第10話:種馬騎士、賭けの対象になる
「皇宮内が少し騒がしいね。なにかあったのかな?」
執務室で休憩を取っていたフィアールカが、書類を運んできた若い文官に訊いた。
皇太子からの突然の問いかけに、立ち止まった文官が気まずそうな表情を浮かべる。
「第二騎兵師団の煉騎士が、種馬——いえ、筆頭皇宮衛士殿と模擬戦をすることになったそうです。それで一部の者たちが、勝敗について賭けをしているようで」
「模擬戦? 皇宮内でやってるのかい?」
フィアールカが興味を示したように眉を上げた。
ラスが
とはいえ陰湿な嫌がらせに走らず、模擬戦でラスの実力を確かめようとするあたりは、腐ってもエリート揃いの
「第二師団の演習場で、
「へえ、それは面白いね……」
変装用の黒い仮面を押さえて、フィアールカはクスクスと笑い出す。
一カ月後に開催される国際会議でティシナ王女に近づくために、ラスは、筆頭皇宮衛士としての信頼を手っ取り早く勝ち取る必要がある。
そんな彼にとって、今回の第二師団との模擬戦は渡りに船だ。
だからラスは、五対一という無謀な条件を出したのだろう。
銘入りと呼ばれる強力な
戦闘中の
一瞬で勝敗が決する
そのため戦闘中の
しかし同時に五体を相手にするラスは、息切れを起こさないように動きをセーブする余裕も、
普通に考えれば、ラスの勝利は絶望的だ。
「やめさせますか? 第二師団の演習場なら、無線通信がつながるはずですが」
隣に控えていたエルミラが、フィアールカに小声で耳打ちする。
ラスの敗北が確定している以上、模擬戦を行う意味はない。こんなところで無様な負け方をすれば、ラスの評判は更に悪化することになるからだ。
しかしフィアールカは、少し考えて小さく首を振る。
「いいよ、エルミラ。放っておこう。それよりも賭けのオッズはどうなってるの?」
「ターリオン卿の三勝というのが、一番人気になってますね」
エルミラが一通のメモをさらりと差し出した。秘密裏に行われている賭博の掛け率をしっかり把握しているのは、諜報員である彼女の面目躍如といったところだ。
「なるほど。ラスの勝利数で投票先が分かれているわけか。この条件で三勝できると思われているのだとしたら、なかなか好意的な評価だね」
フィアールカが感心したように呟いた。
少し意外な気もするが、文官たちは、ラスを完全に侮っているわけではないらしい。上位龍殺しの実績と、皇帝が直々に筆頭皇宮衛士に任命したことが評価されているのだろう。
それでも五体の
「では、私はここに賭けるよ。手持ちが金貨しかないが、構わないかな?」
フィアールカはペンを取ると、投票先を書いたメモにサラサラと一行を書き加えた。そして取り出した金貨を一枚、エルミラに託す。
「殿下……?」
金貨とメモを受け取ったエルミラが、困惑したように眉を寄せた。
フィアールカはそんな彼女を見上げて、意味深な笑みを浮かべるのだった。
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その外観はしばしば機械人形と揶揄される。兵器としては洗練された女性的なシルエットが、操り人形を連想させるからだ。
一方で
金属製の骨格の周囲に強靱な繊維状の人工筋肉を張り巡らせ、擬似煉気とも呼ばれる〝
そして
煉気の制御に長けた煉騎士や煉術師が、
「まあ、こんなものか。流石だな、イザイ」
機体に流した煉気の手応えはしっかりしている。応答までのタイムラグも許容範囲内。外部感覚器のズレもない。わずかな調律時間しかなかったにもかかわらず、イザイはきっちりとチューニングを固めてくれたらしい。
深紅の炎に似た
その輝きには、ほとんど揺らぎや偏りがない。調律が上手くいっているというだけでなく、ラスの操縦技術がそれだけ高いということだ。
よどみのない流れるような動きで、ラスの機体が立ち上がる。
余分なオプション兵装や追加装甲のない、ごく標準的な
整備台の隣に並んでいるのは、
大剣、戦棍、戦斧、短槍——
いずれも
数は少ないが、
しかしラスはそれらには目もくれず、壁に飾られていた装備に手を伸ばす。
ラスの機体を見上げていたカナレイカが、驚いたように目を見張った。
そんな彼女の反応に微苦笑を浮かべつつ、ラスは機体を演習場へと向けた。
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「儀礼剣……だと?」
演習場に現れたジェント二十三号機を睨んで、クスターは困惑気味に呟いた。
ラスの機体が装備していたのは、
『なんだ、あれは。やはり我々を舐めているのか……?』
アートスが唖然としたように低く唸る。
