7話 化粧品②

「吉田さん?」

 突然声をかけられて、肩がねる。

「お、おう……どうした?」

「どうしたはこっちの台詞せりふけんしわ寄ってたよ」

「え? ああ……」

 どうも、俺には考え事をしていると眉間に皺が寄るくせがあるようだ。

「すまん、ちょっと考え事してた」

「考え事って?」

「気にすんなって」

 俺がへたながおを作っておどけて見せると、沙優もぎこちない笑みをかべてうなずいた。

 そう、その顔だ。

 沙優は、かなりころころと表情を変化させる女子だ。ただ、その表情の大半が、『急ごしらえ』したような、みようかんを覚えるものだった。

 沙優が笑顔を見せるたびに、こいつはいま本当に、心から笑っているのだろうかと、余計なことを考えてしまう。

「沙優」

「ん?」

 2階へと続くエスカレーターに足をかけたところで、沙優の方を見る。続いてエスカレーターに乗った沙優は、くりくりとしたひとみで俺の目を見つめ返してくる。

「……もうちょっと、その」

 上手うまく言葉が、出なかった。

 もうちょっと、俺をたよってもいいぞ。

 きっと、そう言いたかった。

 ただ、その言葉にどれだけの意味があるか考えて、鹿らしくなった。

「いや、なんでもない……」

「え?」

「何言おうとしたか忘れた」

「えー、なにそれ」

 頼られないということは、頼られるほど心も許されていなければ、俺に頼りがいも感じていないということだろう。

 そんな状態で何を言ったところで、うわべだけだ。きっと、沙優を困らせる。

 あまりあせるものじゃない。ゆっくりとコミュニケーションをとって、少しずつ、向こうからほぐれていくのを待つことにしようと思った。

「吉田さん、あのさ」

 エスカレーターがじようしようし、2階にたどりついたころに、沙優が口を開いた。

「ん?」

「いや……その」

 沙優の方を見ると、沙優は俺からすぐに目をらして何か言いづらそうに口ごもった。

「なんだよ」

 もう一度くと、沙優は少し顔を赤くしながら、言った。

「お、おなか……いたん、ですけど」

 俺はきよをつかれて、いつしゆん思考が停止する。しかしすぐに可笑おかしくなってき出した。

「なんで敬語だよ」

「いや、わかんないけど……」

「そうか腹減ったか、じゃあなんか食うか」

 笑いをこらえながら俺はまたエスカレーターへと足をかける。

「上の方の階に飯屋けっこうあったと思うぜ」

「う、うん……」

 沙優は少しほっとしたような表情で、俺の後をついてきた。

 可笑しさはじよじよに収まって、すぐに鼻から息がれた。

 沙優は、俺が言おうとしてやめたことをしっかり察していたのだ。その上で、最大限のじようを、してくれた。

「いつもは作ってもらってるからな。外でくらい、好きなもん食わせてやるよ」

 俺がそう言うと、沙優ははにかんだように笑って、何度か首を縦にった。

「うん……たまにはいいよね」

 それは自分をなつとくさせるしきのようにも見えて、少し可愛かわいげがあった。

 やはりこうして見ると、こいつの笑顔は良い。もっと見ていたいと、もっと笑って欲しいと、なおに思う。

「何食う?」

「家じゃ食べられないやつがいいかも……オムライスとか?」

「オムライスは家でも食えるだろ」

「卵がトロットロのやつはお店じゃないと食べられないの!!」

「そ、そうか……」

 他愛たわいのない会話をしながら飲食店に向かう間、俺は沙優に対して感じていたばくぜんとした不安がぬぐわれたような気持ちになっていた。

 それと同時に、これだけ年下の少女に気をつかわれてしまう自分のなさが、少しくやしかった。


   *


