第一章 ダンジョン送りの元令嬢


「──罪人リゼット。貴女あなたにはこれより、ダンジョン領域にて聖務についてもらいます」

 聖女のき通った声が、リゼットの背中にかかる。やまあいく冷たい風が、白銀の長いかみをふわりとらした。

 リゼットは声にり返ることなく、顔を上げて前を見つめる。

 青いひとみに映るのは、深い山中に存在するじようかく都市の姿だ。護送馬車の小さな窓からも見えたけんろうじようへきと、出入りのために一か所にだけ作られた門が、リゼットの前にそびえたつ。

 元々はノルンという小さな村だったその場所に、ある日とつぜんダンジョンが現れた。すると国内外から多くの人々が吸い寄せられるように集まって、村はいまの姿にまで成長した。

 いまノルンを管理するのは、国ではなくがみ教会だ。世界にちつじよと平和をもたらす女神をしんこうする女神教は、世界で最も力のある宗教であり、リゼットが属するはずの場所だった。

 ──聖女として。

 リゼットはクラウディスこうしやく家の長女として生まれ育った。

 だがいまはすべてのえいと身分、資産をはくだつされ、家名もうばわれた。残っているのは身に着けた衣服と、両手をつなかせのみだ。

「五〇〇〇万ゴールドを教会に納めれば、その罪はじようされることでしょう。最後に何か言いたいことはありますか」

 リゼットは振り返り、微笑ほほえんだ。

 そこに立つのは白い聖女服を身にまとった若草色の髪の、美しい少女だ。

 ──聖女メルディアナ。

 その身に女神のせいこんを宿した女神教会の至宝であり、リゼットのはらちがいの妹。聖女は春のだまりのようなみをかべて、父親ゆずりの青い瞳で罪人となった姉を見つめている。

「聖女様のご温情とお見送りに感謝いたします」

 女神教会のばつけいはない。最も重い罰がこのダンジョン領域送りだ。

 ダンジョン領域内で罪人に科せられた額の聖貨──すなわちゴールドをかせぎ、教会に納めるまで外に出ることはできない。

 しかしそれがかなった罪人は、いままでほとんどいない。

 ダンジョン領域に罪人が一度足をみ入れれば、たとえ死んでも出ることはできないと言われている。ましてや訓練を受けていない貴族の子女が突然モンスターの出現するダンジョンにほうまれて、生き残ることができるはずもない。これはしつこうしやをダンジョンにしただけの死刑に過ぎない。

 リゼットの罪は、女神の代理人である聖女をじよくしたこと。

 事実かえんざいかは問題ではない。疑いをかけられた時点でリゼットの人生は終わった。女神教会の力はそれだけ強い。

 そして罪を告発したのは実の父だ。侯爵家の当主代行でもあり、聖女の父親からのうつたえを、だれが疑うというのだろう。

 父は、当主だった母がくなった直後に、かくし子のメルディアナを家に引き取り、できあいした。

 リゼットに聖女のあかしである聖痕が現れた時も、メルディアナの願いにこたえて、きんの術を使ってまでメルディアナに聖痕をしよくした。いとしいむすめを聖女に仕立て上げるために。

 そしてリゼットは、いまダンジョン領域の前にいる。

 リゼットは空を見上げ、微笑む。最後に、聖女と護送団に向けて一礼して。

「それではみなさま、ごきげんよう」

 貴族としてのすべては奪われた。だが、知識とほこりだけは誰にも奪えない。

 それだけを持って、前を向いて、リゼットは堅牢な城壁の内側へとおのれの足で入っていった。

 一度も振り返ることなく。


◆ ◆ ◆


 門の中──ダンジョン領域に足を踏み入れたしゆんかん、バチンとかみなりはじけるような音が耳元でひびく。

 リゼットは一瞬まゆを寄せ、しかしおおぎようさわぐことはなく前に進んだ。かんさんとした広い道の中央には、女神教会の神官が一人立っていた。

「ノルンへようこそ。まず、こちらがあなたの身分証となります」

 灰色の髪の若い神官は、まずはリゼットの鉄のかせを外した。重荷から解放されたリゼットに、今度は手のひらに収まるほどの金属製のカードをわたす。

 白金でできているかのようなかがやきを持つうすいカード。

 そこにはリゼットの名前と種族、ねんれい、そして『罪人』という文字が刻まれていた。ていねいなことに『罪の浄化まで五〇〇〇万ゴールド』とまで書いてある。これがリゼットの新しい身分と枷だ。

 ──五〇〇〇万ゴールド。

 それはいつぱん的な国民が人生二回分をゆうゆうと過ごせる金額だ。侯爵令嬢時代ならともかく、自力で生きていかなくてはならなくなったいま、まともな仕事をして稼げる金額ではない。

 領域は城壁とほうかべでぐるりと囲われていて、門はこの身分証で通行管理されている。犯罪者身分ではこの領域を出ることはできないと、王都からここに来るまでに説明されている。

 一生このおりの中で過ごすか、まともではない仕事をしてゴールドを稼ぐか、あるいは死による救いを求めるか──

 リゼットに許されたせんたくはそれだけだ。

 リゼットはカードの裏を見る。そこにはすでに取得されているスキルが書かれている。


【貴族の血脈】【火魔法(初級)】【りよく操作】


(魔法系……おばあ様のような前衛系がよかったけれど……これなら戦えそうね)