彼が憤るのも無理はなかった。儀礼剣は武器の形こそしているが、実戦で使い物になる造りではない。見映えだけを重視した華麗な刃は、あまりにも細く脆いのだ。
もちろん励起状態の石剣には、
しかし正面からまともに打ち合えば、同じ石剣同士であっても刃毀れは免れない。ましてや
『あり得ない。ただでさえ、一機で五機の
『そう深く考える必要はないさ、リク。武器の破損も負けたときの言い訳になるからね』
戸惑うリクに、スティーグが笑いながら呼びかけた。
戦闘中の武器の破損は、装備の選択を誤った煉騎士の責任だ。敗北の言い訳にはならない。だが、負け惜しみの材料には使えるだろう。
ラス・ターリオンという男が口先だけで世の中を渡ってきたペテン師ならば、それを使って言い逃れるくらいのことはやりそうだ。
『つくづく見下げ果てた男だな! 言い訳する余地もないくらい、完璧に叩き潰してやる!』
「待て、ニーロ!」
『俺は勝手にやらせてもらうと言ったはずだぞ、クスター・ファレル!』
クスターの制止を振り切って、ニーロの
後続のクスターたちを置き去りに、単騎でラスとぶつかる配置になる。
六号機の主装備は、全長十メートルにも達する巨大な戦斧——バトルアックスだ。
取り回しの悪い重量級の武器だが、ニーロはその大斧を自在に操る。武器の耐久力とリーチで劣るラスにとって、極めて相性の悪い対戦相手である。
演習場の中央に立つラスとニーロの距離は、瞬く間に縮まった。
両者が激突するまで残り三十秒足らず。クスターたちはそれを見ているしかない。
『行くぞ、
猛々しい咆吼とともに、ニーロの六号機が緋色の輝きに包まれた。
機体内に蓄積していた
その巨体が、搭乗者と同じ速度で反応する。つまり
さらにニーロの六号機は、
その状態で振り下ろされる巨大な
儀礼剣装備のラスの機体では、ニーロの攻撃を受け止めることはできない。
正面からぶつかるのは論外だ。
よけるとすれば、右か左の二択。しかし当然、ニーロはそれを読んでいる。ラスが逃げれば、そちらに攻撃の軌道を変更するだけだ。
攻撃範囲の広いニーロの戦斧を、ラスが完全に避けるのは容易ではない。ギリギリまで攻撃を引きつけた上で、更にニーロの予測の裏をかく必要がある。
『右か、左か……どちらに逃げる、ラス・ターリオン……!』
ニーロが挑発的に問いかけた。最大速度で疾走する彼の
そして二体の
『誰が、逃げると言った?』
『なに……⁉︎』
左右のどちらかに避けると思われていたラスの
『馬鹿が! 死ぬ気か……⁉︎』
ラスの行動に意表を突かれても、ニーロが動揺することはなかった。
無防備に立ち尽くすラスの二十三号機に向かって、突っこんできた勢いのまま巨大な戦斧を振り下ろす。もはやラスには、それを回避する手段はない。
あまりにも呆気ない幕切れを予感して、クスターたちは言葉を失った。
だが、真の驚きが待っていたのはそのあとだった。
二機の
『な……んだとおおおぉ……⁉︎』
激しく回転する操縦席の中で、ニーロが悲鳴を上げた。
亜音速で突っこんできた勢いのまま空中に投げ出されてしまっては、銀級騎兵といえどもどうすることもできない。
美しい放物線を描いて落下した六号機が、背中から地上に落下する。
轟音とともに大地が揺れ、土煙がもうもうと舞い上がった。
ニーロはかろうじて受け身を取ったが、それだけだ。
全身の装甲が弾け飛び、断裂した人工筋肉が冷却用の循環液を撒き散らした。
だが、その程度のダメージで済んだのは、六号機が
「ニーロ……!」
模擬戦の途中ということも忘れて、クスターは仲間の名前を呼んだ。
しかしニーロの返事はない。無線から流れ出したのは、激しいノイズと
『心配するな。生きてるよ。受け身が取れるように手加減したからな』
ラス・ターリオンの穏やかな声が、クスターたちの通信に割りこんでくる。
「なに……⁉︎」
ゾッとするような冷たい感覚が、クスターの背筋を這い上った。
無線越しに聞こえるラスの声が、あまりにも飄々としていたからだ。
銀級騎兵が操る
『残りは四機だ。誰から来る?』
地面に突き刺さっていたニーロの戦斧を引き抜きながら、ラスが訊く。
何気ない彼の
言葉で表すことはできない。だが、明らかになにかが違う。同型の
それはまるで人間が操る
理性では、それがただの錯覚だとわかっている。
しかし煉騎士としての本能が訴えている。ラス・ターリオン。彼は危険だ。クスターたちの常識では計り知れない、化け物だと。
『来ないなら、こちらから行かせてもらうぞ』
ラスが無造作に言い放ち、彼の
次の瞬間、ラスが投げやりに振った
そして爆発的に飛び散った土煙が、彼の機体を完全に覆い隠したのだった。