第四章 悪役令嬢と悪役王子は共に学ぶ


◇◆クラリス視点◆◇


 私、クラリス=シャーレットは、しようであるヴィネの付きいで、王都のよろず屋ペコリンに行くことになったのだけど、そこには何とエディアルド殿でんが来ていた。

 しかも私と同じようなじゆつのローブに身を包んで。

 このシーンは小説のびようしやにはなかった。

 そもそも小説に登場するクラリスは、この店を知らないはず。私はヴィネがばんのうやくの調合にはミールの泉の水がいるっていうのを聞いて、買い物についてきたのだ。

 だってよろず屋ペコリンといえば、小説にも出てきたレアアイテムの宝庫。この際だから色んなアイテムを手に入れたいと思うじゃない。

「あら、二人とも知り合い?」

 私とエディアルド殿下をこうに見てから、にやーっと笑うヴィネ。

 い、いや、そんな期待に満ちたみをかべられても、少女まんのようなあまい展開とかないですから!!

 うわ、店主さんまでニヤニヤしてこっちを見ているし。

 そ、そんな甘い展開なんてない──。

おれはクラリスのこんやくしや、エディアルド=ハーディンだ」

「エディアルド=ハーディン第一王子殿下!? ……幼い貴方あなたを遠くからお見かけしたことはありましたが、ご立派になられて」

 そっか、ヴィネは元きゆうていくすだから、城内で幼いころのエディアルド殿下を見たことがあるのね。

 ヴィネは私の方を見てから、何を思ったのかニヤつくくちびるを手でかくす。そして深々と頭を下げエディアルド殿下にごあいさつをする。

「私はとーってもしがない薬師でございますが、クラリスこうしやく令嬢に薬学を教えているヴィネ=アリアナと申します」

「ヴィネ=アリアナ……!?」

 エディアルド殿下はその名前を聞いてぎょっとした様子だ。ヴィネのことを知っているのかな? 元宮廷薬師だし、かなりの実力者みたいだったから、知っていてもおかしくはなさそうだけど。

 エディアルド殿下は、すぐに何事もなかったかのように笑顔を浮かべてヴィネにたずねる。

「薬学? クラリスには一体どんなことを教えているんだ?」

 エディアルド殿下の質問に、ヴィネは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべてから、ドヤ顔で説明をする。

「もちろんれ薬とか精○ぞうきようざいとか」

うそ言わないでください!!」

 私はすかさずもうこうをした。

 な、何てこと言うのよぉぉぉ!! そんなもん作っているって思われたら、とんだ変態女に思われるでしょうがぁぁぁ。

「基本的な薬の作り方を教わっているんです!! に効く薬とか、腹痛に効く薬とか」

「うふふふ、あの子にできあいされるような強力なやくの作り方も教えてあげよっか?」

 色っぽい声で耳打ちしてくるヴィネに、私の頭はしゆんかんかし器のごとく熱くなった。

 うううう、エディアルド殿下に後ろからきしめられるシチュエーションをもうそうしてしまう自分がのろわしい。

 去れ、去るのだ、ぼんのう!!

「そ、そんな事教えてもらわなくてもいいです!! と、とにかく早く用事を済ませて帰りましょう!!」

「あら、せっかく会えたのだから、婚約者とデートしたらいいじゃない」

「な、な、何を余計なことを……っっ!!」

 ますます顔を真っ赤にする私を見て、エディアルド殿下はしそうに笑いながら、こちらに手を差しべた。

「クラリス、君の先生もせっかくそう言ってくれているのだし、いつしよに街を歩かないか?」

「……!?」

 前世で見た西洋美術で、大天使ミカエルの絵があったけど、あの絵が実写化したらこんな感じの笑顔なんじゃないだろうか。

 それほどれいな笑顔を前に、きっぱりと断ることができますか? いいえ、できません。

 エディアルド殿下の笑顔にれていた私は、半分無意識にうなずいてかれの手をとったのだった。

 前世ではかれもいたし、手をつないで街を歩くなんてこと、慣れたものだった。でも、あくまでそれは遠い昔のおくに過ぎない。

 今は、れんあいに不慣れな十七さいおとな自分もいるわけで、胸のドキドキが止まらない。

「あそこが王都で一番大きい公園、メルン広場だ」

 エディアルド殿下は王都をしょっちゅう歩き回っているのか、勝手知ったる様子で案内してくれる。

 メルン広場の中央には円形の大きなふんすい。その中央にはがみ像が建っている。

 広場の至る所には花が植えられていて、今の時季は青系統の花がたくさん植えられている。あおのアーチなんかSNSえしそうだ。

 それにしてもエディアルド殿下は花を背景にしたらひときわ美しい。

 もう非現実的な美しさだ。ずっとでていたい。

 私の視線に気づいたのか、エディアルド殿下がこっちを見て首をかしげた。

「どうした? クラリス」

「い、いえ。何でも」

「もしかして俺に見惚れてた?」

「え……あ……はい」

 向こうはじようだん交じりに尋ねてきたのだろうけど、私は思わず正直に頷いていた。

 まさか私が正直に答えるとは思っていなかったようで、エディアルド殿下は目をまん丸にしてから、顔を真っ赤にした。

 うわ、耳まで真っ赤になって……可愛かわいい反応に私の胸はキュンキュンしてしまう。

 ここは冷たい飲み物でも飲んで落ち着かなきゃ。

「あ、あの……何か飲みません?」

 公園の屋台には果実の飲み物が売っている店もある。った顔を冷やしたいし、歩いてのどかわいてしまった。

 エディアルド殿下は頷いて、私の手を引いて屋台の方へ歩いていく。

 なんか本当にこいびと同士みたい。

 あんまり期待しちゃだけど……だって彼はいずれは聖女ミミリアに恋をする人だ。

 でも今だけは、このドキドキ気分を楽しみたい。

 飲み物を買った私達は公園のベンチにすわった。

「ところで君は、ヴィネ=アリアナに薬学を習おうと思ったんだい?」

「……っ」

 一瞬、飲んでいたジュースがまりそうになった。

 そ、そうよね。貴族令嬢が何故、町のかたすみに住んでいる薬師に教えをうか、不思議に思うのも無理はない。

「私は魔術が得意なのですが、中にはどうしても魔術だけでは治らない病もあります。この前熱でたおれてしまって、得意な治癒魔術も効かず、薬も手元になく、もどかしく感じていた時、びようしようだった母の薬を処方してくれた人のことを思い出したのです」

「成る程、それがヴィネだったわけだ」

「はい。若いけれどすごゆうしゆうな薬師だったので」

 エディアルド殿下はなつとくしたみたいだった。

 何かあった時の為に、独り立ちできるよう色んなスキルを得たいという本音はせておくけどね。

「薬学の勉強はおもしろい?」

「はい、とてもおくが深くて面白いです」

「俺も時間があったらやりたいな」

「殿下も薬学に興味があるのですか?」

「ああ、今、魔術を勉強しているのだが、上級魔術は魔力消費が激しいからな。いざ魔力が切れた時、薬を作ることができた方がいいと思って、宮廷薬師に教えを請おうと思っていたところだ」

 私は内心ぎょっとした。

 上級魔術って今言ったよね?

 小説のエディアルドは魔術がろくに習えていなかった筈。確か師匠であるベリオースが、第一王子のあまりの鹿さ加減にさじを投げていたって設定だった。

 悪役王子は『あんこくの勇者』に目覚めてから、初めて魔術が使えるようになったのだ。

 お茶会の時から、小説のエディアルドとはちがうな、と思っていたけれど、きちんと魔術の勉強もしているのね。それに薬学も学びたいって、かなり勉強熱心でな印象を受ける。

 このまま正しい道を歩めば、彼も『闇黒の勇者』にならないのでは?

 私がそんなことをぐるぐると考えていた時。

「おいおい、師匠がさびしく一人で酒を飲んでいる時に、のお前は可愛いとおデートですかぁ?」

 ベンチの背後、なんだかおどろおどろしい声が聞こえてくる。

 り返ると……わ、かなりのイケメン。でも、ちょっとチャラそう。

 白いフードマントには青と銀の糸でつばさけんもんしようえがかれている……宮廷魔術師、しかも上級魔術師の人だ。

 師匠、ということは、この人がベリオース? ベリオースってこんなにイケメンでチャラ男だったっけ???

