第一章 魔王復活
「──現在、第七階層。〈ヴォイド〉の反応はなし」
『──解──のまま……索を──けて下さい』
少女の耳元で揺れるイヤリング型端末が、ノイズ混じりの音声を伝えてくる。
遺跡の地下深くともなれば、〈聖剣学院〉の〈聖剣士〉候補生に支給された、軍用通信デバイスも役に立たなくなる。
「セリアお嬢様、そろそろ引き上げ時では?」
「連中は、遺跡の地下深くにも〈
銀色のロングヘアを
強い意思を秘めた
年齢は十五歳。光を反射してほのかに輝く、美しい白銀の髪。
雪の妖精と
薄く色づく桜色の唇。街を歩けば、誰もが振り向くであろう
リーセリア・レイ・クリスタリア。
事実、彼女は〈
「はいはい、セリアお嬢様は
苦笑して肩をすくめたのは、金色の髪を頭の両端でくくった小柄な少女。
レギーナ・メルセデスは、リーセリア専属のメイドだ。
活発によく動く、大きな
二人が着用しているのは、同じ紺色の衣装。
〈
二人の任務は、荒野に突如として出現した、古代の遺跡の調査だった。
数日前、この付近で大規模な地震が発生し、地下に眠る巨大な地下遺跡が発見された。
魔力の集まりやすい古代の遺跡には、〈ヴォイド〉が〈
遺跡の調査は危険な任務であり、カナリア部隊と
──〈ヴォイド〉。
六十四年前、人類圏に侵攻し、人類の四分の三以上を滅ぼした、異世界の侵略者。
どこから現れるのか、目的は何か、その生態はいまなお謎につつまれている。
兵器であるのか、生物であるのか、それさえも定かではない。
分かっているのは、それが太古の神話の生物に似た姿をしている、ということだけだ。
「大事な任務よ。
唇をきゅっと
恐怖を感じていないわけではない。むしろ彼女は人一倍怖がりで、幼い頃は、年の離れた姉たちの後ろによく隠れていた。
地下遺跡の空気は生ぬるく、
まるで墓所のようだ。
(……実際、墓所なのかもしれないわね)
と、リーセリアは胸中で
何百年前の遺跡なのだろう。あえて周囲を見渡せば、空想上の怪物を模したと思われる、不気味な彫像群がそこかしこに配置されている。
もし、ここが王の眠る墓なのだとすれば──
(……その王様は、きっと寂しいでしょうね)
と、リーセリアは思う。
二人は〈ヴォイド〉の気配に警戒しつつ、静寂に満ちた通路を進んだ。
と──
「……あ、行き止まりですか?」
レギーナが足を止め、顔をしかめた。
「扉、のようね──」
リーセリアは、目の前に立ちはだかる巨大な壁を見上げて言った。
両手で押してみるが、びくともしない。
「とりあえず、壊してみますか?」
「待って、なにか書いてあるわ」
物騒な
表面に文字のようなものが刻まれているが、古代の遺跡に精通している彼女も、見たことのない文字だった。
「読めます?」
「ええっと、古エルフの言語……それとも、精霊の……?」
リーセリアは小型の解析端末を取り出すと、素早くタップする。
「どうしたんですか?」
「──この扉、まだ生きてるわ」
「生きてる?」
「システムが稼働してるってこと。古代の魔術装置のようだけど──」
「……それ、時間かかりそうです?」
「うん、少し」
レギーナは肩をすくめ、軽く息を吐く。
彼女は、リーセリアの性格をよく把握しているのだ。
「では、あたりを警戒してきますね」
「ええ、お願い」
レギーナは手をひらひらと振り、通路を戻る。
彼女は退屈が苦手なタイプだ。
遺跡の中での単独行動は危険だが、彼女にはリーセリアと違い、〈ヴォイド〉を制圧できる〈聖剣〉の力がある。まあ、大丈夫だろう。
リーセリアは端末を操作し、未知の古代文字を解析にかけはじめた。
データベースの中に、類似した文字の構造があるはずだ。
扉の奥にはなにがあるのだろう。不思議と
彼女が文字に触れた、その瞬間──
バヂッ、と魔力の
「え──?」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
重い石の扉が、ゆっくりと開き出す。
「……っ、開いた!?」
リーセリアは目を見開き、中の暗闇をライトで照らした。
と──
(あれは、なに……?)
