第一章 勇者の召喚に巻き込まれたっぽいです


「これから帰るよ、っと」

 部活の帰り道、交差点で信号を待つ間、私はメッセージアプリでお母さんにれんらくした。

 すぐに「りようかい」とスタンプが返ってくる。

 辺りはもう暗い。来月の合唱コンクールの練習で、このごろ帰るのがおそくなっている。

 でも、高校から駅までのこの通学路には、まだ生徒たちの姿がぱらぱらと見えた。三年生の姿を見かけて、きっと自習室で勉強していたのだろう、と思った。

 来年は私もそうなるんだろうな……。

 まだ信号が変わるまでには時間がかかりそうだったので、私は動画アプリを立ち上げた。

 今見るわけじゃない。容量がもったいないから。家で見る動画をチェックするだけ。

 あ、新作上がってる。

 好きな歌い手の新しい動画がとう稿こうされているのを見つけて、ちょっとうれしくなった。

 ユーザーのコメントもいい感じだ。帰ったらすぐに見なくちゃ。

 と、その時、右横をだれかが通り過ぎていった。

 信号が青になったんだ、と目線を上げながら足を一歩み出す。

 すぐななめ前に制服姿の男子の背中があった。

 あれ? 信号──。

 視界に映った歩行者用の信号が赤だと気づいた時には、さらに二歩進んだ後で。

 右から、けたたましいクラクションの音が聞こえてきた。

 視線を向けるよりも早く、体がしようげきを受けた。

 自分が宙を飛んでいるのがわかった。

 スローモーションになるって本当なんだ。

 でも、走馬灯が見えるっていうのはうそ

 道路に落ちてアスファルトの上を転がりながら最後に思ったのは、動画見たかったな、だった。


*****


「──さん、日向ひなたさん」

「ん……」

 体をすられて、私は目を覚ました。

「きゃっ!」

 目の前にぼぉっと光るゆうれいのような顔があって、私は悲鳴を上げた。

「落ち着いて、小日向さん。くらだよ。同じクラスの」

「田野倉くん?」

 よくよく見れば、クラスメイトの田野倉じゆんくんだった。幽霊とちがえたのは、下から青白い光が当たっていたせいだ。

 田野倉くんは、うちのクラスの学級委員で、イケメンで明るくて人気者で勉強ができてスポーツも得意な、いわばかんぺきちようじんみたいな生徒だ。もうすぐ生徒会長に立候補するらしいと聞いた。

 もちろん女子にモテモテで、かく言う私もあわあこがれの気持ちを持っている。

「なんで私、て……」

 いつしゆん、授業中にげきちんしてしまったのかと思ったけど、机につっしている訳ではなかった。

 体を起こしながら周囲を見回す。

 ゆかには図形とも記号ともいえないような、枝分かれしたもんみたいな線が一面にあって、その線がぼんやりと青白く光っている。表面をなでると金属みたいにつるっとしていて、線の部分は少しくぼんでいた。えがいてあるというよりは、り込んである感じだ。

 暗くてよく見えないけど、四方をかべで囲まれているようだった。

「ここ、どこ?」

「わからない」

 田野倉くんが首をった。

「トラックにひかれたのは覚えてる?」

「え? ああ、そうだ。私、車にひかれた」

 信号が青になったとかんちがいして道路に飛び出して、それで──。

 トラックだったんだ。

 見るひまもなかった。

ぼくいつしよにひかれたんだ」

 あの時に前にいたのは田野倉くんだったのか。

「じゃあ、なんで私たち……」

 二人ともピンピンしている。なんてないし、痛い所もない。制服に破れた所やよごれがあるようにも見えなかった。

「わからない」

 田野倉くんは首を振った。

 そりゃそうだ。わかるわけない。

 トラックにひかれて目が覚めたら、真っ暗な部屋の光る金属の床の上にいる理由、なんて。

 宇宙人にさらわれたのかも、なんて全く現実感のない想像をした。

「あそこから出られるみたいだ」

 目をらして田野倉くんが指さした方を見れば、壁ではなくくらやみが続いていた。

「ここにいても仕方ないし、行ってみようか」

「でもあっちは真っ暗だよ」

 言ってから、スマホのライトを使えばいいんだ、と思いついた。

 でも、さぐったポケットにはスマホがなかった。それどころか、どのポケットの中もからだ。

 スマホは事故の時に手からすっ飛んでいってしまったのかもしれないけど、なんでいつも持ち歩いているはずのハンカチや鏡までないの?

「僕も何も持ってないよ。あるのはこの体と、制服だけ。で、どうする? 小日向さんがここにいたいなら、僕だけで様子を見てくるけど」

 その時、暗闇の向こうからとつぜん足音が聞こえてきた。走っている。たぶん複数人。

「下がって」

 田野倉くんが私をかばうようにかたうでを広げた。二人でかべぎわまで後ずさる。

 足音はどんどん大きくなって、明かりが近づいて来るのがわかった。

 私たちがかたをのんで見守っていると、人が姿を現した。

 全部で三人。

 右側はローブを着て、たけほどもあるつえを持っているおじいさん。左側はヨーロッパの古いしようのような服を着たおじさん。そして、真ん中は似たような服でマントを着けたお兄さん。

 ランプをかかげたお兄さんは私たちを見て一瞬固まったあと、両腕を広げてぎようぎようしくこう言った。

「お待ちしておりました、勇者様」

 勇者様……?

「やっぱり!!」

 突然上がったさけび声に、私はびくっとかたふるわせた。

「聞いた!? 勇者だって!」

 私のたてになるように背中を向けていた田野倉くんが、ぱっと振り向いて満面のみをかべた。

「これ転移だよ! 異世界転移! それにこの場所とこの床の模様、絶対イディキスだよね! 知らない? RPGの『最果てのイディキス』だよ! 僕たち、ゲームの世界に召喚されたんだ!」

「えぇ……?」

 私は興奮した田野倉くんの勢いにあつとうされていた。

「ステータス・オープン! ほら見て! レベルに、体力やりよくの表示がある! レベルは一だけど聖魔法は習得済み! イディキスと同じだ!」

 見て、と言われても、私には何も見えない。田野倉くんには空中に何か見えているみたいだけど。

「やっぱり僕は選ばれし勇者だったんだ! この日のために勉強もけんどうもスポーツもがんってきたがあった! 僕は勇者だ……!」

 目を閉じてじーんとみしめるように田野倉くんが言った。

「お二人いらっしゃる。どちらが勇者様だ?」

 マントのお兄さんが、ローブのおじいさんにたずねる声が聞こえてきた。

「わかりません。古文書には、この部屋に救世主が現れる、とだけ」

 おじいさんがこんわくした顔で首を振る。

「僕が勇者です、ウルド王」

 田野倉くんが二人の会話に割り込み、自分の胸に手を当ててお兄さんにげた。

 自分で勇者だと宣言するなんて、鹿げてる。

 頭の半分ではそう思いながらも、もう半分では、私はすでにこのじようきようを受け入れていた。

 異世界転移。ゲームの世界に召喚。勇者。ステータス・オープン──。

 この人たちの言葉もわかるし、どうやらこちらの話も通じているみたいだ。

 ラノベやまんやアニメのおかげで、田野倉くんの言っている事は理解できた。宇宙人に攫われたんじゃなくて、異世界転移だったらしい。

 あまりにも現実ばなれしすぎていて、私は逆にすんなりと受け入れてしまった。

 なるほど、田野倉くんが勇者だというのはなつとくだ。

 少なくとも、私が知っている人の中で一人勇者を選べと言われたら、田野倉くんしかいない。に完璧超人ではなかったというわけだ。

 ゲームだ転移だとやけに浮かれているのはちょっとどうかと思うけど。てかさっき、この日のために頑張ってきたって言った?

 お兄さん、もとい王様は、田野倉くんが名前を言い当てた事に感動していた。

「おお……我が名をご存じとは。さすが勇者様」

「さっそくだけど、魔王とうばつの準備に入りたい」

「こちらの事情もわかっておられるとは。不思議な力をお持ちのようだ」

 魔王討伐。

 そうだよね。勇者だもん。魔王もいるよね。

 王様たちの服装からして、ここはいわゆる中世ヨーロッパ風RPGの世界なわけだ。

「それで、勇者様、そちらのおじようさんはどなたですか?」

まなで一緒だった小日向さん。かのじよは──」

 田野倉くんは、私を振り返って言葉を切った。学び舎だなんてずいぶん気取った言い方だった。

「小日向さん、ステータス・オープンって言ってみて。何か書いてない?」

「す……ステータス・オープン……」

 その言葉を口に出すのが躊躇ためらわれて、小声になってしまった。

 高らかに宣言するとか、田野倉くんはずかしくないのかな?

 ゲームのウィンドウが出てくるんだろう、という予想に反して、私の前には何も現れなかった。

「何も起こらない」

 私は首を振った。

「それは何かのじゆもんですか?」

「似たようなものだよ」

 王様の問いに、田野倉くんが答える。

 どうやらこの世界では、ステータス・オープンはいつぱん的ではないようだ。きっと召喚者にだけ使える特殊チート能力なんだろう。

「大きな声で言わなきゃなんだよ、きっと」

 えぇ……。

「ステータス、オープン」

「もっと大きく!」

「ステータス・オープン!」

「もっと!」

「ステータス・オープン!!」

「もっと!!」

「ステータスッ! オープンッ!!」

 出せる限りの声量で叫んでみたけど、ウィンドウは現れなかった。

 しん……。

 気まずいちんもくが流れる。

「小日向さん、たぶん君は、その……」

 言いにくそうに田野倉くんが言葉をにごす。

 私の口からため息が出た。

 これはもう、認めるしかない。

「私は、田野倉くんの召喚に巻き込まれただけなんだね」

 巻き込まれ転移って言葉もあるくらい、フィクションの中では時々見かける設定だ。

 まさか自分の身に起こるだなんて思いもしなかったけど。

「それで、元の世界にもどる方法とかは──」

「小日向さんは戻りたいの? せっかくゲームの世界に転移したのに?」

「当たり前でしょ!?」

 田野倉くんは勇者みたいだし、元々そういう願望があったんだから別かもしれないけど、私は全然嬉しくない。

 だって私は現代日本に住んでたんだよ?

 中世ヨーロッパ風ゲームの世界だなんて、絶対ネットもスマホもないじゃん。テレビだってないし、電気……はあるのかな? とにかく文明は全然発達してないに決まってる。

 魔王がいるって事はたぶんモンスターもいるんだよね? 虫くらいならともかく、生き物を殺すなんて私には無理だ。魚をさばくのだって、家庭科でサンマの三枚下ろしをしたのが最初で最後なのに。

 それに世界史の先生が言ってた。

 ルイ十四世のころのフランスにはトイレがなくて、そこら中にウ……アレが落ちていて、ハイヒールはアレをまないためだとか、スカートが大きくふくらんでいたのはその辺でアレするためだとか、こうすいはアレのにおいをすためだとか、体を不潔に保つとびようから守られると信じられていただとか。

 無理。そんな世界絶対無理。生きていけない。

 私は期待を込めて、王様をじっと見た。

 だけど、無情にも王様は首を振った。

「巻き込まれたというのは気の毒ですが、元の世界に戻る方法はわかりません。勇者様をお呼びしたのは我々ではないのです」

「どういう事ですか?」

「魔王が復活する時には、毎度、この部屋に勇者様──より正確には救世主様──が現れるのです」

 毎回勇者がふういんしてきた魔王を、ゲームの主人公がついにほろぼす事に成功する的なストーリーなのかな。

 ──じゃなくって。

「なら、誰が召喚したんですか」

「この部屋は丸ごと魔導具なのです」

「魔導具っていうのは、イディキスの世界で使われている電化製品みたいなものだよ」

 説明を始めたのは田野倉くんだった。

「魔石の魔力を動力にして動くんだ。イディキスでは魔法の素質がある人がとても少なくて──まあ僕は勇者だから聖魔法が使えるわけだけど──つうの人は日常的に魔導具を使って暮らしてる。武器やよろいの魔導具もあるよ。魔導具は古代文明の遺物だと言われてて、宝箱やモンスターからのドロップでしか手に入らない。使うとそんもうりつが増えていって、確率でこわれるようになってる。損耗率を減らすには修理屋に行くしかないんだけど、王都にしかないし、すごく高い。魔力がきたら魔石で魔力をじゆうてんするんだよ。充電みたいなものだね。その魔石もモンスターからドロップするんだけど──」

「えっと、つまり、魔導具であるこの部屋が、勝手に私たちを召喚したって事ですか?」

 放っておいたら田野倉くんはいつまでもしやべり続けそうで、私は話をごういんに戻した。

「そうです。魔王復活のきざしが見えてから、勇者様が現れると信じてこの部屋をかんしていました。魔導具の仕組みは不明なので、申し訳ないですが勇者様たちを元の世界に戻す方法はわかりません」

「魔王をたおしたら戻れるとか」

「エンディングには出てこなかったよ」

「そんな……」

 私は両手で顔をおおった。

 元の世界に戻る方法がないっていうのも、異世界転移のあるあるだ。だけど、実際に自分の身に起きてしまったら、簡単には受け入れられない。

 ともだちにも、家族にも、もう会えない。

 そう思うと、頭をガンッとなぐられたような衝撃におそわれた。一気に現実が襲いかかってくる。

 そうだよ。もう会えないんだ。お母さん、お父さん、お兄ちゃん。あや、みっちゃん……。

 何のお別れも言えなかった。むすめが突然いなくなったら、お父さんとお母さんはどうするだろう。私、もうすぐ帰るって連絡したのに。

 ぽろりとなみだがこぼれた。

 すぐにえつれる。

 なんで。

 なんで私がこんな所に来なきゃいけないの?

