プロローグ ──いまだ天魔は歌われない



 それはたぶん、遠い昔のおくだ。



 あのときたしか、

「血をうの?」

 と、ぼくは聞いた。

 すると少女は答えた。

「吸わないわよ。あんたの血なんて」

 ひどく。

 ひどく美しい少女だった。

 ラベンダー色の長いかみに、真っ白いはだ

 り気味の、いたずらっぽいしんひとみ

 まるでげんそうの中に出てくるようせいのような、そんなふんを持った少女だった。

「じゃあどうするの?」

 僕が聞くと、彼女は答える。

「入れるのよ、毒を」

「毒?」

「そう。毒」

 そう言って、彼女はどもとは思えない、ようえんな、ちょっとどきどきするようなみをかべて、うなずいた。

「私の毒を、あなたに入れる。あなたが決して、私からはなれられなくなるようにね」

 そして彼女はつややかな、ピンク色のくちびるを開いた。

 悪戯っぽい瞳のまま、その唇をそっと、僕のくびすじにあてようとする。

だいじよういたくしないから」

 と、彼女は言ったが、それはうそだった。首筋に、なにかがさるかんしよくがして、

「痛っ」

 と、僕が言う。

 すると彼女は僕の首筋にみ付いたまま、うれしそうにふふふと笑う。笑ったときのいきが首にかかって、僕は体をこわらせる。

「いくよ?」

 と、彼女が言うと、毒が首筋に入ってくる。

 それがわかる。

 毒が。



まじゆつ》が僕に、かけられる。



 そしてそのすべては、すぐに終わった。

 彼女は離れ、やはり楽しげな、嬉しそうな顔でこちらを見つめる。

「はい、終わり~。これであなたは私から離れられない。生きるときも、死ぬときも、ずっといつしよ。そのかくはできてる?」

 そう問いかけられて、僕は答えた。

「……覚悟なんて、できてないよ」

「あは。でももう、のろいかけちゃった~。だからあなたは私のしもべ。私のえい。私の、いとしい人よ。愛してるわ、たい

 なんてことをとつぜん言われて。

 それに僕はどぎまぎしながら、

「いきなりそんなこと言われ……」

「あなたにせんたくけんはないの」

「そんな」

「いいから、愛してるって言ってよ。そしたらそれで、《まじゆつ》が完成するから。それとも……私のこと、きらい?」

 彼女はそう言うと、少しだけ不安そうな顔になる。さびしそうにまゆせて、こちらを見つめてくる。

 それに僕は、

「…………」

 僕は、答えてしまう。

 彼女の、そんな顔を見たくなかったから。

 いつも自信たっぷりで、いじわるで、わがままな彼女の、そんな顔を見たくなかったから。

 だから僕は、答えてしまう。

「……嫌いじゃ、ないよ」

「好き?」

「うん」

「じゃあ言って」

「…………」

「言ってよ、大兎」

 それに僕はうなずいて、

「……うん。僕も……僕も君を、愛してるよ、ヒメア」

 そう、言った。

 彼女の名前を、んだ。

 そのしゆんかん

 なにもかもが変わったのがわかった。

 世界と、そして自分の体内をこうちくしている、なにもかもが変わったのがわかった。

 かかったのだ。

 呪いが。

 かかったのだ。

まじゆつ》が。

 それに彼女は嬉しそうに笑う。

 れいなピンク色の唇が開き、少しだけ、小さなきばが見える。

 その笑顔を見るのが、僕は好きだった。

 彼女の笑顔を見るのが、僕は好きだった。

 だから僕もほほむ。

 彼女を見つめて、微笑む。

 そしてもう一度、

「好きだよ、ヒメア」

 そう、言おうとして。




 僕の物語は、始まった。




【ファンタジア文庫】レジェンド作品1巻まるごと無料公開キャンペーン

関連書籍

  • いつか天魔の黒ウサギ 1 900秒の放課後

    いつか天魔の黒ウサギ 1 900秒の放課後

    鏡貴也/榎宮祐

    BookWalkerで購入する
  • いつか天魔の黒ウサギ 2 《月》が昇る昼休み

    いつか天魔の黒ウサギ 2 《月》が昇る昼休み

    鏡貴也/榎宮祐

    BookWalkerで購入する
  • いつか天魔の黒ウサギ 13 最後の生徒会

    いつか天魔の黒ウサギ 13 最後の生徒会

    鏡貴也/榎宮祐

    BookWalkerで購入する
Close