 ダンジョン領域は外の世界とはまったく別の世界だ。そのこんきよのひとつがスキル。ダンジョン領域に入ると己の才能がスキルという形となって現れる。

 魔法の才能、武器の才能、しんたい的な才能、とくしゆな異能。

 その才能がこのカードにスキルとして刻まれている。情報が常に書きわっていくこのカードは、学術とれんきんじゆつすぐれたノーム族がつくったとされ、現在は女神教会とぼうけんしやギルドが管理している。

 スキルはダンジョン領域内でしか真価を発揮しない。領域外ではおおはばりよくが低下するため、どれだけスキルが強力でも外ではほとんど意味がない。だからこそ世界は秩序が保たれているとも言える。強力なスキルが領域外に放たれれば、世界の在り方も変わるだろう。ルールも、力の序列も。

 さらに目をらせば現在のスキルポイントと取得可能スキルの一覧を見ることができる。

 そこにあった【先制行動】──モンスターとのそうぐう時にこうちやく状態となることなく先んじて行動できるというスキルをかくにんし、リゼットはひそかに笑みを浮かべた。

「危険なダンジョンに入らずとも聖貨を集める方法はあります。絶望はしないよう──」

「ありがとうございます、神官様。それでは私はさつそくダンジョンへ行きますので、神官様も気をつけておもどりください」

「え? まだ話は──」

 引き留めようとする神官をさつそうと振り切り、リゼットはダンジョンの入口へとけだした。

 背中側──領域の外側には、まだリゼットをここまで護送してきた一団の存在がある。

 一刻も早くこの場所からはなれ、ダンジョンに行きたい。リゼットは力強く地面をって走り出し、街の北のはしへ向かった。

 ダンジョンへと。


 ダンジョン領域にいるのはリゼットのようにダンジョン送りになった犯罪者だけではない。

 むしろ犯罪者は割合的にはごく少数だ。ほとんどは元々いた村人たちやその子孫、ダンジョンのめぐみを受け取る商売人や、武器や道具の職人、その家族、そしていつかくせんきんを夢見る冒険者たち。

 門の付近は人が少なかったが、ダンジョンの入口に近づいていくほどに人の密度は高くなる。それこそ王都にも引けを取らないほどに。

 人々とすれちがいながら、そしてダンジョンに向かう人の流れに乗りながら、リゼットは都市のさいほくたんに位置する白銀の岩山へ向かう。ある日突然、地中からつめを立てるように現れた不可思議な岩山は、その周辺にあった岩とはまったく違う種類のものだった。まるで生きて呼吸をしているようだったと当時の人々は証言している。

 異質な存在をノルンの村人たちはおそれて近づこうともしなかったが、ほどなく女神教会がおとずれ、そこをダンジョンと認定した。

 女神教会はすぐさま新たに教会を建て、城壁をつくってダンジョンを管理し始めた。そこに冒険者や人々が自然に集まりだし、いまのこのダンジョン領域がある。

 リゼットはダンジョンの穴が見える場所まで辿たどり着く。

 入口はきちんと整備され、周囲はいしだたみかれていた。暗い穴のおくにある階段を下って冒険者たちがダンジョンに入っていく。あるいは出てくる。

 リゼットは白銀の岩山を間近で見上げ、かんたんの息をつく。

 この山は何の材質でできているのだろう。白くなめらかな乳白色。生物のきばや骨のようななまなましさもあり、本当に生きているかのようにも見える。

「なんてこうごうしいのかしら……」

 リゼットはときめきに心をふるわせる。異質だからこそわく的であり、無限の可能性を感じさせる。周囲がにぎやかすぎて王都の観光名所のようで少しばかりロマンに欠けるが、である。

「それでは、いざ──」

「あのぉ。そこの人、ちょっとこっちに来てくれないー?」

 決意と共に踏み出そうとしたリゼットに、間延びした声がかかる。

 声の方に視線を向けると、黒いローブを着たくろかみ緑眼のエルフが、人の流れから離れた場所に立ってリゼットに手招きしていた。

 エルフらしい整った顔立ちをしているが、どこかのんびりとしたふんまとったエルフだった。しかしその深い森のような瞳を見た瞬間、か背中に冷たいものが走った。

(私、早速何かしてしまいました? ダンジョンに入るマナーがなっていないとか)

 少し不安になりつつ、人の流れから離れてエルフの元へ行く。外見は完全に人間の少女だが、その耳はとがっている。その耳こそがエルフ族のとくちようだ。

 エルフ族は寿じゆみようが人間の十倍はあり、その分成長がおそい。人間とエルフの混血であるハーフエルフは成人までの成長速度は人間と同じらしいが、ハーフエルフは耳がもっと短い。かのじよの耳は純血エルフの長さだ。少女に見えても、おそらくリゼットの何倍も長く生きているだろう。