 勇者でも何でもないのに。

 ただ巻き込まれただけ。

 いやだ。帰りたい。家に帰して。

だいじようだよ、この世界にもすぐに慣れるよ。僕もいるし、前の世界よりきっとずっと楽しいよ」

 何のこんきよもなくそう言ってのける田野倉くんの気持ちが、私には全然わからなかった。


「落ち着いた?」

「うん、ごめん……」

 私たちは、王様が用意してくれた客間のソファに、向かい合ってすわっていた。

 私が泣き出してしまったから、今日はもう休もうという事になったのだ。あっちの世界ではまだ夜になったばかりだったけど、こっちの世界ではもう夜中になっていた。

 私たちの間のテーブルの上には、メイドさんが置いていってくれた水差しとカップがある。お酒がいいかと聞かれたけど断った。こっちの世界では、十七さいはもう成人だそうだ。

 メイドさんは他にも、部屋に置いてある魔導具の使い方を説明してくれた。基本的にはスイッチを入れるだけで使えるらしい。

「はい、お水」

「ありがと……」

 田野倉くんが、水差しからカップに水をそそいでくれた。ガラスじゃない、金属のカップだ。

 宝石のそうしよくがついていてごつごつしている。なんか、ザ・ゴブレット、って感じ。

 部屋の中の様子もそうだけど、こんな小さなところでも元の世界との差を見せつけられて、私はまた泣きそうになってしまった。

「これ、何の魔導具だろう? 二つあるけど」

 ずずっとはなをすすっていると、田野倉くんが、小さなボールを手にしていた。直径二センチくらいの金属製だ。表面には細い線であの召喚の部屋とそっくりなようが彫ってある。

「カップに入れるんだよ」

 私はトレーからもう一つのボールを拾い上げて、ポチャンとカップの中に入れた。

 すると、ボールのみぞが青白い光をびて、水全体が同じ色に光った。

 それはすぐに消えて元のとうめいな液体に戻る。

じようの魔導具。なまみずは危ないから」

「メイドさん、そんな事言ってたっけ?」

 田野倉くんは魔導具の実物を見て大はしゃぎしてたから、ちゃんと聞いてなかったんだろう。

 浄化された水をこくりと飲むと、少し金属の味がした。

 胃に冷たい感覚が広がっていく。それが体温にんでいくに従って、気分は落ち着いていった。

 あきらめるしかないんだ。

 泣いてわめいたって、状況が変わる訳じゃない。

 元の世界に戻る方法を探すにしても、それまではこの世界で生きていかなきゃいけない。

 幸い、王様は「勇者じゃないならいらん」なんて感じじゃなかったし、きっと私たちのめんどうは見てくれるだろう。一人や二人を養う費用くらい、国家予算の中から出せるはずだ。

 タダ飯食らいになるわけにはいかないから、何か私にもできる事をさせてもらおう、と思った。

 たぶん異世界転移特典で他の国の言葉もわかるから、通訳とかほんやくとかがいいのかな? 数学や理科もここの水準よりわかる……はず?

 ぼうけんしやになってモンスターを倒したりするのは無理だけど、そうじゃない生き方もできそうだ。

 今後の事をぼんやりと考えていると、少し前向きになってきた。

 元の世界にいたって、受験で失敗したかもしれないし、就職できなかったかもしれないし、病気になったかもしれない。

 未来が見えないのは同じだ。こっちの世界には、こっちの世界なりの幸せがあるのかも。

 ……難易度が全然違うけど。

「そろそろ寝ようか。明日は色々あるみたいだし」

「何するんだっけ?」

「まずは魔法の才能のかくにん。僕の結果はわかりきってるけど、小日向さんはステータスが見えないからね。その後は、服とくつを作る。僕はゲームキャラと同じデザインって決めてあるけど、小日向さんは何のイメージもないでしょ? 考えておくといいよ。時間が余ったら、この世界について教えてくれるって。僕はだいたい知ってるけど、小日向さんは何も知らないからね」

 ムッ。

 いちいち自分と私を比べるような言い方が気にくわなかった。なんだか私が馬鹿みたい。

 田野倉くんにだけゲームの知識があるなんてずるい。

「もう寝る」

「わかった」

 くやしくて、ふてくされたような言い方になってしまった。

 田野倉くんが、続き部屋になっているとなりしんしつのカギを手に取る。

 もちろん私の寝室は別だ。田野倉くんの寝室とは反対側のドアの向こうにある続き部屋だ。

「おやすみ、小日向さん」

「おやすみなさい」

 こうして、私の異世界第一日目は終わった。


 朝、目が覚めると、ベッドのてんがいの見事な絵が目に入った。

 やっぱり夢じゃなかった。

 今何時なんだろう。時計は見当たらない。

 どっしりとしたカーテンのすきから光が見えて、少なくとも夜ではない事だけはわかった。

 ごそごそととんからけ出す。装飾は見事だけど、ごこはいまいちだった。マットはかたいし、うわけは重い。

 分厚いじゆうたんの上を裸足はだしでぺたぺたと歩き、長の背にかけていた制服を手に取る。

 コンコン。

「ひゃっ」

 入り口からノックの音がして、私は制服でむなもとを覆った。しわになるのが嫌でいで寝たから、今の私は下着しか身につけていなかった。

「小日向さん、起きてる?」

 田野倉くんだった。

 カチャリとドアが開けられる。

「ままままま待って! 開けないでっ!」

「……ごめんっ」

 田野倉くんは私の姿を目にして少し固まったあと、はっとしてドアを閉めた。

 なんでカギかけなかったの、昨日の私!

 家の部屋にはカギなんてなかったから、開けたまま寝てしまったのだ。

 やまれるけど、こうかいしてももう遅い。

「メイドさんが来て、顔を洗う用の水を置いてってくれたんだっ。それで、そろそろ朝食だって」

「う、うんっ。わかったっ!」

 確か田野倉くんには妹がいたはずだ。女の子の下着姿なんて見慣れてるよね。大丈夫大丈夫。

 そう自分に言い聞かせながら、制服を手早く身につけていく。

 顔が熱い。火が出そう。

 田野倉くんも田野倉くんだ。女の子の寝室を返事を待たずに開けるなんて!

 最後にくつしたと靴をいた。昨日と同じ靴下を履くのは嫌だったけど、素足でローファーを履くのはもっと嫌だった。

 カーテンを開け、ベッドを簡単に整え、手ぐしでかみを簡単にとかしてから部屋を出る。

「お、おはよ……」

「……おはよう。水はそこに」

 気まずい思いをしながら、田野倉くんが指さした方を見ると、タライが置いてあった。コントで上から落ちてくる銀色の金属製のやつじゃない。たるの下部分だけって感じの木製だ。

 ぱしゃぱしゃと顔を洗った。洗顔料がしかったけど、そこは諦めるしかない。顔を洗う習慣があるだけありがたいのだ。だってルイ十四世の時代には(以下略)。

 テーブルの上に置いてあったタオルをとって顔をく。タオルっていうか、ガーゼ?

「終わった?」

「うん」

「じゃあ僕も」

「先に洗ったんじゃないの?」

「いや、僕の後じゃ小日向さんが嫌かなって」

「そんな事全然思わなかったけど」

 なんというづかいだろうか。さすがモテる人は違う。

 でもそんなの言われたら、自分が使った後の水を使われるのが恥ずかしくなるじゃん!

 私は、昨日のカップの中に入れっぱなしだった浄化の魔導具を、タライにほうり込んだ。

 魔導具はすぐに反応し、水はれいになった。

 けど、なんだか私の顔がすごくきたなかったみたいでみような気分になる。

「小日向さんの前にも使えばよかったね」

 田野倉くんはそんな事は気にした様子もなく、魔導具を取り出してから顔を洗い始めた。

 入れっぱなしにしたまま顔洗ったらまた反応するのかな、とちらりと思ったけど、気まずい空気になりそうだったからだまっていた。

 田野倉くんがテーブルの上で手をさ迷わせていたので、タオルもどきをわたしてあげる。

「ありがとう」

 うわ。

 顔を拭いた田野倉くんを見て、私は目を見開いた。

 前髪がれておでこに張り付いている所が、なんだか色っぽい。さすがイケメン。

 ときめきよりも前に感心してしまった。昨日の興奮っぷりを見て、憧れの気持ちがどこかにいってしまったみたい。

「何?」

「ううん、なんでも」

 手を振って誤魔化す。

 と、ここで、とても重要な問題が発生した。それも結構差しせまっている。

 やばい! どうしよう!

 なんで昨日メイドさんに聞いておかなかったの……!

 田野倉くんに聞いてみるしかない。

 じゃないと、人生の最大のてんになる事間違いない。

 ちよう高速でかつとうしたあと、私は田野倉くんにく事に決めた。

 ぐずぐずしてたらおくれになっちゃう……!

「あのっ、私、お花みに行きたいんだけど」

「花?」

 遠回しに言ってみたけど、通じなかった。

「パウダールームに……」

「?」

 ああっ、もうっ!

「トイレ! トイレに行きたいの!」

「ああ、トイレ。ろう出て右手のき当たりだよ」

 お礼もそこそこに、私は廊下に飛び出した。ぼうこうがもう限界だと言っている。

 トイレという場所の存在がある事にまずはほっとした。所構わずではない事は、建物の中が綺麗だったからわかっていたけど、部屋の中でという可能性もなくはなかったからだ。

 突き当たりってここだよね?

 よくわからない記号のれつの書いてあるプレートがついたドアに手をかけて、立ち止まる。

 入りたくない……!

 ああ、でも無理っ! もれちゃうっ!

 かくを決めて足を踏み入れると、そこは想像したほどひどくはなかった。

 日本ほどピカピカとはいかないけど、一応洋式だったし、何より水洗で、くさくなかった。わら半紙みたいなごわごわの紙もあったし、手を洗う場所もあった。

 毎日何度も通う場所が最悪じゃなくて本当に良かった……。予想通りだったら限界までまんして膀胱炎になる運命だった。

 せつまっていた行きとは違い、ゆっくりとゆうのある足取りで廊下を戻る。

 あれ? どの部屋だっけ?

 廊下には似たようなドアが並んでいて、プレートにはやっぱり記号しか書かれていなかった。

 困っていると、後方のドアが開く音がした。

「勇者様! 早くいらして! しい朝食をご用意いたしましたのよ!」

「でも小日向さんがまだ戻って──」

 振り向くと、ピンク色のドレスを着たおひめさまが田野倉くんの腕を引っ張って出てきた。

 なんでお姫様だと思ったかというと、頭の上にティアラがあったからだ。

「あ、小日向さん。よかった」

「あら、戻って来たのね。あなた、お名前は?」

「小日向です。小日向世絆せつな

「変な名前ね。セツって呼ぶわ」

 お姫様っぽいその人は、羽根のついたせんを口元に当てて言った。

「はあ、まあいいですけど」

 別に呼び名にそこまでのこだわりはない。

「小日向さん、こちらはダイヤ姫。聖女だよ」

 聖女ってなんだろう。聖なる魔法を使えるって事かな。いかにも勇者パーティにいそう。

「よろしくお願いします」

 私はていねいにおをしたけど、ダイヤ姫は何も言わなかった。あごをつんと上げて、私をみしているような視線を向けてくる。

 まあ、お姫様だったらそうなるだろう。こちとら一般人なのだ。こっちの世界風に言えば平民という事になる。口をくのもはばかられるのかも。

 昨日の王様は気さくに話してくれるどころか、敬語を使ってくれてたけど。

 あれ、でも、ダイヤ姫もさっき田野倉くんには丁寧な言葉を使っていたような?

 って事は、この態度は私にだけ?

「さあ、勇者様、食堂に行きましょう。お料理が冷めてしまいますわ」

 お姫様はふいっと私から視線を外し、田野倉くんに微笑ほほえみかけた。

 そして、田野倉くんの腕に自分の腕をからめて歩き出す。

 私はその後をついて行った。

 たどり着いた食堂には、二十人は座れると思えるような長いテーブルがあって、真っ白なテーブルクロスが掛けられていた。

 私たちの目の前に一きやく、ぽつんと椅子が置かれている。

 そして、長ーいテーブルの反対側の一番おくはしっこ、いわゆるお誕生日席には王様が座っていて、その両隣の席に椅子が用意されていた。

 ダイヤ姫がぐいぐいと強引に田野倉くんを王様の方へ引っ張っていく。

 あ、そういう事。

 私は空気を読んで、目の前のぼっち席に座った。

 田野倉くんとダイヤ姫は、ひかえていたウエイターさんみたいな人に椅子をしてもらっていた。

 全員が座ると、パンとスープとサラダが運ばれてきた。メニューは四人とも同じだった。

 テーブルの上に置かれたそれらをじっと見る。

 黒コッペパンみたいな色の丸いパン。バターはなし。キャベツとニンジンの入ったうすい色のコンソメスープ。レタスとキュウリとトマトのサラダ。ドレッシングはなし。

 三人が食事に手をつけるのを待ってから、私もスプーンを取った。

 スープはコンソメじゃなかった。味がついていない。野菜をゆでただけって感じ。キャベツを口に入れてみると土っぽい味がして、ニンジンにはえぐみがあった。

 気を取り直してパンを手に取る。

 かたっ。

 カチカチだった。ちぎろうと思ってもちぎれない。

 困って遠くにいる三人を見ると、王様とお姫様は普通にちぎっていた。

 私だけカチカチなのかと思ったら、田野倉くんも四苦八苦していて、ダイヤ姫が笑ってパンをちぎってあげていた。

 あくりよくやばくない?

 私の事は誰も手伝ってくれなかったので、仕方なくナイフとフォークを使った。ダイヤ姫が信じられないという顔をしていたけど、見なかった事にした。

 だっておなかがすいてるんだもん。

 そのままだとみ切れないと思ったので、三人にならってスープにひたしてから食べる。

 かたっ。

 それでも硬かった。一口のみ込むだけであごがつかれた。なんか酸味があって、変な味だった。

 そして三つ目のサラダだ。

 前の二つで期待をしてはいけない事がわかったので、期待値を下げていどむ。

 レタスはキャベツ同様土っぽい味で、キュウリはスカスカ、トマトはすごくっぱかった。

 現代の野菜や果物は品種改良されていて、昔よりずっと美味しくなってるって話は聞いた事あるけど……本当だったんだ。

 ってかトマトって南米原産じゃなかったっけ? もうアメリカ大陸見つけたの?

 ゲーム世界にケチをつけても仕方ないけど、ここでトマトを出してくるなら、味も現代っぽくしてくれればよかったのに、と思った。

 この分だと、お肉も期待できない。ちくの品種改良も進んでいないだろうから。でも魚はいけるかな。天然物の味は変わってないはず。

 待てよ?