岩壁の中に、不気味な輝きを放つ、巨大な黒いクリスタルが埋め込まれていた。
……あんな物体は、見たことがない。
端末がけたたましい警報音を鳴らした。
(魔力反応……?)
魔力を感知する端末がエラーを吐き出している。
〈
「ああもう、こんな時に故障なんて……」
と、その闇を封じたクリスタルの中に、なにか人の姿のようなものが見えた。
「……っ、う、
彼女は一瞬、息を
やはり、人の姿をした何かがいる。
(助けないと……!)
リーセリアは、ホルダーから拳銃を抜き放った。
◆
ガンッ、ガンッ、ガンガンッ!
(……なんだ、騒々しい)
〈
不死者の〈魔王〉──レオニス・デス・マグナスは目を覚ました。
伝説に
(もう、千年が
ガンッ、ガンガンガンッ!
闇に閉ざされた視界の中で、彼は思考をめぐらせる。
棺に封印されていたあいだ、彼に意識は一切なかった。
不死者の軍勢が人類の英雄によって打ち破られ、魔王軍最後の拠点である〈死都〉が陥落したあの日から、彼の時間は止まっているのだ。
ガンガンガンッ、ガンガンッ!
(転生の儀式は、成功したようだな……)
闇の中で、軽く両手の指先を曲げてみる。
まだおぼろげだが、手足の感覚のようなものは確かにあった。
いかに不死者の〈魔王〉とはいえ、一〇〇〇年ものあいだ、魔力の供給もなしに、肉体をそのままにとどめておくことはできない。ゆえに彼は、死の秘術によって魂を凍結し、この棺の中で転生する方法を──
ガンガンッ、ガンガンガンガンガンガンッ!
(……~っ、うるさい!)
思考を遮られ、〈魔王〉レオニスは怒鳴った。
(なんだ、この音は?)
どうやら、何者かが棺を外から
魔王である彼の眠りを覚ますとは、一体どこの不届き者だろうか?
強力な結界によって封印されたこの地下大霊廟が、そう簡単に発見されるとは考えにくいが、この千年の間に、なにか天変地異が起きていないとも限らない。
(しかし、この
レオニスは、外の音に聴覚を集中させた。
魔王の
(人類語、のようだな。ふむ……)
千年も
指先を闇の中に伸ばし、〈言語解析〉の呪文を唱えると、一瞬、目の前が光る。
転生後の肉体でも、魔術は問題なく発動した。
「銃弾を
言葉の意味はよくわからないが、やはり棺を破壊しようとしているようだ。
(……愚かな墓所荒らしの類いか)
レオニスはそう結論付ける。
無論、この棺は、並の魔術などでは傷一つ付けることもできまいが。
なんにせよ、そのような不届き者には罰を与えねばなるまい。
(──
レオニスはすっと手を伸ばし──、
リイイイイイイイイイイイイインッ!