「重いいぃぃ……」

「ほら、もう着くから」

 あせだくになりながらげんかんのカギを開けて、両手にビニール袋を持った沙優を先に部屋に入れる。

「はぁぁぁ、重かった……し、死ぬかと思った」

「そんなんで死なないでくれ……というか早く部屋の中入れよ、俺だって重いんだよ」

ごうとくじゃんそれはさ……よいしょっと」

 文句を垂れながらも、自分の持っていたビニール袋をもう一度持ち上げて居室の方へと入っていく沙優に続いて、俺もくついで部屋に入る。

 肩には、デパートで大量に買ったまんぼんやら文庫本やらの入ったかみぶくろが引っかかっている。紙袋の持ち手は妙に面積がせまいので、肩に食い込んでものすごく痛い。

 本屋で紙袋をもらうほど買い込んだのは生まれて初めてだと思う。

「そんなに買ってさ、読む時間あるの? 平日はご飯とお風呂したらすぐ寝ちゃうのに」

「休日にでもゆっくり読むさ」

 少しお高いオムライス屋で飯を食べた後、デパートの中をぶらついていると本屋が目に留まったので二人で入ったのが、この爆買いのきっかけだ。

 一時期、通勤時間にまんでも読もうと、週刊少年誌を買って通勤していた時期があった。しかし、む電車の中で漫画雑誌を読むのはなかなか難しいことにすぐに気が付き、1か月ほどはねばってみたもののすぐにやめてしまったのだ。その時になかなかおもしろいと思いながら読んでいた漫画がどうやらまだ続いていたようで、せっかく来たのだからとすべて買い物かごに入れた。

 と、いうのは、表向きの理由だ。もちろん、自分で読みたいというのもあるが、沙優が家で暇になったときに、なんとなく手に取れるものがあった方が良いのではないかと思ったのだ。そういったわけで、漫画のほかにも「若者の間で人気ふつとう!」などとポップのついていた文庫本や、少しわざとらしいかと思ったが『私が家出をした理由』というタイトルの、学生時代に長期間家出をした女性のエッセイを買ってみたりもした。

 沙優に「買ってやる」と言ってもえんりよするだろうし、自分が欲しいという名目で買ってしまって、家に置いておいた方がいいだろう。そう思って買ってきたが、本というものは重なるとかなりの重量になるらしい。思った以上の重さに、汗だくになってしまった。

「これさ……今思ったんだけど」

 そして、沙優が持っていたビニール袋には、大量の食料品が入っていた。

『家でもちょっとぜいたくなもの食えた方が良くないか?』

 という俺の軽はずみな提案がほつたんだったが、沙優に食いたいものを聞いてもやはり適当ににごすので、逆に俺が食べたいものをれつしていったのだ。

 それを作るために必要な食材を片っぱしから買って行ったら、この量だ。

「あのサイズの冷蔵庫に全部入るかな……」

「……あ」

 そこまでは考えていなかった。

 すいをする気のない一人暮らしの男の家にある冷蔵庫など、サイズは知れている。そもそも家の間取り自体がそこまでゆったりとしたものではないので、自炊をするしないにかかわらず、必然的に家電のサイズは小さい物になる。

 あわてて冷蔵庫を開けてみる。そして沙優の横に置かれているビニール袋と見比べる。

「……まあ、押し込めば、いけるな」

「あはは、じゃあ押し込もっか」

 沙優はけらけらと笑って、ビニール袋を冷蔵庫のとなりまで持ってきた。

「で、作り置きできるものは今日作っちゃおうかな。ほら、ゴーヤーチャンプルーとかさ。そしたらタッパにまとめられてスペース空くし」

 沙優は言いながら、てきぱきと袋の中身を冷蔵庫に入れていく。彼女のぎわを見ていると、俺がちゆうはんに手を出す方がむしろじやになりそうだったので、俺はさっさと居室の方へ引っ込むことにした。