 モンスターがいるんだよね? って事は、モンスターの肉とかもあり得るって事? この野菜も普通の野菜じゃないかも……?

 RPGに出てきた、臭い息をいて状態異常こうげきをしてくる植物モンスターを思い浮かべてしまった。

 ……考えるのやめよ。

 とても美味しいとは言えない、どちらかというとだいぶい部類に入る食事だったけど、かろうじて食欲の方がまさり、私はなんとか残さず食べきった。

 しばらくしてから、他の三人も食事を終えた。

 食事の後は、魔法のかんていをした。

 結論だけ言えば、田野倉くんは予想通り聖魔法の素質があった。

 そして予想通りというかなんというか、私には魔法の素質が全くなかった。

 鑑定の様子を見ていた人は、私が勇者と同じ召喚者だから期待していたみたいで、すごくらくたんしていた。

 私自身も、期待はしていなかったはずなのに、がっかりしていた。心のどこかでは、自分にも何かあるかも、と思っていたのかもしれない。

「仕方ないよ。小日向さんは勇者じゃないんだから」

 がっくりと落とした私の肩に、田野倉くんが手をぽんとのせた。

 私に何らかの系統の魔法の素質があったら、もう少し調べる事があったみたいだけど、全くない事が判明してしまったので、やる事がなくなってしまった。

 服職人が来るまでに時間があると言われ、私たちは客間に戻された。

 部屋までの間、誰にも会わなかった。そういえば、食堂に行く時もそうだった。

 王宮って、意外に人が少ないのかな。

 客間に入る前に、私は廊下の端のトイレから何番目のドアなのか数えた。

「……三、四、五番目か」

「何してるの?」

「どの部屋かわからなくならないように数えてたの」

たかだよ。勇者のしようちよう

「鷹?」

「うん。ここに書いてあるでしょ」

「え?」

 田野倉くんが開いたドアを戻して、ドアについているプレートを指差した。そこには、他の部屋同様、いくつかの記号が書いてある。

「もしかして……読めないの?」

「これ文字なの?」

「僕には日本語に見えるけど」

「私には記号にしか見えない」

 なんて事だ。

 てっきり読み書きする能力はあるものだと思っていたから、よくわからない記号だと判断していたのに、実はこれが文字だったとは。

 言われてみれば、確かに文字に違いなかった。ドアのプレートに書いてあるんだから、部屋の名前に決まっている。

 当然書く事もできなかった。空中に指で何か書こうと思っても、日本語やアルファベットしか出てこない。

 私には聞いて話す能力はあっても、読んで書く能力はないらしい。

 それって、すごーくマズいんじゃない?

 本が読めないとかだけじゃなくて、看板や物に書いてある説明も読めない。

 義務教育で当然のように覚えてきた私からしたら、それができない世界なんて想像もできない。

 私は、部屋に入るのも忘れてぼうぜんとしてしまった。

 元の世界に戻れないとわかった時と、同じくらいショックを受けていた。

「大丈夫だよ。話はできるんだし、僕もいるんだから」

 いや、大丈夫なわけないよね?

 王宮の中だから文字表記が多いのかもしれない。普通の平民は読み書きができないっていう設定の物語は結構ある。

 だけど、そうじゃなかったら? みんな当たり前のようにできたら?

 世界の中で、ひとりだけ取り残されたような感覚になった。

 私はステータス・オープンが使えない。ゲームの知識はないし、魔法の素質があるわけでもなければ、文字もわからない。

 こうなってくると、話ができる事がせきだった。転移者特典チートでそれが当然だと思っていたけど、そうじゃない可能性もあったんだ。

 私は自分の体をきしめて、ぶるりと震えた。

 こわい。この世界が。何も知らない事が。

 受け身じゃ駄目だ。田野倉くんが教えてくれるままに受け取っているだけじゃ足りない。自分から知ろうとしなくちゃ。

 それから服職人が来たという知らせが来るまで、私は田野倉くんを質問めにした。

 ちゆうで田野倉くんだけが呼ばれて出て行った。

 かと思うと、しばらくして田野倉くんは服を手に困惑した顔で戻ってきた。

「採寸してきた。新たに服を作るのは僕だけみたいだ。下着だけ先にもらってきた」

「えっ!? 私、ずっとこの制服でいろって事!?」

「小日向さんのえも後でせいひんを持ってきてくれるって言っていたから、大丈夫だよ」

「よかった」

 ほっとした。制服はまだいいけど、下着や靴下を替えられないのは絶対無理だ。

 しばらくして、私のドレスと下着が数着ずつと、ハイヒールが一足届けられた。届けてくれたのは、昨日の夜に部屋に案内してくれたメイドさんだった。

 ドレスなんてがらじゃないけど、王様の前で変なかつこうはできないって事なんだろう。

 パンツは半ズボンみたいな感じだし、ブラジャーじゃなくてコルセットだったし、靴下はゴムじゃなくてひもしばるようになっていたけど、とりあえず一安心だ。あと寝間着ももらった。

 田野倉くんは同じ服を複数作る事にしたらしい。デザイン画を見せてもらうと、いかにも勇者という感じだった。

 その後、夕食の時間になるまで、また田野倉くんを質問攻めにした。

 呼びにきてくれたのはまた同じメイドさんで、そのとき初めて気づいたんだけど、すごくお腹がすいていた。そういえばお昼ご飯を食べていない。

 聞いてみたら、王宮では朝と夜にしか食べないそうだ。食べざかりの十七歳にはきつすぎる。

 私だけじゃなくて、田野倉くんもショックを受けていた。だよね。ゲームじゃご飯は体力回復とかのアイテムでしかないから、食事の回数なんて気にする訳がない。

 田野倉くんに続いて部屋から出ようとした時。

「申し訳ありませんが、ばんさんにお呼びするのは勇者様のみとの事です」

「え?」

 私、ご飯無し?

「セツ様の分はお部屋にお持ちします」

 特別たいぐうは勇者様だけって訳だ。

「じゃあ、僕もここで食べるよ」

「そういうわけには。お連れするよう言いつかっておりますので」

 メイドさんが困ったような顔をした。もしかすると、連れて行かないとばつを受けるのかも。

「田野倉くん、行ってきなよ。私はここで食べるから。王様の招待でしょ? メイドさんも困ってるみたいだし」

「そう? じゃあ……行ってこようかな。小日向さんは一人で大丈夫?」

「大丈夫だよ。部屋にいるだけだもん。行ってらっしゃい」

 田野倉くんはちらちらと私を気にしながらも、メイドさんについて部屋を出て行った。

 その後メイドさんが持ってきてくれたシチューは、肉がとても硬くて、臭みもすごかった。たぶん食べ慣れた牛やぶたとりではないと思うんだけど、何の肉かは聞けなかった。


 どうやら、私はなんきんされているらしい。

 そう気づいたのは四日目。

 トイレには行けたけど、廊下には衛兵がいて、他の場所には行けないようになっていた。

 部屋の外に出したくないというよりは、人に会わせたくないみたい。

 田野倉くんの方は、朝食はダイヤ姫がむかえに来るし、それ以外もひんぱんに王様に呼ばれていて、自由に出歩く事も許されていた。

 私が会うのは、田野倉くんと、あのメイドさんだけ。

 生活空間が限られている以外は、不自由する事はなかった。相変わらずご飯は微妙な味だけど、最初みんなで食べた時もそうだったし、私が冷遇されているんじゃなくて、これが普通の味なんだろう。

 メイドさんは専属みたいで、私たちの部屋にいる事が多かった。私が異世界人だって事も知っているから、こっちの世界の事を色々教えてもらった。

 聞いているうちに、あっちの世界とこっちの世界の常識が違いすぎるのを痛感した。殺人はあまりめずらしくはないとか、身分制度とか。ちょっとした事で話が食い違ってしまう。

 読み書きも教えてもらったけど、それはとても難航した。

 時間が足りないからじゃない。根本的に無理だった。

 だって言葉が全部日本語に聞こえるんだもん。

 この国の文字は平仮名と同じ表音文字で、言葉をそのまま文字に書き起こせばいいだけだ。

 だけど、私には単語の音が聞こえない。

 だから、文字の羅列と意味を丸暗記するしかなかった。漢字を覚えるのに近いかもしれない。

 これに比べたら、英語の勉強ははるかに楽だった。

 とりあえず数字と計算に使う記号は覚えて、加減乗除はできるようになった。

 数え方があっちと同じ十進数で本当によかった。

 一方、田野倉くんは勉強には興味がないみたいで、もつぱら剣術や魔法の訓練をしているらしい。

 ゲームだと転移してすぐにモンスターと戦ったりするけど、現実にはそうはいかない。初心者が木の棒を振り回すなんて馬鹿な事はせず、外に出るのはちゃんと訓練してからだ。

 教えている人が目をみはるほどの上達ぶりらしい。さすが勇者様は違う、と言われたそうだ。剣道をやっていたから、はできているんだろう。

 田野倉くんは新しい魔法を覚えると必ず見せてくる。

 最初は明かりを生み出すだけの魔法しか使えなかったのに、今は光の玉で攻撃したり、光の矢を放ったりできるようになった。

 機会がないから実演はしてもらっていないけど、体内の毒の浄化もできるそうだ。どうやって練習したのかは謎。

 田野倉くんには、私もせんとうの訓練をした方がいいと言われた。

 でも、私は田野倉くんと違って冒険に出るわけじゃないんだから、モンスターとの戦い方なんて必要とは思えない。

 私はもっと安全に、けんじつに生きる方法を探すんだ。どうにかしてここで仕事をもらわなきゃ。


 夜、私は寝室の机で文字の練習をしていた。メイドさんに書いてもらったお手本をひたすら写す。

 紙は貴重だから、文字の練習は黒板とチョークを使う。

 フッ──。

 突然手元の明かりが消えた。魔力切れだ。

 私はランプのスイッチを切り、ふたを開けた。

 この外側のランプ部分は職人さんが作っていて、中の魔導具が光源だ。つまり、あっちの世界でいう、ランプと中のろうそくとか、照明器具と電球の関係と同じ。

 中の魔導具を取り出す。火を使っていないから、全然熱くなっていない。

 ランプの魔導具は、半分に割った金属の玉子のからが、ガラスみたいな透明の石を上下からはさんでいるような形をしていて、スイッチを入れるとその石が光る。

 外側のランプのスイッチを動かせば、魔導具のスイッチも動くという仕組みだ。

 ランプの魔導具に限らず、魔導具は全部、モンスターかダンジョン内の宝箱からしか手に入らない貴重な物で、人が作ったりする事はできない。

 剣の魔導具とかもあるけど、ぐ事はできてもちゆうぞうたんぞうはできないらしい。

 冒険者が手に入れた魔導具を冒険者ギルドがまとめて買い取って、魔導具屋におろしている。冒険者じゃない一般人はこの魔導具屋から買う訳だ。

 わざわざ冒険者なんて危険な仕事をしなくてもいいのに、って私なら思うけど、魔導具がなければ電化製品がないっていうのと同じって考えると、一般人としてはありがたい。

 私は机の引き出しを開けて、いくつかある赤い魔石の中から、にぎり込める大きさの物を出した。

 すいしようのように両端がとがった六角柱をしている魔石は、中心がほんのりと光っていて、光は心臓のどうのようにめいめつしている。魔力が入っているしようだ。

 かんでんが切れているのかわからなくて困った経験があると、こうやって目で見てわかるのは便利だと感じる。

 魔石も魔導具と同じで人が作り出す事はできない。魔導具よりははるかに入手は簡単だけど、同じくモンスターか宝箱からしか手に入らなくて、使って魔力がなくなったら捨てるしかない。

 魔力の充塡は簡単で、魔石を魔導具に近づけるだけ。誰にでもできる。

 左右の手にそれぞれ魔石と魔導具を持って近づけると、すっと魔石の光が消えた。

 田野倉くんには、実際に魔力が移動するのが見えるらしい。魔法のあつかいにけている人には見えるそうだ。ひとだまのようなものが乗り移るようだとか何とか。

 私には──というか普通の人にはそんな特殊能力はないから、魔石の光が消えたのを見て、魔力が移ったのだろうと判断するだけ。

 どうせ電気も目に見えなかったから、代わりに魔力が使われている事にはあまり感がない。

 残量が表示されないのは不便だけど、ケーブルを繫いで放置しなくてもいいのは楽だ。

 充塡のかんりようした魔導具のスイッチを入れると、透明の石が光りかがやいた。

 まぶしい!

 あわててスイッチを切ろうとした時。

 ピシッ。

 手の中で小さな音が鳴って、フッと光が消えてしまった。

 え?

