第五章 病と辺境の村


 異世界生活にだいぶ慣れてきた。生計も安定し、仕事もあり、未来も明るい。

 第二のおれの人生はすべてが順調にまわりだしているのだ。

 だが、順調じゃないこともある。それどころかきんきゆう事態がただいま発生している。

 うちのアルウがたまにせきをしていることがあるのだ。

 し殺すような咳だ。まんしているが苦しいのだろう。今日はさらにひんが増えた。

「アルウ、どこか調子が悪いのか?」

「うんん、だいじよう……なんでも、ない、きっとただの

 言って、かのじよはフードを深くかぶる。またコホコホ。咳まで可愛かわいい。

 かくしてるが俺にはわかる。うちのアルウはじゆうとくな病におかされている。

 けななアルウのことだ。主人である俺にめいわくをかけまいとしているにちがいない。

 このままアルウの咳がひどくなったら、そのうち血をきだすんじゃなかろうか。

 そしたら、みるみるうちにゲッソリとせていってしまうんじゃないか。

 治療が困難な病とかだったらどうしよう。病を治すほうは知らない。

 ともすれば、この世界の薬学にたよるほかない。

 大変だ。これは大変なことだ。俺は冷やあせがでてきて、きようおくが鳴りそうになる。

 彼女を失いたくない。その感情が俺をき動かした。

「待っていろ、必ず助けてやる」

「アルバス……?」

 宿屋を飛びだし、ぼうけんしやギルドのうけつけじように聞きみをし、薬屋の場所を教えてもらう。

 全速力でけ、さっそく薬屋へとやってきた。

 なんとなく薬局のクリーンなイメージを持っていたが、期待は裏切られてしまった。

 さびれたぼろ小屋。つうに生きていればまず立ち入ろうとは思わないあやしげな建物だ。

 ほこりをかぶったうすぎたないショーウィンドウには見たこともない植物がかざられ、店先の虫食った看板にはかろうじて読める文字で『ゲーチルのれいやく店』と書かれていた。

 店内には客がいた。ひとりの男だ。悪そうな顔つきをしている。

 冒険者だろうか。緑色の液体が入ったびんながめている。

 目が合う。ビクッとされ、すぐに視線をらされた。相変わらずのかく性能だな、俺。

 カウンターへ向かう。鼻をツンと突く劇物のにおいが気になる。

 良薬は口に苦しともいう。このしゆうを信じよう。机を3回ノックする。

「いらっしゃいませ」

 のれんを手でかき分けて、奥から少女が出て来た。俺の顔を見るなり、いつしゆん固まる。

 赤いかみにそばかすのいているぼくな顔立ちの少女だ。一度見たら忘れないような顔である。

 まだ若く高校生くらいのとしごろに見える。看板から察するに店長の名はゲーチルだ。彼女がゲーチルなのだろうか。

「ここが薬屋であっているか。効き目の強い薬を探してるんだ」

「ク、クスリですか? げんかく作用を持つ薬物ならそちらのたなに……」

「違う、そうじゃない。俺がしいのは病気を治す薬だ」

「あぁ、普通の薬草をお求めでしたか」

 薬違いである。しかし、幻覚作用を持つ草も置いてあるのか。それって危ないしろものでは?

 そこら辺の法整備とかされてるふんはないから、薬屋が取りあつかっていてもおかしくはないか?

「どんな病気も治すばんのうの秘薬とかがいい。飲めばたちまち元気になれるやつだ」

「はぁ。しかし、そういったものはとぎばなしのなかだけだと思いますが……一応、いつぱん的な諸病気に通用する『こう病霊薬』という霊薬があります。切り傷や、み傷などの外傷には効果はない霊薬です。品質で値段は変わりまして、『普通の抗病霊薬』で5000シルク、『良質の抗病霊薬』で1万シルク、『最高級の抗病霊薬』で3万5000シルクとなってます」

 少女はそう言ってお品書きを見せてくる。それと同時に1本の瓶をコトンとカウンターに置いた。

 コルクせんがされたとうめいの低い硝子ガラス瓶は、あざやかな青色の液体で満たされている。

 これが『抗病霊薬』か。ドロッとしていてあんまりしそうではないな。

 等級によってかなり値段が異なる。どれにしたものか……てか、薬めちゃ高くね。

「良い商売してるな。ぼったくろうっていう気じゃあないだろうな?」

「ひええ! そ、そんなしないでくださいよ……っ、お店で扱っている霊薬は、れんきんじゆつにもとづいて作られた、りよくの宿った代物なのですよ、そうおうの値段がつくものです、ふぇぇ」

 少女は頭を押さえながら、早口でまくしたてた。

 高度な専門技能の産物であることは違いない。それに背に腹は代えられない。

「まあいいだろう。それじゃあ最高級の抗病霊薬をもらおうか」

「あの、一応伝えておきますが、最高級の抗病霊薬が必要な病気は多くはないですよ。最高級はヒュドラの毒や、あく族の死にまつわる病、黒血病や、水銀病などに対応するための霊薬ですから」

「最高級がいい。うちの子には必要だ」

 アルウは今こうしている間も苦しんでいるんだ。とにかく一番いいお薬を届けてあげたい。

「多くの病気は普通の抗病霊薬で十分です。効果がなかったら良質な抗病霊薬を使うのであって」

「いいから、はやく最高級を持ってくるんだ。そばかすガール」

「そ、そばかすガール……わかりました、在庫をかくにんしてきます」

 ようやく少女はきびすを返し、カウンター奥へもどっていこうとし──ハッとしてさけんだ。

「こらー!! どろぼう!!」

 俺を見ながら言うので一瞬ビビったが、よく見ると、視線は俺の背後を見ていた。

 ガバっとり返る。とびらを押し開けて走り去っていく男の姿があった。

 手には緑の液体で満たされた瓶をにぎっていた。シルクをはらった感じはなかった。

 間違いなく現行犯。でも、俺にやつを追いかける義理はない。俺は居合わせた客なのだ。

 俺が損得かんじようだけで動くクールガイだというのは有名な話。安っぽい正義に突き動かされない。

 万引き犯をつかまえるメリットは。なし。

 万引き犯を捕まえるデメリットは。走って息切れする。

 ほらな。俺には動機がない。だから動かない。

「あぁ!! 消費期限が新しい良質な霊薬が! あれを作るのにおばあちゃんは日夜立って作業し、こしを痛めてまで完成させたのに……!! ああぁぁ!!」

 少女は泣きながら、カウンターから身を乗り出して追いかけようとする。

 ここで俺は考える。俺がこのまま追いかけなかったら、本当にが不利益はゼロかを。

 この店員の少女はあの万引き犯を追いかけるだろう。もしかしたら、少女は犯人を追いかけることに夢中になって、つかれ果ててしまうかもしれない。いや疲れていなくても同じだ。

 彼女が万引き犯に追いついて、それでどうする。大人の男から取り返せるのか、霊薬を。

 この辺境の町グランホーの終地は治安がとても悪い。

 犯人の冒険者にはんげきされたら、少女はひどい目にあうかもしれない。

 そうなれば、彼女は心に傷を負い、勤労意欲を失い、もう薬を売ることをやめてしまうかも。

 そうなれば、うちのアルウの病気が治らないかもしれない。

 可能性をつむいでいくと……っ、なんということだ。俺の利益がおびやかされているだと。

 助ける理由ができてしまった。

「ええい、俺のまえで万引きなんていい度胸をしているな」

「ふえ!?」

じやだ、どいていろ、そばかす」

 駆けだし、少女を追いして、万引き犯にせまる。意外と足が速いやつだ。常習犯か?

