第一章「勇者を目指してた俺はレジを打ってます」



「いらっしゃいませえええええっ!」

 ほうレジスターの中でかさばってきた1000ゴールドへいを十枚ずつ束にしながら、ラウル少年は高らかに声をひびかせた。

 すかさず顔を上げ、季節商品コーナーで初夏の水回りにくスライムげき退たい用マジックトラップをながめはじめたお客さんをかくにんしたついでに、彼はぐるっと店内を見わたしてみる。

 マジックショップ・レオン王都店。

 中心街からかなり外れた裏通りにひっそりたたずむこのお店は、ポーションからマジックヴィジョンまで、マジックアイテムならなんでもそろうとうたう専門店。こぢんまりした店内にはだなが立ちならび、多種多様のマジックアイテムがところせましとちんれつされている。

 平日の昼過ぎということもあり、レジカウンタからのぞむ店内はかんさんとしていた。お客さんも二人くらいだし、なんというか、とても平和だ。

 おだやかな春の陽気もあいまって、思わずあくびがれそうになるのをこらえつつ、ラウルはくたびれたうでけいをひょいと見やった。くろかみきながら、レジ下の引き出しからするりと木製のコインチェッカーを取り出す。そろそろ、レジ金チェックの時間。

 これが終わったら、お店がひまなうちにさっき入荷した新商品の防犯ブザー付きけいたいマジックライトの売り場作っとこ。慣れた手つきでコインチェッカーにこうを積みあげつつ、ラウルは頭の中で予定を立てはじめ……と。

 レジカウンタにお客さんが近づく気配を感じ、ラウルは瞬時に思考を中断した。よく訓練された店員である彼は反射的に営業スマイルをかべ、接近してきたお客さんに向かってはきはきと声をかける。

「いらっしゃいませ!」

「これ、お願いしま……」

 レジカウンタしに目が合った、その瞬間。

 会計台にマジカセテープ三個パックを置いたきんぱつの少女は、まるではとが豆大福をのどにつめたような顔で、カウンタの中のラウルを見やると……ややあって、深いあいいろの目を丸くして声をあげた。

「ラウルっ!? あなた、ラウル・チェイサーじゃっ……!?」

「げっ……お前はっ……!?」

 流れるようにつややかな、はちみつ色のきらきらしたかみ。少女の整った顔立ちと意志の強そうなまなざしには、はっきりと見覚えがあって。

 ……ひどく気まずげに視線を泳がせつつ。やがてラウルはしらばっくれるようにして、カウンタの上のマジカセテープを手に取った。

「ええと、その……こちら一点で、お会計は945ゴールドになりま……」

「勇者予備校で首席だったあなたがっ、どうして!?」

「ふ、ふくろにお入れいたしますか?」

「どうしてあなたがマジックショップでレジなんか打ってるの!?」

「で、では、テープらせていただきますねっ!」

「ごまかさないでっ!」

「仕方ないだろっ!」

 ついに根負けしたように、ラウルが声をあげた。

「魔王がだれかにたおされて、魔人の国が崩壊して、勇者制度が廃止になって、勇者試験も中止になってっ……ショックで半年くらい引きこもってたらいつの間にか武器とか防具のメーカーがのきたんしてすげえきようになっててっ……けっきょく、ここしか内定出なくてっ……」

「それであきらめたっていうの!?」

「お、俺だって努力したんだよっ!!」

 なおも言いつのる少女へ、ラウルはやっきになって反論を試みる。

「まいにち職安の長い列に並んで、数え切れないくらいれき書書いて、面接でも必死に自己アピールしてっ……」

 正直なところ、ラウルも最初は就職なんてゆうだと思ってた。なんせ自分は勇者予備校の首席にして、全国勇者模試で史上初のS判定をたたき出したほどの実力者。自らがいずれ勇者になる選ばれた人間であることにこれっぽっちも疑いなんていだいてなかったし、そんな俺のかがやかしい才能があれば、どのぎようでもこぞって俺を採用しようとするにちがいないと思いこんで……でも。

「……でも、けっきょく最終学歴は専門卒だし、魔人の弱点とかダンジョンこうりやくのコツとか魔人領の歩き方とかいつぱん企業じゃなんの役にも立たないし、『せんとうスキルには自信あります!』って言っても、『では、なにか資格はお持ちですか?』って言われるだけだし……」

 ……残念ながら、世の中はそれほど甘くなかった。

 日ごとに深刻化する魔界崩壊不況を背景とした、ヘタすれば元勇者ですら職にあぶれるようなちよう就職氷河期。そんな中、勇者予備校卒の元勇者志望者に対するじゆようなんてもの、ほぼかいに等しかったのだ。

 面接官に特技を聞かれて「《ラウル・スラッシュ》です!」とそくとうし、「で、その《ラウル・スラッシュ》が当社において働くうえでどんな役に立つとお思いですか?」と返されて思わず言葉にまった苦いおく。……なんかもう、忘れられないトラウマだ。

 しだいに勢いを失い、やがてすっかり口ごもってしまったラウルの前で、少女は失望したように藍色のひとみをすがめた。手にしたはながらさいからきっちり945ゴールドの硬貨を取りだしてトレイへ置くと、あからさまなため息とともにぽつりとつぶやく。

「……ライバルだと、思ってたのに」

 その言葉は、ラウルの胸にぐさりとさった。

「お、俺だってっ……」

 言い返そうと口を開けたものの、次の言葉はいっこうに出て来ず……そんなラウルを冷ややかにいちべつすると、金髪の少女は代済みシールが貼られたマジカセテープをつかむなり、ぷいと店を出て行ってしまう。

「俺だって……俺だって……その……いちおう正社員だし……」

 なすすべもなくレジカウンタに立ちつくしながら、少女の背が消えていったとびらに向かって言い訳みたいに呟くラウル。……そんな彼の耳にとつぜん飛び込んでくる、ひどくテンションの高い声があった。

『ハァイ、今週も始まりました大人気コーナー、となりのごうてい訪問! 本日は元勇者アレス・フィードさんのお宅におじやしておりまスー!』

 てん奥の、レジから見て入り口とは逆側のへきめんに展開されたマジックヴィジョン売り場。放心したラウルが力なく視線を向けると、展示器が空中に映し出すいくつものマジックディスプレイには、城かと見まごうようなはくの豪邸の前ではしゃぐ売れっ子きよにゆう女子アナの姿が映し出されている。

『《勇者試験》といえば、合格率コンマゼロイチの超難関! 貧しい家に生まれながら、そんな倍率を乗りえて見事勇者になったアレスさんの輝かしい功績、みなさまもうご存じのとおりですよネ!』