 居室に置いた紙袋から漫画本やら文庫本やらを取り出して、ベッドの横に平積みにした。だんから本を読むわけではないので、この家にはほんだながない。

「漫画とか本とか」

 ちょっと大きめの声で言うと、沙優が冷蔵庫のとびらいつたん閉めて、こちらを見た。

「ん?」

「昼にひまになったら、勝手に読んでいいからな」

 そう言うと、沙優の瞳がれたのが、遠目にも見えた。沙優は少しだけ視線を落としてから、思い出したように、みを浮かべた。

「うん、暇になったら、読ませてもらうね」

「おう。あ、でも俺が読んでないところのネタバレはやめてくれよ」

「しないって」

 沙優はくすくすと笑ってから、ビニール袋に再び手を入れた。そのまま冷蔵庫にしまっていく作業を再開するのかと思ったが、ビニール袋に手を入れたまま動かなくなった。

「ん、どうした?」

 完全に停止した沙優に声をかける。ビニール袋はろう側に置かれていたので、そちらを向いている沙優の表情は見えない。

「吉田さんってさ……なんでそんなに」

 そこまで言って、沙優は言葉を止めた。

「そんなに?」

 続きが気になってたずねると、沙優は顔をこちらに向けて、にへらと笑った。

「やっぱりなんでもない」

「おいおい、なんだよ。気になるだろ」

「ううん、なんでもない。気にしないで」

「お前な……」

 俺が食い下がろうとすると、沙優は「あはは」と声を上げて笑って、再び冷蔵庫を開けた。そしてビニール袋の中身を移し始める。

 なんだか、しように腹が立った。

 話をうやむやにされたことに対してではない。いや、それも少しはあるが、一番気になるのはあの『笑顔』だ。

 何も面白くなどないくせに、あいつは笑うのだ。何かしらの目的を持って、笑顔を使っている。

 大人になれば、そういう人間はいくらでも見る。笑顔はビジネスにおいても、人付き合いにおいてもとても重要な要素だ。それを使いこなすことに何も問題はないし、逆に笑顔を上手うまく使いこなせない俺のような大人は、苦労をすることも多いと思う。

 ただ、そんなざかしいことをまだ高校生の女子がしているのが、みように気に食わなかった。

 子供はじやに笑えばいい。笑いたくない時に笑う必要なんてじんもないではないか。

「無理に笑うのやめろよ」

 深くぎんするよりも先に、言葉が出ていた。

 沙優の動きが、ピクリと止まった。

「笑いたいときだけ笑えよ。俺はお前に常にニコニコしててほしいなんて思ってねぇ」

 俺が言葉を続けると、沙優はゆっくりと顔をこちらに向けた。顔には、おどろいているとも、こんわくしているとも分からない表情がかんでいた。困らせているかもしれない、と思いながらも、言葉は止まらない。