 とうそう者の近くをくつきような大工がおおなわを背負って通りかかった。それを見てピンときた。

「借りるぞ」

 手を2回素早くたたき合わせた。

 ごうは成った。『なわしばりの魔法』が作用する。

 大工が背負っていた大縄が意思を持ったように動きだすと、万引き犯のあしにからみついた。

「うあああ!? な、なんだ!?」

 万引き犯が派手にすっころぶ。

 2本ほど治癒霊薬がぽーんっと宙へっ飛ぶ。あれだけで数万シルク相当の霊薬か。

「──霊薬よ、来い」

 宙をう霊薬たちへ手をばす。

 符号は成った。今度は『ちよくめいの魔法』が発動した。

 言葉で「~よ、~しろ」と唱えることで物を動かすことができる魔法だ。

 動かす対象が大きいほどにひずみ時間をしようもうする。逆に対象が小さければ消耗はおさえられる。

 手元に小瓶たちがすべり込むように宙を舞ってきた。不自然すぎないようにキャッチする。

 ぬすまれた治癒霊薬たちは無事だ。ゲーチルの霊薬店の損失はかいできた。

 一方、万引き犯はいまだ大縄にからまって動けずにいた。

かくはできてるか」

「ひええ、ま、待ってくれ、俺には病気の家族がいて──」

うそきらいだ」

 たんけんをとりだし、悪党の手のこうに突きした。

「うぐぁあ!! い、いでえええ!! 痛ぃい!!」

 短剣をき、小指と薬指を切り落とす。

「ひぎぃあああ、あああぁあああ!!」

「次は殺す。死にたいと思うような苦痛をあたえながら」

「あが、おぉが、あぁ、じゅみまぜん、申し訳ありまぜん……もうしまぜえ!!」

 万引き犯はまみれの傷口を押さえ、なみだを流しながらげ去っていった。

 この通りは人が多い。公衆の面前では流石さすがにぶっ殺すのも考える。

「あの……すみません、助けていただいて。霊薬まで取り返していただいて」

 そばかすの少女がぺこりと頭をさげてくる。息は軽く切れて、ほほは赤くなっている。

「でも、指を落とすのはやりすぎだったのでは」

「俺の故郷ではこうやって落とし前をつけるんだ」

「か、変わった風習があるんですね……。ところで、さっき霊薬があなたのほうへ飛んでいったように見えたのですけど」

「気のせいだろう。その霊薬は空を飛ぶ魔法がほどこされているわけでもあるまい」

「まあ、そうですが……」

「たまたまこっちにほうり投げてくれたんだ」

 言って、治癒霊薬をそばかすの少女へわたした。

「割れずにすみましたね。本当にありがとうございます」

「俺の利益のためにやったことだ。気にするな」

 店に戻ると、そばかすの少女はごく好意的な態度で「すぐに在庫を調べます!! ごゆるりとお待ちください!!」と言って、最高級の抗病霊薬を用意してくれることになった。

「すみません……」

「意気ようようと奥へ引っ込んだ割には浮かない顔で戻ってきたな」

「いえ、その……最高級の抗病霊薬は作ってなかったようで……効果は間違いなく強いですし、並の病気ならその場でやしてしまうほどなのですが、なかなか買い手がつかないものですから。霊薬は古くなったらくさらせてしまうだけなので、じゆようのあるものしか、作り置きはしないんです」

「なるほど。では、いま俺という買い手がいる。作ってくれ。調合まで待てる」

「実は材料がなくてですね、調合もできないんです」

「なんだって?」

 これはとんでもないことだ。うちのアルウに病死しろと言うのか。

「ひぇえ!! そんなこわい顔しないでください……!!」

「してない。元からこういう顔だ」

「いえ、ちょっと恐くなってますよっ、おこってるんじゃあ……?」

「怒っていない」

「本当ですか? 命だけは助けてくれますか?」

「うだうだ言ってないで、さっさと薬の材料を集めてこい。ぶっ殺すぞ」

「ひぇええ!! やっぱり怒ってますよね!?」

 おっといかんいかん。この顔でぶっ殺すはじようだんじゃ済まないんだった。

「じ、実は、最高級の抗病霊薬に必要な材料はグランホーの森林でも、奥地でしか手に入らなくて!! そのためにはモンスターから守ってくれる人をやとったり、遠出したりと、段取りが必要でして。だから、今すぐにというのは難しいといいますか……!!」

 今すぐは作れないと。噓をつかず、勇気をもって事実を話してくれたか。俺もむくいよう。

「まあ、落ち着けよ。意外と思うかもしれないが、俺はこう見えてあらごとは得意なんだ」

「見たまんまですけど……」

「森での材料の採集、助力が必要なら手伝ってやらないこともない」

 というわけで、少女を脅してすぐに冒険者ギルドへらいを出させ、指名依頼でアルバス・アーキントンを指名させ、薬草採集の護衛という名目で雇わせた。

 薬屋での一件からものの3時間ほどで、すべての準備は済ませた。

 あとは俺の準備だ。宿屋で遠出のたくを済ませる。

「アルバス、どっか行くの?」

「ちょっと森へな。クエストだ」

「わたしも、いく」

「だめだ。まだまだ体力がないんだ。森まで歩けるわけがない」

「……歩けるもん」

「だめだ。というか病気だろう。絶対に外へは出さない。絶対にだ」

 頰をふくらませ毛布にくるまるアルウ。ふてくされてそっぽを向かれてしまった。

 病人のアルウを外に出して、もしものことがあったら俺はグランホーの終地を血塗れになってさがしまわり、悪そうな顔したろうどもをかたぱしからり捨てなくてはならない。

 この町は変なのが多い。宿屋にも変なじじいがいるが、あれはまだ信用できる変なじじいだ。

 ここが一番安全だ。ここにいてほしい。わかってくれ。お前が大事だから言ってるんだ。

「行ってくる」

「…………いってらっしゃい、アルバス」

 毛布からちょこっと顔をだして、アルウはしぶしぶ見送ってくれた。

 アルウの「いってらっしゃい」を貰うと力がいてきた。


◆ ◆ ◆ ◆


 グランホーの森林へ向かうため、ゲーチルの霊薬店に戻ってきた。

 店のまえには馬車が止まっていた。荷台を見やると、おおきなあみかごが6つっかっている。

 そばかすの少女が荷台の網籠を確認しているところへ声をかけた。

「こちらの準備は済んでいます」

「俺も大丈夫だ。して、どこまで行く。1日じゃ戻ってこられないとかさっきは言っていたが」

「森の向こう側に村があります。月に1回そこに行って薬草を採集するんです。村から入った森にはかんがあるので、不慣れな場所より、ずっと安全にじんそくに作業も進みますからね。今回はちょっとかんかくが早めですけど、緊急事態ということで、いつしよにいつもの仕入れもしちゃおうと思って」