 女子アナのウインクと共に切りわる映像。新たに映し出されたのは、輝くようなマジックメイルに身を包んだせいかんな戦士の姿だった。

『アレスさんは《勇者制度》のえん金や住居手当、家族手当、えんせい手当、武器こうにゆう手当その他もろもろをフル活用して大陸北部の魔人領へ精力的な遠征をくり返すかたわら、書き留めた手記を出版して大ブレイク! げんえき時代から対魔人専門家、評論家としてマジックヴィジョン等でかつやくし、引退後は勇者年金をもらいつつ、アドバイザーとして武器メーカーのめいもんに……』

「………………くそう」

 マジックヴィジョンの中のはなやかな世界。ラウルの口からは知らず知らずのうち、せんぼうのため息がもれてしまう。

 ──きっかけは、一枚のカードだった。誰かが土産みやげとして持ち込んだ、さいきん王都でってるというトレーディングカードことつうしよう『勇者カード』。表には勇者の名前と似姿が、裏にはその勇者のスキルや功績なんかが書かれてて……。オモチャもろくにない田舎いなか村のこと。そのカードは子ども達の間でたちまちうばい合いになったものの、そんな中で幼いラウルが手に入れることができたのは幸運にも、たった一枚だけ混ざっていたはくしの……いわゆる『キラ勇者』カードだったのだ。

 そのカードにえがかれているのが実在の勇者だと知ったとき、ラウルはいったいどれほど興奮したことだろう。

 勇者ってすごい! カッコいい! 俺も勇者になりたい! 勇者になって、認められて、有名になるんだ! あと、お金持ちになりたいっ!

 幼心にそう決意してしまったラウルは、それからずっと勇者しゆぎように明け暮れてきた。筋トレ、マラソン、木の枝をけんに見立てたり、はぐれものの退治。両親にせがんで買ってもらった勇者の手記をすり切れるまで読み返しては大事な部分に赤線を引き、血のにじむような特訓と持ち前の集中力で魔法すらも独学で身につけた。

 そんな彼の努力はやがて大人たちにも認められ、村の援助を受けて王都の勇者予備校に入学してからも油断することなく自己けんさんはげみ、いつしかトップにまでのぼり詰めていたラウル。あとはもう、目前にせまる勇者試験を待つだけだったのに……。

 うつむくラウルの視界にうつる、防犯ブザー付き携帯マジックライトの詰まった段ボール箱。

 どうして俺、こんなとこでレジなんか打ってんだろ……。

 ……マジックライト売り場を作る気力なんて、もはやしようめつしていた。

 学歴無し。資格無し。コネも無し。みんなの期待を裏切ってしまった手前、いまさら故郷にだって帰れない。それまでの人生すべてをけてきた目標を失ったいま、未来にはなんの希望も展望も見えず、望まぬ職場で情熱も向上心もなく、ただただせいで働く日々……俺の人生、わずか十七年にして確実に詰んでる。

 ゆううつなため息とともに、ラウルはかたを落とした。

 ……このまま、こうしてレジ金数えながらちてくのかな、俺って。



「おい」

 それは、まさに不意打ちだった。

 きよをつかれたラウルがはっと顔を上げると、いつの間にか、木製のレジカウンタをはさんですぐそこにひとりの少年が立っていた。

「店長を出せ」

 だぶっとしたフード付きパーカーに、むっつりした表情。明らかにラウルより年下だろうが、あつ的な視線やこくはくな口調、そしてなにより全力で前面に押し出された尊大なオーラがこう、なんともいえないガラの悪いふんをかもしだしまくっている。

 けれども、ロクに手入れもされていない銀髪の中にあるのは、意外なくらい整った顔立ちだった。き通るようなアクアブルーの瞳はぱちりと大きく、がら身体からだと相まって、どこか中性的な雰囲気をただよわせている。

 ……クレーム?

 村民全員が顔見知りといったレベルのド田舎育ちのラウルは、クレームが大の苦手だった。どうようを押しかくしつつ、おそるおそるいてみる。

「ええと、その……店長は席を外してますが、どういったご用件で……」

「いいから」

 そんなラウルの言葉をさえぎるように、少年がどすん、とレジカウンタにひじせた。そのまま、ふてぶてしい態度でラウルをめ上げてくる。

「早く店長を出せ。話があるんだ」

「っ……」

 くそっ、これだから接客業はイヤなんだよっ! 少年の態度にひるみながら、ラウルは心の中で悪態をついてしまう。ああ、まったく、どうして俺は勇者になれなかったんだろう! 勇者なら、人んちのタンス開けてメダルあさったってクレームなんか受けないってのにっ!

 自分を射すくめるきようあくな視線からのがれるように目をらし、そうスペックが高いわけでもない脳をフル回転させて、最善の対応をさくしつつ……そんな折、ラウルはふと、少年がなにかを手にしていることに気づいた。

 公文書サイズの、ひどくよごれた一枚の紙。……気のせいだろうか。そこにちらりと見えたのは、なんだかラウルのトラウマをくすぐる、ひどく見慣れたフォーマットのような気がして……。

「あらあら、いらっしゃいませ」

 ラウルの思考を中断させたのは、背後から聞こえてきた、まるで天使のようにやさしい声。

 反射的に振り返り、ラウルはつい、あんでいっぱいの声をあげてしまう。

「店長っっっ!」

 ウェーブを描いてむなもとにこぼれるふわりとしたくりいろかみ。大きなえりと赤いスカートがとくちよう的な制服の上にエプロンをまとった、落ち着いた雰囲気の美少女。

 ラウルと少年を前にしてゆったり微笑ほほえむ、どう考えても十代にしか見えないこの少女こそ、マジックショップ・レオン王都店の店長ことセアラ・オーガスト。この店の最高責任者であり、ラウルの直属の上司にあたる人物だ。

「てんちょう……」

 そんなすこぶるつきの美少女の登場に、少年はすっかりあつにとられたようだった。けれども、大きな瞳をぱちぱちとまたたいていた少年はやがてもたれていたレジカウンタから身体を起こすと、ぴっと姿勢を正して栗色の髪の美少女とたいする。

「?」

 にゆうな表情をかべる少女を真正面からえると、彼はおもむろに、この店の主たるその人物へ向け、手にした紙を思いきり突きつけた。

「面接に来た」

 堂々と告げる、少年の手の中で。

 ひどくくたびれたれき書のはしがひらり、とれた。



「というわけで、ごめんなさい、ラウルくん」

 ほっそりした指先を合わせ、店長がすまなそうにウインクしてみせる。

きゆうけいからあがったばかりで申しわけないんだけれど、ちょうどお店もヒマみたいだから面接しちゃうわね。もう少しだけ、ひとりで店番お願い」

 そう告げるなり、ぎんぱつの不良少年をともなってカウンタ裏の店長室へと向かう店長の背中を見送って。ラウルはいまだ事態が飲み込めず、ふたりが消えていった扉をただぽかんと見つめていた。

