鍋で殴る初陣



 夕日の差しむ教室で、その場に似つかわしくないがみ然とした女がたんたんと告げた。

「一度失った命をよみがえらせるというのは、転生先がたとえ異世界であってもてんびんり合いません。よってあなたはぞんの命とすりわるかたちで転生を果たします。転生先の命は同い年、ほぼ同じ外見、おやぐうぜんにも名前の読みも同じですね。職業は──ぼうけんしやギルドの見習い、絶賛戦争中」


    ◆


 きようれつしようげきで回想から引きもどされる。左手で空にかかげたなべぶたに深々と矢がさり、その矢先が蓋を突き抜けて、ぼくの右目の数ミリ手前でギリギリ止まっていた。

「ひえっ」

 情けない悲鳴を笑ってか、革の裏に鉄小札を留めた鎧ブリガンダインを着込んだ男が口角をゆがめながら僕をどやす。

「良いぞ見習い、だが次はしっかり見て受けろよ。身体からだに当たったらそくめいしようだからな!」

 見れば自分はまつなチュニックしか着ていない。確かに鍋蓋をやすやすとかんつうした矢が当たればひとまりもあるまい。そして自分の右手には鍋がにぎられている。

「なんで」

 こんな装備で、戦争に?

「なんでッてお前、布の鎧ギヤンベゾンすら買えなかっためえかせぎのせいだろうがよ。ま、この戦争で少しは稼げるだろうさ。つう見習いッてのはお前みたいな装備でゴブリン退治に出て戦死するのがオチだが、幸運……せいしや来るぞ!」

 空を見上げれば、風切り音を立てながら矢が打ち上がり、の雨となって降り注ぐのが見えた。

「こんなことに!?」

 いのるように鍋蓋を天に掲げた。


 ほとんせき的に矢のぼうぎよに成功した僕は、ぼうぜんとしながら周囲をわたす。自分が居る集団は戦列のよくに位置しているようだ。おそらくこの集団があの女神の言っていた「冒険者ギルド」なのだろう。最前列を戦士風の男女たちが固め、そのすきから弓使いやほう使つかい風の者たちがこうげきの機会をうかがっている。僕はブリガンダインの戦士の左後方……すなわち戦列の結構前にいる。みぎどなりには魔法使い風の少女がつえを握りしめ、戦士のかたしに攻撃の機会を窺っている。少女と目が合うと、不信感に満ちた目でにらまれた。きらわれてる? なんで!?

 とつぜんの敵意に殆ど目をらすようにして、さらに周囲を見渡す。……僕たちの左側、最左翼はへいの群れ。右側、戦列の中央は歩兵がいて、最前列はプレートアーマーで身を固めた者たちがちらほらいるが、それ以降列が下っていくと装備はお粗末なものになってゆく。め物をした厚手のコート──あれが布の鎧ギヤンベゾンというやつだろう──を着ている者はまだ良くて、いかにも中世風な服そのままの者たちが殆どだ。こんぼうやナイフを握りしめている点で僕より上等だが。鍋を武器にしているのは僕しか見当たらない。

 右翼側は僕たちの位置からは見えない。そこでやっと前を向いてみると、両軍のクロスボウを持った者たちが前進し、激しいち合いを展開していた。このしやげき戦はこちらが優勢に進めているようだ。

「はん、クロスボウの撃ち合いでおれたち都市側に勝てるわけねェだろうが」

 ブリガンダインの男があざけるようにして言う。

「……都市の方がクロスボウの質が良いんですか?」

 恐る恐る聞いてみると、男は視線を前に向けたまま答えてくれた。

「質はどっこいどっこいかねェ。だが見てみろ、数がちがうだろ? ここはクロスボウの産地なんだよ。民兵隊に供給出来る程度には余ってる」

 り返ってみれば、確かにそこにはかべに囲まれた街があった。僕たちはここの市民なのか? そして言われてみれば、数のうえでこちらのクロスボウ兵は敵をあつとうしていた。次々と地面に設置されたたてかいし、かくれていたクロスボウ兵を撃ち殺してゆく。殺して……?

「ヒッ……」

 人の死を直接見るのは初めてだ。遠目とはいえ、頭を、胸をつらぬかれあわいてたおれる男女、それを直視してしまった。映画では見たことがある、しかし実際に目の前で人の命が失われてゆくのを見るのは初めてだ。

「なんだァ、人死を見るのは初めてか? まあすぐに慣れる。なんせそろそろ俺たちの出番だからな、気合い入れろよ」

「え?」

 味方のクロスボウ兵は敵のクロスボウ兵をらしたあと、歩兵戦列に射撃を加え始めた。すると敵は撃たれっぱなしを嫌ってか前進してきた。てきがいしんに満ちた目で、僕たちのほうに。


    ◆


「なんで」

 そう言わんばかりの表情だった。こんわくした表情の老年男性が運転する車が、僕のほうに突っ込んでくる。ほぼ同時に僕も「なんで」とらしていた。車はさらに加速し、僕の意識は飛んだ。

 ……気づいた時には、僕はくうに突っ立っていた。どこからともなく光が差し込み、僕の周囲を照らしている。

「ここは……?」

「死後の世界ですよ」

 気づけば、目の前に白いローブをまとった男性が立っていた。

「おや、君の神のイメージはそういう感じですか。われわれは君のイメージ通りのかたちをとる。ヒトはそのようにしかにんしき出来ない……まあそういうことなら、もう少しふるくさげんのある話し方のほうが……良いかのう?」

 間接的に神を名乗る男をよそに、僕は女神をイメージしてみる。すると目の前の男がきわどい衣装の女神へと姿を変えた。ゲームで見たことのあるような、やたらスケベな衣装の女神だ。

「……中々図太いですね、君。まあ私の姿は自由に想像してよろしい。さつそくですが本題に入りましょう。単刀直入に言えば君は死にましたが、それなりに徳を積んでいたので転生の機会があたえられます」

 徳? 僕は日本で暮らす普通の高校生だ。人の道を外した覚えもないが、聖人のような振るいをした覚えもない。

「先進国で暮らしていると自然と積まれるものなのです。悪事を行わなくとも生きていけるレベルまで社会が発展したおんけいですね」

 なるほど。……思考を読まれた?

「神ですので。ともあれ、その恩恵によって君は再び命を得る機会を与えられます。正確にはたましいを入れ替えるかたちになりますが」

 周囲は見慣れた放課後の教室に変わっていた。窓から差し込む夕日が僕と女神を照らす。

「一度失った命を蘇らせるというのは、転生先がたとえ異世界であっても天秤が釣り合いません。よってあなたは既存の命とすり替わるかたちで転生を果たします。転生先の命は同い年、ほぼ同じ外見、おや偶然にも名前の読みも同じですね。職業は──冒険者ギルドの見習い、絶賛戦争中」

「あの、それって」

「転生先の魂は数時間後に死ぬことが確定しているので、その点は罪悪感をいだく必要はありません。ほうっておいても死ぬ命ですので。それに死ぬのが相応ふさわしいと言い切れるほど悪徳を積んだ人物を選定していますので、そこも気にむ必要はありません」

 思考を先読みされる感にまどう。なるほど悪徳を積んで、数時間後に死ぬ人物と入れ替わる。確かに身体を乗っ取るという罪悪感はちょっとうすれる。だが。

「それって転生する意味あるんですか? 数時間後に死ぬんですよね」

「本来なら、です。君は前世のおくを保持したまま転生を果たします。現代知識の恩恵チートようにでも運命を変えることが可能でしょう」

 なるほど、自分の力で道を切りひらけと。ちょっとヒーローっぽくて格好かつこう良いし、悪くないように思える。……そういえば今、この女神「対話」してくれた? 思考を先読みして話される不快感を読んではいりよしてくれたのだろうか。意外と良いひとなのかもしれない。そう思うと少し欲がいてきた。

「あのう、よく異世界転生モノの小説であるじゃないですか。恩恵ボーナスとして何か特別なアイテムを持って転生したりとか。そういうの無いんですか?」

「中々どんよくですね。……残念ですがありません。しかし代わりと言ってはなんですが、転生先の人物は現地の──限定されてはいますが──市民権と、冒険者ギルドの見習いという食いを持っていますので、食いっぱぐれて野垂れ死ぬことは当面無いでしょう。……以前は良くあったのですよ、転生先で市民権が無いばかりにまともな職にけずものいで人生を終えたり、しように身を落として病気にかかって死んだりする例が」

 うわぁ。異世界転生モノでよくある、転生してすぐに冒険者ギルドに入って簡単な仕事でとりあえず食い扶持を稼ぐ……というのは本来難しいのか。いや考えてみればそうだ、異世界にも社会とちつじよがあるはず。そこで転生者は得体の知れないほうじんでしかないのだ、そんなヤツに地位の保証と仕事を与えてくれるほど社会はあまくないということか。

「ともあれ、恩恵ボーナスこそありませんが直近の生命の危機さえしのげば、現代日本人でもそこそこ快適に暮らしてゆけることは保証します。文明レベルは中世末期から近世初期程度ですが、食文化も衛生面もさほど現代ヨーロッパとかいしていない世界です。……私は再び命を得る機会、と言いましたね。もう一つのせんたくとして、転生せずこのまま天国に行く選択肢もあります」

「天国」

「次の転生──記憶を失い、新たな生命として生まれ変わる通常の転生──までの待機所のようなものです。苦しみこそありませんが、快楽も無い世界です。徳も悪徳も積ませず、現状のカルマをしたまま、ただ待つだけの世界」

「あまりりよく的には聞こえませんね」

「そうでもありません。天国で待機し、今のカルマを維持したまま転生すれば……まあ君ならまた現代日本かそれ相当の世界に生まれ落ちるでしょう。対して異世界転生は、おくれた文明に放り込まれる苦しみもある。悪徳を積んで死ねばより下位の世界にちる可能性もある。逆に言えば善行を積んで死ねば、次はより上位の世界に転生出来る可能性もある。……これは、困難な世界で善行を積んでより上位の世界への転生を目指すか、現状を維持するかというせんたくです」

 なるほど。確かに難しい選択だ。しかし天国に行って記憶を失い転生する……記憶を失う、というのは僕にとって「本当の死」だ。

 死──一六さいで車にはねられて死んだ。青春の半ばで、何も成しげること無く。その事実をみしめると、自然となみだが出てきた。やりたかったこと、家族の顔、もっと遊びたかったともだちの顔がかんでは消える。

 女神は僕が泣き止むのをじっと待ってくれていた。やはり良いひとなのかもしれない。

「決めました……異世界転生、します」

「その選択にこうかいはありませんか」

「ありません。もう一度、僕は僕のまま人生をやり直します」

 僕は僕のまま、そう言ったしゆんかんに女神はっすらとみを浮かべた気がした。

「よろしい、かつらくる。あなたは冒険者ギルドの見習いCurtクルトと入れ替わり、転生を果たします。良き人生を」


    ◆


 絶賛戦争中って言ってたけど、それにしても準備期間ゼロとは思わないじゃん。現代知識で如何様にでも運命を変えられるとか言っていたが、戦争の最中に鍋一つ持った状態で、現代知識でどうしろと言うんだ。

 ふつふつと湧いてきた神への不信感といかりから、鍋の取っ手をぎゅっと握りしめる。ラッパの音とともに前進してくる敵兵の群れを前に、味方のあいだにきんちようが走った。

 戦場は敵味方の負傷者のさけび声や足音、鎧から発せられる金属音などで満たされているというのに、自分のどういきづかいが聞こえるほどに静かに感じてしまう。いやな静けさだ。

