聖剣学院の魔剣使い 1

第六章 歓迎会

 パンッ、パパパンッ──!

 クラッカーの派手な音が、女子寮の共有スペースに鳴り響く。

「レオ君の第十八小隊加入と、セリアお嬢様の〈聖剣〉覚醒を祝って!」

 ノンアルコールのシャンパンを手に、メイド服姿のレギーナが音頭を取った。

 さすがに本職だけあって、コテコテのメイド服を自然に着こなしている。

〈ヴォイド〉に火砲をぶっ放していた彼女とは、まるで別人のようだった。

「……あ、ありがとうございます」

 頭にクラッカーの紙テープを絡ませたまま、レオニスは言った。

 サプライズの歓迎パーティーだ。

 目の前のテーブルには、おいしそうな料理やお菓子が、ところ狭しと並んでいる。

「都市に帰還した後、すぐにレギーナが準備をしてくれたのよ」

 と、隣に座るリーセリアが種明かしをする。

「セリアお嬢様の指示ですよ。少年は絶対ウチの小隊チームに入るからって」

 ……なるほど。一人で姿を消したのは、そういうことだったのか。

(案外、本当にお菓子で釣ろうとしてたのかもしれないな)

「聖剣審問では、なかなかの活躍だったそうじゃないか。頼もしいな」

 向かいのソファに座ったさくが、ふっと微笑ほほえんだ。

「僕の〈聖剣〉は、たいしたことはありません。タイプは〈支援型〉ですし」

 レオニスは首を横に振る。

「勝負を決めたのは、セリアさんの〈聖剣〉です」

「レオ君……」

 リーセリアは少し照れたようにはにかむが、その表情は誇らしげだ。

 無理もない。彼女は、この日のために剣の腕を磨き続け、努力してきたのだから。

「ああ、先輩のこれまでの努力に、星の力が報いたんだ。私もうれしい」

「学院中が、セリアお嬢様の〈聖剣〉のうわさで持ちきりですよ」

「え、ええっ、そうなの!?」

「そうです。私が広報部に頼んで広めましたから」

「ちょ、ちょっと、どうしてそういうことするの!?」

 エヘン、と胸を張るレギーナの袖を、リーセリアがあわててつかんだ。

(しかし、このタイミングで目覚めるとは、偶然とは思えないな……)

 じゃれ合う二人を眺めつつ、レオニスは推論する。

〈聖剣〉を発現する才能は、彼女の中にあった。これまで、その才能が目覚めることがなかったのは、彼女の中に覚醒を押しとどめる何かがあったのだろう。

(一度死んで、ヴァンパイアとなったことで、その何かが外れた? いや──)

 なんにせよ、根拠のない推論に過ぎない。

 彼女のたゆまぬ努力が、ここで実を結んだ、それだけなのかもしれない。

けんぞくが異能の力に目覚めた、それを素直に喜ぶべきか)

「はい、フィッシュパイが焼けたわ」

 と、エルフィーネが、オーブンで焼きたてのパイを運んできた。

 キノコとチーズ、クリームソースをたっぷり使った、サーモンのパイ包みだ。

 皮はパリパリで、表面においしそうな焦げ目がついている。

「これは、エルフィーネ先輩が?」

「ええ、パイは得意なの」

 レオニスがたずねると、エルフィーネはふふっと微笑んだ。

「おいしそう、冷めないうちにいただきましょう」

 レオニスの右隣にリーセリアが、左隣にエルフィーネが座る。

(……っ!?)

 二人の間に挟まれたレオニスは、ドギマギと顔を赤らめた。

 ちょうど顔の位置に、二人の大きな胸があるのだ。

「少年、サンドイッチは気持ちいいですか?」

 気付いたレギーナが、レオニスの耳もとでささやく。

「なっ、ち、違っ……!?」

「あ、サンドイッチ? 食べる?」

 と、リーセリアがテーブルの上の卵サンドに手を伸ばす。

「違います、お嬢様。少年がたんのうしているのは違うサンドイッチ──」

「あ、そのパイをいただいてもいいですか!」

 レオニスはあわてて叫んだ。

「どうぞ」

 エルフィーネ先輩が、パイをお皿に取り分けてくれる。

 パイ生地にナイフを入れると、サクッと音がして、熱々のソースが皿にあふれた。

「この都市で、新鮮な野菜や魚が手に入るんですか?」

「居住区の外れに、食糧を生産するプラントと養殖湖があるの。小さいけれど、第十八小隊も菜園を持っているのよ」

 リーセリアが言った。

「菜園は、ほとんどセリアお嬢様の趣味ですけどね」

(……都市の中で魚の養殖を?)