「こんにちは。私に何か?」

「君、初めて見るけど新人さんだよね?」

 緑色の瞳がくるくるとせわしなくリゼットをすみずみまで見ている。

「はい。本日こちらにやってきたリゼットと申します。以後お見知りおきを」

「これはこれはご丁寧にどうも。あたしは錬金術師ラニアル・マドール」

 ──錬金術師。ダンジョン領域に一人は住んでいるという、不思議な道具を作製する異能の人々。

「リゼット、君まさかそのままダンジョンに入る気?」

「ええ、そのつもりですが……何かマナーはんをしていますでしょうか」

 家からはほとんど何も持ってこられなかったが、いまリゼットが身につけている衣服はごこたいきゆうせいを重視した服で、リゼットが持ち込めたゆいいつの形ある財産だ。冒険者の実用性と貴族のゆうさを両立させたこの服は、祖母がおくってくれた形見でもある。もし冒険に出る日が来たら、と。

 それがいまこうして役に立っているのだから祖母のけいがんには恐れ入る。たとえこれがマナー違反だとしても、手放すつもりはない。

「いいおし物だけど防具とか全然つけていないし、つえけんも持ってなくない? 見たところアイテムも持ってないし、アイテムかばんすらない……」

 エルフの錬金術師はリゼットを品定めするように頭からつまさきまで見下ろす。

「ダンジョンにドレスコードはないけどー、とりあえず入ってみようって場所でもないよ? まずは外で働いて資金をつくって装備を調ととのえて、仲間をやとってからが安全だね」

 のんびりとした口調だが、口をはさすきもないほどの勢いで言ってくる。

 ひとまずマナー違反ではないことに、リゼットはあんした。

「ご親切にありがとうございます。でもなんとかなる気がしますから」

「そんな無茶な。根拠はあるの?」

「いえ、まったく」

 根拠も資金も何もない。

「もう、仕方ないなぁ。はい」

 ラニアルはあきれてかたすくめながら、リゼットの手にハート形のアミュレットをし付けた。

「これはぼうな新人さんへのサービス。死んだらかんできるアイテム『身代わりの心臓』だよ」

「……そんな貴重なものを私に?」

「あはは、そこまで貴重じゃないよ~。これで帰還すると命は助かるけど、一度は死んじゃうし、手に入れたアイテムも失うかもだし」

 それでも命は助かるらしい。そしてアイテムは失ったとしても経験と知識は持ち帰ることができる。それはアイテムとは比べ物にならないぐらいの宝だ。

たんさくが進むにつれて本当に必要になってくるのは『帰還ゲート』の方。魔法でもアイテムでもどっちでもいいけどね。ま、一回死んでダンジョンが危険なものだとわかったら、あたしのお店『くろねこれんきんがま』に来てね」

「はい、必ず」

「うんいい返事。あとこれ、荷物を入れておくアイテム鞄をついでにプレゼント」

 ラニアルが肩にかけていた、使い込まれた革鞄を渡される。

「アイテムなんでも容量いっぱいまで入れられるからね。二十種類くらいかな?」

「色々とありがとうございます……あの、どうしてここまでしてくださるのですか? いまの私では返せるものが何もないのですが」

「ん~、君そのうち太客になってくれそうだし、なんだかおもしろそうだし。ちょっとした投資というか?」

 首を少しかしげていたずらっぽく笑う。子どものようにじやに。そこには悪意のかけらもない。久しぶりにれる人のぬくもりだった。

 リゼットは革鞄をしっかりときかかえる。

「ありがとうございます。このご恩は必ず返します」

「うんうん。それじゃあよきダンジョンライフを~」


◆ ◆ ◆


 人の流れに沿いながら、ダンジョンの奥へ繫がる階段を下りていく。下りる人ばかりで、上ってくる人はいない。上りと下りで階段が分かれているようだ。

 あわい光に照らされた階段を進めば進むほど、少しずつ周囲にいた冒険者の数が減っていく。

 そしていつの間にかひとりだ。

 あんなにたくさんいた人々はどこへ行ったのだろう。きっと別の場所に出ているのだろう。パーティを組んでいなければ、同じ場所から入ってもバラバラの場所に出ると聞いたことがあったリゼットは、さしておどろきもせず歩き続ける。

 はだに触れていた冷えた空気は、やがて湿しめり気を帯びたあたたかな風に変わっていく。

 くつぞこに当たる石のかんしよくは、踏み固められた土の感触に。それも少しずつやわらかくなっていく。

 奥に広がっていたくらやみに不意に明るい光が差し、周囲の壁が消え、てんじようが消えて。

 リゼットはいつの間にか深い森の中をひとりで歩いていた。

らしいわ……」

 感嘆の息をらし、空をあおぐ。木々におおわれていてほとんど見えないが、わずかな隙間から空の光が差し込んでくる。遠くからは鳥の鳴き声も聞こえる。

「ダンジョンの中は本当に異世界なのね。ダンジョンの外もそのえいきようにあるようだけれど……いったい誰がどうやってこんなものを作ったのかしら。教会は女神のおんちようと言っているけれど」

 ぼくな疑問を口にしながらダンジョンを見つめる。かつて過ごした領地の森によく似ていた。うつそうとしていて、静かで、生命力に満ちあふれている。

 リゼットは小さく微笑み、散歩気分で前に進む。木の葉が降り積もってできた柔らかい土を踏みながら。恐れはなかった。足取りも軽い。

 ここには自分とダンジョン以外に何もない。世間のしがらみも重圧も。何も。

 空気がおいしいとさえ思った、その瞬間──

 いやな予感がして身体からだが勝手に一歩下がる。先ほどまでいたその場所に、緑色の液体のかたまりが降ってくる。しかも三つ立て続けに。

 びちゃびちゃと音を立てて地面でねる、流動性のある緑色の塊──スライムだ。

 もし後ろに引いていなかったら、頭からスライムをかぶってちつそくしていただろう。ぷるぷるとゼリーのように揺れるそれらから少しきよを取る。

 スライムをえ、戦う意思を固める。リゼットはもう無力ではない。いまのリゼットにはスキルがある。魔法がある。戦う力がある。

(落ち着いて──)

