第九章 堕ちたる英雄
六英雄の〈大賢者〉──アラキール・デグラジオス。
その
人類最高の知性と
その大賢者が、千年後のこの世界に再び姿を現した。
だが、その姿は、レオニスの知っているものとは大きく異なる。
「〈ヴォイド〉……?」
変わり果てた
〈神聖樹〉の樹皮は
本来なら、不老不死の果実を実らせるその枝には、無数の〈ヴォイド〉の顔が
この〈神聖樹〉が、〈ヴォイド〉を生み出しているのだ。
「──そうか。貴様が、〈ヴォイド・ロード〉か」
レオニスは理解する。
〈ヴォイド〉は、太古の魔物が、未知の力によって変貌した存在。
だとすれば、〈六英雄〉が〈ヴォイド〉になることも、あり得る話だ。
──……レ……オ……ニスゥウウウウウウ──
無数の〈ヴォイド〉の顔が、まるで
千年の
いや、千年の間、それは
「亡者よ、そんなに俺に逢いたかったか?」
レオニスは薄く笑うと、第六
ゴオオオオオオオオオオオオッ!
荒れ狂う炎が、
(リーセリアを連れ去ったのは、俺を誘い出すため、か)
……レ……オ……ニィィィス……
消し炭と化した〈ヴォイド〉の顔を踏みにじり、レオニスは言った。
「──待っていろ、今度こそ、
と──
背後に視線を感じて、彼は振り向く。
孤児院の窓から、子供たちが
(……まあ、無理もあるまいか)
──あの目には、慣れている。
あまりに強すぎる力は、人間の心に恐怖を呼び起こす。
彼が勇者として王国を救った時でさえ、そうだった。
(……〈魔王〉としては、望むところだ)
レオニスは小さく息を吐き、孤児院のほうに歩き出す。
このあたりの〈ヴォイド〉は消滅させたが、またここが襲われる可能性はある。
〈聖剣学院〉の〈聖剣士〉も、ここに来るには時間がかかるだろう。
あの孤児院が襲われようと、レオニスには関わりのないことだ。
守る義理などない。
だが、ここは、
レオニスは扉の前に立つと、〈封罪の
「第八階梯呪文──〈
黒い霧のような、死の
続いて、〈上級アンデッド召喚〉の呪文を唱え、扉の前に二体のグレーター・スケルトン・ナイトを配置した。
本来は、砦の指揮官を任せるレベルの上位アンデッドだ。孤児院の防衛には大盤振る舞いも過ぎるが、まず突破されることはないだろう。
「〈結界〉を張りました。死にたくなければ、絶対にこの建物から出ないでください」
レオニスは、
「……あ、あの……待っ──て──」
と、その背中に声をかけられた。
孤児院の扉が開き、一番年長の少女が、おずおずとした様子で出てくる。
ティセラだ。
「レオ、お兄ちゃん……」
手にした剣で少女を制止しようとするスケルトン・ナイト。
だが、レオニスが手を挙げると、かしこまったようにその剣を戻した。
「あ、あの……」
緊張した様子で、口をぱくぱくとさせる少女。
「なんですか?」
「ま、守ってくれて、ありがとう、ございます……」
そう告げて、ティセラはぺこりと頭を下げた。
「……あ、ああ……」
予想していなかった感謝の言葉に、レオニスは戸惑ってしまう。
「セリアお姉ちゃんを、お願いします」
セリアが連れ去られるのを見ていたのだろう、少女は深々と頭を下げる。
「──ええ、任せてください」
レオニスは
「セリアさんを、ここに連れ戻すと約束します」
「う、うんっ!」
スケルトン・ナイトが少女を扉の奥へ引き戻した。
──〈魔王〉は約束を必ず果たす。
レオニスは振り向かず、巨大な亀裂のほうへ足を向ける。
巨大な縦穴の
「──我等の
ブラッカスは言った。
「ブラッカス、なにをしていた?」
「化け物どもを
「〈ヴォイド〉を
「喰わぬ、まずそうだしな」
ブラッカスは、首にかけた布製の大きな袋を足もとに落とした。
「なんだこれは?」
「都市の調査中に手に入れた戦利品だ。こちらのほうが
袋の中には、数本の串焼き肉が入っていた。
「まさか、
「私は〈
ブラッカスは
「人間たちに尻尾を
「……そうか」
……あまり、目立つ
「腹が減った。俺にもくれないか」
少し、大魔術を使いすぎたようだ。
魔王の
ブラッカスは串焼き肉を
レオニスは肉を
リーセリアを連れ去ったのは、レオニスを誘い込むためだろう。
しかし、強大なヴァンパイア・クイーンの力を取り込む目的もあるかもしれない。
だとすると、急がねばならない。
「さて、俺の
◆
「──〈
〈
ヒュドラ型の大型〈ヴォイド〉の首が宙を舞った。
その身のこなしは稲妻の
「──〈二段月華円舞〉!」
〈
「やるじゃん、あんたが〈ヴォイド〉を討伐した
風の〈聖剣〉の使い手が、咲耶に併走して斬り込む。
同じ地区に派遣された、第九小隊の前衛アタッカーだ。
「──無駄口を
咲耶はにべもなく言った。
「……はいはいっ、と──」
相手の少女はとくに気分を害した様子もなく、ヒュドラの脚部を斬りつける。
『──〈ヒュドラ〉級の首はすぐに再生するわ。切断面を焼き払って!』
エルフィーネが〈ヴォイド〉の種別を解析、端末を通して全小隊にデータを送る。
「任せて──〈
ドウッ、ドウッ、ドウッ、ドウッ──!