「団長、敵が前進して来ます!」

 そんな静けさにえられなくなったかのように、最前列の戦士風の男が叫ぶ。

「見ればわかる!」

 僕の前に立つブリガンダインの男が叫び返す。この人、冒険者ギルドの団長だったのか! 組合ギルドおさなのに長と呼ばれているのはなのだろうかと思うが、今聞くべきことでは無いだろう。

 思考が空転しおろおろしてしまうが、団長は僕と同じように落ち着きを失っている団員たちをいちべつすると、かぶとのバイザーを上げて演説を始めた。聞いていると不思議と勇気づけられるような、太くて良く通る声で。

「良いかァ、やることはゴブリン退治と同じだ。し寄せるゴブリンどもを前衛が受け止める! 後衛が隙間から撃つ! 戦列をくずさない! それだけだ。喜べ、今回のクエストはゆうしゆう別働隊パーテイーがいるぞ。選定こう閣下がちよくそつするへいたいが、ゴブリンどものケツを突くまで耐えるだけの簡単なクエストだ。良いな!?」

「「「ウィース!」」」

 団員らが冷静さを取り戻しな返事をすると、団長は再び前を向いた。見れば、味方のクロスボウ兵が小集団ごとに後退と射撃をり返し敵に損害を与えている。しかしある程度敵の歩兵隊が近づいてきたところで、射撃をやめさっさと歩兵戦列のりようわきに後退してしまった。

 つまりここからは歩兵同士──つまり僕たちだ──の戦いということだろう。敵は射撃で空いた戦列の穴をふさぎながら前進してきた。最前列はプレートアーマーやブリガンダインに身を包んだ者たちがちらほらと見える。きよは二〇メートル程度だろうかというところで、たけびを上げてとつげきしてきた!

「喜べ、ありゃ士気だけご立派で練度は低い市民兵だ!」

 団長が喜色をにじませた声で叫ぶ。

「こちらの圧力に負けて突撃にうつたえてきたぞ! 各個撃破しろ!」

 見れば、その突撃は線で押すのではなく、いかにも気がはやった兵が飛び出したかのようにまばらであった。こちらの戦列のおくからは弓兵や魔法使いが顔をのぞかせている。いつ撃たれるかわからないきようの中、足並みをそろえてゆっくり前進するよりは、突撃で一気に距離を詰めたくなったということか?

 団長が低い声で言う。

「イリス、お前は魔法を温存しろ。俺がヤバい時だけ撃て」

「はい!」

 僕の右隣の少女が返事をする。さきほど僕を睨んできたこの子はイリスという名前らしい。

「見習い、お前はイリスを守れ。えいしようじやをさせるな」

「は、はい!」

 そう返事するが当のイリスは、不信感に満ちた目で僕を睨んでいた。やっぱり嫌われている。なんで……?

「以上。俺はとにかくる」

 その声には、きよう戦士を思わせるかんせんとうしようどうが滲み出ていた。かれはバイザーを下げるとけんと盾を構え直した。いよいよだ。僕も鍋と鍋蓋を握り直す。そして敵兵との距離はあっという間に詰まり、戦闘が始まった。


 鍋をお玉でたたいたような小気味良い音がひびいた。実際に鍋を叩いたのはやりさきであったが。

「ひえっ」

 突撃は団長ら戦士たち第一列が見事に受け止めた。しかしいくほんかの槍が僕たち二列目のところまで突き込まれてきたのだ。とつに鍋を顔面の前に持ってきていなければ、槍の穂先はようでチーズを突き刺すように僕の顔面を貫いていたはずだ。肝が冷えるような感覚。しかしその感覚は団長の声でぬぐわれた。

「一つ!」

 団長の目の前の兵が顔面から血を噴き出しながら倒れる。片手剣を突き込まれたのだ。

「二つ!」

 さらに飛び出してきた兵と一合、二合と剣と剣がぶつかり合い、それで勝負が決まった。団長の三発目のざんげきが敵兵の盾の上辺をまな板にして手首を斬り落とし、そのまま盾をこすりながら突き込まれた剣が顔面を貫いたのだ。もはや人が死ぬ恐怖は感じなかった。いや、それどころではないと言うべきか。僕はしつように突き込まれる槍の対応にせいいつぱいなのだ。

「こいつッ……!」

 自分に向けられる殺意。執拗なとつ。鍋一つで戦争に放り出されたじん。それらが怒りとなって、今すぐ突進し反撃したい衝動にられる。しかし実際に僕が足をみ出すより速く、団長が飛び出した。

「三つ、四つ!」

 剣兵を一合で斬りせると、僕を突いていた槍兵をついでとばかりにで斬りにして地面に引き倒し、前進を始めた。はなくじかれた思いでぜんとしていると、イリスからごうが飛んできた。

「何してるの、ついていくわよ!」

 かのじよは杖を握りしめながら飛び出していった。

「ちょっ、待……」

 こっち団体パーテイー行動初心者なんだよ、と叫ぶのをこらえながら僕は駆け出した。

 団長はふんじんの戦いぶりだ。だがその粗野なことづかいと直前に見せた戦闘衝動とは違い、狂戦士といったていではなく、素人しろうとの僕にも洗練された剣術を振るっているとわかった。

 左の兵を盾でおさえながら前の兵と打ち合う。決して早い斬撃ではない。ただ重く、うまいのだ。守らせ、相手の剣先をらしてすきを作り、斬る、突く。敵は死ぬ。その繰り返しだ。だが突撃で乱れた敵の隊列が、僕たちに受け止められたことで圧縮され、結果的に整ってしまうとじようきようが悪くなってきた。そうえんしあった敵兵らが数の暴力で団長を抑え込もうとする。そして右側の兵が、対応し切れなくなってきた団長に斬りかかるが──

「燃えろ!」

 イリスの放った火球がその兵をだるにする。これが団体パーテイー行動か。そう理解するが、僕自身はこれに加われていないことも理解した。実際、僕の仕事は全く無い。敵兵の意識は団長に向いており、僕どころか僕の護衛対象であるイリスに攻撃をけてくる者もいない。僕は本当に戦場で鍋を持って突っ立っているだけだ。死の危険が無いのは喜ばしいことだが、味方がかつやくしているのに自分は何も出来ないやくたたずというのはもどかしく、みじめだ。

 団長はついに敵の三列目に突入し、さらにさつりく劇を激化させていた。どうやら装備が良いのは前列だけで、後列は粗末な装備の者がめるというのは敵も同じらしい。ナイフだけを持った兵などは打ち合いにすらならず、一撃のもとに地面にしずんでゆく。

「おいおい、装備も士気もゴブリン以下かァ!?」

 団長があおると、敵兵はじりと下がる。その目には恐怖が浮かんでいる。──あと少しで心が折れる。そう思った矢先、敵方から怒号が飛んだ。

「踏みとどまれ! このきようけんは私が始末する!」

 槍に斧と鈎がついた武器ハルバートで兵をどやしながら、プレートアーマー装備の男が歩み出てきた。その身のこなしは、素人の僕にでもわかるほどに洗練されていた。その男は油断なくハルバートを構えながら名乗った。

「我が名はていこく自由都市ケーニッツ民兵隊が副隊長、騎士のリツターエーリッヒ・フォン・トールガウである。名乗れ、狂犬!」

せんしようこうてい尻尾しつぽ振った自由都市の犬がえるなァ、犬同士仲良くしようぜ? ……ノルデンへんきようはくにして選定侯のおんちようたまわりしブラウエブルク市が冒険者ギルド団長、騎士のリツターゲッツ・フォン・ブラウエブルクである!」

「冒険者? はんようはんぞくのクズどもが……」

 急に新情報が出てきた。二人の名乗りから察するに、僕の所属する冒険者ギルドはブラウエブルクという街にあるらしい。そして領主はノルデン辺境伯かつ選定侯で、僕たちに突撃を仕掛けてきた部隊はケーニッツという街の民兵らしい。僭称皇帝と言っていたから、この戦争は帝位けいしよう問題が元で起きているのだろうか。そして団長も相対している敵も騎士らしい。

 考察している間にとう合戦が終わったのか、二人は激しい打ち合いを始めていた。周囲の兵はかたんでその様子を見守っている。イリスもそうだ。二人の打ち合いは激し過ぎてかいにゆうする余地が全く無く、僕もそれにならうしかなかった。鍋を握りしめながら見守っていると、一瞬違和感に気づく。

「ん?」

 一瞬であるが、ハルバート男の後ろにひとかげまぎれ込んだ気がしたのだ。しかし位置を変えた団長の身体によってハルバート男の姿は僕からさえぎられ、じっくりかくにん出来なかった。

 そうこうしているうちに、戦いは団長が優位に立ち始めた。ハルバート男のリーチの優位やへんげんざいの攻撃をくぐり一発、二発と剣撃を叩き込み始めたのだ。しかしその斬撃はプレートアーマーにはじかれてしまう。おたがいに動き回る中で、鎧の隙間を通すのは容易ではないようだ。しかし団長は自信を滲ませる。

「見えてきたぞ。あと一合で殺す」

 団長が兜の奥でどうもうわらう。

「そうか。ならば見えなくしてやろう」

 ハルバート男は姿勢を低くし、その得物をよこぎに振るった。団長は左手の盾を掲げ防御する。

 その瞬間、ハルバート男の右足が残像をともなって二本に増えたように見えた。──違う! ハルバート男の背後から、がらな人影が飛び出したのだ。団長が掲げた盾に隠れるようにしてその人影は突進した。手には短剣。

「団長!」

 イリスが魔法の詠唱を始めるが、間に合わない。

 ──世界がスローモーションになる。団長は大振りの攻撃で生まれた隙を突こうと反撃の構え。ハルバート男は兜の奥で嗤っている。飛び出した人影は、団長の盾をしやへいに突進する。団長は気づいていない。イリスは詠唱のちゆう

 ──今、動けるのは、

「なんで鍋装備ぼくだけなんだよッ!」

 叫ぶと同時、僕は飛び出していた。それは攻撃とは呼べない、ただ鍋を割り込ませるだけの一振り。しかし、コーンと小気味良い音が響き、短剣が地面を叩いてから宙に舞った。きようがくに目を見開く四人。短剣を叩き落とされた男と、ハルバート男と、団長。そしてまぐれ当たりにおどろく僕の四人だ。

 一瞬、兜の奥の団長の目が見えた。そいつは任せた、と視線で言われた気がした。彼はハルバート男を仕留めにかかった。

「チイッ!」

 引き戻したハルバートを団長が盾で押さえる。

「何故だ!」

 しゆうの失敗にどうようする短剣男がそう叫び、左手で新たな短剣をこうとする。させない。

「それは!」

 僕は鍋を振り上げる。相手の短剣のやいばさやから顔を出す。やらなきゃ、やられる。

「やめろ、命だけは!」

 団長はいのちいをするハルバート男の足をひっかけてんとうせしめ。

「──僕のセリフだッ!」

だまって死ね!」

 鍋と剣が同時に振り下ろされた。


 僕の前には顔面の穴という穴から血を流す死体が一つ、団長の前には兜のスリットから血を流す死体が一つ転がっていた。

 人を、殺した。その事実を飲み込む前に、とつじよ鍋が光りだした。

「光った!?」

 そして光が消えた。

「なんで!?」

 光っただけであった。わけのわからない挙動をする鍋に困惑していると、団長が声を張り上げた。

「トールガウきようち取ったり!」

 その言葉がトドメとなり敵が崩れだした。それと同時に、敵の攻撃に耐え続けていた冒険者ギルドの戦士たちは雄叫びを上げ、反撃に移りだした。

「踏み留まれーッ!」

 敵陣の中で隊長格と思われる装備の男が、兜のバイザーを上げ、戦列を立て直そうと兵をしていた。しかし。

「ファイアボール」

「ああーッ!」

 イリスがに火球を飛ばすと、頭をたいまつのように燃やしながら倒れた。団長の援護のために唱えていたが間に合わなかった一発であろうか。イリスはすっきりしたと言わんばかりにため息をついた。