派手な音をたて、ダーク・クリスタルの棺は激しく砕け散った。
衝撃が放射状に放たれ、目の前の人影が吹っ飛ばされる。
「……」
一〇〇〇年の
地下大霊廟の空気は、なにひとつ変わりはない。
濃密な死の気配をたたえた、
「……っ……う、くっ……!」
レオニスの視線の先で人影がうずくまり、苦しそうな声を漏らしている。
無論、先ほどの衝撃は、愚かな墓荒らしを
「……っ!?」
と、足を一歩踏み出した、その瞬間。レオニスは思わず、目を見開いた。
地面に転がった光源。その明かりに照らし出されたのは──
少女、だった。
年齢は十四、五歳ほどか。輝く白銀の髪。澄み切った
その容姿は、女神の彫りだした精緻な彫刻のよう。
レオニスは思わず
不届き者の墓荒らしに罰を与える──
そんな考えは、すっかり脳裏から霧散してしまっていた。
その少女は、レオニスの見慣れない服装をしていた。
濃紺を基調とした、スカート付きの
少なくとも、遺跡荒らしのようには見えない。
「……な、なに……?」
少女は、レオニスを見上げて声を上げた。
レオニスはハッと我に返った。
(……そうだ。不届き者に罰を与えるのだったな)
こほんと
「……どうして、こんなところに子供が?」
少女が声を発した。
「うん?」
レオニスは思わず、
──子供、とはどういうことだ?
眉をひそめ、レオニスは自分の手足を見下ろした。
「……なっ!?」
そして、
(ば、馬鹿な……!?)
頼りなく小さな手。きめの細かな
闇色のローブを身に
……いや、子供のような、ではない。
魔王レオニス・デス・マグナスは、十歳ほどの人間の少年の姿になっていた。
(……っ、まさか、転生の秘術に失敗した!?)
第十二
一つは、別の器に魂を転移させ、生まれ変わる方法。
一つは、器そのものを魔術によって生みだし、そこに魂を固定する方法。
そしてもう一つ、自身の肉体を一度過去の状態に戻し、再構築する方法だ。
レオニスが取ったのは、三番目の方法であった。
最初の方法は、どの器に生まれ変わるのか偶然性が高く、二番目の方法は、魔王の魂を宿すに耐えうる器を生み出すのが困難、ゆえにレオニスは、三番目の方法を取った。
滅びた肉体を全盛期の状態で再構築しなおし、魂の器と
──あたかも、炎の中から
(……しかし、なぜこの姿に?)
転生した際、
なぜ、忌むべきこの姿に──
勇者レオニスと呼ばれた頃の姿まで戻っているのか。
身に着けた闇のローブの裾は大きく余っている。
転生前の〈魔王〉の肉体と比べると、ひどく頼りない感覚だ。
「ええっと……」
と、目の前に現れたのが、幼い少年であったことに安心したのか──
白銀の髪の少女は、乱れたスカートの裾を直しつつ、ゆっくりと立ち上がった。
片膝をついてレオニスの前に
砕け散ったダーク・クリスタルの
「君、どうして、あんなところに閉じ込められていたの?」
「……そ、れは……」
透き通った
(……くっ、これだから人間の肉体は──)
「もしかして、〈ヴォイド〉に
「……ヴォイド?」
耳慣れない言葉に、眉をひそめるレオニス。
「──そう、ショックで記憶が混乱してるのね」
と、少女はなにを思ったのか──
突然、レオニスの小柄な
「……っ!」
「……もう大丈夫だから」
「な、なに、を──」
「お姉さんが、守ってあげる」
「や、やめ……むぐ、ぐぐぐ……!」
ふよんっ。
魔王レオニスの顔に、やわらかいふたつの果実が押しつけられる。
ほどよく膨らんだ少女の胸。白銀の髪の毛先が
少女のほそい指先が、レオニスの頭を優しく
(……っ!)
〈
だがレオニスは、その手を振り払うことができなかった。
心臓がドキドキと高鳴る。ひさしく忘れていた、人間であった頃の感覚だ。
抱きしめられるその感覚は、あまりに心地よかった。
(……あ、れ……?)
