4 ストラトキャスター、紅茶

 ほう、教室からさっさと消えてしまう真冬の行き先については、彼女が転入してきて以来一年三組最大のなぞとされていた。

ばこに靴残ってたから、すぐ帰ってるわけじゃないと思うんだけど」

「いいんちょ何時に帰ったの?」

「んー、五時くらい」

「あたししよくいんしつらへんで見たよ、あいつ」

 朝のホームルーム前、まだ登校してこない真冬の机のまわり(つまりぼくのすぐ横)に女子どもが集まって情報交換していた。ほっとけよ。

「美術せんたくだから絵くの好きなのかと思って、美術部さそったらさあ……わけのわかんないこと言って逃げた。なにあいつ」

「ていうかあの、授業でもなんにもしないよね。クロッキー帳開いてじっとしてるの。頭おかしいんじゃないの?」

「音楽選択すればいいのにね。先生も困ってるっつの」

 ふゆの評判はじゆん調ちように下がっているようだった。当然といえば当然だ。

「変態さん、なんか知ってるんじゃないの?」

 いきなりぼくに話が振られる。

「その呼び方やめてくれないかな……」

「じゃあえびさわさんひようろん」「うわーなんかストーカーみたい」

「それもやめて」

「間を取って変態評論家?」

「間取るな!」真冬の根も葉もない言いがかりのせいでぼくの人生はがけっぷちだった。「入学する前に一回ったことあるだけだよ。なんにも知らない」

 なんだよその疑わしそうなせんは。

 れいが鳴っても真冬は教室に姿を現さなかった。毎度のことだがあきも来ていない。毎朝、どこかでドラムの練習をしているのだそうだ。ドラムスティックとメトロノームと古雑誌があればどこでも練習できるのがドラマーのいいところ。

 本鈴が鳴り終わり、先生がしゆつせき簿を閉じたしゆんかん、教室の後ろの戸がやかましく開いた。

「セーフ! セーフだよね?」と言いながらけ込んできたのは千晶だ。なぜか手を引かれて真冬が続いて入ってくる。むすっとした顔で、千晶の手を振り払う。

二人ふたりとも間に合ったことにしてあげるから早く席に着いて」と、先生はやさしい。たぶん千晶だけだったらようしやなく遅刻にしていただろう。

「悪いノート見せてダッシュで写すから!」

 席に着くなり千晶はぼくの予習ノートをひったくる。

「なにしてたの? 二人で」とぼくはその必死な背中に小声でいてみた。

「三階の渡り廊下で練習してたら、なんか蛯沢さん迷子まいごになってて」

「迷ってたわけじゃない」真冬がつぶやいた。ぼくは彼女の顔をそっと横目でうかがう。むくれて、ちょっと赤くなっている。そういやこいつ方向おんだっけ。たしかに広い学校ではあるけれど、自分の教室に行くちゆうで迷うほどとは。

今日きようは音楽準備室に寄ってて、それで帰り道が……」

「はいはい授業始めるから二人ともだまってね」先生が言ったので教室じゅうから含み笑い。

 音楽準備室? なんの用があったんだろう、といつしゆんだけいぶかったが、宿題だったところを先生にいきなりあてられたので、千晶からノートを取り返すのに専念しなければならなかった。



 ほう、いつものように千晶のしつこいかんゆうから逃げ出し、図書室に寄って本をまとめて返してから裏庭のはいおくに行った。校舎の角を曲がってしようきやくの煙突が見えてきたとき、不意にエレクトリックギターのすさまじいはやきが聞こえてきた。

 ぼくが使っていたの方からだ。いつしゆん、前の日にCDをかけっぱなしにしてそのまま帰ってしまったのかと思った。やばい。でも、ドアまでけ寄ってみてそうじゃないことに気づく。部屋の中から流れてくるせんりつは、ぼくがよく知っている──けれど、一度もいたことのないものだった。

 リストのハンガリー狂詩曲第二番えいたん調ちよう

 ピアノ独奏のなんきよくだ。とてつもない速度で連打される同一音の下をれんきよくのメロディが駆けめぐる。それをギターでいてるのだ。なんだこれ。こんなとんでもねえCDなんか持ってない──いや、これ、なま演奏だ。今、だれかが、このドアの向こうで、ぼくの改造したコンポのアンプにエレクトリックギターを直接つないで弾いている。

 ぞっとした。だってこんなのひとりで弾けるわけがない。手が四本あったって足りない。でも、聞こえてくるのは一本のギターのひびきだけだ。だれが……?