「オッ、どうやら閣下も勝ったらしいな」

 団長が手近な敵兵を斬り伏せながら言った。見れば、味方の騎兵隊が右翼側から敵後方に回り込んでいた。僕たちの左隣に居た騎兵隊もいつの間にか前進しており、今や敵は包囲されつつあった。それを見るや、ケーニッツ民兵隊だけでなく敵全体が崩れだした。

そうとう戦に移るぞ!」

 団長が叫んで駆け出そうとし、止まった。そして僕を見た。

「……よくやった、見習い」

 それは僕に向けられた言葉。たったその一言で、再びかまくびをもたげかけていた「人殺し」の三文字が拭い去られ、「味方を守った」という自己こうてい感にすり替わる。まんであろうか。だが、車にはねられてから理不尽続きの僕には、欺瞞でも良いから心の支えが必要だった。今は受け入れることにしよう。

 僕がうなずくと、団長が兜の奥で笑ったのがわかった。そして敵の背中へ向けて駆け出し、僕もそれに続いた。

 その後、弓使いや魔法使いが敵兵を釣瓶つるべ撃ちにして足止めをし、団長ら戦士たちが駆け寄って斬りまくった。それは確かに団長が言った通り追撃ではなく「掃討戦」だった。ていこうを討ちはらい、勝利を確実なものにしていく作業だ。僕はと言えば、げ遅れた敵兵を武装解除してばくする係をおおせつかった。しかし捕縛しようにも道具が無いぞと戸惑っていると、イリスがロープをくれた。いわく「初心者セット」の内容物らしく、持っていないことを告げるとゴミを見る目で見られた。理不尽だ。

 日がかたむころには総指揮官「選定侯閣下」と、それに「もんしよう官」を名乗る人物が戦闘の終結と勝利を高らかに宣言した。血によごれた戦場が夕日に照らされ、兵士たちが得物を天に掲げときの声を上げる光景はそうかんだった。

 そのあとは戦利品分配が始まった。

「我が隊は冒険者のおきてに従い分配を行う!」

 団長のその一声で、拾ったり敵兵からぎ取った戦利品が山のように積まれ、そこから順番にしい物を取っていく形式で分配が始まった。これを三順し、余った物はギルド所有になるらしい。現金やりよから得たみのしろきんは別に集められ、あとで分配されるとのことだ。

 みな思い思いの品を取っていく中、僕は自分が何を取るべきか必死になやんでいた。かつちゆう、剣、盾、ほうしよくひんなどが目前に積まれている。戦闘で得られた物なので当然武具が多い。しかし一口に武具と言っても様々で、兜一つ取っても色々なかたちの物があり、素人の僕にはどれが良い物なのかさっぱりわからない。三順、つまりは三個もらえるわけだが、これがまた悩みを加速させる。甲冑だとどう・肩・うで・手……と分かれているため全身武装するにはとうてい足りず、「どこかの防御を捨てる」ことになるからだ。一体どこを取りどこを捨てるべきか?

「悩んでるのか、見習い」

 そんな僕を見かねてか、団長が声をかけてくれた。

「はい、正直どれを取れば良いのかわからなくて」

「ならまずは防具を揃えるのが先決かねェ。お前、武器は鍋だが一応近接職だろ?」

 僕は弓道経験もなければ、当然ながらイリスが使ったような、この世界の魔法もさっぱりだ。近接職しか選択肢が無いということになるだろう。

「ええ、そのつもりです。武器は鍋ですけど」

「武器は……まァそっちは今日戦えてたから良いか。んじゃまずは兜だな。今回みたいな戦争にせよゴブリン退治にせよ、頭の防御は最優先だ。例えばゴブリンはよォ、やつら背が低いからこっちは頭に攻撃を食らうことは無い……ッて油断してる新米冒険者が頭つぶされて死ぬことが多いンだわ。奴ら矢は使ってくるし落石わなも仕掛ける。それで」

 団長はこぶしを石に見立てて自分の兜を叩いた。先程僕が殺した短剣男の、潰れた頭を思い出す。

「うへぇ……」

「そういうわけで、オススメはアレだな。視界が良いから冒険者向きだ」

 団長が指差す先には、麦わらぼうのようなつば広帽型の兜があった。鉄製に見える。全周囲にびたつばは、ななめ上から顔面に飛んでくる物もかさのように防いでくれそうだ。一順目が回ってきたので、それを取得した。

「ちなみにそいつはケトルハットって呼ばれたもんだが、百年は昔にすたれた」

「えっ。……なんでそんなこつとうひんすすめたんですか!?」

「防御はんは広いから悪い選択じゃねェぞ? 他は新米向きじゃなかったしな……まァ最近のより質が悪いのは事実だから、早めに買い替えるンだな」

 取得してすぐに買い替えを勧められるとは……。まあそれでも無いよりはマシだろうと思い直す。

「さて次は盾だな。とりあえず構えておけば殆どの攻撃はなんとかなる。ところで鍋蓋は?」

「使い物にならなくなったので捨てました」

 盾代わりの鍋蓋は、幾本も突き立った矢のせいで重くなっていたこともあり、掃討戦の最中に捨ててしまった。

「次はもっと大きいのを勧めるぜ。まだ魔法防御は考えなくて良いから……あれだな。木製の大盾」

 団長が指したのは高さ一メートルはあろうかという大きな盾。長方形の各辺が金属で補強されている。

「で、あとは盾からはみ出るところを守れば最低限の防御は完成だ。籠手ガントレツト脛当てグリーヴにしとけ」

「胴とか腕は良いんですか?」

「胴鎧も腕も鎧下……布の鎧ギヤンベゾンやアーミングジャケットが無きゃ着るのが難しいからな。それにほれ、ちょっと見てみろ」

 団長は左足を前にして盾を正面に構え、片手剣を頭の横に構えた。剣の切っ先は、こちらから見て盾の上辺のみぎはしに向かって伸ばすかたちだ。

「この構えが基本形だ。どこか一撃で有効打を叩き込めそうな場所、あるか?」

 盾は団長の鼻からひざうえまでを完全におおい隠し、盾からはみ出ているのは頭と、腕から先とすねだけだ。しかし頭は兜と剣で守られているし、腕は剣より奥にあるのでねらいづらい。手前にあって狙いやすそうなのは剣を握る手と脛だが、籠手ガントレツト脛当てグリーヴで防御されている。

「無いですね……。籠手ガントレツト脛当てグリーヴを勧めるのはそういうことですか」

「うむ。敵の盾をどけるのは剣術の領域だが、モンスターはそこまでしてこねェ。これで十分だ」

「わかりました。ありがとうございます!」

 礼を告げると、自分の順番で脛当てグリーヴを取った。脛の前だけを覆う革製のもので、サイズが小さめだが、ベルトで調整して着用出来る範囲内だ。革ってぼうぎよりよく低そうだなと思っていたが、叩くとかたい音がするし、分厚くてずっしりと重く、想像以上に防御力がありそうだった。本物の甲冑を手に入れるなんて異世界ならではだなぁとかんがいふけっていると、伝令が大声を張り上げながらおれを出しているのが聞こえてきた。

「本日の行動はしゆうりよう! 各隊はおのおのの宿営地に戻るべし、別命あるまでそこで待機せよ!」

「追撃は無しか。まァ、こっちの損害も大きかっただろうしなァ」

 団長がそう漏らす。冒険者ギルドは死者ゼロ、軽傷者少々(全員戦士だ)という損害だったが、隣で戦っていた市民兵隊からは負傷者──それと死体──が次々と街の中に運び込まれるのが見えた。団長のもうしんげきに追従していて気づかなかったが、他の部隊は苦戦していたのだろうか。

「考えても仕方ねェ! お前らァ、帰るぞォ!」

 団長の号令に僕はホッとする。今日は色々なことがあり過ぎてつかれた。早くベッドに飛び込みたい気持ちでいつぱいだった。

「帰ったら酒盛りだァ!」

「「「Fooooooooooooooooo!!」」」

 そうもいかないようだった。体育会系の人たちって打ち上げ好きだよね、とげんなりしたが、戦争に駆り出される団体が体育会系で無いわけが無いのだ。適応しなきゃな、と思いながら街に帰る冒険者の列についていった。


 冒険者ギルド本部の建物はレンガと木の混合建築で、入ってすぐの所が広間になっていた。テーブルがいくつも置かれ、その上にはすでに料理がところせましと並んでいる。各パーティーごとにテーブルについてゆくが、すれ違った人たちが皆、僕をべつもった目で見てきた。なんでさ……。

 そこで僕は思い出した。この身体は僕の身体ではないことを。つまり僕に向けられている侮蔑やけんは、来人ではなく、僕の身体クルトに向けられたものなのだ。一体何をやらかしてたんだ、クルト?

 しょんぼりしながら自分がすわるべきテーブルを探す。見渡してみると、イリスがぽつんと座っているテーブルが見つかった。もう空いているテーブルはそこしかない。……気まずいなあ。そう思いながらもそこに座るしかなかった。

「……」

「……」

 相席よろしいですかと聞いたらきよされそうなので無言で座ったが、やっぱり気まずかった。視線すらわさずだんまりだ。かんぱいの音頭がかからないので、飲み物を飲んで時間稼ぎする手も使えず、意味もなく視線を彷徨さまよわせるしかない。

 ……いや、どうせ嫌われているなら少しくらいしつけなことをしても許されるのでは? そんな考えがよぎる。戦場ではちゃんと顔を見るひまも無かったし。疲れていたこともあり、理性は頭のすみひかえめに制止するだけだ。僕はじやねんと手をつないで理性の横をすり抜け、イリスを横目で観察してみることにした。

 ──色素の薄いきんぱつが目を引く。同じ色の長いまつが、かたちの良いまぶたと、その奥の空色のひとみかざっている。すらりと伸びた鼻筋。血色の良いくちびるは余計な厚みが無く、それでいてあでやかに、白磁のようなはだいろどりを与えている。

 としは僕と同じくらいだろうか? 整った顔立ちに幼さが残り、それが天使かようせいのようなはかなげな印象を与える。率直に言ってものすごい美人だ。横目で見るだけのつもりが、飲み込まれるようにしてれてしまった。

「……何」

 視線に気づかれてしまった。不躾は承知だったが、いざとがめられた時のことを考えていなくて言いよどみ、視線を彷徨わせてしまう。視界に入った彼女のバストはへいたんだった。

「まあ、良いわ」

 良くわからないが許された。……いや、これほどの美人だ。そういう視線には慣れているということだろうか。しかし自分が不躾な視線を向ける有象無象バカなオスちたことが急にずかしくなり、なんとか言葉をつむごうとする。

「いや、その。……とりあえず、お疲れ様」

 ひねり出せたのはありきたりなねぎらい。しかしイリスは一瞬きょとんとしたあと、意外そうに笑った。

「お疲れ様。……あんた、少し変わった? 前はそんなこと言うヤツじゃなかったと思うけど」

 魂が入れ替わったので変わったのは事実だ。しかし「お疲れ様」も言わないだなんてクルトという男は、一体どんなクソろうだったのか気になってきた。次の言葉を探しているとイリスが先に口を開いた。

「あのハルバート野郎の時。……ありがとう。私じゃ間に合わなかった」

「いや、あれは本当にまぐれだよ。僕、戦闘とか初めてだったし」

「はぁ?」

 イリスがいぶかしむような視線を向けてくる。

「私、あんたは一通り戦闘出来て魔法も使えるって聞いてたんだけど」

「えっ」

 これは困った。どうやらクルトは戦闘経験もあれば魔法も使えると周知されていたらしい。だが僕はそんなことは知らない。クルトの記憶は何一つ継承していないのだ! どう切り抜けたものかと頭をフル回転させていると、救いの手が差し伸べられた。しつこうゆうかもしれないが。

「皆お疲れィ!」

 奥から出てきた団長が声を張り上げたのだ。全員が彼に注目する。

「えーまずは、今回の戦闘を死者無しで切り抜けたテメエらの実力と神の恩寵にィ、乾杯!」

「「「乾杯!!」」」

 全員がジョッキをかち合わせ、あおる。流されるようにして僕もそれに倣う──ビールだこれ! のどれいりような炭酸が駆け抜け、直後にじんわり熱を帯びてくる感覚に戸惑う。

「紋章官殿どのの報告によると、今回の戦闘は敵方の兵五〇〇〇に対しこちらは三〇〇〇、されど敵方に与えたる損害三〇〇〇、うち捕虜五〇〇をり……我が方の大勝利である! 乾杯!」

「「「Fooooooooo!! 乾杯!!」」」

 再びジョッキを呷る。ふんのせいかもしれないけど、何だか頭がふわふわしてきたな!

