5弾 オルメス
どういう刺激を受けるかにもよるが、ヒステリアモードは長くても数十分しか続かない。
だが、それでも止まるわけにはいかなかった。
俺の推理が正しければ。
アリアはもうすぐ会ってしまう。会ってしまうのだ。
『武偵殺し』と──!
空港のチェックインを
アリア。
帰りたければ帰れ。
だが、もう『
『武偵殺し』があの兄さんを
兄さんは強かった。
(アリア──!)
次は、
殺される。
死んでしまうんだ、お前は!
俺はボーディングブリッジを突っ切り、今まさにハッチを閉じつつあるANA600便・ボーイング737-350、ロンドン・ヒースロー空港行きに飛び込んだ。
バタンッ。機内に駆け込んだ俺の背後で、ハッチが閉ざされる。
「──武偵だ! 離陸を中止しろっ!」
目を丸くしている小柄なフライトアテンダントに、武偵徽章を突きつける。
「お、お客様!? 失礼ですが、ど、どういう──」
「説明しているヒマはない! とにかく、この飛行機を止めるんだ!」
アテンダントはビビりまくった顔でこくこくうなずき、2階へと駆けていった。
その後を追いかけたいところだったが、逆に、その場に
だが……とりあえずはこれで、離陸を止めることはできただろう。
──そう思った矢先。
ぐらり。
機体が揺れた。
動いて……いる!
「あ、あの……だ、ダメでしたぁ。き、規則で、このフェーズでは管制官からの命令でしか離陸を止めることはできないって、機長が……」
2階から降りてきたアテンダントが、ガクガク
「ば、バッカヤロウ……!」
「う、撃たないでください! ていうかあなた、本当に
こ、このバカ……!
どうする。
いや。ダメだ。今のコイツの話によれば機長は俺を信用していない。今さら脅しても、飛行機を止めることはできないだろう。
窓の外を
今ムリに止めると、滑走路上で
頭を切り換えろキンジ。もう手遅れだ。
後手に回ってしまったのなら、後手なりの戦い方をしないと失敗する。
──作戦を、変えるしかない。
機体は上空に出て、ベルト着用サインが消えた。
俺は仕方なしにアテンダントを落ち着かせてから……アリアの席、というか個室に案内してもらう。
この飛行機のキャビン・デッキは、普通の旅客機とは明らかに異なる構造をしていた。
1階は広いバーになっていて、2階、中央通路の左右には扉が並んでいる。
これは──この間、ニュースで見たことがあるぞ。
『空飛ぶリゾート』とか言われてた、全席スィートクラスの超豪華旅客機。
座席ではなく高級ホテルのような12の個室を機内に造り、それぞれの部屋にベッドやシャワー室までもを完備した、いわゆるセレブご
「……キ、キンジ!?」
生花で飾り付けられたスィートルームで──アリアが、
よし。まずは合流できたな。
「……さすがはリアル貴族様だな。これ、チケット、片道20万ぐらいするんだろ?」
ダブルベッドを見ながら言ってやると、アリアは座席から立って
「──断りもなく部屋に押しかけてくるなんて、失礼よっ!」
「お前に、そのセリフを言う権利は無いだろ」
アリアは自分が俺の部屋に押しかけたことを思い出したのだろう。
うぐ、と怒りながらも黙る。
「……なんでついてきたのよ」
「太陽はなんで
「うるさい! 答えないと風穴あけるわよ!」
セリフをパクられてカッとなったのか──ばっ。アリアはスカートの
俺は内心
よかった。帯銃してるんだな。
「
「……?」
「俺はこう約束した。
「なによ……何もできない、役立たずのくせに!」
がう! と、小さいライオンが
「帰りなさい! あんたのおかげでよ───く分かったの、あたしはやっぱり『
「……もうちょっと早く、そう言ってもらいたかったもんだな」
俺は室内にあったもう一つの座席に腰を下ろし、わざとらしく、眼下の街を見た。
「……ロンドンについたらすぐ引き返しなさい。エコノミーのチケットぐらい、手切れ金がわりに買ってあげるからっ。あんたはもう他人! あたしに話しかけないこと!」
「元から他人だろ」
「うるさい!
強風の中、ANA600便は東京湾上空に出た。
ふくれっ
俺は──もう、毒を食らわば皿までの精神だった。
ロンドンだろうがどこだろうが、飛ぶなら飛べ。こうなれば、今は待ちの一手だ。
「──お客様に、お
機内放送が流れ、600便は少し揺れながら飛ぶ。
揺れ自体は、大したことは無かったのだが……
ガガン! ガガーン!
比較的近くにあった雷雲から、雷の音が聞こえてくる。
ガガガ───ン!!
ひときわ大きな雷鳴が
「怖いのか」
「こ、怖いわけない。バッカみたい。っていうか話しかけないで。耳がイライラするわ」
と言った矢先に、また、ガガーン!
「きゃっ!」
短く悲鳴を上げたアリアを見て、
へえ。
「雷が苦手なら、ベッドに
「うっ、うるさい」
「チビったりしたら一大事だぞ?」
「バ、バ、バカ!」
ガガガ───ン!!
「──うぁ!」
激しく響いた雷の音に、アリアはとうとう座席からジャンプした。
そして、本当にベッドに潜り込んでしまう。
あまりにも今言った通りの展開になったので、俺は……こんな時なのに、笑いがこみ上げてきてしまった。コイツ、もしかしたらホントにチビったかもだぞ。
「アリアー。替えのパンツ持ってるか?」
「バカキンジ! あ、あとで風穴あけてやるから!」
うはは。ガクガク震えてる。
ガガガ───ン!! ガガガ───ン!!
