第17話:種馬騎士、伝説の狩竜機と出会う
煉術の光で照らされた階段を、ラスとフィアールカが進んでいく。
やがて二人がたどり着いたのは、地上の大聖堂にも匹敵する広大な地下空間だった。
石造りのアーチを張り巡らせた背の高い広間には、傷つき、解体された
壊れかけのまま放置された彼らの姿は、まるで廃墟の神殿に取り残された異教の彫刻を見ているようだった。
「どうしてこんなところに
ラスが困惑の表情でフィアールカに訊いた。
その声は、暗い地下空間の中で、意外なほど大きく反響する。
「皇家には、あまり表に出せないいわくつきの
フィアールカが淡々と説明した。彼女自身、詳しい経緯を知っているわけではなさそうだ。
「いわくつきの
「
「そういう縁起の悪い機体を俺に押しつけるつもりだったのか、おまえの
「ヴィルドジャルタか……あれはまた少し特殊でね。正確には、あの機体は皇家の持ち物ってわけじゃないんだ。前の持ち主からの預かりものなんだよ」
「預かりもの?」
皇女がさらりと告げた言葉に、ラスは思わず眉を寄せた。
「そう。機体の後継者に相応しい者が現れるまで、皇家で保管するように頼まれていたんだ」
「そんな機体を、俺に下賜してよかったのか?」
「きみだからよかったんだよ、ラス。きみ以外にあれを引き継げる煉騎士はいない」
フィアールカがなぜかきっぱりと断言する。
そして彼女は少し困ったように目を伏せて、
「もっとも、まだあれがきみのものになったと決まったわけじゃないけどね」
「は?」
「だからきみを連れてきたんだ。先代の持ち主に、今夜ここに来るようにというメッセージをもらってね」
めずらしく神妙な口調でそう言って、フィアールカは静かに溜息をついた。
半ば騙すような形でラスをこの場に案内したことに、多少の後ろめたさを覚えているらしい。
「俺を試すつもりか……? 何様だ、そいつは?」
ラスが不機嫌さを隠そうともせずに訊き返す。
そもそもラスに
しかしフィアールカは、逆にどこか面白がるように目を細め、
「それは私よりもきみのほうがよく知っているはずだよ」
「なに?」
「さて……聞いた話では、この先に保管されているはずだけど」
ラスの質問を無視して、フィアールカが煉術の光量を上げた。
大気中の二酸化炭素と水蒸気から錬成された、シュウ酸ジフェニルの化学反応による輝きが、地下空間の奥に鎮座していた一体の
闇に溶けこむような漆黒に塗られた、威圧感のある機体だった。
「あったよ。あれだ。ヴィルドジャルタ」
「黒い
見知らぬ
なぜなら
味方の兵士や領民を鼓舞するために、
そんな常識を裏切る影のような黒一色の機体は、いかにも不吉で不気味に感じられる。
「趣味が悪い……って、恐れを知らない発言をするね、きみは」
「そうか? むしろ当然の感想だと思うが……」
驚いたように表情を強張らせている皇女を見返して、ラスは怪訝な表情を浮かべた。
「それよりも、これは……この機体は封印されてるのか……?」
「そうだね。煉気結晶というらしいよ」
フィアールカは
しかし漆黒の装甲板に触れる直前、カツンと甲高い音を立てて彼女の指が弾かれる。
磨き抜かれた水晶のような、恐ろしく透明度の高い結晶だった。
琥珀の中に閉じこめられた昆虫のように、漆黒の
「封印のおかげでこの機体は、空気や温度変化などの外部の影響から完全に遮断されている。
フィアールカは腰に佩いていた剣を抜き放ち、結晶の表面に叩きつけた。
だが、結晶の表面は無傷のまま剣は呆気なく弾かれる。鋼鉄すら引き裂く煉騎士の斬撃でも、煉気結晶には傷ひとつつけることができなかったのだ。
「問題は、この封印の解き方が、私たちにはわからないことだけど」
剣を鞘に納めながら、フィアールカが嘆息する。
ラスは半ば呆れたように首を振り、
「封印が解けない? だったらなんなんだ、この機体は。ただの馬鹿でかい置物か?」
「私たちにはわからないってだけだよ。解けないとは言ってない」
「前の持ち主ってやつにはわかるってことか」
「そう。たぶんね」
フィアールカはかすかに肩をすくめて、どこか面白がっているような瞳をラスに向けた。
「この機体が最後に戦ったのは二十七年前。シュラムランド戦争末期にラギリア砂海で起きた砂龍の