ふらっ、と
寝心地のいい枕のような少女の胸の中で──
魔王レオニスの意識は闇に落ちた。
◆
(……なるほど、干した
地下大
(エルフどもの携行食に似ているが、あれはもっとパサパサしていたな)
とうの昔に失われていた味覚だが、この感覚は悪くない。
「……ん、むぐぐ……」
ビスケットの塊が喉にひっかかり、
(やはり度し難いな、この
胸中で、苦々しく
そう、レオニスが意識を失った原因は、ただの空腹であった。
……危なかった。最強の〈魔王〉が空腹で意識を失うなど、あり得ぬ失態だ。
まさか、人間であった頃の肉体に転生するとは思いもしなかったので、この大霊廟には水も食糧も一切用意していない。
認めたくはないが──
レオニスは顔を上げ、少し離れて座る少女に視線を送る。
(……この女、命の恩人かもしれないな)
本来であれば、最も栄誉ある〈骨の勲章〉を授けるほどの功績だ。
そんな彼女は、耳のイヤリングに手をあて、誰かと話しているようだ。
『遺跡内部で
『──了解……棄民のリストと照合してみるわ』
〈遠隔会話〉の魔術。とすると、あのイヤリングは魔導触媒だろうか。
と、レオニスの視線に気付いたのか──
少女は、こちらを安心させるように
「よかった。お
「……」
無言で
「私はリーセリア・クリスタリア。〈
目線を律儀にレオニスの背丈に合わせ、自己紹介をしてくる。
言葉はわかるが、正直、なにを言ったのか理解できない。
レオニスが理解できたのは、彼女の名前と年齢だけだ。
この周辺に存在する人間種族の国家といえば、ラーガルド王国か、シュナイバル魔導国あたりだろうが、少女の口にした言葉に、両王国の名は含まれていない。
彼女は、レオニスが魔物かなにかに
(……この外見では、無理もあるまいが、な)
レオニスは自嘲する。
なぜこの姿で転生することになったのか、その原因は不明だが──
ともあれ、この姿で誤解されているのなら、利用させてもらうまでだ。
(……とりあえず、今の世界の情報を聞き出すか)
レオニスは顔を上げると、
「俺──僕は、レオニス。レオニス・マグナス、です」
やや高い少年の声を作りつつ、魔王の名をそのまま名乗った。
一瞬、偽名を使うことも考えたが、人間相手にそんな小細工を弄するのは、魔王のプライドが許さない。それに、これは彼女の与えてくれた、誇りある名だ。
(さて、どう反応するか……)
「レオニス?」
リーセリアの青い瞳が、大きく見開かれた。
(ほう、やはり知っているのか──)
「
「……そ、そう、ですか?」
レオニスは渋面になった。
(……可愛いどころか、世界を恐怖に陥れた名前なんだが)
なんにせよ、魔王の名前は伝わっていないようだ。
「レオニス──レオ君ね、歳はいくつ?」
「十歳くらい……だと思います」
魔王の名を勝手に略すな、と言いたいのを我慢して、レオニスは答える。
「……くらい?」
「あ、十歳です」
魔王になる前の歳など覚えていないが、まあ、そのあたりだろう。
「
「ヴォイド?」
レオニスは
「〈ヴォイド〉を知らない?」
「ええっと……はい」
「そう、辺境ではそういうこともあるかもね」
顎に手をあて、納得したように
「〈ヴォイド〉は、こことは違う異世界から現れた、人類の敵。わたしたち〈聖剣〉の騎士は、その〈ヴォイド〉と戦っているの」
「……異世界? 敵?」
レオニスの頭は混乱した。
千年前、人類の敵と呼ばれていたのは、魔族と魔王軍。そして、〈
(この千年のあいだに、新たな勢力が台頭した? しかし──)
女神の予言に、そんな存在のことは一切示されていない。
「わたしたちは、この遺跡に〈ヴォイド〉の拠点を調査しにきたの。あれは古代の遺跡のある場所に発生する確率が高いから。それで──」
リーセリアは、開いた
「あの扉を見つけたの」
……なるほど。彼女がここを発見したのは、偶然のようだ。
封印の扉が開いたのは不可解だが、千年の時が経過すると開くように、配下の誰かが設定していたのかもしれない。
(いや、待てよ──)
重要なことを確認していなかった、とレオニスは気付く。
「えっと……リーセリア、さん」
「セリアでいいわ、レオ君」
「じゃあ、セリアさん、今は──〈聖神暦〉で何年ですか?」
と、人間種族の王国で使われている暦で尋ねる。
魔王軍最後の拠点、〈
「せいしん暦?」
リーセリアは、
「いまは、〈人類統合暦〉六四年だけど……」
「人類統合暦?」
こんどは、レオニスが逆に
また聞き覚えのない言葉だ。
(──一体、なにがどうなっている?)