運が悪いのか機長がヘタなのか。この飛行機、雷雲の近くを飛んでるな。
「~~~き、キンジぃ~~~」
毛布の中から涙声を上げ、アリアはとうとう席に座る俺の
「ほ、ほら、
俺は子供みたいに袖を
年配の乗客向けに入れられているらしい時代劇のチャンネルで、指を止めた。
『──この
おっ……これは、
兄さんの説によれば、彼もまたヒステリアモードのDNAを持っていて──露出狂のケがあったのか、もろ肌を脱ぐと急激に知力体力を高めることができる人だったらしい。
「ほら。これでも見て気を
「う、うん」
話しかけちゃいけないというアリアルールは、どうやら解禁になったようだ。
俺の
今度こそ本当に、ただの女の子の手に思えた。
もし──もしも、だ。
コイツがいま、普通の女の子なのなら。
普段の俺は、ただの、平凡な男子高校生なんだから。
「アリア」
こうやって……震える手に、手を添えてやって。
「キ、キンジ……?」
そう。
普通のクラスメートとして。友達として。
震えを
何秒かためらってから、アリアの指が、俺の手を握り返そうとしてきた時……
パン! パァン!
──音。が、機内に響いた。
今度のそれは雷鳴ではなく、俺たち
銃声──!
狭い通路に出るとそこは、大混乱になっていた。
12の個室から出てきた乗客たちと、数人のアテンダント──文字通り老若男女が、不安げな顔でわあわあ騒いでいる。
銃声のした機体前方を見ると、コクピットの扉が開け
「!」
そこにいたのは、さっきの小柄でマヌケなアテンダント。
そいつが、ずる、ずる、と機長と副操縦士を引きずり出してきている。
2人のパイロットは何をされたのか、全く動いていない。
どさ、どさ、と通路の床に2人を投げ捨てたアテンダントを見て、
「──動くな!」
俺の声にアテンダントは顔を上げると、にいッ、と、その特徴の無い顔で笑った。
そして1つウィンクをして操縦室に引き返しながら、
「
ピン、と音を立てて、胸元から取り出したカンを
俺の足元に転がったそれに、背筋が凍る。
「キンジっ!」
雷の恐怖を押して部屋から出てきたアリアが、悲鳴を上げる。
シュウウウウ……!
音で分かる。
これは──ガス缶だ!
サリン、ソマン、タブン、ホスゲン、ツィクロン
「──みんな部屋に戻れ! ドアを閉めろ!」
自分もアリアを部屋に押し込むようにしながら、叫ぶ。
ばたん、と扉を閉める一瞬前に──飛行機はグラリ、と揺れ。
ばちん、と機内の照明が消え、乗客たちが恐怖に悲鳴を連ねた。
「──キンジ! 大丈夫!?」
俺の体を心配してくるアリアに顔を上げ、自分で呼吸を確かめる。
息は──できる。目も見える。手足のマヒもない。
一本取られた。どうやら無害なガスだったらしい。
「アリア。あのフザケた
「……やっぱり……? あんた、『武偵殺し』が出ることが、分かって──」
俺はヒステリアモードの時に
「『武偵殺し』はバイクジャック、カージャックで事件を始めて──さっき分かったんだが、シージャックで──ある武偵を仕留めた。そしてそれは、たぶん直接対決だった」
「……どうして」
「そのシージャックだけ、お前が知らなかったからだよ。電波、
「う、うん」
「『
あの兄さんが逃げ遅れた、というのもそもそもおかしいとは思っていたしな。
「ところが、バイク・自動車・船と大きくなっていった乗り物が、ここで一度小さくなる。
「……!」
「分かるかアリア。コイツは初めっからメッセージだったんだよ。お前は最初から、ヤツの手のひらの上で踊ってたんだ。ヤツはかなえさんに罪を着せ、お前に宣戦布告した。そして兄──いや、シージャックで
推理のニガテなアリアが、ぎり、と悔しさに歯を食いしばる。
そこに──
ポポーンポポポン。ポポーン。ポポーンポポーンポーン……
ベルト着用サインが、注意音と共にワケの分からない点滅をし始めた。
「……和文モールス……」
アリアが
オイデ オイデ イ・ウー ハ テンゴク ダヨ
オイデ オイデ ワタシ ハ イッカイ ノ バー ニ イルヨ
「……誘ってやがる」
「上等よ。風穴あけてやるわ」
アリアは
「一緒に行ってやる。今の俺が役に立つかどうかは、分からないけどな」
「来なくていい」
ガガーン! 再び聞こえた雷鳴に、アリアはキュッと体をこわばらせた。
「どうする」
「……く、来れば」
床に点々と
1階は──
その、バーのシャンデリアの下。
カウンターに、足を組んで座っている女がいた。さっきのアテンダントだ。
「!?」
彼女は、
それもヒラヒラな、フリルだらけの改造制服──だ。
パニエで花のように
「今回も、キレイに引っかかってくれやがりましたねえ」
言いながら……ベリベリッ。
アテンダントはその顔面に
中から出てきたのは──
「──
「
くいっ、と手にした青いカクテルを飲み、ぱちり、と俺にウィンクをしてきたのは、やっぱり、理子──だった。
この異常な状況に、俺は
俺と
「アタマとカラダで人と戦う才能ってさ、けっこー遺伝するんだよね。武偵高にも、お前たちみたいな遺伝系の天才がけっこういる。でも……お前の一族は特別だよ、オルメス」
「──!」
理子に言われた単語に、アリアは電流に打たれたように硬直した。
オルメス──?
それが、アリアの『H』家の名なのか?
「あんた……一体……何者……!」
眉を寄せたアリアに、にやり、と理子が笑う。
その顔を、窓から入った
「理子・
……リュパン……?
