3弾 強襲科

 戻ってきてしまった。

 強襲科アサルト──通称、『無き学科』に。

 この学科の卒業時生存率は、97・1%。

 つまり100人に3人弱は、生きてこの学科を卒業できない。任務の遂行中、もしくは訓練中に死亡しているのだ。本当に。

 それが強襲科アサルトであり、ていという仕事の暗部でもある。

 発砲やけんげきの音が響く専用施設の中で、だが今日のおれは──とりあえず装備品の確認と自由しゆうの申請など、訓練以外のことで時間をほとんど使い切ってしまっていた。

 事件を1件解決するまでのこととはいえ、けんじゆうの練習ぐらいはしておきたかったところなのだが……そうもいかなかった。というのも、いつもパーティーを組んで行動する強襲科アサルトでは、生徒たちが自然と人なつっこくなるもので……

「おーうキンジぃ! お前は絶対帰ってくると信じてたぞ! さあここで1秒でも早く死んでくれ!」

「まだ死んでなかったかなつ。お前こそ俺よりコンマ1秒でも早く死ね」

「キンジぃー! やっと死にに帰ってきたか! お前みたいなマヌケはすぐ死ねるぞ! 武偵ってのはマヌケから死んでくもんなんだからな」

「じゃあなんでお前が生き残ってるんだよかみ

 ごうりては郷に従え。

 死ね死ね言うのがここのあいさつなのだが、俺が帰ってきたことを喜んで死ね死ね言う1人1人に死ね死ね返していたら、それだけでかなり時間を食ってしまったのだ。

 火薬くさやつらをなんとかいなして強襲科アサルトを出ると──

 夕焼けの中、門のところに背中をついて俺を待っていたチビっこがいた。

 言うまでもない。アリアである。

 アリアは俺の姿を認めると、とてて、と小走りにやってきた。

 そして、不機嫌に歩き始めた俺の横を、一緒に歩き始める。

「……あんた、人気者なんだね。ちょっとビックリしたよ」

「こんな奴らに好かれたくない」

 本音である。

「あんたって人付き合い悪いし、ちょっとネクラ? って感じもするんだけどさ。ここのみんなは、あんたには……なんていうのかな、一目置いてる感じがするんだよね」

 ……それはきっと、入試の時のことを覚えられているからだろう。

 ヒステリアモードの、おれのことを。

 俺たち強襲科アサルトの志願者たちに科された試験は……14階建てのはいおくに散らばり、武装の上で自分以外の受験生を捕縛し合うという実戦形式のものだった。

 そして俺は自分以外の受験生を全員すぐに倒し、あるいはわなにかけて縛り上げた──抜き打ちでマンションにひそんでいた、

 ……ちくしょう。

 思い出したくないことを思い出しちまった。

 俺がさらに不機嫌になったのを察したのか、アリアは俺の横を歩きながらちょっと視線を地面に落とした。

「あのさキンジ」

「なんだよ」

「ありがとね」

「何を今さら」

 小声ながらも心底うれしそうなアリアに、俺はいらった声を返す。

 そりゃ、お前は嬉しいだろうさ。

 文字通り、自分のために戦う『ドレイ』を手にいれたんだからな。

「勘違いするなよ。俺は『仕方なく』強襲科ここに戻ってきただけだ。事件を1件解決したらすぐ探偵科インケスタに戻る」

「分かってるよ。でもさ」

「なんだ」

強襲科アサルトの中を歩いてるキンジ、みんなに囲まれててカッコよかったよ」

「……」

 なんでそういう事を言う。

 本人にそういうつもりは無いのだろうが、女子に──それも、見かけだけはとにかくわいい女子にそんなことを言われると、こっちは言葉に詰まる。

「あたしになんか、強襲科ここではだれも近寄ってこないからさ。実力差がありすぎて、誰も、合わせられないのよ……まあ、あたしは『アリア』だからそれでもいいんだけど」

「『アリア』?」

 普段とは違うイントネーションで自分の名前を呼んだアリアに、俺は首をかしげる。

「『アリア』って、オペラの『独唱曲』って意味でもあるんだよ。1人で歌うパートなの。1人ぼっち──あたしはどこのていこうでもそう。ロンドンでも、ローマでもそうだった」

「で、ここで俺をドレイにして『デュエット』にでもなるつもりか?」

 アリアの方を見ずにそう言うと、アリアはクスクスと笑った。

 横目で見れば、本当におかしそうに笑っている。

「あんたもおもしろいこと言えるんじゃない」

「面白くないだろ」

「面白いよ?」

「お前のツボは分からん」

「やっぱりキンジ、強襲科ここに戻ったとたんにちょっときし出した。昨日までのあんたは、なんか自分にウソついてるみたいで、どっか苦しそうだった。今の方が魅力的よ」

「そんなこと……ないっ」

 アリアはまた恥ずかしいことを言う。

 おれはアリアの話を聞きたくなかった。

 何か、本当のことを言われてるような気がして──

「俺はゲーセンに寄っていく。お前は1人で帰れ。ていうかそもそも今日から女子寮だろ。一緒に帰る意味がない」

「バス停までは一緒ですよーだ」

 アリアはべーとベロを出して笑う。

 相変わらずにくまれ口をたたいてはいるが、俺を強襲科アサルトに連れ戻したことが本当にうれしいらしい。表情で分かる。分かりやすいヤツだ。探偵科インケスタには向いてないな。