 あらためて、この時代の人類の技術進歩に驚かされる。

 パイを口に含むと、うまたっぷりのソースが口の中で溢れ出した。

「……っ、うまい!」

 思わず、レオニスは素の声をあげてしまった。

 サクサクの生地の歯ごたえが絶妙で、ソースの塩加減もちょうどいい。

「ふふ、ありがとう。たくさんおかわりしてね」

「これは絶品ですねー」

「レギーナほどではないわよ」

 レギーナが言うと、エルフィーネは謙遜するように首を振る。

 レオニスは軽く驚いた。

 このメイド、まさか、これ以上の料理の腕なのか。

 レオニスにもシャーリというメイドがいるが、料理はまったくできない。

 ……暗殺スキルは高いので、毒の扱いにはけているのだが。

「ところで先輩、〈聖剣〉の銘は、どうするんだ?」

 と、パイをぱくぱく食べつつ、さくがリーセリアにいた。

「そうね。まだ決めていないわ」

「〈聖剣〉の銘、ですか?」

「ええ、学院の登録に必要なの」

「斬り裂きぶんぶん丸などどうだろう」

「いいえ、シャイニング・セイント・ソードにしましょう!」

 さくとレギーナが、口々に勝手なことを言う。

 リーセリアは苦笑して、

「……レオ君は、なにがいい?」

 なぜか、レオニスに振ってくる。

「む……」

 けんぞくとして殊勝な心がけだが、これはなかなか難しい。変な名前を付ければ、彼女のあるじとしての威厳も損なわれてしまう。

 レオニスは少し考えて、

「まだ〈聖剣〉の力が判然としていないので、なんとも──」

 と、無難な答えを口にした。

「……そうね。今のところは、すごく軽くてよく斬れる剣だけど、なにか特殊な能力があるかもしれないし、登録は、もう少し手にませてから考えてみるわ」

 リーセリアは胸のあたりに手をあてて言った。

「登録と言えば、レオ君もね──」

 エルフィーネが言った。

「……僕、ですか?」

「私の〈聖剣〉に、生体情報を登録して、ネットワークに組み込む必要があるの。すぐに済むから、あとで部屋に来てくれるかしら」

「わかりました」

「部屋と言えば、君はどこに住むんだ?」

 と、咲耶がいてくる。

「〈魔女〉の女子寮は、もう部屋が空いて無いのよね」

「あ、じゃあ少年、わたしの部屋来る? 毎日お菓子食べ放題だよ」

「ボクの部屋でも構わないぞ。日中は留守にしてることが多いしな」

「私の部屋も大丈夫よ」

 レギーナと咲耶、エルフィーネがそれぞれ提案するが、

「……だ、だめ……っ!」

 リーセリアが立ち上がって手を振った。

「お嬢様?」

「レオ君は、保護者のわたしが、責任を持って面倒を見るわ」

 こほん、とせきばらいして、リーセリアは片目でレオニスにチラッと視線を向けた。

 なるほど。たしかに、互いの秘密を守るには同室のほうが都合がいいだろう。

(……彼女の魔力補給のこともあるしな)

「……僕は、セリアさんと同じ部屋がいいです」

 レオニスはリーセリアの袖を引きつつ、言った。

 ……レギーナの毎日お菓子食べ放題には、少しかれるものはあったが。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ、もともと少し広くてもて余したくらいだもの」

