第21話:種馬騎士、王国に潜入する


 四日後。ラスは、シャルギアの王都を訪れていた。


 シャルギア王国は、広大なカブラス山脈地帯を挟んだアルギル皇国の隣国である。

 小国ではあるが長い歴史を持ち、故にシャルギア王家の権威は他国からも一目置かれている。この国の王都が、しばしば国際会議の舞台に選ばれるのもそのためだ。


 巨大な湖の畔にある王都バーラマは、芸術や文化の中心地として知られる美しい街だった。

 城を囲む市街地には水路が整然と張り巡らされ、街を囲む白亜の市壁すら、どこか優美な印象を受ける。


 そんな美しい都の玄関口である陸港には、ここ最近、大陸各地から多くの隊商が押し寄せていた。間もなく王都で開催される、シュラムランド同盟会議の特需を当てこんでいるのだ。

 その結果、入国審査を待つ人々で検査場は凄まじく混み合っている。


「タラス・ケーリアン……傭兵か?」


 入国審査を担当している審査官が、渡された申請書を眺めて質問する。

 陸港に隣接する狩竜機シャスール用の格納庫である。

 危険に満ちた国境付近の荒野を少しでも安全に移動するには、護衛の狩竜機シャスールは欠かせない。だからといって強力な兵器でもある狩竜機シャスールの持ちこみを、無制限に認めるわけにもいかない。

 そのため狩竜機シャスールを持つ煉騎士の入国審査は、通常の旅行者よりも遥かに厳重だ。当然、審査官の機嫌を損ねると面倒なことになる。高圧的な審査官に対しても、入国希望者たちは笑顔で応対するしかない。


「いちおう煉騎士だよ。田舎の商隊キャラバンの雇われだけどな」


 ラスは愛想よく笑って質問に答えた。

 タラスというのは、ラスの偽名だ。皇国の筆頭皇宮衛士であるラスが隣国の王都に来たと知られると、なにかと面倒なことになる。そこで事前に身分証を偽装しておいたのだ。

 偽装とはいえ、アルギル皇国発行の正式な旅券だ。万一にもバレる心配はない。


「書類は?」

「皇国の出国許可証があればいいんだよな? 商業組合の登録証も見るかい?」

「ふん。持ち込み品は……空搬機カラドリウスか? ずいぶん貧相な見た目だな」


 ラスが乗ってきた空搬機カラドリウスを一瞥して、審査官が呆れたように呟いた。

 見慣れない型式の漆黒の機体だ。

 翼を折りたたんだ待機状態とはいえ、格納庫内にあるほかの空搬機カラドリウスに比べてふた回り以上小さい。本来なら輸送用のコンテナがあるはずの胴体部分もスカスカで、内部の骨格が剥き出しになっている。装甲板に至っては明らかなツギハギだ。貧相という審査官の感想も、あながち的外れなものではない。


「これでもうちの領地に代々伝わる大切な機体なんだ。丁寧に扱ってくれよ」

「安心しろ。この港の警備は万全だ。それでなくとも、こんな見窄らしい空搬機カラドリウスをわざわざ盗むやつがいるとも思えないしな」


 突き放すような口調で言いながら、審査官はラスの旅券に入国許可のスタンプを押した。

 言いがかりをつけて賄賂を要求しなかったあたり、この審査官は真面目な人間らしい。

 役人の質がいいということは、王都の治安にも期待できるだろう。王族の命を狙う暗殺者にとっては、動きにくい環境ということになる。


「国際会議が近いせいで、王都の衛兵がピリピリしてる。騒ぎを起こしてくれるなよ」

「ああ、気をつけるよ」


 無愛想に言い残して立ち去る審査官に、ラスはひらひらと手を振った。

 そして取り出した懐中時計に目を落として、息を吐く。

 面倒な入国手続きに予想外の時間を取られてしまったが、目立つことなく王国に入りこむという目的は達した。


 シュラムランド同盟加盟四カ国による国際会議が始まるのは、十八日後。

 その会議には、アルギル皇国皇太子アリオール・レフ・アルゲンテアも出席して、はその場でシャルギアのティシナ王女と出会うことになっている。もちろんその偶然は、両国の外交官僚たちによってあらかじめ決められた筋書きシナリオだ。