「ねえ、『げーせん』って何?」

「ゲームセンターの略だ。そんなことも知らないのか」

「帰国子女なんだからしょうがないじゃない。んー。じゃああたしも行く。今日は特別に一緒に遊んであげるわ。ごほうよ」

「いらねえよ。そんなのご褒美じゃなくて罰ゲームだろ」

 俺は少し早足に歩いて、アリアを引き離しにかかった。てくてくてく。

 するとアリアはニヤーと笑って、同じ速度で歩いて真横についてくる。てくてくてく。

 腹が立ったので、俺はさらにおおまたになって加速する。ざっざっざっ。

 アリアもスカートをひらめかせてついてくる。ざっざっざざざっ。

「ついてくんな! 今、お前の顔なんか見たくもない!」

「あたしもあんたのバカづらなんか見たくない!」

「じゃあなおさらついてくんな!」

「やだ!」

 だっだっだっだだだだだだだ……

 結局俺たちは真横に並びながら走ってゲーセンに着いてしまった。

 なんだコイツ。異様に足が速い。

「はぁ。はぁ。はぁ。何これ?」

 ツインテールがくっつくぐらい俺の真っ隣に立ちながら、アリアが聞いてきた。

 そのあかひとみで、店先のクレーンゲームを見つめている。

「はぁ……はぁ。ああ、これはUFOキャッチャーだろ」

「UFOキャッチ? なんかコドモっぽい名前。ま、どうせあんたが行くような店のゲームなんだから、下らないに決まってるけど」

 アリアはバカにするような表情でクレーンゲームの中をのぞき込んだ。

 ガラスケースの中には、ライオンだかヒョウだか分からない動物の小さなヌイグルミがうじゃうじゃ入っている。

「…………ぁー……!」

 べた。

 と、アリアはガラスケースにへばりついた。

 背の低さとヌイグルミという背景があいまって、まるで本物の小学生みたいだ。

 こんな姿でゲーセンにいたら、警察に補導されてしまうんじゃなかろうか。

「どうした。そんなに珍しいか」

「……」

「どうしたんだよ」

「…………」

「腹でも減ったのか」

「………………かわいー……」

 なんだ。

 つぶやかれたアリアらしからぬセリフに、おれはちょっと脱力する。

 まあ確かにケースの中のヌイグルミはカワイイが……鬼神の強さを誇る見敵必殺のてい双剣双銃カドラのアリア』様のセリフじゃないだろう、それは。

 おいキャラが違ってるぞ、とツッコもうと思って横からのぞき込むと、口を逆三角形にしてヨダレを垂らしかけている。いかんだろこれは。公開していい顔じゃないぞ。

「やってみるか」

「やり方がわかんない」

「幼稚園児でもできるぞこんなの」

「すぐにできる?」

「できる。じゃあやり方教えてやろうか?」

 俺が言うと、アリアはこっちに向き直ってこくこくこくこくと首を縦にふった。

 なんだこのアリアは。調子が狂う。

 説明するほどのルールでも無かったが、縦ボタンと横ボタンを順番に押せと教えてやると、アリアはトランプがらのがま口を出して100円玉を取り出した。

 そしてきようたいの前で姿勢を正し、げきの授業でもやってるかのような真剣さでクレーンを操作し始める。

 うぃーん……

 ぽと。

 だが、ねらいが悪い。ライオンだかヒョウだかはアリアのクレーンで前足をちょっと上げただけで、持ち上がりすらしない。

「い……今のは練習っ。おかげでやり方が理解できたわ」

「そりゃ1回やればバカでも分かるだろうな」

「もっぺんやる」

 アリアはがま口からもう100円取り出すと、ばし! ばし! とボタンを押した。

 だが、ぽと。

 ヌイグルミは今度はオシリとシッポを少し上げただけだ。こいつヘタだな。

「ちなみに500円入れると6回できる」

「うるさい! 次こそ取れる! コツが分かった!」

 分かってないヤツのセリフだぞ、それ。

 ぽと。

 案の定、またクレーンはヌイグルミをかすめただけだ。

「ぎー!」

「壊れるなアリアっ」

「今度こそ分かった! 本気!」

 ちゃりん。ぽと。ちゃりん。ぽと。

 両替機で1000円札を崩してきて、ちゃりんぽとちゃりんぽと。

「今度こそ本気の本気! 本気本気本気ほ───ん───きぃ───!」

 ダメだコイツ。早くなんとかしないと。

 見た目通りの小学生みたいなヤツだ。

 ギャンブルとかにハマったら身を持ち崩すタイプだな。

「どけ」

 アリアが3000円ぐらい浪費した辺りで、おれはもう見ちゃいられなくなって仕方なしにサイフを取り出した。

 プライドの高い貴族様は涙目になってボタンから手をはなさなかったが、押しのける。

 どれどれ。

 ふむ。

 この、落とす穴に近いヤツが狙い目だな。

 俺は一見取りにくそうな深い所にあるなぞのネコ科動物に狙いを定めた。ケースの中のヌイグルミはどれも同じなので、どれを取っても文句は言われないだろう。

 ぎゅ。

 クレーンは見事、一頭の胴をがっしりつかむことに成功する。

「っ……!」

 ごくり。アリアがノドを鳴らすのが聞こえた。

「お?」

 見れば、ヌイグルミのシッポにはそのさらに下にいたもう1頭のタグがからまっている。

 ぬぬぬぬ……

 クレーンに持ち上げられた1匹のシッポにぶらさがって、もう1匹。

「キンジ見て! 2匹釣れてる!」

 言われんでも見えてる。

 てか、釣れてるって。

「キンジ、はなしたらタダじゃおかないわよ!」

「もうおれにどうこうできねーよ」

「あ……あ、入る、入る、行け!」

 アリアほどじゃないが、俺もちょっとこれにはドキドキする。

 1匹は確実だが、もう1匹は……どうだ?

 どうだ……どうだ?

 クレーンが……

 開く……!

 ぽと。

 っぽと。

 1匹目が穴に落ち、そのシッポに引っ張られるようにして、もう1匹も穴に落ちた。

「やった!」

「っしゃ!」

 これはけっこううれしくて。

 無意識に──

 本当に無意識に。

 ぱちぃ♪

 俺とアリアは満面の笑みで、ハイタッチなんかしてしまっていた。

「「あ」」

 目と目を、見開き合う。

 そして、お互いあわてて「「フンッ」」とそっぽを向き合った。

 クソっ。

 自分に腹が立つ。

 なんでこんなヤツと息が合っちまったんだ?