 どうせ行くならってことか。なるほど。効率的だ。

「今日はよろしくお願いします。えぇと……お名前は?」

「アルバス・アーキントンだ」

「高貴なお名前ですね」

「そうか。たびたびへいぼんな名前だと言われるけどな」

「あぁ、まあ平凡でもありますが。有名な名前なので、それだけたくさんの子に付けられるのも必然かと」

「有名な名前?」

「ええ。御伽噺だかなんだかに出てくる登場人物の名前で……あっ、ひもが外れてる」

 少女は網籠の紐を結び直す。

「とにかく早々に出発しましょう。ずいぶんおそい時間の出発です。遅くなって日が落ちれば、かいどうとて危なくなりますから」

 危なくなる。この世界の危なくなるはガチで危なそうだ。

「ところでそばかす、名前はなんていう」

「え? あぁ、私はヤクといいます」

「なるほど。じゃあ、やはりさっきチラッと言っていたおばあちゃんがゲーチルか」

 俺は店の虫食った看板を見ながら言った。

「そしてお前がヤクか」

「いい名前でしょう?」

「薬を作るためだけに生まれて来たような名前だな」

「いや、そうなんですけど、言い方!」

「さっさと行こう」

 俺たちはグランホーの終地を早々に出発した。

 向かうはレバル村という森のすぐ近くにひらかれた人里だ。

 ぎよしや台で馬のづなを握るヤクの横、周囲へ視線をやりながら村に着くのを待つ。

 怪しいかげがあれば、持参したこのショートボウで射殺してくれる。

「そう言えば、アルバスさんっておひとりなんですか?」

 1時間ほど馬車にられていると、ヤクはおもむろに口を開いた。

「そうだが。なにか文句あるのか」

「ひぇええ、なんですぐに恐い顔するんですか!」

「してないだろ」

「してます!」

「してないだろ」

「アルバスさん、顔がさつじんみたいですから仲間が集まらないんですね」

「勝手な推測はやめてもらおうか。俺は好きでソロを選んでるんだ」

 仲間などを持つとろくなことがないに決まっている。

 ろくでもないことその一、人間関係に気を使う。

 ろくでもないことその二、身近に人がいると魔法を自由に使えない。

 ろくでもないことその三、情が芽生えるリスクがある。

 特にその三は注意が必要だ。情の芽生えは、やさしさの芽生えでもある。

 優しさは付け入るすきを生む。自己の利益をそこなうことと同義だ。

 優しさはのろいだ。俺は忘れていない。だから仲間などもたないのだ。そんなものは必要ない。

「ん。その緑の持ってきたのか」

 ヤクのカバンが半開きになっていたので、つい中身が視界に入った。

 カバンの中には先ほど万引き犯が盗もうとしていた緑の液体で満たされた瓶が収まっている。

「治癒霊薬は冒険には欠かせないアイテムですからね。あらゆる外傷に効果を発揮しますから、もっていて役に立たないことはないんですよ」

 いわゆる回復薬ってことだろうか。もっとも需要があり、もっともはんよう性があると。

「まあ、この普通の治癒霊薬でも、4000シルクの値段がするので並の冒険者では使えないのですけど」

 4000シルク? 治癒霊薬1個で白パンが何個買えるんだよ。

 クエストでかせいでも、一回ぶたねられたらきゆう吹っ飛ぶのか。冒険者ぎようがらいな。

「ぼったくってるのか」

「また人聞きの悪いことを! 正当な商売していますって!」

 治癒霊薬の需要が高い一方で、どうしても作製にはコストがかるとのことだった。

 大量の薬草が必要であり、手間ひまがかかり、高度な錬金術師のみがそれを行えるそうだ。

「高くても重宝されている。それも盗みを働いてでも手に入れようと思うほどに。それがたしかな価値があることの何よりの証明です」

「ふん、まあたしかに」

 気が付いたらセールストークされていた。結果、ちょっと俺も治癒霊薬が欲しくなった。

 俺も、もしもの時のために1本くらいしのばせておいたほうがいいだろうか。

「見えてきましたね。何事もなくて本当によかったです」

 昼下がり、馬車はレバル村にとうちやくした。

 俺は村の外観を見たしゆんかんに、この村には住めないなと確信した。

 主にセキュリティ面で不安だらけだったのである。

 豊かな緑の森にモンスターなる存在がいることはすでに確定した事実だ。俺が先日とうばつした『伝説の野豚』よろしく、この世界にはじよういつしたバケモノがんでいる。

 そんなおそるべき大自然の領域から、わずか50mほどしかはなれていない地点にレバル村はあるのだ。それも50mの高いかべがあって人類の生存領域が確保されてるわけでもない。

 モンスターの領域と村をへだてているのは、足をあげてまたげばえられそうな簡素なさくだけだ。

 一体全体どうすればあんな頼りない柵に、モンスターのしんにゆうする力があるというのか。

 辺境での暮らしに戦々きようきようしてると、ヤクをむかえるばあさんがいた。

「おや、ヤクちゃん、今月はちょっと来るのが早いねえ」

「えへへ、実はこの人に脅されて、あ、間違えた、めずらしい薬を注文されて」

 その間違いはめい的すぎるだろうが。

「うあああ!? な、なんだい、その殺人鬼みたいなやつは!?」

 大変に誤解を招きながらも、なんとか俺がまともな人間であることを説明し、村人を説得し、採集作業へと移るべく、準備をしていく。

 馬車を止め、網籠をおろし、村人たちにあいさつをする。付き合いのあるヤクはともかく、俺は挨拶をする必要などないので馬車を見張っておく。馬とか荷車とかは、大事な資産だろうからな。

 ヤクが戻ってくれば採集作業開始だ。

 網籠を背負い森へ足をみ入れる。俺とヤク以外にも、レバル村から大人の男と女の子たちがお手伝いとして4人ほど網籠を背負って、付いてきてくれた。

かれらはしようで働いてくれるのか?」

「いつも手伝ってもらってるんです。うちとレバル村はおばあちゃんのころからの付き合いなんで」

 恐るべきブラック労働だ。給料もでないのにこんなけものみちを歩いて草取りさせられるとは。

「あれ? でも、今日はいつものメンバーじゃないですね……エリーちゃんはどうしたんですか?」

 ヤクがたずねると女の子たちのひとりがしんみような顔で俺の方を見てくる。

 大人の男は「こら、変なことお願いするんじゃないぞ」と女の子がなにか言う前からたしなめる。

 なんだ。この女の子、俺になにか要求があるのか?

「おじさん、顔、恐いね」

 要求じゃなかった。ただの顔の感想だった。

「こら、な、なんてこと……すみません、子供が言ったことです。どうかのがしてください」

 失言したら斬られるとでも思ってるビビり方だ。

「別になにもしない。なんとも思ってない」

かんようなおこころづかい、ありがとうございます」

 大人の男はヤクのほうへ向き直り、気まずそうに口を開いた。

「エリーは酷いけがを負ってしまったんだよ。すこし前にモンスターの群れが村に来てね」

 モンスター? 出たな、モンスター。やっぱり村のセキュリティに問題があったようだな。

 今回の俺の仕事は、そのモンスターからヤクを守ることだ。

 だが、いざとなると恐いな。本当に人をおそうようだし……なるべくかかわりたくはない。

 殺されたら二度目の人生が台無しだ。前世の分まで生をおうするまで死んでたまるか。

「おじさん!!」

 ん? 女の子たちが群がってきて……みんなで服のすそをひっぱっているぞ?

「ねえねえ、冒険者の殺し屋さん!!」

 冒険者なのか殺し屋なのかはっきりさせろ。

「モンスターをたおしてよ!! 冒険者で殺し屋なら倒せるでしょ!!」

「エリーお姉ちゃんすごくれいだったのに、のせいでとっても落ちこんでるの。わいそうなの」

「殺し屋で冒険者さん、お願いします!」

 子供たちは鼻水垂らして泣きながらローブに引っ付いてくる。

 先日、新調したばかりのがいとうなのでやめてもらいたい。

「やめなさい、冒険者さんなんて雇える訳ないだろ……っ」

 男は女の子たちを引きがそうとする。

「その通りだ。お前たちは俺を雇うだけの金を用意できない。野豚りならまだしも、モンスターの討伐依頼は高くつく。だからひっつくな。しっしっ、離れろ離れろ」

「で、でも! お願いだよ、殺し屋で殺し屋さん! お姉ちゃん、とっても綺麗だったのに顔をなぐられちゃって……ぐすん、ひどいよ、こんなの……!!」

「寄るな寄るな。俺はいま草を取るのでいそがしいんだ」

 まったく何の得があって俺がめんどうなモンスター討伐などせにゃならんのだ。

 ガキめが。をこねれば言う事を聞いてくれると思うな。

 俺は損得勘定で動く、れいてつなるクールガイなのだ。

 情などに流されると思うなよ?


◆ ◆ ◆ ◆


 森での採集作業が終わり、レバル村へ戻ってきた。

 作業は順調そのもので、人数の助けもあってかすぐに網籠いっぱいの薬草が手に入った。

 最高級の抗病霊薬に使うための素材もしっかりと採集済みだ。

「では、モンスター討伐をしてくださるということですか!?」

ほうしゆうはいただくがな。絶対だぞ」

 なんだかんだで、俺はモンスター討伐依頼を受けてしまっていた。

 いや、しまっていた、ではへいがあるな。これではまるで俺が村人の押しにくつして、不本意ながらに、労働をいられているみたいじゃあないか。

 俺がモンスターを討伐するのはレバル村のためではない。

 すべては俺の利益のためなのである。

 ちいさなガキどもに説得されている最中に思った。俺はモンスターと戦ったことが無いと。

 モンスターが蔓延はびこる異世界で生きていく以上、きっといつかモンスターとたいする時はくる。

 人間以外とのせんとう経験があるのとないのでは、生死を左右するほど結末が違ってくる。

 だから、野豚以外にも経験を積んでおいた方が後学のためだろうと、結論をだしたのだ。

 つまり俺がモンスターを討伐するのは、れっきとした自己投資にすぎないのである。

 同情したとか、押しに負けたとか、優しさとボランティア精神だとかじゃ断じてないのだ。

 だから、村人どもよ、そんなキラキラした目で見てくるんじゃあない。

 ええい、うっとうしいやつらめ。

「ありがとう! 殺し屋で殺人鬼さん!」

「殺人鬼で殺人鬼さん、がんばってね!!」

 このクソガキどもめ。

「もう暗くなってきた。さっさと家に帰ったらどうだ、ちびすけども」

 女の子たちを追いはらって家に帰す。姿がなくなったらため息が自然とあふれでた。

「どうして俺がこんな面倒くさいことをしなくてはならんのだ」

「でも、モンスター討伐を受けてくれたんですよね?」

 ヤクが網籠の中身を仕分けしながらいてくる。

「自己投資のいい機会だからな」

「アルバスさんって実は優しいのですね!」

「優しいだと? ぶち殺すぞ、このそばかす女」

 優しいは俺のもっとも嫌いな言葉だ。優しさじゃなくて自己投資と言ってるだろうが。

「薬草はもう十分に足りてるんだろう? なら、さっさとグランホーの終地へ帰って抗病霊薬をつくったらどうだ。そのほうが効率がいい」

いやですよ。もう暗くなってしまいますし、こんな夜道を私一人で帰ってはとうに襲われてしまいます。それにモンスターに襲われた時に私ひとりじゃどうにもできませんもん」

 今晩はすっかり暗くなってしまったので、モンスター討伐は明日行うことになった。

 へそ曲がりの宿のジュパンニには、俺が帰らなかった場合、アルウの手を握ってあげるように伝えておいたので、きっとすやすやねむってくれるとは思うが……やはり、1日以上、あの子のもとを離れるとどっと不安が増してくる。はやく帰りたい。