レギーナの〈聖剣〉が火を噴いた。
単独でオーガ級の〈ヴォイド〉を
大気がビリビリと震えるほどの爆音。
ヒュドラ型〈ヴォイド〉が激しい炎に包まれる。
土煙が晴れたそこには──
「う、
レギーナは
〈ヴォイド〉にダメージが入った様子はない。それどころか、
「な、なんですか、あれ!?」
『……わからない。あんな個体は、データにないわ』
エルフィーネは首を横に振った。
通常の〈ヒュドラ型〉個体ではない。
「……散開っ!」
危険を察し、第九小隊の統括隊長が叫んだ。
連続攻撃を加えていたアタッカーの三人が同時に散った。
だが、咲耶は指示に従わない。
〈ヴォイド〉の眼前に立ち、敵を見切るように
ドオオオオオオオオオオオオオオオンッ!
首から生えた樹の根が暴れ狂い、周囲の建物を倒壊させた。
『──咲耶!?』
エルフィーネが悲鳴を上げる。
「──面妖な、ますます物の
紙一重で攻撃を
あの樹の首は、〈ヴォイド〉の意志とは無関係に動くようだ。
統括隊長がなにか叫んでいるが、咲耶には聞こえない。
咲耶には、戦いの中で、まわりが見えなくなってしまう傾向がある。その実力にも関わらず、彼女をスカウトする小隊がなかったのは、そのためだった。
ともあれ──
(……よかった)
彼女の〈
だが、彼女の〈聖剣〉は、その力を閉ざしたままだ。
(……私の心が〈ヴォイド〉に
彼女は、〈ヴォイド〉に対するあの時の恐怖を克服できずにいる。
それでも、戦場に立ち続け、前線で戦う〈聖剣士〉に正確な情報を送る。
それが、いまの彼女にできる、精一杯の貢献だった。
と、戦闘の最中──
『──先輩……エルフィーネ先輩……』
脳裏に響く声に、エルフィーネはハッとした。
「……レオ、君?」
聞こえたのは、レオニスの声だった。
『よかった、聞こえるんですね……』
中継用に飛ばした〈宝珠〉が付近に到着したのだろう。レオニスの声は明瞭だ。
「ええ……この端末、ひょっとして、セリアの?」
レオニスは、まだ通信用の端末を支給されていないはずだ。
『はい、セリアさんの端末です』
瞬間。脳裏に嫌な予感が走った。
二人が一緒にいるなら、どうしてリーセリア本人が通信をしてこないのだろう?