リュパンって、あれか。
理子はあの、アルセーヌ・リュパンの……
「でも……家の人間はみんな理子を『理子』とは呼んでくれなかった。お母さまがつけてくれた、このかっわいい名前を。呼び方が、おかしいんだよ」
「おかしい……?」
アリアが、
「4世。4世。4世。4世さまぁー。どいつもこいつも、使用人どもまで……理子をそう呼んでたんだよ。ひっどいよねぇ」
「そ、それがどうしたってのよ……4世の何が悪いってのよ」
なぜかハッキリとそう言ったアリアに、
「──悪いに決まってんだろ!! あたしは数字か!? あたしはただの、DNAかよ!? あたしは理子だ! 数字じゃない! どいつもこいつもよォ!」
突然、キレた理子は──
ここではない、どこかに対して怒っていた。
なんだ。なんなんだ、こいつは!
「
何を言ってるのか
「待て、待ってくれ。お前は何を言っているんだ……!? オルメスって何だ、イ・ウーって何だ、『
「……『武偵殺し』? ああ。あんなの」
じろ、と、理子がアリアを見る。
「プロローグを兼ねたお遊びよ。本命はオルメス4世──アリア。お前だ」
その
獲物を
「100年前、曾お爺さま同士の対決は引き分けだった。つまり、オルメス4世を
獣の眼が、今度は俺に向けられる。
「オルメスの一族にはパートナーが必要なんだ。曾お爺さまと戦った初代オルメスには、優秀なパートナーがいた。だから条件を合わせるために、お前をくっつけてやったんだよ」
「俺とアリアを、お前が……?」
「そっ」
理子は再びいつもの軽い調子に戻って、くふ、と笑った。
コイツ。
このバカ理子を──演じてたのか。今まで。ずっと。
「キンジのチャリに爆弾を仕掛けて、わっかりやすぅーい電波を出してあげたの」
「……あたしが『武偵殺し』の電波を追ってることに気付いてたのね……!」
「そりゃ気付くよぉー。あんなに堂々と
「バスジャックも……!?」
「キンジぃー。武偵はどんな理由があっても、人に腕時計を預けちゃダメだよ? 狂った時間を見たら、バスにチコクしちゃうぞー?」
腕時計──
そしてコイツは修理を口実に時計を持ち帰り、細工を仕込んだ。
そのせいで俺はあの日、7時58分のバスに乗り遅れて──
「何もかも……お前の計画通りだったってワケかよ……!」
「んー。そうでもないよ? 予想外のこともあったもん。チャリジャックで出会わせて、バスジャックでチームも組ませたのに──キンジがアリアとくっつききらなかったのは、計算外だったの。理子がやったお兄さんの話を出すまで動かなかったのは、意外だった」
兄さん。
「……兄さんを、お前が……お前が……!?」
兄さん。
俺の
その兄さんを、コイツが……!
分かる。
頭に、血が上ってきたのが分かる。
これは
兄さんのことになると、俺は冷静でいられなくなる──!
「くふ。ほらアリア。パートナーさんが怒ってるよぉー? 一緒に戦ってあげなよー!」
ここもまた、お前の筋書き通りってわけかよ……!
「キンジ。いいこと教えてあげる。あのね。あなたのお兄さんは……今、理子の恋人なの」
「いいかげんにしろ!」
「キンジ! 理子はあたしたちを挑発してるわ! 落ち着きなさい!」
「これが落ち着いてられるかよ!」
これ以上、死んだ兄さんを
衝動的に、俺がベレッタを握る右手に力を込めた瞬間。
飛行機がまた、ぐらり、と揺れて。
「!」
「おーらら♪」
気がついた時には、俺の手から──ベレッタが消えていた。
がしゃん、がしゃ……と、
見えたのは、こっちに小ぶりな
「ノン、ノン。ダメだよキンジ。今のお前じゃ、戦闘の役には立たない。それにそもそもオルメスの相棒は、戦う相棒じゃないの。パンピーの視点からヒントを与えて、オルメスの能力を引き出す。そういう活躍をしなきゃ」
うっとりとご高説をぶった理子を見て──その
まるで小さな、
ばんっ! と床を
いける、と判断したのだろう。相手の火器を見て。
常に防弾服を着用している
となるとモノを言うのは、総弾数となる。
あの広いスカートの中に、
対するアリアのガバメントは7発。チェンバーにあらかじめ入れておくか、エジェクションポートから手で1発入れておけば、8発まで入る。
これが2丁あるから、最大16発。互角だ。
だが──
「アリア。二丁拳銃が自分だけだと思っちゃダメだよ?」
もう一丁、ワルサーP99をスカートから取り出した。
「!」
だが、もう、アリアが止まるワケにはいかない。
バリバリバリッ! という音を上げて、アリアは理子を至近距離から撃ち始めた。
「くッ……このっ!」
「あはっ、あはははっ!」
アリアと理子は至近距離から、
武偵は
その法を遵守するため、アリアは理子の頭部を
そして理子も──合わせているつもりか、アリアの頭部を狙わない。
まるで格闘技のように、アリアと理子の手が交差する。
武偵同士の近接拳銃戦は、射撃線を
バッ! ババッ!
「──はっ!」
2人は抱き合うような姿勢になり、理子の銃撃が
いいぞ! 格闘戦では、アリアの方に分がありそうだ──!
「キンジ!」
アリアに呼ばれるまでもなかった。
ジャキッ──
非常灯の下で、刀身が赤く光る。
「そこまでだ理子!」
アリアの背後に突き出た拳銃に注意しつつ、慎重に近づこうとした時──
「
理子が、言った。
「理子とアリアは色んなところが似てる。家系、キュートな姿、それと……2つ名」
「?」
「あたしも同じ名前を持ってるのよ。『
俺の足が、止まった。
その、ありえない、不気味な光景に。本能的に。
なんだ……あれは!?