「では、また明日。おやすみなさい、アルバスさん」

 ヤクは付き合いのある友人の家にまるらしいのでいつたん別れた。

 俺は村長宅に招かれているので、そちらへと足を運んだ。

 村長の家ではかんげいもよおしが開かれた。ごうな料理でもてなされ、肉入りのスープまで出た。

 肉がふんだんに入っているところを見ると、かなりの気合の入れようだ。

 俺がモンスター討伐を引き受けたから精いっぱいの感謝を示してくれているのだろう。

 言外にこうしたおもてなし以外には報酬を用意できないという意味でもあるのだが。

「こんなことしかできませんが……」

「飯はかった。薄味だが俺は好きだ。あんたの奥さんは料理上手だな」

きようしゆくです……!!」

 今夜は奥の客間を使わせてくれるとのことだった。

 村長の家だけあって、部屋が何室か備えられているらしい。

 客間の反対側、閉ざされた扉の先に人の気配を感じた。この家にはもうひとりいるようだ。

「向こうの部屋は?」

「え? あぁ……あっちはむすめております」

 夫人はうれいを宿した顔で答えた。

「娘がいたのか。そういえば夕飯に顔をだしてなかったようだな。あんな豪華な食事だったのに」

「その……私たちの娘は、それはとても美人で、村一番を自負しているのですが」

 隙を与えてしまった。いきなり娘まんがはじまった。

「お話は聞いていらっしゃるでしょう? 先日、レバル村はオーガ一味に襲われてしまいまして、その際、私たちの娘は酷い目にわされたのです……その時に顔を殴られてしまったのです」

 オーガに殴られる。言葉の意味よりもきっと重いのだろう。

「治癒霊薬では治らないんですか。高価とは聞いてますが、付き合いがあるなら手に入るでしょう」

 鮮やかな緑の液体のあの霊薬は、非常に高価だとヤクが言っていた。

 高位の冒険者にしか手が出せない代物を、この村が買えるとは思えないが、まあ、アイテムを手に入れるためには必ずしもシルクを払う必要はない。俺のような冷徹な合理主義者ならばまだしも、あのそばかす女なら、たのみこめば「いいですよ!! どうぞ使ってください!!」くらい言いそうだ。

「ヤクにはすでにゆうずうしてもらってます。こうで用意してくれた霊薬が何本かありましたから、それを使って……しかし、傷は残ってしまって。以来、娘はずっとこもりきりなのです」

 治らない傷というわけか。俺はひじき、思案し、おもわくを言葉にした。

「その娘さん、一晩抱かせてくれますか」

「はあ、娘を抱かせて…………はッ!?」

 俺は閉ざされた扉に手を伸ばした。あわてて村長と夫人が止めに入ってくる。

「ちょ、ちょっと困ります! 冒険者さま!!」

「なにを考えているのですか!? 娘は傷心なのですよ!!」

 夫人が「おめえぶっ殺すぞ!?」という形相でにらみつけてくる。

「私たちの娘はまだ男を知らぬむすめなのです。なにとぞ、お考えなおしください」

 村長は妻をなだめつつ、片手で俺を制止しようと必死だ。

 村長とその妻へ、俺はできるだけきようあくな顔をつくって告げることにした。

「俺は明日、命をけてモンスターにいどむ。まともな報酬を用意できない村を助けてやるんだぞ。村一番の美人くらい抱かせてもらわなきゃ割に合わないだろう」

「そ、そんな……」

「こんな最低な人だったなんて! 顔つき通りの悪人ではないですか!」

 突き飛ばしてくる夫人。それを止めるのは村長だ。

「……わかりました。すこし娘と話をしてきます」

「あなた!? なにを言っているのですか!?」

「お前はだまっていなさい。アルバス様の言うとおりだ。私たちに冒険者を雇うお金がないなか、彼は残ってくださった。その厚意に報いなくてはいけない」

「でも、それじゃあ、エリーは……エリーのことはどうなるの?」

「私はひとりの子の親であると同時に、村を治めるおさだ。すまない」

「そんな!!」

 村長と夫人はしばらく口論をしていた。

 話がまとまったあと、村長は閉ざされた部屋にそっと入り、夫人は娘の不幸をなげき、泣きながら居間に突っしていた。俺を包丁で刺すのをなんとか思いとどまってくれていた。

 俺はというと突っ伏す夫人の目に付かない場所で壁に背を預けていた。

 優しい人と思われるのがしやくでつい出来心で言ってみたんだが、存外、こたえるものだな。

 村長が娘と話をつけたらしく「どうぞ、娘もりようしようしてくれました」と俺を閉ざされた部屋のなかにいれてくれた。

 暗い部屋のなか、揺れるとうしんの明かりが、ベッドに座す少女を浮かびあがらせていた。

「ひぇ」

 年若い娘がきんちようしたおもちで、ビクッとふるえた。おびえた声がちいさくれる。

 表情からすでに「この殺人鬼みたいな人に抱かれるの!? 冗談でしょ!?」と伝わってくる。

「お前がエリーか。なるほど。酷い顔だな」

「……そう思うなら……こんな娘を抱く必要はないのではないですか……」

 エリーはうつむいて暗い顔でつぶやいた。

「いいや、だからこそ必要だろう」

「物好きな方ですね」

 エリーは無表情で服をごうとする。

「落ち着け。脱ぐ必要はない」

「……? えっと、その、経験がないもので、なにか間違えていましたか?」

「いいや、たぶんその意味ではあってる」

「ですよね。いたすためには脱がないと」

「しかし、必ずしも最初から脱ぐ必要はないんじゃないか」

 って、なんの話をしてんだ。そんなことを話すためにこの部屋に来たんじゃない。

「俺はお前にせきを届けに来た」

「奇跡? あなたは白教の高名な聖職者だとでも?」

「高名な聖職者なら奇跡を扱えるのか」

「……そういう風な話を聞いたことがあります。実際はどうか知りませんが」

「そうか。なら、俺は高名な聖職者だ」

「とてもそういう風には見えませんが」

「まあいい。横になれ。俺は奇跡を使える。一晩抱っこした人間の傷を癒やすことができるんだ」

「そんなことできる訳ないではないですか……からかっているのならやめてください……」

「噓じゃない。けてもいい」

「……いいですよ」

「奇跡が起こったのなら部屋をでて、また親に元気な姿を見せろ」

「治せなかったら?」

「治せなかったら、お前を本当の意味で抱く。セックスという意味でな」

「全然、賭けになってないんですけど。もういいです、期待なんかしてませんから」


◆ ◆ ◆ ◆


 朝、目覚めると、あの殺人鬼みたいな冒険者が身支度を整えて部屋をでようとしていた。

 一晩、私はあの凶悪な男のうでのなかにいた。不思議と優しさを感じるほうようだった。

 おどろくべきは本当に手を出してこなかったこと。訳のわからないことを言いながらも、結局のところ若い娘である私を使うことが目的だと思っていたのに。

 まあ、でも、不思議ではないかもしれない。私の顔はあのまわしいモンスターによって半分つぶされ、見るにえないのだから。たとえどんな物好きな男でも、私などもう好意をいだける対象ではないのだろう。殺人鬼だって、きっと冷やかしに来ただけなのだ。