「一人で酒って、またおどり子のリリーさんにフラれたのか?」

 あきれているのか、大きなためいきをつくエディアルド殿下に、青年はねたように唇をとがらせた。

「うるせー。どうせ俺は恋愛にえんの無い男だよ。こんなクソガキに先をされるなんてよぉ」

「クソガキって……俺は一応この国の第一王子なんだが?」

「いっそのこと不敬罪で俺をたいしてくれよぉぉ。俺を殺してくれぇぇぇ」

 おいおい泣きながら後ろから抱きついてくる青年に、ものすごくげんなりするエディアルド殿下。

 この人、本当にエディアルド殿下の師匠なの?? ぱらっているし、変な人がからんできたわね。

 あつに取られる私に、エディアルド殿下は苦笑いを浮かべて、泣いている青年を私にしようかいしてくれた。

「彼はジョルジュ=レーミオ。俺の魔術の師匠だ」

 ジョルジュ=レーミオ!?

 あー、それならイケメンなのも納得。それに酔っ払っているのも納得。

 小説の中でもかなり人気キャラだったものね。女好きで酒飲みだけどヒロインと出会って改心するのよね。そしてヒロインのことをいちに愛するようになって……ジョルジュが死んだ時は、感想らんが相当れたらしい。

 でもジョルジュといえば、ヒロインであるミミリアの師匠になる人物だった筈。何でその人がエディアルド殿下の師匠に???

 私は飲み物のコップをあやうく落としそうになりながら、エディアルド殿下とジョルジュを交互に見るのだった。

 酔っ払っているとはいえ、自分にすがりついてくる魔術師の青年にエディアルド殿下はめいわくそうだけど、特に不快に思っている感じじゃない。

 そもそも小説のエディアルドだったら、平民のジョルジュを師としてあおぐことはまずないだろう。

 二人は師匠と弟子という関係以上に、気を許し合えるあいだがらなのがうかがえる。

 あ、とりあえず初対面だし、挨拶はしておかないとね。

「は、初めまして。クラリス=シャーレットと申します」

「クラリス=シャーレット? ああ、殿下の婚約者か。うわさでは聞いているけど……」

 ベンチから立ち上がりしゆくじよの礼をとる私に対し、意外そうな目で見ているジョルジュ。

 彼の耳にもごうまんなクラリスという噂が届いているんだろうな。あるいは第二王子にきらわれたので、第一王子の婚約者に回されたとか。

「クラリスはしようわるな悪女ゆえ、第一王子との婚約を不満に思っている。しかも顔が不細工だって聞いていたけど、噂と全然違うじゃねぇか」

「そ、そんな噂が流れているのですか? エディアルド殿下との婚約は、おそれ多いとは思っていますが、不満など全くありません」

「だよなぁ、不満があったら、そんなにイチャついていないよな」

「い、イチャついた覚えはありません!」

 だんだん腹が立ってきた! 身に覚えがない噂を立てられていることに。

 私だけなら良い……でもエディアルド殿下が悪く言われるのはまんがならない。

 大方、ナタリーやその母親であるベルミーラが、あることないことをふいちようしているのだろう。

 あのお茶会に参加した貴族は、私の噂はいつわりだったことが分かっているけれど、お茶会に参加していない人物は、まだ噂を信じているだろうし。

「気にすんなよ、お嬢ちゃん。噂ってのは悪意と願望がコーティングされて広まるもんだからな。特に身分が高くて美人となるとやっかむやつはごまんといる」

「私のことは良いのです。ですがエディアルド殿下に不満があるだなんて……彼には何一つ不満をいだくような要素などないのに、何故そんな噂が広まるのか分かりません」

「そりゃ第一王子は馬鹿って噂が立っているからな」

「それこそ悪意と願望ですね。第一王子はおろかであってほしいと思う人間がいるのでしょう」

 ふんがいする私の言葉にジョルジュはしばらくおどろいた表情を浮かべていた。

 何か変なこと、言った?

 首を傾げる私にジョルジュはエディアルド殿下の首に手を回し、頭をぐりぐりとでてくる。

「このろう、お前の婚約者、むちゃくちゃいいじぇねぇか」

「ジョルジュ、いい加減にしないと本当に不敬罪に問うぞ?」

「今は王子じゃなくて平民のエディーだろ? 王子が平民の格好かつこうをして婚約者と街でデートしていたってバレたら、それこそ問題じゃねぇか」

 確かに今のエディアルド殿下は平民と変わらないちだ。

 王子だと平民の服を手に入れるのは大変だったんじゃないかと思う。ジョルジュにたのんで買いに行ってもらったのかもしれない。

 そ、それにしても、この二人本当に仲がいいわね。

 酔っ払っているとはいえ、王子であるエディアルド殿下に後ろから抱きつくなんて、よほど親しくないとできないこうだ。

 ちょっと私とヴィネの関係に似ているのかな? 小説の悪役エディアルドはとてもどくな人だったから、現実のエディアルド殿下には、ちゃんと心を許し合える存在がいて良かった。

 その時、私の目の前を水の柱が列車のようにビュンと通過した。

 そしてとがめるような女性の声がひびわたった。

「若い二人の恋路のじやをする奴は馬にられてしまいな!」

 ジョルジュの身体からだが本当に馬にでも蹴られたかのようにとつぜん数メートル先までっ飛んだ。

 水砲撃魔術ウオーターミサイルと呼ばれる水のこうげき魔術で、柱形の水をミサイルのように飛ばす魔術だ。攻撃をらうと、だれかに蹴られたかのように簡単に吹っ飛んでしまう。

「本当に良いふんだったのに、何てことしてくれるのよ!!」

 あれ……この声は、よーく知っている声だ。

 私は顔を引きつらせて振り返ると、ヴィネがむくれた顔でうでみをして立っていた。

 さっきのよろず屋の店主、ペコリンまで来ていて、つまらなそうに口を尖らせている。

「まさか私達をこうしてたの!?」

 吃驚びつくりして声を上げる私に、ヴィネは口元を手でさえ、ペコリンと共にクスクスと笑う。

「まっさかぁ。あたしはペコリンとおけしていただけ。たまたまあんた達と方向が同じだったのよ。ね、ペコリン」

「そうですよー。二人でお散歩していただけですー」

 物見高い女子二人は、明後日あさつての方向を見ながら言い訳をしている。

 い、今までの様子を二人は気づかれないように観察していたのか、恐るべし。誰かに尾行されている気配はじんにも感じなかったわ。

「もう少しでキスシーンが見られるって思ったのに」

「そうですよー。ロマンスをください、ロマンスを!!」

 目をうるうるさせてこっちを見るヴィネとペコリンに、私はかぁぁっと顔が熱くなる。

 そんなこと言われても、まだキスするほどの仲じゃないしっっっ!!

 いくら正式な婚約者になったからといって、会ったのは二回目で、おたがいのこともろくに知らないのだから。

 だけど、そんな風に言われてしまうと、思わず妄想してしまう。

 エディアルド殿下とのキスシーンを。

 ええい! じやねんほろびろ!