その時、リーセリアのイヤリングが光を放った。
「──お嬢様……気を付けて、大型のヴォイドと──交戦……」
「え、ちょっと、レギーナ!?」
ザ、ザザ、ザザザ──、と雑音がして、声がプツッと途切れる。
「なにがあったんですか?」
「……わからない。けど──」
リーセリアは表情を鋭くして、立ち上がる。
と、次の瞬間。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!
〈
◆
「──な、なに!?」
頭上に細かな石の破片がバラバラと落ちてきた。
リーセリアは、
(……っ!)
制服に包まれた、やわらかい胸が顔にあたる。
「レオ君、大丈夫?」
「……え、ええ……」
少女の汗の匂い。
高鳴る胸の
「〈ヴォイド〉が現れたようね。わたしの仲間が交戦してる」
リーセリアは体を離し、警戒するように周囲を見回した。
ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ!
遠くで、断続的な爆発音が響き渡る。
(……っ、俺の仲間たちの眠る地下大霊廟で、暴れるだと──)
〈死都〉の魔王として、そのような
レオニスは立ち上がろうとして──
「……わっ!」
「レオ君!?」
長いローブの裾を踏ん付け、つんのめる。
(お、おのれ……)
痛む鼻をさすりつつ、今度はゆっくりと立ち上がった。
……まだ、この少年の
「大丈夫?
「へ、平気です」
「よし、強い子ね」
リーセリアは安心させるような微笑を浮かべ、レオニスの頭を
……くすぐったい。けれど、不思議と不快ではない感覚に戸惑いを覚える。
(なんなんだ……)
「安心して。君はわたしが守るから」
言うと、リーセリアは
「
両手に構えて
彼女の手に収まったのは、
射撃武器、だろうか。レオニスの時代にはなかったものだ。
「こっちへ──」
リーセリアがレオニスの手を取り、走り出す。
と──
ドオオオオオオオオオオオオオオンッ!
「……っ!?」
遺跡の壁をぶち抜き、巨大な腕が突きだされた。
「……っ、〈オーガ〉級の〈ヴォイド〉!?」
リーセリアの
(……オーガだと!)
初めて出てきた既知の言葉に、レオニスのテンションが思わず上がる。
オーガ──魔王軍では、〈鬼神王〉ディゾルフの
だが、そんな期待はすぐに裏切られる。
「レオ君、下がって──!」
壁をぶち破って現れたのは、体長五メルトほどもある巨人だった。
赤く光り輝く鉱物を全身に生やした、灰色の
だらり、と垂れ下がった、
腹のあたりには、
(どこがオーガだ……)
レオニスの知るオーガとは、似ても似つかない姿である。
記憶にある中で、強いて似たものを挙げるとすれば、あまりソリの合わなかった魔軍参謀、ゼーマインの研究していた悪趣味な合成生物だろうか。
「あれが、〈ヴォイド〉?」
「ええ、太古の神々の姿を模した、人類の敵よ──」
パンッ、と乾いた破裂音がした。
リーセリアが射撃武器を使用したのだろう。
だが、効いている様子はない。あの鱗に
「……っ、この武器じゃ、歯が立たない……!」
■■■■■■■■■■■──!