 本来はラスも皇太子アリオールの護衛として、と同じタイミングでシャルギア入りすることになっていた。

 その予定が狂ったのは、ティシナ王女が暗殺組織に狙われているという情報のせいだ。

 王女暗殺が実行される前に組織が派遣した暗殺者たちを探し出し、可能なら組織ごと殲滅する——ラスは、そのために先行してシャルギアに潜入することになったのだ。


 問題は、暗殺組織についての手がかりがほとんどないこと。

 そして時間と人手が圧倒的に足りないことである。

 皇太子と王女との婚約が秘密裏に進められている関係上、暗殺を防ぐための人員を、アルギル皇国が表立って派遣するのは難しい。


 だからといってシャルギア王国の戦力を借りるのも論外だ。アルギル国内の暗殺組織がティシナ王女を狙っているなどという情報を、王国側に知られるわけにはいかないからだ。

 結果的にアルギル皇家に出来たのは、王国内に潜ませていた〝銀の牙〟の密偵を総動員して情報収集を行うこと。そしてラスたち少数の戦力を、シャルギアに派遣することだけだった。


 国際会議の七日前にシャルギアに到着する皇太子アリオールは、その夜に、ティシナ王女と面会する予定になっている。

 王女は今回のイベントの会期中、アリオールの饗応役として行動を共にするのだ。

 当然、暗殺組織としては、そのタイミングで王女暗殺を決行しようとするだろう。皇国と王国の関係悪化を決定的なものにするためには、それがもっとも効果的だからだ。


 つまり暗殺組織の排除に使える時間は、残り十日ほどということになる。勝手のわからない異国で、どこにいるとも知れない暗殺者たちを探し出すには、あまりにも厳しい条件だ。


「うー……あいつ、ヴィルドジャルタのこと、貧相って言った!」


 空搬機カラドリウスから降りてきた獣耳の少女が、遠ざかる審査官の背中を睨んで眉を吊り上げていた。

 狩竜機シャスールヴィルドジャルタの外部端末である彼女も、今回はラスに同行していた。もちろん理由があってのことである。


「落ち着け、ココ。今はおまえが自力で飛べるなんてことを知られるわけにはいかないんだ。馬鹿にされてるくらいのほうが、俺たちにとっても都合がいいんだよ」


 放っておくと審査官を攻撃しかねない彼女の首根っこを、ラスはぞんざいに引っつかむ。

 ラスが乗ってきた空搬機カラドリウスの中身は、ココの本体である狩竜機シャスールヴィルドジャルタだった。


 銘入りの狩竜機シャスールの多くは、それぞれが独自の固有武装を持っている。

 そしてヴィルドジャルタの持つ固有武装は、飛行フライトユニットだ。すなわち漆黒の狩竜機シャスールは自力で空を飛ぶことが出来るのだ。


 飛行可能な狩竜機シャスールの前例がないわけではないが、珍しいことに変わりはない。もしヴィルドジャルタが飛べることがバレたら、その素性に興味を持つ者が出てこないとも限らない。そしてヴィルドジャルタは曲がりなりにも、黒の剣聖が使っていた機体である。見る者が見ればすぐに正体がバレるだろうし、そうなればアルギル皇家とのつながりも露見する。


 そこでラスたちはヴィルドジャルタに張りぼてのガワを着せ、無理やり空搬機カラドリウスに擬態させたのだ。たしかに不格好な見た目になってしまったが、審査官の目を誤魔化せるレベルに仕上げただけでも上出来だろう、とラスは思う。偽装を担当したイザイたちの苦労も報われた、というものだ。