 よこしまな自分に内心あせりつつ、ふとエディアルド殿下の方を見ると、彼も照れくさそうに笑っている。

 ううう…………笑うと可愛い男って反則だと思う。

 水の柱をぶつけられてびしょれになったジョルジュは、かみき上げて苦々しい表情を浮かべながら立ち上がる。

「誰だよ、俺に水砲撃魔術を食らわせた奴は」

「私だよ、宮廷魔術師さん」

「んだと!? お前、かくはできて──」

 かたいからせ立ち上がったジョルジュの台詞せりふが止まる。まるで一時停止したかのように動かなくなり、ヴィネをぎようする。

 豊満な肉体を強調するようなしゆつの高い服、紅を引いていないのに赤い唇は肉感的。そして女のつやがこれでもかというくらいにあふれでたぼう

 ジョルジュは足早にヴィネの元に歩み寄り、その手をとった。

「いくら俺がいい男だからって、水をしたたらせるようなは感心しないな、お嬢さん」

「あら、せっかく良いところだったのに邪魔する方が悪いのよ」

「人の恋愛を見て楽しむよりは、自分の恋愛を楽しむのはいかがかな?」

 そう言ってジョルジュはヴィネの手のこうにキスをする。

 チャラい……ジョルジュ=レーミオがヴィネ=アリアナを口説くなんてシーン、小説には書いていなかったと思うけど。

 ヴィネはジョルジュの手を振り払いツーンとそっぽを向く。

あいにくな男はタイプじゃないの」

「俺はつれなくされる程燃える性格なんだ」

「もう一回水砲撃食らいたいみたいだね?」

「君の攻撃なら全身で受け止めてみせるさ」

 ジョルジュはヒロインミミリアに恋心を抱くようになり、かのじよを守るために魔族の皇子、ディノと戦って命を落とす──でもミミリアに出会う前は、酒好きで女ったらしというクズ男だった。

 その女たらしぶりが今、見事に発揮されている。まぁ、当然ヴィネに往復ビンタされてそっぽ向かれているけど。

 いくら顔がいいからといっても、出会ってすぐ口説くようなけいはくな人はアウトだわ。

 こんな人が本当にヒロインのことを好きになるの?

 もしかしたら、この世界のジョルジュは違うのかもしれない。すでに私やエディアルド殿下も小説の筋書きとは違う道を歩んでいる。他のキャラもそうなる可能性はある。

 ジョルジュはチャラいけど好きな女性には一途だったみたいだし、その心がヴィネに向けられたら……とは思うけど。

 ヴィネは派手なよそおいとは裏腹に女手一つで子供を育てているし、根は真面目で働き者だ。私にも熱心に薬学を教えてくれる。

 だからヴィネには幸せになってほしいと思っている。

 ジョルジュがヴィネに対して一途になってくれるのなら……とは思うけど、どうなのかしら?

 今のところただのチャラいナンパ野郎にしか見えないから、なおおうえんできない。

「ところでお嬢さんは、俺の弟子達の関係者か何かか?」

 エディアルド殿下に後ろから抱きついて、きんぱつの髪の毛をわしゃわしゃ撫でているジョルジュに、ヴィネは軽く肩をすくめて答える。

「あなたの弟子の許嫁いいなずけの師匠よ。可愛い弟子の幸せを願って、ペコリンと共に見守っていたのに」

 ペコリンはうんうんと首を縦に振る。

 見守っていたって聞こえはいいけれど、人のデートを興味半分でのぞいていたと言った方が正しいと思う。

「ちなみに君はクラリス嬢に何を教えているの?」

「薬学よ。この子、自分で薬を作れるようになりたいんですって」

 ヴィネは私のとなりこしけて、きゅっと抱きついてくる──変なところでジョルジュと張り合っているわね。

「薬学……っっ!! そういえば、俺の可愛い弟子も薬学を習いたいって言っていたな?」

「え……ジョルジュに言ってたかな?」

「言っていたよな? 習いたいって」

「……うん、言った」

 笑顔の圧力に押されたのか、エディアルド殿下は視線をそらしながらこうていした。

 まぁ、確かに私との会話でも、薬学を習いたいってことは言っていたけど。

 ジョルジュはそんなエディアルド殿下の金髪を、もう一度わしゃわしゃと撫でながらヴィネに提案をしてきた。

「俺の弟子に薬学を教えてくれないか? その代わり俺は君の弟子に魔術を教えるから」

 ジョルジュは薬学については専門じゃないのだそう。ヴィネはヴィネで薬学が専門で、魔術に関しては、中級魔術までは使えるけれど上級魔術は使えない。

 上級魔術も習得したい私としては、ジョルジュ=レーミオから魔術の教えを受けるという提案は悪くない。というか、むしろだいかんげいなんだけど、彼の下心を思うと素直に「はい」とは言いづらい。

 ヴィネはそんな私の心の中を察したのか、くすっと笑って私の肩をたたいた。

「いいよ。王子様の師匠になれるなんてほまれだし、月謝もたっぷり払ってくれそうだし」

「ジョルジュの給料が三十万ジーロだから、それぐらいでいい?」

「!?」

 自分が提示しようとしていた額の三十倍の値段をエディアルド殿下が提示してきたので、ヴィネは驚きのあまり白目をむきかけた。

 さ、さすが王子様。金持ちすぎるよ。

 もちろんヴィネは親指を立ててかいだくしましたけどね。そりゃ、がさないよね。こんな上客。


 こうして私とエディアルド殿下は共にヴィネの家で薬学と魔術を習うようになった。

 一つ助かったのは、ジョルジュから人を寄せ付けない為の魔術を教えてもらったこと。私が実家にはないしよで薬学を習いに来ていると知った時に教えてくれたのだ。

「ロス・インタレスティア」

 私が部屋にその魔術をかけると、部屋にはうっすらとあわむらさききりただよう。

 この霧が部屋にかかっている間、人々は私に対して無関心になり、この部屋に近寄ろうとしなくなる。

 持続時間は三時間だけど、魔石を置いておくと半日持続する。魔石は五万ジーロとかなりお高めながら、何度でもり返し使えるし、必要なものなので思い切ってペコリンでこうにゆうすることにした。

 私は時間を気にすることなく、自由に外へ行き来できるようになった。

 ヴィネの家にはたいてい私の方が早く着く。

 エディアルド殿下とジョルジュは城から外へ出るのに何かと準備があって時間がかかるのか、後から来ることが多い。

「あ、ジョルジュとエディーだ!!」

 エディアルド殿下とジョルジュがヴィネの家に来ると、ジン君はうれしそうに飛び上がってジョルジュに抱きつく。

 意外にもジョルジュはやさしい笑顔を浮かべ、そんなジン君を嬉しそうに抱き上げるのだ。

 そんな様子を見たヴィネはいぶかる。

「あんたって子供のあつかいに慣れているね」

「俺はいんで育っているからな。小さな子供の世話はお手のものだ」

「……」

 しれっと何でもないことのように言うジョルジュだけど、ヴィネは複雑な表情を浮かべた。

 彼の意外な過去を知って同情しているみたいね。そういえばジョルジュが自分の過去を話すのって、小説ではミミリアだけだったような気がするんだけど。

 ヴィネはすぐに気をとりなおして手を叩いた。

「さ、授業を始めるよ」

 以前ヴィネと薬を作った部屋が私とエディアルド殿下の教室になった。

 最初はジョルジュの授業だ。

 ヴィネの養子であるジン君も訳が分からないながらも、一緒になってジョルジュの授業を聞いている。

 小さな弟ができたみたいで可愛い。でもジン君は気のせいか、エディアルド殿下のことをライバル視しているみたい。エディアルド殿下のやることなすこと「ぼくもやる!」といって真似しようとするし。負けずぎらいな男の子なんだよね。

 ジョルジュの授業は、面白おかしいエピソードを交えて教えてくれるから、とても分かりやすい。

 魔術の成り立ちを知ることで、魔術のコツをつかみやすくなり、より効力や効果が増す。

 魔術の歴史である魔術史は、学校で習う教科のなかでは軽視されがちらしいけど、実は大切なことだとジョルジュは教えてくれた。チャラい男だけど良いことを言うのよね。

 私やエディアルド殿下が熱心に授業を聞いているのが嬉しいのか、ジョルジュも得意げになって色々教えてくれる。

 小説の通りこの人は本当に教師に向いている──チャラいけど。

 一番楽しみなのは授業の合間のティータイム。魔術の授業が終わったら一度きゆうけいのお茶会をすることになっているのだ。

 毎回ヴィネが焼きたてのケーキやクッキーをごそうしてくれる。

 ヴィネが作ったクッキーは凄くしいの。この前のお茶会で食べたあのクッキーとはまた違う味わいなんだけどね。ぜんりゆうやオートミールを使ったクッキーは身体にも優しくぼくな味わいで大好きなんだ。