 おどろいて魔導具を見てみると、上の殻の部分にヒビが入っている。

「壊れちゃった……」

 壊れたところを見たのは初めてだった。聞いていた通り、何のちようこうもなくいきなり壊れた。

 魔導具は使えば損耗率が増えていって、いつかは壊れる。損耗率が高ければ壊れる確率が高い。

 壊れてしまったら、もうどうしようもない。直す事も、魔力を充塡する事もできない。

 損耗率も一般人には見えないから、普通の人にはこうやって突然壊れるように見える。

 だけど、修理屋にはどの位たまっているかわかるし、損耗率を減らす事もできるらしい。

 ここでも田野倉くんはチートぶりを発揮して、修理屋でもなんでもないのに損耗率がなんとなくわかると言ってたけど。

 ランプだからいいようなものの、剣や盾が戦闘中にいきなり壊れたら相当困るんじゃないかな。いや、ランプでも真っ暗などうくつの中だったりしたら大変か。

「どうしよう」

 魔導具を取り替えてもらうか、部屋の明かりだけで勉強を続けるか。

 ううん。もう遅いし、今日はこの辺にしよう。

 私はいつもよりも早めにねむりにつく事にした。

 ──これが、王宮での最後の夜になった。


*****


「ええと、私はまず何をすればいいの……?」

 人でにぎわう王都の大通りで、馬車から放り出された私は、一人ぽつんと立ち尽くしていた。

 持っているのは、中身のわからないトランク一つと、ポケットの中のお金だけ。

 ここがどこなのかも、どこに行けばいいのかも、何もわからなかった。

 なんでこんな事になったかと言うと──。


 朝、たくを手伝ってくれたメイドさんを見送り、もうすぐダイヤ姫が来るだろうな、という頃。

「話したい事があるんだ」

 田野倉くんが私の方を向いてしんけんな顔をした。

 一瞬「告白かな?」なんて思ったけど、馬鹿な考えは秒で捨てる。

「そろそろ出発しようと思う」

 田野倉くんの言葉に、私は息をのんだ。

「魔王討伐に行くって事?」

「そう。もう剣も魔法も使えるし、あとは実戦を通してレベルアップしてかないとって思うんだ。まだ早いって言われてるけど、もうこんな生活にはき飽きだ」

 衣食住が保障されていて何不自由なく暮らしているこの状況に飽きたなんて、何ともぜいたくな話だ。

 でも田野倉くんは勇者として召喚されたわけで、勇者だからこそこの生活を送っていたわけで、勇者であるからにはいつかは旅立たなくてはならない。

 だから私には頷く事しかできなかった。

「わかった。気をつけてね」

 私は私で早く何か役立てる事を見つけなきゃ。

 そう決意を新たにしたんだけど、田野倉くんは不思議そうな顔をした。

「小日向さんもだよ?」

「え?」

「え?」

 二人で目をぱちぱちとさせる。

「私は行かないよ?」

「どうして?」

「どうしてって……私は勇者じゃないし」

「そうだけど……。え、本当に一緒に行かないの?」

「行かないよ?」

 田野倉くんは本気で驚いているようだった。そんな田野倉くんに、私の方がびっくりだ。

「普通、一緒に召喚されたら、パーティを組むものじゃない?」

「普通、何の能力もないただの人間は、勇者のパーティには入らなくない?」

「それは、そうかもしれないけど……」

 悲しいかなそれが現実だ。

 勇者一行には、大魔法使いや伝説のけんじや、歴戦のかくとうなんかが相応ふさわしい。それこそ聖女とか。

 どうしてそこでただの元女子高生を入れようだなんて思ったの?

「いや、でも、だって、ここに小日向さんを置いていく訳には……」

「むしろ連れて行かれても困る。私戦闘訓練もしてないし」

「僕が守るよ」

「いや、私が一方的に守ってもらうだけなら、行かない方がいいよね?」

「そうだけど……それはそうなんだけど……」

 田野倉くんは頭をかかえてうめいた。

「僕一人で行けって事?」

「ダイヤ姫と行くんでしょ?」

 勇者は聖女と王宮を出発し、途中で仲間を増やしながら魔王城に向かうのだ。

「ダイヤもだけど、僕はてっきり小日向さんも来るんだとばかり思ってたから……」

「行かないよ。勇者なのは田野倉くんであって、私はただのオマケだもん」

「小日向さんはここに一人で残ってどうするの?」

「何か仕事をさせてもらうよ。そのために勉強してるんだし」

「それで字の練習をしてたのか……」

 田野倉くんはうらめしそうな目でこっちを見た後、観念したようにため息をついた。

「……仕方ないね。わかったよ。僕だけで行ってくる」

「うん。気をつけてね」

 また恨めしそうな目を向けられた。

「朝食の場でウルド王に話すよ」

「わかった」

 たがいの同意が形成されたところで、ダイヤ姫がやってきた。

「おはようございます、勇者様!」

「おはよう、ダイヤ」

「おはようございます、ダイヤ姫様」

 私の存在が無視されるのは毎度の事だけど、一応私の方はあいさつしていた。

「そうだ、ダイヤには先に言っておく。出発する事にしたんだ」

「ついにですのね! わたくし、準備はできておりますわ! でしたら今日出発いたしましょう! いいえ、善は急げですわ! 今すぐ行きましょう!」

「今すぐ!? それはさすがに早すぎ──」

「勇者様が魔王討伐に出発されるわ! すぐに準備なさい!」

 田野倉くんが慌てて止めようとしたけど、ダイヤ姫は手をパンパンッと高く打ち鳴らしてメイドさんを呼びつけると、指示を出してしまった。

「姫様、それはあまりにも急です」

 メイドさんと一緒にけつけた男の人が、慌ててダイヤ姫を止めにかかった。

「あら。わたくしのめいに異を唱えるというの? 出発すると言ったら出発するのよ」

「ですが──」

 なおも言いつのろうとすると、ダイヤ姫は、パシッと音を立てておうぎを閉じる。

「あなた、明日からもう来なくていいわ。クビよ」

 男の人の顔から、ざっと血の気が引いた。

「もっ、申し訳──」

「出て行きなさい」

 ダイヤ姫がいつしゆうすると、男の人は青い顔のまま部屋を出て行った。

 え、クビ? 今のだけで?

「ダイヤ、まだウルド王にも話してないし──」

 田野倉くんが何事もなかったかのように普通に話を続けた。

 ちょっと待って、話続けるの? あの人いま一瞬でクビになったんだよ?

「お父様の事はお気になさらないで。従っていたらいつまでたっても出発できませんもの! ほらあなたたち、早く準備をなさい!」

 パワハラにもほどがある仕打ちに混乱している私と、急すぎる決定にあせる田野倉くんをよそに、ダイヤ姫はあっという間に準備を整えてしまい、田野倉くんは本当にすぐに出発する事になった。

 どうやら、なかなか許可を出さない王様にごうやし、次に田野倉くんが出発すると口にした時にはそくてるよう、あらかじめ準備を進めていたらしい。

 もう誰もダイヤ姫を止めようとはしなかった。止めたら自分がクビになるとわかっていて、反対する訳がない。

 王様だけは止めようとしたけど、すでに王都の国民にも出発する事が知れ渡った後だった。出発パレードの見物をしようと、王宮の門から道の両わきにずらりと見物人が集まってしまっていて、いまさら中止にはできない段階だった。

 そして、突然の展開でろくに言葉をわす事もできないまま、私は田野倉くんを見送った。

 気をつけて、とは言えたから良しとする。

 田野倉くんの心配は全くしていなかった。なにせチート持ちの勇者様なのだ。ゲームのシナリオも、モンスターや魔族の情報も知っている。なんだかんだで魔王を倒して戻ってくるだろう。

 色とりどりのかみ吹雪ふぶきうのを窓から見ていた私は、朝食を食べそこねた事を思い出した。

 お腹すいた……。

 そう思った時、ノックの音がした。

 返事をすると、数人のとメイドさんが入ってきた。いつもお世話をしてくれるメイドさんではなくて、知らない顔だった。

「さ、こちらへ」

 部屋に入るなり、メイドさんは私をを言わさぬ笑顔で寝室に連れていった。

「お着替え下さい」

「え?」

 あれよあれよという間にドレスを脱がされ、代わりにワンピースを渡される。よくわからないまま私はそれを着た。

 居間に戻ると、今度は騎士が近づいてきて、両腕をがしっと取られた。

「え? 何?」

「一緒に来て頂きます」

 これ、たいされる的なやつ? 私何かした!?

 嫌な予感しかしない。

 だけどていこうなんてできるはずもなくて、私は連行されるようにして、馬車に押し込まれた。

 ろうじゃない事にはほっとしたけれど、今度はどこに連れて行かれるのかと不安になる。

 そうして放り出されたのが、王都の平民街だった。

 私をここまで連れてきた騎士は、私を馬車から降ろした後、こう言った。

「ダイヤ様が『これ以上王宮に置いておく理由がないわ。戻って来ないでね。勇者様と一緒に召喚された事は、誰にも話さないのが身のためよ』との事です」


 ──で、あっという間に馬車はいなくなってしまい、こうして途方に暮れているという訳だ。

 ぐぅ。

 のんきにお腹が鳴って、我に返った。

 王宮を追い出されてしまった。

 働く気があるんだと早めに言っておけばよかった。初日から思っていたのに、口に出したのは今日田野倉くんに言ったのが初めてだった。

 もう王宮には戻れない。

 ダイヤ姫は、出発を止めに入っただけの人を簡単にクビにしちゃうような人だ。逆らったら、何をされるかわからない。

 何せ、世の中には、「パンがないならおを食べればいいじゃない」と言い放つ女王様や「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」なんて言うお殿とのさまだっていたんだから。

 それに……もしかしたらかくれた戦闘能力があるかもしれないから、やっぱり勇者に同行しろ、って言われるかも。

 無理無理。そんなの絶対できない。魔法の素質もなかったし、私に戦う力なんてある訳ない。

 そして、それを言い出すのは王宮の人たちだけとは限らないんだと気づく。

 だって、魔王の復活なんて世界の危機だ。もし勇者と一緒に召喚された異世界人だとバレたら、こんな所で何をしてるんだ、早く魔王を倒しに行け、って言われない?

 だからダイヤ姫は誰にも言うなって言ったのか。あれは忠告だ。

 王宮には戻れないなら、一人で生きていくしかない。

 異世界人だって事も絶対にバレないようにしないといけない。

 幸い、私はかくされていたから、そんなに人には会っていない。私が異世界人だって知っている人は少ないはず。

 メイドさんからこの世界の事を色々聞いたし、なんとかなるよね。ていうか、するしかない。

 そう前向きに考えて、私は膨らんだポケットを服の上から押さえた。

 中にあるのはかわぶくろに入ったお金。

 騎士に渡された時、ずっしりと重いかんしよくからお金だとすぐにわかって、中身も確認せずに隠した。人に見られたらねらわれると思ったから。

 いくらあるんだろう、と、ポケットをのぞき込む。

 中には銀貨と銅貨がぎっしり入っていた。

 駄目だ、多いって事しかわからない。

 へいの価値は教わったからわかっている。これが結構すごい額だって事もわかる。だけど、残念ながら私には、ぱっと見た目だけでもくさんする能力はなかった。

 このトランクには何が入ってるんだろう。

 今度は手に持ったトランクに目を向ける。

 かちりと金具を外して覗いてみれば──。

 着替えだった。

 下着も入っていたから、こんな往来で堂々と広げるわけにはいかなかったけど、少なくとも今着ているようなワンピースが一着入っているのは見えた。

 着替えとお金。

 最低限の物を用意してくれたのはとりあえず助かった。身一つで追い出されても文句は言えない立場なんだから。

 ぐぅ。

 またお腹が鳴った。

 とりあえず何か食べたい。

 ううん。これからどうするか何も決まってないのに、づかいなんてできない。

 ああ、でもお腹すいた……。

 ほんの少しだけ葛藤したあと、私はあっさりと空腹に負けた。

 腹が減ってはいくさができぬって言うもんね。何か食べなきゃ。

 その時、ちょうど時刻を知らせるかねが鳴って、もうお昼すぎだという事がわかった。遅めの朝食じゃなくて、お昼ご飯になってしまった。

 それにしては、この大通りにあるレストランはどこもやっていて、お客さんが出入りしていた。

 そういえば、朝と夜にしか食べない、と言っていた。

 もしかして、お昼ご飯がないのは王族だけ?

 だったらかなり嬉しい。

 だけど、私はこれまで日本でも一人で店に入った事がなくて、足を踏み入れる勇気が出なかった。開け放たれたドアからしか店の中が見えないのもなんか怖いし。

 あんまりきょろきょろして観光客みたいにするのも危ないと思って、堂々と歩きながら、私でも入れそうな店を探す事にした。

 幸いな事に、私の見た目は周囲にけ込んでいた。黒髪が目立つ事もない。

 服を着替えさせてもらっていてよかった。あんなヒラヒラのドレスを着ていたら目立って仕方がないところだった。

 近くから肉の焼けるいいにおいがしてきて、それにつられて進んで行くと、広場に出た。

 匂いの元は、くしきの店だった。店自体はレストランだったけど、店の前にたいが出ていて、金属の串にさった大きな肉を焼いている。匂いでお客さんをる作戦なのだろう。

 看板に何か書いてあったけど、「肉」しか読めなかった。そんなの商品を見ればわかる。

 何の肉かまではわからなくて、少し不安になった。

 でも、あみの上の肉はジュージューと美味しそうな音を立てて、美味しそうな匂いをただよわせている。

「なんだい嬢ちゃん、食うか? 勇者様のかどを祝って安くしとくよ。銀貨四枚でいい」

 私がよほど物欲しそうな顔をしていたのだろう。店員が串焼きを一本差し出した。

 肉の表面はまだジューッといっていた。串にあぶらが伝い、店員の手を汚している。

 なんだか王宮の食事より美味しそう。

 口の中につばがどっとあふれてきた。

「も、もらいます……」

 答えてから、銀貨四枚は高すぎる、と思った。でももうもらうと言ってしまったし、やっぱりやめるとは言いにくい。何より、私の食欲がもう待てない。

 私は、ポケットの大金を見られないように注意して銀貨を四枚取り出し、差し出された店員の手にのせた。

 代わりに串を受け取る。

 ごくり、とのどが鳴った。

 店の前からほんの少し場所をずらし──。

「頂きますっ!」

 がぶり、と肉にかぶりつく。

「んぐ!?」

 予想外の味にむせそうになる。

 見た目から、焼き鳥のような味を想像していた。

 なのに、なのに……。

 思わず口をはなしてしまった肉には、くっきりと歯形がついている。

 その一嚙みで口の中に広がったのは、輪ゴムのような味だった。

 不味い。不味すぎる。

 これは本当に食べ物なのだろうか。

 間違って食品サンプルを渡されたのでは、と思うほどに変な味だ。

 屋台の店員を見ると、にこっと笑顔を向けられた。私も笑おうとしたけど、たぶん少し引きつってしまったと思う。

 そこに他のお客さんがやってきて、串焼きを注文する。その男の人は二本も受け取っていた。

 私と同じように少し離れてから、男の人は肉にかぶりついたかと思うと、おっ、という顔をして一度口を離した。

 だよね。美味しくないよね。何か変な味だよね?