そして、その不安は的中した。
『セリアさんが、〈ヴォイド〉に
「──っ!?」
エルフィーネは困惑した。
(〈ヴォイド〉が人間を
しかし、レオニスの口にした次の言葉は、彼女を更に驚かせた。
『僕が奪還します。エルフィーネ先輩の能力で、彼女の場所を教えてください』
「君が、ひとりで……?」
エルフィーネは絶句した。
あまりに無謀だ。〈聖剣〉の力を使えるとはいえ、彼はまだ十歳の少年なのだ。
『──はい』
「待って、いま別の小隊に救助を要請するわ──」
「それじゃ、間に合いませんよ」
端末の向こうで、冷静な声が言った。
「それに、こっちに戦力を回している余裕はあるんですか?」
「それは──」
エルフィーネは戦場に〈
「僕が連れ戻します。先輩は、彼女の位置を
「……」
──止めるべきだ。
たった一人で奪還に向かわせるなど、正気の沙汰ではない。しかし、別の小隊が応援に駆け付けるまでに、リーセリアの命が無事である保障はない。
と、レオニスは少し
「……先輩の〈眼〉で、僕のいる地区を見てください」
「……? え、ええ……」
疑問に思いつつも、空中にある〈宝珠〉の一つと視覚を同期させる。
すると──
「これは……──?」
エルフィーネの唇から、
アスファルトを破壊して生えた樹木の根と、激しい戦闘の痕跡。
そして──
レオニスの周囲に、燃え尽きた〈ヴォイド〉の残骸が無数に散乱していた。
「まさか、君がこれを……?」
『ええ、僕がやりました──』
レオニスは簡潔に答えた。
『先輩には後で話します。今は僕を信じてください』
十歳の少年とは思えない、冷静で落ち着いた声だった。
「……」
エルフィーネは、小さく息を
「……わかった。やってみるわ」
と、
外界の情報を一時的にカットし、登録済みのリーセリアの感覚を
感度が悪い。〈ヴォイド〉の
「……地下……それも、第四階層より下にいる──」
〈戦術都市〉の地下空間は、軍事機密で秘匿された場所。その内部は無数の隔壁に閉ざされており、エルフィーネの〈
聴覚、視覚を完全に遮断し、意識を研ぎ澄ませる。
「レオ君のいる位置から、メインシャフトに侵入できるはずよ。私の〈天眼〉でシステムに
『隔壁は破壊します。最短ルートで誘導してください』
「破壊って……わ、わかったわ──」
──と、彼女が更に神経を研ぎ澄ませようとした、その時だ。
ドオオオオオオオオオオンッ!
「……っ!?」
すさまじい破砕音が響き、エルフィーネは身を震わせた。
『……先輩、どうしたんですか?』
エルフィーネは起き上がり、感覚を通常に戻した。
ヒュドラ級が、前線のアタッカーを突破し、地響きをたてて突進してくる。
「あいつ、こっちに来る!? 先輩、退避を──」
建物の屋上で、レギーナが叫んだ。
「……」
だが、エルフィーネは、動くことが出来なかった。
〈ヴォイド〉に襲われ、仲間を失ったあの時の恐怖が、
「あ……」
身を
ヒュッ──と、風切りの音がした。
(……え?)
目の前で、〈ヴォイド〉の首が一つ、跳ね飛んだ。
ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ──と、首が連続で切断され、
ズウウウウウウウウウウウウウウウウンッ!
ヒュドラ型の〈ヴォイド〉は、エルフィーネの眼前で地に沈んだ。
「……な、なんだ?」
〈雷切丸〉を手に駆けてきた
「……わからない、わ」
その時、エルフィーネの〈眼〉は、
メイド服に身を包んだ少女が、ヒュッ、と闇の
「……まったく、メイド使いの
少し不満そうに呟いて、少女はドーナツをぱくりと
◆
「──〈
ドゴオオオオオオオオンッ!
