聖剣学院の魔剣使い 1

第一章 魔王復活

「──現在、第七階層。〈ヴォイド〉の反応はなし」

『──解──のまま……索を──けて下さい』

 少女の耳元で揺れるイヤリング型端末が、ノイズ混じりの音声を伝えてくる。

 遺跡の地下深くともなれば、〈聖剣学院〉の〈聖剣士〉候補生に支給された、軍用通信デバイスも役に立たなくなる。

「セリアお嬢様、そろそろ引き上げ時では?」

「連中は、遺跡の地下深くにも〈ハイヴ〉を構築することが報告されているわ。もう少しだけ、潜って調査を続けましょう」

 銀色のロングヘアをさつそうひるがえし、少女は歩を進める。

 強い意思を秘めた蒼氷アイスブルーの瞳は、りんと暗闇の奥を見据えていた。

 たんじよう型の魔術デバイスの明かりが、暗闇の中に少女の姿を浮かび上がらせる。

 年齢は十五歳。光を反射してほのかに輝く、美しい白銀の髪。

 雪の妖精とまがうほどに白く、滑らかな肌。

 薄く色づく桜色の唇。街を歩けば、誰もが振り向くであろうたんせいなその容姿は、生まれながらの高貴な血を感じさせる。

 リーセリア・レイ・クリスタリア。

 事実、彼女は〈戦術都市アサルト・ガーデン〉を統括する帝国インペリアルの貴族であり、本来であれば、こんな危険な場所にいるような身分ではない。

「はいはい、セリアお嬢様は真面目まじめですね」

 苦笑して肩をすくめたのは、金色の髪を頭の両端でくくった小柄な少女。

 レギーナ・メルセデスは、リーセリア専属のメイドだ。

 活発によく動く、大きなへきぎよくの瞳。よく鍛えられたしなやかな四肢は、まるで野生動物のような美しさを感じさせる。

 二人が着用しているのは、同じ紺色の衣装。

第〇七戦術都市セヴンス・アサルト・ガーデン〉の〈聖剣学院〉における、〈聖剣士〉の制服だ。

 二人の任務は、荒野に突如として出現した、古代の遺跡の調査だった。

 数日前、この付近で大規模な地震が発生し、地下に眠る巨大な地下遺跡が発見された。

 魔力の集まりやすい古代の遺跡には、〈ヴォイド〉が〈ハイヴ〉を形成することがあるため、彼女たちが派遣されたのだ。

 遺跡の調査は危険な任務であり、カナリア部隊とされることもある。半年ほど前にも、偵察任務に出た小隊が〈ヴォイド〉の群体に遭遇して壊滅した。

 ──〈ヴォイド〉。

 六十四年前、人類圏に侵攻し、人類の四分の三以上を滅ぼした、異世界の侵略者。

 どこから現れるのか、目的は何か、その生態はいまなお謎につつまれている。

 兵器であるのか、生物であるのか、それさえも定かではない。

 分かっているのは、それが太古の神話の生物に似た姿をしている、ということだけだ。

「大事な任務よ。やつの〈巣〉を見逃せば、都市への侵入を許すことになる──」

 唇をきゅっとみ、リーセリアは歩を進める。

 恐怖を感じていないわけではない。むしろ彼女は人一倍怖がりで、幼い頃は、年の離れた姉たちの後ろによく隠れていた。

 地下遺跡の空気は生ぬるく、かびの匂いがする。

 まるで墓所のようだ。

(……実際、墓所なのかもしれないわね)

 と、リーセリアは胸中でつぶやく。

 何百年前の遺跡なのだろう。あえて周囲を見渡せば、空想上の怪物を模したと思われる、不気味な彫像群がそこかしこに配置されている。

 もし、ここが王の眠る墓なのだとすれば──

(……その王様は、きっと寂しいでしょうね)

 と、リーセリアは思う。

 二人は〈ヴォイド〉の気配に警戒しつつ、静寂に満ちた通路を進んだ。

 と──

「……あ、行き止まりですか?」

 レギーナが足を止め、顔をしかめた。

「扉、のようね──」

 リーセリアは、目の前に立ちはだかる巨大な壁を見上げて言った。

 両手で押してみるが、びくともしない。

「とりあえず、壊してみますか?」

「待って、なにか書いてあるわ」

 物騒な台詞せりふつぶやくレギーナを制止し、セリアはつえの光明を扉にかざした。

 表面に文字のようなものが刻まれているが、古代の遺跡に精通している彼女も、見たことのない文字だった。

「読めます?」

「ええっと、古エルフの言語……それとも、精霊の……?」

 リーセリアは小型の解析端末を取り出すと、素早くタップする。

「どうしたんですか?」

「──この扉、まだ生きてるわ」

「生きてる?」

「システムが稼働してるってこと。古代の魔術装置のようだけど──」

「……それ、時間かかりそうです?」

「うん、少し」

 レギーナは肩をすくめ、軽く息を吐く。

 彼女は、リーセリアの性格をよく把握しているのだ。

「では、あたりを警戒してきますね」

「ええ、お願い」

 レギーナは手をひらひらと振り、通路を戻る。

 彼女は退屈が苦手なタイプだ。

 遺跡の中での単独行動は危険だが、彼女にはリーセリアと違い、〈ヴォイド〉を制圧できる〈聖剣〉の力がある。まあ、大丈夫だろう。

 リーセリアは端末を操作し、未知の古代文字を解析にかけはじめた。

 データベースの中に、類似した文字の構造があるはずだ。

 扉の奥にはなにがあるのだろう。不思議とかれるものがあった。

 彼女が文字に触れた、その瞬間──

 バヂッ、と魔力のせんこうはじけた。

「え──?」

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!

