第6話:種馬騎士、寝坊した皇女を起こす


「——起きろ、フィアールカ」


 ベッドに埋もれた皇女の肩を、ラスは乱暴に揺さぶった。

 ラスが筆頭皇宮衛士として皇宮内で迎えた、初めての朝だ。


 名残惜しそうにのろのろと瞼を開けたフィアールカが、ラスを見上げてふわりと笑う。咲き誇る銀色の花弁を思わせる可憐な微笑。普段の抜け目のない彼女とは別人のような幼い表情だ。


「できれば、目覚めのキスで起こして欲しかったね」


 ふにゃふにゃとした寝起きの声で、フィアールカが可愛らしく抗議した。

 寝間着代わりに羽織ったシャツの胸元がはだけて、彼女の素肌がのぞいている。その肌に触れたい欲求を抑えて、ラスはうんざりと溜息をついた。


「悪いがそんな気分じゃないんだ。こっちはまだ頭が混乱してるんでな」


「混乱してる? どうして?」


「死んだと思っていた元恋人が生きてて、生きてるはずだった友人が代わりに死んでたんだ。そんな状況、すんなり受け入れられるわけないだろ」


「もしかして怒っているのかい? 私が生きていることを、きみに知らせなかったから」


 ふふっ、と笑うような吐息を洩らして、フィアールカがからかうように訊いてくる。

 ラスは、ふて腐れたように唇を歪めてうなずいた。


「当然だろ。こっちは二年間ずっと騙されてたんだぞ」


「あのねえ、それに関して言わせてもらえば、私がこれまでいったい何回、きみを皇宮に呼び出そうとしたと思ってるんだい?」


 フィアールカが拗ねた子供のように唇を尖らせる。


「おまけにいくら私が死んだと思ったからって、娼館に入り浸るのはさすがにどうかと思うね。しかもそれだけでは飽き足らずにあちこちの女に手を出して、報告を聞いた私がどれだけイラついたことか。こっちはアルのふりをして、毎日、政務に忙殺されていたというのに」


「あー……」


 ラスは決まり悪げな表情を浮かべて、目を逸らした。


「言い訳はしない。好きになじってくれ」


「まあね、フォン・シジェルのやったことだから、きみを責めても仕方ないのはわかってるよ。それに正直、きみの行動が役に立ったのも事実だしね」


「役に立った?」


 ラスが怪訝そうに訊き返す。フィアールカは寝転んだまま投げやりに苦笑した。


「婚約者を亡くしたショックで娼館通いをしているきみを見たら、実は私が生きているなんて誰も思わないからね。おかげでいい目眩ましになったよ」


「そうか」


「とはいえ、怒ってないわけじゃないからね。二年分の埋め合わせはしてもらいたいね」


 菫色の目を細めて、銀髪の皇女がラスを睨む。


「埋め合わせ?」


「そうだね。まずは目覚めのキスを要求するよ」


 嫌な予感を覚えて身構えるラスに、皇女は両手を伸ばして悪戯な笑みを浮かべるのだった。


    ■■■■


「——そんな恰好で部屋をうろついていて大丈夫なのか?」


 寝乱れた髪のまま朝食のスープを啜るフィアールカに、ラスが不安な表情を浮かべて訊いた。


 強引に二年ぶりのキスを迫ったあと、ラスに抱っこされて談話室に移動してきたフィアールカは、涼しい顔をしているが明らかに上機嫌だ。


 今の彼女の服装は、男女兼用の下着と男物の白いシャツだけ。

 ほっそりとした体つきは女性らしい起伏には乏しいが、それでも今のフィアールカを見て、男性と見間違う者はいないだろう。


 いくら皇太子の私室とはいえ、予期せぬ侵入者が現れないとは限らない。

 そんなときに死んだはずの皇女の姿が目撃されたらまずいのではないか、とラスは心配になる。


「問題ないよ。むしろ中途半端な男装のほうが危険なんだ。今の私の姿を誰かに見られても、エルミラのふりで誤魔化しが利くからね」


「そうか……エルミラがおまえに見た目を似せていたのはそのためか」


「うん。彼女は、もともと私の替え玉として用意された諜報員だったんだ。皇族の身代わりが務まる人間がいれば、なにかと都合がいいからね。もっとも彼女が任務に就く前に私が死んだことにされてしまったから、少々特殊な立ち位置になってしまったけれど」