「アリアの
しゅら……しゅるるっ。
笑う
シャッ!
背後に隠していたと思われるナイフを握り、アリアに襲いかかった。
「!」
一撃目は、驚きながらも
ザシュッ!
反対のテールに握られたもう一本のナイフが、
「うあっ!」
アリアが──真後ろに、のけぞる。
側頭部を
「あは……あはは……
また、ワケの分からないことを叫びながら──
理子は髪で押しのけるようにして、アリアを突き飛ばした。
あの髪、よほど怪力なのだろうか。アリアは驚くほど
「アリア……アリア!」
顔面を
理子は──テールで握ったナイフについた血を、べろり。うまそうに、なめる。
ありえない……
アイツはバケモノだ。
とにかくアリアを連れて、逃げなければ!
高笑いしながらの理子の声が、背中にかけられる。
きゃははははっ! ──ねえねえ、狭い飛行機の中、どこへ行こうっていうのー?
久々のお姫様抱っこで抱えたアリアは──悲しいほどに、軽かった。
人間というものは、こわばっていたり暴れてたりすると実際より重く感じられる。
アリアは意識が途切れつつあるのか、脱力しきっているのだ。
さっきのスィートルームに逃げ込んだ
血まみれの顔面を、まずは備え付けのタオルで
「う……っ」
うめくアリアのこめかみの上、髪の中には、深い切り傷がついていた。
まずい──側頭動脈をやられてる。
「しっかりしろ……傷は浅い!」
それが分かっているのだろう。アリアは、俺の
「アリア!」
俺は半ばキレ気味に、武偵手帳のペンホルダーに指を突っ込んだ。そこから、『
「ラッツォ──行くぞ! アレルギーは無いな!?」
「…………な……い……」
ラッツォとは──アドレナリンとモルヒネを組み合わせて凝縮したような、つまりは気付け薬と鎮痛剤を兼ねた復活薬だ。
「ラッツォは心臓に直接打つ薬だ。いいか、これは必要悪だぞ」
前置きすると、俺はアリアの小さな
そしてそのセーラー服の胸元に、手をかける。
「ヘ……ヘンなこと……したら、風、穴……」
「ああ、風穴あけられるぐらい、元気になってくれよ──!」
俺はブラウスのジッパーを乱暴に下ろし、左右に引き開けた。
「う……」
アリアが、小さく
あの、トランプ
白磁のような肌。最後の最後まで薄布一枚で守られている、愛らしい、女の子の胸。
どきん、と、俺の胸が跳ねる。
こんな時に不謹慎も
でも、ああ、チクショウ。なんでこんなにすみずみまで
「アリア……!」
アリアの白い肌に、震える指を乗せる。
ミニチュアのように小柄な胴に指を
そこから指二本分、上──そこが心臓だ。ちょうど、フロントホックの辺り。
「き、キンジ……」
「動くな」
「こ……こわい……」
蚊の泣くような声を聞きながら、右手に持った注射器のキャップを口で外す。
「──アリア、聞こえるか! 打つぞ!」
アリアは、答えない。
ピクリとも動かない。
心臓の鼓動が──
止まってる。
アリア!
「──戻ってこい!!」
ぐさッ──!
殴るように、注射針を突き立てた。
迷うと失敗する。だから一思いに、ぎゅっ。薬剤をアリアの心臓にブチ込む。
「──!」
びくん、とアリアが
クスリの激しい威力に、
だがそれすら、今はどういうワケかいとおしく思える。
生きてる。生き返った。その証拠だからだ。
「う……!」
アリアは大きく息を吸い込むと、ぷるぷる
どうなる……?
そして……
「──っはぁ!」
がばっ!
ゾンビ映画みたいに、上半身を起こしてきた。
「って……えっ!? な、な、なな、何!? 何これ! む、胸!?」
だが薬のせいか、アリアの記憶は混乱し、いくらか飛んでいるようだ。
「キ──キンジ! またあんたの
混乱状態のアリアは顔どころか全身ゆでダコみたいに真っ赤になって、ブラウスの前を閉じようとした。そして自分の胸に、注射器が突き刺さっていることに気付く。
「ぎゃー!!」
花の女子高生とは思えない悲鳴を上げ、豪快に注射器を引っこ抜くアリア。
「そ、それだアリア! お前は
「りこ……理子──ッ!!」
服を乱暴に整えると、アリアはベッドの上から左右の
そして、鬼の形相のまま、バランスの悪い足取りで部屋を出ていこうとする。
──まずい。
ラッツォは復活薬であると同時に、興奮剤でもある。
クスリが効きやすい体質なのか、アリアは正気を失っているようだ。
自分と理子の、戦力の優劣が判断できていない──!
「待てアリア! マトモにやっても、アイツには勝てないぞ!」
俺はドアの前に立ちふさがり、アリアの左右の拳銃を手のひらごと
「そんなの関係ない! は、な、せ! あんたなんか、どっかに隠れて
アリアは俺に両手を握られたまま、
「し……静かにするんだアリア! これじゃあ、理子に──俺とお前が同じ部屋にいて、チームワークが働いてないことまでバレる!」
「かまわないわ! あたしはどうせ
俺を
ダメだ。落ち着かせることはできなさそうだ。
「あんた、あたしのことキライなんでしょ!? あんたは言った!