 重い石の扉が、ゆっくりと開き出す。

「……っ、開いた!?」

 リーセリアは目を見開き、中の暗闇をライトで照らした。

 と──

(あれは、なに……?)

 岩壁の中に、不気味な輝きを放つ、巨大な黒いクリスタルが埋め込まれていた。

 ……あんな物体は、見たことがない。

 端末がけたたましい警報音を鳴らした。

(魔力反応……?)

 魔力を感知する端末がエラーを吐き出している。

限界数値カウンターストツプ〉──理論上はあり得ない数値をたたきだして、フリーズした。

「ああもう、こんな時に故障なんて……」

 つぶやくと、リーセリアはそのクリスタルにゆっくりと近付いた。

 と、その闇を封じたクリスタルの中に、なにか人の姿のようなものが見えた。

「……っ、う、うそ……どうして!?」

 彼女は一瞬、息をみ、もう一度クリスタルの奥をのぞき込んだ。

 やはり、人の姿をした何かがいる。

(助けないと……!)

 リーセリアは、ホルダーから拳銃を抜き放った。


    ◆


 ガンッ、ガンッ、ガンガンッ!

(……なんだ、騒々しい)

ひつぎ〉の外で鳴り響く、不快なその音に──

 不死者の〈魔王〉──レオニス・デス・マグナスは目を覚ました。

 伝説にのこる不死者の都──〈死都ネクロゾア〉の地下大れいびよう。凍結した時間が動き出し、棺に封印された〈魔王〉の魂は完全に覚醒する。

(もう、千年がったのか……)

 ガンッ、ガンガンガンッ!

 闇に閉ざされた視界の中で、彼は思考をめぐらせる。

 棺に封印されていたあいだ、彼に意識は一切なかった。

 不死者の軍勢が人類の英雄によって打ち破られ、魔王軍最後の拠点である〈死都〉が陥落したあの日から、彼の時間は止まっているのだ。

 ガンガンガンッ、ガンガンッ!

(転生の儀式は、成功したようだな……)

 闇の中で、軽く両手の指先を曲げてみる。

 まだおぼろげだが、手足の感覚のようなものは確かにあった。

 いかに不死者の〈魔王〉とはいえ、一〇〇〇年ものあいだ、魔力の供給もなしに、肉体をそのままにとどめておくことはできない。ゆえに彼は、死の秘術によって魂を凍結し、この棺の中で転生する方法を──

 ガンガンッ、ガンガンガンガンガンガンッ!

(……~っ、!)

 思考を遮られ、〈魔王〉レオニスは怒鳴った。

(なんだ、この音は?)

 どうやら、何者かが棺を外からたたいているようだ。

 魔王である彼の眠りを覚ますとは、一体どこの不届き者だろうか?

 強力な結界によって封印されたこの地下大霊廟が、そう簡単に発見されるとは考えにくいが、この千年の間に、なにか天変地異が起きていないとも限らない。

(しかし、このれいびようは、封魔壁によって完全に閉ざされていたはずだが──)

 レオニスは、外の音に聴覚を集中させた。

 魔王のひつぎを破壊しようとしている不届き者は、なにかしやべっているようだ。

(人類語、のようだな。ふむ……)

 千年もてば、言語体系も多少は変化するだろう。

 指先を闇の中に伸ばし、〈言語解析〉の呪文を唱えると、一瞬、目の前が光る。

 転生後の肉体でも、魔術は問題なく発動した。

「銃弾をはじくなんて、ただの石じゃないわね。次は対物徹甲弾アンチ・マテリエルで──」

 言葉の意味はよくわからないが、やはり棺を破壊しようとしているようだ。

(……愚かな墓所荒らしの類いか)

 レオニスはそう結論付ける。

 無論、この棺は、並の魔術などでは傷一つ付けることもできまいが。

 なんにせよ、そのような不届き者には罰を与えねばなるまい。

(──よみがえりし〈魔王〉の姿をその目に焼き付け、死ぬがいい!)

 レオニスはすっと手を伸ばし──、

 リイイイイイイイイイイイイインッ!

 派手な音をたて、ダーク・クリスタルの棺は激しく砕け散った。

 衝撃が放射状に放たれ、目の前の人影が吹っ飛ばされる。

「……」

 一〇〇〇年のときを経て蘇った〈魔王〉は、あたりをへいげいするように見回した。

 地下大霊廟の空気は、なにひとつ変わりはない。

 濃密な死の気配をたたえた、せいひつな空気だ。

「……っ……う、くっ……!」

 レオニスの視線の先で人影がうずくまり、苦しそうな声を漏らしている。

 無論、先ほどの衝撃は、愚かな墓荒らしをちゆうするためのものではない。この不届き者には、これからたっぷりと、復活した〈魔王〉の恐怖を味わわせて──

「……っ!?」

 と、足を一歩踏み出した、その瞬間。レオニスは思わず、目を見開いた。

 地面に転がった光源。その明かりに照らし出されたのは──

 少女、だった。

 年齢は十四、五歳ほどか。輝く白銀の髪。澄み切った蒼氷アイスブルーの瞳。肌は処女雪のように白く、精霊の森にむハイ・エルフ種族とまがうほどの美貌だ。

 いや、ハイ・エルフ種族でさえ、これほどまでに美しい少女はいるだろうか?