レオニスの放った爆砕呪文が、金属製の隔壁を破壊した。
都市の地下に通じる巨大なシャフトの中を、レオニスは音もなく降下する。
不安定な〈浮遊〉ではなく、高度な重力制御の魔術だ。
「都市の地下に、これほど巨大な空間があるとは」
レオニスの影に相乗りしたブラッカスが言った。
「おそらく、人や物資を輸送するための通路が張り巡らされているのだろう」
非常時には、〈聖剣士〉を素早く配備することも考えられているはずだ。だが、地下通路はすでに、〈ヴォイド〉と化した樹木の根に
「それにしても、人類の魔導文明がここまで進んでいるとはな」
侵入者を捕食しようと
これほどの巨大構造物は、ドワーフ種族でも建造できまい。
(……そういえば、学院では、エルフ、ドワーフを見かけなかったな)
ふと、レオニスはそんなことを思う。
人類の文明とは隔絶しているのか、あるいは──
(──〈ヴォイド〉に滅ぼされた、か。それほどやわな連中ではないはずだが)
人類と同盟を組んだ亜人連合。とくに〈精霊の森〉のエルフ共に散々煮え湯を飲まされてきたレオニスは、苦々しく
『……そのまま、下の足場から続くルートです……』
「わかりました」
端末を通して聞こえるエルフィーネの指示に従い、レオニスはシャフトの側面に突きだした足場に降り立った。
「──〈
閉ざされた隔壁を爆砕。
『……──そのまま……戦……都市の動力……に──』
エルフィーネの声に、ノイズが混じりはじめた。
〈ヴォイド・ロード〉の干渉を受けているのかもしれない。
奴の本体に近付いているということだ。
地下の通路に、革靴の音が大きく響く。
「──シャーリを、人間たちのところに送ったのか?」
と、影より
「ん、ああ──」
シャーリはメイドとしてはポンコツだが、暗殺者としては優秀だ。純粋な戦闘力ではブラッカスには及ばぬものの、彼女一人で城を落とすことも可能だろう。
「相手は〈六英雄〉の一人だ。彼女も連れてくるべきだったと思うが?」
「……俺たちだけで十分だろう」
レオニスは、はぐらかすように言った。
ブラッカスの言葉の意図は、もちろんわかっている。
なぜ、人間たちを守るために、右腕であるシャーリを動かしたのか──と、彼はそう問うているのだ。
〈魔王〉の
レオニスには、第十八小隊の少女たちを守る合理的な理由はない。
なおも
「エルフィーネの〈聖剣〉の力は有用だ。俺の目的のために利用できるだろう。それに、レギーナ・メルセデスは眷属のメイドだ」
「……」
しかし、ブラッカスは納得していないようだ。
(……ええい、面倒な!)
正直なところ、レオニスにも理由などわからない。
ただ、心のどこかで、彼女たちを失いたくないと思ったのだ。
レオニスはやや
「あの人間たちが少しだけ気に入った。それだけだ」
「──なるほど、その理由はお前らしい」
今度は、納得したようだった。
思えば、自分を暗殺しに来たシャーリを
「お前が眷属に甘いのは昔からだが、もしかすると、その肉体になったことで、感覚が人間寄りにでもなったのかと思ってな」
「……ありえん」
レオニスは苦々しい口調で首を振り、
「──〈
目の前に現れた巨大な隔壁を破壊した。
通路の奥は、
「無駄話はここまでだ、ブラッカス。この奥にいるぞ」
「ああ──」
エルフィーネの通信音声は、もう完全に聞こえない。
オオオオオオオオオオオオオオ……!
樹の根の
「──〈
レオニスは第三
第八階梯以上の極大破壊呪文で、まとめて吹き飛ばしてしまいたいところだが、この狭い空間でそんなものを使えば、生き埋めになりそうだ。
そのまま、進み続けると──
やがて、隔壁の破壊された広大な空間に出た。
緑がかった魔力光が、空間を明るく照らし出している。
「あれは……?」
足を踏み入れた途端、レオニスは眉をひそめた。
魔力光を放っているのは──
〈神聖樹〉の根に覆われた、途方もなく巨大な〈魔力結晶〉の塊だった。
その大きさは、露出している部分だけでも、十五メルトはあるだろう。
「なるほど。これが、この都市の動力源というわけか」
ブラッカスが言った。
〈魔力結晶〉は、精霊や太古の神々の結晶化したもので、魔大戦の時代には、鬼神王ディゾルフの〈
これほどの都市を稼働させる動力は、〈魔力結晶〉以外には考えられない。
しかし──
「これほど巨大な〈魔力結晶〉は、自然界には存在しないはずだ」
「……まさか、人工の〈魔力結晶〉だと?」
レオニスが
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
〈魔力結晶〉を覆う〈神聖樹〉の根が、不気味に
激しい震動と共に隔壁を突き破り、レオニスたちをその空間に封じ込める。
そして、根の瘤が膨れ上がり、無数の人の顔のようなものが出現した。
彫り込まれた彫刻のような、数百もの顔、顔、顔──
そのどれもが、同じ顔をしていた。
〈六英雄〉の〈大賢者〉──アラキール・デグラジオスの顔を。
「──随分と変わり果てたものだな、
「人類の英雄、賢者と
〈神聖樹〉の表面を
それは、一〇〇〇年前の大戦中に、〈大賢者〉の取り込んだ魔物たちなのか──
この巨大な樹の中に、リーセリアは
「──さて、俺の
レオニスは不敵に笑い、呪文を詠唱した。