「いえ、少年が、お嬢様にえっちなことをしないか心配で」

「レ、レオ君は、そんなことしません! ……しない、わよね?」

「するわけないでしょう」

 ちょっとだけ不安そうなリーセリアに、レオニスはぜんとして答える。

 ……どちらかといえば、リーセリアのほうが無防備すぎて困るほどだ。

「レギーナ、レオはまだ十歳の子供だ。心配はあるまい」

「それは、まあ、そうなんですけど……」

 レギーナは、じーっと疑わしげな目でレオニスを見つめたあと、

「少年、お嬢様は寝相が悪いので、一緒に寝るときは気を付けてくださいね」

 と、小声でささやいてくる。

「ちょっと、レギーナ、なにを教えてるのよ!」

「お嬢様、わたしの身体からだを抱き枕がわりにするじゃないですか」

「……っ、そ、それは、レギーナが、その、ふよふよ柔らかいのが悪いんだもの」

 ほおを赤らめ、ふいっと視線をらすリーセリア。

 ……どの部分が柔らかいのか、くまでもないだろう。

 と、レオニスの部屋が決まったところで、歓迎会は女子たちのおしやべり会になった。

 商業地区に新しくできた店の話、さくの飼っているペットの話など、正直、話の半分もわからなかったが、レオニスは千年ぶりにくつろいだ時間を過ごした。


    ◆


 レオニスの歓迎会は、夜が深まる前にお開きになった。

 その後、レオニスはエルフィーネに呼ばれ、彼女の部屋に招かれた。

 レオニスの生体情報を、彼女の〈聖剣〉に登録するためだという。

(……それにしても、騒々しい食事だったな)

 部屋のソファに腰掛けながら、レオニスは胸中でつぶやく。

 女子が三人寄ればかしましいというが、あんなに騒々しいパーティーなど、レオニスが魔王であった頃には、到底あり得なかった。

 不死者の魔王アンデツド・キングと共にあったのは、闇と静寂のみだった。

 しかし──

(このような食事も、たまには悪くない)

 と、レオニスは小さく肩をすくめる。

 あの場を楽しんでいる自分がいたことは、認めざるを得まい。

 レオニスは、部屋の中を見回した。

 広さは、リーセリアの部屋とそう変わらない。ただ、調度品の趣味やシックな木目調の壁紙など、彼女の部屋よりは大人おとなびた雰囲気だ。

 ふと、棚の上に置かれた写真立てに目がとまった。

 映っているのは、リーセリアたちではなかった。

 もともと、別の小隊に所属していたのだろうか。

(……けん別れ、というわけでもなさそうだが)

 あの彼女の性格から、それはイメージできない。

「──お待たせ、準備ができたわ」

 エルフィーネが奥の部屋から戻ってきた。

 両手に大きなタブレット・デバイスを抱えている。

 彼女はキャスター付きの椅子に座ると、レオニスの前に膝をつき合わせた。

「楽にしててね」

「……は、はい」

「どうしたの。そんなに緊張しなくていいのに」

 小首をかしげ、くすっと微笑ほほえむエルフィーネ。

「……」

 ちょうど、レオニスの視線の真正面に、彼女の大きな胸がある。

 ……さすがに、あのメイド少女ほどではないものの、正直、目の毒だ。

 わずかに顔を赤くして、レオニスは視線をらした。

「それじゃあ、服を脱いで」

「……え?」

 思わず、き返した。

「上だけでいいわ。服の上からだと、生体情報が取りにくいの」

「……」

「ごめんね。男の子でも、恥ずかしいかな?」

「いえ、大丈夫……です」

 レオニスは上着を脱いだ。

「あ、下のシャツもいい?」

「はい……」

 シャツのボタンを外し、下着を脱ぐ。

 染みひとつない真っ白な肌があらわになった。

「うん、それでいいわ。れいな肌ね」

 エルフィーネはレオニスの背中に回った。

 彼女の冷たい指先が、けんこうこつのあたりにぴとっと触れる。

(……~っ、な、なんだ、この感覚は……)

 年上の先輩に見つめられ、激しい羞恥の感覚に襲われた。

「聖剣〈天眼の宝珠アイ・オヴ・ザ・ウイツチ〉──アクティベート」

 エルフィーネがつぶやくと、彼女の周囲に、透き通った宝珠が出現した。

 宝珠のまわりを、無数の光の数字が高速で回転している。

「それじゃ、レオ君のデータを取らせてもらうわね」

 レオニスの素肌に手をあてたまま、エルフィーネが目を閉じる。

 光の宝珠が、レオニスの周囲を回りはじめた。

「……ふうん、これは、不思議なパターンね」

 エルフィーネが興味深そうに言った。

「そ、そうですか?」

 レオニスは少しドキッとした。

「ええ、魔力の流れが、見えなくて──」

 ……しまった。〈魔力隠蔽〉を強力にしすぎたかもしれない。

「──あの、先輩、少しいてもいいですか?」

 と、レオニスはあわてて話題をらすように言った。

「ええ、なに?」

「エルフィーネ先輩は、どうして、この小隊に?」

 リーセリアは、〈聖剣〉の力に目覚めていない、落ちこぼれだった。

 上級生の彼女が、この小隊に入っている理由は、純粋に興味があった。

(それに、さっきの写真──)