 身体の奥底、たましいの内側から、リゼットの意思に応じてスキルが発動する。初めてにもかかわらず、指先を動かすごとく自然に。前に進もうとする心を助け、導くように。


【先制行動】【火魔法(初級)】

「フレイムアロー!」

 リゼットの前に赤いほのおが生まれ、三つに分かれてそれぞれが矢となり、スライムたちにさる。その瞬間、炎は一気に燃え上がりスライムを焼きくした。


「勝った……?」

 まるげになって動かなくなったスライムたちを見つめながら、リゼットは自分に問いかける。

 ──勝利した。

 間違いない。敵はもう動かず、リゼットはまだ立っている。熱を帯びた風が白銀の髪をふわりと揺らす。そのとき胸を満たしたのは喜びでも達成感でもなく、震えるほどの安堵だった。

 ──通じる。自分の力は、選択は、ダンジョンで通じる。

「よかった……」

 ほっと胸をで下ろす。

 初期スキルポイントをすべて使って【先制行動】をかくとくしておいて正解だった。

 戦いは先手必勝。初手で全体魔法こうげきができれば、第一層のモンスターとは戦っていけそうだ。初期取得魔法で全体攻撃が可能な魔法を覚えていたのは幸運だった。

「うん、これならなんとかなりそうね。しんちようにガンガン進めましょう」

 その後もスライムやきよだいこんちゆう、食虫花、オオガエルをフレイムアローでたおしながらダンジョンの森を散策する。

 そのちゆうで道に落ちている短剣を拾った。ダンジョン内で初めて手に入れたアイテムだった。

(誰かの落とし物かしら)

 見たところ何のへんてつもない短剣だが、かんていスキルのないリゼットには、どれほどのものかはわからない。それでも貴重な武器だ。こしのベルトに短剣を差し込む。

「それにしても……うう、なんていいにおい……」

 モンスターが焼けるときのなんとも言えないこうばしいにおいがリゼットの食欲をげきする。

(……モンスターって食べられるのかしら)

 そう思った瞬間、空腹感が増す。そういえばこの半日、何も食べていない。

 それ以前も食事はほとんどなかった。罪人なので。

「…………」

 視線の先には焼いたばかりのカエル。

 こんがりと焼けていて、中まで火が通っていそうだった。

「いえ、いえ、そんな……下味もつけていないしソースもない。ナイフもフォークも、お皿も……」

 何より、はしたない。

 だがこの生きるか死ぬかのじようきようで、はしたないと言っている場合ではないのではないか。空腹感と食欲は、常識と思考を強制的にえていく。

 小さいころに祖母にサバイバル生活を教わっていた時の感覚が、急速によみがえってくる。

(毒があるかもしれない……身体に悪い影響があるかもしれない。でも──)

 きょろきょろと辺りを見回す。このエリアにはリゼット以外の冒険者はいないようだった。誰かに見られる心配はない。

 リゼットは先ほど拾った小振りな短剣(未鑑定)を手に取る。近くの木から取った大きな葉を、カエルの足首に巻き付けて、その上からぎゅっとつかんで固定する。

 短剣のあしの付け根の関節に当て、何度も刃を入れて切り落とす。

「なんて重量感……それに、熱い……」

 じゆうぶんに発達した筋肉がずっしりと重い。火はしんにまで通っていた。したたにくじゆうや湯気から熱が伝わってくる。

 表皮をぎ落とし、肉の部分をしゆつさせる。ややピンクがかった白い肉は、とりにくとよく似ていた。

 カエルは食べたことがあるためていこうかんは薄かった。もちろんここまで大きくはなかったが。

 どきどきと胸が高鳴る。未知への期待、恐れ、あるいはロマン。そのすべてに。

「いただきます……」

 立ち上る湯気をながめながら、肉にかぶりつく。短剣が当たった場所はけて、むしり取る。

 マナーも何もあったものではない。教育係が見ればそつとうするだろう。だがきっと、この肉にはこの食べ方が一番ふさわしい。

 みしめればじんわりと熱い肉汁が溢れ出す。たんぱくながらもうまに溢れた肉汁が、空腹の身体にみ渡る。

(おいしい……)

 なみだこぼれそうなほど。

 そして食べる勢いが止まらないほどに。

(なんておいしいの……くさみもまったくなくて肉汁もたっぷりで……ああ、手が止まらない!)

 夢中で食事をしていたそのせつ、激しい耳鳴りのような高い音が森にとどろいた。

 雰囲気が一変する。のどかな春の森から冬に巻き戻ったかのように空気が張りめる。

 リゼットが肉を手にしたまま顔を上げると、少し距離を置いた場所に黒い球体が浮かんでいた。

 その表面には細くするどいトゲがびっしりと生えている。自分の身体を守るためにか、あるいは敵を攻撃するためにか。

 その姿はまるで──

(空飛ぶ巨大ウニ!)