 しかも狩竜機シャスールを積んだ空搬機カラドリウスでは、国境を越えるような長距離飛行はできないが、余分な荷物を持たないヴィルドジャルタの航続距離には余裕がある。

 結果的にラスたちは、ひと晩でシャルギアの王都まで辿り着くことが出来た。

 通常の陸船では一週間以上かかることを思えば、劇的な時間短縮だ。

 見ず知らずの審査官に馬鹿にされたからといって、その価値が損なわれるわけではない。


 それでも納得がいかないのか、ココは低く唸りながら八重歯を剥いている。


「ウー……見窄らしいって言われた! あいつ、ぶっ飛ばす!」

「わかったわかった。このあと美味いもの喰わせてやるから、機嫌直せ」

「美味いもの⁉︎ ケーキ⁉︎ シャルギアのケーキは美味しいって、フィアールカが言ってた!」

「フィアールカ……またそんな余計なことを……」


 ココがあっさりと気持ちを切り替えて、目を輝かせながらラスを見た。

 芸術と文化の中心地である王都バーラマは、同時に美食の街でもある。たしかにここでならケーキの美味い店を探すのは難しくないだろう。


「菓子で幼女のご機嫌取りとは、ずいぶんお優しいことですね。さすがは極東の種馬ザ・スタリオン。相手が子供でも見境なしですか」


 ココの背後から現れた女が、皮肉っぽい口調で呼びかけてくる。

 銀色の髪と、菫色の瞳。見た目も声も、フィアールカと区別できないほどにそっくりだ。

 しかしラスを見る彼女の目つきは冷ややかで、言葉はどこか刺々しかった。

 アルギル皇宮の皇太子補佐官、エルミラ・アルマス。皇女フィアールカの護衛である彼女が、なぜか今回はラスに同行しているのだ。


「幼女ってか、こいつは狩竜機シャスールの外部端末だぞ」


 ココの首根っこを無造作につかんだまま、ラスが反論する。

 見た目は幼女でも、ココの正体は人間ではない。帯煉粒子アウロンによって生み出された擬似生命体——ヴィルドジャルタのコミュニケーションユニットだ。


「なるほど。女性型であれば、人間でなくても構わないと」

「なんでそうなる⁉︎」

「まあ、個人の性癖に対して口を出すつもりはありませんが」

「だから性癖ってなんだ⁉︎」

「ところで、アルギル皇国の筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーなら外交特権で入国することも出来たはずですが。面倒な手続きをしてまで、どうしてわざわざ平民のふりを?」


 ラスの抗議を無視して、エルミラは一方的に話題を変えた。

 それなりの貴族や役人であれば、他国の人間であっても様々な配慮や特権が受けられる。少なくとも入国審査の手続きに、半日も待たされることはないはずだ。

 しかしラスは、あえて身分を隠したままシャルギアに入国した。その結果として、かなりの時間をロスしている。エルミラにとっては、それが不満なのだろう。


「暗殺者を探さなきゃならないのに、目立つと動きにくくなるからな」

「あなたが一人で動き回ったところで、なにが出来るとも思えませんが」

「……さっきから感じてたんだが、きみは俺に対する当たりがきつくないか?」

「敵であるあなたに対して、なぜ私が気を遣う必要が?」


 さすがに不機嫌な表情を浮かべたラスに、エルミラは不思議そうに訊き返した。

 ラスは困惑してエルミラを見る。


「俺には、きみを敵に回したつもりはないんだが?」

「殿下につきまとう害虫は、すべて私の敵です」

「害虫?」

「黒の剣聖の弟子だかなんだか知りませんが、フィアールカ殿下が兄君を亡くしていちばん苦しんでいた時期に娼館に入り浸っていたような男が、害虫以外のなんだというのですか。それなのに厚かましくも筆頭皇宮騎士になって、殿下と同じ部屋で寝泊まりするなんて……」