 ノブを握る。

 そのときぼくの頭の中にふと浮かび上がったのは、きさらしのゴミ捨て場に埋もれたグランドピアノのかげだった。

 ノブを斜め下に押し込みながら回した。ぎちゃ、と汚らしい金属音がして、ロックがはずれるごたえが返ってくる。引き開けた瞬間、音楽はぶっつりとれた。

 長机の上に腰掛けたふゆは、ぽかんと口を開けてぼくを見つめていた。そのひざから、ニスりのギターがすべり落ちそうになる。ぼくもたぶん同じような顔をしていたと思う。

 なんで──真冬が。ぼくの(勝手に使ってた)部屋で。しかもギターで。なんだこれは。どこから夢だったんだまさか春休みにゴミ捨て場で彼女とったところから全部──

「……な」

 真冬の方が先にわれに返って声をらした。ぼくもはっとして後ずさる。

「え、あ、いや、……ちょっと待てやめろギターで殴ったら死ぬぞ!」

 ストラトの重いボディを振りかぶって顔をにして迫ってくる真冬から逃げるようにぼくはドアを閉めた。

「……なんでここにいるの! 変態! ストーカー!」

 ドアの上のすきから真冬のきんきん声。おまえこそなんでここにいるんだ。

「ここはぼくが前から使ってたんだけど、なんで勝手に」ぼくも勝手に入ったけど。

「わ、わたしはむこうじま先生に許可もらってるから」

「え」

 向島先生は麻紀ちゃんと呼び親しまれ恐れられている若い音楽教師だ。そうか、それで音楽準備室に寄ってたのか。いや、でもなんで使用許可がもらえるんだ? ていうかひょっとしてぼくも頼めば許可出たのか。

「どこか行って早くっ!」

 そう言われても、ぼくだってこのにCDをいっぱい持ち込んだりコンポを改造したりとんを用意したりと、住みやすくする努力をしてきたのだ。消えろと言われてハイそうですかというわけにはいかない。

「……えっと、どういうこと? なんで先生が」

 返事のかわりに、巨大なつめかべいたような音が返ってくる。ギターのフィードバック音だ。やめろアンプがこわれる。

 ぼくはため息をついてドアからはなれた。



 校舎に戻って廊下を歩いているうちに怒りがこみ上げてきた。ぼくの場所なのに後からやってきて居座るとはどういうりようけんだ。こうなったら先生の方に文句言ってやる。しかしその怒りは、音楽準備室の入り口まで来たところでしぼんでしまった。引き戸にはおおつきケンヂの大判ポスターがってある。先生はきんにくしようじよたいのファンなのだが、それにしたってしよくいんようの部屋の入り口にこんなもんを掲示するなんて許されていいのだろうか。

 ぼくは大槻ケンヂとにらみあいながらしばらく頭を冷静にしようと努めた。となりの音楽室からは、すいそうがくの合奏練習が聞こえてくる。『A列車で行こう』のやけに遅いメロディ。

 なにせ無断使用していたのだ。先生に文句言ったらやぶへびじゃないか。

 ううん、だからってこのまま引っ込むのも──

「なあに? 私に用事?」

 後ろから声がかけられて、ぼくはびっくりして、大槻ケンヂの顔にひたいをぶつけるところだった。振り向くと麻紀先生がにこやかに微笑ほほえんで立っていた。白いブラウスにタイトスカートというテンプレートな服装が恐ろしいくらい似合うこの人は、陰でエロ女教師と呼ばれ、美術か書道をせんたくしてしまった一年生男子をたいへんくやしがらせるのだが、実際に授業を受けてみると音楽選択こそ後悔したくなる。