 アリアは──

「ま、まあバカキンジにしては上出来ね!」

 取り出し口に飛び込みかねない勢いで両手を突っ込むと、中からヌイグルミを2匹わしづかみにして取り出してきた。

 ちょっと見せてもらうと、タグには『レオポン』と書いてある。なんだそりゃ。

「かぁーわぁーいぃー!」

 ぎゅうううう。

 アリアはレオポンを思いっきり握りしめ、抱きしめている。レオポン、破裂しそうだ。

 ……その姿が、あまりにも『普通』の女の子だったので……

 おれはちょっと、なんというか、不思議なここがした。

 アリアは、本当は、もしかしたら、ひょっとすると──

 普通の子なんじゃないだろうか。

 それこそ、さっきアリアが俺に言ったセリフの逆で……

 アリアの方こそ、普段から自分にウソをついてムリをしてるんじゃないだろうか。

 何かが、本当の彼女をゆがめて変えてしまっているんじゃないだろうか。

「キンジ」

 ふと見ると……アリアは2匹のうちの1匹を、俺にぐいっと差し出してきていた。

「1匹あげる。あんたの手柄だからごほうよ」

 ツリ目気味の目をニッコリ細めたアリアに、俺はちょっと驚く。

 コイツ、こんな表情もできるのか。

 チクショウ。

 カワイイ。

「お、おう」

 俺はレオポンを1匹受け取ってしまいながら、やっとそれが携帯のストラップになっていることに気づいた。

 そういえば俺は携帯にストラップを付けたことがなかったな。

 付けてみるか。

 俺は携帯を取り出して、ストラップのヒモを携帯の穴にねじこむ。

 それを見たアリアは、パールピンクの携帯を取り出して自分ももそもそと見よう見まねでレオポンを付け始めた。たまたま、コイツもストラップが無かったらしい。

 レオポンのしりから出ているヒモは中途半端に太く、なかなか携帯の穴に入らない。

 ていうかなんでこんな所にヒモを付けたんだヌイグルミの設計者は。

「先につけた方が勝ちよ、キンジ」

「なんだそりゃ。ガキかお前」

「やったわ、入りそう」

「こっちも……入るぞ、お前なんかに負けねー」

 そういえば、女子から物をもらったのなんて初めてのような気がするな。

 しらゆきが何かにつけ大小の贈り物をくれていた気もするが、あれは幼なじみだからノーカンだろう。

 おれたちはその場で、うんうんうなりながらレオポンくっつけ合戦を繰り広げるのだった。

 我ながらスケール小さいな。


 そうろうがいなくなって──俺の部屋に、平穏が戻った。

 1人ぼっちの平和な寝室で、朝、携帯のアラームに目を覚ます。

 ぎゅ、と携帯をつかもうとしたらレオポンをつかんでいた。

「……」

 レオポンをちょっと眺めてから、俺は、だらだら……と登校の準備をする。

 コンビニ弁当の残りを食べ、昨日から返してもらった腕時計を見ると、

「?」

 まだ少し時間がある。

 けっこうだらだらしていたと思ったんだが。

 じゃあお茶でも飲むか。


 おかしい。

 俺はちゃんと、ちょっと早めに家を出たのに。

 生暖かい大粒の雨が降り始めたバス停にはすでに7時58分のバスが来ていて、生徒たちが押し合いへしあいして乗り込んでいるところだった。

 1時間目の始まる直前に一般校区に着くとあって、いつもこのバスはむ。

 ヘタすると、満員で乗れないこともあるのだ。

「やった! 乗れた! やったやった! おうキンジおはようー!」

 バスに駆けつけると、入り口のタラップで車輌科ロジとうがバンザイしている。

 奥の方はもう生徒でギチギチだ。

 いかん。

 今日は雨ということもあり、チャリ通の生徒たちがいつせいにバスを使ったらしい。

「のっ! 乗せてくれ武藤!」

「そうしたいとこだがムリだ! 満員! お前チャリで来いよっ」

 俺は武藤にもっと中へ行けと手つきで示すが、武藤は逆に押し出されそうになるのをこらえているような状態だ。

おれのチャリはぶっ壊れちまったんだよっ。これに乗れないと遅刻するんだ!」

「ムリなもんはムリだ! キンジ、男は思いきりが大事だぜ? 1時間目フケちゃえよ! というわけで2時間目にまた会おう!」

 2時間目にまた会おう! じゃねーだろ!

 薄情者のとうの声を最後に、バスは無情にもドアを閉めてしまった。

 中から聞こえてくるおしゃべりやら笑い声やらがうらめしい。

 くそっ。この大雨の中、徒歩かよ。しかも遅刻確定じゃねーか。


 大雨の道を、歩く。

 視界の向こうにずっと続く、学園島のぐな道路をにらむ。

 人工浮島メガフロートというものは、そもそも空港のかつそうを安価に造ることを1つの目的として開発されたものだとか。

 道理でこの学校、無駄に細長い迷惑な形状をしているわけだ。

 それだけで不愉快なのに、今日の生暖かい雨。不快指数1000%だ。

 武藤が言うとおり、1時間目はフケてしまおうか。

 いやいや。1時間目は一般校区での国語だ。一般科目は、いずれ普通の高校に転校した時にしっかり授業についていくためにも必要になる。サボりたくはない。

 強襲科アサルトの黒い体育館を横切りながら、そんな事を考えていた時……携帯が鳴った。

「──もしもし」

 レオポンのストラップを引っ張って電話に出ると──

『キンジ。今どこ』

 アリアだ。

 何だ。もう時刻は8時20分。授業は始まっているのに電話とは、どういうことだ。

「んー。強襲科アサルトのそばだ」

『ちょうどいいわ。そこでC装備に武装して女子寮の屋上に来なさい。すぐ』

「なんだよ。強襲科アサルトの授業は5時間目からだろ」

 俺が文句を言うと、アリアは声をあらげた。

『授業じゃないわ、事件よ! あたしがすぐといったらすぐ来なさいッ!』


 俺は自分の姿をにがにがしく見回す。

 ツイストナノケブラー製の防弾ベスト。強化プラスチック製の面あてフエイスガード付きヘルメット。ていこうの校章が入った無線のインカムに、フィンガーレスグローブ。全身のあちこちに食い込むほどしっかりと締めたベルトには、けんじゆうのホルスターと予備の弾倉マガジンが4本。

