第9話:種馬騎士、演習場に到着する


 フィアールカ・ジェーヴァ・アルゲンテアは民衆の間で、銀の花と呼ばれていた。


 美しく聡明で誰よりも慈悲深い花の皇女。

 性別や肩書き、身分を問わず、多くの若者が彼女に憧れた。


 中央統合軍セントラルの銀級騎兵、クスター・ファレルもそんな皇女の信奉者の一人だ。


 入校時期が違ったせいで実際に言葉を交わす機会はなかったが、士官学校時代に校内で目にした彼女の姿は、今も脳裏に焼きついている。


 いずれは皇宮衛士インペリアルガードになって彼女に仕えることがクスターの目標であり、そう思えばこそ騎兵としての修練にも身が入った。


 しかしクスターは、自分が彼女の恋愛対象になることはないと知っていた。

 皇女にはすでに婚約者がいたからだ。


 ラス・ターリオン・ヴェレディカ卿——


 極東伯家の三男であり、皇太子アリオールや皇女フィアールカの幼なじみ。


 座学の成績はもちろん煉騎士としての実力も飛び抜けており、腹立たしいことに凄まじく顔がいい。花の皇女と並んで見劣りしない男など、双子の兄である皇太子を除けば、あの男くらいのものだった。


 嫉妬しなかったといえば噓になる。

 だが、ラスを憎いと思ったことはなかった。

 彼と一緒にいるときの皇女が、幸せそうに笑っていることを知っていたからだ。


 二年前、皇女が戦闘で命を落としたときも、ラスを責める気にはなれなかった。


 フィアールカは皇国を救うために龍の生贄となり、ラスは龍を殺して彼女の仇を討った。哀しくも美しい結末だと思った。そこで物語が終わっていれば。


 しかし現実はそうではなかった。


 中央統合軍セントラルを退団したラスは、それからほどなく娼館に入り浸り、数多の浮名を流すようになったのだ。


 婚約者を失った哀しみで身を持ち崩したのだという同情の声も、それが半年、一年と続くうちに非難の渦へと変わった。


 その結果、ラスにつけられた異名が極東の種馬ザ・スタリオンだ。


 そのようなラスの生き様を、死んだ皇女に対する裏切りだと感じる者は多かった。

 己の半身である妹を失った皇太子アリオールが、哀しみを乗り越え、精力的に国政に関わっていたせいで、余計にラスへの批判は高まっていく。


 そのラスが、こともあろうに筆頭皇宮衛士ガード・オブ・シルバーの肩書きを与えられて皇都に戻ってきたのだ。


 それを許せないと感じたのは、当然、クスターだけではなかった。


 今回のラス相手の模擬戦は、その鬱憤を晴らす絶好の機会である。模擬戦に参加する煉騎士たちの士気は、かつてないほどの盛り上がりを見せていた。


『クスター……クスター・ファレル。聞いているのか?』


 狩竜兵装シャスール・ダシエ〝ジェント〟の操縦席に、僚機からの通信が流れ出す。


 声の主は銅級騎兵のアートス・カリオ。

 クスターの同期で、今回の模擬戦の参加者だ。


「アートスか。なんだ?」


『なんだじゃないだろう。作戦を聞かせろ。模擬戦の開始まであと五分もないんだぞ。あの種馬野郎は、本当に五対一で構わないと言ったんだな?』


「ああ。一対一の五連戦でも、総掛かりでも構わないそうだ」


 クスターが突き放すような声で言う。

 時間が経って冷静になったつもりだが、言葉にすると再び苛立ちがこみ上げた。


 ラス・ターリオンの発言は、第二騎兵師団に対する侮辱も同然だ。

 思い出すだけで怒りに手が震える。


『安い挑発だな。それとも負けたときの言い訳にでもするつもりか?』


 皮肉っぽい口調で呟いたのは、同じく銅級騎兵のスティーグ・ステニウスだった。

 たしかにそういう考え方もできるな、とクスターは少し感心する。


『それで、どうする? 誰から行くんだ?』


 アートスがクスターを急かすように訊いた。


 クスターたちの狩竜機シャスールはすでに演習場に到着しているが、模擬戦が始まるまでの時間はほとんど残っていない。


 いまだに戦術についての打ち合わせすら終わっていないのは、五対一という変則的なルールに惑わされ、全員が少なからず混乱していたせいだろう。


 だからといって複雑な戦術が必要な状況でもない。

 クスターは少し考えて、静かに告げた。


「いや、全員で一斉に出る。ただし、攻撃を仕掛けるのは一人ずつだ」

『どういうことだ?』

「ラス・ターリオンの目論見は、俺たちの同士討ちを誘うことだろう。実際に狩竜機シャスール一体を五体で追い回せば、事故が起きる可能性は低くない」

『ふん。たしかにな……』

「だからといって一対一で正面からぶつかるのは危険だ。やつは腐っても上位龍殺しだからな。猛禽龍ラプトルクラスの魔獣を相手にするつもりで行動したほうがいいだろう」