「おはようございます、しっかり眠れましたか」

「起きたのか。俺はもう行く。約束通り、部屋からでて元気な姿を見せてやれよ」

 言って、殺人鬼はさっさとでて行こうとする。

「待ってください、それってどういう意味ですか?」

 殺人鬼がこっちをまじまじと見てくる。ぎんするような視線。嫌だ、私を見ないで。

 恐怖とくやしさ、ずかしさ、いろいろな感情がうずいて、身体からだが震えだす。

「なるほど。確かに村一番の美人というだけある。結構、可愛いんじゃないか」

 殺人鬼は言って、後ろ手に扉を閉めていってしまった。

 彼が昨晩言っていた訳のわからないことを思いだす。そしてなぞの賭けのことも。

 自分の顔に手でれる。指先に伝わるかんしよく感があった。

「まさか」

 私は急いで鏡に近寄った。

「そんな、噓……っ!!」

 奇跡は起こったのだ。

「エリー!! エリー!! 大丈夫!? さっき、あの殺人鬼が『ぐへへ、あんたの娘さん、なかなか可愛い顔してたぜ!』って笑っていたわ、一体なにをされたの!?」

「エリー、すまない。わかってくれ、これも村のためなんだ……」

 お母さんが部屋に飛び込んでくる。お父さんも重たい足取りで入ってくる。

 ふたりとも入り口で足をとめ、私を見て、目を丸くした。

 それはもう笑っちゃうくらいにとんきような顔だった。


◆ ◆ ◆ ◆


 朝、広場に、男たちがつどっていた。

 畑仕事できたえられた肉体で農具を手にする男たちが大多数で、弓を持つするどい目つきのかりゆうどが数名、けんをひっさげた者も数名いるようだ。

「レバル村の全戦力だ。アルバスさん、あんたを頼りにしていいんだよな?」

 それはこっちのセリフなんだが。そんだけの人数がいればモンスターの1ぴきや2匹なんとかなるんじゃねえのかな。ならないのか? ならないから俺が雇われてるのか。

 しかし、だとすると一体どんなバケモノと戦わされるのかぜん、緊張してきたな。

 村の男たちとともにレバル村を出発し、森に足を踏み入れた。ここからはモンスターの領域だ。

 俺はショートボウをかつぎつつ、ヤクにも武器を貸してもらった。

 戦いの流れだいでは、矢をつがえてねらっている暇がないかもしれない。

 彼女が護身用に使っているという直剣で、長さは80㎝ほどで、剣身は傷だらけ、あまり手入れがされていない切れ味のよくないものだ。

 それでも剣は剣だ。命を預けるにはあたいする。

 ぞろぞろとみんなで獣道を歩くと、狩人の男──自警団のリーダー──が地面を指さした。

「見てください、アルバスさん」

「大きなあしあとだ。足跡が深い。ずいぶん重たそうだ。それにを押したのか根っこが盛り上がってる。この土のえぐれかた。まだ土がやわらかい。近くにいるのかもしれない」

「流石は冒険者ですね。こんせきの追い方を知ってる」

 なんで知ってるんだ、俺。いや、これもきっと手紙の主のくれたチートかな。

「以前、村の警備隊がそうぐうしたのもこの近くだったんです」

「注意しろ。この先は気を引きめていくべきだ」

 痕跡を追いかけると、どうくつの入り口にたどり着いた。

 いわかげから顔をのぞかせうかがうと、周囲にみような生物がいるのが目に入る。

 体形は人とほぼ同じ、ただしたけが小さい。腰丈ほどの大きさしかない。

 赤茶けたきたならしいはだをしていて、いびつきばが、閉じ切らない口から飛び出している。布を身体に巻き付け、手にはちいさな木の棒や、石、農具を持っているものまでいる。

「ゴブリンがたむろしてますね。あそこが根城で間違いないようです」

 ゴブリン。本物だ。きめえな。

「どうしてやつらのすみまでわかったんだ、あんた?」

かいぶつ退治に慣れてるんだな。森でものを追いかける方法を熟知してるんだ」

「流石は恐い顔しているだけある。追いめて殺すのに人間も怪物も関係ないってことか」

 勝手な推測としようさんが村人たちのあいだに広まっていく。

「やつらが村を襲ったのか」

「間違いありません。農具を持ってるやつがいるでしょう? あれは村から盗まれたものですよ」

 では、やつらが先に手を出したことになるな。ぶっ殺すことになんの躊躇ためらいもいらないわけだ。

 敵を観察する。ゴブリン。ちいさい。弱そうだ。

 俺には達者な観察眼がある。敵対者が俺のきようになるかいなか、なんとなくわかる。

 相手が人間の場合、脅威を感じることはない。『伝説の野豚』と対峙した時は、すこしこわい感じがあった。よくわからないものは怖いのだ。

『伝説の野豚』が動物なのか、怪物なのか、分類することにさして興味はないが、あの野豚をかく対象とした場合、洞窟のまえにいるゴブリンはっぽく感じられた。

「目に見えているのより、一団はずっと大規模です」

「どれくらいいる」

「30匹か、それ以上」

「多いな」

「村のすぐそばまで来た時は、村の男たち総出でむかちましたが、あまりの数に対処しきれず、多くのがいしやがでてしまったんです。やつかいなやつもいまして……あ、いました、オークです」

 豚鼻のでっぷり太ったやつが出てきた。大人の男よりも体格でまさるサイズ感だ。

「ゴブリンよりずっと厄介でして、集団で囲まないとまず相手になりません。お気をつけて」

 狩人いわく、オークとゴブリンは共生関係にあるらしい。1匹のオークを群れのボスとして、ゴブリンたちがじゆうぼくとして従い、なわりをつくる。チカラをたくわえたら、他種族のメスをけがすために近くの村を襲うそうだ。主に人間の村を。オークやゴブリンにさらわれたらさんだとか。やつらはあまいる怪物のなかでも、特に嫌われていて、百害あって一利なしの生命なのだという。

「いくぞ」

 狩人は合図とともに矢を放った。俺もそれに続く。

 しようする矢が連続してそれぞれのゴブリンに命中し、4匹が手傷を負い、2匹がそくした。

「うおおおおおぉぉお!!」

「ゴブリンどもをぶっ殺せぇえ!!」

「村を襲ったことをこうかいさせてやる!!」

 たけびをあげ、村人たちはおのおのの得物を振りかぶりながら駆け、ゴブリンをぶっ叩いた。えんいかりのこもったこうげきに、次々とちいさい怪物たちはぎ倒されていく。

「あぎゃ、おぎゃ、うぎゃあ!」

 洞窟から次々とゴブリンが溢れだしてきた。

 10匹、20匹、30匹……待てよ、事前情報より多いな。

 それに豚鼻のみにくいオークも、1匹どころか、3匹くらいいるじゃないか。

「複数の群れがおなじ穴倉を住処にしていたのか!?」

「ま、まずい、この数!!」

ひるむな、殺されたやつのことを思い出せ、こいつらはかたきだ!」

「1匹残らず殺してやる!!」

 すごいことになってきた。

「アルバスさん、矢はやめてください、仲間にあたります!」

「え? あぁ」

 気にせずパスパス放っていたが、もう狩人のみんなも武器を近接用に持ちえていた。剣やなたおのこんぼうなどだ。白兵戦がはじまれば誤射の危険がでるから、矢は射ってはだめなのか。

 俺も剣に持ち替え、とつげきする。向かう先は村人たちがてこずっているオークのもとだ。

 道中、剣の届くはんにゴブリンがいたので斬りつける。

 真っ二つに両断できた。人間の身体よりずっと手ごたえが少ない。

「どいてろ、そいつは俺がやる」

「っ、冒険者、来てくれたのか!!」

 村人たちを追い越して、オークの間合いへ一気に駆け込んだ。

 オークは棍棒を振り下ろしてくる。重たそうだな。それをらう訳にはいかない。

 棍棒を軽くいなして、オークの体勢をくずさせ、武器をもつ腕を斬りつけた。

 かたぐちが綺麗な断面をさらして大量の血が溢れだした。

「ウボォオ、ガァア!!」

 やかましい声をあげる頭を斬り飛ばす。死んだか。

 デカくて視覚的に恐いが、なんということない。なんの術理もない。脅威はない。

「オーガだぁああ!!」

 だれかが叫んだ。洞窟からのそっときよだいな影が出てくる。

 そいつだけサイズ感が違った。身長3mほど。あらい布を身に着け、丸太を握っている。

「そうか、複数のオークが同じ巣穴にいたのは、オーガというリーダーがいたからなんだ!!」

 狩人は真実にたどり着き、ハッとしていた。

 平社員ゴブリン、係長オーク、課長オーガ……ってことか。あいつがこの群れのボスだ。

「くっ!! やっぱり、こいつはけた違いだ!!」

かくらんするんだ。あの丸太に潰されたらぺちゃんこにされるぞ!!」

「どいてろ」

「あっ、冒険者、やみに突っ込むな!!」

「叩かれただけでも死んじまうぞ!?」

「オゴロォォオオ!!」

 太い丸太が横薙ぎに払われる。ガードレールをかっこよく飛び越えるみたいに回避し、回避ざまにオーガの手首を斬りつける。血がふんしゆつし、手から力が抜け、丸太があらぬ方向へふっ飛んでいき、オークとゴブリンたちに命中した。ラッキー。

 苦しむオーガのひざを踏みつけ、曲がった肘を経由して、かたまでばやく駆けあがり、踏みやすい丈夫な肩からおおきくちようやく、真上から全体重をかけてオーガの首裏へさきを突き刺した。

 オーガはうめき、暴れるが、急速に勢いを失い、膝から崩れ落ちた。

 倒れる巨体に潰されないように、要領よく剣を抜いて、オーガから飛び退く。

「す、すげえええ!?」

「なんだ、いまの動きはッ!!」

「とんでもねえ、これが冒険者のちからか」

「いや、冒険者でもあんな動きするやついるかな……?」

「っ、待て、そいつまだ動いてるぞ!?」

 オーガの身体がまだ立っていた。首裏からせきずいったと思ったのだが。

「高い生命力だな。首を落とさないと死なないか」

「ウ、ウガァァ、ァア!!」

 オーガが両こぶしを怒りに任せて叩きつけてきたので、回避し、地面にめりこんだ拳を踏んづけ、腕を駆けあがり、冷蔵庫みたいな肩からおおきく跳躍、先ほどは首裏を刺したが、今度は体重を乗せて、首裏から刃を叩きつけた。重たい手ごたえ。綺麗な断面をさらし、首がじゅるりと滑り落ちた。