 その容姿は、女神の彫りだした精緻な彫刻のよう。

 レオニスは思わずれ、息をんでその場に立ち尽くした。

 不届き者の墓荒らしに罰を与える──

 そんな考えは、すっかり脳裏から霧散してしまっていた。

 その少女は、レオニスの見慣れない服装をしていた。

 濃紺を基調とした、スカート付きの軽騎兵ライト・キヤヴァリアーのような服装だ。

 少なくとも、遺跡荒らしのようには見えない。

「……な、なに……?」

 少女は、レオニスを見上げて声を上げた。

 おびえというよりは、戸惑いの感情が色濃い。

 レオニスはハッと我に返った。

(……そうだ。不届き者に罰を与えるのだったな)

 こほんとせきばらいすると、

「……?」

 少女が声を発した。

「うん?」

 レオニスは思わず、き返した。

 ──子供、とはどういうことだ?

 眉をひそめ、レオニスは自分の手足を見下ろした。

「……なっ!?」

 そして、きようがくに目を見開く。

(ば、馬鹿な……!?)

 頼りなく小さな手。きめの細かなみずみずしい肌。

 闇色のローブを身にまとった、まるで子供のようなたい

 ……いや、子供のような、ではない。

 魔王レオニス・デス・マグナスは、十歳ほどの人間の少年の姿になっていた。

(……っ、まさか、転生の秘術に失敗した!?)

 第十二かいてい、最高位とされる〈転生〉の魔術にもいくつか種類がある。

 一つは、別の器に魂を転移させ、生まれ変わる方法。

 一つは、器そのものを魔術によって生みだし、そこに魂を固定する方法。

 そしてもう一つ、自身の肉体を一度過去の状態に戻し、再構築する方法だ。

 レオニスが取ったのは、三番目の方法であった。

 最初の方法は、どの器に生まれ変わるのか偶然性が高く、二番目の方法は、魔王の魂を宿すに耐えうる器を生み出すのが困難、ゆえにレオニスは、三番目の方法を取った。

 滅びた肉体を全盛期の状態で再構築しなおし、魂の器とす。

 ──あたかも、炎の中からよみがえる伝説の〈不死鳥フエニツクス〉のように。

(……しかし、なぜこの姿に?)

 転生した際、不死者の魔王アンデツド・キングの肉体を再構築するように、魔術を設定したはずだ。

 なぜ、忌むべきこの姿に──

 姿

 身に着けた闇のローブの裾は大きく余っている。

 転生前の〈魔王〉の肉体と比べると、ひどく頼りない感覚だ。

「ええっと……」

 と、目の前に現れたのが、幼い少年であったことに安心したのか──

 白銀の髪の少女は、乱れたスカートの裾を直しつつ、ゆっくりと立ち上がった。

 片膝をついてレオニスの前にかがみ込み、じっと顔をのぞき込んでくる。

 砕け散ったダーク・クリスタルのひつぎとレオニスを見比べて、

「君、どうして、あんなところに閉じ込められていたの?」

「……そ、れは……」

 透き通った蒼氷アイスブルーの瞳に見つめられ、思わず、胸がドキッとしてしまう。

(……くっ、これだから人間の肉体は──)

「もしかして、〈ヴォイド〉にさらわれたの?」

「……ヴォイド?」

 耳慣れない言葉に、眉をひそめるレオニス。

「──そう、ショックで記憶が混乱してるのね」

 と、少女はなにを思ったのか──

 突然、レオニスの小柄な身体からだをぎゅっと抱きしめた。

「……っ!」

「……もう大丈夫だから」

「な、なに、を──」

「お姉さんが、守ってあげる」

「や、やめ……むぐ、ぐぐぐ……!」

 ふよんっ。

 魔王レオニスの顔に、やわらかいふたつの果実が押しつけられる。

 ほどよく膨らんだ少女の胸。白銀の髪の毛先がほおをくすぐる。

 少女のほそい指先が、レオニスの頭を優しくでた。

(……っ!)

死都ネクロゾア〉に君臨する〈魔王〉に対して、あまりに不敬なその行為。

 だがレオニスは、その手を振り払うことができなかった。

 心臓がドキドキと高鳴る。ひさしく忘れていた、人間であった頃の感覚だ。

 抱きしめられるその感覚は、あまりに心地よかった。

(……あ、れ……?)