「なるほどな」


 本来はフィアールカの影として生きるはずだったエルミラは、皇女の死によって、皇太子の補佐官という立場で表舞台に引っ張り出された。

 姿を見せることが出来ないフィアールカを、自分の影としてかくまうためだ。


「エルミラが皇太子のベッドで寝ているのは、それはそれで問題にならないのか?」


「大丈夫。エルミラは皇太子の愛妾という噂を流してあるからね。あの子がこの部屋に勝手に出入りしても、誰も不思議とは思わないよ」


「……ならいいが、エルミラにとっては迷惑な話だな」


 ラスは呆れて息を吐いた。


 周囲から皇太子の愛人だと認識されていれば、エルミラがこの部屋で目撃されても、不審に思う人間はいないだろう。

 彼女の行動を咎めたら、皇太子の不興を買うことになるからだ。


 ただしエルミラ本人が、皇太子の依怙贔屓えこひいきで取り立てられたという不名誉な扱いを受けてしまうのは避けられない。

 エルミラが有能であればあるほど、不愉快な思いをすることになる。


「それについては申し訳なく思っているよ。あとは双子の妹に瓜二つの女性を愛人にしているシスコンだと思われてしまったアルにもね」


 フィアールカが気まずそうな表情で目を伏せた。

 皇女の身代わりを務めるために、エルミラはあえて容姿をフィアールカに似せている。そんなエルミラをアリオールが愛人として扱えば、当然、口さがない噂が立つだろう。


 皇太子役を彼女が演じるための必要な犠牲とはいえ、いちおうフィアールカもそれを気にしてはいたらしい。


「そこまでして、アルが生きてるように見せかける必要があったのか?」


 シシュカが運んできた焼きたてのパンを噛みちぎりながら、ラスが訊いた。


 アルギル皇国では、女性皇族にも皇位の継承権が認められている。継承順位第一位のアリオールが死ねば、第二位のフィアールカの順位が繰り上がるだけだ。


 皇太子の死は悲しむべきことだが、だからといってフィアールカが兄の代役になる必要があるとは思えない。


 しかしフィアールカは、苦い表情で首を振る。


「あの時点で皇太子の死が公になっていたらなにが起きたのか、想像してみるといいよ」


「アルの死をきっかけに起きたかもしれないこと……という意味か?」


「そうだね。まず最初に、きみは皇家に婿入りすることになっていたはずだ」


「俺が皇家に? いや……そうか」


 ラスは当時のフィアールカの婚約者だ。大貴族である極東伯家出身のラスなら、家柄的にも皇族の娘を嫁がせるのに問題はない。皇族の地位を返上したフィアールカは新たな爵位と領地をあてがわれ、そこでラスと暮らすことになっていただろう。


 しかしアリオールの死によって、フィアールカが皇族の地位を捨てることは不可能になった。だとすれば、ラスが皇族に婿入りするしかない。


「いずれ私が女性皇帝になれば、私ときみの間に生まれた子供がその次の代の皇帝だ。つまり現在の極東伯の孫が、皇帝の地位に就くことになる。それはほかの貴族たち、特に残りの四侯三伯にとっては面白くない状況だね」


「だろうな。アルが皇帝なら、側室という名目で、複数の貴族が自分の娘や親族を嫁がせる機会が作れたんだろうが……」


「そういうことだよ。皇太子が死んだ時点で、次代の皇帝という利権が極東伯家に独占されるのは確実だ。それを防ぐためには、きみか私を暗殺するしかないわけだけど——」


「おまえが死ねば、皇家は断絶して後継争いが勃発。俺が殺されれば、犯人は皇家と極東伯家の両方を敵に回すことになるわけか」


「どちらに転んでも、かなりの高確率で内乱が起きるだろうね。それなら最初から反乱を起こしたほうが手っ取り早いと考える連中が出てきても不思議はないよ」


 フィアールカが冷ややかな口調で言った。ラスは黙って顔をしかめる。皇女の言葉が、限りなく実現可能性の高い未来予想だと納得したからだ。


「皇家の力が強ければなんの問題もなかったんだけどね、あいにく時期が悪かった。先代皇帝死後の後継者争いで皇族が大きく数を減らしている上に、当代の皇帝陛下は病身だ。おまけに都市連合国パダインとの紛争で、中央統合軍セントラルは戦力を大きく減らしている」


「反乱を起こすなら最高のタイミングってわけだ」


「うん。だから私は、アルを死なせるわけにはいかなかったんだ。どんな手段を使ってもね」


「それで男装か。案外バレないものなんだな」


「きみ、なにか失礼なことを考えてないかい?」


 お世辞にも豊かとはいえない自分の胸元を両腕で隠して、フィアールカがラスを咎めるように睨んだ。しかし彼女が昔から気にしていた体型が、男装では有利に働いたのは事実だろう。


「苦労がなかったわけではないけどね。アルは男性としては小柄なほうだったし、多少の身長差は上げ底の靴で誤魔化せる。仮面に内蔵した機械で声を低くして、瞳の色は煉術で変えた。男性らしい振る舞い方は、エルミラが〝銀の牙〟に伝わる変装の技術を教えてくれたしね」