「え、あ、いや用事ってわけじゃ」

「まーまー入って入って。おちやにしようかと思ってたの、どう?」

 先生は準備室にぼくの背中を強引に押し込んだ。

 音楽準備室は通常の教室のちょうど半分の広さで、がくがぎっしり並んだ棚やアップライトピアノが置かれているせいでだいぶぜま

「じゃあポットにお湯入ってるから。ティバッグその引き出しね。あとカステラ切って」

 全部ぼくがやるのかよ。

「あ、カップは一つでいいよ。カステラは三つね」

「え? 先生飲まないんですか」

「なに言ってんの? 私だけ飲むの。だれもあなたのぶんがあるなんて言ってないよ」

 絶句。

「どうしてもっていうなららしのティバッグをしゃぶらせてあげよう」

 らないよ。帰ろうかな、もう……。

 先生はぼくの肩をどつき、じようだんだと言って笑った。二人ふたり分のおちやとお菓子の準備を済ませてぼくがようやくに腰を下ろしたところで先生はいきなり切り出した。

「音楽科棟のことでしょ?」

 ぼくは一口ふくんだ紅茶をき出しそうになった。

「な、なんで知って」

「あらあら。全部知ってるよ、あなたが二週間前から勝手に使ってることとかCDデッキ改造して外部入力取り付けたこととかラジオのアンテナ引いたこととかとんなかなか座り心地ごこちがいいとか」

「ああああああああああ」

 ぼくは机の下にかくれようかと思った。もうだめだ殺される。

「きれいに掃除してくれてるから、まあ、ほっといたんだけど。私しか気づいてないし」

「ごめんなさいごめんなさいもうしません」

「それにふゆちゃんがそのまま使うのにちょうどよかったからね」

 ぼくは頭を抱えていた両腕をほどいて先生の顔を見た。

「そのことで文句言いに来たんじゃないの?」と先生は笑う。

「いや……だって文句言える筋合いじゃ」

「べつに使ってもいいよ。ふゆちゃんに特例で認めちゃった以上、あなたにだけっていうわけにもいかないし。仲良くね」

「いや無理ですそれは」

 というか、事情がさっぱりわからない。

「ひょっとして先生と真冬って知り合いなんですか?」

「そう。おとうさんの教え子なの、私。それで昔は真冬ちゃんともよく遊んでて」

 先生の顔は、少しさびしそうになる。

「真冬ちゃん、ちょっといろいろあってね……うちに転校してくることになって、それでほうひとりで使えるがほしいっていうから。ぶっちゃけ理事の娘のわがままってことなんだけど、べつにだれかにめいわくかけるわけじゃないし」

「はあ」つまりしよくいんしつ公認なのか、あれは。

「だからあなたも、真冬ちゃんがいつしよならあそこ使ってOK」

 たたき出されるのがオチだろう。

「でも、なんでギターやってんですか? ピアノもうやめたってのはほんとう? だって音大付属に行く予定だったんですよね。なんでうちに」

「それは私からは言えない」先生は急にまじめな顔になった。「本人が知られたくないと思っている以上はね。ほんとは……あんなこと、やめた方がいいと思うんだけど、でもそれは真冬ちゃんが決めることだから」

 さっぱりわけがわからなかった。かといって真冬が話してくれるわけもないし。

 そんなことより、あの部屋をこれからどうするかの方が大問題だった。普通にばれて怒られて使用禁止を言い渡されたのならあきらめもつくんだけど。でも真冬がギターいてる横でCDくなんて、もういろんな理由で無理だよなあ。

「一緒に使おうって話してみたらいいじゃない」

「話しただけでギターで殴り殺されそうになるんですけど?」

「あなたってほんとにあきらめるの早いね。若い子がそんなことじゃだめだよ?」

 先生からわけのわからん説教をいっぱい浴びた後で、ぼくは準備室を出た。

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