第11話:種馬騎士、過去をバラされる
空中高くに舞い上がった
カナレイカは、演習場の隅に設けられた櫓の上から、その信じられない光景を眺めていた。
「なんですか、今の攻撃は……? ラスは……彼は、いったいなにをしたんです?」
「普通にぶん投げただけですよ。相手の勢いを利用して、速度ベクトルの方向を少しだけ上向きにずらしたんです。六号機は、自分の運動エネルギーで自分自身を投げ上げたんですよ」
双眼鏡を手に持ったイザイが、カナレイカの無意識の呟きに回答する。
思いがけず理路整然とした答えが返ってきたことに、カナレイカは驚いてイザイを見た。
「それは……理屈ではわかりますが、実際にそんなことができるのですか?」
「普通は無理です。でも、ラスのやることですから」
イザイが微笑んで言葉を続ける。
カナレイカは険しい表情のまま沈黙した。
イザイの説明は理解できる。高い機動力を誇る
だからといって、高速で突っこんでくる
カナレイカは、ラスに素手で叩き折られた自分の愛剣のことをふと思い出す。
近衛師団最強と呼ばれるカナレイカの全力の突きよりも、ラスの動きは速かった。
おそらくラスが六号機を放り投げたのも、同じ種類の技術のはずだ。
彼はなんらかの手段を使って、ほかの煉騎士を遥かに凌ぐ反応速度を得ている。それが六号機を倒した攻撃の秘密だ。
「あの煙幕は、敵の連係を封じるためですか?」
カナレイカが再びイザイに訊いた。
六号機の戦斧を奪ったラスは、その戦斧で地面を抉り、大量の土砂を巻き上げている。舞い上がった土煙が周囲を覆い、演習場内の視界は極端に悪化していた。まさしくラスの姿を覆い隠す煙幕だ。
「それもあります。こう視界が悪くては、迂闊に攻撃すると同士討ちの恐れもありますから」
イザイが、カナレイカの言葉を肯定した。
第二師団側の
「——ですが、ラスは防御のために姿を隠したわけじゃありません。あの煙幕は、次の攻撃のための布石なんです。そろそろ仕掛けるようですよ」
「……⁉︎」
イザイの指摘に、カナレイカはハッと顔を上げた。
濃い土煙に紛れて演習場を移動したラスの二十三号機が、いつの間にか第二師団の七号機を間合いにとらえていた。
七号機は
スティーグが、ラスの接近を警戒していなかったわけではない。
しかしラスの機体の機体の移動速度は、彼の予想を遥かに上回っていた。
高速で移動する
時速数百キロで障害物に激突すれば、いかに頑強な
それにもかかわらず、限界に近い加速で突っこんできたラスの二十三号機に、スティーグの七号機は反応できない。
無造作に叩きつけられた戦斧の一撃を喰らって、七号機は仰向けのまま吹き飛んでいく。
「——なぜです? 土煙で視界が利かないのは、ラスも同じではないですか? それなのに、あの精密な攻撃……彼には演習場の様子が見えているのですか?」
カナレイカが呆然と呟いた。
演習場内に、
彼らもカナレイカと同じ疑問を抱いているはずだ。
だが、今なお濃く立ちこめたままの土煙を見たときに、カナレイカは自ら答えに辿り着く。
「いえ……そうか、
「正解です。
イザイがどこか楽しげに答えた。
ラスの機体を中心にした演習場の広いエリアに、時折、深紅の閃光が走る。
その正体はラスが撒き散らした
張り巡らせた糸の振動で獲物の位置をとらえる蜘蛛のように、ラスは、
だとすれば、いっこうに晴れる気配のない土煙の正体もわかる。
単純に土砂をばらまいただけでは、こうはならない。
ならば、考えられる可能性はひとつだ。
ラスは煉術を使っているのだ。大気の流れを操る、ごく初歩的な煉術を。
しかし彼らが使うのは、ほとんどが遠距離攻撃用の大規模な砲撃系煉術だ。
煉術の存在にすら気づかせない、こんな巧妙な使い方を、カナレイカはこれまで見たことがなかった。
「あなたは何者なのですか、イザイ」
カナレイカがイザイを見つめて訊いた。
「何者といわれても、見てのとおりの調律師ですが……」
「ですが、あのような戦い方を私は知りません。それは第二師団の兵士たちも同じでしょう。なのになぜ、あなたはラスの戦い方を知っているのです?」