ああ、どうすれば黙ってくれるんだ。
アニメ声で叫ぶこの口を、
これを離したら、コイツは俺を撃って、すぐさま部屋を出て行ってしまうだろう。
──これを何とかする方法は──
……無くは、ない。
アリアの弱点を突く、最後の手段がある。
だがそれをやってしまうと、俺は──
間違いなく、ヒステリアモードに、なってしまうだろう。
あの、
でも……でも!
でも今はもう、背に腹はかえられない!
このままだと、
そしてそれは、おそらく正解で。
銃の無い俺は元より、アリアまで──殺されてしまうんだ──!
「あたしは覚えてる! あんたは、あたしに『大っキライ』って言った! あたし、あの時は普通の顔してたけど──あたし、あんたのこと、パートナー候補だと思ってたのに、
『キライ』って言われて──あの時、本当は、胸が、ズキンって──」
ああ、アリア。
──許せ!
「だからもういいのよ! あたしのことキライならいいのよ! あたしのことキラ──」
口で。
「────!!!」
恋愛
思った通り、完全に、固まってくれた。
黙るどころか、両手の先までまるで石化したようにびびんとつっぱっている。
──ああ、そしてこれは、
桜の花びらみたいなアリアの唇は、小さくて、柔らかくて……俺のよりもいくらか熱いその唇が種火になって、こっちの全身へと、火炎を広げていくのが分かる。
──ドクン。
体の中心がむくむくと
──
──ぷは!
2人は口を離し、同時に息を継いだ。
長い──キスだったな。お互い硬直してたせいで。
「アリア……許してくれ。こうするしか、なかった」
「……か……か、か、かざ、あにゃ……」
ふら、ふらら、へなへな。
アリアが……その場にへたり込んだ。
「バ、バ、バカキンジ……! あんた、こ、こんな時に……なんてこと、すんのよ……! あたし、あたし、あたし、ふあ、ふぁ……ファーストキス、だったのに……!」
また騒ぎ出すかとも一瞬思ったが、それはなさそうだ。
ノドの奥から出るその涙声は、脱力しきって、かすれている。
「安心していい。
「バカ……! せ、責任……!」
涙目で俺を見上げ、プルプルと小動物のように
ヒステリアモードの俺は、
「ああ、どんな責任でも取ってあげるさ。でも──仕事が、先だ」
「……キンジ……! あんた、また……」
俺の声がさっきより
アリアは何かを──おそらくチャリジャックの時の事を──思い出したような表情で、目を見開いた。
俺はアリアの、無傷な方の耳元にスッと口元を寄せる。
そして、
「
「バッドエンドのお時間ですよー。くふふっ。くふふふっ」
そして、ナイフを握る髪の毛を手のように使って扉を押さえつつ──両手に銃を
「もしかしたら仲間割れして自滅しちゃうかなぁーなんて思って待ってたんだけど。そうでもなかったみたいなんで、ここで理子の登場でぇーす。あっ……」
人が変わったように冷静になった
「あはっ! アリアと何かしたんだ? よくできたねぇ、こんな状況下で。くふふっ」
コイツ。
知ってるのか。
俺の──ヒステリアモードのトリガーを。
「で? アリアは? まさか死んじゃった?」
髪のナイフでベッドを指しながら、理子が言う。
そこはマクラと毛布を詰めて、人がいるように見せかけているだけの
「さあな」
チラ、と俺が
「あぁん……そういうキンジ、ステキ。どっきどきする。勢い余って殺しちゃうかも」
「そのつもりで来るといい。そうしなきゃ、お前が殺される」
低く言った、俺に──
理子はクラッときたような顔をして、拳銃を向けてきた。
「──さいッこー。愛してる、キンジ。見せて──オルメスの、パートナーの力」
引き金を引こうとした、理子に。
俺は、ベッドの
「──!」
撃てば、爆発する。
俺ごと。そして理子ごと。
それを悟った理子の手が、一瞬、止まる。
一瞬で十分だった。
俺はボンベを投げつけながら、理子に飛びかかろうとする。
ゼロ距離になってしまえば、体格で圧倒できる。
キンッ! と手のひらの中で音を立て、隠していたバタフライ・ナイフを開く。
「──!」
理子が
ぐらっ!
「うッ!?」
エアポケットにでも落ち込んだのか、飛行機が突然大きく傾いた。
再びのこの悪運は──予測できなかった。ヒステリアモードの俺にも。
足元が大きくブレて、姿勢を崩した俺の目に──
斜めに傾いた部屋の中で、笑う理子のワルサーがこっちの
そして。
──!
その銃口から
ああ。これは
絶対、避けられない。
それなら──!
ギイイインッッッ!
銃弾を、斬った。
……自分でやったことに、
今回のヒステリアモードは、本当に
──左右の壁に、真っ二つになった銃弾が突き刺さる音が聞こえた。
どこか感動を含んだ驚きに、
「動くな!」
「アリアを撃つよ!」
体勢的にこっちに銃を向けるのは間に合わないと判断したらしい理子が、シャワールームにワルサーを向けた時。
がたんっ!
天井の荷物入れに、
転げ出てきながら、白銀のガバメントで──
ガンガンッ!!
理子の左右のワルサーを、精密に手から
「!!」
さらにアリアは空中で
「──やっ!」
そして抜刀と同時に、振り返った理子の左右のツインテールを切断する。
ばさっ、ばさっ──
茶色いクセっ毛を
「うッ──!」
理子は両手を自分の側頭部にあて、初めて、
ちゃき、とアリアは刀を納め、流れるような動作で
「
理子は……にやぁ───、と満面の笑みを浮かべて俺とアリアを交互に見た。
「そっかぁ。ベッドにいると見せかけて、シャワールームにいると見せかけて──どっちもブラフ。本当はアリアのちっこさを
「不本意ながら一緒に生活してたからな。合わせたくなくても合うさ」
「2人とも、誇りに思っていいよ。理子、ここまで追い詰められたのは初めて」
「追い詰めるも何も、もうチェックメイトよ」
「ぶわぁーか」
その異様な光景に、対応が遅れる。
──髪の中で……何かを操作している!?