「いい加減、変に気を遣うのはやめろよ。ここはお前の家ではないかもしれねぇが……」

 どのみち、彼女の中で何かの整理がつくまでは、元の居場所にもどることはないのだ。そして、俺が彼女を追い出すことも、きっとない。

「少なくとも、お前がいていい場所なんだよ。俺との約束さえ守ってくれれば、好きに過ごしていいんだ。だから……その、ごまかすみたいな笑い方はやめろ」

 最後まで言うと、沙優は視線を少し泳がせてから、困ったように、気のけた息をいた。そして、何度か、小さく首を縦に振る。

「うん……うん。ごめんなさい」

 沙優はそう言って、俺をじっと見た。

「吉田さん」

「なんだ」

「さっきね、私……『なんでそんなにやさしいの?』って言おうとしたの」

 沙優はそう言って、少しだけ口角を上げた。そして、すぐにため息をつく。

「でも、そんな質問意味ないなって思って、やめたの」

「意味ないって?」

「吉田さん、もし今の質問されて、答えられる?」

 質問を質問で返されて、言葉にまる。

「いや……そもそも自分が優しいと思ったこともないしな」

「でしょ。だからね」

 沙優はそこで言葉を区切って、それから、にへらと笑った。

 その笑顔は、彼女のふんにしっかりとんでいた。きっと本来、沙優はああいうふうに、笑うのだろう。

「きっと、吉田さんは理由もなくやさしいんだと思った。いてもしょうがないって」

「いやいや、そんなことは」

「あるんだって。吉田さんは、今まで会ったことのないくらい優しい人」

 沙優はきっぱりとそう言い切って、すたすたと俺のそばまで歩いてきた。そして、隣にこしける。

「だから、吉田さんがいやだって言うなら、やめる」

「……やめるって?」

 俺が訊き返すと、沙優はむっとした表情で俺のわきばらいた。

「吉田さんが言ったんでしょ。『変に気をつかうな』っていうのと、『ごまかすみたいな笑い方はやめろ』って」

「ああ……」

「気を遣いすぎるのも極力やめるし、ごまかし笑いも、やめる。それでいい……?」

 沙優はそう言って、俺の目をじっと見た。身長差から、少しうわづかい気味に見つめられて、ドキリとする。

「ああ、そうしてくれ」

 目をらしながらそう答えると、沙優は隣でぎこちなくうなずいた。

「でも……ごまかし笑いは、多分……クセになってるからさ。すぐには……」

「いいよ。分かってる」

 俺が頷くと、俺の横顔に沙優の視線がぶつかるのを感じた。あれだけしゆんに表情をり付けるのだ。一朝いつせきでああなったわけではないのは考えなくても分かる。

 きっと、それが必要だったから、そうしてきたのだろう。彼女を取り巻いていたそういうじようきよう自体に、ふつふつといかりがく。

「クセはそう簡単にきようせいできないだろ。ゆっくりでいいよ」

「……やっぱり、優しいんだ」

「あのな、この前も言ったけど、基準を低く持つなって……」

ちがうよ。これに関しては自信あるよ」

 沙優が、俺の言葉をさえぎった。そして、俺の手に、自分の手を重ねてきた。

「人を許すのって、そんなに簡単なことじゃないよ。私、今まで、他人にこんなに許されたことってないと思う。吉田さんは……優しいよ」

 沙優のその言葉は妙に重みを感じるもので、俺は自分が優しいと言われるかんを覚えながらも、何も言えなかった。

「うんと……上手く言えないけど」

 沙優は、俺と手を重ねたまま、言葉を続ける。

「私、ずっと『吉田さんにめいわくかけないように』って思ってた。でも、ここにめてもらってる時点でもう大迷惑だよね」

「はは、違いねえや」

 俺が鼻から息をらすと、沙優もつられたようにくすりと笑った。

「だから、その考え方もやめる。これからは……」

 沙優はそこまで言って、俺の手をぎゅっとにぎった。

「こいつが来てよかったな、って思ってもらえるのを……目指そっかな」

 その言葉に、俺は思わずき出してしまった。沙優が隣でぎょっとするのが視界のはしに映る。

「な、なんか私変なこと言った?」

「いや、変っつーか」

 こいつもなかなかにブレないなぁ、と思ったのだ。

 もっと、自分本位に、わがままでいればいいものを。なぜか、相手に何かをかんげんしないと気が済まないようだ。

「お前もたいがい、優しいよなって」

「え、ど、どこが……」

「教えねぇ」

「な、なにそれぇ」

 俺の返事に、沙優は大げさにむくれてみせる。その様子もなんだか子供じみていて可愛かわいらしい。自然と笑いが漏れて、沙優のかたをぽんとたたいた。

「じゃ、今後も一層、家事にはげむように。美味うまい飯を期待してる」

 俺が言うと、沙優はいつしゆんぽかんとした後に、はにかんだように笑った。

「うん、期待しといて」

 そう言って、にへらと笑う沙優は、とし相応なやわらかい雰囲気で、とても自然だった。

 ずっと、そういう表情でいてほしい。そんなふうに思うのは、きっと俺のエゴなのだろう。

 だが、そう思わずにはいられない。

 それほどに、自然に笑っている沙優の表情は、りよく的だったのだ。

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