 小説の中のクラリスは本当に馬鹿だと思う。こんなにいい人を困らせていたなんて。

 私は改めて小説のような悪女には絶対になるまい、と心にちかう。

 自分が死にたくないという理由もあるけれど、優しい薬師であるヴィネの笑顔を失いたくないと思ったから。

 それに……。

 ちらり、と私は隣の席に座るエディアルド殿下を見る。

 彼もまた美味しそうにヴィネの手作りクッキーを食べていた。

 小説の中のエディアルド=ハーディンはしよみんが作ったものなど食えるかっ! って、っていたような奴なのに。

 しかも勉強嫌いな愚かな王子として描かれていたけれど、今ここにいるエディアルド殿下はとても勉強熱心だ。ありとあらゆることを吸収しようとしている。

 私が一ヶ月かけて習得した授業内容も、わずか半月で習得してしまい、あっという間に追いつかれてしまった。魔術も既に四元素の上級魔術はきわめてしまっていて、今は光の魔術の習得に力をいれている。

 ただエディアルド殿下は治癒魔術があまり得意じゃない。できれば上級魔術を使いこなせるようになりたいみたいだけど、四苦八苦しているみたい。

 私は治癒魔術や補助魔術は得意なのでそういう部分は彼を補えるかなって思える。まぁ、聖女様にはかなわないけどね。

 ひんの人間をよみがえらせる程のりよくはないけれど、それでも一人でも多くのにんや病人を治せるようになりたい。将来エディアルド殿下の支えになるように……まだエディアルド殿下と結婚するって決まったわけじゃないけど。

 ううん、弱気になったら駄目。

 小説通りの展開だとエディアルド殿下も最終的には死んでしまう。

 先のことを考えると不安にはなるけれど、最悪な事態をかいできるように今、がんばらないとね。

 エディアルド殿下は私を婚約者に選んでくれた。

 この時点で小説とは全然違う展開なのだから。

 この人が死なないように、そして自分も死なないように、フラグを倒しまくって回避していくしかない。


◇◆◇


 ハーディン学園じよりようの入寮日は入学式の二週間前。

 今までお嬢様だった娘がいきなり一人暮らしをするわけだから、かなり早い時期から入寮が受け付けられている。

 家具やしようなど暮らしを調ととのえるのにも時間がかかる。また本格的な学業が始まる前に、まずはじよじよに寮生活に慣れて、寮生活に向いているかいなふるいにかける為など、色々理由はあるみたい。

 私はハーディン学園内にへいせつされた女子寮の前に立っていた。

 学園は王都のはずれにあり、レニーの町にも程近いから、自宅から通うこともできる。

 でも私は寮に入ることを希望した。お父様には「勝手にしろ。ただし寮費はお前がなんとかしろ」と言われた。ナタリーはもちろん自宅から通う。

 寮費を自分で工面することを条件に許してもらった私は、入寮日に家を出てきたってわけ。あんな家には一秒たりともいたくないからね。

 ここがこれから暮らす所か。

 しろれんかべに、さんかくぼうのような赤い屋根が三つ。

 真ん中の屋根が一際高いのは見張りとうになっているからかな。

 学校の案内所で入寮手続きを済ませた時に渡されたオレンジ色の魔石は寮のかぎだ。

 ドアの真ん中にはめまれている無色とうめいな魔石に、手に持っているオレンジ色の魔石をかざすと、ドアの魔石が緑色に光り入り口が開く。

 中のエントランスロビーは、寮というよりホテルのような印象。

 そこでは二人の令嬢が何やら話をしていた。

「寮にあのクラリス=シャーレット嬢が入ってくるって本当?」

「噓……ものすごく傲慢な女だって噂じゃない」

「そんな人とうまくやっていけるのか心配だわ」

「……」

 最後の「……」は私です。

 入寮初日、私は他の寮生達に思いっきりけいかいされていた。

 噂をしていた令嬢達は、私の顔を知らないのね。私が社交界に顔を出したのってメリアおうのお茶会ぐらいだったから。

「でも、本当はままははしいたげられているって噂もあるみたいよ」

「ああ、だったら寮に入るのも納得」

「あ、あなたもクラリス嬢には気を付けた方がいいわよ」

 ちゆうから入ってきた私にづかうように令嬢の一人が言った。

 う、うわぁ……名乗りづらい。

 私が見るからに地味なワンピースで来たから、まさかクラリス本人だとは思いもしなかったのだろう。

 だけどここでだまっているわけにもいかないしなぁ。

 私は極力友好的な笑みを浮かべて自己紹介をした。

「私がそのクラリス=シャーレットです」

「「!!!????」」

 彼女達はまじまじと私を見ている。

 傲慢でごうよくなお嬢様にしては質素な格好……むしろ平民に近い格好をしているのだ。

 にわかに信じがたいと思うのも無理はない。

「ほ、本当にあなたがクラリス様……?」

「はい」

「あのシャーレットこうしやく令嬢の?」

「そうですよ」

 令嬢達は顔を見合わせてから、さぁぁぁと顔を青くして、何と私の前で土下座をしてきた。

「申し訳ございません!! 第一王子殿下の婚約者であるクラリス様に無礼なことを」

「わ、私はどのようなばつでも受けます!! どうか家族達には咎がおよばぬようごを……っっ!!」

 一体どんな悪女だと思われているのよ、クラリスは。

 私はしようしながら生徒の一人の肩を叩いて言った。

「社交界で私が何を言われているかはよく分かっているつもりです。噂を聞けばあなた達が身構えるのも当然のこと。けれども私はこの先つつましく生きていくつもりなので、できればこわがらずに接してくださるとありがたいです」

「「…………!?」」

 私の言葉に令嬢達は目をなみだうるませ、神にいのるかのように両手を組んだ……先程まで悪女として恐れおののいていた彼女らは、私がまるで女神であるかのように礼拝をする。

「あ、ありがとうございますっっ!! クラリス様、何て優しいお言葉。わ、私、ウェブスト男爵家のスーザンと申します。クラリス様のご慈悲、しようがい忘れません!!」

「私はコーエン子爵家のケイトです。本当に、本当にご無礼をお許しください」

 ウェブスト家もコーエン家も王都からは遠く、経済的にも豊かな家ではない。小説のクラリスはそういった令嬢達を自分の配下にしていた。

 何か今でも、私の言うことなら何でも聞いてくれそうな雰囲気だけど、配下じゃなくて、同じ寮生同士対等な仲間として仲よくしたいところだ。

「さっきのことはなかったことにして、お互い仲よくしましょう」

 私の言葉に二人は目を潤ませて何度も頭を下げていた。

 根は悪い人達ではないと思う、ただ噂にまどわされやすいだけで。

 まだちょっと私を恐れている節はあるけれどね。とにかく他の寮生達に迷惑をかけないよう、真面目に慎ましい生活を心がけないと。

 私は実家からの仕送りは当然ないので、寮費や学費は自分で払わないといけない。

 運が良いことにお金に困ることは今のところなかった。母親の遺産があるというのもあるんだけど、私自身も多少かせげるようになったからだ。

 ヴィネの店や王都のよろず屋であるペコリンにも私が作った薬を置いてもらっているし、王国軍からも回復薬やどく薬のらいがくるようになった。

 品質がいい私の回復薬はかなり売れ行きがよくて、多いときには一日二十万ジーロ売り上げることもあった。

 寮の部屋は決して広くはないけれど、一人で住む分には十分。

 ベッドがまつだってっている貴族令嬢もいるそうだけれど、私にとっては実家のベッドよりはるかにいい。

 その時ドアをノックする音がした。

 どうぞ、とうながすと、スーザンと名乗っていた令嬢がおずおずとりんが入ったかごを差し出した。

「クラリス様、これ、私の領地でとれた林檎です。よろしければおし上がりください」

「まぁ、スーザン様ありがとうございます」

 さっきの無礼のおびなのかな? 小説のクラリスだったら鼻で笑っていそうだけど、私は喜んで頂きます!

 ちょっと小ぶりな赤い林檎は、甘くてさわやかなにおいがする。

 しんせんな内は切って食べるよりはまるごと食べた方がおいしいだろうな。

 食べきれなくなったら、この林檎をつかって、今度アップルパイを作ってみよう。

 前世、手作りのパイを作るのにハマって、休みの日によく作っていた。そのパイ生地でキッシュを作ったり、ミートパイ、アップルパイを作ったりして。

 ヴィネのキッチンを借りて、今度作ってみよう。

 私は林檎の爽やかな匂いをぎながら、心の底から思う。

 寮に入って本当に良かったっ!

