2弾 神崎・H・アリア

(……また、やっちまったよ……)

 結局出られなかった始業式の後、おれうつうつとした気分で教務科に事件の報告を済ませ、新しいクラスにトボトボ向かっていた。

 ヒステリアHisteriaサヴァンSavantシンドロームSyndrome

 俺は『ヒステリアモード』と勝手に呼んでいるが、この特性を持つ人間は、一定量以上の恋愛時脳内物質βエンドルフィンがぶんぴつされると、それが常人の約30倍もの量の神経伝達物質を媒介し、大脳・小脳・せきずいといった中枢神経系の活動を劇的にこうしんさせる。

 その結果、ヒステリアモード時には論理的思考力、判断力、ひいては反射神経までもが飛躍的に向上し、うんたらかんたらがどうたらこうたらで……

 まぁ、一言で言うと。

 この特性を持つ人間は、、一時的にまるで人が変わったようなスーパーモードになれるのだ。

 だが、今はもう元に戻ったものの……アリア、すなわち女子の前でヒステリアモードになってしまった事に、俺は激しく落ち込んでいた。

 この体質は本来、絶対、人に知られてはいけないものなのだ。

 特に、女子には。

(女ってのは……おっそろしい生き物だからなー……)

 子孫を残すため、男には女を守る時に大なり小なりパワーアップする本能がある。で、ヒステリアモードとは、それが異常に発達したものらしい。

 そして……その本能のせいなのか、おれはヒステリアモードになると女子に対してフシギな心理状態になってしまう欠点があるのだ。

 1つには──女子を、何がなんでも守りたくなってしまうこと。

 困っている女子・ピンチに陥ってる女子を助けるためなら、この力を使い、求められるままに戦ってやりたくなってしまうのだ。

 そしてもう1つ、きわめて耐えがたいのは──

 その際、女子に対してな言動を取ってしまうことだ。

 これはヒステリアモードの大本にある「子孫を残すため」の本能が働いて、女にとって魅力的な男を演じてしまうということらしいのだが……ヒステリアモードの俺は、女子に優しく接するわ、めるわ、なぐさめるわ、さりげなく触るわ、ああ、後から思い出すたびに死にたくなるような、おっそろしいジゴロキャラになってしまうのだ。

(でもまあ、もっとおっそろしいのは……女の方なんだけどな)

 思い起こせば──中学──がわていこう付属中のころは、最悪だった。

 この体質を知った一部の女子が、俺をすることを覚えやがったのだ。

 ヤツらは俺をあの手この手のイタズラでヒステリアモードにし、こき使った。ある者はイジメを受けたふくしゆうに俺を使い、ある者はセクハラ教師への制裁をさせたりもした。

 つまり俺は……ヤツらにとっての独善的な『正義の味方』にさせられていたのだ。

しらゆきみたいなパターンも、困るんだよな……)

 そんな理由から地元を避け、東京武偵高を受験した朝──

 運の悪さに定評のある俺は、たまたまタチの悪い男たちにからまれて逃げてきた白雪と廊下でぶつかり押し倒してしまうというマンガじみたハプニングに見舞われ……でもいきなり、ヒステリアモードになってしまった。

 で、白雪を追ってきた不良どもをぶちのめし、挙げ句、泣きじゃくるアイツが落ち着くまで、甘い甘い言葉をかけ、優しく慰めてやってしまっている。

 それ以来、アイツの生来のお節介焼き属性には妙な拍車がかかってしまったのだ。

(俺は女なんか、ずっと避けて生きていきたいのに……)

 本やDVDは別にいい。そもそもああいうものには興味が無いし、何より、見なければいいだけの話なんだから。

 だが、生身の女子に関してはそうはいかない。

 ヤツらはブラウスの中、スカートの下に爆弾を秘め、そこらじゅうを歩いているのだ。

(ちくしょう……ホントに、困った病気を遺伝させてくれちまったもんだよ……)

 おれは後ろ頭をがりがりきながら、新しくクラス分けされた2年A組に入った。

 そう、俺の家──とおやま家は、代々この力を遺伝させてきた。

 このあまりにもやつかいで、面倒で、こっ恥ずかしく、そして……

 ──


「先生、あたしはアイツの隣に座りたい」

 俺がクラス分けされた2年A組の、最初のホームルームで──

 気絶しそうなほど不幸なことにあのピンクのツインテールが、いきなり俺を指してそんなことを言ったもんだから。

 クラスの生徒たちは一瞬絶句して、それからいつせいにこっちを見て……

 わぁーっ! と歓声を上げた。

 俺は──

 ずりっ、とイスから転げ落ちる。

 絶句。ただ、ただ、絶句するしかない。

 先生が「うふふ。じゃあまずは去年の3学期に転入してきたカーワイイ子から自己紹介してもらっちゃいますよー」などと前置きをしたから、イヤな予感はしてたんだ。

 そして俺の死角にあった席を立ち教壇に上がったチビがまさにさっきのかんざき・H・アリアだったわけで、もうヒステリアモードも切れて通常モードに戻っていたからどうすればいいのか何も思いつかず、半分は銃撃されるのを覚悟でふるえていた。

 そしたらいきなり『隣に座りたい』ときた。

「な、なんでだよ……!」

 ようやく出てきた声で、つぶやく。

『正義の味方』として利用する腹じゃないだろう。アイツは、俺のヒステリアモードのことに気付いてないハズだし。

 気に入られた──ってワケでもなさそうだ。アイツはさっきの俺に最後まで武器を突きつけて、怒っていたんだからな。

 じゃあ、隣の席に座って、じっくり殺そうってことなのか。

「よ……良かったなキンジ! なんか知らんがお前にも春が来たみたいだぞ! 先生! オレ、転入生さんと席代わりますよ!」

 まるで選挙に当選した代議士の秘書みたいに俺の手を握ってブンブン振りながら、右隣に座っていた大男が満面の笑みで席を立つ。

 身長190近いこのツンツン頭は、とうごう

 おれ強襲科アサルトにいたころよく俺たちを現場へ運んでくれた車輌科ロジの優等生で、乗り物と名のつく物ならスクーターからロケットまで何でも運転できる特技がある。

「あらあら。最近の女子高生は積極的ねぇー。じゃあとうくん、席を代わってあげて」

 先生は何だかうれしそうにアリアと俺を交互に見てから、事情を知らない武藤の提案を即OKしてしまう。

 わーわー。ぱちぱち。

 教室はとうとうはくしゆかつさいを始めてしまった。

 ──違うっ! 俺はアイツの事なんか何も知らない。それどころかアイツはさっきまで俺に銃をブッぱなしてた凶暴女なんだ、だから取り消してくれ──!

 そう先生に抗議しようとした時、アリアが、

「キンジ、これ。さっきのベルト」

 と、俺をいきなり呼び捨てにしつつ、体育倉庫で貸したベルトをほうり投げてきた。

 見れば、向こうの制服は上下共にどこかで調達してきたらしく新品になっている。

 俺がベルトをキャッチすると──

分かった! 分かっちゃった! ──これ、フラグばっきばきに立ってるよ!」

 俺の左隣に座っていたみね理子が、ガタン! と席を立った。

「キーくん、ベルトしてない! そしてそのベルトをツインテールさんが持ってた! これ、なぞでしょ謎でしょ!? でも理子には推理できた! できちゃった!」

 アリアと同じくらい背の低い理子は、探偵科インケスタナンバーワンのバカ女だ。

 その証拠に、ていこうの制服をヒラヒラなフリルだらけの服に魔改造している。たしか、スィート・ロリータとかいうファッションだ。

 ちなみにキーくんというのは珍妙なコイツが俺につけた珍妙なあだ名である。

「キーくんは彼女の前でベルトを取るようなをした! そして彼女の部屋にベルトを忘れてきた! つまり2人は──熱い熱い、恋愛の真っ最中なんだよ!」

 ツーサイドアップにったゆるい天然パーマの髪をぴょんぴょんさせながら、理子はおバカ推理をぶち上げる。

 恋って。お前。

 だがここはバカの吹きだまり、武偵高。

 それでもクラスは大盛り上がりに盛り上がってしまった。

「キ、キンジがこんなカワイイ子といつの間に!?」「影の薄いヤツだと思ってたのに!」「女子どころか他人に興味なさそうなくせに、裏でそんなことを!?」「フケツ!」

 武偵高の生徒はこの一般科目でのクラス分けとは別に、それぞれの専門科目で部活のように組や学年を超えて学ぶ。ので、生徒同士の顔見知り率は高いのだが……

 新学期なのに、息が合いすぎだろお前ら。こういうことになると。

「お、お前らなぁ……」

 おれが頭を抱え、机に突っ伏したとき──


  ずぎゅぎゅん!