 SATやSWATにも似たこのC装備とはていがいわゆる『出入り』の際に着込む、攻撃的な装備だ。強襲科アサルトが介入する事件は物騒なものが多く、その際、よくこの装備を指示したりされたりしたものだが──

 ──事件。

 何だ。

 何が起きたんだろう。

 願わくば、小さな事件であってほしい。

 そんなことを祈りながら屋上に出ると、そこには──

 おれと同じC装備に身を固めて、大粒の雨に打たれているアリアがいた。

 アリアは鬼気迫る表情で、何か無線機にがなり立てている。

「……?」

 ふと気がつくと、階段のひさしの下には狙撃科スナイプのレキが体育座りしていた。

 アリアめ。転入生のくせに、いいこまが分かってるな。

 レキは入試で俺と同じSランクに格付けされ──今もSの、狙撃科スナイプの天才少女だ。

 身体からだは細く、身長はアリアより頭半分大きい程度。腕は確かだし外見もショートカットの美少女なのだが、その無感情でロボットっぽい性格のため目立たない女子である。

 ちなみにこいつのみようだれも知らない。本人も知らないらしい。

「レキ」

 置き物のように微動だにしない彼女に声をかけるが、返事はない。

 それもそのはずで、レキはでかいヘッドホンをつけて何かを聞いていた。

 コイツとは去年強襲科アサルトにいたころに何度か組んで仕事をしたことがあるのだが……このあくへき、まだ直ってないらしい。

 コツコツ、と指でその頭をノックすると、レキはようやくヘッドホンを外してこっちを見上げてきた。相変わらず、CGで描いたんじゃないかってぐらいに整った顔だ。

「お前もアリアに呼ばれたのか」

「はい」

 よくようのない、レキの声。

「ていうか、そのヘッドホン。いつも何の音楽を聞いてんだ、お前」

「音楽ではありません」

「じゃあ何だよ」

「風の音です」

 レキはボソッと言うと、かちゃ、とげき銃──ドラグノフという、スリムなセミオートマチック銃だ──を、まるでテニスのラケットか何かのように自然に肩にかけ直した。

「時間切れね」

 通信を終えたアリアが、くる、とおれたちに振り返る。

「もう1人ぐらいSランクが欲しかったとこだけど。ほかの事件で出払ってるみたい」

 俺のランクは、アリアの中では勝手に上方修正されているらしい。

「3人パーティーで追跡するわよ。火力不足はあたしがおぎなう」

「追跡って、何をだ。何が起きた。状況説明ブリーフイングぐらいきちんとしろ」

「バスジャックよ」

「──バス?」

ていこうの通学バスよ。あんたのマンションの前にも7時58分に停留したハズのやつ」

 ──!?

 何だって!?

 あのバスが、乗っ取られたっていうのか?

 あれにはとうを始め、武偵高のみんながスシ詰め状態で乗ってるんだぞ。

「──犯人は、車内にいるのか」

「分からないけど、たぶんいないでしょうね。バスには爆弾が仕掛けられてるわ」

 ──爆弾──

 その単語を聞いて、俺の脳裏を数日前のチャリジャックがよぎる。

 それを感じ取ったのか、アリアは流し目をするようにして俺を見た。

「キンジ。これは『ていごろし』。あんたの自転車をやったヤツと同一犯のわざだわ」

 ──『武偵殺し』……だって?

 聞き覚えのあるその名前に、俺はまゆを寄せる。

 それは、このあいだしらゆきが話題にしてた連続殺人犯の通称だ。

「最初の武偵はバイクを乗っ取られたわ。次がカージャック。その次があんたの自転車で、今回がバス……ヤツは毎回、乗り物に『減速すると爆発する爆弾』を仕掛けて自由を奪い、遠隔操作でコントロールするの。でも、その操作に使う電波にパターンがあってね。あんたを助けた時にも、今回も、その電波をキャッチしたのよ」

「でも、『武偵殺し』は逮捕されたハズだぞ」

「それは真犯人じゃないわ」

「何だって? ちょっと待て。お前は何の話をしてるんだ──」

 おかしい。

 この話はあちこちおかしい。

 だが──

 アリアはビシッとこっちに振り向き、そのツリ目でにらんできた。

「背景の説明をしてる時間はないし、あんたには知る必要もない。このパーティーのリーダーはあたしよ」

 アリアは、ぐい、とおれに胸を張ってみせた。

 その姿を、石像のように立っていたレキがちらりと見る。

「待て……待てよアリア! お前──」

「事件はすでに発生してるわ! バスは今、この瞬間にも爆破されるかもしれない! ミッションは車内にいる全員の救助! 以上!」

「──リーダーをやりたきゃやれ! だがな、リーダーならそれらしくメンバーにきちんと説明をしろ! どんな事件にも、ていは命をけてのぞむんだぞ!」

「武偵憲章1条! 『仲間を信じ、仲間を助けよ』! 被害者はていこうの仲間よ! それ以上の説明は必要無いわ!」

 俺たちの上空から、雨水に混じって激しい音が聞こえてきた。

 ──ヘリの音だ。

 見上げれば、青色の回転灯を付けた車輌科ロジのシングルローター・ヘリが女子寮の屋上に降りてこようとしているところだった。

 アリア……ぎわよく、こんなものまで呼んでいたのか。

 こうなってしまえば、たしかに説明を聞いているヒマはなさそうだ。

「……クソッ。ああやるよ! やりゃいいんだろ!」

 俺が怒鳴るのを見て、アリアはれたツインテールをヘリの風になびかせながら──

 笑った。

「キンジ。これが約束の、最初の事件になるのね」

「大事件だな。俺はとことんツイてないよ」

「約束は守りなさい? あんたが実力を見せてくれるのを、楽しみにしてるんだから」

「言っておくが、俺にはお前が思い込んでいるような力は無いんだぞ。ブランクも長い。

Eランクの武偵を、こんな難易度の高い事件に連れていって本当にいいのか」

「万一、ピンチになるようだったら──あたしが守ってあげるわ。安心しなさい」


 インカムに入ってくる通信科コネクトの話によると、武偵高のバスはいすゞ・エルガミオ。とうらを乗せた男子寮前からはどこの停留所にもまらず、暴走を始めたという。その後、車内にいた生徒たちからバスジャックされたという緊急連絡が入った。

