エピローグ いまだ天魔は歌われない──
「…………」
彼が目を開くと、目の前に
そのシミを見て。
「…………」
それからもう一度、真上にある蛍光灯を見て。
「…………なんだ、全部
と、
それから上半身を起こす。すると頭がガンガンして、
「あ
と、うめく。頭を
「やば、
そう言ってから、彼は自分がいまいる場所を
ベッドと、小学校のときに買ってもらったきりの子供っぽい勉強
「あれ、携帯は……」
とそこで、自分の
そのしわを見て、
「……あれ、
と、
さっき見ていた、いつになく
本当に、異常に
昔約束した美人な女の子が好きとか言ってきて、
ちょっと。ちょっとなんか、恥ずかしすぎる夢だった。
「…………」
でもそれとは別に少しだけ、楽しい夢だったような気もする。
最後はちょっとだけ気持ちよくなって、自分は死んでしまったのだけど、ずっとやることを見つけられてなかった大兎は、わりと満足して死んで。
と──そんないま、自分が見た、馬鹿な夢を思いだして、
「……俺、空手できなくなって
と呟いた瞬間、
「痛てて」
また頭が痛くなって、彼はうめいた。
「あ~、やば。本格的に風邪かなぁ」
呟きながら、彼はそれでもベッドから出る。立ち上がる。かけ時計のほうを見上げて、
朝のホームルームが八時二十分からなので、学校まで走れば十分でつく大兎の家からなら、まだ間に合うはずだった。
まあ、走ればだが。
「……ふぁ~なんか、すげぇ
言いながら、彼はぐっと
「まぁ、大丈夫か」
そのまま、部屋を出た。階段を下りて、
「母さん朝飯~」
と言ってみたが、返事はない。
「あれ、いねぇの?」
居間にいくと、
『高校生になって早々、朝帰りを始めた不良の大兎君へ。寝たのが
ママより』
とか、書かれている。
ちなみに妹のユイカは頭がよくて、
だが、大兎はその、母親の書き置きを見て、
「……はぁ? 朝帰り? 俺、朝帰りなんかしたっけ?」
と、自分の、昨日の行動を思いだそうとする。
「あれ、じゃあ俺、昨日どうし……」
とそこで、車の音がした。母親が帰ってきて、車庫入れを始めた音が聞こえる。
それに大兎は、
「まずっ」
と、
「ってなんでないの?」
という間にも、車のエンジンの音が止まって、
「あーあーいま母さんにあったら、すげぇめんどくせぇことになりそう。と、とりあえず、父さん帰ってくるまでは、家出てよ」
慌てて彼は、部屋を飛びだす。階段を駆けおりる。
「あ、大……」
「ごめん。遅刻するから、いくね。いってきま~」
と、大兎は母親の横を走りぬけた。
「ちょっと大兎!」
なんて声が背中に聞こえるが、大兎は気にしない。そのまま走っていく。それから少し足を
そして彼は結局、学校に向かった。
でもどっちにしろ、たぶん、遅刻は確定だった。
教室を後ろの扉の
それに大兎はうなずいて、音が立たないように扉を開ける。それでも当然、生徒たちは
何人かはにやにやしてる。昨日、ゲームをやろうと約束した、気のいいメガネの二人組、
それに大兎は、軽く指を二本立てて、合図する。
どうやらあの二人と友達になった記憶は、夢じゃないらしい。ってことはいったい、どこからが夢で、どこからが現実だったんだ? なんて首を
「もぉ、遅刻なんていけないんだ~。私が朝、
なんて言ってくる。
それに大兎は彼女の、いつもの
「いや、昨日、なんかいろいろ大変でさぁ」
と言った。いまいち、なにが大変だったのかは覚えてないけれど。
すると遥が少し、心配そうな顔で聞いてくる。
「昨日、帰ったの遅かったの?」
その問いに、大兎はやはり、よくわからないような顔になって、
「あ~、たぶん。そうらしい」
「そうらしい? って、なにかあったの?」
「うん? あ~どうなんだろなぁ。ちょっと俺にもよく……」
が、遥がさらに言う。本当に、心底心配するような顔で、
「ま、まさか大兎、
しかしそこで、
「お~い、鉄、
なんて先生が言って。
それに周りの生徒たちが一斉に笑う。ひゅーひゅーとか、古典的すぎるだろと突っこみたくなるような声を上げる。
それに遥は顔を赤らめて、でも、なぜかちょっと
しかし、そのすべてが、大兎にはどうでもよかった。それよりも問題は、いま、遥が言った言葉だ。
──人助けにいく。
という、大兎の、あのファンタジカルな
え? じゃあまさか、あの夢、
「んなあほな」
と、大兎が言うと、今度こそ