 すると、彼女は少しうつむいてから、ぽつりとつぶやくように口を開いた。

「──私は、〈聖剣〉の力を失ったの」

「……え?」

 レオニスは思わず、訊き返した。

「それは、どういう意味ですか?」

 エルフィーネは静かに首を横に振り、

「これは〈天眼の宝珠アイ・オヴ・ザ・ウイツチ〉の本来の力ではなくて、あくまで限定された能力なの」

「そうなんですか?」

「ええ。昔はオペレーターじゃなくて、火力担当のアタッカーだったのよ」

「か、火力担当?」

 ……この穏やかな先輩が?

 彼女は、テーブルの上の写真立てを手に取った。

「私の所属していた第七小隊は、バランスのとれた優秀な小隊だったわ。学院内のランキングも結構上位で、〈ヴォイド〉の討伐任務をこなしたこともあった。けれど──」

 と、そこでエルフィーネは小さく息を吸い込んだ。

「半年前、私達の小隊は、遺跡の調査任務中に〈ヴォイド〉に襲われた」

「……」

 遺跡より現れた〈ヴォイド〉の群れは、こうかつだった。

 わなまった、と気付いた時にはすでに遅かった。

 遭遇直後に強烈なジャミング波を放射され、指揮系統が混乱。奇襲してきた〈ヴォイド〉の群れに襲われ、二人の仲間が命を落とした。

 ……エルフィーネが生き延びることができたのは、偶然でしかない。

 彼女が仲間を見捨てて逃げたと責める者はいなかった。生き延びて、学院に〈ヴォイド〉のデータを持ち帰ることは、〈聖剣士〉の使命だ。

 しかし、彼女は自分を責めた。

 生き残ってしまったことに罪悪感を抱き、自身を責め続けた。

 そして──

 彼女の〈聖剣〉は、その本来の力を失った。

 レオニスの背中に触れた指先が、かすかに震える。

 宙に浮かぶ〈宝珠〉の一つ一つが、小さく発光する。

 まるで、彼女の感情を表すかのように──

「そんな私に声をかけてきたのが、彼女だった」

 リーセリアは、閉じ籠もるエルフィーネの部屋を何度も訪れてきては、小隊に入ってくれるようにと懇願し続けたという。

「最初は断り続けていたけれど、最後は彼女のひたむきさに負けて、ね──」

「……そう、でしたか」

 レオニスは心のどこかで納得する。リーセリアには、なんだか、そういうことを押し切ってしまうような、不思議な力がある気がする。

 ──人望、カリスマとは別の何かだ。

 エルフィーネは、レオニスの背中からそっと手を放した。

 回転する〈宝珠〉の光が、ライトグリーンに変化した。

「はい、生体情報の登録が完了したわ。端末と同期させておくわね」

 彼女は立ち上がると、タブレットに素早くデータを打ち込みはじめる。

「……ええっと、可愛かわいい顔をして、意外と胸を見ている……そ、そうなんだ」

 チラッとこっちを振り返り、困惑した表情を浮かべるエルフィーネ。

(……待て、どんな情報だ!?)

「せ、生体情報って、そんな情報まで取るんですか?」

「レオ君、えっちなのはだめよ」

「ご、誤解です……!」

 めっ、と叱ってくるエルフィーネに、レオニスは抗議して──

 ──と、テーブル上に置かれた、もう一つの端末の画面が目に入った。

 この〈戦術都市〉周辺の地図、のようだ。

 そういえば、彼女は海底の〈ハイヴ〉の調査をしていると言っていたな。

「エルフィーネ先輩、その情報、あとで閲覧することはできますか?」

「……? ええ、それは構わないけれど……」

 レオニスの頼みに、エルフィーネは小さく首をかしげた。


    ◆


 エルフィーネに予備の端末を貸してもらい、レオニスは部屋に戻った。

 なんでも、彼女はこうした端末を何種類も持っているらしい。

(……コレクターなのか?)