 定員オーバーの60人を乗せたバスは学園島を一周した後、あお南橋を渡ってだいに入ったという。

「警視庁と東京ていきよくは動いてないのか」

 上昇するヘリのごうおんの中で、アリアとインカムを通じて話す。

『動いてる。でも相手は走るバスよ。それなりの準備が必要だわ』

「じゃあ俺たちが一番乗りか」

『当然よ。ヤツの電波をつかんで、通報より先に準備を始めたんだもの』

 フン、と鼻を鳴らしたアリアは愛用の二丁けんじゆうのチェックを行っていた。

 その銀と黒の拳銃は、色が違うだけで同じものらしい。

 あれは──コルト社の名銃・ガバメントを元にしたカスタムガンだろう。あの銃はすでもろもろの特許が切れているから、けっこう自由に改造がきくのだ。

 目立つのはグリップについているピンク貝コンクシエルのカメオで、そこに浮き彫りされた女性の横顔は、どことなくアリアに似ている美人だった。

『見えました』

 レキの声に、おれとアリアはそろって防弾窓に顔を寄せた。

 右側の窓から、だいの建物と湾岸道路、りんかい線が見える。

 しかしこの距離では、車は小さすぎてよく見えない。

「何も見えないぞレキ」

『ホテル日航の前を右折しているバスです。窓にていこうの生徒が見えています』

『よ、よく分かるわね。あんた視力いくつよ』

『左右ともに6・0です』

 サラッと超人的な数字を言ったレキに、俺とアリアは顔を見合わせてしまう。

 ヘリの操縦手がレキの言った辺りへ降下していくと、本当にそこを武偵高のバスが走っていた。速い。かなり速度を出している。

 バスはほかの車を追い越しながら、テレビ局の前を走る。ヘリでそれを追うと、人々が局の中からカメラやケータイでこっちを撮影しているのが見えた。

『空中からバスの屋上に移るわよ。あたしはバスの外側をチェックする。キンジは車内で状況を確認、連絡して。レキはヘリでバスを追跡しながら待機』

 テキパキと告げると、アリアはランドセルみたいなきようしゆう用パラシュートを天井から外し始めた。

「内側……って。もし中に犯人がいたら人質が危ないぞ」

『「ていごろし」なら、車内には入らないわ』

「そもそも『武偵殺し』じゃないかもしれないだろ!」

『違ったらなんとかしなさいよ。あんたなら、どうにかできるハズだわ』

 ──コイツ。

 よく世間から批判されることだが、武偵はじんそくな解決をむねとするため、その場その場での判断で物事を解決する傾向がある。

 だが──アリアのこれは、セオリー無視もいいところだ。非常識と言い換えてもいい。

 要するに有無を言わさず現場に一番乗りして、その圧倒的な戦闘力で一気にカタをつけてしまおうというわけだ。俺……チームメンバーに対する過信も、行きすぎだろう。

 ──アリアがどこの国でも『』になってしまうが、分かった気がした。


 きようしゆう用パラシュートを使いつつ、おれとアリアはほとんど自由落下するような速度でバスの屋根に転がった。

 久々のエアボーンだったので、俺は危うくバスからすべり落ちそうになる。

 その腕を、アリアがつかんで引き留めてくれた。

「ちょっと──ちゃんと本気でやりなさいよ!」

 イラッとした声で叫ぶアリアに、

「本気だって……これでも、……!」

 と返しながら、屋根にベルトのワイヤーを撃ち込み、振り落とされないようにする。

 アリアは自分もワイヤーを使って、リペリングの要領でバスの背面に体を落としていった。

 俺は犯人が車内にいた場合のために、伸縮棒のついたミラーで車内を確認する。車内には生徒がひしめきあっていて、犯人と思われる人物の姿は今のところ見当たらない。

 俺は生徒に窓を開けてもらい、ワイヤーを切り離して車内に入った。

 元々大混乱だった生徒たちは、俺が入ってきたのを見ていつせいに騒ぎ立てる。

 言葉がこうさくし、何を言われているのか分からない。

「キンジ!」

 聞き慣れた声に振り向くと、そこにはさっきバス停で『2限で会おう!』などと言い残して俺を見捨てたとうがいた。

「武藤──2限はまだだが、また会っちまったな」

「あ、ああ。ちくしょう……! なんでオレはこんなバスに乗っちまったんだ?」

「友達を見捨てたからバチが当たったんじゃねーの」

「──あれだキンジ。あの子」

 武藤が指したのは、運転席のかたわらに立つメガネの少女だった。

「と、ととととおやま先輩! 助けてっ」

 涙ぐんでいる。この子は、中等部の後輩だ。

「どうした、何があった」

「い、いい、いつの間にか私の携帯がすり替わってたんですっ。そ、それがしやべり出して」

「 速度を落とすと 爆発しやがります 」

 そういうことか。

 アリアが言った通り、コイツは同一犯のわざだろう。

 俺の、チャリジャックの犯人と──!

『キンジ、どう!? ちゃんと状況を報告しなさい!』

 アリアの声だ。

「お前の言った通りだったよ、このバスは遠隔操作されてる。そっちはどうなんだ」

『──爆弾らしいものがあるわ!』

 その声にバスの後方を背伸びして見ると、窓の外にワイヤーとアリアの足が見えた。

 どうやらさかりになって、車体の下をのぞきこんでいるようだ。

『カジンスキーβ型のプラスチック爆弾Composition4、「ていごろし」のよ。見えるだけでも──さくやくの容積は、3500立方センチはあるわ!』

 気が、遠くなる。

 なんだそれは。過剰すぎる炸薬量だ。

 ドカンといけば、バスどころか電車でも吹っ飛ぶじゃないか。

もぐり込んで解体を試み──あっ!』

 アリアの叫びと同時に、ドン! という振動がバスを襲った。

 生徒たちがもつれ合うようにして転び、悲鳴が連なる。

 あわてて後ろの窓を見ると──

 そこに追突した1台のオープンカーが、グンッ、と退がってバスから距離を取っているところだった。

「大丈夫かアリア!」

 ──応答が無い。

 今の追突で、やられたらしい。

 おれはバスの屋根伝いに後部に回り込むため、慌てて窓から上半身を乗り出した。

 ウォン! というアクセル音に振り向けば、後ろにいたハズの車──真っ赤なルノー・スポール・スパイダーだ──が、横に回り込んできていた。

 その無人の座席からUZIウージーを載せた銃座が、こっちにねらいを──!