 くずれたこうが手元で音をたてて、ラウルはようやく我に返る。ああ、そういえばまだレジ金チェックのちゆうだった。……ていうか。

 ……クレーマーじゃなくて、バイト希望者かよ。

 硬貨をつかみながら、ラウルは思わず息をく。ったく、おどろかせやがって。

 ま、でも、ふつーに不採用だろうなとラウルは思った。確かにこの店はのろわれてるんじゃないかってくらいバイトが居着かなくて、いつだって人手不足だけど、いくらなんでもあんな態度悪い不良少年を採用するワケがない。店長ああみえて厳しいし、そういうとこはしっかりしてる。

 ようやく硬貨を積みあげ終わったコインチェッカーをかたわらに置くと、ラウルはレジスター横のほうたくじよう計算器へと手をばした。

 と……。その手が、ふと止まる。

 ラウルの視線は、レジカウンタの上にせられた一枚の紙に注がれていた。ひどくくたくたで、よれよれで、汚れきったぼろぼろの紙。

「……なんだよ。あいつ、履歴書忘れていきやがった」

 しかし、それは本当に、驚くほどくたびれた履歴書だった。角は取れてすっかり丸くなっていたし、縦横にいくすじも走る折り目はすり切れ、少しでも力を入れればたやすく破けてしまいそう。ここまでのダメージを負わせるだなんて、あいつは履歴書になにかうらみでもあるんだろうか。

 ……ていうかつう、新しく書き直すだろ、ったく。自らの悪夢のような就活時代を思い出し、ついまゆをしかめてしまうラウル。いくらバイトとはいえ、このちようぜつ氷河期をなめんな不良少年。

 あきれたような顔をしながら、ラウルはそれをひょいとつまみあげた。そのまま手首を返し、なにげなくその内容を見やって。

 次のしゆんかん

 ぶぼっという音と共に、ラウルは激しくき込んでいた。


 フィノ・ブラッドストーン 15歳

 最終学歴 特になし

 前職 魔王の

 志望動機 おやたおされたから



「あらあら、ラウルくん、お店カラにしちゃダメじゃない。どうしたの?」

 あしもとに転がる箱をつとばし、在庫の山をなぎ倒す勢いでけ込んできたラウルを、きょとんとした表情で見やる店長。

「ててて店長っ、こここれっ!!!」

 そんな店長のすぐ横、の上で背を丸める銀髪少年に極力目を向けないよう努めながら、ラウルはふるえる手でそのぼろぼろの紙を差し出した。

「こここのりりり履歴書っ!!! ここここいつっ……」

 もつれる舌でどうにかしやべろうとするけれど、うまくいかない。けれどもその紙を見やるなり、店長はラウルにやさしく微笑みかけてくる。

「あら、フィノちゃんの履歴書持ってきてくれたのね、ありがとう」

 いや、問題はそこじゃなくてっ!

 息を吸うなり、ラウルは腹筋にぐっと力をめた。事態をまるきりあくしてないのんきな店長へ向けて、つばを飛ばさんばかりの勢いでうつたえる。

「店長っ! こいつ、魔人ですよっ! っていうか魔王の子っっっ!!」

「なっ!」

 その瞬間、座ったまま様子をうかがっていた銀髪魔人が、きようがくの表情を浮かべて立ちあがった。

「き、貴様、なぜそれを知っている!? ヒミツにしてたのにっ!」

「履歴書に書いてる時点で秘密でもなんでもねえよ!」

「だって履歴書にはウソ書いちゃいけないんだから仕方ないだろうが!」



「そうですよ、ラウルくん、履歴書は正直に書くべきです。フィノちゃんはとっても良い子ですね」

 いきりたってにらみ合うラウルと銀髪魔人。けれども、不意にぽんとかたに手を置かれたふたりが同時に顔を向けると、そこには栗色の髪をした美少女の落ち着いた、とてもやさしい微笑みがある。

「ちょうど良かったわ、ラウルくん。こちら、今日からいつしよに働くことになったフィノちゃんです。いろいろ教えてあげてね」

「いやっ、だからっ……店長聞いてましたっ!? こいつはっ……って」

 言いかけて、ラウルはぷつりと言葉を切った。

 店長の言葉を口の中ではんすうし、その内容をにんしきしたその瞬間、ラウルの思考は真っ白になり。

 ……ややあって。

 ラウルは自分と肩を並べる、凶悪なふんをまとった銀髪魔人を見やった。

「ええと……店長、こいつ、採用なんでスか?」

「ええ」

 おそるおそるたずねると、ふわふわの巻き毛を揺らしながらあっさりうなずく店長。

「じゃあ、わたしはそろそろ売り場に出ますから、フィノちゃんの教育お願いしますね、ラウルくん。フィノちゃん、こちらはあなたのせんぱい、社員のラウル・チェイサーくんです。分からないことがあったらなんでも聞いてね」

「ああ」

 店長の真心のこもったありがたい言葉に、おうへいな態度で頷いて。

 まだ目を白黒させたままのラウルに向きなおると、その銀髪魔人はひどくエラそうな口調で言い放った。

「まあ、そういうわけだ。よろしくな、ラウル」



「ありがとうございましたーっ」

 会計を済ませた瞬間にだつの勢いでレジからはなれ、げるように店を出ていくお客さんを引きつった表情で見送りながら。

「なるほど。これが、レジオペレーション、というものか……」

 ……おそるおそるり向くと、彼がレジを打つさまをすぐ後ろで観察していた銀髪魔人のきようあくな視線と真正面からぶつかってしまう。

 フード付きパーカーの上にロゴマーク入りエプロン。小振りなノートとペンを手にした少年の、殺気に満ちたするどいまなざし。……会計中ずっとこんなやつに睨まれてたらそりゃ、お客さんだっておびえるに決まってる。

 瞬間的に目をらすラウル。と、魔人がとつぜん息を飲んだ。

「っ、おい、ラウル! 後ろ!」

「……?」

 うながされて振り返ると、魔人が示す先には品物をながめるお客さんの姿。

「な、なんだよ。あのお客さんがどうかしたのか?」

「どうかした、って……」

 なに言ってるんだと言わんばかりに、魔人はあわい水色の目を丸くする。

「商品に気を取られて背中ががら空きじゃないか。いいか、このオレ様がじきじきにえんしてやる。いちげきで仕留めろ!」

「仕留めねえよっっっ!」

「えー、ゴールド持ってそうなのに」

「そういう問題じゃねえよ! お客さんは倒しちゃっ!」

「ほほう、お客さんは倒しちゃダメ、っと」

 わざわざオウム返しにしながらりちにメモを取る魔人を前にして、ラウルは早くも、己の無力感をひしひしとみしめていた。

 ──魔人。人間をはるかに上回るりよくを持つざんぎやく非道な生き物。道徳心のカケラもない、にくむべき俺たちのりんじん

 確かに勇者たちのかつやくによって数を減らしていたうえ、その指導者たる魔王を何者かに倒されてから、魔人の国はかいめつ状態らしい。いくら魔王のご子息とはいえ、きゆう殿でんでのんきに食っちゃしてるわけにはいかないだろう。食いめて人間の世界にかせぎに来たとしても不思議じゃないし、それはそれで別にいいことだと思う。魔王のむすだって社会の厳しさぐらいは学んどくべきだ。……けどな。

 ……どうしてそいつが、うちみたいな弱小マジックショップにバイトに来やがるんだよっっっ!