 ふらっ、と目眩めまいがした。

 寝心地のいい枕のような少女の胸の中で──

 魔王レオニスの意識は闇に落ちた。


    ◆


(……なるほど、干したどうが練り込んであるのか)

 地下大れいびようの石の祭壇の上に座り込み、レオニスは銀髪の少女のくれた、固いビスケットのような食べ物をほおった。

(エルフどもの携行食に似ているが、あれはもっとパサパサしていたな)

 とうの昔に失われていた味覚だが、この感覚は悪くない。

「……ん、むぐぐ……」

 ビスケットの塊が喉にひっかかり、せながらトントンと胸をたたく。

(やはり度し難いな、この身体からだは。空腹などで意識を失うし──)

 胸中で、苦々しくつぶやく。

 そう、レオニスが意識を失った原因は、ただの空腹であった。

 ……危なかった。最強の〈魔王〉が空腹で意識を失うなど、あり得ぬ失態だ。

 まさか、人間であった頃の肉体に転生するとは思いもしなかったので、この大霊廟には水も食糧も一切用意していない。

 認めたくはないが──

 レオニスは顔を上げ、少し離れて座る少女に視線を送る。

(……この女、命の恩人かもしれないな)

 本来であれば、最も栄誉ある〈骨の勲章〉を授けるほどの功績だ。

 そんな彼女は、耳のイヤリングに手をあて、誰かと話しているようだ。

『遺跡内部でみんの子供を発見しました。確認をお願いします』

『──了解……棄民のリストと照合してみるわ』

〈遠隔会話〉の魔術。とすると、あのイヤリングは魔導触媒だろうか。

 と、レオニスの視線に気付いたのか──

 少女は、こちらを安心させるように微笑ほほえみを浮かべた。

「よかった。おなかは落ち着いた?」

「……」

 無言でうなずくと、彼女は立ち上がり、レオニスの横に座った。

「私はリーセリア・クリスタリア。〈第〇七戦術都市セヴンス・アサルト・ガーデン〉の〈聖剣士〉養成学院、第十八小隊所属の準騎士で──あ、十五歳ね。えっと、君の名前は?」

 目線を律儀にレオニスの背丈に合わせ、自己紹介をしてくる。

 言葉はわかるが、正直、なにを言ったのか理解できない。

 レオニスが理解できたのは、彼女の名前と年齢だけだ。

 この周辺に存在する人間種族の国家といえば、ラーガルド王国か、シュナイバル魔導国あたりだろうが、少女の口にした言葉に、両王国の名は含まれていない。

 彼女は、レオニスが魔物かなにかにさらわれた子供だと勘違いしているようだ。

(……この外見では、無理もあるまいが、な)

 レオニスは自嘲する。

 なぜこの姿で転生することになったのか、その原因は不明だが──

 ともあれ、この姿で誤解されているのなら、利用させてもらうまでだ。

(……とりあえず、今の世界の情報を聞き出すか)

 レオニスは顔を上げると、

「俺──、レオニス。レオニス・マグナス、です」

 やや高い少年の声を作りつつ、魔王の名をそのまま名乗った。

 一瞬、偽名を使うことも考えたが、人間相手にそんな小細工を弄するのは、魔王のプライドが許さない。それに、これはの与えてくれた、誇りある名だ。

(さて、どう反応するか……)

 不死者の魔王アンデツド・キング──レオニス・デス・マグナスの名が、伝説として後生にまで伝わっているのだとすれば、なにかしらの反応があるはずだった。

「レオニス?」

 リーセリアの青い瞳が、大きく見開かれた。

(ほう、やはり知っているのか──)

可愛かわいい名前ね!」

「……そ、そう、ですか?」

 レオニスは渋面になった。

(……可愛いどころか、世界を恐怖に陥れた名前なんだが)

 なんにせよ、魔王の名前は伝わっていないようだ。

「レオニス──レオ君ね、歳はいくつ?」

「十歳くらい……だと思います」

 魔王の名を勝手に略すな、と言いたいのを我慢して、レオニスは答える。

「……くらい?」

「あ、十歳です」

 魔王になる前の歳など覚えていないが、まあ、そのあたりだろう。

みんの子供よね? 君をさらった〈ヴォイド〉の姿を覚えてる?」

「ヴォイド?」

 レオニスはき返した。

「〈ヴォイド〉を知らない?」

「ええっと……はい」

「そう、辺境ではそういうこともあるかもね」

 顎に手をあて、納得したようにうなずくリーセリア。

「〈ヴォイド〉は、こことは違う異世界から現れた、人類の敵。わたしたち〈聖剣〉の騎士は、その〈ヴォイド〉と戦っているの」

「……異世界? 敵?」

 レオニスの頭は混乱した。

 千年前、人類の敵と呼ばれていたのは、魔族と魔王軍。そして、〈輝ける神々ルミナス・パワーズ〉を裏切り、世界に対して戦争を起こした〈はんぎやくの女神〉だ。

(この千年のあいだに、新たな勢力が台頭した? しかし──)

 女神の予言に、そんな存在のことは一切示されていない。

「わたしたちは、この遺跡に〈ヴォイド〉の拠点を調査しにきたの。あれは古代の遺跡のある場所に発生する確率が高いから。それで──」

 リーセリアは、開いたれいびようの入り口のほうを振り向く。

「あの扉を見つけたの」

 ……なるほど。彼女がここを発見したのは、偶然のようだ。

 封印の扉が開いたのは不可解だが、千年の時が経過すると開くように、配下の誰かが設定していたのかもしれない。

(いや、待てよ──)