「この勝利は全員がおのが役目を果たし、もぎ取ったものだ。よって全員にしみないしようさんを送りたい……良くやった、乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 呷る! すっかり気持ち良くなってきてしまった。

「そしてよいは一人の勇者をしようかいしたい。最大限の称賛を願う──クルト!」

「はい!?」

 急な指名に思わずを引き倒しながら立ち上がってしまう。周囲からはげんそうな目が向けられている。

「あいつが勇者?」

「あのクソ野郎が?」

 そんな声が聞こえる。本当にクルトという野郎は何をやらかしたんだ??

「こいつは他ならぬ俺の命の恩人だ。俺がケーニッツ民兵隊の副隊長といつちしてる最中、敵はれつにもふくへいしのばせ、俺の横っ腹に短剣を突き立てようとした!」

「「「Boooooooooooooo!!」」」

「しかしその時、クルトが鍋を振るい敵の短剣をはたき落とした! コイツはそのまま伏兵を殴り倒し、俺はこううれいなく副隊長をぶち殺した。……そのあとは皆覚えているだろう、敵は崩れ俺たちは勝った。わかるか? クルトは俺の命のみならず、お前たちの命をも救ったンだ」

「マジかよ」

「確かにあそこで団長が倒れてたら、崩れて追撃されてたのは……」

 団員たちが顔を見合わせる。

「よって今宵はこの勇者をたたえて俺の言葉をめようと思う。鍋の勇者クルトにィ、乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 半信半疑といった様子だった団員たちだが、団長の演説にったのか酒に酔ったのか、一斉に僕にジョッキを掲げた。その視線からは侮蔑の色が薄らいでいるように見えた。団長はこれを狙っていたのだろうか? 鍋の勇者というしようはそこはかとなくダサいのでかんべん願いたいが、ありがたい。

「……ところで鍋の勇者。何か一言あるか」

「えっ」

 団長に急に話を振られた僕は戸惑ってしまう。団長が、団員たちが、イリスが僕を見ている。もはやその視線に侮蔑の色は薄いが──そこで僕は思いついた。僕に向けられる悪感情を消す方法を。わずかに残った理性が制止するが、僕はビールと手を繫いで理性の横をすり抜け、口を開いた。

「皆さんに一つ、お伝えしたいことがあります!」

 全員が訝しんで僕を見た。普通、こういう場では短く乾杯の音頭を取るだろうと。だが僕はその視線をビールの魔力で押し切ってしまう。

「……実は僕、記憶そうしつなんです」

 全員がぽかんと口を開けた。とつぴようもない話だから仕方がない。だが半分は本当だ。実際僕はクルトとしての記憶がないのだから。

うそかと思われるかもしれませんが、本当に何も思い出せないんです……合戦で矢が降ってくるあたりからしか覚えて無くて。正直、ここがどこかも、自分が何者なのかも」

 言いながら、自然と涙が出てきてしまった。死んで生き返ったと思ったら何も知らない状態で鍋片手に戦争に放り込まれ、矢を射掛けられ槍で突かれ、おまけに身に覚えのない侮蔑を向けられ。理不尽きわまりない。

「おいおい、戦場でビビって小便漏らすヤツはめずらしくもないが、記憶漏らしたヤツは初めてだぜ」

 団長がじようだんめかして言うが、その目は僕の話を信じているように見えた。

「マジかよ」

「そういえば態度っつーか話し方も違うしなぁ。前はぶたにもおとる品性とえたいぬみたいな視線のクソ野郎だったし」

 団員たちが顔を見合わせながらささやく。……いや本当にクルトはどんなクソ野郎だったんだ。

「あー……わかった、話はあとで俺がくわしく聞こう。全員、記憶を失いながらもくんを立てた鍋の勇者にあわれみと称賛を! 乾杯!」

「「「乾杯!!」」」

「以上、あとは死なない程度に飲んで食ってクソしてろ!」

「「「Fooooooooo!!」」」

 みような空気を団長が再び盛り上げ、無理やりえんかいを始めてくれた。確かにあんな空気にしたのは悪かったかな、と少し罪悪感を覚えながらも、とりあえず僕の話は信じてもらえたようで一安心した。これで「クズが何をつまらない冗談言ってるんだ」とか言われたら流石さすがに死にたくなるところだった。

「……あんた、さっきの話本当なの?」

 イリスが話しかけてくる。そのこわいろさいではなく、確認するようなニュアンスだった。

「うん。だから戦闘技術とか、魔法とかもさっぱりで」

「……この前私に言ったことも?」

「うん……うん? ……そのう、差しつかえなければ何を言ったのか教えてもらえると」

「やめとくわ。教えて──今のあんたならあやまりそうな気がするけど──謝られても、あんたに言った記憶が無いなら、その謝罪に意味もないでしょ」

「……ごめん」

「そこで謝らないでよ」

 イリスはばつの悪そうな顔をして、それから頭を振った。話題を変えるようだ。

「そういえば、短剣野郎を倒したあとさ、あんたの鍋光ってなかった?」

「そういえばそうだったね。光っただけだったけど」

「あれ一体何……ああ、魔法の知識も無くなったんだっけ。うーん、じゃあちょっと鍋見せなさいよ」

 言われるがまま僕は鍋を差し出した。実際、あの光が何だったのか気になっていたところだし丁度良い、何かわかれば良いのだけれど。イリスは鍋を受け取ると様々な角度から観察を始めた。

「うわ気持ち悪っ」

 そして出た言葉はそれだった。イリスは顔をしかめていた。

「ちょっと何これ、意味がわかんないんだけど……ってあんたに問いただしてもか。ああもう」

「あの、解説してくれると助かるんだけど」

「私もすべてはわからないけど」

 イリスはそう前置きしつつも説明してくれた。

じゆってわか……らないわよね。モノに魔法の効果をする技術なんだけど、そもそも魔法は金属と、それに他の魔法と反発しあう性質があるの。だから金属に付呪をほどこす時は、こうやって金属に呪文を直接刻み込んで、文字で魔法をい止める」

 イリスは自分の椅子ごと僕のほうに寄り、鍋の表側を細い指でなぞった。ふわりとかおる甘い香りにどぎまぎしながらその指が示すところを見ると、確かに鍋肌には小さな文字──読めないが──がびっしりと並んでいた。イリスは一番上の列をなぞる。

「で、この一列目の文字が物理防御の付呪。衝撃とか圧力を軽減する呪文ね」

「ああ、それで槍で突かれても貫通しなかったんだね」

 貫通どころか、まじまじ見ても傷一つついていない。何度も突かれたのにもかかわらずだ。

「で、この二列目が魔法防御の付呪……これが問題なんだけど、さっき魔法は金属と他の魔法と反発しあう性質があるって言ったでしょ。物理防御の上から魔法防御の付呪を施すってことは、物理防御と鍋自体からの反発を抑え込んで、なおかつ物理防御の魔力層をこわさないように魔法防御の呪文を鍋に刻み込むってこと」

「難しいの?」

「相当な高等技術よ。こういう多層付呪が施された甲冑もあるらしいけど、皇帝とか王様しか買えないレベルのちよう高級品よ」

 そんなに。ぼんやりとしかすごさが飲み込めないが、そういうものだと頭に叩き込む。

「で、気持ち悪いのはその多層付呪が少なくとも三二層も重なってることよ」

「凄いの?」

「聞いたことも無いわ。たいの付呪師の作品か、外法に手を出したヤツの仕業としか思えない」

「……そんなモノを持ってるクルトって何者だったの?」

「私だってクズってこと以外、何も知らないわよ」

 自分のことではないとわかっているが、クズと言われると何だか傷つくな!

「話を続けるわね。ここまでは鍋の表側の話。これに加えて裏側と鍋底に一六層、さらに鍋のおしりにも一六層の付呪が施されてるけど、これは何の呪文かさっぱりわからない。一通り魔法は勉強したつもりだけど、かいもく見当もつかないわ。っていうか、そもそもこんな高等技術を鍋に施した意味が一番わかんない。なんで鍋?」

「僕に言われましても」

「そうよね、記憶喪失だものね……でも恐らく鍋が光ったのは、この物理防御と魔法防御を除いた三二層の付呪のせいだと思うわ。……こんな得体の知れない、外法の産物かもしれないもの、知識のない牧師にでも引きわたしたら魔女裁判モノじゃないかしら。告発しようかしら?」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 それは困る。というかあんまりだ。転生して即魔女裁判はひど過ぎる。確かどういても死ぬ裁判じゃなかったっけ!?

「冗談よ」

 イリスは肩をすくめてそう言った。この女……。しかしこのクルトが言い放ったらしい暴言もあるし、何より弱みを握られてしまったので言い返すことも出来ない。

「ともあれ、そういうわけでそれはあんまり人に見せるのはオススメしないわ。……あっ、でも私にはたまに見せてよね。興味湧いてきたから」

 イリスの目には知的こうしんの色が浮かんでいた。物語だと魔法使いは探究心おうせいなイメージがあるが、この世界でもそういうものなのだろうか。そう考えていると、急に後ろから太い腕が伸びてきて僕とイリスの肩をがっちりつかんだ。

「よォ若者たちィ! 仲良く顔を寄せ合ってどうした!? 戦場のこいか、うん!?」

「ちがっ……」

「違います。……団長さけくさいです」

 イリスはまし顔できっぱり否定した。そりゃ初対面なんだから当たり前だが、みような敗北感がある。そして割り込んできたのは団長だ。他のテーブルで飲んできたのか、だいぶ出来上がっている。

「わりィ、だが管理職は飲むのも仕事のうちでなァ!」

 彼はガハハ、とごうかいに笑った。そして勢いよくジョッキを呷り、空になったそれをテーブルに叩きつけ、たるからしやくでビールを注いだ。……単純に酒好きなだけじゃないかな、この人。

「……で、クルト。お前のさっきの話、マジなんだな?」

 急に真顔になった団長がずい、と顔を寄せた。僕は真正面から団長の目をえ、頷く。

「マジです」

「そうか……。まあ、詳しいことは明日俺がシラフの時に聞くが。今、情報を一つくれてやる……お前の今後に関わる重大なものだ」

「重要な情報……!?」

 ごくりとつばを飲み、姿勢を正す。一体何だろう……?