 内心の葛藤を抑えて、クスターが続ける。


 猛禽龍ラプトルは、小型だが俊敏で高い攻撃力を持つ狩竜機シャスールの天敵だ。

 全高七、八メートル級の下位龍とはいえ、狩竜機シャスール単騎で倒すのはほぼ不可能で、小隊単位での討伐が求められる敵だった。


『五体の狩竜機シャスールが同時に戦場に立っていれば、一対一で戦っていても、種馬野郎は背後を常に警戒しなければならない——というわけか』


 スティーグがいつもの皮肉な声で笑った。


「そうだ」

『悪くない作戦だ。それで、誰が最初に行くんだ?』

重装甲タンク装備の俺の機体が、ラス・ターリオンの動きを止める。そのあとはやつにいちばん近い機体が攻撃役ディーラーだ。ただし、全員、深追いはするな。一撃離脱で相手の消耗を誘う」

『そいつは気に入らないな、クスター』


 クスターたちの通信に割りこんできたのは、四人目の模擬戦参加者であるニーロ・ヒレラだった。中央統合軍セントラル入隊時の成績が僅差だったこともあり、なにかとクスターに対抗意識を燃やしている面倒な男だ。


 しかし彼もクスターと同格の銀級騎兵であり、狩竜機シャスール戦の実力は文句なしに一級品である。


『二年も実戦から離れて娼館に入り浸っていた人間を相手に、いくらなんでも慎重すぎるぞ。貴様、姉の貞操を賭けているせいで怖じ気づいてるんじゃないだろうな?』

「なにが言いたい、ニーロ?」

『俺は勝手にやらせてもらう。だいたい種馬の目的が負けたときの言い訳作りなら、五人がかりで攻撃を仕掛けた時点で、やつに手を貸したようなものだろうが』

「……わかった。好きにしろ」


 クスターは素直に彼の提案を受け入れた。

 ニーロの意見にも一理あると認めたからだ。


『そうするさ』


 一方的にそう言って、ニーロは通信を切断する。

 クスターは軽く溜息をついて、最後の模擬戦参加者へと呼びかけた。


「おまえはどうする、リク?」

『僕の機体は支援キャスター装備だし、クスターくんの作戦に参加するよ。ニーロくんには悪いけど、彼が最初に突っかけてくれれば、ラスさんの手の内が見られるかも知れないしね』


 銅級騎兵であるリク・キルカが、落ち着いた控えめな口調で言った。


 温和で慎重な性格のリクは、部隊の中で軽く見られることも少なくない。

 しかしクスターは彼の分析力を高く買っていた。気乗りしない様子の彼を、無理やり模擬戦に参加させたのもそのためだ。


『それに第二師団の先輩方が、誰一人この模擬戦に参加しようとしなかったことが気になってるんだ。最初は、かつての戦友に気を遣っているのかと思ったんだけど——』

「違うのか?」

『わからない。ただ、もしかしたら二年前までラスさんがいた部隊と関係あるのかもしれない』

「ラス・ターリオンがいた部隊……か」


 クスターは、不意に漠然とした不安を覚えた。


 ラス・ターリオンは、二年前まで中央統合軍セントラルに所属していた。第二師団の古参騎兵たちが、当時のラスの知り合いでも不思議はないだろう。


 そしてラスの挑発的な発言を知っても、古参騎兵たちは彼との戦いを避けた。


 その理由が、ラスに対する友情や同情であるなら問題はない。だが、もしも古参騎兵たちが、ラスを本気で恐れているのだとしたら——


『残念だけど、詳しく調べる時間がなかったんだ。わかったのは部隊名だけだよ。特駆とっくという名前に聞き覚えは……?』

「特駆……?」


 リクの疑問に、クスターは眉を寄せた。

 聞き慣れない部隊名だが、なにかが意識の片隅に引っかかる。

 しかしクスターの曖昧な記憶は、演習場に鳴り響いた轟音にかき消された。


 遠雷を思わせる重々しい振動音と、獣の唸りにも似た金属の響き——

 狩竜機シャスールの駆動音だ。


 ラス・ターリオンが操る灰色の狩竜機シャスールが、砂煙を巻き上げながら、演習場の北端へと現れる。

 それを見た瞬間、クスターの思考から迷いは消えた。

 ラスへの怒りと戦意だけが、熔岩のように溢れ出す。


『時間切れだね』

「ああ」


 リクの言葉を肯定して、クスターは自らの狩竜機シャスールを起動させた。

 仲間たちの機体も次々に起き上がり、演習場に向けて移動を開始する。


 中央統合軍セントラル第二騎兵師団演習場。

 直径十キロメートルを超える、広大な岩と砂だけの死の大地。


 そこは、鋼鉄の機械人形だけが足を踏み入れることを許された仮初めの戦場。

 狩竜機シャスールを駆る煉騎士たちの、死闘の舞台なのだった。

電撃文庫『ソード・オブ・スタリオン』キミラノ試し読み

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