 鳴り響いた2連発の銃声が、クラスを一気に凍り付かせた。

 ──真っ赤になったアリアが、例の二丁けんじゆうを抜きざまに撃ったのである。

「れ、恋愛だなんて……くっだらない!」

 翼のように広げたその両腕の先には、左右の壁に1発ずつ穴が空いていた。

 チンチンチチーン……

 拳銃から排出されたからやつきようが床に落ちて、静けさをさらに際立たせる。

 バカは前衛舞踏みたいなポーズで体をよじらせたまま、ず、ずず、と着席。

 ……ていこうでは、射撃場以外での発砲は『必要以上にしないこと』となっている。つまり、してもいい。まあここの生徒は銃撃戦が日常茶飯事のていになろうというのだから、ごろから発砲に対する感覚を軍人並にさせておく必要がある。だから、なのだが……

 新学期の自己紹介でいきなり発砲したのは、コイツが初めてだろう。

「全員覚えておきなさい! そういうバカなことを言うヤツには……」

 それが、かんざき・H・アリアがていこうのみんなに発した──最初のセリフだった。

「──風穴あけるわよ!」


 昼休みになると同時に質問責めのにあったおれは、なんとかクラスのアホどもをまいて理科棟の屋上へと避難した。

 だいたいアリアのことを聞かれても、俺は何も答えられないのだ。初めて会ってチャリジャックから助けられてそれから追っかけ回されたというだけの関係。個人的なことは何も知らないに等しいんだから。

 ためいき混じりにしょぼくれていると……屋上に、何人かの女子がしやべりながらやってきた。

 声に聞き覚えがある。どうやらうちのクラスの、それも強襲科アサルトの女子どもらしい。

 こそっ。俺は犯罪者のように物陰に隠れた。

「さっき教務科から出てた周知メールさ、2年生の男子が自転車を爆破されたってやつ。あれ、キンジじゃない?」

「あ。あたしもそれ思った。始業式に出てなかったもんね」

「うわ。今日のキンジってば不幸。チャリ爆破されて、しかもアリア?」

 1・2・3と並んで金網のわきに座った女子たちは、俺の事を話題にしているようだ。

 俺はにがむしを100匹ほどつぶしたような顔をして、とりあえず静かに身をひそめる。

「さっきのキンジ、ちょっとカワイソーだったねー」

「だったねー。アリア、朝からキンジのことさぐって回ってたし」

「あ。あたしもアリアにいきなり聞かれた。キンジってどんなていなのとか、実績とか。

『昔は強襲科アサルトすごかったんだけどねー』って、適当に答えといたけど」

「アリア、さっきは教務科の前にいたよ。きっとキンジの資料あさってるんだよ」

「うっわー。ガチでラブなんだ」

 俺は渦中の人として、ついつい会話を盗み聞きしてしまう。

 朝から、俺を……ってことは、チャリジャックの直後からストーキングされてたのか。

「キンジがカワイソー。女嫌いなのに、よりによってアリアだもんねぇ。アリアってさ、ヨーロッパ育ちかなんか知らないけどさ、空気読めてないよねー」

「でもでも、アリアって、なにげに男子の間では人気あるみたいだよ?」

「あーそうそう。3学期に転校してきてすぐファンクラブとかできたんだって。写真部が盗撮した体育の写真とか、高値で取引されてるみたい」

「それ知ってる。フィギュアスケートとかチアリーディングの授業のポラ写真なんか、万単位の値段だってさ。あと新体操の写真も」

 何なんだその授業は。本当に大丈夫なのかこの高校。

「ていうかあの子さ、トモダチいないよね。しょっちゅう休んでるし」

「お昼も1人でお弁当食べてたよ。教室のすみっこでぽつーんって」

「うわっ、なんかキモぉー!」

 わいわいと盛り上がる女子たちの話に、気分がどよーんと沈んでくる。

 他人に興味のないおれは、その存在すら知らずにいたが……

 アリアはどうやら、この変人ぞろいのていこうでも浮くぐらいの目立つキャラらしい。


 武偵高校から一般校への生徒の転出には、時期的な制約がある。

 これは生徒が持つ銃器・刀剣を一括して公安委員会に登録するようていほうで定められているためで、更新期の4月にでないと、学校をめられない規則になっているのだ。

 さらに転出を希望する生徒はこの申請を転出の1年前から6ヶ月前までの間に教務科に提出しておかねばならい。そして──俺はその書類を、すでに作ってある。

 間もなくそれを提出して、来年の4月に、ていの世界から足を洗うつもりだ。

(とはいえ……この部屋だけは、惜しいけどな)

 ──夕方。

 クラスのバカどもからようやく解放された俺は、どっかりと自室のソファーに体を沈め、夕焼け空の東京を窓越しに眺めていた。

 今年の1月から、俺は寮のこの部屋に1人で暮らしている。

 ここは本来4人部屋なのだが、俺が転科した事と、たまたま相部屋になる探偵科インケスタの男子がいなかった事でルームメイトはいない。

 これは俺にとって幸運なことだ。

 武偵高の変人どもにジャマされないこの空間で、気ままに、平穏に暮らすのは気分がいい。1人ってのは最高だよ。

(ああ、静かだ……)

 のチャリジャックが、ウソみたいだ。

 あの件に関しては、セグウェイのざんがいが回収し、探偵科インケスタも調査を始めている。

 ……だが、切った張ったが日常茶飯事の武偵高では、殺人未遂程度のことは流されてしまうのが悲しい現実だ。強襲科アサルトでのドンパチに慣れすぎたせいと、アリアのことで丸1日振り回されていたせいもあり、被害者の俺もかなりスルー気味にしてしまっている。

 しかし、あれは一体……何だったんだろう。イタズラにしては悪質すぎる。

 あの『ていごろし』──のほうはんは、爆弾魔だ。

 爆弾魔はこの世で最もれつな犯罪者の一種で、大抵、ターゲットを選ばない。無差別に爆発を起こし人々の注目を集めてから、世間に自分の要求をぶつけるのが一般的である。


 ピンポーン。


 となるとあれはたまたま運悪くおれのチャリに仕掛けられたものなのだろうか。


 ピンポンピンポーン。


 それとも俺個人をねらったものか。だが、何のうらみで?


 ピポピポピポピポピピピピピピピンポーン! ピポピポピンポーン!


 あー! うっせえな!

 だれかがさっきから俺の部屋のチャイムを連射している。居留守を使おうと思ったが、ダメらしい。

 何だ。今日はいろんなことがあって疲れてるんだ。放課後ぐらい静かに過ごさせてくれ。

「誰だよ……?」

 しぶしぶ、ドアを開けると──

「遅い! あたしがチャイムを押したら5秒以内に出ること!」

 びしっ!

 両手を腰にあて、赤紫色カメリアのツリ目をぎぎんとつり上げた──

「か、かんざき!?」

 制服姿の、神崎・H・アリアがいた。

 俺はマンガみたいに目をごしごしこすって見開くが、やっぱりアリアだ。

 なんで コイツが ここに !?

「アリアでいいわよ」

 言うが早いかアリアはケンケン混じりで靴を玄関に脱ぎ散らかし、とてててと俺の部屋に侵入してきてしまった。

「お、おい!」

 俺はそれを止めようと手を伸ばしたが、するっ。ヤツの子供並の身長のせいで、かがんでかわされる。

 しゃら。

 長いツインテールをかすめた指先に、そのなめらかな感触だけが残った。

「待て、勝手に入るなっ!」

「トランクを中に運んどきなさい! ねえ、トイレどこ?」

 アリアは俺の話になんか耳を貸さず、ふんふんと室内の様子を見回す。そして目ざとくトイレを発見すると、てててっ、ぱたん。小走りに入っていってしまった。

 ……いかん。

 ここはていこう

 そして『てい』の語源はそもそも、『武装』だ。

 けられた──ってことらしい。

「てか、トランクって……」

 何がなんだか分からないまま周囲を見回すと、玄関先にはアリアが持ってきたと思われる車輪つきのトランクがちょこーんとちんしていた。明らかにブランドものと分かるロゴの入った、じやたストライプがらのトランクだ。

 ていうか、これもありえん。

 女物のトランクが部屋の前にあるのを近隣の生徒たちに見られたら、後で何を言われるか分かったモンじゃない。

 しらゆきにも言ったが、このマンションは男子寮なんだぞ。

「あんたここ、1人部屋なの?」

 トイレから出てきて手を洗ったアリアは、何が入ってるのか異様に重いトランクを玄関に引きずり入れるおれには目もくれず、部屋の様子をうかがっている。

 そしてリビングの一番奥、窓の辺りまで侵入していった。

「まあいいわ」

 なにがいいのか。

 くるっ──と。

 その身体からだゆうに染め、アリアは俺に振り返った。

 しゃらり。長いツインテールが、優美な曲線を描いてその動きを追う。


「──キンジ。あんた、あたしのドレイになりなさい!」


 ……

 …………

 ………………ありえん。

 ありえんだろ。コイツ。

 いきなり俺を助けたかと思ったら、けんじゆうはブッぱなすポン刀はぶん回す。隣の席に座ってきて、家に押しかけてきて、挙げ句、ドレイになれだ?