「ああ。心して聞けよ。…………お前のどこ、ギルドの二階にあるぞ。イリス、あとで教えてやれ」

「はーい」

「……ひようけですね!? 驚かさないでくださいよ!」

 団長はゲラゲラ笑いながら別のテーブルへと去っていった。まあ、自分の寝床がわからなかったのも事実だ。僕が記憶喪失ということから推測して、わざわざ教えに来てくれたのか。戦利品の選定や僕を引き立てるような演説といい、この人は部下思いの良い人なのかもしれない。からかうような言動は、距離を詰めやすくするため……だろうか。じゆんすいに遊んでいるだけな気もしなくもないが。

「……とりあえず、食べましょうか」

 テーブルには、鍋の話と団長の乱入で手つかずだった料理がずらりと並んでいた。ひとず直近の危機はだつしたこともあり、急におなかいてきた。五人前はありそうだが、今なら食べ切れる気がする。

「そうしようか」

 料理に手をつける前に、ふと言わなければならないことを思い出した。

「……イリス、色々ありがとう。少し安心したよ。乾杯」

 なおにお礼を言うのは少しずかしかったので、乾杯をつけ加えた。だがイリスの表情を見るに、これは正解だったようだ。

「やっぱり調子くるうわね。……乾杯」

 彼女は一瞬困惑しながらもやわらかく笑い、控えめにジョッキを打ち合わせた。何となく、距離が縮まった気がした。──そしてそこからは料理と酒との戦争だった。イリスは少食だったので、僕がまたしても前線を張ることになったのだ。

 死ぬ思いで料理を片づけたあと、僕は酔っぱらった団員にからまれバカさわぎをしたが内容はよく覚えていない(僕もかなり酔っていた)。うたげは夜半まで続き、イリスは途中で女性団員の輪に加わるためだつしていたが、大方の団員が各々の宿舎に帰るか潰れた頃に戻ってきた。

「あんたの寝床教えてあげるわよ!」

 彼女の顔は真っ赤でじようげんだった。だいぶ出来上がっている。しかし僕も出来上がっていたのでフラフラしながらついていった。ギルドの建物の二階に案内された僕は、「あんたの部屋ここね、おやすみー!」とブンブン手を振るイリスにり転がされ自室に入った。

「お部屋じゃなくてじゃん!」

 ゲラゲラ笑いながら、雑多なものがそこかしこに転がっている部屋を見渡し、ゆかかれているシーツを見つけるとそこに飛び込んだ。硬い床のかんしよくまくらからはみ出るわらたばが痛かったが、疲れ切ったうえに酒が回っていた僕は急激なねむおそわれた。まだまだ考えないといけないことはあるぞ、と理性が頭の隅で控えめに声をかけるが、僕は眠気と手を繫いで理性の横をすり抜け、眠りの世界へと飛び込んだ。


    ◆


 ──気がつけば、僕は虚空に突っ立っていた。どこからともなく光が差し込み僕を照らしている。

「えっ」

「ここは死後の世界……ではないですよ。あなたの夢の世界です」

 虚空から女神が現れ、にっこりと笑った。

「良かった、てっきり急性アルコール中毒で死んだのかと」

「それもだいぶおもしろいですが」

 女神はくつくつと笑う。最初に会った時のようなちようぜんとした態度は消え、どこか人間味を感じる──いや、彼女の目を見てその考えは消し飛んだ。底知れないしんえんを見てしまったような恐怖にとらわれ、やはり彼女は超常の存在──神なのだということを痛感する。

「うん? 目ですか。人間は面白いですね、そこから読み取るとは」

 女神は一瞬目をつぶり、再び開けた。するともはやその目からは何の恐怖も感じなくなっていた。あのきよう感の正体が気になるが、ともあれ対応してくれたようだ。やはり良いひと──ではない。

「現代知識で如何様にでも運命を変えられるとか言ってましたけど、噓じゃないですか! 鍋一つで戦争に出て、現代知識でどうこう出来るわけないでしょ!」

 思い出した女神への不満をぶつける。

「噓は言っていませんよ? 実際生き残ったじゃないですか」

「それはそうですけど」

「クルトなら死んでいました。それは事実です」

 どういうことだろう。クルトは戦闘技術も魔法の知識もあったと聞いたが、それでも死ぬ運命だったと言う。しかし戦闘技術も魔法もない僕だと生き残れる? それは一体……?

「あ、聞かれても答えませんよ。あなたの今後の選択にえいきようを与えるような情報は、いつさい与えられませんので。仮に与えてしまったらこの会談の記憶を消します」

「ええ……? じゃあなんで会いに来たんですか」

 女神はうーん、と指をあごに当て思案するりを見せたあと、にっこり笑った。

ひまつぶしですかね」

「じゃあこの会談は、僕に有益な情報を与えるでもなく、ただあなたが楽しむためのものだと?」

「そういうことになりますね」

 からかいに来たと言ってはばからないとは、やはり良いひとではない。

「まあ実際、あなたも会話に飢えているのでは? 戦闘中はまともな会話は出来ませんでしたし、宴でも記憶やら鍋やらにまつわる事務的な会話しかしていないはずです」

「いや団員さんたちと楽しく話しましたが」

「内容覚えてます?」

「…………覚えてないです」

 酒のせいだ。両親が「酒はこわいぞ」と言っていた意味が少しわかった。何を言ったか思い出せない。

「でしょう? だから少しくらいつき合ってくださいよ」

「……わかりましたよ」

 不承不承といった感じで答えると、女神は満面の笑みで質問をぶつけてきた。

「どうでした、初めての戦争は」

「怖かったです。でも短剣野郎が飛び出した時は自然と身体が動きましたね」

「魔法も見ましたよね」

「今のところそれが一番異世界って感じですね。戦闘で驚いている暇も無かったですけど」

「イリスちゃん可愛かわいいでしょう」

「……ええと」

 女神はにまにまと笑っている。そうだ、思考を読めるんだから答えは知ってるんだ。どう言いつくろうか迷ったのが鹿らしい。腹が立ったのでこちらからも質問をぶつけてみる。

「そういえばあなたの名前を聞いていなかったですね。ご存じの通り頭の中では女神って呼んでますけど、不便で」

「神の名はみだりに唱えるべからず。……ですが良いでしょう、特別に教えてあげます」

「おお……」

 女神はもったいぶったように豊満な胸を張り、まっすぐ僕の目を見て告げる。

「私の名前は繝翫う繧「繝<外字>繝<外字>繝医ユ繝??です」

「へ?」

「──では今回の会談はここまでです。おやすみなさい、来人」

 女神はそう言うと手を振り、それと同時に視界が回り出した。

「あっちくしようッ! 僕に有益な情報は一切与えないってそういうことか!」

 き取れない発音なら聞いていないのと同じ、全くの無益ということだ。それに気づいたところで、僕の意識も虚空に沈んだ。


    ◆


「クルト、そろそろ礼拝始まるわよ」

「ぐあ……」

 イリスの声で目が覚めた。頭になまりを突っ込まれたような感覚に思わずひどい声が出てしまう。これがふついというやつだろうか。「礼拝? 僕は無宗教なんで」──その言葉はあまりの気だるさから声にならず、結果的に僕に冷静に考える時間を与えた。

『──外法の産物かもしれないもの、知識のない牧師にでも引き渡したら魔女裁判モノじゃないかしら。告発しようかしら?』

 昨晩イリスはそう茶化していたが、この世界ではまだ宗教のけんが強いのかもしれない。そうであれば、宗教行事に参加しないのは印象が悪くなるかもしれない。

けど行く……」

 しぼり出すように答える。そうだ、僕は記憶喪失ということにしたんだ。ならば無宗教という言い回しはまずい。重い身体をはげまして立ち上がり、とびらを開ける。そこには僕と同様に気だるそうなイリスが待っていた。彼女も二日酔いなのだろうか。しかしその身体は昨日の魔法使い風のしようぞくではなく、まちむすめ風の服装に包まれていた。オクトーバーフェストとかいうドイツ風の祭典で女性店員が着ていた服に似ていて、肩からこつの下あたりまでがしゆつしている。バストは平坦だ。

「うわ、ひどい顔。下で顔洗って来なさいよ。あと身体もいたら?」

 彼女は鼻をつまむ仕草をして、先に階段を下りていった。そういえばに入るどころかえもせずに寝たんだった。あせと酒のにおいでひどいことになっているだろう。汚部屋を見渡して着替えとタオルを見つけると、それを持って階段を下りた。

 イリスは「水場は外に出て裏手」と言い残し、広間に行ってしまった。げんかんを出るとまばゆい日差しが目を刺す。八時か九時ごろだろうか──と思ったところで、そもそもこの世界の季節がわからないことに気づく。これでは日の高さで時間が推測出来ない。そもそも一日が二四時間なのかもわからないじゃないか。調べるべきことは多い。

 ギルドの裏手を右に回るとそこにはがあり、数人の男性団員たちが気だるげにたくしていた。井戸のすぐ近くに木板の仕切りがあり、その向こうから女性の声が聞こえる。……反対側は女性用か! 左に回っていたら女性こうしつに飛び込むようなかたちになっていたのだ。危ない。

「おはようございます」

「……ウィース……」

 あいさつすると低い声が返ってくるが、これは僕がクルトとして嫌われているからではなく、彼らが二日酔いだからだろう。……きっとそうだよね、と信じながら周囲を見渡すと、すいぼんがいくつかあったのでそこに井戸から水をみ──釣瓶は見様見真似で使った──ひとすくい飲んで喉をうるおす。よく冷えた水が喉から胃に落ちる感覚が気持ち良い。そのまま顔を洗うとだいぶ頭がすっきりしてきた。そしてチュニックをぎ、タオルを水にひたし軽く絞ってから身体を拭く。

「……痛い」

 恐らくあさせいであろうタオルはごわごわしていて肌にやさしくない。綿のタオルとは大違いだ。

「お前も二日酔いか?」

「ええ、まあ」

 二日酔いで頭痛がするとかんちがいしたのか、団員が声をかけてきた。彼は頭に手を当てながら、タオルで歯をみがいている。歯ブラシが無いとこうするしか無いのか。僕もそれに倣ってタオルを洗い直し、歯を磨きながら会話する。

「変なことお聞きしますけど、一日って何時間なんですか? あと今何時です?」

「お前マジで記憶喪失なのな。一日は二四時間、今は……そろそろ九時だよ」

「ふへー」

 おくを磨いていたので気の抜けた返事になったが、時間単位は地球文明と同じようで安心した。一時間が何分なのか、そもそも地球の一時間とこちらの一時間がいつしているのかは明らかではないが、そのあたりは実感覚で慣れていくしかないだろう。

「ちなみに今の季節は?」

「春だよ」

 太陽の位置を確認する。……うん、春の九時はこれくらいの日の高さだった気がする。時計が無いと不便だなと思いつつ、水盆の水面を鏡代わりにかみを整えた。……顔も似てるんだな、僕とクルト。クルトの方が少しりが深くて外国人っぽいけど。

