第26話:種馬騎士、悪役王女と邂逅する


 逃げ損なった——というのが、そのときのラスの正直な感想だった。

 本来なら水龍を撃破してすぐに、この大渓谷を立ち去るべきだったのだ。


 それができなかったのは、帯煉粒子アウロンの枯渇のせいだった。

 王都からグラダージ大渓谷までは、約四百五十キロ。通常の狩竜機シャスールの移動速度なら、休みなしで走り続けても四時間はかかる距離である。

 魔狼マナガルム形態のヴィルドジャルタは、その距離を一時間足らずで駆け抜けたあと、さらに単機で龍種ドラゴンを戦う羽目になったのだ。


 そして極めつけは、ラスが最後に放った黒の剣技だった。

 あれでヴィルドジャルタの帯煉粒子アウロンは完全に底を突いてしまったのだ。

 なまじ煉核出力が高いぶん、すっからかんになった帯煉粒子アウロンの回復には、相応の時間がかかるらしい。

 ラスも知らなかったヴィルドジャルタの意外な欠点だ。


 とはいえ、回復に要したのは、三分にも満たないわずかな時間である。

 しかしティシナ王女は、そのわずかな時間で配下の狩竜機シャスールを動かし、ラスを完全に包囲していたのだった。まるでヴィルドジャルタの動きが止まることを、最初から知っていたかのような見事な采配だ。

 

 その王女は、護衛どころか侍女すらつけずに、たった一人でヴィルドジャルタの前に立っている。そして狩竜機シャスールから降りてきたラスを見て、彼女は、なぜか懐かしむように目を細めた。


「あなたが、その黒い狩竜機シャスールの搭乗者ですか?」


 王女が、親しげな口調でラスに呼びかけてくる。

 彼女の前に片膝を突きながら、なるほど、とラスは納得していた。

 噂になるだけあって、ティシナ・ルーメディエンは美しい少女だった。

 精緻な銀細工を思わせるフィアールカの端整な容姿とも違う、雪の結晶のような透明感と儚げな雰囲気の持ち主だ。


 彼女が着ているのは、軍服風の簡素なドレス。

 宝石などの装飾品もほとんど身につけていない。

 己に自信がなければ、出来ない振る舞いだろう。それでいて王女としての威厳は充分に備わっているのだから、まるで根拠のない自信というわけでもない。


「シャルギア王国第三王女、ティシナ・ルーメディエン・シャルギアーナです。龍討伐への助力に感謝します」


 ティシナがスカートの裾を摘まんで、礼をする。

 血生臭い戦場には似つかわしくない所作だが、それに違和感を抱かせないのは、彼女の持つ清浄な雰囲気のせいだろう。実際の性格はどうあれ、たいしたタマだ、とラスは感心する。


「私のような下々の者に寛大なお言葉を賜り、恐悦至極に存じます」


 ラスは顔を伏せたまま、遜った口調で王女に応えた。

 ここにいるのは、あくまでも異国の傭兵タラス・ケーリアンだと言い張ることにしようと考えたのだ。

 銘入りの狩竜機シャスールに乗る平民というのは珍しいが、前例がないというほどではないし、ヴィルドジャルタはヴィルドジャルタで貴族の乗機らしい優雅さとは無縁だ。

 余裕で誤魔化しきれるだろう、とラスは楽観的に考えていた。


 だがそんな甘い考えは、王女の言葉で軽く吹き飛んでしまう。


「アルギル皇国の筆頭皇宮衛士ともあろう御方が下々の者とは、不思議なことを仰いますね、ラス・ターリオン・ヴェレディカ極東伯令息殿?」

「っ……⁉︎」


 自分の正体をあっさり言い当てられて、ラスは思わず固まった。

 動揺したのは、王女を背後から見守っていたシャルギアの兵士たちも同じだった。


「アルギルの筆頭皇宮衛士だと!? そうか、それであのような強力な狩竜機シャスールを……!」

「待て。それよりもラス・ターリオンとは、もしや例の極東の種馬ザ・スタリオンか⁉︎」

「気に入った女を寝取るためにいくつもの犯罪組織を潰したという噂の……」

「やつは剣の間合いに入っただけで女を妊娠させると聞いたぞ!? そんな男を殿下に近づけて大丈夫なのか?」


 王女がいるにもかかわらず、好き勝手なことを言い出す兵士たち。彼らの言葉を聞いて、ラスはさすがにげんなりとした表情になった。

 まさか極東の種馬ザ・スタリオンの悪評が、隣国にまで轟いているとは思っていなかったのだ。


「シャルギア王国テグネール伯爵領領主、ギリス・テグネールだ」


 俯いて笑いをこらえている王女に代わって、厳つい顔つきの貴族がラスに話しかけてくる。

 おそらく彼が王女のお目付役なのだろう。現役の煉騎士というわけではなさそうだが、なかなかの面構えの人物だ。


「ターリオン殿。皇国の兵である貴公が、なぜこのような場所にいる?」

皇国うちの皇太子の命令でね。ティシナ王女殿下の護衛を任された」

「護衛だと?」

「正確にいえば、暗殺阻止だな。アルギル国内の暗殺組織が、王女殿下の暗殺を目論んでいるという情報が入ってきた」


 ラスは素直に事情を明かした。

 皇国アルギルの国益だけを考えるなら伏せておくべき情報だが、王女の暗殺を防ぐには、本人も命を狙われていることを知っておいたほうがいいはずだ。


「なるほど。それで王国内で潜入捜査をしていたというわけか」


 ラスの意図を察して、ギリスが唸る。

 いまだ非公開の情報とはいえ、ティシナはいずれ皇国アルギルに嫁ぐことになっているのだ。皇国筆頭皇宮衛士のラスには、彼女を守る正当な理由がある。ギリスもそれを理解しているのだろう。