「ほら! さっさと飲み物ぐらい出しなさいよ! 無礼なヤツね!」

 ぽふ!

 盛大にスカートをひらめかせながら、アリアはさっき俺が座ってたソファーにその小さなオシリを落とした。ちゃき、と組んだ足のふとももが少し見えて、そこにげてる二丁けんじゆうが片方のぞいた。放課後にも帯銃か。物騒なヤツだ。

「コーヒー! エスプレッソ・ルンゴ・ドッピオ! 砂糖はカンナ! 1分以内!」

 無礼者はそっちだ。

 てか、なんだその魔法のじゆもんみたいなコーヒーは。


 簡単にはご退出願えなさそうなことは直感で分かったので仕方なしにインスタントコーヒーを出してやると、アリアは、

「?」

 と、両手で左右から持ったカップに鼻を近づけてふんふんやった。

「これホントにコーヒー?」

 どうやらインスタントコーヒーを知らないらしい。

「それしかないんだからありがたく飲めよ」

「ずず……ヘンな味。ギリシャコーヒーにちょっと似てる……んーでも違う」

「味なんかどうでもいいだろ。それよりだ」

 おれは自分もコーヒーをすすりながら、テーブルのイスから不法侵入娘に指を向ける。

助けてくれたことには感謝してる。それにその……お前を怒らすような事を言ってしまったことは謝る。でも、だからってなんでここに押しかけてくる」

 口をへの字に曲げて言うと、アリアはカップを持ったまま、きろ、とあかい目だけ動かしてこっちを見た。

「わかんないの?」

「分かるかよ」

「あんたならとっくに分かってると思ったのに。んー……でも、そのうち思い当たるでしょ。まあいいわ」

 よくねえよ。

「おなかすいた」

 アリアはいきなり話題を変えつつ、ソファの手すりに身体からだをしなだれかけさせた。

 なんだか女っぽいその仕草に、俺はちょっと赤くなって視線をらす。

「なんか食べ物ないの?」

「ねーよ」

「ないわけないでしょ。あんた普段なに食べてんのよ」

「食い物はいつも下のコンビニで買ってる」

「こんびに? ああ、あの小さなスーパーのことね。じゃあ、行きましょ」

「じゃあって何でじゃあなんだよ」

「バカね。食べ物を買いに行くのよ。もう夕食の時間でしょ」

 いかん。会話がみ合ってない。

 ていうかここで夕食まで食っていくつもりか。早く帰ってほしいのに。

 おれが頭痛にひたいを押さえていると、アリアはバネでもついてるかのようにぽーん! とソファーからジャンプして立ち上がった。

 そして俺の方にととんと歩いてくると、う、おい、近いよ、と思うぐらい顔を近づけてこっちをあごの下から見上げてくる。

「ねえ、そこってまつもとの『ももまん』売ってる? あたし、食べたいな」


 ていが気をつけなければいけないものが3つある。やみ。毒。そして女だ。

 その3つ目ことアリアはコンビニでももまんをなんと7つも買った。

 ももまんとは一昔前にちょっとブームになった、桃っぽい形をしただけの要するにあんまんなのだが、これではもはや買い占め状態だ。まさかその全部を今食うつもりなのかと思ったらそのまさからしく、テーブルについたアリアはすでに5つ目までを平らげている。その小さな体のどこにそんなにももまんが入る。

 俺はいつものハンバーグ弁当を食べながらこの迷惑な侵入者に「早く帰れ」と目で伝える。だがアリアは俺の三白眼などどこ吹く風で6つめのももまんを食べて、ふにゅうー、とほおに手なんか当ててうっとり味わっていた。そんなにうまかったか、それ?

「……ていうかな、ドレイってなんなんだよ。どういう意味だ」

強襲科アサルトであたしのパーティーに入りなさい。そこで一緒に武偵活動をするの」

「何言ってんだ。俺は強襲科アサルトがイヤで、ていこうで一番マトモな探偵科インケスタに転科したんだぞ。それにこの学校からも、一般の高校に転校しようと思ってる。武偵自体、やめるつもりなんだよ。それを、よりによってあんなトチ狂った所に戻るなんて──ムリだ」

「あたしにはキライな言葉が3つあるわ」

「聞けよ人の話を」

「『ムリ』『疲れた』『面倒くさい』。この3つは、人間の持つ無限の可能性を自ら押しとどめる良くない言葉。あたしの前では二度と言わないこと。いいわね?」

 そう言うとアリアは7つめのももまんをはむっと食べて、指についたあんをなめ取った。

「キンジのポジションは──そうね、あたしと一緒にフロントがいいわ」

 フロントとはフロントマンFrontman、武偵がパーティーを組んで布陣する際の前衛のことだ。

 負傷率ダントツの、危険なポジションである。

「よくない。そもそもなんで俺なんだ」

「太陽はなんでのぼる? 月はなぜ輝く?」

 またいきなり話が飛ぶ。

「キンジは質問ばっかりの子供みたい。仮にも武偵なら、自分で情報を集めて推理しなさいよね」

 子供みたいななりのお前には言われたくない。

 という言葉がノドまで出かかったが、はそれで殺されかけたのでグッと飲み込む。

 ──とにかく、だ。

 1つ分かったことがある。

 こいつとは、会話のキャッチボールが成り立たない。

 ピッチングマシーンのようにぼこぼこ自分の要求ばかり投げつけてくるアリアに対抗するには、こっちも自分の要求を単刀直入に突きつけるしかない。

 そう判断したおれは、態度を少し横柄なものに切り替えた。

「とにかく帰ってくれ。俺は1人でいたいんだ。帰れよ」

「まあ、そのうちね」

「そのうちっていつだよ」

「キンジが強襲科アサルトであたしのパーティーに入るって言うまで」

「でももう夜だぞ?」

「なにがなんでも入ってもらうわ。私には時間が無いの。うんと言わないなら──」

「言わねーよ。なら? どうするつもりだ。やってみろ」

 ぜんとした態度で断ると、アリアはその大きなでギロッと俺をにらむ。

「言わないなら、泊まってくから」

 ──は!?

 俺のほおが、けいれんでも起こしたかのように引きつる。

「ちょっ……ちょっと待て! 何言ってんだ! 絶対ダメだ! 帰れうぇっ」

 驚きのあまりちょっとリバースしてきてしまったハンバーグをなんとか押し戻す。

「うるさい! 泊まってくったら泊まってくから! 長期戦になる事態も想定済みよ!」

 びしっ! と玄関のトランクを指しつつ、俺を睨み、キレ気味に叫ぶアリア。

 てことはあれは宿泊セットだったのか──!

 なんでそこまでする。何が目的なんだ。

 俺なんかを強襲科アサルトに戻して、コイツに何の得がある?

「──出てけ!」

 これは俺のセリフじゃない。

 俺が言うべきセリフを、アリアが先に叫んだのだ。

「な、なんで俺が出てかなきゃいけないんだよ! ここはお前の部屋か!」

「分からず屋にはおしおきよ! 外で頭冷やしてきなさい! しばらく戻ってくるな!」

 ぎぃー! とりようこぶし振り上げて、アリアは俺にネコっぽいけんををむくのだった。


 なんだか知らんが追い出されてしまった。

 おれは夜のコンビニで口をとがらせながらマンガ雑誌を立ち読みし、立ち読みしただけじゃ悪いので1冊買ってから自室に戻った。

 どろぼうのような手つきで、扉をソー……ッと開ける。自宅なのに。

 お?

 アリアの気配がしない。

 リビングやキッチンを見回すが、姿はない。

 よかった。俺の思いが天に通じたようだ。よく分からないが帰ってくれたらしい。

 やれやれ、とあんの息をつきながら、一応外から帰ってきたので手を洗おうと洗面所に向かうと──

 ちゃぽん。

 から、音がした。

 見れば曇りガラスのドアの向こうで、バスルームの電気がいている。

 うっすら見えるちびっこい人影は、浴槽からにょきっと足を出して鼻歌を歌ってる。

 ああ、なんだ。風呂にいたのか。

 ──はい!?