 部屋のドアをあけると、部屋の奥でちゃぱちゃぱとなまめかしい水音がする。

 ……リーセリアがシャワーを浴びているようだ。

 なんとなく、小さくせきばらいして、レオニスはベッドの上に腰を下ろした。

 タブレット型の端末に指先を近付け、魔力を込める。

 画面が発光し、赤い印の点在する地図が浮かび上がった。

 ここ数ヶ月以内にこの付近に発生した、〈ヴォイド〉の分布データだ。

(やはり、相関があるように思えるな……)

〈オーガ〉、〈トロール〉、〈キメラ〉、〈ワイヴァーン〉──

 人類と〈魔王軍〉の戦争では、強大な魔物が数多く戦場に投入された。

 レオニスの見た〈ヴォイド〉の姿には、太古の魔物の特徴がある。

 そして、大型の〈ヴォイド〉が発生しているのは、古い遺跡と戦場跡だ。

 その中でも、とりわけ、この都市周辺の海域に発生数が偏っている。

 ここはもともと、〈魔王軍〉と〈六英雄〉の戦った、シドンの荒野のある場所だ。

 無数の魔物と不死者の軍勢、そして、〈神聖樹〉と融合した〈六英雄〉の〈大賢者〉、アラキール・デグラジオスの眠る場所──

(……〈ヴォイド〉とは、何かの力によって、太古の魔物の変貌した姿なのか?)

 おそらく、この仮説は間違っていないだろう。

 しかし、そうだとしても疑問が残る。

 太古の魔物のむくろなど、とっくに消えているはずなのに──

(……遺跡で保管した〈ヴォイド〉は、いつのまにか消えてしまったしな)

 そう、レオニスが〈影の領域〉に取り込んだ、〈ヴォイド〉の残骸は、なぜかれいさっぱり消えてなくなってしまっていた。

 異世界の侵略者、あるいは兵器の一種なのか──

 だが、兵器としては、あまりに多様性がありすぎるように思える。

 そもそも、人類を襲うその目的も不明だ。

(やはり、海底にある〈ハイヴ〉とやらを、調査する必要がありそうだな……)

〈ヴォイド〉は、魔王軍を再興するにあたり、大きな障害となり得る存在だ。

 そもそも魔王の領地で、もうりようどもが地上に君臨しているのは、しやくに障る。

 と、気配を感じて、レオニスはタブレット端末の画面を閉じた。

 レオニスの足もとの影がわずかに揺れる。

「──ただいま帰還しました、魔王様」

 音もなく現れたのは、影のメイド、シャーリ・シャドウアサシンだ。

 黒髪の少女はくるっとターンすると、優雅に一礼した。

「おお、シャーリ、ご苦労だったな」

 と、レオニスは少女にねぎらいの声をかける。

「もったいなきお言葉」

「それで、人類に関する情報は、なにかあったか?」

「はい──」

 と、シャーリはレオニスの前に、大きな紙袋を差し出した。

「これは、なんだ?」

 レオニスはいぶかしげにたずねる。

「はい、ドーナツというお菓子のようです、魔王様」

「ふむ?」

 シャーリが袋をあけると、甘い匂いが部屋の中にたちこめた。

「おひとつどうぞ」

「……」

 差し出されるがままに、レオニスは食べてみる。

「……どうですか?」

「うまい」

 砂糖の甘さが口いっぱいにひろがる。紅茶が欲しいところだ。

「飲み物も買ってきました」

「ほう、気が利くな」

「タピオカのジュースです」

 これは、不思議な食感だった。

 シャーリもドーナツを食べはじめる。

 ……それはいいが、食べかすを俺の〈影の領域〉にこぼさないでほしい。

「ほかにも、いろいろ買って参りました。のびるアイスとか──」

 紙袋からいろいろなお菓子を取り出そうとするシャーリ。

「待て待て──」

「……?」

「食べ物の情報はそのくらいでいい。それで他に情報は?」

「……」

「まさか、ただ遊んできたのではあるまいな?」

「……」

 影のメイドは目をらした。

「まあいい、食べ物一つでも、文化レベルを知る指標になる」

 レオニスはため息をつく。

「情報収集もしてきました」

 こほん、とせきばらいして、シャーリは言った。

「この都市には、〈魔王〉様のことを知る者はいないようです」

「ふむ、やはりそうか──」

 シャーリの情報にれば、少なくとも、この都市の市民は、太古の神々、千年前の〈魔王〉と〈六英雄〉の戦争のことを知らないようだ。

 しかし、あの大戦争を、一人も知らないのは不自然ではある。

(まるで、誰かが歴史を抹消したような──)