 トゲが刺さると痛そうだと思いながら、肉をにぎりしめたまませんとう態勢を取る。そのみような姿はリゼットがいままで出会ってきたモンスターとは違う。生物とはとても思えない。

 未知への恐れから、背中に冷たいあせが流れる。

(ここはげて、ダンジョンの外に戻ってみる?)

 生命の危機を感じる相手と無策で戦うのは無謀だ。スキル【先制行動】があればきっと逃げることはできるだろう。

(でも──)

 リゼットは錬金術師からもらった『身代わりの心臓』を思い出す。たとえここで死んでも、ダンジョンの外に放り出されるだけ。いま、このダンジョン内での死は終わりではない。

 それでも、死ぬのはこわい。だが逃げるのはもっと怖い。

 ここで逃げればきっと心がきようとらわれて、もう二度と前に進むことはできない。

(──私は、前に進む!)

 もう失うものは何もない。この魂は誰よりも自由だ。

 逃げずに戦う。リゼットは心を決めた。


【先制行動】

 ──力がいてくる。身体の、魂の、一番深い場所から。

(フレイムアローよりも、もっと強い炎を──)


【火魔法(初級)】

 炎が──赤くきらめき、金に揺れ、白く脈打つ。燃え上がる。

 リゼットは杖代わりに肉を突き付ける。


【魔力操作】

 炎を複数の矢にするのではなく、ひとつに集約する。敵を一突きでほふやりのように。

「フレイムランス!」

 魔法の炎が巨大ウニを真正面からつらぬいた。激しい炎が中心と周囲のトゲを焼き、巨大ウニは白いけむりを上げながら地面にぽとりと落ちた。

 しようげきで、巨大ウニの身体がふたつに割れる。どこかあまく香ばしい匂いがした。

 黒い身体の中央には、光り輝くはくいろの大きな石が詰まっていた。ウニにあるはずの身ではなく、石が。宝石のようなそれをリゼットはぼうぜんと見つめる。

「勝った……?」

 勝利を否定するものは何ひとつない。

「勝った? 勝ったわ……やったぁ! 私って結構すごいのでは?」

 飛び跳ねてはしゃぐリゼットの目の前で、黒いウニのからきりのように消えていく。

「あっ──もったいない」

 そして、琥珀色の石だけが残った。両手で持ち上げられるほどのサイズの宝石のように輝く石だけが。その真上に、青い光球が浮かんでいた。

 光を見たとき、当然のように理解できた。これに触れればダンジョンの外に戻ることができると。

 そして、その向こうの森のしげみの中に、先ほどまではなかった下へ向かう階段が現れていた。

 このまま戻るか、さらに奥に進むか──

 リゼットは決めた。


◆ ◆ ◆


「冒険者ギルドへようこそ! 身分証明カードをお預かりします」

 受付女性の明るい声がリゼットをかんげいする。

 ダンジョンを出てすぐ、最高の立地に建つ冒険者ギルドに、リゼットは足を踏み入れた。

 世界には数多くのダンジョンがあり、冒険者ギルドも領域内には必ず存在するが、リゼットがその中に入るのは初めてだった。

 冒険者がつどう場所は、とても広く、清潔で、そして独特の雰囲気がただよっていた。ぴりぴりとしたきんちようかんと、そして欲。賑わいの中でこうかんされる情報。他の冒険者を品定めする視線。

 リゼットはそれらを見ることなく、カウンターしに身分証明カードを渡す。

 青い制服を着たおだやかな雰囲気の女性は、カードとリゼットの顔をこうに見て明るく笑った。

「あなたが新しく来られたリゼットさんですね。ノルンへようこそ」

「はい。何もかも初めてですので、こちらの仕組みを教えていただけると助かるのですが」

「では冒険者として登録させていただきますね。現在の状態と適性を調べますので、こちらの板に手を置いて、少々お待ちください」

 言われた通りにカウンターの銀色の金属板に手を置く。ひやりとした感触が伝わってきた。

 これで何かがわかるのだろうか。

 わくわくするリゼットの前で、カウンターの裏側で何かを見ていたうけつけじようの表情が引きつる。

「……ん? えっ? ……ええっ! ……も、もしかして、もうダンジョンに入られたのですか?」

 どうしてわかったのだろう。

 この板に手をのせることでダンジョンとう状況までがわかるのだろうか。

(興味深いわ)

 できることなら身を乗り出して、カウンターの裏側を見てみたい。だが、ぐっとこらえる。

 ダンジョン領域の常識は外とはかなり違うのだろうと自分をなつとくさせて、リゼットは答えた。

「はい。とても素晴らしい体験でしたわ」

「早速どこかのパーティに入ったんですね」

「いいえ、ひとりで行動しています」

 受付嬢の顔がさあっと青ざめる。

「そ、そんな……初心者が単独でダンジョンに入って無事出てこられるなんて聞いたことない……」

 ぶつぶつとつぶやき、はっと顔を上げる。

「もしかすると、リゼットさんはすごい才能があるのかもしれません!」

「ありがとうございます」

 め言葉をなおに受け止めた。初心者に自信を付けさせてするためのものだろうが、褒めてもらえるのはうれしい。口元がゆるみかけたが、うぬぼれてまんしんしないように気をつけて引きめる。