「やめろ! 何をしてる!」
俺は理子を捕らえようと、踏み出した。
その、瞬間──
ぐらり!
また機体が大きく、傾いた。急降下、している──!
姿勢を崩したアリアが、壁にぶつかる。
俺も倒れないようにするので精一杯だ。
「ばいばいきーん」
次の瞬間、理子は
おかしいとは思っていた。この飛行機は理子に都合良く揺れすぎている。
アイツは恐らくあの髪の中にコントローラーを隠し、遠隔操作していたのだ。
ANA600便は、台風の雲の中を、恐るべき勢いで降下している。
こんなに高度を下げてどうするつもりだ。
乗客たちの悲鳴を聞きながら廊下を走り、階段を降りると──
理子はバーの
「狭い飛行機の中──どこへ行こうっていうんだい、
さっきの理子のセリフを返してやりながら、俺はガバメントを向ける。
「くふっ。キンジ。それ以上は近づかない方がいいよー?」
にい、と理子が白い歯を見せる。
壁際には
「ご存じの通り、『
「ねぇキンジ。この世の天国──イ・ウーに来ない? 1人ぐらいならタンデムできるし、連れていってあげられるから。あのね、イ・ウーには──」
理子はその目つきを鋭くしながら、
「お兄さんも、いるよ?」
コイツ。また、兄さんのことを──
「これ以上……怒らせないでくれ。いいか理子。あと一言でも兄さんの事を言われたら、俺は衝動的に9条を破ってしまうかもしれないんだ。それはお互いに嫌な結末だろう?」
武偵は
「あ。それはマズいなー。キンジには武偵のままでいてもらわなきゃ」
理子はウィンクしたかと思うと、両腕で自分を抱きしめるような姿勢を取り──
「じゃ、アリアにも伝えといて──あたしたちはいつでも、2人を歓迎するよ?」
ドウッッッッ!!!
いきなり、背後に仕掛けていた
「────!」
壁に、丸く穴が開く。
理子はその穴から機外に飛び出ていった。パラシュートも無しで──!
「りっ……」
理子! と叫ぼうとしたが、できない。
室内の空気が一気に引きずり出されるようにして、窓に向かって吹き荒れる。
機内に警報が鳴り響き、天井から酸素マスクが
バーにあった
紙や布。グラスや酒のビン。そして──俺も──
「──!」
床に
くるくるくるっ、と宙を踊るようにして遠ざかる
ばっ。
理子が背中のリボンを
最後に見えたのは、下着姿になった理子がこっちに手を振りながら雲間に消えていく姿だった。そうか。機外に脱出するつもりだったから、高度をこんなに下げていたのか。
「──!?」
その、理子と入れ違いに──
この飛行機めがけて、雲間から冗談のような速度で飛来する2つの光があった。
ヒステリアモードの
──そんな。
そんなバカな。
──ミサイル──!?
ドドオオオオオオンッッッ!!
突風や落雷とは明らかに違う、機体を巨大なハンマーで2発殴られたような衝撃。
「──!」
俺は必死の思いで窓にしがみつく。
そして、祈るような気持ちで翼の方を見た。
悪夢のような連撃を受けながらも──ANA600便は、何とか持ちこたえていた。
翼は2基ずつある左右のジェットエンジンのうち、内側を1基ずつ破壊されていたが、外側にある残りの2基は無事だ。
血のような煙の帯を引きながらも、
さっきの急減圧のせいで、まだ目が
だが、急がねばならない。操縦室に。
何とか耐えたとはいえ、ANA600便は急降下を続けているのだ。
機長と副操縦士は、理子に麻酔弾を撃たれたらしく
「──遅い!」
彼らから取った非接触ICキーで操縦室に入ったところらしいアリアが、やってきた俺に振り返りつつ
足元には、あのセグウェイの銃座にも似た妙な機械が転がっていた。これは理子が髪に隠したコントローラーで飛行機を遠隔操縦するために仕掛けていたカラクリを、アリアが外した
アリアはその小さな体をスポッと操縦席に収めると、ハンドル状の
「アリア──飛行機、操縦できるのか」
「セスナならね。ジェット機なんて飛ばしたことない」
言いながらアリアは、おい、大丈夫なのか、と思うほど大胆に操縦桿を引く。
それに呼応して、ANA600便は目を覚ましたように機首を上げた。
「上下左右に飛ばすくらいは、できるけど」
「着陸は?」
「できないわ」
「──そうか」
機体が、水平になったのが分かる。
豪雨が流れる窓に視線を戻すと、この機体がヒヤッとするほど海面近くを飛んでいたのが分かった。
高度は、300メートルやそこらだろう。危なかった。
『──31──で応答を。繰り返す──こちら
声が聞こえてきた。俺は計器盤に備え付けられたマイクをONにする。
「──こちら600便だ。当機は先ほどハイジャックされたが、今はコントロールを取り戻している。機長と副操縦士が負傷した。現在は乗客の
俺の声に、羽田は
よし。とりあえず管制塔との通信は
俺は続けざまに、さっき機長の腰から拝借しておいた衛星電話を左手で操作する。携帯とよく似たこの電話機は船舶通信などにも使われるもので、人工衛星を介し、およそ地上のどこからでも、どんな速度で飛んでいようと、電話回線に接続できるものだ。
コールを始めると同時に、電話機も、Bluetoothでスピーカーに繋いでおく。
ヒステリアモードはまだ続いている。やるべきことが、順序よく思いつく。
「
聞いてきたアリアに、新たにつながった音声がスピーカーから答えてきた。