 これからはいやな家族もいないし、わずらわしい使用人もいない。

 気楽な一人暮らしを楽しんでやる!!


◇◆エディアルド視点◆◇


 小説の悪役王子、エディアルド=ハーディンに転生した俺は、小説のようなバッドエンドをける為に、小説とは違う行動を取ることにした。

 最初に小説の主人公の一人であり、俺のていである第二王子、アーノルドの婚約者になる予定だった悪役令嬢、クラリスを俺の婚約者にした。

 それからヒロインであるミミリアの師となる魔術師ジョルジュ=レーミオを俺の師とした。

 そのせいで物語の展開にズレが生じたのか。悪役令嬢であるクラリスもまた物語とは違う道を歩んでいた。

 まず俺の婚約者になることにさしたるていこうもせず受け入れたこと。小説のクラリスだったら恐らく全力で抵抗していたと思う。

 小説だとむすひとじちにとり、毒の処方をさせようとした薬師、ヴィネ=アリアナを薬学の師と仰ぎ、まるでまいのように仲よくしている。

 物語のズレはそれだけじゃなくて、ミミリアに恋をする筈だったジョルジュが、ヴィネに恋心を抱くようになった。

 出会ってすぐに口説く軽さがわざわいして、今のところヴィネには完全に警戒されているけどな。

 だけどジョルジュは、女手一つで実の子でもない幼子を育てているヴィネを見て、今まで飲み屋のお姉ちゃんを口説いていた時とは違うおもいを抱いているみたいだった。

 しかも実の両親を失っているヴィネのおい、ジンにも入れ込んでいるようで、さりげなくおや絵本、ちょっとしたオモチャを買っていくことがある。

 俺達はまるで家族のようにヴィネの家で過ごしていた。

「今日はクラリスと一緒にアップルパイを作ったよ!」

 ヴィネとクラリスが、それぞれ焼きたてのアップルパイの皿を持ってきた。

 クラリスが同じ寮に暮らす令嬢から沢山の林檎を分けてもらったので、一人では食べきれない為、アップルパイを作ることにしたらしい。

 俺はジョルジュと共に王城からヴィネの家に通っていたが、クラリスはひと足早く学園寮に入り、そこから通うようになっていた。

「クラリスってば料理上手なんだよ。このアップルパイも商品にしたら売れるかも」

「もう、ヴィネってば」

 楽しそうに笑い合うヴィネとクラリスは、本当に仲が良い。家族に愛されなかったクラリスにとって、いつの間にかヴィネは心のり所になっていたのかもしれない。

 切り分けられたアップルパイと紅茶。

 俺のビジョンではこの上なくキラキラかがやいているように見える。

 こ、これが婚約者の手作り……恋愛経験がないまま死んでしまった俺にとって、泣きたいくらいに嬉しい。しかもこのアップルパイ、ヴィネの言う通り見た目は商品として出しても良さそうなクオリティーの高さだ。

「薬師は料理上手な人間が多いんだよ。時々、殺人兵器になるくらいい料理をつくる人間もいるけどさ」

 ヴィネの言葉に俺は納得する。確かに薬を作ることと料理を作ることは共通した部分も多いからな。

 俺はさっそく一口アップルパイを食べてみた。

「美味しい……っ」

 俺は食レポには向いてない。シンプルな言葉しか出てこなかった。

 だけどその場にいる他の人間も「い!」「おいしすぎる~!!」というそつちよくな言葉が真っ先に出ていた。

 サクサクとした生地、甘すぎない林檎の砂糖とカスタードクリームも少し入っているのか?

「焼きたてもおいしいのですが、冷めてもおいしいのですよ」

 そう言ってにっこり笑うクラリスに、俺はドキッとした。

 フォークを口にくわえたまま、思わず彼女の笑顔に見入ってしまう。

 やばい……ひとれした自覚はあったけど、さらに好きになってしまいそうだ。

 俺とクラリスはあくまで政略結婚だ。こんなに浮かれていていいのだろうか? いやいや、王子である前に俺はまだ十七歳男子だ。ちょっとは浮かれてもいいじゃないか。

 クラリスも小説のような野心があるわけじゃなさそうだし、とっとと王太子の座をほうして、いっそのこと貴族の座も捨ててしまって、小さな家に二人で住むのもいいよなぁ──思わず非現実的なことを妄想してしまったが、こうやってクラリスの手作りケーキを食べて、紅茶を飲んでまったり過ごす時間はごこ良すぎて、そんなことも夢見てしまう。

 小説とは違う展開に進むことで、俺は今どんどん幸せになっている。

 どんな未来が待ち受けているのか不安ではあるものの、全員がこのまま幸せな方向へ向かってくれたらな、と思わずにはいられない。


◇◆◇


 時はまたたく間に過ぎ、俺とクラリスはハーディン学園に入学した。

 十七歳になると王族、貴族の子弟は、学校へ行くようになる。王族や貴族としての社会性や教養を身につける為に。

 前世では十五歳までが義務教育だったけれど、この世界では十六歳までは家庭学習。十七歳から学校へ行くというシステムなのだ。

 ちなみに日本だと四月始まりなのに対し、こっちは入学が六月。社交界シーズンが終わってから学校が始まる。

 王立ハーディン学園に入学した俺は、Aクラスになった。

 教室に入るとクラリスも同じクラスで、しかも席がとなり。これはもう、学校側の計らいとしか言いようがないだろう。

 それにしてもこの世界でも、クラス名がアルファベットなのか。ぼうけんしやのクラスも確かアルファベットだったよな。まぁ、異世界というよりは小説の世界だからな。読み手にとって分かりやすい設定にしたのだろう。

 クラスは成績順に振り分けられ、一番良いのがSクラス。次がAクラスで、次がBクラスといった具合に入学の時点で優等生とれつとう生に振り分けられてしまう。

 学校の試験を受けたのは記憶がもどる前だったから、エディアルドの成績がどんなものかは分からないが、初級魔術もろくにできなかったみたいだから、本当はもっと下のクラスだったんじゃないか、と思う。

 王室の人間がCクラスやEクラスだとていさいが悪いので、Aクラスにしてくれたのだろう。

 小説の設定ではクラリスはSクラスだった。恐らく現実でも本来ならばSクラスなのだろうが、第一王子の婚約者として劣等生である俺のめんどうを見てほしいが故にAクラスに入れたのではないかと思う──まぁ、あくまで俺のおくそくだけど。

 勉学については学校へ行く前までに教科書や魔術史の本、魔道新聞などをすべて頭に叩き込んでおいたが、それくらいは他の生徒もしているだろう。

 せいぜいおくれないようかじりつくしかないな。

「第二王子はSクラスなのに第一王子はAクラスか……」

「まぁ、Aクラスかどうかもあやしいけどな」

 ろうから聞こえよがしに言ってくる二人の男子生徒。

 名前は知らんが、第二王子アーノルドのこしぎんちやくだったように思える。恐らくアーノルドの母テレス側の貴族の子弟達で、俺にそれとなく重圧をかけるように言いふくめられているのかもしれない。俺が何か言い返したら、すかさずアーノルドに助けを求めるんだろうな。