 きよう的なことに、オーガは首を失ってもなおバランスを崩さなかった。

 腕がのっそりと伸びてくる。先ほどよりかんまんだが、たしかにまだ生きている。

 頭部切断。確実なめいしようだ。それでも死なない。なんて生命力だ。

 俺は剣をチカラいつぱいに水平に振り抜いた。それまでとは違う暴力のいちげきだ。

 すさまじいかいりきでふりまわされた鋼剣はオーガの分厚い筋肉とぼうを割り、脊髄を断ち、どうたいを水平に両断した。

 刃が切り抜けた瞬間、剣は半ばからへし折れた。力にえきれなかったようだ。

「「「「なにぃぃぃいいい!?」」」」

 村人たちからきようがくの声がひびきわたった。

 巨体が転がる。酷いにおいと臓物がこぼれだした。

 さしものオーガでも真っ二つにされれば死に絶えるようだ。

「あんなやわっこい剣でオーガの巨体を両断にするなんて」

「化け物はあの冒険者のほうだったか」

「信じられん……」

 はじめてのモンスター討伐。くいったほうだな。

 ゴブリン、オーク、オーガ。ここら辺は俺の脅威にはならないとわかった。

 これでひとつ不安は消えた。心のへいおんが少しだけ進んだ。

「残党をるぞ。逃がしたら新しい群れをつくる。殺しくそう」

 俺は村人から武器をふんだくり、残りのゴブリンとオークもそうとうした。


◆ ◆ ◆ ◆


 モンスターの群れ討伐を終えて、レバル村に帰る頃には、太陽が空高くのぼっていた。

 村人たちは全身血塗れの俺を見るなり悲鳴をあげ、まなしを向けてきた。

 返り血とともに、殺人鬼のはくが付きすぎてしまったか。

「うわあ」

「なんだその目はそばかす女」

「いや、なんでもないです」

「すこし待ってろ。昼過ぎには出発する。夜にはグランホーの終地に帰れるだろう。村長の家にがあるって話だから、浴びさせてくれ」

「それはいいですけど、そんな血塗れで馬車に乗られてもちょっと、て感じなので。ところで、私の剣はどうしたんですか」

「折れた。べんしようはする」

 てん寿じゆまつとうした剣のざんがいをヤクに見せた。

「はぁ、まあいいですよ。レバル村は私にとっても大事な場所なので、そこを守ってくださったアルバスさんは恩人ですから。それにエリーのこともありますしね」

「何のことだかな」

「聞きましたよ、奇跡を起こしたって。アルバスさん、もしかして都でしん殿でん務めをしていた聖職者さんだったりします?」

「どうだかな。すこし待っていてくれるか。すぐ戻る」

 レバル村の大勝利にみながお祭りさわぎするなか、俺はこっそり村長の家にやってきた。

 この村の真ん中には川が通っている。小川というほどのちいさな川には、上流から清らかな水が運ばれてきており、この村の家々ではそれをめ、まきで湯をかしているとのこと。

 森と川の遠い街では、お風呂をつくるのは苦労だ。

 町のしよみんにはできない、辺境の村ならではのぜいたくがここにはある。

 うらやましいので、使わせてもらうことにした。村長夫妻に頼んだらかいだくしてくれた。

「アルバス様、娘のこと本当に、本当に、ありがとうございました」

「モンスター討伐もお疲れ様です。さあさあ、どうぞこちらへ」

 とてもにこやかだ。夫人にいたっては昨晩のねめつける表情が噓のようだ。

「アルバス様がお帰りになるのを心待ちにしておりました。昨晩はお風呂に興味をもたれていたので、準備は済んでおりますよ」

 なんと段取りがいいのだろうか。ありがたい。

 案内されて家裏に通されると、簡易な柵で囲まれた川に面したてん風呂があった。

 肩まで湯船にかる。さいぼうすみずみまでみわたる。はあ、やはり風呂は良いな。

 数日に1回、アルウと俺は領主の家で大浴場を勝手に使わせてもらっているが、露天風呂はまた格別なぜいがある。川と森、平原、畑と羊、すべてが視界内にある。

 こんな清水の流れる地に住めば毎日お風呂に入れるだろうか。将来は田舎いなか暮らしも視野に入れてもいいかもな。森も近いし。野豚もれるし。路地裏に死体は転がってないし。

 でも、森が近いってことはモンスターも近いってことだ。ここら辺はトレードオフの関係か。

「アルバス様」

「ん、誰だ、いま風呂に入ってい──おッ!?」

 ビクッとして肩を震わせたのは、背後に少女が立っていたからだ。

 村長夫妻の娘エリーである。布でたいを隠しながら、心もとなげにしている。

 頰をうすく染め、うるんだ眼差しで見てきていた。いったい何が狙いだ。

「な、なんのつもりだ」

「その、お身体を清めさせていただこうと……」

「そんなキャラじゃなかったろ。もっととがってたじゃないか」

「あなたのことを誤解していたんですよ。いいですから、大人しく背中を流させてください」

 エリーがせまい風呂に入り込んでくる。お湯が溢れ、こぼれていく。

 俺の背後に彼女がいる。白い手が伸びてきた。腰をまわして、俺の身体のまえへ。

 心臓のどうがはやくなる。まったくの想定外が起こってる。かんべんしてくれ。俺はどうていなんだ!!