 そりゃ、ラウルもつねごろから、このてん規模で基本スタッフふたり体制ってのは正直ないなとは思ってた。でも、だからって、総魔力数百ギガバイルにもおよぶとも言われる魔人たちを力で押さえつけて君臨してたようなレジェンド級の危険生物のご子息をやとわなくたっていいじゃねえかっ!

 ……ていうか、そもそもこれほど価値観のちがう相手とどうやってコミュニケーション取れってんだと、ラウルは頭をかかえたくなってしまう。まんじゃないけど俺、ぜんぜん社交的な方じゃねえから! 予備校でも一年間ほとんどぼっちだったから! こうして接客業してるのが不思議なくらいだっ!

 ──でも。

 そんな情けない気持ちを全力で振りはらい、ラウルは自らに言い聞かせる。

 おうの息子だろうがなんだろが、俺はこいつを一人前のスタッフにしなきゃいけない。たとえどんなにイヤでも、ゆううつでも……仕事ってのはそういうもんだ。……よしっ。

 わざとらしくせきばらいすると、ありったけの勇気とげんを総動員し、ラウルはおもむろに口を開いた。

「え、ええと……これまで見てて、なにか疑問点は?」

「…………」

 ラウルの問いに、フィノとかいう銀髪魔人はしばらく手にしたノートのページと睨めっこしていたが、やがて魔法レジスターのかたわらをひょいと指す。

「さっきから貴様が使ってる、そのヘンな道具はなんだ? ほら、会計のとき、ひとつずつ商品のいろんな場所に当ててたやつ」

「へっ……」

 意外なくらいまともな反応。意表をつかれたラウルの返答はつい、ワンテンポおくれてしまう。

「……ああ、説明してなかったっけ、魔法タグリーダー。店の商品は基本的にどこかしら魔法タグがついてて、このリーダーで読み取ると、レジのマジックディスプレイに値段が出てくるんだよ。ちなみにレジを操作すれば商品の仕入れ値とか在庫数、これまで売れた数みたいな情報も見られる。いちおう、最新のMITを使ったシステムなんだぞ」

「えむあいてぃー?」

「マジカル・インフォメーション・テクノロジー。つまり、俺たちが立ってるこの大地の《魔法領域》に構築された情報ネットワークのこと。ほら、MIT革命とか、ちょっと前に流行語になっただろ?」

「ふうん……まあ、どうでもいいな。それよりオレ様、早くこれ使ってみたいんだけど。なあラウル、なんかてきとうな商品ないのか?」

「……お前な」

 ラウルの説明をあっさり流し、ぞんざいな口調で言いながらタグリーダー片手にきょろきょろと辺りをわたすフィノ。ほんの少しためらったあと、ラウルは意を決して口を開く。

「魔王のぎかなんか知らないけど、敬語も使えないのか? そんな口のきき方じゃお客さんに失礼だぞ。……それに俺、いちおうお前の先輩なんだけど?」

 注意してみた。

 ……けれども。

 少し厳しい口調で放たれたラウルの言葉に、フィノは大きな目をぱちくりさせ、きょとんとした表情を返してくる。

「敬語? ……なんだ、それ?」

 ……ああ、そう来たか。いや、OK。これくらいもちろんゆうで想定のはん内だ。額に手を押し当て、ラウルはどうにか説明を試みる。

「敬語ってのはな、ていねいな、かたい感じのことづかいだよ。相手への敬意をこめた、大人の話し方のこと」

「かたい感じの……けーいをこめた……大人の話し方……」

 分かったのか、分かっていないのか。まゆをよせ、どこかしんみような顔つきでラウルの言葉を復唱するフィノ。

 やれやれといったようにため息をつくと、ラウルはざっと周囲を見渡した。レジ周辺にお客さんの姿がないことを確認すると、首をひねるフィノを残したまま、カウンタのはしからするりと売り場に出る。

 すぐそばのたなからひとびんのポーションを取りあげると、ラウルは外からレジカウンタへ歩み寄った。カウンタ内のフィノと、ちょうどレジスターをはさむようにしてたいする。

「……魔法タグリーダー、使わせてやるよ」

「!?」

 とたんにぱっと顔を上げたフィノに向け、ぜんとした口調で言い放つラウル。

「とりあえず一回シミュレーションな。何度も手本見せたから、流れはもうだいたい分かんだろ? 俺がお客さん役やるから、お前がレジやってみろ。もちろん敬語だぞ、敬語。あとはがおな」

「……分かった!」

 ラウルの言葉に大きく頷いて。手にしたノートをパタンと閉じるなり、フィノがくちびるの端をすっと持ちあげた、そのしゆんかん

 ──ラウルの背筋を、すさまじいしようげきけた。

「っ……!」

 ……もしかして、笑顔のつもりなのだろうか。しかし、レジカウンタのフィノがかべるそうぜつな笑みたるや、どう好意的に見たって、ささげられた生けにえにごまんえつじやしん様のごときドはくりよくで。そのすさまじいオーラに正直ひるみつつも、ラウルはなんとか、カウンタの上にポーションの瓶を置く。

「え、ええと、これ下さ……」


「フハハハハハハハハハハハハハハハ……!!!!!!」


 とたんにレジカウンタにひびき渡る、思わず耳をおおいたくなるようなまがまがしいこうしよう。反射的にびくっと身体からだをすくませたラウルを見下すようにふんぞり返り、エラそうにこしに手を当てたフィノがぎようぎようしい声を張りあげる。

「よくぞ我がレジまでたどりついたな、お客様め! その商品がしければ我にメンバーズカードを提示するがいいわ!」

「……ええと、持ってません」

「メンバーズカードも持たずに我にいどむだと? ふはは、命知らずなお客様だ! いいだろう、気に入ったぞ!」

「……ええと、あと、これも下さい」

 ラウルが追加のガムをカウンタの上に置くやいなや、にやりと目を細めて愉しげに言い放つフィノ。

「ふはは、甘いな! そんなアイテムをいくら並べたところで、我がひるむとでも思うたか!? この程度、一瞬で片をつけてくれるわ! どれ、会計額は……な、なにい、鹿なっ、420ゴールドだとっ!?」

「ストップ! ストップ! ……いったん落ち着こうか」

 タグリーダーをにぎりしめるフィノのうでをカウンタしにつかんでそう宣言すると、ぎんぱつ魔人はきょとんとした顔でラウルを見やった。

「え……とりあえず、おやしやべり方してみたんだけど。かたい感じの、相手への敬意を込めた、大人の話しか……」

「違いすぎるわ! ひとかけらも正解がねえよ! 最初から最後まで完全きやつだよっ! ……いや、そうだな。ごめん、俺の説明が悪かった」

 あらぶる心を静めるかのように胸をおさえながら、ラウルはつとめて冷静に言葉をつむぐ。

「……ええと、確か裏にレジマニュアルがあったな。いま持ってくるからそれ読んどけ。お前、もうマニュアル以外の言葉喋るな、たのむから。あと、その邪悪な笑みもストップな。お客さんのHP減っちゃうから」

 どうにかそれだけを告げつつ、ラウルは心の中でさけんでいた。

 ……なんだよ、このミッションインポッシブル!