「──みんな伏せろッ!」

 車内に叫び、生徒たちが頭を低くした直後──バリバリバリバリッ!!

 無数の銃弾が、バスの窓を後ろから前まで一気に粉々にした。

「うおッ!」

 俺も一発胸にもらい、車内に押し戻される。

 防弾ベストのおかげでケガは無いが……この、ひざりをらったような衝撃。何度経験しても、コイツだけは慣れることができない。

 ぐらっ。バスが妙な揺れ方をしたので運転席を見ると──

「!」

 運転手が、ハンドルにもたれかかるようにして倒れていた。

 肩に被弾している。

 運転のために、体を下げられなかったのだろう。

 バスは左車線に大きくはみ出していく。

 けた対向車がガードレールに接触事故を起こし、火花を散らした。

 ──大混乱じゃねえか……!

 どうすればいいんだ。

 分からない。分からない。、この事態の収拾の方法が──!

ありあけコロシアムの 角を 右折しやがれです 」

 転んだ女子が落とした携帯から、ボーカロイドの声が聞こえてきた。

 さらにマズいことに、バスは──速度を落とし始めている!

「む、とう! 運転を代われ! 減速させるな!」

 おれは防弾ヘルメットを脱いで武藤に投げ、再び窓に手をかけながら叫ぶ。

「い、いいけどよ!」

 武藤はヘルメットを受け取りざまにかぶると、傷ついた運転手をほかの生徒たちと協力して床に下ろし、運転席に入れ替わった。

「オレ、こないだ改造車がバレて、あと1点しか違反できないんだぞ!」

 ヤケクソ気味の武藤の声を背に、俺はバスの屋根に上っていく。

「そもそもこのバスは通行帯違反だ。よかったな武藤。晴れて免停だぞ」

「落ちやがれ! いてやる!」


 豪雨の中、バスは高速でレインボーブリッジに入っていく。

「──こんな爆発物、都心に入らせる気かよ──!」

 俺はいわゆるハコ乗りの状態になりながら、振り落とされないように耐えた。

 ブリッジ入口付近の急カーブに、ぐらり──

 バスは一瞬片輪走行になったが、何とか曲がりきる。

 武藤のかけ声で生徒たちが車の左側に集まり、横転しないよううまく重心を操っていたのだ。さすが武藤。車輌科ロジの優等生だけあるな。

 猛スピードで入ったレインボーブリッジには──車が一台もいない。

 警視庁が手を回したらしい。道路が封鎖されている。

「おいアリア、大丈夫か!」

「キンジ!」

 屋上に登った俺に、ワイヤーを伝って上がってきたアリアが顔を上げた。

「アリア! ヘルメットをどうした!」

「さっき、ルノーに追突された時にブチ割られたのよ! あんたこそどうしたの!」

 俺の頭を指すアリア。

「運転手が負傷して──いま、とうにメットを貸して運転させてるんだ!」

「危ないわ! どうして無防備に出てきたの! なんでそんな初歩的な判断もできないのよ! すぐ車内に隠れ──後ろっ! 伏せなさいよ! 何やってんのバカっ!」

 アリアは突然二丁けんじゆうを抜き、真っ青になっておれに突進してきた。

 ──何が起きた?

 事態が把握できず、背後を振り返ると──

 今度はバスの前方に陣取ったルノー・スパイダーが、UZIウージーをブッぱなすのが見えた。

 自分の顔面めがけて。

 飛んでくる。

 銃弾が。

 ──死んだ。

 本当にそう思った。

 ルノーに応射しながら、アリアが──

 スローモーションのように、その小さな身体からだで俺めがけてタックルしてきて。


  バチッバチッ!!


 被弾音が、2つ。

 視界にせんけつが飛び散った。

 ──が、痛くない。

「アリアっ!」

 ごろごろ、とアリアはバスの屋根の上を転がり、側面に落ちていった。

 アリアが転がった所についた鮮血の跡が、雨水で流れていく。

「アリア──アリアああっ!」

 こんしんの力を込めて、アリアにつながるワイヤーを引っぱる。

 ルノーは速度を落とし、側面に回ってきた。

 マズい──いま撃たれたら、アウトだ──!

 そう思うが……撃ってこない。

 見れば、座席の銃座が壊れている。

 アリアはあの一瞬のこうさくで、ルノーの武器を破壊していたのだ。

『ピンチになるようだったら、あたしが守ってあげるわ』

 あのアニメ声が、俺の脳内でリピートされる。

「アリア──!!」

 絶叫と共に、ピクリとも動かないアリアをバスの屋根に引き上げる。

 その姿におれきもを冷やした時──

 パァン!

 という破裂音が響いた。

 もう一度、パァン!

「!?」

 音に続いてルノーは急激にスピンを始め、ガードレールにぶつかって──ドオンッ!

 バスの後ろで、爆発、炎上した。

 見れば前方、レインボーブリッジの真横に、ていこうのヘリが併走してきている。

 そのハッチは大きく開かれ、ひざちの姿勢でこっちにげき銃を向けているレキの姿が見えた。

 建物の多いだいでは無かった狙撃のチャンスが、今、この大きな橋の上で来たのだ。

『──私は一発の銃弾』

 インカムから、レキの声が聞こえてきた。

 見れば、バスをねらっている。

『銃弾は人の心を持たない。ゆえに、何も考えない──』

 詩のようなことをつぶやいている。

『──ただ、目的に向かって飛ぶだけ』

 これは……強襲科アサルトで、何度か聞いたことがある。

 レキがターゲットをはじく際の、クセだ。

 まじないのようなそのセリフを言い終えた瞬間──

 レキはその銃口を、パッ、パッパッ、と3度光らせた。

 銃口が光るたびにギンッ! ギギンッ! と着弾の衝撃がバスに伝わり、一拍ずつ遅れて銃声も3度聞こえてくる。

 ガンッ、ガンガラン、と何かの部品がバスの下から落ちて背後の道路に転がっていく。

 それは──部品ごとバスから分離された、爆弾。

『──私は一発の銃弾──』

 またレキの声に続いて、銃声。

 ギンッ!