 重要なことを確認していなかった、とレオニスは気付く。

「えっと……リーセリア、さん」

「セリアでいいわ、レオ君」

「じゃあ、セリアさん、今は──〈聖神暦〉で何年ですか?」

 と、人間種族の王国で使われている暦で尋ねる。

 魔王軍最後の拠点、〈死都ネクロゾア〉の陥落から一〇〇〇年後の世界だとすれば、〈聖神暦〉では、一四四七年になるはずだ。しかし──、

「せいしん暦?」

 リーセリアは、げんそうに眉をひそめた。

「いまは、〈人類統合暦〉六四年だけど……」

「人類統合暦?」

 こんどは、レオニスが逆にき返す。

 また聞き覚えのない言葉だ。

(──一体、なにがどうなっている?)

 その時、リーセリアのイヤリングが光を放った。

「──お嬢様……気を付けて、大型のヴォイドと──交戦……」

「え、ちょっと、レギーナ!?」

 ザ、ザザ、ザザザ──、と雑音がして、声がプツッと途切れる。

「なにがあったんですか?」

「……わからない。けど──」

 リーセリアは表情を鋭くして、立ち上がる。

 と、次の瞬間。

 ドオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!

死都ネクロゾア〉の地下大れいびようが、激しく揺れた。


    ◆


「──な、なに!?」

 頭上に細かな石の破片がバラバラと落ちてきた。

 リーセリアは、とつにレオニスを抱きしめてかばう。

(……っ!)

 制服に包まれた、やわらかい胸が顔にあたる。

「レオ君、大丈夫?」

「……え、ええ……」

 少女の汗の匂い。

 高鳴る胸のどうに戸惑いつつも、レオニスはこくこくとうなずいた。

「〈ヴォイド〉が現れたようね。わたしの仲間が交戦してる」

 リーセリアは体を離し、警戒するように周囲を見回した。

 ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ!

 遠くで、断続的な爆発音が響き渡る。

(……っ、俺の仲間たちの眠る地下大霊廟で、暴れるだと──)

〈死都〉の魔王として、そのようなろうぜきを断じて許すわけにはゆかぬ。

 レオニスは立ち上がろうとして──

「……わっ!」

「レオ君!?」

 長いローブの裾を踏ん付け、つんのめる。

(お、おのれ……)

 痛む鼻をさすりつつ、今度はゆっくりと立ち上がった。

 ……まだ、この少年の身体からだに、慣れていないのだ。

「大丈夫? してるわ」

「へ、平気です」

「よし、強い子ね」

 リーセリアは安心させるような微笑を浮かべ、レオニスの頭をでた。

 ……くすぐったい。けれど、不思議と不快ではない感覚に戸惑いを覚える。

(なんなんだ……)

「安心して。君はわたしが守るから」

 言うと、リーセリアはふともものベルトから金属の塊を抜き放った。

三階梯聖剣アーテイフイシヤル・レリツク〈レイ・ホーク〉限定解除──アクティベート」

 両手に構えてつぶやくと、ガシャン、と金属の塊が変形する。

 彼女の手に収まったのは、魔力光マナ・フレアを放つ筒状の物体だ。

 射撃武器、だろうか。レオニスの時代にはなかったものだ。

「こっちへ──」

 リーセリアがレオニスの手を取り、走り出す。

 と──

 ドオオオオオオオオオオオオオオンッ!

「……っ!?」

 遺跡の壁をぶち抜き、巨大な腕が突きだされた。

「……っ、〈オーガ〉級の〈ヴォイド〉!?」

 リーセリアのたんせいな顔が引きった。

(……オーガだと!)

 初めて出てきた既知の言葉に、レオニスのテンションが思わず上がる。

 オーガ──魔王軍では、〈鬼神王〉ディゾルフのにいた人食い鬼共の総称だ。

 だが、そんな期待はすぐに裏切られる。

「レオ君、下がって──!」

 壁をぶち破って現れたのは、体長五メルトほどもある巨人だった。

 赤く光り輝く鉱物を全身に生やした、灰色のきよ。その頭部ににあたるものはなく、真横に裂けたような不気味なこうこうが広がっていた。

 だらり、と垂れ下がった、うろこに覆われた両腕。

 腹のあたりには、うごめく獣の顔のようなものが浮き出ていた。

(どこがオーガだ……)

 レオニスの知るオーガとは、似ても似つかない姿である。

 記憶にある中で、強いて似たものを挙げるとすれば、あまりソリの合わなかった魔軍参謀、ゼーマインの研究していた悪趣味な合成生物だろうか。

「あれが、〈ヴォイド〉?」

 たずねると、リーセリアは化け物をにらみ据えたままうなずき、

「ええ、太古の神々の姿を模した、人類の敵よ──」

 パンッ、と乾いた破裂音がした。

 リーセリアが射撃武器を使用したのだろう。

 だが、効いている様子はない。あの鱗にはじかれたようだ。

「……っ、この武器じゃ、歯が立たない……!」

 ■■■■■■■■■■■──!