 ────風呂!?

 ずざっ。

 俺は洗面所で後ずさった。

 そうか。風呂に入りたかったから、俺を外に出したのか。

 おそるおそる見下ろせば、プラスチックの洗濯カゴにはアリアの制服がぶち込まれてあった。裏返しになったスカートの内側にはとくようのホルスターがあって、左右のけんじゆうが露出している。さらに、これも裏返った白いブラウスには2本の短い日本刀がのぞいていた。

 ちゃぱあ。

 人影というかアリアが湯船から出る音がして、俺は心臓が裏返りそうになる。

 ありえん。

 ありえんだろ、これ。

 と、パニクった俺の耳に追い打ちをかけてきたのは──


  ……ピン、ポーン……


 、ドアチャイムの音!

 こ、この鳴らし方は。

(し、しらゆき!?)

 あまりにあんまりな展開に、

「う、うおっ!?」

 ドンっ!

 おれは飛び出した廊下で足がもつれ、壁に思いっきりぶつかってしまった。

「キ……キンちゃんどうしたの? 大丈夫?」

 ドアの外から、しらゆきの声がする。

 い、いかん。今の音を聞かれた。

 居留守は使えないぞ。

「あ、ああ。大丈夫」

 平静をよそおって玄関のドアを開けると……

 ばかましろそで──装束の白雪が、何やら包みを持って立っていた。

「な、なんだよお前。そんなカッコで」

 バスルームの方をチラ見しつつ、ぶっきらぼうに応対する。

「あっ……これ、あのね。私、授業で遅くなっちゃって……キンちゃんにお夕飯をすぐ作って届けたかったから、着替えないで来ちゃったんだけど……い、イヤだったら着替えてくるよっ」

「いや別にいいからっ」

 本気で着替えてきかねないムードの白雪を、制止しておく。

 授業、というのはS研の授業のことだろう。

 S研とは超能力捜査研究科SSRという爆発的にアヤシい専門科目の略称で、この巫女さん、詳しくは知らないし知りたくもないがそこでも優等生らしい。

 てか、今はそれどころじゃない。我が家の中が超常現象なのだ。

「ねぇキンちゃん。出てた周知メールの自転車爆破事件って……あれ、もしかしてキンちゃんのこと……?」

「あ、ああ。俺だよ」

 と早口に言うと白雪は文字通り10センチぐらい飛び上がった。

「だ、大丈夫!? ケガとか無かった!? て、手当させて!」

「俺は無事だからっ。触んなっ」

「は、はい……でもよかったぁ、無事で。それにしても許せない、キンちゃんをねらうなんて! 私ぜったい、犯人を八つ裂きにしてコンクリ……じゃない、逮捕するよ!」

 なんか今……セリフの一部に妙な単語が出てきたような気もしたが、空耳だろう。

 そういうことにしておこう。

「い、いいからっ。武偵高ここではドンパチなんて日常茶飯事だろ。この話はこれで終了!」

「は、はい。えっと……はい」

 しらゆきはまだ何か言いたそうだったが、コクリとうなずいた。

 この従順さ、どっかのツインテールアリアにも見習ってほしい。

「……でも……その、今夜のキンちゃん、なんか……ちょっと、ヘンだよ?」

「ヘ、ヘン? どの辺が」

「なんか、いつもより冷たいような気が……」

 ぎく。なんだこの勘ぐり。

「き、気のせいだ! そんなことより用事! 用事は何だよっ?」

 ていうか、本当に早く追い払わないと。

 アリアがバスタオルを巻いて廊下に出てきたりでもしたら、一大事だ。

「あ、あのね。これ」

 白雪はもじもじと、持っていた包みをおれに差し出してくる。

「タケノコごはん、お夕飯に作ったの。今、しゆんだし……それに私、明日から今度はおそれざんに合宿で、キンちゃんのごはん、しばらく作ってあげられないから……」

「あ、ああ。ありがとありがと。よし用事は済んだ。さあ帰ろう。な?」

 俺が包みを受け取ると、白雪はうれしそうに顔をほころばせる。

 そして、ぽわっ、とほおを桜色に染めた。

「い、1日に2食も作っちゃうなんて、な、なんか私、お嫁さんみたいだね……って、何言ってるんだろうね私。あは、あはは。ヘンだね。うん、ヘン! ……キ、キンちゃん、ど……どう思う?」

「分かった分かった! 分かりましたからお引き取りください白雪さん!」

「『』……って、それってつまり、キンちゃん……私……お、お嫁……」

 あせりまくって適当に答えた俺に、白雪はなんでか感激したような顔を上げる。

 ──ちゃぱあ。

 ふるいけや、バスルームから、水の音。

 どきいいいっ。俺の体内で、心臓が肩の辺りまでジャンプした。

「? 中にだれかいるの?」

「中に誰もいませんよ!」

 なぜか敬語になってしまいつつ、力士のつっぱりみたいな動作で白雪を追い出す。

「……キンちゃん。私に、何か隠してることない?」

 なんでか目から光を失わせつつ──白雪が一瞬、無表情になる。

「ない! ないないない! 隠し事なんてありあ、じゃない、ありえねーから!」

「……そう。よかった」

 ニコッ。

 白雪は春風みたいにさわやかな笑顔を作ると、ようやくこっちに背を向けてくれた。

 よ……よかった。

 とりあえず前門のとらが片付いた。

 おれきびすを返して室内に戻ると、タケノコごはんをほっぽってバスルームに駆け込む。

 こうしちゃいられない。次は後門のおおかみだ。

 アリアの凶暴性から考えて、入浴中に俺が帰ってきているところを見つけたら問答無用で襲撃してきかねない。あのけんじゆうと刀を取り上げておかねば。

 そう思って洗濯カゴの前にしゃがみ、わさっ、と手を突っ込んだとき──

 がらりら。

 のドアを、アリア嬢が思いっきり開けはなって下さってしまった。

「「────!」」

 流れる、沈黙。

 見つめ合う、ひとみと瞳。

 ふわ、と、またクチナシのようないい香りが風呂場から香ってくる。

 ツインテールをほどいてロングヘアーになっていた全身つるっぺたのアリアは、

「へ……ヘンタイ……」

 ばっ、と右腕で胸を、左手で……その、おへその下を隠した。

 そして、ぞぞぞわああ。

 俺の両手が女子制服の中に突っ込まれてるのを見て、全身に鳥肌を立てる。

「ち……ちがッ……!」

 俺は武器を抱えて立ち上がり、無実を証明しようとした。

 ──それがいけなかった。

 あまりにもテンパりすぎていて、俺は持ち上げた左右の刀に何か布っきれが引っかかっていることに気づかなかったのだ。

 右の刀に、ひらり。

 左の刀にも、ひららり。

 まるで手旗信号みたいに、アリアの上下の下着が引っかかってそれぞれけいようされる。

 小さなトランプのマークがいっぱいプリントされた、ガキっぽい綿めんの下着が。

「~~~~~死ね!!」

 どごっ!

「ぐっ!?」

 アリアは、こっちがヒステリアモードになってしまうより先に飛びかかってきた。

 シャレにならない角度で入ったまえりが、俺の体を「く」の字に折る。

 下着をもぎとられながらも、決死の思いで武器を放さない俺の顔面に、

「ホントに死ね!! このドヘンタイ!!」

 げすっ!

 反対の足で、ひざりがめり込んだ。

 10センチほど。


 神様。

 一つ聞きたい。

 おれが一体何をした。

 なんでこんな目にわなきゃならないんだ。

 あともう一つ。これなんてエロゲですか。

 って、そんなワケの分からないこと考えてる場合か俺。

『ここから入ってきたら殺す』

 と床に書かれた線をジトーっと見ながら、俺は2段ベッドの下段に入った。

 てかあれ、明らかにマジックで書いてあるぞ。油性の。

 うらめしげに向かいにもう1基ある2段ベッドの上段を見上げると、だらーんと片方のツインテールが垂れていた。ちくしょう。あれを思いっきり引っ張ってやりたい。

「……ふふっ……ももまんピラミッド……」

 じゅるっ。

 眠りは深いタイプなのか、アリアはうっとりした寝言とヨダレを垂らす音まではなちやがった。ああ、イラつく。ていうかピラミッドって何だピラミッドって。

 ここはおれの部屋だ。本来、凶悪な侵略者なんぞに気をつかう必要は全くない。

 が、ピンクの薄いキャミソールみたいなパジャマ(ネグリジェっていうのか、あれ)に着替えたアリアは二丁けんじゆうたずさえてベッドルームに入っている。

 そんなアリアの後を眠いからといってすぐに追えるわけもなく、こっちはまず向こうが寝付くのをもんもんと待つしかなかったのである。

 ここは元々4人部屋なので、2段ベッドが2基ある。まあ当然と言うべきかアリアは俺から最も遠い向かいのベッドの上段に陣取ったわけだが、なんか床にブービートラップらしきリード線と対人地雷のようなものが見えるのはきっと幻覚だろう。そう、思おう。

 それにしても、本当に迷惑なヤツだ。

 勝手に俺の生活に侵入してきて、なわりまで作って、言うに事欠いて──

 ──強襲科アサルトに戻って、一緒にてい活動をしろ、だと?