 部品から火花が上がり、爆弾は部品ごとサッカーボールのように飛び上がった。

 そして橋の中央分離帯へ、さらにその下の海へと落ちていく。


  ──ドウウウウッ!!!


 遠隔操作で起爆させられたのか──海中から、水柱が盛大に上がる。

 バスは次第に減速し……まり。

 屋根の上には、ぐったりと動かないアリアと……

 結局なんの役にも立たなかったおれだけが、豪雨に、打たれ続けていた。


 てい病院に入院したアリアの傷は……浅かった。

 運が良かったとしか言いようがない。

 アリアを襲った銃弾は、2発ともひたいをかすめただけで重傷には至らなかったのだ。

 のうしんとうを起こしていたアリアはMRIも撮ってもらったが、脳内出血も無く、外傷だけで済んでいるようだった。

 翌日、報告書を教務科に提出してから武偵病院に行くと──アリアの病室はVIP用の個室だった。そういえばアリアはあれで貴族のお嬢だとかが言ってたな。

 病室には小さいロビーがあって、そこには『レキより』というカードのついた白百合カサブランカが飾られていた。ロボット女のレキが、あんなものを持ってきてたのか。意外だ。

 ……パッチン……パッチン。

「?」

 少しだけ開いていたベッドルームのドアのすき間から、妙な音がする。

 不審に思って中をのぞくと、そこではでかいベッドに座ったアリアが……

 手鏡で、自分のひたいの傷を見ていた。

「……」

 とても集中しているのか、こっちに気づいていない。

 額の傷はまだれが引いておらず、真っ赤に浮き立ってしまっている。

 2発の銃弾はアリアの額に2本の交差する線のような傷跡を残し、いつも自慢するように露出させていた形のいいおでこを台無しにしてしまっている。

 昨日医者に聞いてしまったのだが……あの傷は、どうしてもあとが残ってしまうらしい。

 ──一生消えない、きずあとが。

 パッチン……パチン。

 アリアは涙目で鏡を見ながら、いつも使っていたパッチン留めを付けては直し、付けては直ししていた。

 それを見たおれの胸に、ちくり、と針で刺されたような痛みが走る。

 アリアは……自分の額を、とても気に入っていた。

 そこに、あんな傷をつけられて──つらいだろうな。

「……アリア」

 俺は今来たフリをしつつ、ちょっとドアから離れてノックをする。

「あ、ちょ、ちょっと待ちなさい」

 部屋の中から、がさごそ、と何かあわてた感じの物音がした。

「……いいわよ」

 言われて俺が入ると、アリアははやわざで頭に包帯を巻き直し、工具でけんじゆうをいじっていた。

 ちょっとわざとらしいが、銃を整備してたフリをしてるらしい。

「──お見舞い?」

 そして、露骨にイヤそうな目で俺を見てくる。

「ケガ人扱いしないでよ。こんなかすり傷で入院なんて、医者は大げさだわ」

「レッキとしたケガ人だろ。その額の傷──」

「傷が何だっていうの? なにジロジロ見てるのよ」

「いや、その……それ、あとが残るんだろ」

「だから何? 別に気にしてないわよ。あんたも気にしなくていい。はい整備終わり」

 がしゃ、と拳銃をサイドテーブルに置くと、アリアは腕組みをした。

てい憲章1条。仲間を信じ、仲間を助けよ。あたしはそれに従っただけ。あんただから特別に助けたわけじゃないわ」

「武偵憲章だなんて……そんなキレイ事をバカみたいに守るなよ」

「……あたしがバカだっていうの? キンジの分際で。でも……そうね。こんなバカを助けたあたしは、バカだったのかもね」

 ぷいっ、とそっぽを向いたアリアに、おれは……これ以上この話題で話すのがイヤになって、コンビニの袋を差し出した。

 しばらくの沈黙の後、ふんふん、とアリアの鼻が小さく動く。

「……ももまん?」

 開けてもいないのに、ニオイで分かったらしい。

 アリアはあかいツリ目をぴきっと見開いて振り向く。

「食えよ。売ってあるだけ……5つ買ってきた。好物だろ」

 そう言うとアリアはしばらく黙って袋を見ていたが、がさっ、と奪い取りざまに手を突っ込んだ。

 そして、はむはむはむ……と冷めかけのももまんをがっつく。

 なんか、いの猛獣にけしてるみたいだな。

「ゆっくり食えよ。ももまんは逃げていかない」

「うるふぁい。あたしの勝手でしょ」

 あんのついた唇でにくまれ口をたたくと、アリアは黙々とももまんを食べ続けた。

 てい病院のメシはマズイことで有名だ。きっと、あまり食べていなかったのだろう。

「まあ……食べながら聞け。あの後、犯人が使っていたホテルの部屋が見つかった」

「……宿泊記録は?」

「ない。というか宿泊データが外部からかいざんされてたんだ」

 俺はかばんからクリアファイルを取り出し、アリアのひざもとに置いてやった。

みねを中心に、探偵科インケスタに部屋を調べてもらったよ。だが結論から言うと……犯人像につながるようなこんせきは、何一つ見つからなかった」

「でしょうね。『ていごろし』はケタ外れにこうかつなヤツよ。足跡なんか残すわけがない」

「『武偵殺し』……か。俺はチャリジャックもバスジャックも、『武偵殺し』のかと思ってたんだけどな。なんたって──ヤツは、もう逮捕されてるんだから」

「だから言ったでしょ。それはにん逮捕なのよ」

 俺は……アリアの説に、反論できなかった。

 確かにこれはほうはんなどという低レベルな犯罪者の仕業じゃあなさそうだ。

「あと……そのファイルには俺のチャリジャックの調査結果も添付してある。だが、こっちも正直なにも分からないに等しかったよ。セグウェイもUZIウージーも盗難品だったしな」