「待て……それって……」
ラスが声を震わせた。ぎこちなく引き攣ったラスの頬から、血の気が見る間に引いていく。二十七年前の砂龍討伐。その事件に関わっているのは、ラスもよく知っている人物だ。
「そうだよ。この機体の本来の持ち主は、〝黒の剣聖〟だ」
フィアールカが重々しくうなずいて言った。
黒の剣聖フォン・シジェル。大陸全土で四人しかいない最強レベルの煉気使い。商都の娼館〝
「そうか……なるほど。そういうことかよ……」
ラスは動揺を必死に抑えて呟いた。
皇帝の恩人であるフォンならば、彼に
「ラス? どこに行くんだい?」
踵を返したラスの背中に、フィアールカが呼びかけた。
「決まってるだろ。逃げるんだよ」
振り返りもせずにラスが答える。フィアールカは驚いたように目を瞬いて、
「逃げる?」
「こんなところであいつと会ってられるか。どんな目に遭わされるかわかったもんじゃない」
「それはまたずいぶんな言われようだよ。師匠に対して酷いんじゃないかな」
「っ……⁉︎」
闇の中から聞こえてきた女性の声に、ラスは凍りついたように動きを止めた。
声の源は、ラスたちの頭上だ。透明な結晶に覆われた漆黒の
彼女の見た目の年齢はラスたちとほとんど変わらない。
むしろ幼いという印象すら受ける。
印象的な大きな瞳が、闇の中で猫のように金色に輝いていた。肩の長さで無造作に切った黒髪には、緋色の髪束が幾筋も混じっている。高位の煉気使いによくある特徴だ。
彼女が身につけているのは、胸元や腹を大胆に露出した衣装。まるで下着のようなその服の上に、傭兵風の黒革のコートを羽織っている。
皇宮を訪れる人間としては絶対にあり得ないふざけた服装だが、彼女だけはそれが許される。なぜなら彼女は、〝黒の剣聖〟フォン・シジェルだからだ。
「フォン……!」
「少し会わない間に、ずいぶん出世したみたいだね、ラス。それなのに挨拶にも来てくれないなんて、お姉ちゃんは悲しいよ」
頬に手を当てたフォン・シジェルが、わざとらしく悲しげな表情を浮かべてみせた。
甘えたような彼女の声音に、ラスは激しい戦慄を覚える。
「待ってくれ、フォン! 俺も、皇都には無理やり連れてこられたんだ。おまえとの約束を忘れていたわけじゃない!」
「ふうん……そうなのかな? 本当に?」
必死に言い訳を続けるラスを、フォンは疑わしげに見返した。
「ああ。皇宮からも、おまえの店に使いの者が行ってるはずだ」
「そうみたいだね。でも、アマリエたちが先に相手をしたから、私までは回ってこなかったんだよ。きみの身代わりにするつもりなら、あと五、六人は送ってもらわないと」
「皇宮衛士をなんだと思ってるんだ、おまえら……」
「んふ、上客?」
フォンが、艶やかな唇をちらりと舐める。
使者として商都に派遣された皇宮衛士の運命を想像して、ラスは思わず目元を覆った。
娼館〝
娼館の客としてもてなされていたとしても、あるいは腕試しに勝負を挑まれていたとしても、哀れな皇宮衛士は人生が変わるような衝撃を味わったことだろう。筆頭皇宮衛士であるラスとしては、彼が無事に社会復帰できことを祈るだけである。
「そんなことよりも、ラス。昼間の模擬戦はどういうことなのかな? なんなの、あの無様な戦いは? アハジアごとき二級品を相手にあんなに手間取って、お姉ちゃんは情けないよ」
フォンがすっと目を細めてラスを見た。
漂いだした冷ややかな殺気に、フィアールカが息を呑む。
「無茶言うな。俺の
ラスは無意識に重心を落として身構えた。
「だからといって、あのみっともない技を、
フォンがにこやかな口調で言い放ち、黒革のコートを脱ぎ捨てた。同時に彼女の全身から、凄まじい圧力の煉気が放たれる。
「やめろ、フォン! こんなところで、おまえの剣技を使う気か⁉︎」
咄嗟に剣を抜きながら、ラスが叫んだ。
しかしフォンは答えない。
無言で立ち上がる彼女の背中に、緋色に煌めく翼が音もなく広がった。
六対十二枚の巨大な翼。それは短剣状の羽根に覆われた、美しくも凶悪な煉気の刃だ。
黒の剣聖が使う、本物の
表情を凍らせたラスを眺めてフォン・シジェルが妖しく微笑み、次の瞬間、研ぎ澄まされた十二枚の刃が轟音とともに撃ち放たれたのだった。