なんだなぁ。ま、がんれよ」

 そう言い残してその団員は建物の中に戻ろうとする。他の団員もそうだ。そこで僕は重要なことを聞いていないと思い出した。

「あっ、最後に一つ教えてください!」

「ん?」

「トイレってどこです?」

 団員はしようし、しきの隅のほうにある粗末な小屋を指差した。僕はそこに駆け込んだが……ぼっとん便所どころかただの穴だった。小屋の中には深くられた穴があり、そばに木の葉が詰まった箱が置いてあった。

「えっ、これがトイレと……まさかトイレットペーパー!?」

 困惑している内に腹が痛みだしたので、仕方なく急いでズボンを下ろした。


 ……木の葉でいたんだ尻を気にしながらギルド本部に戻ってきた。礼拝は昨日宴会をやった広間で行うようで、テーブルと椅子の配置が変わっていた。見渡すとイリスの隣の席が空いていたのでそこに座る。……彼女が表情を変えないのを見るに、少なくともこの身体──クルトへの侮蔑は消えたと思って良いのだろうか。あと臭いの問題もきゆうだいてんを貰えたと信じたいが、やはりもくよくではなくちゃんとシャワーも浴びたい。そんなことを思っていると、団長がやってきた。

「よォ皆、おはよう! おはよう!!」

 そして広間に響き渡るほどの大声で挨拶した。

「団長声がでかいス、二日酔いなんで勘弁してください」

 昨晩飲み過ぎた団員たちが頭や耳に手をやりながら文句を言うが。

「酒に飲まれる方が悪いんだよ!」

 わかってやっているのだろう、団長はガハハと笑いながら必要以上の大声で答え、自分の席についた。それとほぼ同時、遠くでかねが鳴った。すると聖職者風の女性が席を立ち、皆の正面に来た。そういえばこの人、戦場で見た気がする。というかイリスと同じように戦士たちの後方で戦闘に参加していた気がするぞ。よくあるファンタジーもののように、この世界でも聖職者が戦場に出るのは普通のことなのだろうか。考えているうちに、彼女は挨拶を始めた。

「おはようございます」

「「「はざーす」」」

 団員たちが気だるげに粗野な挨拶を返すが、女性は気にした様子も無く話し始める。

「まずは昨日の戦闘、お疲れ様でした。幸いにしてわがギルドに損害はありませんでしたが、他の隊では多くの兵がまことしんこうのために命を落としました。まずは彼ら、彼女らのために祈りをささげましょう。──もくとう

 全員が目をつむり、僕もそれに倣った。……昨日生き残ったのは本当に運が良かったとしか言いようがない。たったの一発でも矢や槍をかわしそこねていたら、団長の傍に居なかったら、鍋が伏兵の短剣に当たっていなければ、今僕はここに居なかっただろう──そして昨日街に運び込まれていた負傷者や死体のようになっていた。

 そう考えると、胸が苦しくなってきた。ほんの少しの運の差で死ぬ。もう二度と、こうして祈ることさえ出来ない人がたくさん居る。それが戦争なのだ。僕は彼らのめいふくを祈った。──はて、何に? そういえばいつぱん的な、信仰を持たない日本人は一体何に祈っているのだろうか。僕は今まで何に祈っていた? 疑問が首をもたげた時、再び聖職者風の女性の声が響いた。

「──黙禱やめ。では、礼拝を始めましょう。先週の続き……といきたいところですが、今日はが居るので基本に立ち返りましょうか。申し遅れました、戦闘牧師のマルティナです」

 視界の端で、先程時間と季節を教えてくれた団員がウインクしているのが見えた。僕が完全に記憶を失っていることを配慮するよう、マルティナさんに助言してくれたのだろうか。僕は心からの感謝で頭を下げた。

「皆さんご存じの通り、我らがしゆはその振る舞いからぼうの神と呼ばれます。これは主が様々に姿を変えて地上に降り、人々を見守っていることに由来します。主は時にぼんぴやくの農夫として地を耕しながら、時にばたに群がる女の一人としてしせに紛れ、だれに意識されるでもなく、しかし確かに人のうちに紛れて人々の行いを見守っておられます。このように主は常に人とともにあることを良しとしますが、その本質はこんとんとされます。この混沌とは無秩序ではなく、あらゆる人種──エルフやドワーフ、へび人間など──がひとところに集まり、混沌をもつて調和となすことを示します。ゆえに我々はしんこうしんを持つ者であればあらゆる性別や人種、出自を受け入れます」

 不思議な信仰だが、ようは僕でも信仰さえすれば、仲間として受け入れてくれるということだろう。──ここで僕は一つ思い当たることがあった。僕をこの世界に転生させた女神。確か『神は君のイメージ通りのかたちをとる。ヒトはそのようにしか認識出来ない』と言い、実際僕のイメージ通りの姿に容姿を変えた。もしかして……?

「ゆえに我々は全てのたみへの愛を説きます。例えばあなたが差別したその人物が、まさに我らが主のかおの一つであったら? それは恐ろしいことですよね。──なんじりんじんを愛せ。主は常にあなたの隣人である──聖典にはそうあります」

 愛すべき隣人と言うにはあの神は意地悪過ぎる気がするな。やっぱり違うのだろうか。

「しかし我々は今、旧教をほうじるしよこうと戦争の最中にあります。彼らは混沌の範囲を、我々ヒト種ヒユームのうちだけに定め、エルフなど他種族の信徒を認めません。また権威にしがみつき、聖職者がまるで貴族のごとく振る舞っています。……全て、聖典に反する行いです。この戦争を通じ、早く彼らが真の信仰に目覚めることを祈りましょう」

 これは宗教改革が起こり──それによって戦争が起きているということだろうか? 団長が敵に「僭称皇帝」うんぬんと言っていたことから、新旧両派が皇帝をようりつしているのだろう。これも追々確かめなければ。


 そのあとは賛美歌を歌い、祈りを捧げて礼拝は終わった。今日は休日のようで、団員たちは各々の宿舎に帰り始めた。広間に残ったのは僕とイリス、そして団長だけだ。団長は僕たちのテーブルに座り、一枚の羊皮紙と筆記具──羽根ペンとインクだ──を置いた。

「どうだ、説教いて何か思い出したか?」

「いえ全く」

「そうかァ……。ま、しっかり働いてちゃんと祈ってりゃ、いつかは神のあいで記憶が戻るだろうよ」

 記憶喪失が噓なのでそれは無いのであるが、頷いておく。

「私はむしろ記憶が戻らないで欲しいんですけど。クソ野郎に戻ったら嫌ですし」

「言えてるなァ!」

 ガハハ、と団長がイリスの言葉に笑う。団長もクソ野郎だと思っていたのか。

「さて本題に移ろうか。本来ならお前みたいな記憶喪失者には教会でりようようを命じるところだが、今は戦争中だ。貴重な人手を教会にやるわけにもいかねェし、かといって無能を飼っておくほどギルドも甘くない。よってお前にはとっとと常識を取り戻して、かつ一丁前の戦力になってもらわにゃ困る」

「が、頑張ります」

「おう。そこでだ、イリスをお前の教育係としてつける。イリスはお前と同期の見習いだからな、本来ならベテランパーティーに割り振られて教育を受ける側だが……今は戦争中だ。既存のパーティーの足並みを乱すわけにはいかねェ。例外になるが、戦争が落ち着くまではお前たち二人でパーティー組んでよろしくやってもらう」

「団長、戦争が落ち着いたら私にも正式に教育係がつくんですよね?」

「主にちかって保証する。んで、一人前と認められたら──晴れてブラウエブルク市冒険者ギルドの正式団員だ。クルトもな」

「わかりました」

 イリスはほっとした様子で平坦な胸を撫で下ろす。僕は拒否する理由も無いので頷いた。

「さて、臨時かつ例外ではあるがパーティー結成の手続きをする」

 そう言うと団長はテーブルに置いた羊皮紙を取り、羽根ペンにインクをつけた。羊皮紙には既に何事か書かれているが、文字が読めない。そういえば僕たちが話している言葉は明らかに日本語ではないのに、自然と話せていたなと気づく。あの女神の配慮だろうか? でも文字は読めないのだから、ちゆうはん感はいなめない。そんなことを考えているうちに、団長はくうらんになっているところをめ終えた。

「リーダー、《平坦な》イリス。構成員、《ディーターのしんせきの》クルト。間違い無いか?」

「えっ、なんですかそのしようごうみたいなやつ。それにディーターって誰ですか?」

「あー? ……ああ、そういう知識も抜けてンのか。お前ら平民はせいがねェから、とくちようとかけつえんを姓の代わりにするンだよ。んで、ディーターさんは根無し草のお前を街に入れてくれた甲冑だ。感謝しとけよ? 紹介が無きゃその身なりでろうしや認定食らって、街に入ることすらかなわなかっただろうからな」

 確かにチュニックに鍋一つ持った男は浮浪者かしんしやだ、日本でも職務質問待った無しだろう。ともあれこれは思わぬ新情報だ、ディーターなる人物はクルトのことを何か知っているかもしれない。あとで話を聞きに行ってみたいな。それにしても……。

「《平坦な》て」

 イリスのバストはらしく平坦だ。

「どこ見て言った、燃やすわよ。……もう少し大人になったら改名するから」

 大人になったら平坦ではなくなるのだろうか。疑問だが、ファイアボールはらいたくないのでこれ以上いじるのはやめておくとしよう。

「二つ名でめるなよォ、あっ揉めないか」

「ぶっ殺しますよ」

「わりィ。……で、パーティー名だが。何か希望あるか?」

「【れんほのお】とかどうかしら」

 急に中学生が考えたような名前が出てきて、思わず噴き出しそうになった。一方、団長はしんみように頷いた。

「良い考えだ、じゃあ【鍋と火トプフ・ウント・フオイア】な」

「なんで!?」

「なんでよ!?」

 イリス案も子供くさくて嫌だが、団長案もひどい。イリスが強くこうしているが、団長は笑っていなす。

「仮パーティー名だから良いンだよ、ダサい名前のほうが早く成長してだつしゆつしたくなるだろ? イカした名前は正式にパーティー組む時まで取っておけ」

「むう」

 そう言われてはなつとくせざるを得ない。不承不承といった感じでイリスも引き下がった。僕もイリス案よりはマシだと思うので頷いて、別案が無いことを示した。すると団長は表情を引き締めて立ち上がった。イリスが椅子を立ち、床にかたひざをついたので僕もそれに倣った。

「というわけで。ブラウエブルク市が冒険者ギルドのおさ、ゲッツ・フォン・ブラウエブルクが問う。神と領主の権威を認め、その血を人と、人に連なる者のために流すことを誓うか?」

 人に連なる者。マルティナさんの話を思い出し、エルフやドワーフのことかと見当をつける。

「「誓います」」

「よろしい。戦時による特例措置ではあるが、未熟なる汝らのを認め、冒険者ギルドの権威と義務を【鍋と火】の名とともにさずける」

 団長は手のひらで僕とイリスの首筋を軽く叩いた。

「……以下は特例につき省略。まあ、よろしくやれよ! 解散!」

「「はい!」」

 僕とイリスは元気よく返事をし、パーティーを結成した。【鍋と火】という名前は気に入らないので早く一人前になって改名したいところだが。

 そういえば、「お前ら平民は」と言っていたから団長は貴族ということだろうか? 騎士リツターと言っていたし、二つ名ではなくフォン・ブラウエブルクって名乗ってたし、あれは貴族号なのかな。そんなことを思っていると、話は終わったと見たかイリスが帰ろうとしていたので、急いで引き止めた。

