閑話:銀級騎兵、娼館に行く
その日、
目当ての店の名は、〝
かつてラス・ターリオンが入り浸っていたという高級娼館である。
そこで働くアマリエという女性に、クスターは休暇を利用して会いに来たのだ。煉術の師匠になってもらうためである。
商都に来たのは初めてではないが、クスターは繁華街の地理には明るくない。
しかし目的の店はすぐに見つかった。
華やかな大通りの中心近くに、ひときわ目立つ看板が掲げられていたからだ。
娼館という言葉から連想する後ろ暗いイメージにそぐわない、煌びやかで開放的な店だった。
建物の造りも豪華で、想像していたよりも遥かにでかい。皇都の歌劇場と比べてもほとんど見劣りしないほどだ。
店に入っていく客たちの雰囲気も明るく、女性客の姿も少なくなかった。
「すまない。ここは
クスターは戸惑いを隠しきれないまま、店の入り口近くにいた受付嬢へと問いかけた。
小柄で猫に似た雰囲気の、明るい髪色の娘である。
高級娼館の受付嬢だけあって、かなりの美人だ。軍人然としたクスターを見ても物怖じすることなく、にこやかに質問に答えてくる。
「合ってますよ。お兄さん、うちの店は初めてですか?」
「あ、ああ……」
「だったらまずは窓口に並んでチケットを買ってくださいね。指定席はもう売り切れてるから、二階の立ち見席になっちゃいますけど。ワンドリンクつきで四十アエリです」
子猫に似た印象の受付嬢が、壁際にあるチケット売り場を指さして言った。
四十アエリは銀貨四枚。安宿一泊分といったところだ。高級娼館の入場料としては破格の安さである。
しかし彼女の説明を聞いたクスターは、面喰らったように眉間にしわを刻んだ。
「立ち見席というのはどういうことだ?
「ああ。今はステージの時間ですから」
「ステージ?」
「うちの店の女の子は、歌や踊りも一流ですからね。今並んでるお客さんたちは、彼女たちのショーを観に来てるんですよ」
受付嬢の言葉が終わるより早く、店の奥から、華やかな音楽とともに観客たちの歓声が聞こえてきた。閉め切った扉が音圧で震えるほどの凄まじい熱狂ぶりだ。
女性の名前を大声で叫んでいる客も多い。おそらく贔屓の娼婦を応援しているのだろう。
「俺はあまり詳しくないのだが、娼館とはこういうものなのか?」
ますます困惑の思いを深くしながら、クスターが訊いた。
受付嬢は笑って首を振る。
「うちが特殊なんだと思いますよ。
「なるほど」
「もちろん、上の階にいけば、
「高い?」
「常連の皆様は、だいたい領主か大商人の方々ですね」
「それほどか……」
クスターは、むう、と低く唸った。
商都で指折りの高級店と聞いたときから予想していたことではあったが、やはりまっとうな娼館としての
ヴェレディカ極東伯という大貴族の息子であるラスと違って、クスターはしがない男爵家の出身。ひと晩で何枚もの金貨が吹き飛ぶような店に入り浸るのは、実家の財力からしても不可能である。ましてやクスターの軍人としての給料では、足を踏み入れることすら適うまい。
「誰かお目当ての方がいるんですか?」
苦悩するクスターを面白そうに眺めて、受付嬢が訊いた。
クスターは少しためらいながら、目的の娼婦の名前を告げる。
「アマリエ・ディバリという女性と話がしたいのだが」
「あー……よりによってアマリエ姉様ですか……」
受付嬢の口元に、哀れむような苦笑が浮かんだ。
おそらくクスター以外にも、同じようなアマリエ狙いの客はめずらしくないのだろう。
「彼女に、なにか問題が?」
「ええまあ、姉様はうちで一番の売れっ子ですからね。そこらの貴族どころか四侯三伯だって、一見じゃ相手にしてもらえませんよ」
「な……」
「まあ、お兄さんみたいな軍人さんでも望みがないわけじゃないですけどね。キヴェラのお爺ちゃんなんかは、よく遊びに来てましたし……」
「キヴェラ閣下……上級大将じゃないか……」
クスターは思わず目元を覆った。
ヴィリオ・キヴェラは、アルギル皇帝の主任軍事顧問にして、先代の
逆に言えば、それほどの人物でなければ、アマリエ・ディバリと懇意の関係になることはできないらしい。
「まあ、そんなわけなんで、若いうちは無理せず、ステージを観ていってくださいよ。アマリエ姉様ほどじゃなくても、みんな可愛い子ばかりですから」