「お、お、おづかい稼ぎのつもりか? ふん、わ、悪いがシルクは持ってきていないぞ」

 自分よりひとまわりも年下の少女にいいようにされている。情けねぇ……。

「だから、こんなことされてもシルクは払えない」

「まさか……お金が欲しいわけじゃないです」

「それじゃあなんで」

「賭けをしたじゃないですか」

 昨晩の賭けのことか? 俺がエリーの顔の傷を治せたら両親に元気な姿を見せる。治せなかったら……あぁ、そうか。そういえば俺が言ったんだったな。

「だが、あれは俺が顔を治せなかったらの場合だろう?」

「細かいことはいいのですよ。アルバス様、どうか私を貰ってくれませんか?」

「ぐいぐい来るな!?」

「アルバス様は、顔は恐いですけど、とても優しいお方です。あなたのような方になら──」

「だから、ぐいぐい来るんじゃない……!!」

 エリーは身体を密着させてきた。いろいろと柔らかい。いったいどうなってしまうんだ、俺。


◆ ◆ ◆ ◆


 ヤクのもとへ戻り、荷物を確認して、グランホーの終地へ戻ることになった。

「なんだか楽しそうですね、アルバスさん」

「あぁ、風呂が気持ちよかったんだ」

「お風呂ですか。あったかいお湯に浸かるなんてさぞ気持ちがいいんでしょうねぇ」

「そうだな。あれはすごいものだった……」

 網籠はすでに積んである。やり残したことはない。

「アルバスさん、本当に見事な戦いでした」

「どこであのような剣術を?」

「そのお体のどこにあのような怪力がめられているのですか?」

 去る前に、村の男たちからは熱心に質問をされた。

 俺がお風呂でいろいろされてる間、討伐に参加した者たちが話をちようしてしていたらしい。

 おかげで俺はレバル村を救ったえいゆう扱いだ。持ち上げられるのは嫌な気分じゃない。でも、熱心に聞かれても俺から話せることはさほど多くはなかった。

 剣術も先ほど使った怪力の秘密も、すべてはチート。貰いものなのだから。

 だが、はぐらかすのにも限界がある。なので多少、手ほどきはした。

 木剣を手に何人かと打ち合い、デモンストレーション的に「こう打たれたら、こう」「こう来たら、こう」みたいな感じで剣術指南した。教師としては三流もいいとこだ。

「アルバス様は感覚派の天才剣士であるな」

「他人に説明できないところも、またセンス100%という感じであこがれる」

 レバル村の英雄という格が強すぎて、どうやっても好意的にとらえられた。

「殺し屋で殺人鬼さん、ありがとうございます!」

「殺人鬼で殺人鬼さん、お姉ちゃんを助けてくれてありがとう!!」

 村の女の子たちからはエリーを囲みながら順番にお礼を言われた。

 花飾りをプレゼントしてくれたので、仕方なく受け取った。

 別に全然うれしくはない。本当に全然なんともない。

 だが、貸しをつくりたくはなかったので黙って、頭をぽんぽんでておいた。

 レバル村での1日は存外、悪くはなかった。報酬は少なかったが……いや、大きかったか。うん。

 俺の見聞もひろがった。ばんぞくと戦い、俺は俺が思った以上に実力を備えているとわかった。

 ゴブリンには流石に勝てると思っていたが、オークやオーガがあんなに簡単に斬れるとは思わなかった。俺が強いのか、やつらが弱かったのか。

「アルバス様、どうかお元気で!!」

「また必ずいらしてください!!」

「本当にありがとうございました!」

 村人たちに見送られ、俺とヤクはレバル村をあとにした。


◆ ◆ ◆ ◆


 初めての遠出を終え、グランホーの終地に帰ってきた。

「ありがとうございます、アルバスさん。おかげで貴重な薬草がたくさん集まりましたよ」

「仕事だからな」

「『この薬草はどうだ? こっちはどうだ?』って熱心に働いてくれて、すごく助かりました」

「仕事だからな」

「あれ? でも、仕事は護衛だけでは?」

しやべってないで、さっさと最高級の抗病霊薬を調合しろ、このそばかす女」

 ヤクは「はーい」とこっちをかしたように言って、ゲーチルの霊薬店に網籠を運びこむ。

 俺も網籠を運びこむのを手伝い、そののち冒険者ギルドに報告に行った。

「ひぇええ、1日来ないと思って油断してたらお昼過ぎに殺人鬼さんが……!!」

「そんな驚いてて疲れないのか。とにかくクエスト達成の報告を」

 いつもの受付嬢が「ふぇえ、恐いよぉ」と、涙目になりながら手続きをしてくれた。

「レバル村のきんこうでオーガというモンスターを倒したんだが。あれは強いモンスターなのか」

 依頼報告が終わったあと、俺は受付嬢に尋ねた。

 モンスターの強さの感覚をつかんでおきたいと思ったからだ。

「オーガは非常に強力なモンスターですよ。殺人鬼さん、オーガを倒せるなんて流石ですね!」

「やはりアレは強い部類か。まあそうだよな。首を落としても動いてたし」

「へ? 首を落としても生きてたんです?」

「ああ。動いてた。胴体を真っ二つにしたらようやく死んだ」

「そんな!! そこまでしぶといなんて、よほど強力だったのか、いや、流石に首を落とされれば死にますし……きっととくしゆな個体だったのですね……ん? 待ってください、殺人鬼さんがオーガの胴体を真っ二つにしたんですか?」

 せんりつしたこわで尋ねてきたので「ああ」と短く答えた。

「どんな怪力ですか……!?」

「そのことは一旦置いておこう」

「置いておけませんよ!?」

「とにかく、あのオーガは特殊な個体だったということか。通常の個体はもっと弱いと?」

「ええ、まぁ。そういうことになるかな、と」

 そうか。ならば安心だ。あの個体でもさして苦労はしなかった。

「特殊な個体というのはたびたびいるものなのか?」

「そんな度々はいないと思いますが。きっと名のある伝説の個体だったに違いありません!」

「伝説の個体、か」

「はい、伝説のオーガなので……ネームドモンスター『伝説のオーガ』と名付けましょう!」

 だと思った。でしょうねのきわみ。

 てか、死んだ後にいつも名付けてるな。『伝説の野豚』の時も思ったけどさ。

「それより殺人鬼さん、怪力について──」

「そのことは置いておこう」

かたくなですね!?」

 特殊個体は珍しい。通常個体があれより弱い。それさえわかればいい。

 モンスターに対する見聞はある程度増えたかな。

 冒険者ギルドをあとにし、霊薬店へと戻るちゆう、見かけない馬車が通りにいるのを発見した。

「なにをしているんだ。見かけない顔だな」

「ひ、ひええええ!?」

 話を聞くと旅の行商人とのこと。ここで出店を開いているらしい。

 なにかおもしろいものがあるか期待して見てみる。

「す、すす、すみません!! ひ、ひえええ、わ、わざとじゃあないんですよ? まさかショバ代が必要だとは思わなくて……!! 命だけは勘弁してください!!」

 取り立てのヤクザかな。ここは別に俺のシマではないのだが。

「安心しろ。善良なる市民だ」

「またまた、冗談を。命の大切さをわかってない顔しているのに」

「善良なる市民だって言ってるのが信じられないのか? ぶっ殺すぞ」

「ひやぇああ!? お助けを!!」

 ちょっとふざけるとそく事案になってしまう。迷惑そうなので、立ち去ってやることにする。

「さあどうぞ、お好きな物を持っていってください……!!」

 命のかわりに品物を差し出してきたので、品物を吟味し、本を1冊いただくことにした。

 いいものを手に入れた満足感とともに、霊薬店に戻ってくる。

「もう戻ってきたんですか、アルバスさん」

「霊薬を受け取りに来たんだ」

「まさか、そんなすぐにはできませんよ。まだ、しばらく時間が掛かります」

 最短でも3~4時間は掛かるとのこと。

「それくらいならいい。ここで待とう」

 カウンターで待たせてもらえることになった。

 腰を落ち着けて、さきほど行商人からカツアゲもといぞうされた本を開く。

 かびくさい古本で、タイトルは『じゆつの諸歴史 初版』である。

 俺はクールで、合理主義者として知られるが、同時にしんちような男としても知られている。

 安定をせんたくしがちな性格上、前世ではこくな仕事から逃げられなかったくらいだ。

 異世界は未知に溢れている。治安の死んでる街、実際に死体のある夜のやみ、モンスターに冒険者、知らない土地、文化、文明、人種、そして魔法や魔術、霊薬などのさまざまな神秘たち。

 ありとあらゆる知識が必要だ。俺はこの世界のことを知らなすぎるからだ。

 こと魔術まわりの知識についてはぜひ修めておきたいと前々から思っていた。

 魔法をより理解するためにも、魔術体系の可能性をさぐるという意味でも興味があった。

『魔術の諸歴史 初版』の内容は、魔術の起こりから、発展のけい、著名な魔術師に関するものだった。広く浅い知識のもう。社会の授業で浅く世界史をやってるような感じだった。

 目新しい情報はほう使つかい族についての世のにんしきがあげられる。

「魔法暦600年前後、魔法使い族は姿を隠したと言われている。諸族を率いて長い巨人戦争を戦い抜いたが、多くの命が失われるなかで、魔法使い族もまた多くが命を落としたともされている。今もどこかで生きているのか、ほろんでしまったのか。魔法使い族が諸族を残してどうなったのかについては現在もさまざまな調査が行われている……か」

 魔法使い族が、ずっと昔にいなくなったのは知っていたが、原因はよくわかっていなかった。

 巨人戦争。おおきな戦争だったようだ。諸族を率いて戦い抜いたとあるが、それはつまり、魔法使い族が諸族とやらのリーダー的な存在だったということだろうか。

 背表紙を確認する。発行年を探したところ『魔法暦625年』となっていた。

 この本の歴史観は625年の視点で、600年前後のことを振り返っていることがわかる。

 当時の著者ですらだいぶフワフワした認識だ。魔法使い族の最後についてはくわしいことは伝わっておらず、もうどこにもいないということだけが、共通認識なのだろう。そのことを踏まえると、現在では魔法使い族に関して詳しく知る者がいないのもうなずける。

 今日でも姿を現していないということは、巨人戦争で戦死したと考えるのがのうこうなのだろう。

 とすれば、やはり俺は最後の魔法使い族なのかもしれない。

『魔術の諸歴史 初版』には、魔術体系に関しても載っていた。

 魔術とは魔法使い族のたちがおこした学問であり、人間の身で魔法使い族のもつ神秘のわざえいに近づこうとする試みなのだそうだ。

 魔術には『時間』と呼ばれる段階が定められている。

 第一時間魔術からはじまり、第十二時間魔術で究極に至ると言われている。

 ただ、後半──第五時間魔術以降──に関しては、実際に魔法使い族が生きていた時代に使われていたもので、現代──著書しつぴつ当時──で実際に存在しているのかさだかじゃない、とのこと。

 魔法使い族がいなくなった現在、もしかしたら、第五時間~第十二時間の魔術を使える者はめつにおらず、すでにすたれてしまっているのかもしれない。

 気になるのが、究極に近づくにつれ時間の数字がおおきくなるのなら、魔法使い族が使う魔法は時間的にはいくつ相当なのだろうか、というもの。

 魔術というものは、魔法使いの技を目指したものだから、低いことはないと思いたい。

 魔法使い族なのに第一時間魔術しか使えないんすか……って感じになったら地味にショックだ。

 ほかにもしかばねのクリカットのことも気になる。奴自身ではなく、奴の魔術だ。40年しゆぎようしたとか言ってたわりには、凄い技を使ってこなかったが、あれは何時間相当の魔術だったのだろうか。