「貴公らにも思うところはあるだろうが、王女殿下に万一があった場合に困るのは皇国も同じだ。身分を偽っていたことについては、大目に見てもらえるとありがたい」


 ラスはそう言って立ち上がる。

 正体がバレてしまった以上、平民のふりを続ける理由もない。

 それにラスは遅かれ早かれ、ティシナ王女と交流する必要があったのだ。

 彼女を口説き落とすというもう一つの任務ミッションを果たすためにも、ここからは王国シャルギア側と協力して動いたほうがいい——ラスはそう判断する。


「そうですね。水龍討伐の功績に免じて、あなたの密入国については不問にしましょう」


 ティシナが思わせぶりに微笑んでラスを見た。

 そして彼女は、すべての表情を消して冷ややかに告げる。


「ですが、あなたが罪人であることに変わりはありません。今すぐにこの国から出てください。あなたの狩竜機シャスールならば、明日には国境を越えられるでしょう」

「なに……?」

「姫様、それは……」


 ラスが困惑に息を呑み、ギリスですら驚いたように声を震わせた。


「いいのか? 命を狙われてるのは、あんたなんだぞ?」

「私は立ち去れと命じましたよ。それとも王宮を通じて、正式に皇国に抗議しましょうか?」


 ティシナを正面から見つめるラスに、彼女は淡々と言い放つ。

 二人の視線が交錯したのは、ほんの数秒のことだった。先に目を逸らしたのはラスのほうだ。


「わかった。あなたの下知に従おう」

「当然のことですね」


 王女が満足そうにうなずいて言った。

 彼女がなにを考えているのかはわからない。しかしティシナが、戦力としてのラスを必要としないというのなら、ラスにはその判断を覆す説得材料がない。

 ラスは溜息をつきながら王女に背を向けて、ヴィルドジャルタに乗りこもうとした。

 そんなラスを、ティシナが不意に呼び止める。


「ああ、それとひとつ忘れていました、ラス・ターリオン殿。これを見ていただけますか?」

「え?」


 ティシナが自分の右目を指さしながら、ラスの前に歩み寄ってくる。

 ラスは酷く戸惑いながらも、彼女の瞳を覗きこもうとした。


 その直後——


 王女の両手がラスの頬を包みこみ、少し背伸びした彼女の唇がラスの唇へと押し当てられた。

 

 ギリスがこぼれんばかりに両目を見開いて絶句し、おお、と周囲の兵士たちがどよめきを洩らす。そして硬直したまま立ち尽くすラスに、王女は微笑みながら告げたのだった。


「これは王国シャルギアの民を守ってくれたあなたへの、私からのお礼です。あなたに会えてよかった」


      ◇◇◇◇


「本当に、あの男を帰してよろしかったのですか、姫様?」


 漆黒の狩竜機シャスールを操る煉騎士が去ったあと、砦に戻ろうとしたティシナに、苦々しげな顔のギリスが訊いた。


 あの男というのは、もちろんラスのことだろう。

 ティシナが彼にキスをした直後から、ギリスはずっとそんな表情をしているのだ。


「私がこれまで判断を間違えたことがありますか?」


 自分の唇に人差し指を当てながら、ティシナは平然と訊き返す。


「それは……そうですが……」


 ギリスが、ぐ、と言葉を詰まらせた。

 一見するとどれだけ無謀で愚かに思えても、ティシナが下した判断は、これまで必ず最良の結果を招いてきた。ギリスはそれを誰よりもよく知っている。


 それでも彼が納得できずにいるのは、これがティシナの命にかかわる問題だからだ。

 ラスが優れた煉騎士であることに疑いはないし、彼が護衛についてくれれば、アルギル側の諜報機関からの情報も入ってくる。

 おまけにティシナは、初対面のはずの彼に明らかに好意を抱いている。

 ティシナには、ラス・ターリオンを追い返す理由などなかったはずなのだ。


「これでいいのですよ、伯爵」


 そう。ティシナにはラスを追い返す理由などなかった。

 だからティシナは彼を遠ざけた。そうしないわけにはいかなかったのだ。

 なぜならラスが傍にいれば、彼は必ずティシナの暗殺を防いでしまうからだ。


「ティシナ・ルーメディエン・シャルギアーナは、アルギル皇国の暗殺者に殺される——その運命を変えるわけにはいかないのです。


 誰にも聞こえないようにそっと呟いて、ティシナは夕暮れの空へと目を向けた。

 沈みゆく夕陽は世界を血の色に染めて、孤独な王女の頬を静かに照らしていた。

電撃文庫『ソード・オブ・スタリオン』キミラノ試し読み

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