「待って待って! 君が良ければなんだけど、街を案内してくれないかな。せっかくの休日だし何かしたいんだけど、街のことも何もわからないからさ」

「安息日はそもそも何かする日じゃないわよ。……いや、そういう記憶も無いのね。わかった、散歩がてら案内してあげる。今日はさっき言った通り安息日だから、どのお店もやってないわよ。本当に歩くだけになると思うけど、良い?」

もちろん。ありがとう、リーダー」

「ふふん。教育係も仰せつかったことだし、特別に休日出勤してあげるわ」

 リーダーを強調するとイリスは上機嫌になり、ほこらしげに平坦な胸を張った。

 イリスを先頭にギルド本部を出るとすぐに彼女は案内を始めてくれた。

「冒険者ギルドを出てすぐのところが南門。道路をはさんで正面が南の衛兵つめしよね」

 昨日は戦闘で疲れ切っていて確認するゆうも無かったが、確かにすぐ近くに門とじようへきがあった。

「へえ、冒険者ギルドって結構端にあるんだね。出動しやすいから?」

「いいえ……信用されてないのよ、私たち。ハルバート野郎も半傭半賊って言ってたでしょ? どの地域でも冒険者ギルドのイメージはそれよ。モンスターり専門の半傭兵。クエストに向かう途中の村でろうぜきを働く半賊。間違っても街の中心には住ませてもらえないわね」

 ウチは団長のおかげで規律がしっかりしてるからしんらいされてるほうだけどね、と続けながらイリスは歩く。……冒険者ってこう、街をモンスターから守るたよれる存在! みたいなものを想像していたのでちょっと驚いた。市民と接する時は気をつけるとしよう。

「まっすぐ北に歩くと川に突き当たるわ。街を南北に分けてるこれが、そのまま中心の川ツエントララーフルスって名前の川」

「中川か」

「何その略し方、面白いわね。……で、源流は東側のあの山ね。青い山ブラウアーベルク

 イリスが城壁をえて指差すその先には、文字通り青い山があった。緑を示す青ではなく、のように青いのだ。遠目に同じ色のものがちらほらと風で飛んでいるのは、葉だろうか? ああいう色の葉をつける木が群生しているのかもしれない。

れいだ……」

「でしょ? この街の資源にして水源。あの山から流れる水は地上では中川、地下では井戸水になっているってわけ。……あっ、あの山の治安維持はギルドの仕事だからね。そのうちクエストで行くことになると思うわ」

さんぞくでも住んでるの?」

「理性のある山賊なら、大都市の真横に根城構えたりしないわよ。……ゴブリンとか、モンスターがみ着くことがあるのよ。そいつらに水源せんされたら困るでしょ?」

 なるほど本当に居るんだな、ゴブリン──というかモンスター。そのうちモンスターに関する知識も叩き込まねば。

 イリスは川沿いに東、すなわち上流に向かって歩いてゆく。すると川沿いに水車がいくつも建っているのが見えてきた。

「この辺がこうぼう通りね。こなき屋とかとか、水車の動力が必要な職人はこのあたりに住んでいるわ」

「鍛冶屋──あっ。もしかして甲冑鍛冶も居る?」

「居るわ。そうね、ディーターさんに話聞いてみたら? 何か思い出すかもしれないし」

 こうして二人でディーターさんの工房に行くことになった。……のだが、ディーターさんの工房の前には、黒服に身を包んだ人たちが集まっていた。皆一様に涙を浮かべている。僕は嫌な予感を覚えながらイリスにたずねる。

「あの、これって」

「……そうれつね」

 やっぱり。二人で近づいてみると、一人の中年女性が参列者に向かって涙ながらに話しているのが見えた。

「皆さん、今日は夫ディーターのために来てくれてありがとう。夫は市民兵としてゆうかんに戦い、自らきたえた甲冑と自身の身体を盾に戦友を守り、たおれたと聞きました。どうか彼の勇気を讃えて送り出してあげてください」

 なんということだ。手がかりになるかもしれない人物が戦死していた。どうしたものかと思っていると、女性はそうしきは他の戦死者とともに教会でり行うことを告げた。今はひつぎが運ばれるまでのあいだ、故人との思い出話や挨拶をする時間のようだ。

「挨拶、してきたら」

「……そうだね」

 気まずいが、聞かねばならぬことがある。それに団長が言っていたように、クルトがこの街に住み着く手引きをしてくれたという恩がある。本人に礼を言えなかったのは残念だが、せめて遺族には伝えるべきだろう。

「奥さん、こんにちは。……だんさんの……」

 この世界の宗教ではご冥福をお祈りすべきか、それともおやみ申し上げるべきかわからず言葉に詰まってしまう。するとイリスが僕の後ろに隠れ小声で教えてくれた。僕はそれを復唱する。

「……れいこんが無事に主のもとにされ、その力となることをお祈り申し上げます」

「ありがとう、あなたにも神の視線あらんことを。……ごめんなさいね、あなたが誰か思い出せないわ。お名前を伺っても良いかしら?」

「クルトです。《ディーターの親戚の》クルトといいます。今は冒険者ギルドで見習いをしています」

「ああ! そういえば夫が『親戚が来たぞ。クソ野郎だけど』とか言ってたわね」

 やっぱりクソ野郎と思われていたのか。それを本人に憚り無く言う奥さんも中々だが、今は黙っておこう。本題を切り出す。

「実は僕、昨日の戦闘で記憶喪失になってしまったんです。それで、旦那さんにお話を伺えば何か思い出せるかなと」

「まあ……。神よ、どうして夫を連れて行ってしまったの? ごめんなさいね、あなたのことはそれきり何も聞いていないの」

 クソ野郎としか説明しなかったなんてあり得るのか? それともクルトは説明すらも憚られる程のクソ野郎だったのか。

「そう、ですか……。残念です。でも、ありがとうございます。今こうして僕が生きているのは、間違いなく旦那さんのおかげですから。それだけはお伝えしたかったんです」

「そう言ってもらえれば夫も喜ぶと思うわ。何か力になれれば良かったのだけれど……そうだ。ヴィム!」

 彼女が呼ぶと、一人の少年がやってきた。炎のような赤毛が目立つ、がっしりした体格の少年だ。

むすのヴィムよ。甲冑鍛冶見習いね。あなた冒険者ギルドの見習いって言ってたわよね? きっと力になれると思うわ」

 奥さんの両目から涙が消え、「商」「魂」の二文字が映った気がした。……たくましいな!

「ども」

 ヴィムと呼ばれた少年は無愛想に頭を下げた。そういう性格なのか、父の死の悲しみを押し殺してそうしているのかはわからなかった。歳は近そうなので仲良くしたいところだが……。

「僕はクルト。お父さんにお世話になったらしいんだけど、どうにも記憶喪失になっちゃって……。今は冒険者ギルドで見習いやってるから、いつか防具を買いに行くと思う。よろしくね」

「……よろしく」

 僕とヴィムはあくしゆした。会話はそれきりかと思ったが、ヴィムは視線を僕のこしに落とした。そこには、ベルトからひもった鍋がある。クルトがそのように吊るしていたけいせきがあったので僕もそれに倣ったかたちだが、失敗だった気がしてきた。

「その鍋」

「えっ」

「……いや、今は良い。今度、見せに来て」

「わ、わかった」

 イリスによればこの鍋は外法の産物と疑われかねないしろものらしい。公衆の面前でてきされたら大事になるかもしれないとどぎまぎしたが、助かった。今後はこういう事故が無いよう鞘のようなものを作るべきかもしれないなと思った。鍋に鞘とはおかしな話ではあるが。

 ……今度こそ会話はそれきりだった。僕とイリスは頭を下げ、帰ることにした。どうにも散歩という気分ではなくなってしまった。

「……ディーターさんの息子、目が良いわね」

「僕も気づかれるとは思わなかったよ」

 鍋は二~三人前用のなべで、片手で握るためのハンドルが伸びている。鍋肌は黒く、刻まれた付呪は非常に小さな文字なので、手に取ってじっくりと見ないとその異常性には気づかないはずだ。だがヴィムはそうするでもなく気づいたのだ。

「見せるつもりなら用心しなさいよね」

「わかってる」

「それにしても昨日の戦闘。思ったよりがいが大きかったのね」

 あれが教会、とイリスが指差す建物の敷地に続々と棺が運び込まれていた。石造りで、鐘を備えたせんとうが目立つ。

「……運が良かったんだろうね、僕たち」

「そうね。でも運に頼らず、実力を磨きましょ。死にたくなかったら強くなるしかない。冒険者は死に近い職業なんだから」

「そうだね。……生き残らなきゃ」

 クルトのこと、鍋のこと、気になることも多い。生きてそれらを調べなければ。何より、この第二の人生をおうしたいから。

 やがてギルド本部に着いた。

「じゃ、私は魔法の勉強でもしてるわ。また明日」

 イリスは自室に戻ろうとするが、まだ用事があることを思い出したので急いで引き止める。

「ちょっと待って、今日僕まだ何も食べてないんだけど、ご飯どうするの?」

「安息日だからどの店もやってないわよ? 事前に買っておく……ごめんなさい、知らないんだったわね……仕方ない、昨日の宴会の残り物のパンでも貰ってきてあげる」

 数分もせず彼女はパンをかかえて戻ってきた。あの女神より余程女神に見えてきた。

「ありがとう……!」

「良いのよ、パーティーメンバーのめんどうを見るのもリーダーの仕事だし。じゃ、今度こそまた明日」

「また明日」

 イリスは自室に戻っていった。──僕の隣の部屋じゃん。拍子抜けしながら僕も自室の扉を開けると、あの散らかりきった部屋が目に飛び込んでくる。

「これは、そうだけで今日一日潰せそうだなあ」

 僕はパンをもそもそとかじりながら掃除を開始した。ライ麦入りのパンなのか、少しっぱい。

 結局今日という安息日──日曜日のことだ──は部屋の掃除だけで潰れてしまった。しかし気になることがあった。散らかっていたものは得体の知れない鉱物やかんそうした草花、そしてメモ束。メモに書かれた文字は読めない。これらが一体何に使う物なのか、何を示しているのか。追々調べてみるとしよう。

 それ以外は粗末な着替えや小さなナイフ──十字つばの横にとつがついた──と、そして鍋がすっぽり納まる小さなあさぶくろ、あとは日用品だ。そういえば皆ナイフを腰に差していた気がするなと思い出し、鞘ごと右手側のベルトにくくりつけた。鍋は麻袋に入れて左手側に。鍋鞘ならぬ鍋袋だ。これで目の良い人が鍋の異常性に気づくこともないだろう。

 一通り掃除が終わった頃には、部屋の中はすっかり暗くなっていた。照明はおろか窓ガラスも無いので、ね上げ式の戸板を開放して外の光を取り入れるしか無いのだが、外はもうやみに包まれていた。家々から漏れる街の明かりもまばらだ。窓から顔を出すと、春の草花の香りを運ぶ夜風がここく額を撫ぜた。──昨日戦争してたのにな。風に血や鉄の臭いは無く、まるであの戦闘が噓か夢のようだ。だが短剣野郎の頭を鍋で殴った感触ははっきりと思い出せるし、ディーターさんが死んだのも事実なのだ。