 その不気味な口腔からしようらし、〈ヴォイド〉がほうこうした。

 垂れ下がった巨腕をむちのようにしならせ、リーセリアを押しつぶそうとする。

「ふん、〈闇の障壁リ・ラルテ──」

 レオニスが〈影の領域レルム・オヴ・シヤドウ〉の魔術を唱えようとした、その時だった。

 ドウッ、ドウッ、ドウンッ──!

 たて続けに鳴り響く爆発音。

 爆風がぜ、れんほのおが〈ヴォイド〉の腕を吹き飛ばした。

「ご無事ですか、セリアお嬢様!」

「……レギーナ!」

 こちらも壁をぶち抜いて現れたのは、巨大な円筒形の武器を抱えた、小柄な少女だ。

 金色に輝くツーテールが、逆巻く爆風で激しく揺れる。

 ……ついでに、大きな胸も。

 暗闇に躍る炎の中で、猫のようなへきぎよくが光る。

 こちらの少女も、かなり整った顔立ちだ。

 少女は慣性のまま地面を滑り、キッと音をたてて止まった。

「やはり、この遺跡は〈ヴォイド〉の発生地点だったみたいですね──って、セリアお嬢様、その子供は?」

 レギーナと呼ばれた少女は、レオニスを見て首をかしげた。

「遺跡の奥で保護したの。話はあとよ──」

「そうですね──」

 ■■■■■■■■■■■──!

 化け物が、れきの破片を押しのけて起き上がった。

 吹き飛ばされたはずの右腕が再生を始めている。すさまじい生命力だ。

「さすが大型。この火力じゃ、らちがあきませんねっ──」

 レギーナは、巨大な射撃武器を肩に固定した。

「聖剣〈ドラグ・ハウル〉形態換装モード・シフト──」

 対大型虚獣せんめつ武装──〈第四號竜滅重砲ドラゴン・スレイヤー〉!

 瞬間。巨大な武器が形態変化する。

 竜の顎のごとき砲門を備えた、更に大型の武装へ──

(……なんだ? あの武器は一体──)

 レオニスはみはった。

(……あれが、〈聖剣〉だと?)

「消し飛べええええええええっ!」

 ドウウウウウウウウウウウンッ!

 砲火がさくれつごうおんと共に、真っ白なせんこうが視界を埋め尽くした。

(……っ、お、俺の地下大れいびようが!)

 レオニスは思わず、声をあげそうになった。

 それにしても、すさまじい威力だ。

 その熱量は、爆裂系統の第四かいてい魔術〈爆閃雷轟ラグ・イラ〉にも匹敵するだろう。

 だが、

 魔術が発動する際に、必ず生じるはずの魔力光マナ・フレアは確認できなかった。

「や、やったの!?」

「あの、セリアお嬢様、その台詞せりふはフラグ……」

 立ち上る土煙の向こうで、巨人の影がのっそりと起き上がるのが見えた。

(ほう、〈爆閃雷轟ラグ・イラ〉級の火力にも耐えるのか──)

 レオニスは感心する。大抵の魔物は消し炭になっている威力だ。

 金髪の少女は土煙の向こうをにらみ据え、一歩前に進み出た。

「遺跡を離脱してください。ここはわたしが──」

「レギーナ……」

 リーセリアはわずかにちゆうちよするも、こくっとうなずき、

「わかった。気をつけてね」

「はい、お嬢様」

 レギーナがふっと微笑する。

 言葉の少なさに、かえって二人の信頼が感じられた。

「行くわよ、レオ君」

 リーセリアがレオニスの腕をつかんで走り出した。


    ◆


(なにもかも、予定外だ……)

 腕を引かれるがままに走りつつ、レオニスは心の中でぼやいた。

 ──〈魔王〉の復活は、もっと厳かなものではないのか?

 転生の秘術は失敗し(明らかに失敗だ)、魔王になる前の、人間の少年であった頃の姿にまで戻ってしまった。地下大れいびようには〈ヴォイド〉とかいう異世界の化け物が入り込み、あるじの許可も無く遺跡を破壊している。

 とって返して、あの化け物をちゆうさつしたいところだが、そうもゆくまい。

 レオニスは、必死に走るリーセリアの横顔にチラッと目をやった。

 この少女は、今の世界を知るための貴重な情報源だ。〈魔王〉としての正体をなるべく隠しつつ、情報を集めるために利用したい。

「このまま、地上の入り口に向かうわ」

 激しく息を切らしつつ、リーセリアは言った。

(……地上に出るには、近道があるんだけどな)

 だが、それを指摘すれば、彼女に不審がられるだろう。

「……っ、と!」

 不意に、気配を感じて──

 レオニスはとつに、リーセリアの服の袖を引いた。

 ズオオオオオオオオオオオオン!