「えーっと、それでもまずはパーティを組んだ方がいいですよ。よう料はかかりますけれど、生存率が格段に上がりますから」

 錬金術師も同じようなことを言っていた。

 仲間と得意不得意を補い合い、助け合う。それができれば探索の効率も安全性もやく的にこうじようするだろう。ベテランを雇えば教えてもらえることも多いかもしれない。

 だが、ひとつ大きな問題がある。

 先立つもの、つまりはゴールドがない。

「パーティは六人まで組めます。もしよろしければこちらでメンバーをしようかいさせていただきますが」

「ご親切にありがとうございます。ですが私はもう少し一人で冒険してみたいと思います」

 人を雇えるゴールドはなく、別のパーティに雇ってもらえるような実績もない。実績のないリゼットを雇ってくれるのは、とんでもない善人かよくいる悪人ぐらいだろう。

「へへっ、だったらオレたちのパーティに入れてやるよ」

 そしてこのように向こうから声をかけてくる場合も、ろくな話ではないと相場が決まっている。

 声のした方を振り返ると、二十代半ばとみられる冒険者の男性がへらへらと笑いながらリゼットの真横に来て、カウンターにひじを置く。

 冒険者歴は長いのだろう。慣れている雰囲気を纏っている。しかし装備の手入れは悪い。肩当ての部分の革ベルトがかなりいたんでいる。

 そして目を見ればわかる。こちらを食い物にしようとしているかどうかは。

「お声をかけていただきありがとうございます。ですが私ではそちらのパーティのお役に立てそうにないので、辞退させていただきますわ」

 人生は食うか食われるか。善意と悪意の区別もつかずに親切を受けていれば、食い物にされる。

「いやいや充分お役に立てるぜ。借金返済の手伝いをしてやるよ」

「……どうして私の事情をご存じなのですか」

「みんな知ってるさ」

 た笑いを浮かべる。向こう側に立つこの冒険者のパーティとみられる男たち三人も、同じような目でリゼットを見ていた。

 ──めいうわさが流れていることは間違いない。とんだ洗礼だった。

「ほら、えんりよするなって」

 れ馴れしくびてくる手にぞっとする。絶対にさわられたくない。たたいて振りはらおうとしたその瞬間──

「やめろ」

 低い声と共に横から伸びてきた手が男のうでをつかむ。

 そこにいたのは整った顔立ちをした、明るいきんぱつの男性だった。せいかんなエメラルドグリーンの瞳に、きたえられた均整の取れた身体。手入れの行き届いた白銀のよろい。腰には立派なちようけんに、背中にはたて

 賑やかだったギルド内がいつの間にか静まり返っていた。

 リゼットにもわかった。かれはここにいる他の冒険者たちとは根本的に違う。

 纏う雰囲気が違う。表情が違う。リゼットと年齢もそう離れていなそうな青年は、決してくだけないはがねのような確固たる意志をめている。見ている側の息が詰まりそうになるほどの。

「嫌がっているじゃないか。いはやめた方がいい」

 声は落ち着いているが、静かなあつかんがあった。冒険者の男は顔を引きつらせ、それでも仲間や同業者の手前、平静を保ちながら腕を振り払おうとした。

 だが、ぴくりとも動かない。

「わ……わかった。わかったよ。じようだんだっての」

 びるようにへらっと笑う。腕が解放されると、舌打ちをして早々と逃げていった。

「チッ、覚えてろ!」

 捨て台詞ぜりふを残してギルドから出ていく男の後ろを、仲間らしき男たちが追いかけていった。

「ありがとうございます」

「ああいう手合いもいるから気をつけて。あまり刺激はしない方がいい」

 リゼットが手を叩こうとしていたことを察していたらしい。先ほどよりもずいぶん穏やかな口調で言って、リゼットの前から離れていく。

「いろんな方がいらっしゃるのね……あの方は?」

 受付嬢に問いかける。おろおろするばかりだった彼女は落ち着きを取り戻し、小さな声で答えた。

「本当は他の冒険者さんのことは言ってはいけないんですけど……彼はレオンハルトさんです。いまもっともダンジョンこうりやくに近いパーティのリーダーの方ですよ」

「まあ……私にとっては雲の上の人ですわね」

 レオンハルトと共にいるのはパーティメンバーだろう。

 前衛の戦士とおぼしき男性とハーフエルフの、回復術士の服を着たせいな女性、魔術士と思われる赤髪の美しい女性、かぎと思われるリリパット族の男性。リーダーをふくめて合計六人。

 理想的なパーティだ。そしてほぼ全員が育ちの良さそうな雰囲気を纏っていた。

(おそらくほとんどが貴族……鍵師の方はそので雇った冒険者かしら。あのような方々が何のためにダンジョンに?)

