった」


 笑うように話しかければ、彼女はゆっくりと瞬きをして私に視線を向けた。その仕草一つ一つがやっぱり綺麗で、見惚れてしまう。


「昨日の夜ね、天使様が出てくるお話を呼んだの。天使様がもしもいるなら、きっと、お姉さんみたいな人だと思うわ!」


 この人ならば、真っ白な翼が生えていても驚かない。

軽く目を見開いたお姉さんのことをにこにこと眺めていると、またしても私たちの傍に影が落ちた。


「その表現もあながち間違いじゃないな。レイラは、僕の天使だから」


 優しい響きのあるその青年の声には、聞き覚えがあった。すらりと長い影を見上げるようにして振り返れば、そこにいたのは想像通りの人物だった。


「リーンハルトさま!」


 癖のない黒髪に、紫紺の瞳。左目の下には黒子があって、いつでも優し気な微笑を浮かべている。

この街の一番の有名人と言っても過言ではないその人は、リーンハルト・ルウェイン。王都ルウェインの創始者の子孫だった。


「そういう君たちは、アイスラー家の双子だね。随分大きくなったんだね」

「そうよ! 10歳になったの」

「へえ……生まれてから、もうそんなに経ってるのか……」


 最後の言葉は殆ど独り言のような調子で、レイラと呼ばれたお姉さんの耳には届いていなかったのか、彼女は軽く小首をかしげるようにしてリーンハルトさまを見上げていた。


「リーンハルトさん、この子が怪我をしてしまったようなのです」


 レイラさんが助けを求めるように告げれば、リーンハルトさまは微笑みを崩さないままに、オリヴァーの傍に跪いた。オリヴァーは、先ほどまで泣いていたことなどすっかり忘れて、リーンハルトさまをきらきらとした目で見つめている。

 それもそうだろう。リーンハルトさまは、幻の王都で一番優秀な魔術師なのだ。多くの子どもたちの憧れの的だった。オリヴァーも私も、その例に外れていない。


「可哀想に、痛かっただろう」


 リーンハルトさまはオリヴァーを労わるように軽く頭を撫でると、そっとオリヴァーの手を取った。オリヴァーはリーンハルトさまに触れられたことにすら緊張しているようで、言葉もなく頷くばかりだ。


「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢できるかい?」


 再びオリヴァーが頷けば、リーンハルトさまはオリヴァーの掌に自らの手を重ねた。そのまま間を置かずに、銀色の光が溢れ出す。

 最も簡易的な治癒魔法であることは、私にもわかった。訓練を積めばもうすぐ使えるようになるはずの術だ。

 だが、レイラさんだけはその様子をひどく驚いたように見守っていた。オリヴァーの掌の傷が跡形もなく消えている様子を見て、言葉もないようだった。

 レイラさんは、あまり魔法に慣れていないのだろうか。そうなると、この街の住人ではない可能性が高い。

 とはいえ、幻の王都は、ルウェイン一族に招かれた者しか入れない特別な街だ。となると、レイラさんは、この街の誰かに――恐らくはリーンハルトさまに招かれてやってきた客人ということなのだろう。

 魔術師が、本来魔法に無関係であるはずの人間をこの街に招く理由は一つしかない。

 思わず、にやりと笑みが零れた。


「ありがとう、リーンハルトさま、天使さま」


 オリヴァーが弱々しい笑みと共にお礼を言えば、レイラさんはそれに応えるように微笑みながらも、僅かに小首をかしげて問いかけた。


「先ほどから皆さんは私を天使様と形容なさいますが、幻の王都の皆様にとっての天使様は、亜麻色の髪をお持ちなのですか?」


 やはり、レイラさんは幻の王都の人間ではないようだ。知識欲から来るようなその質問に、リーンハルトさまがごく自然な調子で口を開く。


「そんなことはないよ。僕らに特定の宗教はないからね。今までの話は、単に君が天使のように愛らしいというたとえ話で――」


 そこまで言いかけて、リーンハルトさんは口を噤む。自分がとんでもなく甘い言葉を囁いていることに途中で気が付いたのかもしれない。

 レイラさんはレイラさんで、リーンハルトさまに「愛らしい」と言われたことが恥ずかしかったのか、先ほどまでとは比べ物にならないほど頬を真っ赤に染めている。


「そ、そうでしたのね……。たとえ話を解説していただくなんて、その、無粋な真似をいたしました……」

「いや……君が疑問に思うのももっともで……」


 リーンハルトさままで、耳の端を僅かに赤く染めている。何だか、傍から見ていてもどかしい二人だ。普段は余裕に満ち溢れた優し気な微笑みばかり浮かべているリーンハルトさまが、ここまで狼狽える様は初めて見た。

 これ以上は、お邪魔になるだろう。そう判断した私は、オリヴァーの手を取ると、お二人の前で小さく礼をする。


「リーンハルトさま、天使様、ありがとうございました! わたしたちはこれで!」

「あ……お気をつけて。良い一日になりますように」


 レイラさんが言うと、さりげない挨拶も祈りの言葉のように清廉に聞こえるから、やっぱり「天使様」という呼び名はそう間違いでもなさそうだ。

 私はリーンハルト様の前に歩み寄ると、そっとその耳元に顔を寄せて笑うように囁いた。


「『運命の人』と、末永くお幸せに。リーンハルトさま!」

「っ……」


 驚きと照れが入り混じったような表情で私を見つめるリーンハルトさまに、軽くウインクをする。


「お二人の結婚式を楽しみにしていますね‼」

「け、結婚式って……」


 状況を掴めていないらしいレイラさんが、更に顔を真っ赤にさせていた。

 てっきり、もうお二人はそういう関係なのだと思い込んでいたのだが、違ったのだろうか。あんなに甘い雰囲気を醸し出しておいて、恋人同士ですらないとは言わせない。

 初々しい雰囲気を醸し出すお二人を横目に、私たちは今度こそ歩き出した。


「……あーあ、私たちの『運命の人』は、いつ現れるかしらね」


 オリヴァーの手を引きながら、紙吹雪の舞う広場の中を行く。


「僕はしばらくはいいかなあ。レベッカと、もっと遊んでいたいから」

「しばらくってどのくらい? 百年? 二百年?」


 オリヴァーは答えの代わりににこにこと微笑むだけだった。やっぱり、放っておけない弟だ。


「まあ、でもそうね。しばらくは、あなたと遊んでいてもいいわ」


 この祝祭を、私たちはあと何百回繰り返すだろう。終わりが見えない未来は少しだけ怖くも思えるけれど、私の手を握ってくれるオリヴァーがいる今は、不思議と楽しみに思う気持ちしか湧いてこなかった。


「さて、今度は何を食べようかしら? 大通りの向こう側には、クッキーもあるって噂よね……」

「僕、もうお腹いっぱいだよ……」

「情けないわね。いいから行くわよ」


 オリヴァーの灰色の瞳に笑いかけ、再び彼の手を引いて歩き出す。

 私たちの祝祭はまだ、始まったばかりだ。


                                      

                              おわり

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