 私はシンパシーを感じたんだけど、男の人は店員に向かって肉を軽く上げて見せると、美味しそうにガツガツと食べ始めた。

 そしてペロリと二本とも食べてしまい、さらにもう一本追加した。それもあっという間に食べてしまう。

 私は自分が手に持つ串焼きを見つめた。

 予想外の味にびっくりしただけなのかもしれない。

 おそる恐る肉の端っこに歯を立てる。

 あ、無理。

 やっぱり輪ゴムとしか言いようのない味だった。

 もしかしたらこの世界で生きていく上での一番の障害は、読み書きができない事でも何の能力もない事でもなくて、味覚のそうなのかもしれない。

 悲しいかな、食べ物をまつにしてはいけません、という両親の厳しい教えがみついていた私は、えずきながらも、その肉をなんとか食べきった。

 串はちゃんと店員さんに戻す。

 あっちの世界なら捨てる。そもそも使い捨てを前提として竹でできている。

 でもこっちは洗って使い回す。だからちゃんと戻さないといけない。戻すとちょっとだけお金が戻ってくる。メイドさんが教えてくれた。

 店員さんはウィンクをしてきた。たぶん、かったろ、って意味。私はそれに、あいまいな笑みを返す事しかできなかった。

 美味しいご飯屋さんを探そう。ご飯が美味しくないのは死活問題だ。

 私は、脳内の「生活ばんが整ったら最初にやるべきリスト」のトップにそれを刻み込んだ。

 さて、お腹も膨れた事だし、動き出さなくちゃ。

 生きていくのに必要なのは衣食住。服はあるし食は味さえ目をつぶればその辺で食べられる。

 という事は、今の私に足りないのは住まいだ。

 そして、何より、お金。

 先立つ物がなければ衣食住はできない。逆に言えば、お金さえあればどうにでもなる。

 王宮の中で仕事を探そうと思っていた私は、街で何をすればいいのか見当もつかなかった。

 まさか王宮を出るなんて思っていなかったから。

 何よりも必要なのはお金。だけど仕事を探すのにも、生活するのにも、まずはきよてんが必要だ。幸いな事に無一文ではない。

 少なくとも日暮れまでにはどこを見つけないと。

 それで……住む場所ってどうやって見つければいいの?

 そうだ、困ったらまず冒険者ギルド、ってメイドさんが言っていた。

 ゲームではクエスト受注や情報収集をするための場所だけど、この世界では、各種あつせんや相談事の対応もやっているらしい。

 何でもかんでも持ち込まれるものだから、自然と何でもやるようになったそうだ。

 みんなが使うなら、便利な場所にあるはずだ。

 でも、残念ながら広場をぐるっと囲んでいる建物の中に、冒険者ギルドっぽいのはなかった。

 人に聞けばいい、と思ったけど、知らない世界で通行人に話しかける勇気も出ない。

 きょろきょろしていると、鎧をつけた「いかにも冒険者です!」という集団が目にまった。よく見れば、そういう人たちが行き来している方向がある。

 きっとあっちだ。

 その冒険者の人たちについて行くと、目と鼻の先に「いかにも冒険者ギルドです!」という見た目の建物があった。

 開け放たれたドアからは、左手にカウンター、右手にけいばんが何枚も立っているのが見える。カウンターの前には丸テーブルが置いてあって、冒険者パーティと職員らしき制服を着ている男の人が話をしていた。

 恐る恐る足を踏み入れる。

「ご用件はなんでしょうか?」

「ひゃっ」

 突然横から話しかけられて、私はびっくりして飛び上がった。

 私の悲鳴に驚いたのか、話しかけてきた職員のお姉さんは目を丸くしていた。

「驚かせてしまってごめんなさい」

「私こそ、びっくりしすぎてしまってすみません」

「ご用件は何でしょうか?」

「えっと……住む場所を探していて……」

 お姉さんは、私の体をざっとながめた。

 ワンピースにトランク一つという格好で家を探す少女──こっちでは成人だから女、かな。どう見てもあやしい。

 街の住民なら持っているのはトランクじゃなくてかばんだろうし、この街に来たばかりというには身軽すぎる。

 だけど、お姉さんはそこには突っ込まなかった。

「住居の斡旋ですね。こちらへどうぞ」

 お姉さんは、私をいている丸テーブルに連れて行った。

「私はリーシェと申します。身分証を見せて頂いても?」

「あ……」

 あっちの世界での身分証といえば生徒手帳だった。でも持っていない。ていうかそもそもこの世界じゃ全く役に立たない。

「……持って来ていません」

「忘れただけですか?」

「……身分証を持っていません」

 怪しい。怪しすぎる。

 なのに、リーシェさんはあっさりとしていた。

「では、まずは冒険者登録をしましょう」

「私、冒険者になるつもりは……」

「本当に冒険をしなくてもいいんです。身分証を手にするには、これが一番手軽だというだけの事ですよ」

「何か、義務とかは発生しますか?」

 リーシェさんは、私の言葉が意外だったようで、少しだけ目を見開いた。

「発行料として銀貨十枚頂きます。一年ごとにこうしんりようが銀貨十五枚かかります。新しく作り直してもいいですが、それまでの実績が引きがれますし、登録期間が長い方が信用度が増すので、みなさん更新されます。その他、非常事態には協力ようせいに応じる義務がありますが、受けなかったとしても罰せられる事はありません」

 私にデメリットは何もない気がする。でも身分証を発行するという事は、ギルドが身分を保証するって事だ。ギルドに何らかのメリットがないとおかしい。

「冒険者の動向をあくしておきたいというだけですよ。やつかいごとを起こせば身分証ははくだつされ、ギルドに記録されます。それが嫌なら悪い事はできないんです」

 私の疑問は顔に出ていたのだろう。リーシェさんが答えをくれた。

 説明は筋が通っているように思える。それに、半分公的機関のような冒険者ギルドが利用者をだますとも思えない。

 銀貨十枚ならはらえる。

 それに、身分証がなければきっと何もできない。

 決めた。

「登録します」

「では登録用紙を持ってきますね」

 リーシェさんは紙とペンとインクつぼ、そして丁度生徒手帳くらいの金属のプレートを持ってきた。

「字は書けますか?」

「書けます」

 ざらざらとした感触の用紙には、名前とねんれいを書くらんがあった。文章はまだ無理だけど、自分の名前と数字くらいなら書ける。

 私は名前の欄に「セツ」とだけ書いた。王宮ではずっとそう呼ばれていて、それがこの世界で違和感のない名前だと思ったからだ。

「魔法など、何か特別な素質はありますか?」

「ありません」

「では、無しで」

 リーシェさんが示した所にチェックをつける。あっちの世界では丸で囲んでいたけど、こっちではチェックが正解だ。

 紙を返すと、リーシェさんは名前と年齢を隠すようにプレートを置いた。

 プレートには細かい模様が入っていて、一目で魔導具だとわかった。

「手の平をここに当てて下さい」

 私がプレートの上に手の平をのせると、プレート全体が光り、手をどけた時には、名前と年齢が表面に浮かび上がっていた。

「ようこそ冒険者ギルドへ、セツさん」

 この世界で、私がセツとして認められた瞬間だった。

「では、住居探しに移りましょうか。賃貸でしょうか?」

「はい」

 もちろんだ。王都に家を構えられるとは思っていない。

「ご予算はおいくらですか?」

 しまった。

 予算なんて考えていなかった。所持金だって今いくらあるのか正確には把握してないのに。

「失礼ですが、定職にはいていますか?」

「いいえ。仕事も、探せたらなって思ってて」

「何か特別な技術をお持ちですか?」

「計算なら、少し」

 正直に話すと、リーシェさんは困った顔をした。

「でしたら、まずは宿屋をおすすめします。定職についていなくても家を借りる事はできますが、基本的には前払いですから、よほど手持ちに余裕がないと難しいと思います」

 もっともだった。あっちの世界でもしききんや礼金がかかるはずだ。家賃の取りっぱぐれを防ぐために前金なのは当然だろう。

 ここはリーシェさんの言葉に従った方がよさそうだ。

「わかりました。あの、おすすめはありますか?」

「駆け出しの冒険者にお薦めしているのは、くろうしつのていです。安宿ですが、周囲の治安は悪くありませんし、入れ替わりが激しいので部屋は空いていると思います。あとで地図をお見せしますね」

「ありがとうございます」

「お仕事も探して行きますか?」

「はい、お願いします」

「定職をお探しですね?」

「はい」

「特技が計算で若い女性の定職というと……やはり売り子かレストランのきゆうあたりですね。給仕はあまりお薦めはできませんが……」

 リーシェさんはぶつぶつとつぶやきながら、席を立ち、カウンターの向こう側へと入っていった。

 給仕って、ウエイトレスだよね。なんでお薦めできないんだろう。給料がすごく安いとか?

「いま求人があるのは、給仕だけです。複数ありますが、どれも夜の仕事ですし、やはりお薦めできないかと……。いい求人が出てくるまで、やといでしのいだ方がいいかもしれません。薬草採りなんかの、誰にでもできるらいもありますし」

 薬草採りって、街の外に出るんだよね? 無理無理。モンスターが出てきても戦えないもん。

「私、何でもやります。その給仕の仕事しようかいして下さい。できたら今日から入りたいです」

「セツさんがそう言うならご紹介はしますが……」

 リーシェさんは最後までしぶっていたけど、私はギルドからの紹介状を手に入れた。せめて一番条件のいい所を、と選んでくれた。

 基本のお給料は鐘の音七つ分で銀貨三十五枚。つまり時給五枚。最初の一週間はおためし期間で、一晩で銀貨二十五枚。その他働きに応じて手当あり。夜食込み。

 思ったよりも安いけど、何もできない初心者なのだから、こんなもんなんだろう。

 リーシェさんに何度もお礼を言って、私はギルドを出た。

 次に向かうのは、黒牛の角亭だ。

 表通りから一本入った所にあって少し迷ってしまったけれど、なんとかたどり着いた。

 デフォルメされた文字で「黒牛の角亭」と書いてある……ような気もしなくもない。黒い牛の頭の看板がついているから、たぶん合ってる。

 ドアが閉まっているけど、開店中──と思われる札が下がっていた。そうじゃなくても宿屋なんだからいつでも入れるはずだ。

 ドキドキしながら木戸を押し開けると、そこはレストラン──っていうか酒場──だった。

 お客さんはいなくて、カウンターの中におばさんがいた。

「いらっしゃい」

「あの、部屋は空いていますか?」

 おばさんはじろっと私をにらんだ。

「三階の安い部屋なら」

「お願いします」

「一ぱく銀貨三十枚だよ。前払い」

「うぐっ」

 思わずうめいてしまった。

 銀貨三十枚? 一日のかせぎが三十五枚なのに? 五枚しか残らない。

「朝食つきなら三十二枚」

 残り三枚になった。昼間の串焼きも買えない。

 だけど、リーシェさんは駆け出しにお薦めだと言っていた。それならこれでも安いはずだ。

「もう少し安くなりませんか」

 私はダメ元で言ってみた。メイドさんに買い物をする時は値切れと聞いていたからだ。

「五日分前払いなら朝食分はまけて百五十枚」

「お願いします」

 じゆうの決断だった。

はらいの前に、先に荷物を置いてきてもいいですか?」

 おばさんはいぶかしげにしながらも、カギをくれた。旅館のカギみたいに木の角柱がついていて、三階の二号室である事が乱雑な数字で書いてあった。

 私は三階まで上がり、部屋に入ってカギをかけた。

 家具はベッドと小さな机だけ。王宮の部屋を見慣れていたから、あり得ないほどにせまくみすぼらしく見えた。

 だけどぜいたくは言っていられない。

 ベッドの上にトランクを放り投げ、テーブルの上にポケットの革袋の中身をぶちまけた。

 金貨が九枚、銀貨が八十四枚、銅貨が二十枚入っていた。

 串焼きの分とギルドの登録の分を入れれば、金貨十枚分入っていた事になる。

 こんな大金を持ち歩いていた事にぞっとする。

 五日で銀貨百五十枚という事は、三十三日分、約一ヶ月分の宿代をもらっていたわけだ。

 朝食と夕食は宿屋とレストランで食べられるから、お昼ご飯を我慢してお金を全く使わなければ、一日の収支は銀貨五枚のプラスだ。

 だけど、何も買わないなんて事はできない。生活するならこまごまとした物は必要だし、服の替えだってそのうち買わないといけないだろう。

 それに、その日暮らしを続けていたら、クビになった時にむ。病気になった時に収入がゼロになるかもしれない。有給があるかどうかは聞かなかったけど、期待はできなかった。

 賃貸は宿屋よりも割安なはずだ。早くお金をめて、そっちに移りたい。

 ウエイトレスだけじゃなくて、掛け持ちした方がいいのかも。

 ──私はすぐに、この考えがあまい事を知る。


 宿屋のおばさんにきっちり金貨一枚と銀貨五十枚払った私は、またギルドに戻った。

 大金を手元に置いておけないからだ。

 冒険者ギルドには銀行の役割もある。正式な銀行は他にあるけど、生活費くらいなら預けられる。

 いくら腕の立つ冒険者だって、全財産を持ち歩くわけにはいかない。

 第一、コインはすごく重い。特に金貨。見るのもさわるのも初めてのそれは、小さいのに、銀貨の二倍はあるんじゃないかっていう重さだった。一枚ずつは大した事がなくても、集まればそれなりに重くなる。

 部屋がとれた事をリーシェさんに報告したかったけど、あいにく接客中だった。

 私はカウンターに作ったばかりの身分証を出して、お金を預けたい事を告げた。

 対応してくれた男の人に少し相談し、金貨を七枚預ける事にした。もっと預けてもいいかと思ったけど、生活に必要な物を買うなら必要だろうという事だった。

 金貨が七枚減っただけで、革袋はまだずっしりとしていた。紙のお金や電子マネーはだいだった。

 その後は雑貨屋さんに行った。

 宿の部屋には何もなかったから、タオルやコップや歯ブラシが必要だ。

 せつけんも忘れない。体を洗う用じゃなくて、服を洗う用。宿屋におはなかった。こっちでは濡らした布で体を拭くのが主流だ。王宮でもそうだった。

 肩掛けの中古の鞄も買った。使い込まれて革があめいろになっている。補修したあとがいくつかあるけど、作りはしっかりしていた。

 あっちの世界では継ぎぎのある鞄なんてあり得なかったけど、ここではそれほど珍しくない。普通の人が、普通に継ぎ接ぎのある服を着ている。

 特に冒険者は千差ばんべつだ。ボロボロの人もいれば、すごく綺麗な人もいる。服や鎧はボロボロなのに、剣のさやがやたらピカピカしている人もいる。どこにお金をかけるかは人それぞれって感じ。

 他に必要な物が思いつかなくて、とりあえずここまでにした。おいおいそろえていけばいいだろう。

 最後に魔導具屋に行く。

 浄化の魔導具はひつじゆひんだ。これだけは外せない。

「ご、五十枚……」

 値段を聞いて、顔が引きつった。

 宿屋一泊分より高い。

 こんなに小さいのに! あっちの世界では水はタダで出てくるのに!