「あほじゃないぞ? これは本当だ。彼女は本当に、先日クーデターが起きて
なんて、よくわからない話を担任はしていて。
それに大兎は、
「へ? ってこれ、なんの話してんの?」
と言うとまた、生徒たちが笑った。それから担任が
「だから話を聞いてくれって言ってるのに。また俺に初めから話させる気か?」
と言った。
そして遥が横から小さな声で、
「転校生がくるんだって。ほら、このクラス一人少ないでしょ? だから一人
という言葉に、大兎は遥を見る。そして言う。
「ハーフの美人?」
すると遥がちょっと、
「え~、
「んぁ? あ~、いや、
そう言って、彼は自分の胸を押さえた。本当に、胸騒ぎがするのだ。
胸の
そして、ズキズキと
くる。くる。くるくるくる、おまえの
「……だからなんなんだよ、これは!?」
大兎が
「いや、なんなんだよはこっちのセリフだぞ?」
だが、もう、それに答える
だって、黒板に、信じられない言葉が書いてあったのを見つけてしまったから。
大兎がよく知っている、あの言葉が書いてあったのを見つけてしまったから。
黒板には、こうある。転校生の名前──と、書かれていて、その横に、こうある。
そう、書いてある。
それを大兎は読んだ。その名前を読んだ。
沙糸ヒメア。
さいとひめあ。
サイトヒメア。
「…………」
その、
くる、くる、くる、くるくるくるくるくる主がくる。歓喜しろ。
と、そこで。
バンっという音ともに
そして教室に、一人の女の子が入ってくる。
赤のプリーツスカートにセーラー服、という、そこそこの見た目の女の子でもかわいく見えてしまうような、近所の学生たちにも
いや、制服のほうがあきらかに
日本人ではありえない、というよりも、
そしてそれよりもなによりも目を引くのは、その、彼女の
その瞳が、教室を
生徒たちが彼女の姿を見て、
「う、うわぁ~、なんだあれ」
「び、美人」
「人間か?」
なんて、口々に言う。
そして担任が、
「ああ、やっときたね。彼女が今日からみんなの仲間になる、沙糸……」
が、そこで、ヒメアの目が、大兎をとらえる。あの夢と同じ顔で。
いや、記憶の中にある顔と同じ顔で、彼女はこちらを見て、
「大兎っ!?」
と、彼女は叫んだ。
そのまま彼女は突然、飛んだ。一番前の席を
それを
だが、彼女は気にしない。
いつも気にしない。
ただ、
そして。
「
そう、
だが、彼女はやはり気にしない。
強く、強く、強く、大兎の胸に抱き付いて。
「逢いたかった。逢いたかった」
と
それに大兎は、
「って、え~と、あ~、そーなんだ……昨日の、ゆ、夢じゃなかったんだ……ってことは全部現実で、昨日俺がやったことは……」
が、そこで。
大兎の
「あ、えーと、ち、違うんだ遥……これは、ええと、ちょっと待った!! ひ、ヒメア!? ちょちょ、ちょっと
「もう離れない! 二度と離れないって言った!」
という、その
それにだんだん、ほかの生徒たちも騒ぎ始める。というか、なんかちょっと、
男たちはまあ、わかる。だが女子のほうも、
「あいつ、遥がいるのになんたらかんたら」
「ちょっと最低。なんなのあいつはうんたらかんたら」
最後に遥が、
「ど、どういうこと? 大兎。知りあい?」
と、なぜか彼女は、涙目で聞いてきて。
うわーと思った。
うわなんかいますげーやべぇ~とか思った。
だがそこで。
「大兎いるかー!?」
という、聞き覚えのある声が、また、教室の入口で
それに全員の視線がそちらを向く。
大兎もそちらを見ると、そこにはあの子がいる。
安藤美雷がこちらを見るなり、
「うおーすごい! ほんとに生き返ってる!? やったな!」
と言った。
それに女子たちが、
「ねぇあの子もよ」
「ま、まさか
そして遥がまた、
「た、たたた、大兎?」
ってだから
いろいろ違……
とそこで、ヒメアが言った。大兎の首をまた、
「好きよ、大兎」
という、その言葉に。
「…………」
大兎は遥のほうを見て。
しかし彼女は慌てて、
「ちょ、ちょ、ちょっとトイレ」
とか言って走り去るときはもう涙が流れてて。
「ってえええええええ!?」
と大兎は叫ぶが、もう遅い。数人の女子たちが、
「
と追いかけて、その、教室を出る直前に、
「鉄君、最っ低!」
とか言う。
さらに他の女子たちもこちらをにらんでくる。さらに美雷のファンを公言している男たちがこちらをにらんだところで、美雷が近付いてくる。それから