 ま、相手にするだけ馬鹿らしいので無視しておく。

 一方隣の席に座るクラリスもまた多くの視線を集めている。

 特に多いのはどうけいせんぼうまなし。

 そりゃそうだろう。クラリスはこの場にいるどの生徒よりも綺麗だった。

 これまで社交界に出たことがなかったクラリス。噂だけは広まっているけれど、その顔を見たのは前回のお茶会に参加した面子メンツだけだと思う。

 そのお茶会でも野暮ったいかみがたと、地味な平服だったから、彼女の美しさは隠れてしまっていた。

 しかし学校へ行くことになって指定された制服、前髪もちゃんと切るよう校則で決められていたので、クラリスはレニーの町の美容師に頼み、髪を調えてもらった。

 前髪もカットされたので、今まで俺しか知らなかったクラリスの美貌があらわになり、教室に入った時にはクラス中の人間が彼女に注目した。

「誰だよ、クラリス=シャーレットが不細工だとか言っていたのは」

「性格が不細工なんじゃないのか?」

「いや、俺だったら性格悪くてもいいな。あんな美人、奥さんにできるのなら」

「ふん、顔だけは良いようだな。第一王子とお似合いだ」

 最後にき捨てるように言うのは、さっき俺のかげぐちをたたいていた奴だ。

 そんなくやしそうな声で言われてもね。顔がいいというのは、この世に生きていく上で自分の人生を有利に動かす武器となる。

 それは前世でも、現世でも同じことだ。有りがたいことに、俺は前世と違い今世は容姿にめぐまれた。

 絶世の美女といっても過言じゃないクラリスとお似合いだ、という言葉は、向こうは皮肉のつもりだろうが、俺自身にとっては最大のめ言葉だ。

 クラリスが美人であることがみなにも分かってもらえて嬉しい反面、誰にも知られたくなかったというどくせんよくみたいな気持ちもあって、複雑な気持ちではあるのだけどね。

「クラリス、次の授業は何だっけ?」

「魔術史ですよ」

「あー、魔術の歴史ね。年号がちょっとあやふやなんだよな」

「私もです。あと水の魔術の術式を作ったのがイレネで、火の魔術を作ったのがイリナって間違えそうになりますよね。名前が似すぎなんですよ」

 クスクスと可笑しそうに笑うクラリス。

 く……可愛いな、俺の婚約者は。絶世の美女は笑うと可愛いのだ。

 そんな俺達の様子を見て、クラスの皆は信じられない、と言わんばかりにざわつく。

「クラリスは第一王子との婚約を嫌がっているんじゃなかったのか?」

「私は王子の方が嫌がっているって聞いたわ」

「仲よさそうだよな」

「アーノルド殿下があまりにもなびかないから、エディアルド殿下できようしたのよ」

 ……おい、今、妥協と言った奴は誰だ?

 いくら俺が第二王子よりもおとっているからって、王族を見下しすぎだろ?

 俺が何か言おうと口を開きかけた時、クラリスが立ち上がった。

 そして俺達の陰口を言っていた女子の前に立ち、笑顔を浮かべたままきっぱりと言った。

「私はエディアルド殿下から婚約者に指名され、恐れ多くもとても幸せに思っています。不満などありませんし、妥協もしていません」

「な、なによ……強がっちゃって。アーノルド殿下には嫌われているくせに。彼はあなたに会いたくないから、この前のお茶会も欠席したのよ」

 何なんだ、あの女子は?

 クラリスにタメ口ということは同じ侯爵クラスか? もしかしたら大公の娘か?

 かなり無礼な物言いをされているにもかかわらず、クラリスは動じることもなく、ぜんとした口調で言った。

「アーノルド殿下とはまだお会いしたことがございませんが、噂をお聞きになっているのであれば、そう思われるのも当然でしょう。ですが、エディアルド殿下はそんな私の噂を聞いていても、なお、私を婚約者に指名してくださいました。不満どころか、感謝しかありません」

 クラリスの言葉に俺は息をんだ。

 正直、俺自身頭のすみでは、アーノルドに振り向いてもらえなかったから、俺で妥協したのかもしれない、という思いがあった。

 だけどクラリスは皆の前ではっきりと言った。

 俺の婚約者であることが幸せなこと、それに感謝もしていると。

 まさかそんな風に思ってくれているとは思わなかった。

「貴方はどうぞ、妥協を許さずアーノルド殿下の婚約者候補になれるようがんってくださいませ」

「……!?」

 俺の陰口を叩いていた令嬢は、いやおうなくハードルを上げられてしまい、顔を真っ青にしてうつむいた。

 後で聞いた話、この女子はクラリスにタメ口をきいているから、侯爵クラスかそれ以上の令嬢かと思っていたが、実際は子爵令嬢だったらしい。単に身の程知らずな令嬢がクラリスに向かってえていただけのようだ。

 堂々としたクラリスの態度に、苦々しい表情を浮かべる生徒もいたが、それ以上に彼女に憧憬の眼差しを送る人物の方が多かった。

 俺自身最初は小説の展開もふまえ、クラリスの能力を買っていた部分があって、内面は二の次だった。

 しかし実際のクラリス=シャーレットは傲慢どころかけんきよだし、だんひかえめに過ごしている。その反面、不当なことを言われたら堂々と受けて立つ強さもね備えている。

 彼女を婚約者に指名して本当に良かった。

 何より嬉しかったのは、俺の婚約者であることが幸せだ、と皆の前で言ってくれたことだった。


◇◆◇


 魔術史の授業は、おんとし八十八歳のトールマン魔術博士が講義をする。

 前世とは違い、教員に定年というものはないらしい。

 トールマン魔術博士は小人族で、身長は人間の子供……百センチ前後しかない。

 髪の毛はつるっとしている分、真っ白なくちひげは立派なものでゆかすれすれの長さである。

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。四元素の魔術の祖については既に知っているとは思うが、クラリス=シャーレット君。火の魔術の祖は、だーれじゃったかのう?」

「イリナ=ヒースです。完全に完成させたのはその弟子のアフロスと言われています」

「その通り。ふむ、アフロスの名が出るとは教科書以外の魔術書も読んでおるようじゃの。では、その隣のエディアルド=ハーディン君。風の魔術の祖と呼ばれているのは、だーれじゃったかのう」

「風の祖はヴィンディオです」

「ふむ、ヴィンディオの家の名は何じゃったかのう?」

 このじいさん、なかなか意地が悪い質問をするな。

 ヴィンディオの名前の由来は、教科書には書いていない。まぁ、答えられなかったら、王族であれば隣のクラリスを見習うように、と説教をするつもりなのだろう。

 悪いけど初日から説教を聞くつもりはないので、俺ははっきりと答えた。

「ヴィンディオの家は、ノード王家です。彼は元々ノードランド王国の王子でした。その王族であるノード家は、代々暴君で国民を苦しめてきました。ヴィンディオはそんな王家をじ、後世にも家の名を残さぬようゆいごんした、と言われています」

「ほうほう、殿下も魔術書をよく読み込んでおられるようで」

 自分の長い髭を手で撫でながら、素直に感心するトールマン先生。

 入学テストの出来からしても、俺が答えられるとは思っていなかったんだろうな。

 まぁ、俺も前世の記憶が蘇っていなかったら、教科書すら目を通していなかったかも。

 ふと周囲を見回すと、何だか異様なものを見る目で俺のことを見ている生徒達がいる。

 ああ、こいつらも俺がスラスラと答えられるとは思っていなかったんだろうな。

「それくらいアーノルド殿下ならすぐに答えられる」

 ぼそっとつぶやくように言ったのは、俺の側近でありテレスの間者であるカーティスだ。

 するとトールマン先生はカーティスの方を見て目を真ん丸くした。

「ほうほう、君だったらもっと早くに答えられたのかね。それは凄い」

「え……っ!? いや、自分ではなく、アーノルド殿下のことで」

「じゃあ君には土の魔術について聞こう。土の魔術の祖は誰かね?」

「え……いや、だから私じゃなくて……」

「土の魔術の祖は、だーれじゃったかのう?」

 一際強い口調で質問するトールマン先生に、カーティスは顔面をそうはくにする。

 馬鹿だな、授業中までアーノルドとかくするなんて。多分、俺がちょっとかつやくしたら反射的にアーノルドをたたえてしまうんだろうな。

「あ、えっと……ビルモンド=ペックです」

「うむ。しかし近年、別の人間が土の魔術の祖かもしれないという説があるのじゃが、それはだーれじゃったかのう?」

 おいおい、魔術書にもっていない新説のこと聞いてきたよ、この爺さん。

 つい最近学会で発表された説で、魔術師達の間にげきしんが走ったんだよな。教科書を書きえなければいけないって。

 魔道新聞にもそのことが書かれていたから、知っている人間は知っているのだろうけど、知らない人間の方が多いはずだ。

 ジョルジュが魔術史の教師は必ず魔道新聞から問題を出してくるって言っていたが、本当だったんだな。

「何じゃ知らんのかね。学園に入学した時点でもはや成人の一員じゃ。新聞くらい読まんか」

 かぁぁぁっとカーティスは顔を真っ赤にして俯く。

 小説ではエディアルドが教師の質問に答えられずに、俯くシーンがあったよなぁ。教師からもアーノルドを見習えって言われて落ち込むのだけど、今はカーティスがそのじようきようおちいっている。

「殿下はご存じのようじゃの」

「え?」

「他の生徒と違って目が泳いでおらんからの」

「あ……はい。私も新聞を読んだだけなのでくわしくはありませんが、土の魔術の祖はクロード=フォンス。ビルモンド=ペックの弟子にあたる人物です」

「その通り。ようは弟子の研究を横取りしたんじゃな、ビルモンドは。来年の教科書には土の魔術の祖はクロードに書き換えられるからの。皆もよく覚えておくように」

 ……クラスの視線が一気に俺に集中してきたぞ。

 全員、異様なものを見る目で俺のこと見ているよ。エディアルドって、どんだけ馬鹿だと思われていたんだ?