 何回使えるんだろう。ランプの魔導具が壊れた時を思い返した。

 そしてたぶんこれは中古だ。新品を売りに来るわけがない。損耗率がわかるのは魔導具師だけで、普通の人には新品も中古も見分けがつかない。冒険者たちはドロップか宝箱で魔導具をゲットしたあと、何度も使ってから売るに決まっている。

 損耗率がたまりすぎていて、もしかしたら一回しか使えないかもしれない。

 私は、店員さんがカウンターの上に出してきた複数の魔導具をぎんした。一番損耗率の少なそうな物を選ばなくちゃ。

 でも見ても触っても全然わからない。どれも同じだ。

「どれがいいと思いますか?」

「さぁ?」

 返事は素っ気なかった。店員さんにもわかっていないのだ。

 うーん、うーん、となやみまくって、結局かんで決めた。

 魔力が切れたら水も飲めなくなるので、痛かったけど、充塡用の魔石も一個買った。本当に痛かった。値切ってようやく足りたくらい。さいがすんごい軽くなった。

 ギルドの職員さんのアドバイスは正しかった。生活必需品を買うだけで思ったよりもかかった。

 店員さんはサービスで魔力を満タンにしてくれた。

 魔導具と魔石を買ったばかりの鞄の中に大事にしまって、私は宿屋に戻った。


 宿屋で部屋のベッドに座った時、時計台の鐘が聞こえてきた。バイト──じゃなかった、仕事先に行かなきゃいけない時間だ。

 直接行けばよかったな、と思いながら慌てて立ち上がり、勢いよくドアを押し開ける。

 するとそこに人がいた。

「おい!」

「わっ、ごめんなさいっ!」

 あやまりながら顔を上げると、ドアをぶつけそうになった相手は、あいいろの髪をした、私と同じくらいのとしの男の子だった。

 そいつは私の事をギロッとにらみつけると、チッと舌打ちをして、隣の部屋に入っていった。

 バンッと大きな音を立ててドアが閉まる。

 何、今の人?

 そんなにおこらなくてもよくない?

 なんとなくもやっとしたけど、悪いのは私だ。

 私は部屋のカギをかけて、仕事先に向かった。


 職場は黒牛の角亭と同じで三階建てだった。きっとここも宿屋をねているのだろう。

 店名はやっぱり読めなかったけど、リーシェさんはようせいの隠れと言っていた。可愛かわいい名前だ。

 ドアをそっと開けると、カランカランとドアについた鐘が鳴った。

「まだ開店前だよ!」

 薄暗い店のカウンターの奥から女の人の声が聞こえてきた。

「冒険者ギルドの紹介で、仕事をもらいに来ました!」

 叫んだ私の心臓は、バックバックと大きくどうしている。

 来ちゃったけど、本当にやとってもらえるのかな?

 バイトの面接にも行った事のない私は、急にきんちようしてきた。

 駄目って言われたらどうしよう。それで、どこも雇ってくれなかったら?

 足が震えてきた。

 げ出したいと思った時、カウンターの向こうに女の人が現れた。

「こっち来て顔をよく見せな」

 私はカウンターに近づいた。

 女の人が目をすがめて私を見る。

「……いいよ。今日から入れるかい?」

「はいっ! あ、紹介状!」

 女の人に紹介状を渡す。

「入っといで。仕事を教えるから」

「はいっ!」

 仕事の内容は簡単だった。注文を聞いて、ちゆうぼうに伝えて、できた料理をテーブルに運ぶだけ。

 メニューを覚えなきゃと思ったけど、三種類しかなかった。お酒もエールだけだ。

 会計はしなくていいと言われた。というか、新人にお金なんか扱わせられないんだろう。

 それだけの説明を聞いて、ギルドで条件を聞いたか確認されて、最後に名前を聞かれた。

「あんた、名前は?」

「こ──セツです」

「セツ、初めてかい?」

「はい」

「あんたも大変だね」

 おかみさん──おかみさんって言うほどおばさんじゃなかったけどそう呼べと言われた──は、ため息をつくようにして言った。

 大変って何がだろう。若すぎるって事? こっちではもう成人してるはずだけどな。

 そのうちに、他のウエイトレスさんも出勤してきた。みんな美人でびっくりしてしまった。

 店は二人掛けのテーブルが十台しかなくて、それにしてはウエイトレスさんの数が多いなと思ったけど、こっちではそういうものなのかもしれない。だからその分お給料が安いのかな?

 ウエイトレスさんたちは、そろいの制服を着ていた。私も一週間の試用期間が過ぎたら制服を作ってもらうそうだ。自腹だと聞いてショックを受けたけど、雇ってもらうんだから、と諦めた。

 新人の私には何の指示もなくて、みんなが開店の準備をしている中一人だけ何もする事がないまま、開店の時間になった。

 といっても、お客さんはすぐには来なかった。

 この店は日が落ちた頃から夜中過ぎまでやっている。だから二次会に使われるんだろう。

 だいぶってから、最初のお客さんが来た。

 常連さんらしく、店員の一人の名前を呼びつける。

 注文を取りに行かなくちゃ、と身構えていた私はひようけした。

 その後も、お客さんが来ては、他のウエイトレスさんが接客していた。私の入るすきがない。

 せめて厨房から出てくる料理を運ぼうとしたのだけど、おかみさんはカウンターの中にいる私じゃなくて、カウンターの外にいる別のウエイトレスさんに渡してしまう。

 カウンターの前で待ち構えていたら、じやだから中にいろと言われた。

 そのうち、お客さんが一人、二人と、店の奥にある階段を上がって行った。

 宿屋のお客さんだって事だ。

 そうだよね。夜遅く飲むならまっている宿屋の方がいい。ってそのまま寝られるんだから。

 早上がりの人がいるのか、いつの間にかウエイトレスさんの数が減ってきた。

 そして、ようやく私の出番が来た。

 お客さんが、ウエイトレスさんの名前じゃなくて、ただ声を上げただけだったからだ。

「ご、ご注文は、なんでしょうかっ!」

 テーブルに行った私は、緊張で喉がカラカラになっていて、つっかえてしまった。

 だけど、すでに他の店で飲んできたらしいそのお客さんは、全然気にする様子がない。

「お、新人ちゃんかい? 元気があっていいねぇ」

「ありがとう、ございます。それで、ご注文は──」

 お客さんは、肉の焼き料理とエールをたのんだ。注文票に書かなくても、間違えようがない。

 私は厨房にいるコックさんに注文を伝えた。

 エールはカウンターでおかみさんがいだ。それを受け取ってテーブルに戻る。

「どうぞ!」

「あんがとよ」

 料理も持って行くぞ!

 カウンターに戻った私は、あのお客さんは自分のお客さんだと決めて、料理ができ上がるのを今か今かと待った。

「あいよ」

 おかみさんがコックさんの作った料理を厨房から持ってくる。

 それをすかさず受け取って、私はお客さんの所に向かった。

「こちら、ご注文のお料理になります」

 あ、ついバイト敬語を使っちゃった。変な日本語だって国語の授業で習ったのに。

「お、さっきの嬢ちゃんじゃないか」

 でもやっぱりお客さんは気にしていなかった。

「ごゆっくり」

 私はあいよく笑顔を見せて、カウンターに戻ろうとした。

 その時。

「きゃっ」

 何かがおしりに当たった。

 びっくりして悲鳴を上げる。

 振り向くと、酔って顔を赤くしたお客さんがニヤニヤと嫌な笑いを浮かべていた。

 その手が私の後ろに回る。

 そして、むにっとお尻をんだ。

「やだっ!」

 私は思わずお客さん──いやらしいおじさんの手を払いのけた。

「いいだろう、触るくらい」

 いいわけない!

 後ずさりすると、おじさんは椅子からこしを浮かせて腕をばしてきた。

 気持ち悪い……!

 背中にぶるりとかんが走った。

 と、おじさんと私の間に割って入った姿があった。

 おかみさんだ。

「この子は新人なんだ。お触り禁止だよ。守れないなら出禁だ」

「あー、悪かった悪かった。もうしない」

 おじさんはあっさりと両手を上げて降参した。

「嬢ちゃんも、悪かったな」

「いえ……」

 おかみさんの後ろから首だけ出して、私は目をせた。

 本当ならかんこうで警察だ。

 だけど、こっちで警察──憲兵が動いてくれるのかわからなかったし、大事な初日に揉め事を起こしたくなくて、私は大人しく引き下がった。

 その後も何人か接客をしたけど、それ以上お客さんたちに嫌な思いをさせられる事はなく、夜中を過ぎてめちゃくちゃ眠かった事と、最後にまかないとして出された残り物が死ぬほど不味かった事を除けば、へいおんに終わった。

 全然動けなかった事をおかみさんに謝ると、今日の調子でいいと言われた。新人だから大目に見てくれるようだった。

 日当の銀貨二十五枚をもらった時は、嬉しくておどり出しそうになった。

 私が初めて自分で稼いだお金だ。嬉しくないわけがない。

 宿代を考えたら赤字だったけど、試用期間の一週間が終われば黒字になる。

 この世界でも、私はなんとかやっていけそうだ。

 仕事を終えた後、あまりの眠さにふらふらしながら店のドアを開けると、外は真っ暗だった。

 真っ暗っていうのは本当に真っ暗で、開けたドアから差す店内の明かりでいしだたみが四角く見える以外、何も見えない。

「早く出な」

「あ……」

 まごまごしていたら、おかみさんに背中を押された。

 ばたん、と後ろでドアが閉まる。

 石畳も見えなくなった。自分が地面の上に立っているのかもわからなくなりそうだ。

 こんなに暗い所にいるのは生まれて初めてだった。

 あっちの世界では明かりの消えた家の中にいても、外灯の光がわずかに入ってきていた。こっちで王宮にいた間も、王宮の周りには明かりがつけられていた。

 夜ってこんなに暗いんだ……。

 目が慣れてくると、店の扉についている看板を照らす小さな明かりや、建物の木窓の隙間からわずかに漏れる明かりは見えた。だけど、足元は全然見えない。

 せめて月でも出ていれば違うだろうに、あいにく空に月はなかった。信じられないほど星が綺麗でも、地面を照らしてくれる程の明るさはない。

 ランプが必要だった。昼間に買っておかなきゃいけなかったんだ。

 メインストリートの方向の空がぼんやりと明るい。

 私は鞄のかたひもを両手で握りしめた。

 割れた石畳につまずかないように、手で建物の壁を触りながら、すり足でゆっくりと歩き始める。

 曲がり角まで来たところで、おかみさんにランプを借りれば良かったと思った。

 夜中過ぎ。メインストリートから二本も離れた場所。周りには誰もいない。明かりもない。

 女が一人で歩いていい場所じゃない。安全なあっちの世界でも行ってはいけないような場所だ。

 駄目だ。やっぱり戻ろう。

 その時、角の向こうから明かりが近づいてきたのが見えた。

 コツコツと足音も聞こえてくる。

 怖い……。

 急いで店に戻ればよかったのに、私は足がすくんで動けなくなった。

 ぬっと目の前にランプの明かりが差し出され、目がくらむ。

「あ? お前、こんなとこで何やってんだよ?」

 明かりの中に見えたのは、宿屋を出る時に会った藍色の髪の男の子だった。

「まあいいや」

 私が固まっていると、その男の子は、ふいっと顔をそらして私の横を通り過ぎようとした。

「待って!」

 私は男の子の腕にしがみついた。

「黒牛の角亭に連れてってくれない? ううん、大通りまででいいから」

「は? なんでおれがそんな事」

 男の子はめいわくそうに顔をゆがめた。

「お願い。ランプがなくて困ってるの」

「はぁ?」

 意味がわからない、という顔をされた。

 そりゃそうだ。こっちの人にとっては、夜に明かりを持っていないなんて非常識すぎるだろう。

「こ、壊れちゃったの! 予備も持ってなくて!」

「間抜け」

 ぐっ。

 悔しいけど、その通りだった。本当はランプ自体を持っていないんだから、もっと間抜けだ。

「あんたの事情なんざ、俺には関係ない」

「そんな事言わずにお願い。放っておいて私が誰かに襲われたら、めが悪いでしょ!?」

 私は顔の前で手を合わせておがんだ。

 男の子は私の顔をじっと見た。

 お願い! と目で強くうつたえる。

「……ったく。わかったよ。来い」

「ありがとう!」

 男の子はくるりときびすを返して、早足で歩き始めた。

 置いて行かれそうになった私は、小走りで男の子の後をついて行った。

 大通りに近づくにつれて、ぽつぽつと明かりが見えてくる。

 宿屋やまだ営業中の酒場の数が多くなり、看板をほんのりと照らす明かりだけでも、だいぶ周りが見えるようになった。

 大通りに出てしまえば、弱々しいながらも外灯があった。

 思ったより人通りもあった。でもほとんどが酔っ払いだ。一人でふらふらと歩いていたり、仲間と大声を上げている人たちもいる。

 見回りをしている二人組の憲兵も見かけた。さわいでいる酔っ払いに声をかけている。それでも、私が一人で歩くのは勇気がいる感じだった。

 一人きりの女の人は、みなフードをかぶって足早に通り過ぎていく。

 治安がすごく悪いようには見えないけど、油断するとトラブルに巻き込まれてしまいそうだ。

「ほら、着いたぞ」

 大通りまででいいって言ったのに、男の子はわざわざ宿屋まで連れて来てくれた。

「ありがとう。いつまで宿にいるの? お礼は──」

「いらない」

「それじゃ悪いよ」

「いらないって言ってるだろ。気にするな。ガキはさっさと寝ろ」

 大して歳変わらないでしょ、と思ったけど、恩人に文句は言えない。

 私は男の子が元の方向に戻って行くのを黙って見送った。

 ランプの明かりが遠ざかっていって、また心細くなる。

 明日からどうしよう。この道を一人で戻って来なくちゃいけない。

 リーシェさんがお薦めできないって言った理由が、ようやくわかった。

 でも他に仕事はないし……。

 うん、このまま続けるっきゃないよね。

 宿屋の中はうっすらと明かりがついていた。豆電球みたいな明るさだ。

 レストラン部分のテーブルや椅子にぶつからないように注意して階段に向かい、ギシギシと音を立てながら階段を上がる。

 三階まで上がって部屋に入り、入り口横を手でさぐると、スイッチがあった。

 それをひねるとパチンと音がして、てんじように取り付けられている明かりがついた。

 私はほっと息をついた。

 ずいぶんと長い時間、暗闇の中にいたような気がする。

 ランプだ。ランプを買わなくちゃ。あとフード付きの上着も。

 寝間着は持っていなかったから、服を脱いで、コルセットをゆるめ、下着姿で布団にもぐりこんだ。

 板の上に寝ているんじゃないかって思うくらいベッドが硬くて、シーツがガッサガサだったけど、くたくたになっていた私は、すぐに眠りに落ちた。


 ドンドン!