「一点でお会計は1050ゴールドです」

 ぎこちない笑みを浮かべながら言葉を切り、首をかしげるフィノ。

「貴様をフクロにしましょうか?」

ちげえよ! 『ふくろにお入れしますか?』だろっ!」

「ええと、こちら50ゴールドの仕返しです!」

「どんな仕返しだよ! お前いったいお客さんになにされたっ!」

「よろしければまたおとといご来店下さい!」

「できねえよ! お客さんはタイムトラベラーじゃねえよ! ていうかそれつうに逆の意味になるから! ケンカ売ってるからっ!」

「ふう……敬語ってのは難しいな」

「俺の正気を保つ方が難しいわあああっ!!」


 ……フィノの教育は、困難をきわめた。

 うっかりレジカウンタに視線をやったとたんに昨日のさんじようを思い出し、ラウルは腹の底からしぼり出すような息をく。……ったく。

 早朝のしんとした店内。値札の抜けはないか、棚のちんれつに乱れはないか。売り場をチェックして回るラウルの足取りは、まだ営業が始まったわけでもないのにひどく重かった。昨日に引き続き、今日もまたあの銀髪魔人を教育しなきゃいけないことを考えると、ゆううつさのあまりげだしたくなる。

 結局、昨日ラウルが教えることができたのは、最初に比べればいくぶんきようあくさのうすらいだぎこちない笑顔だけだった。……というか、それが限界だった。

 すさまじい精神的ろうえかねてレジコーチングをあきらめたラウルは、次なる指示を手ぐすね引いて待ち構える銀髪魔人に、在庫チェックという特別任務をあたえてお茶をにごすことにした。倉庫の在庫商品を数えてリストと照らし合わるせだけという、魔人にでもできる簡単なお仕事。……敬語うんぬんはもう少し心に余裕があるとき、じっくり教えることにしよう。……と。

「よお、ラウル!」

 ウワサをすればなんとやら。朝のすがすがしい空気の中、売り場の奥からふらりと現れるまがまがしいかげがある。

「なあ、今日はオレ様、いったいなにをすればいい?」

 相変わらずせんぱい社員に敬意をはらう様子などみじんもなく、片手を上げて気安いタメ口を投げてくる銀髪じん。そんな少年をなにかいろいろと諦めたような半眼で見やり、ややあって、ラウルは売り場の棚へと視線を向けた。

「……そうだな、じゃ、今日は商品の前出しをやってもらおうか」

 目の前のマジックトイの棚に歩み寄り、その一部を指しつつ、ラウル。

「商品は前から売れるから、売れたあとはこんな感じで売り場に穴が開く。そのままにしとくとえが悪いから、後ろの商品を手前に出すんだ。これが前出しな。ついでに陳列の乱れも直しとくこと。OK?」

 ザ・魔人にもできる簡単なお仕事パート2。いや、しかし、前出しは小売業の基本だ。だからこれは断じて逃げじゃない。決してつきっきりでこいつを教育するのがめんどうだからじゃないんだ、うん。

 けれども、ラウルの指示に、フィノはだか不満げに眉をしかめた。

「えー、今日はレジの練習やらないのー?」

「ダメだダメだ。お前にレジは早すぎる。前出しでこつこつ経験値をかせいで店員レベル上げてからじゃないと瞬殺だぞ。主にお客様が」

「ちぇっ」

 舌打ちしつつもしぶしぶ棚へと向かい、銀髪魔人は言われたとおり、せっせと商品の陳列を直しはじめる。パーカーのながそでに覆われた腕をばし、ひとつひとつ、ラベルの向きまでそろえて、きっちりと。顔に似合わず、意外なほどていねいな仕事っぷりだ。……っと。

 ふと思い出し、ラウルはエプロンのポケットへ手を入れた。

「あ、そうそう、これ、お前も付けとけ」

 言いながらラウルが差し出したのは、二本のコードが生えた小さな箱型アイテム。かたしにり返ったフィノが、不思議そうにたずねてくる。

「なんだ、それ?」

「ええと、ここのダイアル合わせて、こっちを耳に入れて……」

 を言わさず耳にイヤホンを押しつけたとたん、びくりと背筋をこわらせるフィノ。だが、そんな魔人の反応は気にせず、ラウルは自分のえりもとに留められたマイクへと口を寄せた。

「『えー、フィノのインカムテストでーすー。聞こえますかー?』」

「っ!? な、なんだっ!? いまラウルの声が二重に聞こえ……」

『はいはい、聞こえますよ?』

「っっっっっっっっっっっっっっっ!?」

 そのとたん、さらなるきようがくの表情を浮かべるフィノ。

「て、店長の声がっ! 店長の声がしたっ!? なんでっ!? ……近くにいないのになんでっ!? どうなってるんだっ!?」

「『分かったか?』」

 取り乱したようにあたりをわたすフィノの前でマイクのスイッチから指をはなし、ラウルがちょっぴり得意げに言葉を続けた。

「スタッフ専用《魔法トランシーバーマジツクインカム》。これ付けてれば、店内のどこにいてもスタッフ同士でやりとりができるんだ」

「ここから声が聞こえてるのか!」

 自分の耳から生えるイヤホンのコードをつまみながら、フィノが興奮したように叫ぶ。

「なるほど、これがあれば戦略のはばがずいぶんと広がるな! スタッフ同士でれんけいして店の奥へと客をさそい込み、はさちすることも容易……」

「挟み撃つなっ!」

「ああ、そうか。お客さんはたおしちゃダメだったな」

 しれっと言い放つ、相変わらず全力でおんな思考回路の魔人。

「でも、これ、ほんとに便利だな。うちの親父が知ってたら、めちゃめちゃ欲しがっただろうなー」

「……いや、魔王城がインカム導入すんなよ」

 ……いつしゆん、インカムでれんらくを取り合う魔王と魔人たちというなんだかとてもシュールなづらのうぎって、思わずラウルはかぶりを振った。

「いいか、困った時やお客さんからなんか聞かれたときはこのマイクのスイッチ押して助けを呼ぶんだぞ。あと、店長とか俺が指示出すかも知れないから、そういうのもちゃんと聞いとくこと」