『もしもし?』
「俺だよ
『キ、キンジか!? いまどこにいる!? お前のカノジョが大変だぞ!』
「カノジョじゃないが、アリアなら隣にいるよ」
コイツとの
『ちょ……お前! 何やってんだよ……!』
「か……かの、かの!?」
自分がカノジョ扱いされてることに、アリアはぼばぼばぼ、とまた赤面癖を
何か不平を言い出しそうだったので──つ、とアリアの唇に人差し指を当てて止める。
「……っ!」
アリアはますます真っ赤になっていくが、とりあえず硬直して黙ってくれた。
「──武藤。ハイジャックの事、よく知ってたな。報道されてるのか」
『とっくに大ニュースだぜ。客の
──
『……ANA600便、まずは安心しろ。そのB737-350は最新技術の結晶だ。残りのエンジンが2基でも問題なく飛べるし、どんな悪天候でもその長所は変わらない』
羽田コントロールの声に、アリアが少しホッとした表情になる。
『それよりキンジ。破壊されたのは内側の2基だって言ったな。燃料計の数字を教えろ。
さすが乗り物オタク。武藤の声はまるで計器盤が見えているかのようだった。
「数字は──今、540になった。どうも少しずつ減ってるようだ。今、535」
俺の応答に、武藤が舌打ちするのが聞こえてきた。
『くそったれ……盛大に漏れてるぞ』
「燃料漏れ……!? と、止める方法を教えなさいよ!」
アリアがヒステリックな声を上げると、しばらくの
『方法は無い。分かりやすく言うと、B737-350の機体側のエンジンは燃料系の門も兼ねてるんだ。そこを壊されると、どこを閉じても
「あ、あとどのくらいもつの」
『残量はともかく、漏出のペースが早い。言いたかないが……15分ってとこだ』
「さすがは先端技術の結晶だな」
俺は一言、羽田コントロールにグチってやる。
『キンジ、さっき
「元からそのつもりよ」
アリアが
『……ANA600便、操縦はどうしているのだ。自動操縦は決して切らないようにしろ』
「自動操縦なんて、とっくに破壊されてるわ。今はあたしが操縦してる」
アリアが
詳しくは分からないが、まあ、そういうことなのだろう。
「──というわけで、着陸の方法を教えてもらいたいんだが」
羽田に
『……すぐに
「時間がない。近接する
『い、いや、それは可能だが……どうするつもりだ』
「彼らに手分けさせて、着陸の方法を一度に言わせるんだ。武藤も手伝ってくれ」
『一度にってキンジお前、
「できるんだよ、今の俺には。すぐにやってくれないか。なにせもう、時間がなくてね」
アリアが、驚きの
何か言い出しそうだったのでウィンクで黙らせて、
雲の下──暴風雨の吹き荒れる眼前には、黒い海の向こうに東京圏の光が見えていた。
俺たちはあそこに向かって、突っ込むような形で飛んでいるのだ。
一気に
今は計器も読める。
現在の高度は1000フィート──およそ300メートル。
これは何をどう考えても危険な高度だが、あと10分しか飛べない俺たちは燃料を1滴たりともムダにできないので、1メートルも上げられない。
『ANA600便。こちらは防衛省、航空管理局だ』
羽田からのスピーカーから野太い声が聞こえてきて、俺とアリアは顔を見合わせた。
防衛省……?
『羽田空港の使用は許可しない。空港は現在、自衛隊により封鎖中だ』
『何言ってやがんだ!』
叫んだのは俺でもアリアでもなく、武藤だった。
『
『
『武藤武偵。私に怒鳴ったところでムダだぞ。これは防衛大臣による命令なのだ』
──不穏な気配に、横へ振り向く。
俺につられて窓の外を見たアリアが、息を
ANA600便のすぐ
航空自衛隊の戦闘機が、ピッタリつけてきている。
「おい防衛省。窓の外にあんたのお友達が見えるんだが」
『……それは誘導機だ。誘導に従い、海上に出て千葉方面へ向かえ。安全な着陸地まで誘導する』
言われて、アリアが
俺は羽田との回線を切りつつ、アリアの手を上から握って止める。
「……海に出るなアリア。アイツは
「?」
「防衛省は俺たちが無事に着陸できるとは思ってないんだよ。海に出たら、撃墜される」
「そ、そんな……! この飛行機には一般市民も乗ってるのよ!?」
「東京に突っ込まれたら大惨事だからな。背に腹はかえられないってことさ」
アリアの手を握ったまま、左に押して──横浜方面へと、
「キ……キンジ?」
指先を少しこわばらせながら、アリアが不安げに……頼るように、俺を見上げた。
「向こうがその気なら、こっちも人質を取る。アリア、地上を飛ぶんだ」
ANA600便は横浜のみなとみらいを飛び越え、東京都に入った。
燃料は、あと7分。
「で、どこに着陸するつもりよキンジ。都内に
「武藤。滑走路には、どのくらいの長さが必要だ?」
『エンジン2基のB737-350なら……まあ、2450mは必要だろうな』
「……そこの風速は分かるか?」
『風速? レキ、学園島の風速は』
『私の体感では、5分前に南南東の風・風速41・02m』
「じゃあ武藤。風速41mに向かって着陸すると、滑走距離は何mになる?」
『……まぁ……2050ってとこだ』
「──ギリギリだな」
低く
「ど、どこに降りるつもりなのよ。東京にそんな直線道路、ないわ」
「
『お、おい……』
「安心しろ武藤。『学園島』に突っ込むわけじゃない」