「んぁ?」

 ぐっすりと寝ていた私は、ドアをたたく音で目が覚めた。

 一瞬どこにいるのかわからなくなる。

 ああ、そっか。昨日、王宮を出て宿屋に来たんだ。

 起き上がる元気がなくて、ベッドから転がり落ちるようにして床に降りた。

「いてて……」

 体が固まってしまったように痛い。ベッドが硬かったからだ。

 ドンドン!

 ドアがまた強く叩かれる。

「はーい。今、開けます」

 あ、服着てない!

 下着姿なのに気づいて、椅子にかけていたワンピースを頭から被り、ようやくドアを開けた。

 ドアの前には、ひげをはやしたおじさんが立っていた。

 パン二つとスープのったトレーを持っている。

「次来なかったら片付けちまうぞ」

 ん、とトレーを突き出され、反射的に受け取った。

「えと、あの、これっ」

「朝食だ」

 おじさんはそれだけ言って階段の方へと戻って行った。

 朝食。なるほど。

 という事は、宿屋の人か。私が朝食をすっぽかしそうになり、わざわざ届けてくれたんだ。

「ありがとうございます!」

 階段を下りようとしていたおじさんに声をかけると、おじさんは背中を向けたまま片手を上げた。

 部屋に戻り、トレーをテーブルに置いて、さっそく頂く事にする。

 起き抜けで顔も洗ってないけど、それよりもまずご飯だ。急いで食べなくちゃいけない。

 なぜなら……冷めると不味くなるから。

 期待はしていなかったけど、王宮で出たのよりも黒い色のパンはカチカチだった。

 スープは野菜の欠片かけらがほんの少し入っているだけだ。茶色い色はついているから、味はありそう。

 パンは私の握力だとちぎるのは不可能なので、そのままスープにつっこんで水分を吸わせる。

 ふにゃふにゃになったところでガブリ。

 う……。

 とても酸っぱい、独特の味だ。知ってた。昨夜仕事先で出てきたから。

 そしてこのスープ。

 味はあるけど、なんとも言えない。喉に引っかかるような感じがして、後味がずっと舌に残る。

 前払いじゃなければこれで銀貨二枚。

 慣れるしかないのかな……。

 昨日何もせずに寝てしまったので、水はない。それも自分で用意しなくちゃいけなかったんだ。

 私は喉に詰まらせそうになりながら、パンを口の中に押し込んでいった。

 その後、動かなくちゃいけないのはわかっていたけど、食べたら眠くなってしまって、結局私が活動を開始したのは昼過ぎだった。

 夕方の仕事までにランプと上着を買いに行かないといけない。体を拭いて、せんたくもしないと。

 宿屋のおじさんに聞いてみると、水は裏手のを好きに使っていいらしい。

 ただし、タライを借りるのは有料との事だった。

 しぶしぶ銅貨五枚を払った。タライも買わなきゃ。

 そして洗濯は無事終えたものの、今度は干す場所がない。

 部屋の壁を見ると、ロープを張るためのフックがついていた。

 ロープと洗濯ばさみも買う事にする。

 あとトイレの紙も!

 共用のトイレには紙は一応あったけど、紙っていうより、木を薄くけずったような物だった。使い続けるのは難しい。

 トイレの汚さは……ひつぜつに尽くしがたい。


 朝起きて朝ご飯を食べ、体を拭いて洗濯をし、必要なら買い物に行って、夕方までみんを取ってから仕事に行く。途中で賄いを食べて、仕事が終わったら、暗闇の中ランプの光で宿屋に戻り、すぐに寝る。

 そんな生活が一週間続いた。

 そして、私の試用期間も終わった。

 お給料が正規の銀貨三十五枚になり、制服を手に入れた。

 自腹だと聞いていたけど、前にいた人が置いていったのがあって、それをもらったのだ。

「似合うじゃないか」

 そでを通すと、おかみさんがめてくれた。

「じゃあ、今日からしっかり頼むよ」

「はい!」

 制服を着ると、レストランの一員になれたような気がした。

 他のウエイトレスさんにも、頑張って、と声をかけてもらった。

 やる気は最高潮だ。

 ドキドキしながらお客さんが来るのを待つ。初日ほどではないけど、緊張していた。

 でも、お客さんの反応は特になくて、他のウエイトレスさんが呼ばれていく。

 そんな時、お客さんに呼ばれたウエイトレスさんが、私の所にきて言った。

「ご指名だって」

「え?」

 おかみさんの顔を見ると、小さく頷かれた。

 やった! 初めてお客さんがついた!

 喜んで、告げられたテーブルへと向かう。

「あ……」

 私を指名したのは、初日に私のお尻を触った、あのおじさんだった。常連さんで、あれからもよく見かけていた。

 複雑な気持ちだったけど、それでも、働きぶりが認められたようで嬉しかった。

「お嬢ちゃん、名前は?」

「セツです」

「セツちゃんか。俺がセツちゃんの最初の客だぞ」

「ありがとうございます!」

 おじさんは、がはは、と笑った。


 おじさんがご飯を食べ終えて、おかみさんにお金を払ったあと、見送ろうと思って近づくと、おかみさんにカギを差し出された。

「二階の一番手前だ」

 こそりと耳打ちをされる。受け取ったカギには二〇一と書いてあった。

 おじさんの部屋なのだろう。

 宿泊客だったんだ。今まではいつも食べたら出て行ってたから、街の人なんだと思っていた。今までは他の宿に泊まっていたのが、今日からここに泊まる事にしたのかな。

 にしては、荷物を持ってない。もう部屋に置いてあるのだとしたら、なんでカギがここに?

 よくわからないまま、部屋まで案内しろと言われたのだと理解して、私はおじさんを先導した。

 奥の階段を上がっていく。そういえば二階に行くのは初めてだ。昼間のそうは誰がやっているんだろう。夜のウエイトレスじゃなくて、そっちの仕事の方がいいな。

「こちらです」

 やけに重たいドアを開けて、おじさんを中に入れる。

 中はベッド、背の低いたな、丸テーブルと椅子が置いてあった。

 私の泊まっている宿と家具の種類は同じだけど、それよりは高級な宿なのだという事はわかった。ベッドカバーがかけられているところからして全然違う。

「ごゆっくりどうぞ」

 カギをベッド脇の棚の上に置き、一礼をする。

 すると突然、おじさんがきよを詰め、抱きついてきた。

「きゃっ」

 驚きで固まって動けないでいると、おじさんが背中に回した手をさまよわせる。

「ちょっ、何するんですかっ!」

「初めて見た時から可愛いと思ってたんだ。最初の客になれてよかったよ」

 私はおじさんの腕の中からのがれようとしたけど、がっちりとこうそくされていて身動きがとれない。

「怖がってるのか? 大丈夫。やさしくするさ」

「やめて下さいっ!」

 おじさんは私をベッドの上に押し倒した。

 耳におじさんのあらい鼻息がかけられる。

 お酒の匂いがした。

「やだっ」

 必死で抵抗したけど、おじさんの力は強かった。

 腕を頭の上でまとめられ、ひざを足で割られる。

「セツちゃん、可愛いねえ」

「ひっ」

 べろりと耳をなめられた。

 そして胸に手がかかる。

「やだっ」

「ここまできて抵抗するなよ。わかってて来たんだろ。大丈夫。おじさんは慣れてるから」

 その言葉にはっとした。

 リーシェさんが渋った理由。担当のウエイトレスさんがいて、夜遅くなるにつれてだんだんいなくなる意味。初めての客という言葉。

 ここは普通の宿屋じゃない。売春宿だ。

 おかされる……!

「私はそういうんじゃないっ! 知らなかったの! やめてっ! やだっ!」

「そりゃよっぽどの箱入りだったんだな。夜に給仕をするって事はそういう事だろ。もう金は払ったんだ。大人しくしろ」

「いやっ! やだっ!」

 私はめちゃくちゃに暴れた。

 だけど、おじさんの力は強くて、のし掛かられた体の下から抜け出す事ができない。

「誰か来てっ! やだっ!」

「うるせえ! 黙れっ!」

 バシッと音がしてほっぺたが熱くなり、耳がキーンと鳴った。

 なぐられた──。

 その衝撃にびっくりして、再度体が固まった。

 怖い。

「じっとしてれば痛い事はしねえからよ。俺は優しいって言ってるだろ」

 また殴られると思ったら、動けなくなった。

 涙が浮かんでくる。

 おじさんの手がスカートの中に入ってきた。

 足を閉じたくても、おじさんの膝が邪魔で閉じられない。

 怖い。怖い。

 するりと太ももをなでていくガサガサの手が気持ち悪い。

 いやだ。いやだ。いやだ。

 私は歯をぎゅっと食いしばった。

 涙が横に流れていく。

 おじさんの手があしの付け根にれそうになった時、不快感が殴られるきようを上回った。

「いやぁっ!」

 もう一度がむしゃらに暴れると、油断していたおじさんのかんに、ね上げた私の足がクリーンヒットした。

「がっ」

 おじさんは股間を押さえ、私の胸の上に頭を落とす。

 腕の拘束が解けた私は、おじさんを横に押しのけい出した。

 転がり落ちるようにベッドから下り、ドアに飛びつく。

 一瞬振り向くと、立ち上がったおじさんがおにぎようそうで私に手を伸ばしてきていた。

「このろうっ!」

 ほとんど体当たりでドアを開け、廊下に飛び出す。

 階段を駆け下りて一階へ。

「たすけ──」

 カウンターの中のおかみさんに助けを求めようとした時、後ろから叫び声がした。

「逃げた! つかまえろ!」

 おかみさんの顔色がさっと変わった。

 駄目だ。

 おかみさんは味方じゃない。

 店にいた男たちが立ち上がり、私を捕まえようと腕を伸ばしてきた。

 捕まったら無理やり犯される。

 いやだ。怖い。

 私は男たちの手をかいくぐり、外へと転がり出た。

 何も見えない。

 地面を見失い、つんのめる。

 石畳に手をついて体を起こし、足を前に進めた。どっちに進んでいるのかもわからなかったけど、両手を前に出して早歩きをする。

「逃げた!」

「捕まえろ!」

「あの野郎許さねえ!」

 後ろから明かりとり声が聞こえてくる。

 怖い怖い怖い。

 と、その時。

 突然ぐいっと体が横に引っ張られた。

「っ!」

 壁に体を押しつけられる。

 叫び声を上げようとしたけど、口をふさがれて声が出ない。

 怖い! いやだっ!

「んー! んーっ!」

「落ち着け! 俺だ! 暴れるな!」

「んーっ!」

「俺だって!」

 え……。

 押し殺した声には聞き覚えがあった。

 姿は何も見えなかったけど、確かに隣の部屋の男の子のものだった。

 私は暴れるのをやめた。

「手を離すぞ。叫ぶなよ?」

 こくこくと頷く。

 かれは私の口から手を離した。

「お前、またランプなしで何やってんだ」

「えと、私……っ」

 知っている顔に会って気が抜けた事で、引っ込んでいた涙がぽろぽろとこぼれてきた。

 大丈夫だ。この人は怖くない。

「うっ、えぐっ」

「おい、なんで泣くんだよ。まいったな……」

 困惑はしつつも、彼は私の言葉をじっと待ってくれている。

 私は泣きながら、今あった事を話した。

「知らずに売春宿で働いてたって、アホじゃねぇの」

 はっとした。

「私っ、戻らなきゃ……っ」

 冷静になってみると、悪いのは私だった。逃げたと言われてもおかしくない。

「戻る必要なんてねぇだろ。嫌ならバックレちまえよ」

「そんな無責任な事、できないよ。それに、服も鞄も……」

 はぁ、と彼はため息をついた。

「なんで俺がこんな事……」

 ぶつぶつと何か言っている。

「話つけてきてやるから、ここで待ってろ」

「え?」

「いいか、大人しく待ってるんだぞ?」

 はなさきに指を突きつけられ、私が何か言う前に、彼の気配が遠ざかっていった。

 少し離れた所で、明かりがついたのが見えた。

 しばらく暗い中でじっとしていると、何をどうやったのか、彼は私の私物を持って戻ってきた。

「ありがとう……ぐすっ」

「気にするな」

「でも──」

「気にするなって言ってるだろ」

 彼は私を黒牛の角亭まで送ると、暗闇の中へ消えていった。

 まだ一週間前のお礼もできていないのに、追加で大きな借りを作ってしまった。

 の事は言えないけど、こんな夜中に外にいるなんて、一体何をしているんだろう。

 私みたいに、夜遅くまでやってる店で働いているんだろうか。

 私服だったから憲兵の見回りではないだろうし……。

 それとも単に夜の散歩?