「『ああ、りようかいした!』」

「いちいちインカムで答えんな!」

『ふふ、フィノちゃんもインカムの使い方、分かったみたいね』

 と、ラウルとフィノの耳に同時に飛び込んでくる、店長のいやけいボイス。

『ラウルくん、フィノちゃん、そろそろお店、開けますよ?』

「『あ、はい、よろしくお願いしまーす!』」

 店長のインカムに返信し、レジカウンタにもどろうとしたラウルはいまいちど、たなの前のフィノを見やった。

「ていうか、フィノ! 分かってるとは思うけど、お客さんにはぜったい危害加えんなよ! あと、基本がおな、笑顔!」

「ああ」

 ラウルがくぎすと、前出しを再開したフィノが、マジックトランプの箱を掴みながらこくりとうなずいた。



 ……まったく、どういう風のき回しだろう。

 平日の、しかも、まだ午前中にもかかわらず、今日のマジックショップ・レオンは開店直後からなかなかのせいきようっぷりをみせていた。

「いらっしゃいませーっ!」

 こうしている間にも、また新たなお客さんがとびらを押し開けて入ってくる。

 休日にふと客足がれることもあれば、今日みたいななんでもない日にとつぜん混むこともあったりして、ほんとお客さんの動向ってのは読めない。

『ラウル、ちょっとレジ離れまーす!』

 魔法文具売り場を案内し終えて振り返ると、ラウルの視界のはしには商品をかかえてレジへと向かうお客さんの姿が映る。

 あわてて、ラウルはレジカウンタの中へとけ戻った。魔法レジスターの前にじんると、ばやくいつもの営業スマイルをかべる。

「いらっしゃいませ、ありがとうございます!」

 そのまま、慣れた手つきでお客さんの会計を進めるラウル。けれども。

 まるでタイミングをあわせたかのように。店内でばらばらに品物をながめていたお客さんたちがひとり、またひとりとレジ前に集結しはじめていた。

 …………っ。

 ひとりのレジを済ませたかと思うと、どこからともなくふたりのお客さんが現れる。そして、それが終われば、また新たなお客さんが現れて……あっという間にレジ前に形成されてしまう、会計待ちのお客さんの列。

『すみませーん、レジのヘルプお願いしますー!』

 レジ打ちの合間にすきを見てインカムを発信したものの、しかし、どこからも返答はない。

 ……まあ、しかたない。本日の出勤スタッフも、昨日と同じく店長とラウルと、あとは戦力外のフィノの三人だけ。返事がないことから察するに、きっと店長はお客さんの案内中なんだろうとラウルは推測する。

 つまり、ここは俺がフルスピードでがんるしかないってこと!

 なんだか顔を上げるたび長くなっているように感じられる列を前に、ラウルはすっかりかくを決めていた。

「大変お待たせしました。メンバーズカードは……」

 そう口にしながら、お客さんのカゴに手を伸ばした、その瞬間。

 不意に、ラウルのとなりのレジスター前にすべり込んでくる影があった。

「お待ちのお客様、こちらのレジにどうぞ!」

 ……って。

 視界の端にちらりと映った銀色を認め、ラウルは思わず息を飲んでしまう。

 ラウルの隣で自信満々にレジを開けたのは、ラウルが期待していたくりいろかみの美少女店長ではなかった。昨日、レジェンド級のレジシミュレーションをろうしてくれたせきの新人バイトこと、ぎんぱつ魔人フィノ様の堂々降臨だ。

 ……いや、ていうか! なぜ来るし!

 招かれざる存在の出現に、レジを打つラウルの手が絶望にうちふるえた。

 ダメだ。こいつにレジ打たせちゃいけない。……絶対にだ!

 だが、すでにおそかった。フィノが開けたレジにはお客さんがついてしまっていたし、ラウルも今は自分の前のお客さんの対応中。フィノからタグリーダーをうばい取り、同時にふたつの会計をするなんてできるはずもない。

 おそいかかる不安に、ラウルは心臓がにぎつぶされるような感じを覚えた。商品をスキャンしながら思いつく限りの神を並べ、かたぱしからいのりをささげる。ああ、どうか、めい的なトラブルだけは起こりませんように……!

 ……けれども。


 ──そんなラウルのかたわらから、ひどくすずしい声が聞こえてきた。


「ありがとうございます。メンバーズカードは、お持ちですか?」

 え?

「合計3点で、お会計は480ゴールドです」

 あれ?

「5000ゴールド、お預かりいたします」

 あれれ?

「こちら、4520ゴールドのお返しです。ありがとうございました!」


 って、えええええっっっっっっっっっ!?


「おい、まだかよ?」

「え、あ……はははははいっっっ! ただいまっ!」

 かすようなお客さんの声に、すっかりあつにとられていたラウルははっと我に返る。……いや、でも、どうして!?

 ぺこりと頭を下げてお客さんを見送るフィノを横目で見やり、ラウルは信じられないといったおもちで目をしばたたかせた。

 ──どうしてあいつ、レジ打ちができるようになってやがるんだ!?


「一点、二点……」

 昨日のさんげきが、まるでウソのようだった。ほうタグを読み取る手つきはぎこちなくはあるものの、いちおう形になってるし、なによりきちんとした言葉を使ってる。新人にしては上出来の合格点で、正直いって文句のつけようもない。だが。

「すみません、領収書下さい」

 次の瞬間、フィノのレジから聞こえて来たお客さんの台詞せりふに、ラウルに再びどうようが走った。

 いくらなんでも、フィノが領収書の書き方を知ってるはずがなかった。へい経済を持たないという魔人に領収書のがいねんは無いだろうし、昨日は基本的な流れを追うだけでせいいつぱいで、とてもそんな応用を教えるところまでたどり着かなかったんだから。

 ややテンパり気味の頭をフル回転させ、とっさにラウルは口を開く。

「フィノ! それ、俺がやるから、代わりにこっちの会計に入っ……」

「了解いたしました」

 だが、ラウルが声をあげた時には、フィノはすでに大きく頷いていた。

あてはいかがいたしますか?」

 ぜんとするラウルの隣で、フィノはレジ下の引き出しからひとつづりの領収書を取り出した。レジスター横の筆立てからペンを取りあげると、落ち着いたこわでお客さんにたずねる。

「っありがとうございましたー」

 ……ようやく、会計待ちの列が切れた。

 軽いしやくでお客さんを見送るなり、ラウルはすぐさまフィノに駆け寄った。ごくりとつばを飲み、おそるおそる、その手元をのぞき込む。

「ただし書きはいかがいたしましょうか?」

「あ、なんでも良いですよ」

「はい。では、品代でご用意いたしますね」

 こたえながら、さらさらと領収書にペンを走らせるフィノ。

 なんの引っかかりも、迷いもなく、そして……ちくしょう。おどろいたことに、ラウルよりもずっときれいな字で。

 ラウルがぽかんとしていると、レジの前にはまた新たなお客さんの姿。

「あ、いらっしゃいませ! こちらでうけたまわりますっ!」

 そくに隣のレジを開け、出された商品のタグを読みながら、しかし、ラウルはまだ混乱していた。

 な、なんだよ、このフィノ明らかにおかしいだろっ! もしかしてアレか? なぞの組織にさらわれて改造手術でも受けさせられたのか? 完全無欠のレジ戦士に……って、いやそれだれ得だよっ!?