 遺跡の天井が崩落した。

 そのまま進んでいれば、二人とも下敷きになっていただろう。

「……レオ、君……?」

「あの一体だけじゃなかったみたいですね」

 倒れこんだリーセリアに背を向けたまま、レオニスは前方を見た。

 すなぼこりの中、翼の生えた巨大な影がこちらを見下ろしている。

「……っ、まさか、もう一体!?」

「あれも〈ヴォイド〉ですか?」

「ええ、飛行型個体──〈ワイヴァーン〉級よ」

 ワイヴァーンか、とレオニスは内心で眉をひそめる。

 たしかに、翼の形状は飛竜と似ているものの、全身に鉱物の塊を生やし、醜く膨れ上がったそのたいは、レオニスの知るワイヴァーンとはまったくの別物。

 飛竜は、もっと優美な魔獣だ。

「……っ、レオ君、逃げて!」

 三発。セリアは、〈ヴォイド〉に向けて射撃武器を撃ち込んだ。

 だが、そんなものはけんせいにもなりはしない。

(滅ぼすか……)

 レオニスは小さく肩をすくめた。

 この少女に力の一端を見せてしまうことになるが、それはそれで仕方あるまい。

 転生後の準備運動には、ちょうどいい相手だろう。

(この〈魔王〉レオニスのれいびように土足で入り込んだことを、後悔させてやる)

 不敵に笑い、レオニスは太古の魔術ソーサリーを編む。

 魔力が全身の隅々をめぐる感覚。

 この身体からだでは、さすがに本調子とはいかないが──

 シアアアアアアアアアアアアアッ!

 巨大な〈ヴォイド〉の爪が振り下ろされる。

(消し飛べ──)

 レオニスが第六かいていの攻性呪文を放とうとした、刹那。

「……させないっ!」

 リーセリアが眼前に飛び出し、レオニスを突き飛ばした。

(……は?)

 レオニスの視界いっぱいに、彼女の白銀の髪がひろがる。

 振り下ろされた〈ヴォイド〉の爪が、リーセリアの上半身をえぐるのが見えた。

 ズシャアッ!

 横ぎに吹っ飛ばされ、何度かバウンドして地面にたたきつけられる。

「なっ……!」

 レオニスは起き上がり、彼女のほうを振り向いた。

「あ、くっ……う……」

 地面に投げ出されたリーセリアの服が、赤く血の色に染まってゆく。

 レオニスは目を見開き、その場に立ち尽くした。

「どうして──」

「……逃げ……て」

 リーセリアは唇を開き、弱々しく言葉を紡ぐ。

「レギーナと……合流して、離脱するの……できる、わね?」

 どこまでも優しく、しかし必死なその声。

 呼吸するたびに胸の傷は大きくひろがり、あふれた血が地面をらした。

 背後で、〈ヴォイド〉の動く気配があった。

 あのワイヴァーン級とかいうのだけではない。

 おそらく、同等以上の個体が、二体、三体と姿を現す。

 だが、レオニスは振り返ることもしない。

「……は……や、く……!」

「……」

 レオニスは、意識を失った彼女の手を取った。

 急速に冷たくなる手。これまで幾度も触れてきた、死の感触。

 愚かな行為、無駄な自己犠牲だ──と、そう断じることはたやすい。

〈魔王〉であるレオニスが、あの程度の攻撃を受けきれぬはずもない。

 この世界の情報を得るため、たわむれに生かしておいた、人間種族の少女。

 一応、命の恩人ではあるが──

 彼にとって、この少女の価値は、それ以上でも以下でもない。

 しかし、レオニスを守るように立ちはだかったその姿に──

 あの時のの姿を重ねてしまった。

 ──勇者なんてつまらないよ。私のものになれ、レオニス。

 その身を犠牲にして、傷付いた少年を守った少女。

 救ったはずの人々に裏切られ、すべてを失った彼の前に現れた──

 世界にはんひるがえし、世界のすべてに憎悪された──〈はんぎやくの女神〉の姿を。

「……まったく、度し難いな」

 まりに指を浸し、レオニスは苦々しくつぶやいた。

「この身体からだは、本当に、度し難い……」

 なぜ、人間であった頃の感情まで取り戻してしまったのか──

 レオニスは立ち上がり、背後にいちべつをくれた。

 その瞬間。三体の〈ヴォイド〉は、凍りついたように動きを止めた。

 目の前の少年の放つ、圧倒的な気配にまれたのだ。

 周囲を見回せば、無惨に破壊された遺跡の壁。

「貴様らごときが、俺のれいびようを踏みにじるか」

 少年の冷徹な声が響く。

「転生したと思ったらこんな姿だし、わけのわからない化け物共がいるし、しかも俺の霊廟を我が物顔で荒らしている。挙げ句、俺の命の恩人でもある娘をお前らは殺した、ああ、そうだ、認めよう。俺は勇気あるこのむすめを、少しだけ気に入っていたんだ──」

 目の前の〈ヴォイド〉を無視して、ぶつぶつと呟く。

「それに、ローブは大きすぎて動きにくいし、正直足も痛い──」

 石の地面を走った裸足はだしかかとには、擦り傷ができていた。

 最後のほうは、ほとんど八つ当たりのような感情ではあったが──

「──さて、そんな貴様らに相応ふさわしい処罰はなんだ?」

 レオニスは腕組みして考える。

〈魔王〉は寛大だ。情状酌量の余地はわずかにある。

 なにしろ、この化け物に知性があるようには見えない。

 誰に、何をしてしまったのか、それを理解していないのだろう。哀れだ。哀れなことだ。目の前の、ぜいじやくな少年の姿をしたものが、絶対に敵にしてはならぬ相手だと理解する知能さえないのだから。

「まあ、結局のところ──」

 と、血溜まりに伏したリーセリアのほうを一瞥し、〈魔王〉は結論を下した。

「──お前達は、

 レオニスは右足でトン、と足もとの影をたたいた。

 と、不気味にうごめく影の中から、一本のつえが現れる。

 せんたんに青い魔水晶のめ込まれたしやくじようだ。

「千年ぶりだな、我が相棒よ──」

 つえはレオニスの手にピタリと収まると、まがまがしいしようを放った。

 魔王軍の死の象徴──〈封罪のじよう〉。

 レオニスが伝説の神竜と戦い、奪い取った魔眼の杖だ。

「……ふむ、この身体からだで持つには、さすがにバランスが悪いか?」

 片手で杖を振り、ためつすがめつ眺めていると、

 シギャアアアアアアアッ──!