 俺は将来、特にやりたいことはない。

 何になったっていい。何にもなれなくたっていい。

 

 

 そう思いながら、俺は……落ち着かない気分で、眠りに、落ちて、いった。


「バカキンジ! ほら起きる!」

 がすっ!

 腹にいきなり入れられたハンマーパンチに続いて、

 ぐしゃ!

 たまらず目を覚ました俺の顔面に、さらに足が飛んできた。

 そのままぐりぐりぃーと、アリアは黒いオーバーニーソックスの足で俺の顔を踏みにじってくる。

 窓が明るい。もう朝だ。

!」

「朝ごはん! 出しなさいよ!」

「し……る……か!」

 俺は顔に押しつけられたアリアのアンヨを両手で押し返す。

「おなかすくじゃない!」

「すかせこのバカ!」

「バカ──ですって!? キンジの分際で!」

 分際でってなんだ分際でって。

 おれはぶんぶん振り回されるパンチをかわしながら、回転受け身を取ってベッドから降りざまに寝室を出た。

 なんで起床するだけでこんな007みたいなマネをする必要があるんだこの部屋は。

「おなかが減った! へったへったへったへったへったあああ!」

「そんだけ大声出せりゃ食う必要はねえ!」

 ぎゃあぎゃあ言いながら襲いかかるアリアの手足をけ、止め、受け流しながら着替えを済ませ、携帯やらけんじゆうやらを身につけ、かばんをつかむ。

 なんだか強襲科アサルトにいたころの格闘訓練みたいだ。

 ぶん! と繰り出されたハイキックを玄関でしゃがんでかわし、靴をいて──ハタと俺は立ち止まる。

「アリアっ」

 みゃうー! となおもパンチを繰り出そうとするアリアの、たまご肌のおでこを手で押さえる。

 ぐい、と押し返すと、リーチの差のおかげで向こうのパンチはぶんぶんと空を切るばかりだ。

 よし。なんかコイツをいなすコツが少しつかめてきた気がするぞ。

 などと慣れてる場合じゃないんだが。こんな状況には。

「なによぅ」

 手が届かないことで少しおとなしくなったアリアが、むー、と俺をにらみ目線で見上げてくる。

「登校時間をずらすぞ。お前、先に出ろ」

「なんで」

「なんでも何も、この部屋から俺とお前が並んで出てってみろ。見つかったら面倒な事になる。ここは一応、男子寮ってことになってんだからな」

「うまいこと言って逃げるつもりね!」

「同じクラスなんだし隣の席だ俺たちは! 逃げようがないだろ!」

 言ってて自分の不幸が悲しくなってきたが、事実なんだからしょうがない。

 アリアは、むぅうううう。

「そんな風船みたいにむくれてもダメだ。別々に部屋を出るぞっ」

「やだ! 逃がすもんか! キンジはあたしのドレイだ!」

 アリアは俺の腕に両手でしがみつき、絶対はなさないぞ! の構えを見せる。

「は……な……せ! この!」

「がぅ!」

 がぶ。

 なんとアリアがけんき、おれの手をんできやがった!

「いっだだだだ!」

 お前はライオンか!

 アリアの口から手を引っこ抜きつつ腕時計を見れば、7時54分。

 いかん。58分のバスに遅れる。

 バカやってる場合じゃない。

 今日からはあのバスを絶対に逃せないんだ。

 なぜなら俺のチャリは粉みじんになっちまったんだからな。

「この……疫病神……め!」

 俺は仕方なしに、へばりついたアリアをズルズル引きずりながら部屋を出る。

 迷惑なヤツ! 迷惑なヤツ! 迷惑なヤツ! ああ、ちくしょう! でも甘ずっぱい、いいニオイがしやがる! なんてぶちぶち考えながら。


 マズい。

 このままではマズい。

 いま俺は、ワケの分からないインベーダー・アリアに日常生活をブッ壊されつつある。

 今の目標である『平凡な普通人』になるためにも、まずは平穏な日常を取り戻さなければならない。

 というわけで俺は5時間目以降の時間をかして、アリア対策を練ることにした。

 ていこうでは1時間目から4時間目まで普通の高校と同じように一般科目の授業を行い、5時間目以降、それぞれの専門科目に分かれての実習を行うことになっている。

 アリアは、強襲科アサルトで戦闘訓練を受けるのだろう。

 そのすきに俺は、アイツの目の届かないところでじっくりと抵抗運動の準備をするのだ。

 そう思って、校外へ自然に出て行くために久々に探偵科インケスタで仕事の依頼も受けてきた。

「キーンジ」

 探偵科インケスタの専門棟を出たところで俺を待ち伏せしていたに、俺はひざから崩れ落ちる。

 ガーンだな……出鼻をくじかれた。

「なんで……お前がここにいるんだよ……!」

「あんたがここにいるからよ」

「答えになってないだろ。強襲科アサルトの授業、サボってもいいのかよ」

「あたしはもう卒業できるだけの単位をそろえてるもんね」

 アッカンベー。

 あかひとみをむいてベロを出したアリアに、気が遠くなる。

 女子が、それも美少女が、校舎を出るのを待ってくれていた。これは全国の男子高校生にとってあこがれのシチュエーションだろう。しかしその女子が事あるごとに二丁けんじゆうおどしてくるような凶暴娘の場合は、シチュエーション不成立と言わざるをえない。

「で、あんた普段どんなクエストを受けてるのよ」

「お前には関係ないだろ。Eランクていにお似合いの、簡単な依頼だよ。帰れっ」

 ていこうの生徒は、一定の訓練期間の後、いきなり民間から有償の依頼を受けることができるようになる。街で事件の現場に偶然居合わせたら、それを解決しても良い。

 で、それらの実績と各種試験の成績にもとづいて、生徒にはA~Eの『ランク』が付けられる。その上にはさらにSという特別なランクがあって、入試の時、おれはそのSに格付けされている。