 ……動揺のあまり、半ば本気でそんな可能性まで疑ってしまうラウル。

「ありがとうございました!」

「ありがとうございましたー! って、フィノ、お前っ!」

 ──ほぼ同時に、ふたりとも、会計が終わって。

 レジ前からはなれるお客さんを見送るやいなや、ラウルはかたわらの銀髪魔人へめ寄っていた。

「お前っ、どうしてレジっ……いや、それより、どうして領収書なんて書けるんだよっ! まだそこまで教えてなかっただろっ!」

「え……だって、昨日ラウルが出してるとこ何度か見たし、それに、マニュアルにも書いてあったし……」

「いや、書いてあった、って……」

「暗記したんだ」

 そのしゆんかん。ぽかんと口を開けてしまったラウルの前で、フィノは平然とした表情のまま、こともなげに言葉を続けてくる。

「レジの定型文句とか、領収書とか、メンバーズカードの作り方とか、ノートに書き写したり音読したりして……シミュレーションしたり、備品の位置かくにんしながらだったから、けっきょくひと晩かっちまったけど」

「……って、ひと晩ってお前、まさか店でてつしたのかよっ!?」

「ああ」

 あっけらかんとうなずくフィノの前で、思わずラウルは額に手を押し当ててしまっていた。

「なんだよ、それ! お前バイトだろ! 時間になったらとっとと帰れよ! ……ていうか、どうしてそこまでするんだよっ!?」

 けれども。……そのとたん、フィノは大きな目を丸くして。


「え、だって……頑張って仕事覚えないと、ラウルにめいわく掛けるだろ?」


 ──どうしてそんな当然のこと聞くんだ、なんていわんばかりの表情で。水色のひとみをぱちくりとさせながら、銀髪魔人がラウルを見やった。

「それにオレ様、家なんて無いからさ。そうとか頑張るからここに住ませてくれって店長にたのんだんだよ。別にゆかるのとかも平気だし、店のこともっとよく知っときたかったし。だから、帰れって言われても、行くとこなんか、どこにも……あっ」

「ラウル、お客さん来た」とつぶやきながら顔を上げるなり、すっかり言葉を失って立ちつくすラウルの前で、すみやかにレジを開けるフィノ。

「いらっしゃいませ、ありがとうございますっ!」

 まだ少しぎこちないがおを、それでも精一杯にかべて。銀髪の魔人はカゴの中身をひとつずつカウンタに並べては、ていねいに魔法タグを読み取っていく。

 ──よくよく見れば、その目は心なしかじゆうけつしていて、目元にはうっすらクマも浮かんでいて……それでも、フィノは笑顔を絶やさない。

「ありがとうございますっ! またご来店下さいっ!」

 そんなフィノをながめながら、ラウルは胸の奥のずっと深いところからなにか、いいしれぬものがこみあげてくるのを感じていた。

 フィノ。生み出すことを知らず、奪うことしか知らないはずの魔人にして、魔王の子ども。態度は悪いし、口も悪いし、常識知らずなやつだけど。


 ……ほんとはとてもなおで、な、いいヤツなのかもしれない。


 ったく、と、ラウルは思わずちようする。

 長く苦しい就職活動の果て、ようやく内定をもらったあの時の感動。いつしかそれをすっかり忘れ、仕事に対していい加減な姿勢になっていたラウルの目には、一生けんめいに頑張るフィノの姿がひどくまぶしく見えて……はは、情けねえな、とラウルは思う。俺、こいつのこと、見習わないと……。

 と。──とうとつに。

 あたりにひびわたったさい音が、ラウルのかんめいを全力でき飛ばした。


「なっ……」

 反射的に顔を向けたラウルの視界に飛び込んできたのは……惨劇だった。


 レジカウンタの中にしげもなく飛び散った色つきガラスのへんと、ラウルのあしもとにまでじわりと広がってくる、ポーションの甘ったるい薬品しゆう。そして、自分の手からすべり落ちたポーションびんのあとを追うかのようにがくりと落ちるフィノの銀色の頭。……まるでレジカウンタにしずむように、魔人の身体からだはそのまま、ずるずると床にくずれ落ちていく。

「へっ……」

 いまのいままでレジを打っていた店員のとつぜんの人事不省に、ぎもかれて絶句するお客さん。さすがにラウルも一瞬事態が飲み込めず、やがて我に返るなり、あわててフィノへとけ寄った。

「フィノっ!? おいっ!?」

 床にたおれたフィノのかたわらにかがみ込み、そのがらな身体に手をかけようとして、ラウルははっと息を飲む。まさか……これは……。


「ぐう」

「って、寝てんのかよっ!」

 ──白いエプロンをポーションで染め、レジカウンタのせまい床に横たわったままむにゃむにゃと口を動かすフィノ。

 いや、まあ、なんとなく、そんな予感はしてたけれど。……ていうか。

「てめっ、翌日も仕事なのに軽々しく徹夜とかすんじゃねえよ! そこまでして働いたってちっともえらくねえよ! 体調管理も仕事のうちだよ! おいこら起きろ! 起きろってっ! ってちくしょう起きねええええっっっ!!」

「ええと、あの、その人、だいじようですか……」

 ひどく心配そうに声を掛けてくるお客さんに向かって、ラウルは場の空気を取りつくろうように、引きつった笑いを浮かべてみせた。

「あ、大丈夫です大丈夫、全然平気! このアホ、血統的にはちょっとした中ボスみたいなモンですから! ……ていうかすみませんねお客様ほんともう驚かせちゃってっ。いま新しいポーション取ってきますんでっ!」

「あの、ちょっと」

 代わりのポーションを用意しようと売り場に駆けだそうとしたラウルに向け、別方向から掛けられる声。

 ばっとラウルがり返ると、休止中の札がかかげられたとなりのレジカウンタ前に立っていたのは、なんだか見覚えのある顔だった。一瞬の間を置いてラウルはああ、と思い出す。確か、さっきフィノが領収書出してたお客さんだ。

「さっき出して貰った領収書、金額が入ってないんだけど……」

 ……お客さんのごてきに、ラウルは思わず、足下に転がる銀色頭をゴールかなにかに向かって思い切りり飛ばしたいしようどうに駆られてしまう。

 このバカ! 大バカじんっ! そこは飛ばしちゃダメだろ! それ一番大事な部分だろ! そこを書かないとかそもそも領収書の存在価値を否定してるだろおおおおおっ!

「す、すみません! ちょっとお待ち下さいね。ええとっ……」

 全力でお客さんに謝りながら、しかし、よく訓練された店員が持つというラウルの第六感シツクス・センスことお客さんレーダーはいままた、レジカウンタへの新たなお客さんの接近を告げていた。

 眼球だけを動かしてちらりと確認すると、会計待ちのお客さんが、一人、二人……五人だって?

