第24話:悪役王女、龍と遭遇する


 ティシナ・ルーメディエン・シャルギアーナ王女は十七歳。

 ルーメド国出身の母から受け継いだ白い肌と、輝くような金髪が特徴の美しい姫である。


 シャルギア王家に生まれた七人の王女の中でも抜きん出た美貌を持ち、〝静寂の白〟と謳われた彼女だが、今やその称号を使う者もいない。

〝悪役王女〟の異名のほうが圧倒的に通りがいいからだ。


 そんなティシナは山嶺にある小さな砦から、夕陽に照らされた渓谷を見下ろしていた。


 グラダージ大渓谷と呼ばれるこの土地は、大陸有数の奇景として広く知られていると同時に、魔獣たちの棲息圏と王国シャルギアの領土を分かつ要衝でもある。

 手つかずの自然以外に見るべきもののないこの土地を、ティシナは大勢の傭兵たちを率いて訪れていたのだった。


「此度はなにを企んでおられるのです、姫様」


 威厳を纏った初老の男が、窓辺に立つティシナに声をかける。

 男の名は、ギリス・テグネール。テグネール伯爵家の当主であり、ティシナの後援者の一人でもあるシャルギア王国の要人だ。


 軍人の家系である彼は、今回、息子と部下たちを率いて、ティシナの視察に同行している。どうしても大渓谷に行きたいと突然言い出した王女の我が侭に、無理やりつき合わされた恰好だ。


 ティシナはそんなギリスを見返して、花のようにあでやかに微笑んだ。


「あら、いやだわ、伯爵。それでは私が、いつも悪巧みしているみたいではありませんか」

「なにを今更」


 ギリスは深々と息を吐く。

 妖精のようなあどけない容姿を持つこの王女が、見た目どおりの無垢な女性などではないことを、彼は骨身に染みて知っているのだ。


「シュラムランド同盟会議まであと三週間足らずというこの時期に、なぜ姫様直々に大渓谷の下見などに出かける必要があるのですか。しかもご自分の財産で、傭兵を雇い入れてまで」

「……ヒリカの実が食べたかったの」


 あっけらかんとした口調で、ティシナが告げた。

 ギリスは唖然として目を瞬く。


「は? ヒリカ、ですか?」

「ええ。グラダージ地方のヒリカは有名でしょう? 傷みやすいから王都バーラマでは干したヒリカしか食べられないって言われたわ」

「ああ。ええ、まあ」


 ギリスは困惑しながらうなずいた。ヒリカは、大渓谷近くの森に群生する果樹だ。半透明の果肉には甘味と酸味があり、非常に美味だといわれている。

 だとしても、傭兵たちを引き連れてまで採りに行くほどのものとも思えない。


「アデリッサ姉様は、煉術で凍らせたヒリカを公国アガーテから運ばせたんですって。先月の夜会で自慢されてしまったわ。姉様だけずるいと思わない?」

「まさか、生のヒリカのためにこれだけの戦力を?」

「そうよ。だって、どうしても食べたかったんですもの」


 ティシナは悪びれずにそう言い放つ。


「それにお金なんて、また誰かに貢がせればいいわ。そうね、次はペテルカ侯なんてどうかしら。金の密売で、ずいぶんと貯めこんでいるみたいですから」

「姫様……あなたは……」


 ギリスは、ぞくり、と背中に寒気を覚えた。


 巷では身勝手で高慢な悪女と噂されるティシナだが、彼女は決して愚かではない。

 それどころかギリスたち老獪な貴族ですら知り得ぬ謎の情報網を持ち、その情報を利用して、様々な駆け引きを繰り返している。

 そのくせ彼女は、金や権力には一切執着していない。

 権勢欲の強い彼女の母親とは大違いだ。


 幼いころから彼女を見てきたギリスにも、ティシナ・ルーメディエンという王女が、なにを考えているのかはわからない。

 ただ一つだけはっきりと言えるのは、彼女が決してシャルギア王国の民に害を為す存在ではないということだ。

 私利私欲に塗れているとしか思えない彼女の行動は、結果的に必ず王国の利益につながる。

 彼女の味方であるはずのギリスですら、そんな彼女には畏怖を覚えずにはいられない。


 今回の唐突な大渓谷視察も、なにか隠された目的がある。

 ギリスがあらためてそれを確信したとき、突然、砦の中に警報が響き渡った。

 ティシナが連れてきた傭兵や、ギリスの部下たちの動きが俄に慌ただしくなる。


「お館様!」


 伯爵家に仕える従士の一人が、息を切らせて駆けこんできた。それなりに腕の立つ煉騎士のはずだが、彼の顔は緊張で強張り、額には脂汗が浮いている。


「控えろ、姫様の御前だ」

「ご無礼をいたしました。ですが、緊急のご報告が……!」


 従士が慌ててギリスたちの前で膝を突く。ギリスはぎろりと彼を睨みつけ、


「何事か」

龍種ドラゴンです」

「なに……⁉︎」

「ヴォス湖畔より水棲の龍種ドラゴンが出現。全長は十五メートル以上。周囲の魔獣たちが恐慌状態に陥り、一部はすでに暴走を始めております。この砦が巻きこまれるのも時間の問題です。どうか早くお逃げください!」