「使えないヤツらね。そんな資料、読むだけ時間のムダだわ」

「そう思うんならゴミ箱にでも捨てろ」

 と言ったら本当にファイルをゴミ箱に捨てやがったので、俺はちょっと腹が立った。

 手がかりをつかめなかったとはいえ、理子たちはみんな徹夜で調査してくれてたのに。

「──出てって。もう済んだでしょ」

「?」

「あんたが強襲科アサルトに戻ってから最初の事件。それが済んだんだから、契約は満了よ。あんた、もう探偵科インケスタに戻っていいわ。さよなら」

 ももまんを食べ終えたアリアが、吐き捨てるように言う。

「何だよ……本当に勝手なヤツだな。あんだけ強引に引き込んどいて、用が済んだらそれかよ」

「謝ってほしいの? お金でも払えば気が済む?」

「……おれを怒らせたいのか?」

「さっさと帰ってほしいのよ。1人にして」

「ああ、帰るよっ」

 頭に──血が上ってきたのを感じる。

 なぜこんなに腹が立つのかは分からなかったが、アリアの言葉はいちいち聞いていて苦しかった。

 フン、と俺もそっぽを向き、病室を去ろうとする。

「何よ……」

 ドアノブに手をかけた俺の背中に、アリアがつぶやくのが聞こえた。

「あたしはあんたに、期待してたのに……現場に連れて行けば、また、あの時みたいに、実力を見せてくれると思ったのに!」

「──お前が勝手に期待したんだろ! 俺にそんな実力は無い! それにもう……俺は、ていなんかやめるって決めたんだ! お前はなんでそんなに勝手なんだよ!」

 つい、声をあらげて振り返ってしまう。

 なんでか、コイツが相手だと冷静になりきれない。

 クソッ。なんでだよ。

 俺らしくない。

「勝手にもなるわよ! あたしにはもう時間が無い!」

「なんだよそれ! 意味が分かんねーよ!」

「武偵なら自分で調べれば!? あたしに──あたしに比べれば、あんたが武偵をやめる事情なんて、大したことじゃないに決まってるんだから!」

 

 そう言われて、俺は──

 気がついたら、衝動的にアリアに詰め寄っていた。

 相手が女だということも忘れて、襟首をつかみそうになる。

 ……それをこらえて、手を握りしめた。

 強く、強く、握りしめた。

「な、何よ……何なのよっ」

 初めて見せたおれのその剣幕には……さすがのアリアも、うろたえていた。

 俺はベッドに両手を突き、顔を伏せる。

 ああ。今。俺は。

 ひどい顔をしてるに違いない。

 だれにも、見せたくないような顔を。


 しらゆきにも言われた事だが、うちの家系・とおやま家は代々、正義の味方をやってきた。

 時代によりその職業は違っていたが、ヒステリアモードという特殊な遺伝子の力で──力弱き人々のため、何百年も戦ってきたのだ。

 俺が物心つく前に殉職した父さんも武装検事として活躍していたし、ていだった兄さんだって──俺にとっては、人生の目標となるヒーローだったんだ。

 だから俺は何の疑いもなく、自ら進んで、ていこうに進学した。

 中学ではひどい目にわされたヒステリアモードだって、いずれ父さんや兄さんみたいに使いこなせるようになるだろう──そこまで、前向きに物事を考えられていた。

 ……だが去年の冬、そんな俺の人生を一変させる出来事が起きた。

 うらおき海難事故。

 日本船籍のクルージング船・アンベリール号が沈没し、乗客1名が行方不明となり……死体も上がらないまま捜索が打ち切られた、不幸な事故だ。

 死亡したのは、船に乗り合わせていた武偵……遠山きんいち

 

 いつも力弱き人々のためにほとんど無償で戦い、どんな悪人にも負けなかった兄さんは──警察の話によれば、乗員・乗客を船から避難させ、そのせいで自分が逃げ遅れたのだそうだ。

 だが、乗客たちからの訴訟を恐れたクルージング・イベント会社、そしてそれにきつけられた一部の乗客たちは、事故の後、兄さんを激しく非難した。

 いわく、『船に乗り合わせていながら事故を未然に防げなかった、無能な武偵』と。

 ネットで、週刊誌で、そして遺族の俺に向かって吐かれた、あのぞうごんの数々。

 今でも、夢に見る。

 ──兄さんはなぜ、人を助け、自分が死んだ?

 ──なぜ、スケープゴートにさせられた?

 それは、ヒステリアモードの遺伝子のせいで──武偵なんかをやっていたからだ!

 ああ。武偵なんて、正義の味方なんて、戦って、戦って、傷ついた挙げ句、死体にまで石を投げられる、ろくでもない、損な役回りじゃないか……!

 だからおれは──そんなバカなものになるのを、やめたんだ。

 これからは普通の人間になる。

 生きて、無責任なことを言うだけ言って、平凡な日々をのうのうと送る側になる。

 そう、決めたんだ。

 決めたんだ──そう。


 顔を上げると、アリアは……黙っていた。

 その赤紫色カメリアひとみと目が合った時、俺はアリアに対して抱いてしまう、このどす黒い感情の正体に気付いた。

 ──コイツは、似ているんだ。俺と。

 何か他人には理解しがたい重いものを背負い、ていという道を、俺とは正反対の方向へ全力疾走している。悲壮なまでに。

 俺は逃げようとして、コイツは、立ち向かおうとしている。

 だから──俺はアリアに対して、冷静になれないのだ。

「とにかく……俺は武偵なんてもうめるんだ。学校も、来年からは一般の高校に移る」

「……」

「聞いてるのか」

「分かった……分かったわよ……あたしが、探してた人は……」

 アリアは視線を俺かららし、1つ、長いまばたきをした。

 まるで、書いてはいけなかった文章にピリオドを打つように。

「あんたじゃ、なかったんだわ」

MF文庫J evo

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