 エルミラがラスを睨んで淡々と告げた。

 感情の籠もらない平坦な口調でありながら、早口で妙な凄味がある。


「あー……もしかして、それはやきもちを焼いているということか?」

「そうですよ。当然でしょう。私の人生はフィアールカ殿下のためだけにあるのですから」


 平然と言い放つエルミラに、ラスは言葉を失った。

 たしかに彼女の言い分もわかる。

 エルミラは、もともとフィアールカの影として育てられた密偵だ。

 表向きフィアールカが死んだことにされている今も、その役目は変わらない。むしろ、身代わりである彼女の重要性は増している。

 そんなエルミラがフィアールカに対して単なる忠誠心以上の感情を抱くのは、考えてみれば当然のことだった。

 もっともそれを知らされたからといって、ラスに出来ることはなにもないのだが——


「そうか。フィアールカのことをそこまで大事に思ってくれる味方がいてくれてよかったよ」

「その彼氏ヅラした上から目線の物言いが実に不愉快です」

「そいつはすまなかったな。それなのに、俺につき合ってシャルギアに来てよかったのか?」

「不本意ですが、殿下の命令ですから仕方ありません。国際会議に出席する殿下に身代わりが必要になるとしたら、そちらのほうが問題ですしね」

「まあ、それもそうか……」


 フィアールカの身代わりが必要になるということは、彼女がお忍びでどこかに出かけているということだ。外遊の準備で忙しい彼女が、この時期に勝手に出歩いたら大問題である。

 逆にフィアールカが皇宮内で真面目に仕事をしている間は、エルミラの出番もないということになる。エルミラ本人は不本意だろうが、シャルギアに行けという皇女の命令を断ることはできなかったのだ。


「それに暗殺者の捜索には、シャルギア国内に潜入している諜報員の力を借りる必要があります。彼らとの交渉は私にしか出来ませんから」

「銀の牙の密偵か……」


 銀の牙と呼ばれる一族は、歴代のアルギル皇帝に仕える隠密集団だ。彼らからの情報提供が受けられれば、ラスたちの仕事は格段にやりやすくなるだろう。

 とはいえ、他国に潜伏中の諜報員と簡単に接触することはできない。

 その点、同じ銀の牙の一員であるエルミラは、彼らとの連絡役には最適だ。


「シャルギア支部には、すでに協力を依頼してあります。先方からの接触を待たなければならないので、実際に情報が手に入るまでには少し時間がかかりますが」

「そうか。じゃあ、俺たちはそれまで王都観光でもしておくか」

「我々は、王都バーラマに遊びに来たわけではないのですが」


 エルミラが、ラスを睨んで溜息をついた。そう言いながら彼女がいそいそと取り出したのは、シャルギア王都の観光ガイドブックだ。そしてエルミラは真面目ぶった表情で咳払いして、


「——ですが、地理の把握にもなりますし、まあいいでしょう。やはり最初は食事でしょうか。この時間帯なら広場に屋台が出ているはずです」

「え? あんたも一緒に来るのか?」

「私を置いていくつもりだったのですか⁉︎」


 ラスの何気ない発言に、エルミラが衝撃を受けたように目を見張る。

 彼女のその反応に、むしろラスのほうが驚いた。

 そんなに観光がしたければ一人ですればいいとラスは思うのだが、エルミラとしては、ラスの監視という名目でなければ仕事をサボれない、と考えているのかもしれない。


「あー……いや、俺のことを敵だと言ったのはあんただろ」

「警戒対象だからこそ目を離さないようにしているのです」


 呆れた口調で指摘するラスに、エルミラが取り繕ったように言い訳する。あくまでも仕方なくラスたちと行動を共にしているというスタンスを崩すつもりはないらしい。

 だが、澄まし顔でラスにそう言い放った直後、エルミラのお腹が、ぐう、と大きな音で鳴る。

 表情を凍りつかせたエルミラの頬が、たちまち赤く染まっていった。

 ラスは噴き出しそうになるのを我慢しつつ、温かな眼差しをエルミラに向ける。


「あー……とりあえず、飯にしようか」

「ごはん!」


 ココが頭の獣耳を震わせながら目を輝かせた。

 そしてエルミラは、無言でラスの肩を、握りこぶしでポカポカと叩き続けたのだった。

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