 まあ、あれは……しらゆきのせいで、ヒステリアモードになっていたおかげなのだが。

「あんた、いまEランクなの?」

「そうだ。1年3学期の期末試験を受けなかったからな。ていうか、俺にとっちゃランクなんてもうどうでもいいんだよ」

「まあ、ランク付けなんて確かにどうでもいいけど。それより、今日受けた依頼クエストを教えなさいよ」

「お前なんかに教える義務はない」

「風穴あけられたいの?」

 イラッとした表情のアリアが拳銃に手をかける。

「今日は……猫探しだ」

「猫探し?」

あおに迷子の猫を探しに行くんだよ。報酬は1万。0・1単位分の依頼だ」

 俺は、探偵科インケスタの掲示板に張り出されていた中で一番安くて地味な依頼を選んでいる。

 それを正直に伝えれば、アリアも興味を失ってくれるかと思ったが──ダメなようだ。

 ふーん、なんて言いながら、逃げるように歩き出した俺の横についてきた。

「ついてくんな」

「いいから、あんたの武偵活動を見せなさい」

「断る。ついてくんな」

「そんなにあたしがキライ?」

「大っキライだ。ついてくんな」

「もっぺん『ついてくんな』って言ったら風穴」

 風穴をあけられるのもイヤだったしもう何も言う気力がかなくなってしまった俺は、仕方なしにアリアを引き連れたままモノレールで青海まで移動した。

 かつて倉庫街だった青海地区は再開発され、今は億ションとハイソなブティックが建ち並ぶオシャレな街になっている。

「で、猫探しっていうけど、あんたどういう推理で探すのよ」

「別に。猫の行きそうなところをしらみつぶしに歩くだけだ。ていうか……お前こそ何か案でも出せ。おれに聞くぐらいなら、何かあるんだろ」

「ないわ。推理はニガテよ。一番の特徴が、遺伝しなかったのよねえ」

 つまらなそうに言うアリアは、形のいいおでこの下から俺をうわづかいに見た。

「ていうか、おなかへった」

「さっき昼休みだったろ。メシ食わなかったのかよ」

「食べたけどへったのっ」

 燃費の悪いヤツだな。

「なんかおごって」

「いきなり足を引っぱりやがるのかよ……」

 そういえば……

 今日は適当な依頼を選ぶのに手間取ったせいで、俺も昼を抜いていた。

 まあ、ついでだ。また撃たれるのも嫌だし、マックでも買ってくるか。


 女王様がご要望なさったギガマックセットを、ドレイの俺が買って戻ってくると……

 アリアは、高級ブティックのボンキュッボンなマネキンをぼけーっと見ていた。

 マネキンが着ているキラキラしたサニードレスと、自分の体を交互に見ている。

 ……ぷっ。

 あの視線。なるほど。ああいうのにあこがれているんだな。

 寄りも上がりもしない小学生みたいな体型のくせに。

「おい」

「──あ」

 振り返ったアリアは、俺が含み笑いしていたのに気付いたらしい。

 ぶわあああ、と赤くなって両手をぶんぶん振った。

「──ち、ちがうの! あ、あたしはスレンダーなの! これはスレンダーっていうの!」

「まだ何も言ってないだろ」

 そう言い捨てて、俺は道の反対側にあった公園に入っていく。適当なベンチを見つけてマックの紙袋を置くと、アリアは何か言いたげな顔をしてどしんと隣に座ってきた。

 ひらり。ていこうの赤いスカートがひらめき、中のホルスターが一瞬見えた。車輌科ロジとうがパンチラならぬガンチラと名付けていた現象である。アイツは本当にバカだと思う。

 けんじゆうをスカートの内側に隠し、緊急時にはそれを素早く出さねばならないため、武偵高の女子は概してスカートが短い。アリアのスカートもその例に漏れず、やたら短かった。

 だが、これっぽっちもうれしくないのはコイツのなりが小学生みたいだからだろう。

。この公園を探す間は、もっと離れて歩いた方がいいぞ」

 もぐもぐと肉肉しいハンバーガーをほおりながら会話する。

「辺りを見りゃ分かるだろ」

 おれは飲みさしのギガコーラをベンチに置き、視線で周囲を示す。

 この公園では──いつも、あちこちに若いカップルがたむろしている。

 海も近いし、新しくてキレイだし、いわゆるデートスポットとして有名な場所なのだ。

 最初の調査場所にここを選んだのは、もちろんあおで唯一の公園ということで猫がいそうだったこともあるが、この状況を見たアリアが俺から離れて歩いてくれるだろうという計算もあった。

 それはある程度正解だったらしく、アリアは……

「あ……」

 向かいのベンチに座っている大学生らしきカップルが寄せ木細工みたいにひっついているのを見て、ポテトをタバコっぽくくわえたまま一瞬硬直した。

 そして俺の方を見て、もっぺん向こうのカップルを見て、また俺を見て、ぶわあああ。真っ赤になった。コイツ、赤面癖があるんだな。

「……う。う!」

 ベンチの前を腕を組みながら歩いていったカップルを見たアリアは、あわてて1人で腕を組んだ。間違っても俺と腕を組みたくないらしい。

「ほらな。もう帰った方がいいぞアリア。こんな所を2人で歩いてたら、またキンジとアリアはつきあってるとか言われちまうだろ。俺はとにかく目立ちたくないんだ。お前だって、好きな男とかいたら誤解されちまうぞ」

「す、好きな男なんて!」

 アリアはルビーみたいなあかひとみをまんまるに見開いて、アニメ声を裏返らせた。

「い、い、いないっ! あたしは、れ、恋愛なんて──そんな時間のムダ、どうでもいい! ホントに、ホンっトに、どうでもいい!」

 ……過剰反応するなよ。ガキじゃないんだから。

 どうやら恋愛がらみの話題には相当弱いタイプらしいな。

 弱点を一つ発見だ。

「でも、友達とかにヘンな誤解されたくないだろ」

「友達なんて……いないし、いらないっ。言いたいヤツには言わせればいいのよ。他人の言うことなんてどうでもいい」

 じゅるううううー。

 アリアは照れ隠しのためか、ギガコーラのストローをくわえて思いっきり飲んだ。

「他人なんてどうでもいい、ってのにはまあ賛成だがな。一言、言いたいことがある」

「なによ。けぷ」

「それはおれのコーラだ」

 ぶぼあ!

 アリアはいま食道を通過しようとしていたコーラを噴き出した。

 きたねーな。花も恥じらう女子高生とは思えん。

 じと、と見ていた俺を、アリアは真っ赤になって──

「このヘンタイ!」

 いきなりぶん殴ってベンチから吹っ飛ばしやがった。

 おい。どう考えても理不尽だろこの流れは。


 夕方。ようやく迷子の猫を見つけた。

 公園の端、ドブというか運河というかの水辺にいたのだ。

 にぃ、にぃ、と弱々しく鳴いていた子猫は依頼の資料にあった通りの特徴をしていて、写真にあったちっちゃな鈴もつけていた。あの猫で間違いないだろう。

「よーし。おとなしくしてろよー……」

 運河に落ちたゴミ箱に入り込んでいた猫は、俺が近づくと最後の力を振り絞ってフーと威嚇するような声を上げてきた。こらこら。俺は敵じゃない。お前を助けに来たんだよ。

 ガサガサと紙くずや空き缶の中に手を突っ込んで、毛を逆立てた子猫を取り出す。

「よしよし。良かったな。これで一安心だぞ」

 ……久々に作った笑顔が、そんなにぎこちなかったんだろうか。

 俺と目が合った子猫は、にぃー! と鳴くと、逃げようといた。

「お、おい……おっ、うぉっ!」

 じゃぶ!

 俺は猫を抱っこしたまま、運河のあさに派手にひっくり返ってしまう。

 念のため携帯やけんじゆうを岸に置いておいたのは、不幸中の幸いだったな。

「……ヘンねぇ?」

 テトラポッドに腰掛けて俺を見下ろしていたアリアが、ため息をつくのが見えた。


 迷子の猫探しで0・1単位をもらった──その翌日。

 メールで呼び出しておいた通り、理子は女子寮の前の温室にいた。温室とはつまりでかいビニールハウスで、いつも人けがなく、秘密の打ち合わせには便利な場所なのだ。

「キーくぅーん!」

 バラ園の奥で、がくるっと振り返る。

 コイツはアリアと同じくらいチビだがいわゆる美少女の部類に入る。ふたえの目はキラキラと大きく、緩いウェーブのかかった髪はツーサイドアップ。ふんわり背中に垂らした長い髪に加えて、ツインテールを増設した欲張りな髪型だ。

「相変わらずの改造制服だな。なんだその白いフワフワは」

「これはていこうの女子制服・白ロリ風アレンジだよ! キーくん、いいかげんロリータの種類ぐらい覚えようよぉ」

「キッパリと断る。ったく、お前はいったい何着制服を持ってるんだ」

 そう言われて指を折り折り改造制服の種類を数え始めた理子を見下ろしつつ、おれかばんから紙袋で厳重に隠したゲームの箱を取り出した。

「理子こっち向け。いいか。ここでの事はアリアには秘密だぞ」

「うー! らじゃー!」

 びしっ。

 理子はキヲツケの姿勢になり、両手でびびしっと敬礼(?)ポーズを取る。

 苦い顔で俺が紙袋を差し出すと、理子は袋をびりびり破いていった。ふんふんふん。あらい鼻息。まるでケモノだな。

「うっっっわぁ───! 『しろくろっ!』と『しろつめくさ物語』と『マイゴス』だよぉー!」

 ぴょんぴょん跳びはねながら理子が両手でぶんぶん振り回しているのは、R-15指定、つまり15歳以上でないと購入できないいわゆるギャルゲーである。

 ──服装から分かる通り、理子はオタクだ。

 しかし世間一般のオタク女子と違うことには、こいつは女のくせにギャルゲーのマニアという奇特な趣味の持ち主なのだ。中でも特に自分と同じようなヒラヒラでフワフワの服を着たヒロインが出てくる物に強い関心を示す。

 もちろん理子も15歳以上なのでこれらのゲームを買うことはできる。しかし先日、理子はゲームショップも兼ねている学園島のビデオ屋でR-15のゲームを売ってもらえなかったとぶちぶち言っていた。バイトのお姉さんが理子の身長を見て中学生と判断したらしい。そこで代わりに俺が買ってきてやったというわけだ。

 こんなものを買うのは死ぬほど恥ずかしかったし店員のお姉さんにはあらぬ誤解を受けてしまったに違いないが、これもアリア対策のためだ。

 ──アリアはなぜ、俺をドレイにしたがるのか?