「うおすごいなぁ、ほんとに生き返ってる」
とか言って。
いや、こ、これはほんとにおまえらの
「…………」
説明できる雰囲気では、もう、なかった。
担任が言う。こちらをにらんで、
「よし、鉄。おまえ、一時間目はもう出なくていい。
という言葉に大兎は担任を見て、
「……あ~、んぁ~、ええと……はい……」
ため息を、ついた。
だがそこで。さらにその後ろに、もっとめんどくさい
いま、美雷が入ってきた教室の扉の向こう。
そしてその男が言う。
「いや先生。そいつは俺がもらっていく。今日から生徒会で
なんて言って。
それに
「あ、紅君の仲間なのかい?」
「違う。奴隷だ」
「じゃあ安心だ」
「ってなんでだよ!」
と、大兎は
さっきまで最低女たらし
「く、鉄君、月光様の仲間だったのね。すごいなぁ」
「そういえばよく見ると、かっこいいよね、鉄君って」
「遥も見る目あるよねぇ」
とかおまえらあほか? あほなのか? と、大兎は突っこもうと思ったが、それにかぶせて月光が言ってくる。
「さあヒメア、美雷、大兎、ぐずぐずするな。仕事が待ってるぞ」
「ってなんでもう俺の名前
という、大兎の言葉に、月光はこちらを見下すように見て、
「
「誰が奴隷だ!」
「おまえだ。どこからどう見ても
と、軽く
「ああ、上等じゃねぇか、昨日の晩の結着をつけ……つけ……って、あの、ヒメア。かっこつかないから、そろそろ離れてくれる?」
「やだ」
「いやあの……ああ、まあ、とにかくてめぇに
しかしそれもまた、
ドゴンという音がして、
それに担任がなんだ! と叫び、生徒たちもきゃーきゃーと
ただ、月光だけがやはり、冷静な、冷たい瞳で校舎の、上のほう。
五階にある生徒会室のほうを見上げ、
「……ふむ。その結着は、向こうでだ。いまは俺の手伝いをしろ」
という言葉に、大兎は言った。
「やだね」
「
「嫌だ」
「ふむ。まあいいが……この仕事に失敗すると、世界が
「へ?」
「まあ、手伝いたくなったらこい。美雷、いくぞ」
「うん!」
「いやいや、ちょっと待て。世界ってなに? なにそのでかい話? あの、月光? 紅君?」
が、月光はこちらを一度も振り返らずに、進んでいってしまう。
それを大兎は
「…………」
しばらく、なにも言わないまま見送って、
「…………………………………………あああああああもう、あああああああああもう、なんなんだよあいつは! すげぇ、すげぇ気になるじゃねぇか!」
言いながら、彼も歩きだした。もう、なにも言わなくなった生徒たちの間、先生の前を通って教室を出て。
そしてそれに引きずられるようにして、ヒメアもついてくる。
「ってだから、ヒメア、そろそろ離れてよ」
「はっはっは~」
「いやはっはっはじゃなくてさぁ」
「さあいこ、大兎。世界の
「ってなにキャラそれ」
「さぁ? でも、すごく楽しい。大兎といるとやっぱり楽しいなぁ。人と話すのは楽しいなぁ」
と、彼女がはしゃいで笑うのを、大兎は見た。
そして思う。
たぶん、この九年、一度も笑ったことがないんじゃないか、というほど
なんかいろいろ
いやもちろん、あの、遥のことはちょっと、よくないけれど、でもまあ。
「…………俺らも、とりあえず生徒会室にいくか」
そう言って彼は、
そしてこれが、始まり。
僕の物語の始まり。
僕らの、世界と世界を
第十二代『紅月光・生徒会室』が本当の意味で結成されたこの日が──
すべての、物語の始まりだった。
◆
◆
◆
◆
そして場所は
少しだけ移る。
少しだけ、といっても、次元の
「それで? 彼女はもう目覚めた?」
「はい」
「すべては予定通り?」
「はい」
「ふぅん。それで彼女はもう、僕から
「いえ、それはまだ……彼女が使ったのは
「
「はい」
「はは。なるほどね。まだ少しは……少しは彼女にも
「はい」
「そのためだけに、君は生まれた。それは……」
「わかってます」
「そうか。うん。君は本当に
「はい」
「君に《幸福》を」
「あなたに《幸福》を──」
と、言ってから、彼女は
悲しそうに。泣きだしそうに。
そして小さく、彼女は
「…………」
小さく。小さく。それは誰にも聞こえないように。誰にも、主にも、自分自身にも、聞こえないように、
「…………苦しいよ、大兎」
と、そう。
時雨遥は呟いた。