 自分が神秘の使い手としてどれくらいの位置にいるのか理解することは重要なことだ。

 それによってはい方は変わってくるのだから。

 魔法魔術の知識に興味が湧いてきた。神秘の分野に関しては積極的に情報収集していこう。

「最高級の抗病霊薬ができましたよ」

 本を読み終わる頃、ちょうど向こうの仕事も終わった。

「助かる。値段は3万5000シルクだったか。大丈夫だ、払える」

「お代はいりません。アルバスさんにはお世話になりましたから」

「いいのか?」

「はい、おばあちゃんもアルバスさんのことは認めてくれてましてね。あ、おばあちゃん」

 カウンターの奥から腰の曲がったろうが顔をのぞかせた。

 よごれたエプロンは、緑色に染まっている。だんから薬草を扱っているためだろう。

 このばあさんがヤクの祖母ゲーチルだろう。

「ふむ、あんたがアルバスかい。本当に殺人鬼みたいな顔だねえ」

「いきなり失礼なばばあめ。老い先短い命をもっと短くしたいのか」

「そいつは勘弁願いたいねえ」

 ばばあは「カカッ」っとかいに笑う。くしゃっとしわが深くなるのがちょっと面白い。

「孫が世話になったみたいだね。ほら、こいつはおまけだ」

 言って、ゲーチル婆は紙包みをわたしてくる。チラっと中身をのぞけばはくいろの石が入っていた。

「なんだこれは」

「べっこうあめという貴族の食べ物さ。聞いたよ、子供がいるんだろう? 食べさせておやり」

 貴族の食べ物だと? べっこう飴……お前、異世界じゃずいぶん出世したんだな。

かんか。ありがたくいただいておこう」

 最高級の抗病霊薬とべっこう飴をポケットにいれ、霊薬店をあとにした。


◆ ◆ ◆ ◆


 へそ曲がりの宿のげんかんを開けるなり、受付で暇そうにしているグドと目が合った。

「ほう、1日も留守にするとは珍しいのう、アルバス」

「うちのアルウに変なことしてないだろうな、じじい」

「娘より若い子に手をだすわけなかろうて。無用な心配をするんじゃないわい」

「アルウはどうしてる」

「あのエルフならジュパンニがずっと一緒じゃ。遊び相手が見つかって楽しそうじゃ」

「そうか、アルウが退たいくつしていなくてよかった」

「ジュパンニが楽しいそうなんじゃ」

「いや、そっちが構ってもらってる側か」

 部屋へ戻ると、ジュパンニとアルウが紙とペンで作業をしていた。

 ジュパンニがに座し、そのももの間にアルウのちいさな身体が収まっている。まるで姉と妹だ。

「あ。帰ってきた」

 アルウが駆け寄ってきて、ボフっと抱き着いてくる。胸がキュッとする。抱きしめ返したい。

「アルバス、どこ行ってたの? どうして、帰ってこなかったの?」

 あう、あう。胸がキュッとする。さっきとは違う感じでキュッとする。

「別に俺が一緒にいる理由もないだろう」

「アルバスといっしょがいい。さびしかった」

「……悪かった。だが、お前のためなんだ。さあ、これを飲むんだ」

 最高級の抗病霊薬をとりだす。ジュパンニが不思議そうな顔をする。

「それは一体なんですか? 綺麗な液体が入ってますけど」

「霊薬だ。病気に効く」

「これが伝え聞く霊薬ですか。すごい、はじめて見ました」

 すごい値が張ると聞いたし、冒険者でもない庶民は目にしたこともないのか。

「この最高級の抗病霊薬ならば一撃で病を治すことができる。アルウ、さあ飲むんだ」

「アルバスさん、それ最高級の霊薬ですか!? アルウちゃん、重篤な病気なんですか!?」

「そうだ。アルウは謎の病に侵されている。連日、苦しそうに咳をしていたのがしようだ」

「え? まさかそのために貴族しか手に入れられない最高級の霊薬を?」

 ジュパンニはもだえるような眼差しを送ってきた。一体なんだと言うんだ。

「もう無理です。こんな過保護な人、見たことありませんっ!! なんのつもりですか!!」

「俺が過保護だと? 鹿なことを言うんじゃない」

「だって、ただの風邪のために最高級の霊薬を買ってるんですよ!? これを過保護と言わずしてなんと言いますか!!」

「風邪、じゃないかもしれないだろうが」

「実はアルウちゃん、昨日のお昼に風邪薬飲んで、いまはすっかり元気になってます」

 え? もう体調よくなってるの? まさか俺のはやとちりだったとでも言うの?

 くっ、しかし、それを認めるわけにはいかない。

 認めれば俺が優しい人みたいになってしまうではないか。

「ふぅん、そんなこと知っていた」

「え? そうなんですか? それじゃあ、なぜ最高級の霊薬を?」

 ジュパンニはジト目で、口元にささやかなみを浮かべ、尋ねてくる。

「俺はれいエルフに誰が主人なのかをわからせるため、あえてこのちよう苦い薬をもってきたんだ。これを無理やり飲ませることで、アルウは自分が奴隷だということをいまいちど認識するだろう?」

「ははぁん、そう来ましたか。ならば、アルウちゃん」

 ジュパンニはアルウになにやら耳打ちをする。アルウは「わかった、そうする」となつとく顔になる。

「アルウは奴隷です」

「そ、そうだ。お前は俺の奴隷だ。それがわかったのなら、この苦い薬を飲む必要はなくなったな。よし、これはいつか重篤な病にかかった時のためにとっておこう。さあ、ジュパンニ、部屋を出ていけ。もう俺が戻ったからには看病は必要ない」

「それはできませんね」

「なんだと?」

「アルウちゃんはいまお勉強中なんです」

「人間語、勉強してるの。わたしは、読み書きできないから」

 異世界にはたくさんの種族が生きている。それぞれが知性を持ち、文化を持っている。

 人間族、こう族、ドワーフ族、エルフ族、けもの族、じゆうじん族、おおかみ族、ねこ族、魚人族──とにかくいろいろな種がいるようだ。そういう種族たちはその種族間で共通言語を利用することが多い。

 別の種族と関わりを持つ者だけが、ほかの言語を学ぶ機会を得る。

 アルウは人間族の言葉を話せるが、人間語の文字を理解することはできないようだ。

「そうだ、アルバスさんがお勉強を教えてあげたらどうですか?」

「俺が? ふざけるなよ。誰がそんな面倒くさいことするものか」

 俺が勉強を教えた場合のメリット。なし。

 俺が勉強を教えた場合のデメリット。時間をうばわれる。

 冷徹なるクールガイである俺は、な労働も、無駄な出費も、無駄な時間も大嫌いだ。

 しかし、ふと考える。人間語の読み書きができるエルフは、商品価値があがるかもしれない。

 そうすればアルウは世界で一番可愛いだけでなく、かしこくもなる。最強だ。アルウ最強。

「ええい、そんな教え方じゃだめだ、ここからは俺が教える。ジュパンニ、貴様は下がっていろ」

「はぅ、アルバスさんがどこまでも娘のために尽くすパパのように……邪魔しちゃだめですね」

 その晩、遅くまで俺たちは机に向かった。

「べっこう飴、食べるか? あまくて美味しいぞ」

「アルバスと、半分こする」

「俺はいらない。好きなだけ食べろ。全部食べろ。おなかいっぱい食べろ」

 アルウはみというものを浮かべない。笑うことが苦手なのだ。

 だが、もくもくとべっこう飴を口に運ぶアルウは心なしか頰がゆるんでいるようだった。

 そろそろとうしんが一本燃え尽きそうだ。寝るにはよい時間だろう。

「アルバスと、長くいっしょにいられる、嬉しい」

 アルウはぎこちなく言う。表情は相変わらずかたいが、喜んでいるのはわかる。

 しかして、一緒にいるだけで嬉しい……か。

 単純なエルフだ。だが、これは使える習性だ。幸福度があがれば心身ともに健康となる。

 不健康なエルフより、健康なエルフのほうが商品価値が高まる。

 うん。となれば、ずっと一緒にいてやらねばなるまい。利益の追求のためにな。

「今日はもう寝るぞ。手を握っておいてやるから、はやく寝ろ。いっぱい寝て、元気になるんだぞ」

「けほけほ。わたしはすこし調子悪い、かもしれない。すごく寒気がする。アルバスがいっしょにおとんで眠ると温かくてよく眠れる気がする……」

「ええい、仕方ないやつめ」

 アルウが弱音を吐くので、仕方なく、本当に仕方なく一緒に寝てやることにした。

 まだまだ瘦せていて、弱っちい娘なのだ。ぽっくりってしまったら、俺のこれまでの投資がパーになってしまう。だから、本当に仕方なく抱きしめてやるのだ。

 やれやれ、本当に手間のかかる子だ。

ドラゴンノベルス5周年記念フェア

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