 あんまり目立たないように立ち振るいたかったけど、王子である以上そうもいかないか。


 魔術史の授業が終わった後、俺は図書室へ行くことにした。

 王城の図書室にはない魔術書が置いてあるかもしれないと思ったのだ。

 その途中、B組の教室の前を通った。

 そういやB組ってクラリスの妹、ナタリーがいる教室だったな。

 父親が学校にかなりお金を出して、クラリスと同じAクラスに入れるよう希望していたそうだが、そんたくにも限界があったらしくBクラスになったと聞いた。

 だけど侯爵令嬢という地位と生来の女王様気質からか、取り巻きらしき女生徒は多い。

 彼女達は廊下の前を通る俺の姿を見ると、顔を見合わせクスクスと笑っている。

 ああいう女子達前世にもいたよな。

 俺は溜息をついてから再び図書室を目指し歩いていると、一人の女生徒が向かいから歩いてきた。

 その瞬間、俺の顔は引きつった。

 パステルピンクのロングヘアとビビットピンクのひとみ、見るからに愛らしくはなやかな美少女がこちらに歩み寄ってくる。

 あの髪の色、まさか小説のヒロイン、ミミリア=ボルドールか?

 すっかり忘れていたが、この学園は女主人公であるミミリアを中心に話が回っていくんだよな。

 小説ではエディアルドとミミリアは廊下でぶつかり合って、エディアルドが一方的に一目惚れをするのだが……とりあえずぶつからないように、俺はすっと彼女をけた。

「え!?」

 と向こうは吃驚したような声を上げた。

 ぶつかりそうになったから驚いたのだろうが、おおに驚きすぎじゃないのか?

 しかもすれ違いざま信じられないものを見る目でこっちを見ていた。

 ぶつかりそうになったから避けたにすぎないのに、何であんな顔をするんだ??

 ミミリアの態度に感を覚えるが、それを考える前に耳をつんざくような怒鳴り声がきこえてきた。

「ミミリア=ボルドール!! 平民のあんたがこの教室に入っていいと思っているの!? 言っておくけどあんたの席はもうここにはないわよ!!」

「そ、そんなひどい……」

 やっぱり、あの娘はミミリアだったか。俺は立ち止まり一度振り返った。

 ミミリアを怒鳴りつけていたのは、なんとナタリーだった。

 小説のヒロイン、ミミリアはBクラスで、クラリスの異母妹であるナタリーにいじめられているようだ。

 その直後、男子数人がぞろぞろとミミリアの前に立ちはだかり、ナタリーと取り巻き達に抗議し始めた。

「これ以上彼女に乱暴なことをするな」

「お前達がや机を隠しているのは見ているんだ!!」

 机や椅子を隠しているところを見てた時点で何故止めなかった? と俺はっ込みたかったが、彼らはミミリアの前でいい格好をしたかったのだろう。

 ヒロイン、ミミリアは魔性の女。

 小説でも主人公やわきやくの男達を含め、彼女の可愛らしさにれた貴族子弟は少なくなかった。

うるさいわね、男爵令息ごときが」

「侯爵令嬢だからっていい気になるな!」

 ……まぁ、あれだけ騎士ナイトがいるのなら心配なさそうだな。

 あの娘、半泣きしているけれど、一瞬だけ嬉しそうに口元をほころばせていた。思っていた以上にしたたかな女子と見た。

 みような茶番を見せられて、少しつかれた俺は深々と溜息をついた。


 学校の図書室は思いの外広く、古い本から新しい本までてんじように届くほど高いほんだなにびっしりと並んでいた。

 これはもう期待大だ。

 実は俺には調べておきたいことがあった。

 小説の展開では今後、魔物の軍勢がめ込んでくる。現実でもそうなる可能性がある以上、げんきようである魔族のことを知っておく必要がある。

 魔族のことが書かれた本は……ああ、この本棚か。

 うわ、なんか黒い表紙の本が多いな。その内の一冊を取り出しパラパラとめくる。

 本によると数百年に一度、世界は魔族のきようおびやかされる。

 魔族がこの世に降り立つ時、聖女が生まれ、そして勇者も生まれる。

 だが魔族もまた『こくえんの魔女』と『闇黒の勇者』を人の中よりいだす。

 そして『黒炎の魔女』と『闇黒の勇者』は魔物の軍勢を率い、この世をきようおとしいれる。

 成る程、大体小説に書かれた内容の通りだ。

 つまり数百年に一度はそういった戦いが起こっていたということか。

 同じことが起こると考え、事態に備えている人間は果たしてどれ程いるのだろうか?

 数百年前に魔族との戦いがあったのだろうけど、その事実は完全におとぎばなしのような扱いだ。

 俺が〝これから魔族が来るから用心しろ〟とうつたえても信じる奴はまずいないだろう。

 それでも国防を理由に、軍強化と魔術師、薬師の育成には力を入れた方がいいだろうな。

 そんなことを考え込んでいた時、一人の女生徒が図書室に入ってきた。

 あ、クラリスだ。

 彼女はあわてたように周囲を見回し、何かを探しているみたいだった。

 探し物が見つからなかったのか、図書館の窓辺に手を着いて溜息をつくクラリスを見かね、俺は彼女の肩を軽く叩いた。

「どうしたんだ? 慌てたように図書室にけ込んで」

「あ……エディアルド殿下っっ……その、先程のトールマン先生の質問が気になって。私も新聞を読んでいませんでしたから、全く分からなかったのです。図書室なら新聞が置いてあるかと思ったのですが、置いていないみたいで」

「それで慌てて図書室に来たのか。まぁ、先生が言っていたことは、かなり専門的な新聞の内容だから、つうの新聞を読んだだけだと分からないと思うよ」

「え? どんな新聞なんですか?」

「魔道新聞といって、魔術師専門の新聞だよ。魔術に関する最新情報が載っているから、けっこう面白いんだ。何なら俺が読んでいる新聞、明日から持ってこようか?」

「ほ、ホントですか!?」

「魔術研究の近況を知ることは王族にとっても重要なことだからね」

「あ、ありがとうございます! 殿下」

 思わず神様にお願いをするみたいに両手を組んで、目を輝かせるクラリスの仕草が可愛い。

 だけど婚約者である彼女から、殿下呼ばわりされるのは、何だか一線を引かれているようで寂しくもある。

 この際だから、今の気持ちをはっきり彼女に伝えることにしよう。

「あのさ、君は俺の婚約者なんだし。できることならちゃんと名前で呼んでくれないかな?」

「え……あ、あの既にファーストネームでお呼びしていたつもりだったのですが」

「ファーストネームとは言っても、君は俺のことをエディアルド殿下、と呼んでいる。殿下はいらないの。エディアルドでいいよ」

「そ、そんな恐れ多い」

「恐れ多くないよ。じゃあエディアルド様でいいから」

「え、エディアルド様……ですか」

 恐る恐る問いかけるクラリスにいとしい気持ちがこみ上げる。

 小説のクラリスは、正式な婚約者だったにも拘らず、アーノルドの名を呼びたくても呼ばせてもらえなかった。

 俺はそんな悲しい思いは君にさせない。

「エディアルド様……」

「うん、良い響きだ。これからは俺のことをそう呼んで」

 そう言って俺はクラリスの手の甲にキスをした。

 クラリスは湯気が出るんじゃないかというくらいに、顔を真っ赤にして俯いてしまっている。

 手のキスだけでそんな顔をしていたら、それ以上の時はどんな顔をするんだ?