落ちこむクスターを見かねたように、受付嬢が笑いかけてくる。
妙にぐいぐいと距離を詰めてくる彼女に、クスターはたじろいだ。受付嬢とはいえ、娼館で働いているだけあって、男性との距離の詰め方が上手い。いつの間にかクスターの左腕は、彼女にしっかりと搦め捕られている。
「いや……しかし、アマリエ嬢に会うようにとラス・ターリオン殿に言われてきたのだが……」
「ラス⁉︎」
クスターが、ラスの名前を口にした瞬間、受付嬢が血相を変えた。
小悪魔めいた甘やかな雰囲気が消えて、研ぎ澄まされた煉気があらわになる。
そこでようやくクスターは気づいた。
巧妙に一般人を装っていたが、彼女は煉騎士。それも相当な凄腕だ。
「ちょっと待って、お兄さん。あなた、ラスの紹介で来たの?」
「あ、ああ……アマリエ嬢から煉術を学べと、この紹介状を渡されて……」
「そういうことはもっと早く言いなさいよ!」
受付嬢がクスターの手から、紹介状を奪い取る。
呆気にとられていたクスターは、彼女の動きに反応することもできない。
その間に受付嬢は紹介状の封を切り、勝手にその中身を読み始めていた。
紹介状の文章は貴族が使う大陸共通文字で書かれているが、読むのに支障はないらしい。それだけでも、彼女がかなりの教養を身につけていることがうかがえる。
「クスター・ファレル中尉……
紹介状を読み終えた受付嬢が、クスターを見上げてちらりと自分の唇を舐めた。
獲物を見つけた肉食獣のような彼女の仕草に、クスターはなぜかゾッとする。
「ちょっと、ヘリン。今、ラスの紹介って聞こえたんだけど……」
クスターを引きずるようにして店の裏口へと向かおうとした受付嬢の前に、別の娼婦が立ちはだかった。気の強そうな風貌の赤髪の娘だ。
「ああ、ちょうどいいところに来たわね、イーネス。受付代わって。あたしはこの
ヘリンと呼ばれた受付嬢が、赤髪の娘に呼びかける。
赤髪の娘——イーネスは、驚いたようにヘリンとクスターを見比べて、
「案内って……駄目よ、ヘリン。姉様の客の案内なら、私がやるわ」
「どうしてよ⁉︎ あたしが彼の受付を担当したのよ!」
「そんなこと言って、姉様に会わせる前に彼をつまみ食いする気でしょう⁉︎」
「う……!」
イーネスに図星を指されたヘリンが、顔をしかめて舌打ちする。
それでも彼女は即座に開き直って、クスターを独占するかのように背後に庇い、
「それはあんたも同じでしょう⁉︎ こないだの皇宮衛士みたいに、この人も再起不能にする気?」
「あれは姉様に会う資格があるかどうか試しただけよ。あのくらいで心が折れるような雑魚が、姉様のお相手をするなんて百年早いわ」
「だったら今度はあたしが試しても文句ないでしょうが!」
「本音が出たわね、ヘリン」
イーネスが、勝ち誇ったように、フン、と鼻を鳴らす。
「言っとくけど、ラスがいなくなったせいで溜まってるのは、あなただけじゃないんだからね。ラスなら、一晩中でも、私たちが何人相手でも、足腰立たなくなるまでつき合ってくれるのに……ほかの男どもの情けないことといったら……!」
「大丈夫よ。この中尉は、ラスがわざわざ紹介状まで用意して送りつけてくれたんだもの。銀級騎兵というからにはそこそこ腕が立つんだろうし、そう簡単に壊れたりしないでしょ」
「待て……ちょっと待ってくれ……!」
呆然と立ち尽くしていたクスターが、二人の娼婦の間に割って入った。
「おまえたちはいったいなんの話をしてるんだ? 試すとかつき合うというのはいったい……」
「決まってるでしょう、模擬戦よ」
クスターの質問に、ヘリンがあっさりと答えた。
イーネスも、当然というふうにうなずいている。
「うちの娼館にいる女の子は、全員がフォンに鍛えてもらった煉騎士か煉術師だからね」
「ちょうどいい獲物……じゃなくて、練習相手がいなくなってみんな退屈してたの」
クスターの左腕を受付嬢のヘリンが、そして右腕を赤髪のイーネスががっちりと固定した。
彼女たちの胸の膨らみが自分の二の腕に押し当てられていても、クスターはまったく嬉しいと思えない。感じるのは本能的な恐怖だけだ。
「だから、ね」
「つき合ってくれるわよね、中尉さん」
二人の娼婦がクスターの耳元に囁いてくる。
そしてクスターは、抵抗することもできぬまま、娼館〝