 アイツを追い払うために最初に解き明かすべきは、そのなぞなのだ。

 何か明確な理由があるのなら、それを一刻も早く取りのぞかねばならない。

 で、その理由をアイツが教えてくれない以上、こっちでアイツのことを多角的に調べ、推測して対処するしかない。てい同士の戦いは、まず情報戦と相場が決まってるからな。

「あ……これと、これはいらない。はこういうの、キライなの」

 あれ。すべて理子好みのパッケージだったハズなんだが。

 ぶっすぅー、と、ふくれっつらで理子が突っ返してきたのは『マイゴス』の2と3、続編だ。

「なんでだよ。これ、ほかと同じようなヤツだろ」

「ちがう。『2』とか『3』なんて、べつしよう。個々の作品に対するじよく。イヤな呼び方」

 ……ワケの分からないヘソの曲げ方をしやがるな。

「まぁ……とにかく、じゃあ続編以外のそのゲームをくれてやる。そのかわり、こないだ依頼した通り、アリアについて調査したことをきっちり話せよ?」

「──あい!」

 理子はバカだ。まごうことなきバカだ。しかし探偵科インケスタで知ったのだが、このバカ、バカなりに1つだけ長所を持っている。ネット中毒患者な上にノゾキ・盗聴盗撮・ハッキング等々といったまことに武偵向きの趣味を持った理子は、情報収集が並外れてうまいのだ。言うなれば現代の情報である。おかげで武偵ランクはAだとか。

「よし、それじゃあとっととしろ。おれはトイレに行くフリをして小窓からベルトのワイヤーを使って脱出してきたんだ。アリアにバレてそくされるのは時間の問題なんだからな」

 俺は周囲を見回してから、ちょうど足のつく高さにあったさくに腰を下ろす。

 はゲームをなんでか服の中にしまいつつ、ちょっとジャンプしながらおれの隣に座ってきた。向こうは足が地面につかないらしくひざしたがぷらぷらしてる。

「ねーねー、キーくんはアリアのおしりかれてるの? カノジョなんだからプロフィールぐらい自分で直接聞けばいいのに」

「カノジョじゃねえよ」

「えー? 2人は完全にデキてるってうわさだよ? 朝、キンジがアリアと腕を組んで寮から出てきたっていうんで、アリアファンクラブの男子が『キンジ殺す!』って大騒ぎになってるんだもん。がおー」

「指でツノを作らんでいい」

 腕を組んで……って。あの朝のことか。

 あれはしがみついて離れないアリアを引きずってただけなのに。

「ねえねえ、どこまでしたの!?」

「どこまでって」

「えっちいこと」

「バカ! するか!」

うそつけぇー! 健全な若い男女のくせにぃー!」

 理子は満面の笑みで、俺のわきばらひじで突いてきた。

「……お前はいつも話をそっち方向に飛躍させる。悪いクセだぞ」

「ちぇー」

「それより本題だ。アリアの情報……そうだな、まずは強襲科アサルトでの評価を教えろ」

「はーい。んと……まずランクだけど、Sだったね。2年でSって、片手で数えられるぐらいしかいないんだよ」

 理子の話に、俺は別段驚きはしなかった。

 アリアの、チャリジャックの時の身のこなし。

 あれはどう考えても常人のレベルじゃなかったからな。

「理子よりちびっこなのに、徒手格闘もうまくてね。流派は、ボクシングから関節技まで何でもありの……えっと、バーリ、バーリ……バリツゥ……」

「バーリ・トゥードか」

「そうそうそれ。それを使えるの。イギリスでは縮めてバリツって呼ぶんだって」

 俺は体育倉庫でアリアにぶん投げられた時のことを思い出す。

 確かにあれはすごかった。ヒステリアモードだったのに、受け身を取るのが精一杯だった。

けんじゆうとナイフは、もう天才の領域。どっちも二刀流なの。りようきなんだよあの子」

「それは知ってる」

「じゃあ、2つ名も知ってる?」

 2つ名──豊富な実績を誇る有能なていには、自然と2つ名がつく。

 アリアは弱冠16歳にして、すでに2つ名を持っているのか。

 知らない、という顔をこっちがすると、はニヤリと笑う。

双剣双銃カドラのアリア」

 ──双剣双銃カドラ

 てい用語では、二丁けんじゆうないし二刀流のことは、ダブラと呼ぶ。

 これは英語のダブルから来ているのだが、そこから類推するに4つカトロの武器を持つという意味の2つ名なのだろう。

「笑っちゃうよね。双剣双銃だってさ」

「笑いどころがよく分からないんだが……まあいい。ほかには……そうだな、アリアの武偵としての活動について知りたい。アイツにはどんな実績がある?」

「あ、そこはスゴイ情報があるよ。今は休職してるみたいなんだけど、アリアは14歳からロンドンのていきよく武偵としてヨーロッパ各地で活動しててね……」

 少し声をシリアスにさせながら、理子はその大きなおれを見上げてきた。

「……その間、一度も犯罪者を逃がしたことがないんだって」

「逃がしたことが──ない?」

ねらった相手を全員捕まえてるんだよ。99回連続、それも全部たった1度のきようしゆうでね」

「なんだ……それ……」

 信じられない。

 犯罪者の逮捕などという仕事が武偵に降りてくる際は、たいてい警察の手には負えないようなヤツを押しつけられるのが常だ。武偵はそれをしつこく何度も追って(これを武偵用語で強襲という)、やっと逮捕するものなのだが。99回も連続で、一発逮捕とは……

 ……そんなバケモノみたいなヤツに追われてるのか、俺は。

 そう思うと気がってきそうだったので、俺は話題を変えることにした。

「あー……他には。そうだな、体質とか」

「うーんとね。アリアって、お父さんがイギリス人とのハーフなんだよ」

「てことはクォーターか」

 どうりで髪も眼も赤いし、日本人離れしてぱっちりした二重まぶたなわけだ。

 そもそも名前も、『かんざき・H・アリア』だしな。

「そう。で、イギリスの方の家がミドルネームの『H』家なんだよね。すっごく高名な一族らしいよ。おばあちゃんはDameデイムの称号を持ってるんだって」

「デイム?」

「イギリスの王家が授与する称号だよ。じよくんされた男性はSirサー、女性はDameデイムなの」

「おいおい。ってことはあいつ貴族じゃねーか」

「そうだよ。リアル貴族。でも、アリアは『H』家の人たちとはうまくいってないらしいんだよね。だから家の名前を言いたがらないんだよ。は知っちゃってるけどー。あの一族は、ちょっとねぇー」