 明日、〈聖剣学院〉の図書館にでも赴いて、調べてみるか。

「……わかった。引き続き、調査を続けてくれ」

「承知いたしました」

 シャーリはうなずくと──

 ふと、水音のする浴室のほうに視線を送った。

「あのむすめけんぞくにされたのですね」

「ああ」

 と、レオニスはうなずく。

「そうですか。魔王様は誰彼見境なく眷属にされるのですね」

 シャーリはぷくーっと不機嫌そうにほおを膨らませる。

「なにを怒っているんだ?」

「知りません、魔王様のバカ……」

あるじを馬鹿呼ばわりとはなんだ。いいか、聞いて驚け──」

「……なんです?」

「彼女は、最上級アンデッド、〈吸血鬼の女王ヴアンパイア・クイーン〉の眷属だ。〈聖剣〉とかいう謎の力にも目覚めたようだし、育て上げれば、〈魔王軍〉の腹心としてこの上ない戦力になる」

 どうだ、とレオニスは自慢げに言うが、

 シャーリはますます不機嫌そうに眉をり上げて、

「腹心……ですか、そうですか」

「なにか不服か?」

「いいえっ、魔王様なんて嫌いです!」

 シャーリはふいっとそっぽを向くと、影の中に戻ってしまった。

「……なんだ? あいつは昔からよくわからんな」

 レオニスはやれやれとため息をつき、ベッドに寝転がった。

 目をあけたまま、天井を見上げる。

(……しかし、本当に変わってしまったな。この世界は)

 ──なんだか、胸に穴が空いたような、寂寥感せきりようかんを覚える。

 本当に、はこの世界に転生しているのだろうか。

 魔族も魔物も滅びたこの世界で、〈魔王軍〉の復興など、可能なのだろうか──

(……いや、〈魔王〉ともあろう者が、弱気になるわけにはいかないな)

 レオニスは苦笑した。

 彼女を探し出す。そのためには、この姿で世を忍ぶこともいとうまい。

(それに、悪いことばかりではない──)

 偶発的ではあるが、強大な〈吸血鬼ヴアンパイア〉の眷属も手に入れた。

 まだ未熟ではあるが、リーセリアには見所がある。

〈魔王〉の英才教育をほどこせば、優秀な臣下になるだろう。

 と、不意に──

 カチャリ、と浴室のドアの開く音がした。

「……!?」

 レオニスは思わず、そちらに視線を向けてしまう。

 れた美しい銀髪──

 水滴をしたたらせ、バスタオル姿のリーセリアが出てくるところだった。

「あ、レオ君。お風呂使っていいわよ」

(……だから、無防備すぎだ!)

 あいかわらずの子供扱いに、レオニスは頭を抱えた。


    ◆


 その日の未明──

第〇七戦術都市セヴンス・アサルト・ガーデン〉直下の海底で、は目を覚ました。

 人類最高のえいと呼ばれた〈六英雄〉。

 人の身を捨て、〈神聖樹〉と融合した、〈大賢者〉──アラキール・デグラジオス。

 だが、それはもはや、別の存在へと変貌していた。

 虚無のけんぞく──〈ヴォイド〉を生み出す、巨大な苗床へと──

 しかし──

〈大賢者〉と呼ばれた人間にのこされた、ほんのかすかな理性の欠片かけら

 それが、きゆうてきの復活を感知した。

 ……魔……王……魔オ……ウ、ウウウウウ……──

 太古の憎悪が、虚無にむしばまれたその魂を目覚めさせた。

〈神聖樹〉の根が、海底で不気味にうごめく。

 その樹のこぶからは、無数の〈ヴォイド〉が生み出される。

 オオオオオオオオオオオオオオオ──!

〈ヴォイド〉の群れが、人知れず歓喜の声を上げた。

 まるで、王の復活をことぐように──


    ◆


『ナンバー03ゼロスリーより報告。海底にて大規模な地殻変動を確認──』

『了解。第十三小隊は、慎重に観察を続けてください』

『了解──待て、あれはなんだ──?』

 水の〈聖剣〉の能力で潜水した〈聖剣士〉の調査隊が、きようがくの声を上げた。

『ナンバー03ゼロスリー、どうしました?』

『あ、あれは、なんだ……あ、あああああああああっ!』

 眼前に現れた、その光景に──

 彼はパニックに陥った。

『落ち着いてください、ナンバー03ゼロスリー、応答を──』

『あ、あれが……あれがすべて、ヴォイド……だと……!』

 絶望の声は、ノイズによってかき消された。

MF文庫J evo

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