カナレイカに睨まれて、イザイは困ったように頭をかいた。そして彼は弱々しく微笑むと、どこか懐かしげに口を開く。
「あれは、特駆の戦い方なんです」
「特駆……ラスがあなたと一緒にいたという部隊ですね?」
「ええ。
「……そのような部隊が、
カナレイカが驚きに目を見張った。
魔獣の討伐を請け負うのは主に各地の領主であり、そもそも上位龍などの特級魔獣は、騎兵の一部隊が倒せるような相手ではないと考えられているからだ。
上位龍クラスの魔獣の駆逐。
それが実現すれば、人類の棲息圏は飛躍的に拡大するだろう。
だが現実には、それは不可能だ。
夢物語といわれてもおかしくない馬鹿げた話である。
しかしイザイは、少し寂しげに首を振る。
「フィアールカ皇女が創設したんです。皇国全土から煉騎士やスタッフを集めて。敵国の
「そんな……魔獣から民を守ることが、煉騎士本来の役目ではありませんか……!」
カナレイカが、咄嗟に反発して言い返す。
イザイは苦笑して、優しげな眼差しをカナレイカに向けた。
「軍の煉騎士たちが皆、あなたのような方だったらよかったんですけどね」
「……その部隊は、今は?」
「ありません。フィアールカ皇女が亡くなったことで、全員バラバラになりました。今も
イザイが軽くおどけたように肩をすくめる。
カナレイカは静かにうなずいた。
軍での出世を望む人間が、実現の可能性が極めて低い上位龍殺しのために命懸けで働くはずがない。実際に上位龍を殺したラスが、あっさりと
そんな癖の強い特駆の隊員を、フィアールカは一人でまとめていた。
だから彼女が死んだとされたときに、特駆はあっさりと崩壊した。
皇太子アリオールとして活動しなければならなくなったフィアールカに、それを止める余力はなかったのだ。
「ラスが一人でキハ・ゼンリを倒すことができたのは、特駆の技術があったからなのですね」
カナレイカが、納得したように深く息を吐く。
無名の若手騎兵だったラスが、固有名持ちの上位龍を倒したのはまぐれや偶然ではなかった。彼は
「そうですね。勝算がまったくなかったわけではありません。ですが、二年前は運が良かっただけです。あれはラスの執念が、たまたま上位龍の生命力を上回った結果です」
イザイが、笑いながら辛辣な評価を口にする。そして彼はふと、遠くを見るような眼差しを、演習場に立つラスの
「ですが、今のラスは違いますね。特駆で考案された戦術を完全に使いこなしているどころか、その先を行っている。あれは娼館の入り浸っていた男の動きなんかじゃない。この二年の間に、ラスになにがあったんですか?」
「……わかりません。フォン・シジェルに師事していた、とだけ聞いていますが」
「フォン・シジェル? 黒の剣聖ですか……?」
イザイが面喰らったような表情でカナレイカを見返した。
まったく無理もない反応だ。〝黒の剣聖〟フォン・シジェルが活躍したのは、今から二十年以上も前の時代。そして先の大戦の終結を境に、彼女は歴史の表舞台から姿を消した。
今では彼女の戦う姿を見た者も滅多にいない。黒の剣聖は実在の人物というよりも、おとぎ話の登場人物に近い存在なのだ。
「興味深い話ですが、その話はまたあとで。動きがあったようです」
名残惜しそうに呟いて、イザイが再び双眼鏡を構えた。
演習場にはいまだに土煙が立ちこめたままだが、その濃度が明らかに低下していた。
代わりに、陽炎に似た
ラスの二十三号機だけでなく、第二師団のジェント五号機が
「ラスの結界に気づいたのですか。さすが第二騎兵師団……有能な煉騎士がいますね」
カナレイカが感心したようにうめく。ジェント五号機の搭乗者はリク・キルカ。銅級騎兵とは思えないほどの冷静な観察眼と分析力だ。
「これで土煙にまぎれての奇襲は使えなくなりました。どうするのですか、ラス?」
不安と期待を滲ませた口調で、カナレイカがラスに問いかけた。
イザイはそんな彼女の隣で、愉快そうに目を細めていた。