「馬鹿な……龍種ドラゴンだと……なぜ、よりによってこんな日に……」


 ギリスの声が我知らず震えた。


 魔獣たちの群棲地に、龍種ドラゴンがいるのはおかしくない。

 だが、彼らが大渓谷を超えて王国内に侵入してきたとなると大問題だ。

 少なくともグラダージ地方において、過去に龍種ドラゴンが出現したという話は聞いたことがない。当然、この砦に常駐している戦力はごくわずかで、龍種ドラゴンに対抗できるはずもなかった。

 それなのに、王女が訪問しているこのタイミングでの龍の襲来。間が悪いにもほどがある。


「いや……」


 違う、とギリスはティシナに目を向けた。

 たまたま王女が訪問したタイミングで、龍種ドラゴンが出現したのではない。

 龍種ドラゴンが出現すると知っていたから、ティシナは大渓谷を訪れたのだ。


「やはり、そうなりましたか」


 ギリスの推測を裏付けるかのように、ティシナはうろたえることもなく平然と言った。


「伯爵。雇い入れた傭兵の皆さんに連絡を。狩竜機シャスールを使える方々は、逃走している魔獣を狩ってください。人里に到達するまでに、少しでも数を減らすように、と」


 ティシナが、窓の外の景色を見回しながら言った。

 龍の出現に怯えているのは人間だけではない。大渓谷周辺に棲む魔獣たちも、龍との遭遇を恐れて逃げ惑っているはずだ。そのうちの何割かは王国側に侵入し、人里に向かって移動するだろう。それを阻止しろ、とティシナは命じているのだ。


狩竜機シャスールを持たない者には、民の護衛を任せます。ティシナ・ルーメディエン・シャルギアーナの名において特別に権限を与えますから、略奪行為はしっかりと取り締まってください」

「よ、傭兵たちには、そのように伝えよ。急げ」

「ぎょ、御意……」


 伯爵家の従士に向かってギリスが告げ、呆気にとられていた従士は慌てて駆け出した。

 傭兵たちに龍種ドラゴンの討伐は荷が重いが、ただの魔獣が相手なら、彼らは充分な戦力になる。ティシナが資産をなげうって集めた多くの傭兵団が役に立った恰好だ。


「伯爵。テグネール家の狩竜機シャスールは?」

「我が家に伝わる銘入りが一機。あとは従士の乗る数打ちが三機です。正直、龍種ドラゴンが相手では足止めにもなりますまいな」


 ギリスが悔しげに歯噛みする。

 狩竜機シャスール四機は、平時なら王族の護衛としても充分な戦力だ。しかし本物の龍種ドラゴンが相手では力不足は否めない。

 しかしティシナは微笑んで首を振り、


「いえ。問題ありません。彼らには、水龍に従属している雑龍ワームや下位龍を減らすように命じてください。水龍との戦いの邪魔にならないように。出来ますか?」

「それは、もちろんその程度であれば……」


 ギリスは戸惑いながらうなずいた。


「ですが、水龍との戦いの邪魔にならないとは、どういう意味です? 我ら以外の誰が水龍と戦うというのです?」


 ティシナは王族だが、煉気使いの才はない。彼女は狩竜機シャスールには乗れないのだ。

 かといって、辺境の砦に配備されている旧式機が龍種ドラゴンの相手になるはずもない。

 王都の国軍に騎兵部隊の出動を要請しても、到着には半日はかかるだろう。しかしほかに援軍の当てはない。控えめにいっても絶望的な状況だ。


 それでもティシナは、楽しげに目を細めてきっぱりと告げる。


「私の運命の方——龍殺しの騎士ですわ」

電撃文庫『ソード・オブ・スタリオン』キミラノ試し読み

関連書籍

  • ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる 1

    ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる 1

    三雲岳斗/マニャ子

    BookWalkerで購入する
  • ストライク・ザ・ブラッド 1 聖者の右腕

    ストライク・ザ・ブラッド 1 聖者の右腕

    三雲岳斗/マニャ子

    BookWalkerで購入する
  • 虚ろなるレガリア Corpse Reviver 01

    虚ろなるレガリア Corpse Reviver 01

    三雲岳斗/深遊

    BookWalkerで購入する
Close