 何にせよ、彼は赤の他人の私を助けてくれた。

「やっぱり何かお礼がしたいな。迷惑かな」

 宿屋の扉を開けながら、私はぽつりと呟いた。


*****


 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 森の中で、私はぴぃぴぃと小さく鳴くリスのような生き物に囲まれていた。

 シマリスという名前の生き物だけど、あっちの世界のシマリスとは違う。

 背中と尻尾しつぽだけじゃなくて全身がしましまだ。その色は緑と茶色。そして尻尾は二本ある。するどい前歯の代わりにギザギザとしたサメみたいな歯が生えている。主食は木の実ではなく肉。集団でりをする。

 つまり、今日のご飯は私だ。

 私の手にはナイフが一本。果物ナイフくらいの小さな物。

 いつせいに飛びかかられたらどうしようもない。

 絶体絶命のピンチってやつだった。

「薬草採りなんて来るんじゃなかった……」

 冒険者にはならないと決めていた私が薬草採りのクエストを受けたのは、二日前、売春宿から逃げ出したのがほつたんだった。


 逃げ出した翌日、私は朝一番で冒険者ギルドに行った。

 案の定、リーシェさんには困った顔をされた。

「ちゃんと説明しなかったこちらも悪いのですが……なんであれ仕事をほうしたのは良くなかったですね」

「はい」

 私はうつむいた。

 いくら知らなかったとはいえ、こっちの世界では当たり前の事なのだ。あっちの世界で、ファミレスのウエイトレスさんのお尻を触ったら、痴漢行為で警察を呼ばれるのと同じくらい。

「あちらから厳しいしよばつを希望する申し立てはありませんでしたが、ギルドとしてはペナルティを科さない訳にはいきません」

「はい……」

 ギルドの信用を損ねたのだから当然だった。

「といっても、セツさんは最低ランクですから、ランクを落とす事はできませんので、しばらく職や住居の斡旋など、ギルドのサービスの利用を制限いたします。次のランクに上がるための条件も厳しくなります」

「はい」

 何も文句は言えない。身分証を剝奪されないだけマシだった。

「制限を解くにはギルドにこうけんして頂く事になります。手っ取り早いのは、冒険者用のクエストをこなして頂く事です。ご紹介しましょうか?」

「お願いします」

 そうしてお薦めされたのが、薬草採りだった。ゲームでもラノベでもお馴染みの、誰にでもできる簡単なお仕事だ。

 採取場所への行き方から、採る植物のしようさい、途中出くわす可能性のあるモンスターなど、リーシェさんはくわしく教えてくれた。

 一緒に行くパーティも紹介してくれると言われたけど、それは断った。また私の常識のなさでトラブルになるのが怖かったから。

 薬草を採りに行く森は遠い。徒歩だと片道二時間かかるらしい。

 今からでも往復はできるけど、移動だけで一日が終わってしまう。早朝に出発しないと駄目だ。

 それに、その時間なら、ちょっとお金を払えば、かいどうを行き来する乗り合い馬車や荷馬車に乗せてもらう事もできるそうだ。帰りも行き会えば乗せてもらえる。

 その分稼ぎは減ってしまうけれど、二時間も歩ける自信がない。採取以前に、森にたどりつけない可能性が高かった。

 私は明日の早朝に出発する事に決めて、ギルドを出た。

 そして向かったのは雑貨屋さん。

 採った物はいつもの肩掛け鞄に入れる事にして、採取のためのナイフを買う。薬草のいくつかはくきが硬くて、手では引き千切れないらしい。

 お店の人に相談すると、初めてならあまり大きなナイフは使わない方がいいと言われた。使いこなせなくて怪我をするのだそうだ。

 私は果物ナイフサイズのナイフを買う事にした。リンゴの皮をむくくらいなら家でもやっていたから、全く馴染みのない物でもない。

 つかは木でできていて、かわひもが巻いてある。鞘は革だった。装飾が彫ってある物もあったけど、一番安い、無地の物を買った。

 次に魔導具屋さんに行く。護身用の魔導具を買うのだ。

 薬草採りに行くと言うと、せんこうだんを薦められた。その名の通り、スイッチを入れて投げると閃光を発するらしい。

 えん弾もあったけど、取り扱いが難しいし、森の中では使いにくいと言われた。火傷やけどするのは嫌だし、燃え広がるのも困る。

 初心者向きの森なら、閃光弾でモンスターをひるませれば逃げられるという事だった。

 浄化の魔導具やランプの魔導具と違って、こういう使い捨ての、使ったら消えるタイプの魔導具は安い。ノーマルドロップのアイテムだからだ。

 金欠の私でも複数買える値段だった。

 だけど、問題が一つあって、この使い捨ての魔導具にはハズレがある。不発に終わる事があるのだ。投げてもただ消えるだけで終わってしまう。

 確率は大体五個に一個。結構高い。とっさに投げて不発だったらどうするんだろうと思いながらも、そういうものなのだからそうなのだと受け入れるしかなかった。

 稼ぐ前の初期投資としては痛かった。でもモンスターは怖い。

 いくら弱いモンスターばかりだって言っても、人間はだと犬にも勝てないくらい弱っちい生き物なのだ。私がナイフを使いこなせるとはとても思えないから、モンスターが向かってきたら、逃げるしかない。

 アリにだって嚙まれたら痛いのだ。野生動物モンスターなんかに嚙まれたら、ばんそうこうじゃ済まない程度の怪我をする。

 とうてき弾はもちろんしんちように選んだ。

 といっても、やっぱり全然違いはわからなかった。じっと見つめて、重さを比べて、なんとなくこれかなって思うのを五個買った。


 次の朝、荷馬車の端っこに乗せてもらって、森に来て、薬草を採取していたわけだけど──探すのに夢中になりすぎて、気づいたらシマリスに囲まれていた。

 左にいたシマリスが、突然飛びかかってきた。ガブリとがいとうに嚙みつかれる。

「わわっ」

 慌てて払おうとしたけど、しっかりと嚙まれていて、そのくらいじゃ離れない。

 私は左手でどうたいをつかんだ。

 思ったよりも硬い毛と、皮がぐにっと動く感触、そして生き物の体温を感じた。

 引っぺがそうとしたら、びりっと嫌な音がして布が破れた。

 ううっ。仕方ない。

 私は思い切って手に力を込めた。硬いろつこつの形が伝わってきた。

 シマリスは、ビィと苦しそうな声を上げて、口を離した。

 それをどうしようかと迷う。

 本当なら、右手のナイフで殺さなくちゃいけない。だって私は襲われているんだから。

 だけど、私はやらなかった。生き物を殺すなんてとてもできなくて。

 周りのシマリスたちは、ピィピィと鳴きながらジャンプしている。

「えいっ」

 私は手の中のシマリスを投げた。できるだけ遠くに。

 何びきかがそれを追っていった。

 そうだ、閃光弾。

 ここにきて、私はようやく閃光弾の存在を思い出した。

 手探りで鞄から取り出して、スイッチを入れる。

 それを足元に叩きつけた。

 私の想定では、ピカッと強い光が生まれるはずだった。

 なのに、光った気配はなかった。

 つぶった目を開けると、シマリスたちは後ろに飛び退いてはいたものの、目をやられた様子はない。

 不発!?

 私はすかさずもう一個取り出して、同じように叩きつけた。

 だけど──それもまた不発だった。

「なんで!?」

 五個に一個の不良品を、二回続けて引いてしまった。確率でいったら五分の一かける五分の一で二十五分の一。つまり四パーセントだ。

 ……そんな計算してる場合じゃない!

 投擲弾になんの効果もない事がわかったシマリスたちは、私に近づいてきた。

 けいかいしていた様子がなくなっている。

 やばい。

 私はもう一個魔導具を使った。

 結果はまたも不発。〇・八パーセントになった。

「なんで!?」

 そんな事ってある!?

 正面のシマリスがジャンプしてきた。

「やだっ」

 私はナイフを持った手を振り回す。

 その腕が運良くシマリスに当たり、シマリスはっ飛んでいった。

 だけど、次の一匹がまた飛びかかってきて、腕に嚙みつかれた。

いたっ」

 上着とワンピースを通して、きばの感触が腕に伝わってくる。直接じゃないけど、それなりに痛い。

 残りの閃光弾はあと二つ。

 私は立て続けにそれを使った。

 それでも……やっぱり不発だった。

 もう何パーセントの確率かわからない。

 手が尽きて絶望した時。

 ピィィッと鋭い鳴き声がしたかと思うと、シマリスが一斉に飛びかかってきた。

「痛っ!」

 所構わず嚙みつかれる。

 上着と鞄はいいけど、問題は脚だ。薄いワンピースをかんつうして膝上に牙が食い込んだ。

「痛いっ!」

 私は無我夢中でシマリスを引きがしにかかった。

 脚に嚙みついたシマリスの胴体をぎゅっと強くつかみ、力任せに引っ張る。もう相手が生き物だなんて考えている余裕はなかった。

「あぁっ!」

 嚙みついたままのシマリスを引っ張った事で、脚の肉がちぎれた。

 血があふれ出して服ににじむ。

 切り傷でもり傷でもない。肉を嚙みちぎられるという未体験の痛みは、衝撃的だった。

 つかんだシマリスを地面に叩きつける。ギャァという嫌な鳴き声が聞こえてきたけど、もう何も感じない。

 嫌だ。怖い。死にたくない。怖い。

 私はパニックになっていた。

 握りつぶすようにシマリスを引っ摑んでは、次々に地面に叩きつけていく。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 すべてが終わった時には、辺りは血まみれだった。

 地面に横たわるシマリスから、放射上に赤い血が飛び散っている。こぼれているのはがいこつの中身だろうか。

「ぐぅっ」

 その光景を見て、吐き気がこみ上げてきた。その場で体をかがめて胃の中身を吐き出す。

 脚が痛い。胃酸で焼けた喉が痛い。

 私の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

「もうやだぁ……」

 なんで私がこんな所にいなきゃいけないの。

 何の能力もなくて、何もわからないまま放り出されて。

 おうちに帰りたい。

 お母さん。お父さん。お兄ちゃん。助けて──。


 どんなに願っても、助けなんて来るわけもなくて。

 私はその場にうずくまってぐしぐしとしばらく泣いた後、よろよろと立ち上がった。

 このままここにいたら、血の匂いにかれて他のモンスターが来るかもしれない。

 すん、とはなをすすってから涙を拭いて、脚にハンカチを巻いた。

 傷はそんなに深くなかった。足首まで伝った血は固まり始めている。

 私は地面に落としていたナイフを拾い上げ、街道に向かった。

 薬草採りを再開する気にはなれなかった。

 こんな危ない所には一秒だっていたくない。

 途中、ガサッとしげみから音がするたびに、びくっと肩が震えた。

 神経をとがらせすぎた私は、ようやく街道に着いた頃にはもうへとへとだった。街道は安全だと聞いていたから、安心してその場にくずれ落ちる。

 ちょうどそこに荷馬車が通りかかったのは本当にラッキーだった。

 途中で採取をやめてしまった薬草の引き取り価格は、使い切った閃光弾はおろか、往復の移動代にも満たなかった。


 シマリスのせいで街の外がトラウマになった私は、街から出られなくなった。

 必然的に冒険者のクエストは受けられない。

 かといって、ギルドの信用を回復できていない私は、長期はもちろん日雇いの仕事も紹介してもらえなかった。

 街角にあるしゆうり紙を見ておうする事も考えたけど、ウエイトレスの仕事がトラウマで、ギルドを通さない仕事を受けるのは怖かった。

 いつさいの収入がないまま、生活費が出ていくだけの日々が過ぎた。何も買わなくても、ご飯を朝だけにして水でしのいでも、宿代だけはかかっていく。

 もっとランクの低い宿にするのもまた怖い。

 王宮に戻る事も考えた。頼み込んだら、何かさせてくれるかもしれない。

 だけど、ちょっと王都の外に出るだけで死ぬ事もあるくらい、命の軽い世界だ。ダイヤ姫の命令に逆らったら、最悪けいになるかもしれない。

 何をするにも悪い事が起こるような気がして、私は身動きがとれなくなった。

 そういう時に限って、買いえたばかりの浄化の魔導具が立て続けに壊れる。

 でも水がなければ生きていけないし、汚い水を飲んでお腹を壊し、死ぬんじゃないかという思いを味わっては、新しく買う以外にせんたくはなくなった。

 減っていくばかりの預金をギルドに下ろしに行った時、そんな私を見かねてか、リーシェさんが声をかけてくれた。

「セツさん、ちょうどギルドで人手を探しているんです。お給料は安いですが、何もしないよりはいいかと。やってみませんか?」

「ごめんなさい。冒険者のような事はできないです」

「内勤なので大丈夫ですよ。気をつけていれば安全な仕事です」

「私に紹介してくれるんですか……?」

「ええ、これはギルドからの募集で、仕事の斡旋ではありませんから」

 優しく言われたけど、私は簡単には頷けなかった。

 たぶん破格のおさそいだ。

 だけど、また前のような事が起こったらどうしよう、という思いがぬぐえない。

「詳しいお仕事の内容をお話ししますね。それから決めて下さっていいですよ」

 リーシェさんが言うなら、話だけでも聞いてみよう。

「お願いします」

 リーシェさんは私を二階にある部屋に連れて行った。

 その部屋には魔導具のたくさん入った箱が積んであった。

「お仕事は、魔導具の仕分けとカウントです。冒険者さんたちが持ち込んだ魔導具を種類ごとに仕分けして、どれが何個あるか数えて頂きます。火炎弾はご存じですか?」

「はい」

「そういった攻撃用の魔導具もあるので、取り扱いには注意が必要です。ですが、さっきも言った通り、気をつけていれば危険はありません」

 それなら、私にもできる気がした。

「正直、本当に少ししかお給料を出せなくて、なり手がいないんです。これまで職員が片手間にやっていたんですが、一人抜けてしまって、ここまで手が回らなくて……。モンスターが増えた事で、持ち込まれる魔導具の数も増えていますし」

 告げられたお給料はすごく安かった。宿代にも全然足りない。

 だけど、贅沢は言っていられなかった。ただ部屋に閉じこもって時間とお金をろうしていくだけの毎日よりは、ずっといい。

「私、やります」

「助かります。この仕事も実績になりますので、働きぶりによってはまたお仕事をご紹介できるようになりますよ」

「ありがとうございます」

 こうして、私はギルドで魔導具の仕分けをする仕事を始めた。

 預金が底をつくのが先か、私の仕事が評価されるのが先か。もうこれしか生きる道はなかった。

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