『……?』
「『空き地島』の方だ。レインボーブリッジを挟んで北側に、同じ人工浮島があるだろ」
『……お、おい。お前ってヤツは……何でそんなトンデモねぇ事を思いついちまうんだ? そこにいるのは、ホントにキンジか?』
「ははっ……ここにいるのは
「なっ、なによそれ」
「答えてごらん?」
こんな時にアリアをイジってる場合か、ヒステリアモードの俺よ。
と自分で内心ツッコむ俺に、しかしアリアは、かぁああ。またその赤面癖を
そしてその吊り目をわぁ、と見開いて、何かツッコミのセリフを出そうとする。
だが──今は俺がこの場をリードしているリーダーだと悟ったのだろう。
「キンジ」
子供が大人の
「と、そういうことらしいぜ武藤。残念ながらな」
すぐ眼下に、
街のみんなはビックリしてるんだろうな。
『……人工浮島に……か。理論的には、可能だろうけどよ』
武藤が、
固かったアリアの表情が、ぱ、と明るくなる。
『でもなキンジ。あそこはホンっトーにただの浮島だ。誘導装置どころか誘導灯すら無い。どんな飛行機であれ、最低の最悪でも誘導灯が無いと夜間着陸はできないんだ。しかも視界は豪雨で最悪、おまけに暴風と来てる。そこに手動着陸なんて──』
「じゃあ着陸は断念して、俺と心中するか、アリア?」
武藤のお小言を
「あ、あんたと心中なんか死んでもお断り」
なんだか矛盾したようなことを言いながら、べー、とちっこいベロを出してくる。
「はは。
「なにそれ?」
「
そう言うと、アリアは『もう~! なんでそういうこと言うかな!』といったカンジで顔を伏せ、また、むぅうううと赤くなる。
「というわけで
『待て、待てキンジ、「空き地島」は雨で
「それはなんとかするよ。俺を信じろ」
『……か……勝手にしやがれ! しくじったら
叫ぶと、武藤はキレたのか──教室のみんなに何やらわーわーと怒鳴り、電話を切ってしまった。
あと、3分。
短い
「アリア。この飛行機は東京タワーより低く飛んでる。間違ってもぶつけないでくれよ」
「バカにしないで」
車輪を出すと、アリアは操縦のメインを俺の副操縦席に渡した。
さあ、東京湾が見えてきた。
──が。
ヒステリアモードの頭が、すぐ、結論を出せてしまう。
ここまで何とか頑張ってはきたが……
着陸は──不可能だ。
『空き地島』が、まるで見えないのだ。
武藤が言った通り、
誘導灯も何もないのだからムリもない。分かっていたことだが、ここまでとは。
これでは、着陸すべき角度も、高度も、全く分からない。
こんな状況じゃあ、たとえベテランのパイロットでも惨事は
では、どう被害が少ないように墜落させるかだ──と、俺がやむなく頭を切り替えようとしたとき──第六感でそれを察したのか、アリアが、言った。
「キンジ。大丈夫。あんたにならできる。できなきゃいけないのよ。
アリアの言葉の、途中で……まるで、魔法のように……
「あたしたちはまだ死ねないのよ! こんなところで、死ぬわけがないわ!」
キラ……キラ、キラ、キラ……と。
ベイブリッジの手前にある、『空き地島』の上に光が見え始めた……!
『キンジ! 見えてるかバカヤロウ!』
「武藤!?」
『お前が死ぬと、
その言葉に続けて、
『──キンジ!』『機体が見えてるぞ!』『あと少しだ!』『もう少し頑張りやがれッ!』
ヒステリアモードの俺には、分かる。
この、声。
こいつら。
俺とアリアが、バスジャックから助けたヤツらじゃないか──!
あいつらは学園島から空き地島に渡り、誘導灯を作ってくれているのだ!
──
俺は高度を丁寧に下げていく。ヤツらが示してくれた、平面まで──!
ザシャアアアアアアアア──────!!
ANA600便は、雨の
目玉が飛び出てしまいそうなくらいの振動の中で、アリアが逆噴射をかける。
「止まれ、止まれ、とまれとまれとまれぇ───っ!!」
「いくぞ──!」
俺は地上走行用のステアリングホイルを素早く操作して、機体をカーブさせた。
雨の
それは武藤の言うとおりだ。
だが、手はある。
俺はもう、そのつもりで人工浮島に突っ込んでいるんだ──
迫ってくる。
風力発電の、
風車の、柱が──!!
ガスンンンンンンッッ!!
翼に風車の柱をブチ当て、引っかけて、600便はグルリとその機体を回すように
……
「う……っ。ッてぇ……」
……クチナシの……香り。
ああ、そうだ。これはアリアの香り。
俺は全身がバキバキに痛むのを感じながら……目を、開けていった。
窓の外に、レインボーブリッジが見える。ANA600便は──停止、していた。
何もかもギリギリだったが、まあ、なんとか、なったわけだ。
だが……なにやら身動きが取れない。
その時点でだいたいオチは予測できたのだが……ひしゃげた副操縦席に座る俺は、アリアにのしかかられていた。
アリアは気を失っていて、俺の
「はは……っ」
また、コイツを、抱っこしている。
ソーッとその胸元を見るが……大丈夫。ブラウスはめくれあがっていない。
今回は、撃たれずに済みそうだな。
と思ったのも
「……!」
俺は、
そして下を見ないように、アリアに気付かれないように……
手だけで、そーっと、スカートを整えてやる。
これで、よし。
上で殺されかけて生き延びたんだ。下で、改めて殺されたらたまらない。
──だろ?