 開店直後に続く、第二のピークのとうらいだ。

 すがるように売り場を見渡し、しかし、ラウルはそのまま絶望のふちき落とされてしまう。

 頼みのつなの店長は、マジックオーディオコーナーで天然パーマのおばちゃん相手に接客中だった。あの手合いはおそらくかなりの長期戦になる。……つまり、助けは望めない。

 ──その瞬間、ラウルはかくを決めていた。

 新しいポーションをにぎりしめてレジカウンタ内にもどったとたんれた床にずるりと足をすべらせ、かつて店員だった障害物に激しくつまずきながらもどうにかレジの前へとたどり着くと、ラウルはもうスピードで魔法レジスターをたたき始める。

「はいはいお客さま大変お待たせしてます申し訳ありません順番に対応いたしますっ! 大変お待たせしました360ゴールドですっおさわがせしましたありがとうございましたっ! はい、申し訳ありませんただいま直しますええとレシートレシート……っ! っ大変申しわけありませんでしたありがとうございます! っと、大変お待たせしました! メンバーズカードは一点二点っ……」

 レジカウンタに押し寄せるお客さんをとうの勢いでさばきながら、その合間にラウルがちらりと足下へと視線を向けると。

 ポーションの海に沈むフィノは腹が立つほどのんな表情で、気持ちよさそうに、そして──なぜか、ちょっと幸せそうに微笑ほほえんでいた。

「ぃらっしゃぃませぇ……むにゃ」

 ……なんかもう、しように、泣きたいような気持ちになって。

 ラウルは思わず、心の中で思いっきりわめいていた。

 こんなやつ、誰が見習うかよ! お前なんざとっととふういんされちまえっ!



「ありがとうございましたっ」

 ……それは、永遠とも思えるような長い長い戦いだった。

 ようやく最後のお客さんを見送ると、ラウルはすっかりつかれ果てた表情で、足下に転がるそいつを見下ろす。

 ポーションまみれで呑気に寝息を立てるぎんぱつ魔人。ったく、どの口が「ラウルに迷惑掛けるだろ」だよっ……。

 しかし、このままほうっておくわけにもいかなかった。だいいち、ただでさえ狭いカウンタ内にこんなものが転がってたら、じやで仕方がない。

 ざりざり音を立てる瓶の破片をあらかたつま先ですみに寄せると、ラウルはしぶしぶ床にひざをついた。

「おい、起き……」

 言いかけて、ラウルの動きはそのまま止まってしまう。

 ……つい手をばしてさわってみたくなるような、やわらかそうなほお

 乱れた銀髪の下でそっとせられたまつげはどきりとするほど長く、パーカーのえりもとからのぞくほっそりした首筋は、あやしい色気すらただよわせて……って!

 思わず、ラウルは大きく頭を振った。

 ったく、気の迷いにもほどがある。そりゃ、確かに顔立ちは整ってるし、こうして寝てれば邪気はないけど、別に俺にそういうしゆはっ……。

「っ、起きろっ!」

 どうようすようについ乱暴にかたすってみるけれど、しかしフィノに起きる気配はまるでない。相変わらず心地よさそうに寝返りをうつ魔人の前で、ラウルはたんそくした。

 ……このままじゃ、ひくよな。ポーションで濡れたフィノの服を見ながら、ラウルは頭をく。ま、魔人が風邪引くかどうかなんて知らないけど、少なくともこの格好のまま働かせるわけにもいかない。

「ったく、仕方ねえな」

 舌打ちと共に立ち上がると、売り場の方にも気を配りつつ、ラウルはカウンタ後ろのたなをあさる。確か、ここに……ああ、あった。

 長いことねむってたはんそく品の余りのメーカーロゴ入りTシャツを引っ張り出すと、ラウルは魔人の小柄な身体をポーションの海から引き上げてやった。

 かべに上半身をもたれさせてエプロンのひもを外すと、ポーションで染まったパーカーのファスナーをなにげなく引き下ろす。

「へっ……」

 その、しゆんかん

 パーカーの間から覗く、なだらかな曲線だけで構成された白いはだと、その中でただならぬ存在感を主張する、つんと張りのあるふたつのふくらみ。

「んっ……ふにゃ」

 ラウルが息を飲むのと、ほぼ、同時に。

 ひどく眠そうな声をあげて、フィノの大きなひとみがぱちりと開いた。

「…………」

「…………」

 至近きよで、目が合って。

 ……やがて。

 しようてんのさだまらない瞳でまばたきをしていたフィノが、自分の方へと伸ばされたままのラウルの手元を、すっと視線で追いかけて。

 その先にある自分の身体を、ぼんやりと見下ろし。

 せつ

「っっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!」

 めちゃめちゃな勢いでラウルの手を振りはらい、フィノががばっと身を起こした。あたふたした手つきでパーカーのすそを握りしめ、前を合わせるようにしてぎゅっとかきいだくやいなや、上目づかいにきっとラウルをにらんでくる。

「ここここんなところで服がせるだなんてききき貴様ヘンタイかっ!! ヘンタイかあああああっっっ!!!!」

「え……え……」

「お、おやにも見せたことないのに……っっっ!!!!!!」

「……って、えっ、えええええええええええええっっっっっっ!!!!!!」

 真っ白だった思考がようやく回復して。気付けば、ラウルはさけんでいた。

「お前、女だったのかよおおおおおっっっ!!!!!!」

「なに言ってる! れき書にもちゃんと書いただろっ!」

「い、いやっ、性別らんまでは見てなかったっていうかえええええええ!!!!!?」

「…………なにが目的?」

 守るように自分の身体からだを強くきしめたまま、うらみがましげにラウルを見上げてくるフィノ。

 ぱっちりしたアクアブルーの瞳にうっすらなみだかべ、ラウルのことを、じーっと。

 ……なんていうか、それがまた、ひどく可愛く見えて。どぎまぎしながらも、ラウルはぶんぶんと千切れるほど首を振って否定した。

「い、いやっ、そのっ! そのままじゃ風邪引くと思ってっ!」

「風邪……?」

「そうっ! そのっ、濡れた服、えさせようとっ……こ、これっ!」

 おろおろと辺りをわたし、置きっぱなしだったTシャツを光の速さでつかむなり、ラウルはそれをフィノに向かって差し出してやる。

 ……ややあって。



 なあんだ、とつぶやくと、フィノの瞳からふっとけいかいの色が消えた。こわっていた表情をゆるめると、銀髪の少女はラウルを見上げながら、口を開く。

「ラウル、ありがと」

「っ……」

「──お前、いいやつだな」

 にっこりと、微笑んで。

 ラウルの手からTシャツを受け取る少女の無邪気な表情は、なんというか。

 ……反則だ、と、ラウルは思った。

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