 ワイヴァーン型の〈ヴォイド〉が爪を振り下ろした。

「──やれやれ、行儀が悪いな」

 と、レオニスは杖に魔力を込め、呪文を発動する。

 ──グシャリ。

〈ヴォイド〉の巨体が、真上から圧搾されたように、ひしゃげてつぶれた。

 四肢がそれぞれ奇妙な方向に折れ曲がり、頭部は地面に押し付けられて変形する。

 ──〈重力系統〉第八かいてい呪文〈極大重波ヴイラ・ズオ〉。

 重力結界の中で、四肢を小刻みに動かしているが、立ち上がることはできない。

「──潰れろ、劣等種」

 杖の先でトン、と地面をたたくと──

 断末魔のほうこうさえゆがませて、〈ヴォイド〉はあっさりと自壊した。

 オオオオオオオオオオオオオオオッ!

 角を備えた、獣のような〈ヴォイド〉が突進してくる。

「恐怖を抱かぬか。面白い」

 レオニスは杖を前に突きだした。

「──〈力場の障壁ルア・メイレス〉」

 杖の魔眼が輝き、青く輝くろつかくすいの障壁が展開。

 獣型〈ヴォイド〉の突進を容易たやすく受け止める。

「なんだ? そんなものか?」

 レオニスは薄く笑った。

 障壁と接触した角のせんたんに、激しい雷火がほとばしる。

 だが、魔術の障壁を貫くことはできない。

「では、こちらからいくぞ──」

 レオニスが杖を振りおろす。

 六角錐の障壁が回転し、獣型の〈ヴォイド〉を縦横無尽に斬り刻んだ。

 最後の一体、蛇のような姿をした〈ヴォイド〉は、ほかの二体より、少しは知能があるようだった。遺跡の壁をぶち抜き、下層階への逃走を図る。

「逃がすと思うか?」

 レオニスは、軽く地面を蹴り、宙に浮き上がった。

 地面に潜りはじめた〈ヴォイド〉めがけて、つえを振り下ろす。

「消し炭になるがいい!」

〈炎系統〉の第八かいてい魔術──〈極大消滅火球アル・グ・ベルゼルガ〉。

 ドオオオオオオオオオオオオオンッ!

 れんの炎が〈ヴォイド〉を一瞬で焼き尽くした。

「……まあ、こんなものか」

 ふわり、と地面に降り立ち、レオニスはつぶやく。

 と、次の瞬間。レオニスの顔がきようがくゆがんだ。

「……っ、ば、馬鹿な!?」

 ──そこに、あり得ないものがあったのだ。

 焼け残った〈ヴォイド〉の骨格、のようなものだった。

「……っ、そんな、〈極大消滅火球アル・グ・ベルゼルガ〉で骨が残るだと!?」

炎の領域レルム・オヴ・ムスペルヘイム〉にせいそくする、赤竜のうろこさえ溶かすしやくねつの猛火だ。

 レオニスは自身の手を見下ろして、ため息をついた。

 勇者と呼ばれていた頃は、むしろ魔導は不得手だった。

 やはり、この姿では、全盛期の魔力には遠く及ばないようだ。

(……よくて三分の一、といったところか)

 レオニスは、リーセリアのほうへ近付くと、その手をとった。

 肌は冷たくなっているが、まだかすかに息はあるようだ。

 しかし、人間の身体からだもろい。このままでは死ぬだろう。

 その青ざめた顔は、凄絶なほどに美しい。

「俺は〈魔王〉だ。人間の命などどうでもいい」

 聞いていないだろうが、レオニスは呟いた。

「だが、俺は気高き魂には敬意を払う。お前は命を賭して俺をかばおうとした。〈魔王〉の俺を庇おうなどと、浅慮と言うしかないが、その心意気を俺は認めよう」

 血にまみれた彼女の身体を、レオニスは両手で抱き起こした。

「……くっ……重い、な……」

 この年齢の少女の体格としては、きやしやなほうなのだろうが、十歳の少年として転生したレオニスにとっては、かなりの重さだった。

「悪いが、魔導を極めた俺も、〈神聖魔術〉だけは使えない」

 それは、〈死の領域〉の魔術に手を染めた者の代償だ。

〈魔王〉レオニスは、最も初歩の治癒呪文さえ、使うことができない。

 まして、これほどまでに生命力を失った者を回復させることは不可能だ。

 ゆえに──

 レオニスはもう一つの方法で、彼女を救うことにした。

MF文庫J evo

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