その不気味な口腔から
垂れ下がった巨腕を
「ふん、〈
レオニスが〈
ドウッ、ドウッ、ドウンッ──!
たて続けに鳴り響く爆発音。
爆風が
「ご無事ですか、セリアお嬢様!」
「……レギーナ!」
こちらも壁をぶち抜いて現れたのは、巨大な円筒形の武器を抱えた、小柄な少女だ。
金色に輝くツーテールが、逆巻く爆風で激しく揺れる。
……ついでに、大きな胸も。
暗闇に躍る炎の中で、猫のような
こちらの少女も、かなり整った顔立ちだ。
少女は慣性のまま地面を滑り、キッと音をたてて止まった。
「やはり、この遺跡は〈ヴォイド〉の発生地点だったみたいですね──って、セリアお嬢様、その子供は?」
レギーナと呼ばれた少女は、レオニスを見て首を
「遺跡の奥で保護したの。話はあとよ──」
「そうですね──」
■■■■■■■■■■■──!
化け物が、
吹き飛ばされたはずの右腕が再生を始めている。すさまじい生命力だ。
「さすが大型。この火力じゃ、
レギーナは、巨大な射撃武器を肩に固定した。
「聖剣〈ドラグ・ハウル〉
対大型虚獣
瞬間。巨大な武器が形態変化する。
竜の顎のごとき砲門を備えた、更に大型の武装へ──
(……なんだ? あの武器は一体──)
レオニスは
(……あれが、〈聖剣〉だと?)
「消し飛べええええええええっ!」
ドウウウウウウウウウウウンッ!
砲火が
(……っ、お、俺の地下大
レオニスは思わず、声をあげそうになった。
それにしても、
その熱量は、爆裂系統の第四
だが、魔術ではない。
魔術が発動する際に、必ず生じるはずの
「や、やったの!?」
「あの、セリアお嬢様、その
立ち上る土煙の向こうで、巨人の影がのっそりと起き上がるのが見えた。
(ほう、〈
レオニスは感心する。大抵の魔物は消し炭になっている威力だ。
金髪の少女は土煙の向こうを
「遺跡を離脱してください。ここはわたしが──」
「レギーナ……」
リーセリアはわずかに
「わかった。気をつけてね」
「はい、お嬢様」
レギーナがふっと微笑する。
言葉の少なさに、
「行くわよ、レオ君」
リーセリアがレオニスの腕を
◆
(なにもかも、予定外だ……)
腕を引かれるがままに走りつつ、レオニスは心の中でぼやいた。
──〈魔王〉の復活は、もっと厳かなものではないのか?
転生の秘術は失敗し(明らかに失敗だ)、魔王になる前の、人間の少年であった頃の姿にまで戻ってしまった。地下大
とって返して、あの化け物を
レオニスは、必死に走るリーセリアの横顔にチラッと目をやった。
この少女は、今の世界を知るための貴重な情報源だ。〈魔王〉としての正体をなるべく隠しつつ、情報を集めるために利用したい。
「このまま、地上の入り口に向かうわ」
激しく息を切らしつつ、リーセリアは言った。
(……地上に出るには、近道があるんだけどな)
だが、それを指摘すれば、彼女に不審がられるだろう。
「……っ、と!」
不意に、気配を感じて──
レオニスは
ズオオオオオオオオオオオオン!