「教えろ。ゲームやっただろ」

「理子は親の七光りとかそういうの大っキライなんだよぉ。まぁ、イギリスのサイトでもググればアタリぐらいはつくんじゃない?」

おれ、英語ダメなんだよ」

「がんばれやー!」

 と、俺の背中をたたこうとしたらしい理子のちっこい手が──

 ぶんっ。

 思いっきり空振った。

 そして、ばし、と俺の手首をブッ叩く。

「うぉっ?」

 がちゃ。

 その勢いで、俺の腕時計が外れて足元に落ちた。

 ……拾い上げると、金属バンドの三つ折れ部分が外れてしまっている。

「うぁー! ごっ、ごめぇーん!」

「別に安物だからいいよ。だいで1980円で買ったヤツだ」

「だめ! 修理させて! 理子にいっぱい修理させて! 依頼人クライアントの持ち物を壊したなんていったら、理子の信頼にかかわっちゃうから!」

 俺から腕時計をむしり取ると、理子はセーラー服の襟首をぐいーっと引っぱって開け、すぽっと胸の間にそれを入れてしまった。

 お、おいおい……と、俺は目をらす。

 い、今。でかかったな。

「キンジ? ほかには?」

「……あ、いや、もうそのぐらいでいい」

 女の前でヒステリアモードにはなりたくなかったし、胸元を見てしまったのを勘付かれたら面倒そうだ。俺はあわててそう言うと、そそくさと温室を後にした。

 金色か。世の中にはいろんな色の下着があるんだな。


 マンションに戻ると、窓から見渡す『学園島』をゆうが金色に染めていた。

 ていこうとその寮、生徒向けの商店だけが乗っているこの人工浮島メガフロート、元々は東京湾岸の再開発に失敗して叩き売りされていた土地らしい。

 その証拠に、レインボーブリッジを挟んですぐ北にある同じ形の人工浮島はいまだに空き地で、見たまんま『』とあだ名されている。

 そのがらんとした人工浮島メガフロートの南端には仕方なしに立てられた風力発電機がノンキに回ってたりして──うん。のどかだ。キライじゃないぞ。この光景。

『太平洋上で発生した台風1号は、強い勢力を保ったまま沖縄上空を北上しています』

 ニュースを垂れ流す液晶テレビが、かえってこの部屋のここよい静けさを際立たせる。

 ああ、いい部屋だよ。ここは。

 今、ここに女子がいることをのぞいてはな。

「遅い」

 ぎろ、とソファーから頭を傾けてこっちを見てきたアリアは、鏡を持っていた。

 ヒマつぶしに枝毛でも探していたらしい。

 アリアは仕上げにか前髪を上げてパッチンと銀色の髪留めでまとめ、おでこを出した。

 なんかガキっぽい髪留めだが、チビかわいい見た目にはよく似合っている。

 たまご肌のおでこはチャームポイントだと、自分でも分かってるんだろうな。

「どうやって入ったんだ」

 愚問のような気もしたが、おれは抗議の意思表示として一応聞いておく。

「あたしはていよ」

 ほら愚問だった。

 ここのカードキーを偽造したのだろう。かぎけは武偵技術の基礎中の基礎だからな。

「それともあんたはレディーを玄関先で待ちぼうけさせる気だったの? 許せないわ」

「逆ギレするようなヤツはレディーとは呼ばないぞ、でぼちん」

「でぼちん?」

ひたいのでかい女のことだ」

「──あたしのおでこの魅力が分かんないなんて! あんたいよいよ本格的に人類失格ね」

 アリアは大げさに言うと、べー、とベロを出した。

 ああ。分かってる。分かってるんだよ、本当は。お前はわいい。

 見 た 目 だ け は な 。

「この額はあたしのチャームポイントなのよ。イタリアでは女の子向けのヘアカタログ誌に載ったことだってあるんだから」

 アリアは俺に背を向けると、楽しそうにまた鏡をのぞきこんで自分のおでこを見た。

 ふんふん♪

 鼻歌まで始める。

 俺は不機嫌さのアピールとして、かばんをアリアの隣にほうり投げてやった。だがアリアも慣れたもので、へーぜんと自分の額をご満悦で眺め続けている。

「さすが貴族様。身だしなみにもお気をつかわれていらっしゃるわけだ」

 おれは洗面所に入って、ちょっとイヤミな調ちようで背中越しに言ってやった。

 するとアリアは、

「……あたしのことを調べたわね?」

 と、なんでかうれしそうにやってくる。

「ああ。本当に、今まで1人も犯罪者を逃がしたことがないんだってな」

「へえ、そんなことも調べたんだ。ていらしくなってきたじゃない。でも──」

 そこまで言うとアリアは壁に背中をつけ、ぷらん、とかたあしでちょっとるような仕草を見せた。

「──こないだ、1人逃がしたわ。生まれて初めてね」

「へえ。すごいヤツもいたもんだな。だれを取り逃がした?」

 おっと。の情報にもマチガイがあったか。

 俺はコップに水をくみ、うがいを始める。

「あんたよ」

 ぶっ!

 俺は水を盛大に噴きだしてしまった。

 俺、って、ああ、あのチャリジャックの後でのことか!

「お、俺は犯罪者じゃないぞ! なんでカウントされてんだよっ!」

きようわいしたじゃないあたしに! あんなケダモノみたいなマネしといて、しらばっくれるつもり!? このウジ虫!」

 ドレイからケダモノ、さらにウジ虫か。とどまるところを知らないな俺の評価下落は。

「だからあれは不可抗力だっつってんだろ! それにそこまでのことはしてねえ!」

「うるさいうるさい! ──とにかく!」

 びしっ! とアリアは真っ赤になりながら俺を指さした。

「あんたなら、あたしのドレイにできるかもしれないの! 強襲科アサルトに戻って、あたしから逃げたあの実力をもう一度見せてみなさいっ!」

「あれは……あの時は……偶然、うまく逃げられただけだ。俺はEランクの、大したことない男なんだよ。はい残念でした。出ていってくれ」

「ウソよ! あんたの入学試験の成績、Sランクだった!」

 ──ぐ。

 そうきたか。

 やはり武偵は情報戦。そこを握られてしまうと、やりにくくなりそうだ。

「つまりあれは偶然じゃなかったってことよ! あたしの直感に狂いは無いわ!」

「と、とにかく……ムリだ! 出てけ!」

? ってことは何か条件でもあるの? 言ってみなさいよ。

 言われて──かあああっ、と。

 おれは、赤くなってしまう。

 協力してあげる、って。

 もちろんアリアは俺のヒステリアモードのトリガーを知らないから気軽に言ったんだろうが──こっちにしてみれば爆弾発言なんだぞ、それ。

 要するに俺を、『性的に興奮させる』って意味なんだからな!

「教えなさい! その方法! ドレイにあげるまかない代わりに、手伝ってあげるわ!」

「……!」

 ──つい。

 俺の脳裏を、アリアに『手伝わせてる』いろんな光景がよぎってしまう。

 今さらながらに考えてみれば、俺とアリアはこの部屋に2人っきりで──

 いつの間にか日はとっぷりと暮れ、電気をつけてなかったから室内は薄暗く。

 なんだ。やめろ。それ以上考えるなキンジ。

! 教えて……教えなさいよ、キンジ……!」

 ずずいっ! と俺に詰め寄ってきたアリアから、ふわ。

 また、クチナシのような女の子らしい香りが俺のこうをくすぐってきて。

 俺は──

「うっ……」

 マズイことになってきた。

 余計なことを考えたせいか、ヒステリアモードに、なりかけてきた。

 ぢから、というのだろうか。

 アリアのつぶらな赤紫色カメリアひとみは、それはそれはキレイで、愛らしくて──

 俺はまたあの感覚……体のしんに、熱く、どうしようもない血がたぎっていくような感覚に襲われる。

 ──イヤだ。

 なりたくない。

 あんなモードになんか……俺は、なりたくないんだよ!

「──!」

 ドン!

 と、俺は無意識にアリアを押しのけていた。

 アリアは、きゃっ、とアニメ声で短い悲鳴を上げ、ソファーにしりもちをつく。

 ひらり。盛大に舞い上がった短いスカートからは、すんでの所で目をらした。

 事ここに至って、俺はやむなく……

 アリアに、白旗をげることにした。

「……1回だけだぞ」

「1回だけ?」

 だが、無条件降伏じゃない。

 条件付き降伏だ。

「戻ってやるよ──強襲科アサルトに。ただし、組んでやるのは1回だけだ。戻ってから最初に起きた事件を、1件だけ、お前と一緒に解決してやる。それが条件だ」

「……」

「だから転科じゃない。自由しゆうとして、強襲科アサルトの授業を取る。それでもいいだろ」

 スカートを直したアリアの方に向き直ると……アリアは形のいいおでこをこっちに向けて、何か考えていた。

 ていこうでは、自分が在籍していない専門科目の授業も自発的に受けることができる。

 これは自由履修と呼ばれ単位には反映されないのだが、多様な技術が求められる『武偵』という仕事に就くため、生徒たちは割と流動的にいろんな科の授業を受けているのだ。

 優秀な武偵のアリアは、自分のドレイ……ごまを、欲しがっている。猛烈に。

 そしてヒステリアモードのおれに出会い、取り逃がしたことで、目を付けたのだ。

『こいつなら、自分の有能なドレイとして使えるかもしれない』と。

 そこまでは仕方ない。トランプでいえば、もう、アリアに取られてしまったカードみたいなもんだ。

 だが、まだこっちにも伏せているカードがある。

 ヒステリアモード、だ。

 その詳しいことがバレる前に、俺は、通常モードの平凡な俺をアリアに見せつけてやればいい。

 そうすれば、アリアは大したことのない俺に失望して、離れていってくれるだろう。

「……いいわ。じゃあ、この部屋から出てってあげる」

 俺の譲歩案に、やっと──疫病神が、出ていく宣言をしてくれた。

「あたしにも時間がないし。その1件で、あんたの実力をきわめることにする」

「……どんな小さな事件でも、1件だぞ」

「OKよ。そのかわりどんな大きな事件でも1件よ」

「分かった」

「ただし、手抜きしたりしたら風穴あけるわよ」

「ああ。約束する。全力でやってやるよ」

 通常モードの俺の全力で、な。

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