 物思いに耽っていると、教会からだろうか、鐘の音が聞こえた。時報なのかなと思ったその時、壁から控えめなノック音が響いた。

「……イリス?」

 彼女は隣の部屋だ。音が聞こえたあたりの壁に寄る。

「ん。今のが夜八時、消灯の鐘。春の朝は五時しよう、七時からミーティングね。おやすみ」

「ありがとう。おやすみ」

 彼女が僕の記憶喪失をづかってくれているのがうれしい。消灯と言ってもろうそくたぐいは見当たらないし、今部屋を照らしているのは月明かりだけだ。その明かりを頼りにパンを齧り、小さな水盆に汲んでおいた水で喉を潤した。これが夕食で、さてこれからどうしようと思ったが……メモ類は読めないし、暇を潰せるものも無いので寝るしかない。まだ夜八時にもかかわらずイリスがおやすみと言った意味がわかった。夜は出来ることがきよくたんに限られているのだ。

 スマホが恋しいなと思いながら、かんのため窓の戸板を少しだけ隙間を残して閉めた。幸い部屋が真っ暗になると同時に眠気が襲ってきたので、ベルトを外し、床にじかに敷かれたシーツにころがる。昨日は酒でった身体にむしろ心地好さすら感じたが、今は床の冷たさが直接身体にしんとうしてきて心地悪い。せめてとんが欲しいなと思いながら着替えを布団代わりにし、さらにシーツにくるまると、いつの間にか意識が落ちていた。


    ◆


 女神に呼び出されることもなく眠れた。朝の鐘で起きて、井戸の周りで団員たちと談笑しながら身支度し、ミーティングに参加する。全員が広間に集まった頃に団長がやってきて話を始めた。

「おはよう!」

「「「はざーす!」」」

「本日の新規クエストを発表する! ……なァし!」

 いかにもクエストボードといった感じのけいばんが広間にあるが、今は何もられていない(貼られていたとしても僕には読めないだろうが)。戦争と何か関係があるのだろうかと思っていると、団長がその話を始めた。

「続いて戦争の話だ。先日蹴散らした敵軍だが──」

 そこまで言って、団長は僕を一瞥した。

「あれはそもそも別動隊だ。選定侯閣下は敵が本隊と合流し街を包囲する前にせんけんたいを叩き、時間を稼ぐ作戦をられた。……知っての通り作戦は成功し、尻尾巻いて逃げた別動隊は僭称皇帝率いる本隊に向かって敗走、その進路を塞いだ。おかげで敵本隊の行動は遅れている」

「ザマぁねえな!」

「負けたうえに自分のお殿とのさまの道を通せんぼかよ」

 団員たちが口々に敵のしゆうたいちようしようする。

「……が、逆に言えば敵は本隊との合流を済ませちまったってワケだ。敗残兵を収容した敵本隊は兵力一万五〇〇〇程度になった。そして近日中に行軍を再開するだろうよ、ここに向けてな」

 団員たちは黙り、顔を見合わせた。自分たちが稼いだ時間は一体何日分なのだろうか、その日数にどれほどの意味があるのか、と。

「ここで二つ朗報がある。一つ、我らが正統なる皇帝陛下の軍がこちらに向かっている。その数一万五〇〇〇!」

「「「Foooooooo!」」」

「二つめ、先の会戦で選定侯閣下の騎兵隊が、敵方の商人の荷馬車やら何やらをかくした。そんで敵のしよくりよう事情は悪化してるンだろうな、ちようはつ隊が南方の村々を襲っている」

 ……それは朗報なのだろうか? 徴発──食糧を差し出させたりうばこうだろう──きんりんの村がそんな目にうのが良いことだとはとても思えないのだが。

「そこにつけ込む余地がある。分散した徴発隊を各個撃破し、敵の戦力をけずりつつさらに食糧事情も悪化させる──これが次の作戦だ。うまくいけば敵は軍を養うために退くか、やってきた皇帝陛下の軍に、削られた戦力でいどむしかねェ。俺たちは陛下の軍と合流するまでこの作戦で時間を稼ぐ」

 なるほど。敵が退けばよし、退かない場合敵は削られた戦力で戦いを挑まざるを得ないという、どちらに転んでもしい作戦というわけか。団長の一昨日の話ではこちらの兵力は三〇〇〇と言っていた。「皇帝陛下」の軍と合わせれば一万八〇〇〇になるはずなのでかなり有利に思える。

「で、だ。ありがたいことに俺たちはその作戦に従事することになった! 気合い入れろお前らァ!」

「「「Fooooooooooooooo!!」」」

 団員たちがかんせいを上げ、僕もそれに釣られてこぶしを振り上げるが──また戦うの!? 僕鍋装備なんだけど! 防具はマシになったけど鍋装備なんだけど! 戦いたくない! ……というのが本音であった。死にたくないもん!

しようさいはあとで伝える! 先に……お前らお待ちかね、給料と敵兵から巻き上げたカネの分配だ!」

「「「Foooooooooooooooo!!」」」

 戦争への感はすっかりカネの話でっ飛んでしまい、今度は心から拳を振り上げてしまった。だってクルトの持ち物にカネが一銭も無かったせいで、今日の食糧にも困ってるところだったんだもん(イリスに貰ったパンは今朝食べきった)。

 団長が彼の前のテーブルにジャラジャラと音が鳴るかわぶくろをドンと置き、各パーティーのリーダーを集めた。イリスが向かい、ホクホク顔で戻ってきた。

「お待たせ! 山分けで良いわよね?」

「もちろん!」

「じゃあ取り分けるわよ。はい、これがあんたの分ね」

 彼女はテーブルの上にこうを広げ、銀貨と銅貨を等分し片方を僕に渡してくれた。

「内訳は見習いの週給が銀貨一枚、りやくだつしたのが銀貨二枚と銅貨八枚ね」

「嬉しいなぁ(バイトしたことも無いから初給料だよ、という言葉は飲み込んだ)……ところでこれってどれくらいの価値があるの?」

「ええと、そうね……銅貨四枚が大体一日の食費。で、銅貨二八枚で銀貨一枚分の価値ね」

「なるほど。うん……? つまり、これで二三日分の食費ってこと?」

 イリスは一瞬まゆを跳ね上げたあと、頷いた。

「そうよ」

「見習いの週給って一週間分の食費だけなんだ」

「そうよ」

「で、一六日分の食費が戦闘の対価と」

「……そうよ」

「……しょっぱくない?」

「……そうね」

 いやしょっぱ過ぎでしょ。日本なら、一日の食費を一五〇〇円(安いコンビニ弁当三つがそれくらいだろう)として二万四〇〇〇円。矢の雨を鍋蓋で受けて、槍でどつかれた対価が二万四〇〇〇円???? やっぱり戦争行きたくない!

「まあ相手が市民兵だったし仕方ないんじゃない? これでも農兵よりはマシなはずよ」

「あ、その辺の区別について知りたいんだけど。軍隊ってどういう構成になってるの?」

「凄くおおざつに分ければ民兵、傭兵、槍組ランスに分かれるわ。民兵は都市や農村みたいな自治体で徴集された部隊。市民兵や農兵の総称ね。ほぼ平民で構成された歩兵だけど、指揮官は貴族のことが多いわね。兵隊の質は正直悪いわ、ひんみんだろうが装備自弁だし年数回の訓練しかしないし」

 僕たちの隣で戦っていた民兵もケーニッツ民兵隊も、後列の装備はれつあくだったなと思い出す。

「次に傭兵はりんやといのプロの兵士。平民も居れば貴族も居るし、歩兵専門部隊もあれば騎兵専門部隊もあるわ。戦争が無い時は山賊やりながら訓練したり、冒険者として活動してたりするからせんとうりよくは高めね」

「冒険者が半傭半賊って言われる理由はそれか……。じゃあ僕たちも傭兵の部類になるのかな?」

「半分ね。ギルドの運営資金は市と選定侯閣下にえんじよされてるから、常備軍とも言えるわね。で、最後に槍組ランスだけど。これは騎士が主力で、そこに彼らが養ってる平民のけいへい、乗馬歩兵、乗馬弓兵とかを加えたものね」

「根っからの騎兵部隊ってこと?」

「騎士と軽騎兵はね。乗馬歩兵とか乗馬弓兵は戦場では馬から降りて戦うわ。……いずれにせよ、槍組ランスの連中は馬に乗ってるぶんだけ遠くまで行けるから、徴発任務を任されたりするわ」

「つまり、次の敵は槍組ランスと」

「多分そうなるわね。彼らもプロの兵士だから、気を引き締めていきましょ」

「そりゃもちろん。死にたくないし! ……ところで、槍組ランスの人たちっておカネ持ってる?」

「彼らの乗ってる馬。最低でも金貨一枚は下らない」

「金貨一枚の価値ってどれくらい?」

「銀貨四八枚分」

 銅貨一枚を三七五円、銀貨一枚を一万五〇〇円とすると金貨一枚は……五〇万四〇〇〇円!

「よっし、頑張ろう!」

 これでも危険に見合った値段なのかは微妙なところだが、どうやら見習い冒険者は危険をおかさねば食費を稼ぐのが精一杯だとわかった以上、頑張るしかない。逃げ出しても他に仕事があるとも思えないし。


 団長が、団員たちがカネを取り分け合ってわいわい騒いでいるのを暇そうにながめていたので、ディーターさんがくなっていたことを伝えに行った。

「そうか。腕の良い人だったんだが残念だなァ……。ところでお前、それじゃ《ディーターの親戚の》って通り名を使うのは憚られるようになっちまったな」

「そういえばそうですね」

「じゃあ、お前今日から《鍋の》クルトな」

 果てしなくダサいが、他に特徴と言われると《記憶喪失の》になってしまうので抵抗出来なかった。僕は今日から《鍋の》クルト。そういうことに、なった。

《鍋の》かー、ともやもやしていると、団員たちのけんそうが収まったのを見計らった団長が再び話し始めた。

「んじゃ今後の具体的な行動を伝えるぞ。俺たちと傭兵隊で構成される歩兵隊は、選定侯閣下の騎兵隊とともに南方のハイデ村に向かう。歩兵は村の中に、騎兵隊は付近の森にひそんで敵の徴発隊を待ち受ける。んで、ノコノコとやってきた徴発隊を挟み撃ちって寸法だ」

 僕たちは村で敵を引き止め、騎兵隊が横っ腹を叩く。それならかくてき安全かもしれない。騎兵隊の活躍に期待しよう。

「先の戦いではよォ、戦列を組むなんざ兵の真似事をいられたが……今回は小さな村の中だ、長々とした戦列を組む空間はほどねェ。つまりはいつも通り、モンスターの群れに突っ込むように各パーティーでバンバン斬り込んでバンバン殺せ。少数せいえいいつとうせんの冒険者の戦い方を敵味方に見せつけてやれ!」

「「「Foooooooooooooo!!」」」

 全然安全ではなかった。現実は厳しい。

 団長は一三時にしゆつたつするむねを伝え、ミーティングはお開きになった。僕はイリスといつしよえんせいの準備を調ととのえることになった。

「とりあえず食糧の買い出しね」

 そう言うイリスとともに街に繰り出し、硬く焼かれたパンを三日分と革製の水袋、そして麻の大きなぶくろを買った。この時点で残金は銅貨二枚(半日分の食費だ)だけになっており、僕は殆ど泣きそうだった。

「そんな顔しないでよ……勝てばまた戦利品が手に入るんだから元気出しなさいってば」

 イリスはそうなぐさめてくれた。そうだ、さっき決意したじゃないか。もう勝って相手から奪うしか生きる道はないのだ。ここで逃げても、まだこの世界のことを何も解っていない今の状況では野垂れ死ぬしかない。戦って、生き残るしかないのだ。そして戦利品で生活の質を上げよう。決意を胸に僕は鍋袋とナイフを吊るしたベルトを締め、集合場所に向かった。

ドラゴンノベルス5周年記念フェア

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