遺跡の天井が崩落した。
そのまま進んでいれば、二人とも下敷きになっていただろう。
「……レオ、君……?」
「あの一体だけじゃなかったみたいですね」
倒れこんだリーセリアに背を向けたまま、レオニスは前方を見た。
「……っ、まさか、もう一体!?」
「あれも〈ヴォイド〉ですか?」
「ええ、飛行型個体──〈ワイヴァーン〉級よ」
ワイヴァーンか、とレオニスは内心で眉をひそめる。
たしかに、翼の形状は飛竜と似ているものの、全身に鉱物の塊を生やし、醜く膨れ上がったその
飛竜は、もっと優美な魔獣だ。
「……っ、レオ君、逃げて!」
三発。セリアは、〈ヴォイド〉に向けて射撃武器を撃ち込んだ。
だが、そんなものは
(滅ぼすか……)
レオニスは小さく肩をすくめた。
この少女に力の一端を見せてしまうことになるが、それはそれで仕方あるまい。
転生後の準備運動には、ちょうどいい相手だろう。
(この〈魔王〉レオニスの
不敵に笑い、レオニスは太古の
魔力が全身の隅々をめぐる感覚。
この
シアアアアアアアアアアアアアッ!
巨大な〈ヴォイド〉の爪が振り下ろされる。
(消し飛べ──)
レオニスが第六
「……させないっ!」
リーセリアが眼前に飛び出し、レオニスを突き飛ばした。
(……は?)
レオニスの視界いっぱいに、彼女の白銀の髪がひろがる。
振り下ろされた〈ヴォイド〉の爪が、リーセリアの上半身を
ズシャアッ!
横
「なっ……!」
レオニスは起き上がり、彼女のほうを振り向いた。
「あ、くっ……う……」
地面に投げ出されたリーセリアの服が、赤く血の色に染まってゆく。
レオニスは目を見開き、その場に立ち尽くした。
「どうして──」
「……逃げ……て」
リーセリアは唇を開き、弱々しく言葉を紡ぐ。
「レギーナと……合流して、離脱するの……できる、わね?」
どこまでも優しく、しかし必死なその声。
呼吸するたびに胸の傷は大きくひろがり、
背後で、〈ヴォイド〉の動く気配があった。
あのワイヴァーン級とかいうのだけではない。
おそらく、同等以上の個体が、二体、三体と姿を現す。
だが、レオニスは振り返ることもしない。
「……は……や、く……!」
「……」
レオニスは、意識を失った彼女の手を取った。
急速に冷たくなる手。これまで幾度も触れてきた、死の感触。
愚かな行為、無駄な自己犠牲だ──と、そう断じることはたやすい。
〈魔王〉であるレオニスが、あの程度の攻撃を受けきれぬ
この世界の情報を得るため、
一応、命の恩人ではあるが──
彼にとって、この少女の価値は、それ以上でも以下でもない。
しかし、レオニスを守るように立ちはだかったその姿に──
あの時の彼女の姿を重ねてしまった。
──勇者なんてつまらないよ。私のものになれ、レオニス。
その身を犠牲にして、傷付いた少年を守った少女。
救ったはずの人々に裏切られ、すべてを失った彼の前に現れた──
世界に
「……まったく、度し難いな」
「この
なぜ、人間であった頃の感情まで取り戻してしまったのか──
レオニスは立ち上がり、背後に
その瞬間。三体の〈ヴォイド〉は、凍りついたように動きを止めた。
目の前の少年の放つ、圧倒的な気配に
周囲を見回せば、無惨に破壊された遺跡の壁。
「貴様らごときが、俺の
少年の冷徹な声が響く。
「転生したと思ったらこんな姿だし、わけのわからない化け物共がいるし、しかも俺の霊廟を我が物顔で荒らしている。挙げ句、俺の命の恩人でもある娘をお前らは殺した、ああ、そうだ、認めよう。俺は勇気あるこの
目の前の〈ヴォイド〉を無視して、ぶつぶつと呟く。
「それに、ローブは大きすぎて動きにくいし、正直足も痛い──」
石の地面を走った
最後のほうは、ほとんど八つ当たりのような感情ではあったが──
「──さて、そんな貴様らに
レオニスは腕組みして考える。
〈魔王〉は寛大だ。情状酌量の余地はわずかにある。
なにしろ、この化け物に知性があるようには見えない。
誰に、何をしてしまったのか、それを理解していないのだろう。哀れだ。哀れなことだ。目の前の、
「まあ、結局のところ──」
と、血溜まりに伏したリーセリアのほうを一瞥し、〈魔王〉は結論を下した。
「──お前達は、万死に値する」
レオニスは右足でトン、と足もとの影を
と、不気味に
「千年ぶりだな、我が相棒よ──」
魔王軍の死の象徴──〈封罪の
レオニスが伝説の神竜と戦い、奪い取った魔眼の杖だ。
「……ふむ、この
片手で杖を振り、ためつすがめつ眺めていると、
シギャアアアアアアアッ──!