 興味は尽きないが、考えても仕方ない。

(それにしても、みような噂が出回っているのはしき事態ね。これだと今後もパーティを組むのは難しいかも)

 リゼットはカウンターの受付嬢に身体の向きを戻す。目が合うと、受付嬢もリゼットと同じ考えに至ったらしく。

「えーとそれではパーティメンバーはまた今度ということで」

「ええ、そうしてください」

「それではまずは簡単ならいから始めていきましょうか」

「依頼?」

「はい。領域内や外から受けた依頼をあちらのけいばんり出しています。もし引き受けられそうなものがありましたら言ってください。依頼をクリアすればゴールドが支払われますよ」

 クリームイエロー色のかべいちめんかかげられた巨大な木製の掲示板には、依頼の内容が書かれた紙が大量に貼られている。ギルドを訪れた冒険者たちはくまなくそれらを確認し、ぎんしていた。

 リゼットも近づいて見てみる。紙には依頼の品と期限、ほうしゆうなどが書かれている。人探しの依頼もあるのか、似顔絵がかれたものもある。

 リゼットはカウンターに戻り、アイテム鞄からダンジョン内で拾ったアイテムを取り出す。モンスターを倒したときに落ちた、リゼットには緑のぷにぷにとした球体にしか見えない素材だ。

「採取の依頼はこれでよろしいのかしら」

「は、はい。納品を確認しました。それではこちら報酬の二〇〇〇ゴールドです」

 一〇〇〇ゴールド銀貨が二枚。あっさりと報酬が支払われ、リゼットはひようけした。こんなに簡単にゴールドが手に入るなんて。念のために拾っておいて正解だった。

「ではこれと、これと、これも」

「えっ? わっ、うそっ」

 依頼にがつしていそうなものを次々と出してカウンターに置いていく。

「~~~~ッ! の、納品を確認しましたぁ。これらの報酬の一万六〇〇〇ゴールドになります!」

 こうしてリゼットはあっさりと当面の資金問題を解決した。


 リゼットは冒険者ギルドを出て、受付で描いてもらった地図を確認しながら錬金術師ラニアルの店『黒猫の錬金釜』に向かう。

 依頼品を納めることでそれなりの資金ができた。五〇〇〇万ゴールドにはほどとおいが、ダンジョンにもぐる準備資金の一部にはなる。

「…………」

 冒険者向けの店が立ち並ぶ大通りを歩きながら、リゼットは眉根を寄せた。ダンジョン領域に来てからここまで、すべては順調に進行している。妙な噂以外は。その噂がやつかいだった。

こうされている……)

 背後に妙な気配を感じる。いくら人通りが多くても、下手な尾行の気配ぐらいは読むことができた。立ち止まれば向こうも立ち止まり、角を曲がれば向こうの歩みが速くなる。

 ウインドウショッピングをよそおってガラスを見る。映っていたのはギルドでからんできた冒険者だ。

 このまま宿を探してのんに食事とすいみんというわけにはいかなそうだ。そしてここであの冒険者たちをなんとかできたとしても、根本的解決にはならない。噂が消えない限り。

 どうしようか考えながら歩いているうちに『黒猫の錬金釜』と書かれた看板が掲げられている小さな店の前に辿り着く。

 ひとまず用事を済ませよう──チョコレート色のじゆうこうなドアをノックする。返事はない。

 開けて、中をのぞき込む。うすぐらい店内は静かで、客の姿はなかった。それどころか店主も店員も誰もいない。鍵を開けたまま出かけているのだろうか。だとしたら不用心すぎる。

「あのー、どなたかいらっしゃいますか?」

 中に入りながら奥に向けて声をかけるが、反応はない。店の中を見てみるが、たなはあるが商品らしきものはほとんど並んでいない。本当にここが錬金術師の店なのだろうか。

 しかしこの匂いは何だろう。奥から甘いようなからいような刺激的な匂いが漂ってくる。

 そして次の瞬間、小規模なばくはつおんが店の奥で響いた。

「か、火事?」

 白っぽい煙がもくもくと漂ってきて、リゼットはすぐさまドアを開けた。火事だとしたらすぐに退路を確保すると共に、煙が充満しないようにしなければならない。

 しかし煙はすぐに収まり、焦げ臭さだけが残った。

「あははー、失敗しっぱい」

 緊張感のない笑い声と共に、奥から黒髪のエルフがすすだらけの顔をタオルできながら出てくる。

「あ、お客さん? いらっしゃい──ってリゼットじゃん! また会えて嬉しいよ!」

 太陽のような満面の笑みが薄暗い店内で輝く。

 錬金術師ラニアル・マドールはきようしんしんといった様子で、タオルを投げ捨てカウンター向こうのひざをのせ、ぐっと身を乗り出してきた。

「あの、先ほど何かが爆発したようですが」

「いつものこといつものこと! それよりダンジョンはどうだった?」

「いつも、ですか……ダンジョンはとても素晴らしい体験ができましたわ」

「なるほどなるほどぉ。あ、ドア閉めてくれる?」

 室内の焦げた匂いもかなり落ち着いてきている。リゼットは言われたとおりドアを閉め、再びカウンターに戻る。

 きらきらと光る緑色の瞳と目が合った瞬間、ぞくりと背筋が冷える。それとほぼ同時に錬金術師は目を見開いて椅子から転げ落ちた。

「あの、だいじようですか……?」

「な、な、な……なんでそんなに強くなってるのおお! スキルも増えてるし、何より初心者が一回ソロで潜って生還ってぇつうじゃないよ!」

 どうしてリゼットのスキル情報や冒険状況がわかるのだろう。まるで冒険者ギルドの受付でカードを読み取っているかのようだ。

 まどいながらカウンターを覗くリゼットの前で、錬金術師はゆかに倒れたまま納得したように手を叩いた。

「あ、そっか。【貴族の血脈】かぁ。獲得スキルポイントが三倍になってるんだ。べんりー。ラニアル・マドールの目にくもりなし」

「え? このスキルにはそんな効果が……? いえそれよりも、どうして私のスキルや強さが」

「あ、あたし鑑定スキルが使えるから」

「鑑定スキル?」

「人や物の鑑定ができるの。鑑定してほしいものがあったら有料で鑑定するよ~」

 緑の瞳がきらりと輝く。

 そこでリゼットは気づいた。あの身体の奥底まで見られているような視線。あれこそが鑑定スキルなのだと。最初のときも、そしていまも、そのスキルでリゼットの状態を読み取っていたのだ。