 もっと恥じらう彼女の顔を見てみたいしようどうに駆られる。

 もし、唇にキスをしたら、どうなる?

 思わずクラリスとのキスを妄想し、俺は慌てて邪念を振り払う。

 ま、まだそこまで深まった仲じゃないだろ、慌てるな、エディアルド。

 く……恋愛に関しては前世のをもってしてもどうにもならん。前世での経験があまりにもとぼしいからだ。少し好きになりかけた娘はいたけれど、見合い写真で一目惚れしただけで、直接会ったわけじゃないし、恋愛が始まらない内に俺は死んでしまったのだ。

 ふと俺は、クラリスが一瞬、見合い写真のあの娘に似ているような気がした。特に意志の強そうな眼差しが。

 実際は似ても似つかないのだが、クラリスと見合い写真のあの娘が重なって見えた。

 俺は目をこすってから、今一度クラリスを見る。

 そこにいるのはあかの髪の毛、ピンクゴールドの瞳が美しいクラリスであり、前世のあの娘のおもかげはなかった。

 それでも何故か、彼女を見ていると見合い写真のあの娘のことを思い出してしまうのだった。


◇◆アーノルド視点◆◇


 僕の名前はアーノルド=ハーディン。

 予定通り最も優秀な生徒達が集まるSクラスに入ることができた。

 兄上がAクラスなのは意外だったけれど。本当はBクラス……いや、Cクラス程度の実力だった筈だ。

 授業にもついていけずに苦労しているんだろうな、と思いきや、たまたま職員室に用事があった僕は職員同士の会話を聞いてしまった。

「聞いたか? あの第一王子殿下がトールマン先生の質問にちゃんと答えたらしいぞ」

「……いや、有り得ないだろ? 魔術史の入試テストは二十点もとれていなくて、トールマン先生が〝第一王子はきたえ直す必要がある〟って意気込んでいたんだぞ」

「ところがいざ授業が始まると、第一王子はトールマン先生の質問によどみなく答えていたらしい」

「春休みの間に猛勉強したのかな……だとすれば喜ばしいことなのだが」

 職員は僕が職員室にいるのに気づくと、慌てて口をつぐんだ。僕は気づかなかった振りをして、学年主任の先生に必要書類を提出して職員室を出ていった。

 トールマン先生は王族に対して全く忖度しない。むしろ王族だからこそ、厳しい質問を投げかけてくることで有名だ。

 僕も例外じゃなかったし、兄上にだけ甘い質問をするとはとうてい思えない。

 ということは魔術史の勉強はそれなりにしていたのだろう。

 けれども他の授業はどうなのだろう? あまり王室のはじになるようなしゆうたいさらさないでほしいのだけど。

「アーノルド殿下、次の授業は魔術の実技ですから移動しましょう」

 教室に戻った僕は、クラスメイトであり僕の護衛でもある、騎士団くつの実力者、イヴァン=スティークに促される。

 同い年の彼は母上に指名され僕の護衛となったせいえい四人の内の一人だ。

 とても真面目で、剣術や魔術、勉強をしている姿以外見たことがない。たまにはくつろいだり、勉学以外の本を読んでもいいと思うんだけどね。

 教室を出ると、もう一人の護衛であるエルダ=ミュラーも、イヴァンと共に僕の後についてくる。

 エルダはつめに絵をいたり、顔にしようをほどこしたり、髪も黄土色の髪の毛にひとふさだけ赤く染めていて、かなり個性的な出で立ちだけど、中性的な美貌は女子生徒にも男子生徒にも人気だ。

 さらに僕をしたってくれる貴族子弟達もそれに続く。

「見て……アーノルド殿下とSクラスのみなさまよ」

「やっぱりはくりよくが違う」

「すぐ後ろを歩くのは四守護士のイヴァン様とエルダ様ね」

 四守護士。

 僕を守る為に母上がつけてくれた護衛の四人を、人々はそう呼ぶようになっていた。

 四守護士の内、イヴァンとエルダの二人は僕と同じSクラス。もう一人の守護士、ゲルドは学年が一つ上で、あと一人はAクラスのガイヴ=ハリクソンだ。彼はカーティスと共に、兄上が無茶をしないかかんするように命じている。

 僕がクラスメイト達と共に中庭を歩いていると、図書室の窓辺で兄上と女子生徒がしやべっているのが見えた。

 兄上は弟である僕の目から見ても美形だ。容姿と地位にられて近づいてくる女性も絶えないだろうな。

 どんな馬鹿女なのか顔を拝んでやろうと、女子生徒の顔を見た僕は息を吞んだ。

 兄上が何かを言ったのか、彼女はほおを紅潮させ嬉しそうに笑っている。

 あでやかな紅い髪、ピンクゴールドの目は宝石のよう。けるような白いはだうすべに色の唇。

 遠くから見てもその美しさはあまりにも際だっていた。

 ドキンッ……!

 だ、誰だ。

 誰なんだ、あの娘は。

 ずいぶんと綺麗な娘じゃないか。あんな綺麗な娘、見たことがない。

「へぇ、エディアルド殿下とクラリス=シャーレット嬢じゃないか。政略結婚とはいえ婚約者同士、仲がいいのは結構なことだな」

 クラスメイトの一人があの女子生徒のことを知っていたらしい。

 い、いや、待て。

 あれがクラリス=シャーレットだと!?

 傲慢で手に負えない令嬢と噂されるクラリス!? あの娘が!?

 く……あ、危うく顔にだまされるところだった。し、しかし、あんな綺麗な娘だったとは想定外だ。

 誰だ、クラリスが不細工だと言った奴は? 美的感覚がくるっているんじゃないのか?

 そうか……兄上はあの顔にかれたのか。それなら大いに納得だ。

 けれどもいくら顔が良くても、家族を振り回すような身勝手極まりない娘だったら、気持ちも冷める筈。

 クラリスだって兄上の噂を聞いていたら、内心婚約者になるのは嫌だった筈だ。

 社交界でも二人はお互いの婚約を嫌がっているという噂が流れていた……兄上は僕から婚約者をうばいたかっただけ、クラリスはクラリスで兄上で妥協した、と言われていたのに。

 何で二人ともそんなに幸せそうなんだ?

 し、しかも兄上は婚約者の手の甲にキスをしている……そ、そんなに彼女がいいのか!?

 クラリスは恥ずかしそうに頰を染めて俯いている。だけど、その表情はどこか切なそうだ。

 そのかげりのある美しさに僕は心臓がわしづかみにされるような気持ちになった。

 あの兄上が彼女にそんな顔をさせているのかと思うと、はらわたが煮えくり返る思いだ。

 何で僕はあの時お茶会に参加しなかったのだろう?

 もしちゃんとお茶会に出ていたら、あの笑顔も、あの切ない顔も僕のものだったのかもしれないのに。

 い、いや、落ち着け。だから顔に騙されるな。彼女は家族ですら手に負えないとんでもない娘の筈だ。

 僕の結婚相手はもっと他にいる。

 清らかな心を持った優しい女性──そう、伝説の聖女こそが僕のはんりよとなる女性だ。

 聖女の力はこの国にとってとても重要な国力となる。だから歴代の国王の中には、聖女を妻にめとった者も多い。

 聖女は女神ジュリのしんたくにより、未婚の女子が選ばれる。

 先代の聖女がくなってから数百年がつ。

 今から十七年前、新聖女の誕生の神託を聞いた先代神官長は、新しい聖女のとくちようを告げてから息を引き取った。

『手首に薔薇のあざを持った少女こそ聖女である』

 しん殿でんは聖女の行方ゆくえさがしていたが、手がかりが手首の痣だけだったので、見つけるのに時間がかかった。

 それが今年に入り、ようやく聖女を見つけ出すことができたらしい。既に神官達は聖女を保護しているみたいだけど、の誰なのかは公表されていない。神殿の内情には王族もかいにゆうできないので、僕もそれを知ることはできないのだ。

 何処の誰かは分からないが、聖女に選ばれたからにはそうめいで清らかな女性であることは確かだ。

 そう、僕の婚約者の最有力候補は聖女だ。それ以外の女性は有り得ない。

 ……だけど、クラリスの笑顔が目に焼き付いてはなれなかった。

ドラゴンノベルス5周年記念フェア

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