ワイヴァーン型の〈ヴォイド〉が爪を振り下ろした。
「──やれやれ、行儀が悪いな」
と、レオニスは杖に魔力を込め、呪文を発動する。
──グシャリ。
〈ヴォイド〉の巨体が、真上から圧搾されたように、ひしゃげて
四肢がそれぞれ奇妙な方向に折れ曲がり、頭部は地面に押し付けられて変形する。
──〈重力系統〉第八
重力結界の中で、四肢を小刻みに動かしているが、立ち上がることはできない。
「──潰れろ、劣等種」
杖の先でトン、と地面を
断末魔の
オオオオオオオオオオオオオオオッ!
角を備えた、獣のような〈ヴォイド〉が突進してくる。
「恐怖を抱かぬか。面白い」
レオニスは杖を前に突きだした。
「──〈
杖の魔眼が輝き、青く輝く
獣型〈ヴォイド〉の突進を
「なんだ? そんなものか?」
レオニスは薄く笑った。
障壁と接触した角の
だが、魔術の障壁を貫くことはできない。
「では、こちらからいくぞ──」
レオニスが杖を振りおろす。
六角錐の障壁が回転し、獣型の〈ヴォイド〉を縦横無尽に斬り刻んだ。
最後の一体、蛇のような姿をした〈ヴォイド〉は、ほかの二体より、少しは知能があるようだった。遺跡の壁をぶち抜き、下層階への逃走を図る。
「逃がすと思うか?」
レオニスは、軽く地面を蹴り、宙に浮き上がった。
地面に潜りはじめた〈ヴォイド〉めがけて、
「消し炭になるがいい!」
〈炎系統〉の第八
ドオオオオオオオオオオオオオンッ!
「……まあ、こんなものか」
ふわり、と地面に降り立ち、レオニスは
と、次の瞬間。レオニスの顔が
「……っ、ば、馬鹿な!?」
──そこに、あり得ないものがあったのだ。
焼け残った〈ヴォイド〉の骨格、のようなものだった。
「……っ、そんな、〈
〈
レオニスは自身の手を見下ろして、ため息をついた。
勇者と呼ばれていた頃は、むしろ魔導は不得手だった。
やはり、この姿では、全盛期の魔力には遠く及ばないようだ。
(……よくて三分の一、といったところか)
レオニスは、リーセリアのほうへ近付くと、その手をとった。
肌は冷たくなっているが、まだかすかに息はあるようだ。
しかし、人間の
その青ざめた顔は、凄絶なほどに美しい。
「俺は〈魔王〉だ。人間の命などどうでもいい」
聞いていないだろうが、レオニスは呟いた。
「だが、俺は気高き魂には敬意を払う。お前は命を賭して俺を
血にまみれた彼女の身体を、レオニスは両手で抱き起こした。
「……くっ……重い、な……」
この年齢の少女の体格としては、
「悪いが、魔導を極めた俺も、〈神聖魔術〉だけは使えない」
それは、〈死の領域〉の魔術に手を染めた者の代償だ。
〈魔王〉レオニスは、最も初歩の治癒呪文さえ、使うことができない。
まして、これほどまでに生命力を失った者を回復させることは不可能だ。
ゆえに──
レオニスはもう一つの方法で、彼女を救うことにした。