(鑑定スキル……確か獲得可能スキル一覧にあったはず……取ろうかしら? ……いえ、ここに来れば鑑定してもらえるのだからいったん保留しておく? うーんでも、とんでもなく便利そう!)

 リゼットが考え込んでいる間にラニアルは椅子に座り直し、カウンターに肘をつく。

「そうそう。気になってたんだけどさぁ、なんでお貴族様がダンジョンに?」

「女神教会からダンジョン送りにされましたの」

「えーっ、貴族のお嬢様なのに」

「人生いろいろですわ」

「君をダンジョン送りにした人は、まさか正直にダンジョン潜るとは思ってなかっただろうね~。冒険者相手の仕事をさせる気だったと思うよ」

 もちろんその程度はリゼットも予想していた。だからこそ教会関係者から早めに逃げておいたのだ。望んでもいない働き口を紹介される前に。

 しかし向こうの方が一枚上手だった。既に不名誉な噂が流れてしまっている。下手をして一度転落してしまえば、い上がれないほど深くまで落ちてしまうだろう。

(なんとかしないとこれから動きにくくなりそうね)

 とはいえ、こちらからできることなど無さそうなことが、もどかしい。

「ラニアルさん、とりあえずいただいたアイテム代をお支払いしたいのですが」

「いいよいいよ。サービスだからさ」

「ですが……」

「じゃあもし階層のボスを倒したら、出てくる魔石を売ってくれない? あれ貴重でさぁ、冒険者ギルドに依頼出しててもなかなか入ってこなくて──」

「魔石とは、これのことでしょうか」

 空飛ぶ巨大ウニが落とした琥珀色の石をアイテム鞄から取り出し、カウンターの上に置く。

 ラニアルは再び椅子ごと後ろに倒れた。

「あの、大丈夫ですか?」

 カウンター奥を覗き込んでみると、ラニアルは床に転んだまま笑っていた。

「あはは、もうサイコー。君は才能あるよ。ダンジョン攻略する才能が。すごすぎ」

 受付嬢に続いて錬金術師にまで言ってもらえて、少し自信が持ててきた。

「ありがとうございます。ダンジョンは小さいころからのあこがれでしたから、嬉しいです」

「いやいや、お嬢様の憧れる場所じゃないでしょ」

「おばあ様が若いころに冒険者をしていたんです。私もいつかダンジョンに行くことを夢見て、おばあ様といっしょに小さいころから森で訓練をしていました」

 なつかしさが胸を満たす。あのころは毎日が最高に楽しかった。あの日々があったからこそ、ダンジョンの中でも恐れずに行動できた。

「とはいえ訓練と実戦は別物ですわね。ダンジョンでは外の常識や法則が通用しないとは聞いていましたが、まさかここまでとは」

「スキルとかもねー。魔法の威力も、外と中じゃ比べ物にならないよ」

「魔法といえば、ラニアルさんにお聞きしたいのですが、魔力を回復する薬はありますか?」

「あるよ~。体内の第五元素を回復するエーテルポーション」

「それではこれで買えるだけください」

 依頼達成で得たゴールドをすべて出す。

「いやいやいや! バランス悪すぎぃ! どれだけダンジョンにもる気? アイテム鞄の中は回復薬、魔法系ならエーテルポーション、毒消し草、帰還ゲート、復活アイテムとか身代わりの心臓、けいこう食料を入れるのが定番だよ! あとそれとは別にぶくろひつね」

「なるほど。それではエーテルポーションの他に、包丁とフライパンと食器、あと塩とこうしんりよう。寝袋はありますか?」

「キャンプか! いやあるけどさ。人の話聞いてた?」

「はい。ですが少しワケがあってできるだけ地上には戻りたくないので、しばらくダンジョン内で暮らそうかと思いまして」

 リゼットにとっては、いまやダンジョン内よりも地上の方が危険だ。ほとぼりが冷めるまでは身をひそめておいた方がいいだろう。それにはダンジョン内で生活するのが一番だ。

「はあ……なるほどねぇ。じゃあオススメはこの調理器具セット。ひとまとめにできるから鞄に入れやすいでしょ」

 錬金術師が出してきたのは、深めのフライパンの中に包丁や調理器具が入っていて、それにふたがついたセットだった。

 他にエーテルポーション、塩と砂糖と香辛料といった調味料、ふかふかの寝袋が用意されていく。

 錬金術師おすすめの装備をたずさえて、リゼットは再びダンジョンへ向かった。尾行されていようとお構いなしに。

 ダンジョンにさえ入れば、一人きりになれるのだから。

ドラゴンノベルス5周年記念フェア

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