「おまえとアルの入れ替わりを知ってる人間は何人いるんだ?」


「エルミラとカナレイカ、それにシシュカ。あとは宰相ダブロタ・アルアーシュ伯と父上だ。私ときみを除けば五人だね」


「たったそれだけの人数で、皇宮内の侍女たちや護衛の皇宮衛士を騙し続けていたのか?」


「それだけの人数だからだよ。関係者が少なければ少ないほど秘密は洩れにくくなるからね」


 フィアールカが少し得意げに胸を張る。

 ラスは眉を寄せてうなずいた。


 たしかにフィアールカの言うとおりなのだろう。

 皇帝と宰相ダブロタは、皇太子不在の危険性をフィアールカ以上に理解していたはずだし、カナレイカはそんな宰相の娘だ。エルミラはもともとフィアールカの影として育てられており、食い詰めた貧乏男爵家の娘のシシュカは、皇族と秘密を共有することに圧倒的なメリットがある。そんな彼女たちの協力があったから、これまでフィアールカの秘密は守られてきたのだ。


「するとやはりシャルギアのお姫様が問題になるわけか」


 ラスは、フィアールカたちが直面した状況の厳しさを今さらのように理解する。


 シャルギア王国のティシナ王女には、フィアールカに協力する理由がない。自分が騙されて男装王女に嫁がされたと知ったら、怒り狂っても不思議はないだろう。


「そう。これまで守ってきた秘密が暴かれるとしたら、彼女がきっかけになる可能性が高い。相手が一国の王女じゃ、無理やり口封じするわけにもいかないしね」


 フィアールカが、弱々しく苦笑して溜息をついた。


「皇太子の正体がバレたらどうなる?」


「今の皇家は国民の人気が高いからね。四候三伯といえども、反乱を起こすのは難しい。ただそれは、皇女が我が身を犠牲にして勝利を引き寄せたという美談と、皇太子が自ら戦場に立って都市連合国パダインの侵攻を防いだ実績があるからだよ」


「実は皇太子はすでに死んでて、死んだはずの皇女が皇太子の振りをしてました——なんて事実が発覚したら、国民が一斉に反発して敵に回るかもしれないな」


「そうなると貴族たちが反乱をためらう理由はなくなるね」


「たしかにカナレイカが言ってたとおり、皇国存亡の危機だな」


 ラスが苦々しげに呟いた。


 皇太子アリオールの正体が、実は女性だというささやかな秘密。その小さな噓が暴かれるだけでアルギル皇国は崩壊する。

 この国の平和は、そんな危うい均衡の上に成り立っているのだ。


「というわけでティシナ王女には、なにがなんでも私たちに協力してもらわなければならない。そこできみの出番だよ、極東の種馬ザ・スタリオン。きみには、ティシナ王女が協力する理由になって欲しい」


「彼女を俺に惚れさせて言うことを聞かせるのか? そんな計画が本気で上手くいくとでも?」


「きみが商都プロウスで散々やってきたことだろう? 犯罪組織のボスの情婦を口説き落として取引の情報をつかんだり、貴族の奥方を言いくるめて不正の証拠を提出させたり」


「それとこれとは話が別だ。責任の重さが違い過ぎるだろ」


「婚約者公認で浮気が出来るんだ。もっと感謝して欲しいくらいだね」


 フィアールカが恩着せがましい口調で言う。

 ラスは、なんとも言えない複雑な表情で沈黙した。


 公式にはフィアールカ皇女はすでに死亡しているのだから、ラスとの婚約も当然無効になっている。ラスがどこで誰を口説こうと、浮気を責められるいわれはない。


 しかしフィアールカの中では、今でもラスは彼女の婚約者であり、二人は相思相愛という前提になっているらしい。そしてラスがそれを否定できないのも事実だ。


「そもそもきみは、この私が惚れた男なんだよ。シャルギアの王女くらい、片手間でサクッと籠絡ろうらくしてくれないと困るな」


「俺をおだててるように見せかけて、おまえが傲慢なだけにしか聞こえないぞ」


「大丈夫、心配要らないさ。すべての責任は私が取るよ」


 フィアールカがさらりと呟いた。

 気負いのない軽薄な口調だが、その言葉にこめられた覚悟は間違いなく本物だった。


 内乱による国家の崩壊を防ぐためには、アルギル皇国の国民すべてを最後まで欺き続けなければならない。フィアールカはその罪を一人で背負うつもりでいるのだ。


 だが、ティシナ王女という不確定要素の出現によって、追い詰められたフィアールカはラスに頼った。余裕めいた態度とは裏腹に、彼女にはラスしか頼れる相手がいなかったのだ。


 ラスはそんなフィアールカの心情に気づかないふりをして、気怠げに後頭部をかき上げた。


「それで? 俺は具体的になにをすればいいんだ?」


「一カ月後にシャルギアで、シュラムランド同盟加盟国の要人が集まる国際会議が開かれる」


 フィアールカが真面目な口調で言った。


「会議には陛下の名代として私が参加する予定だ。そこで私は彼女と出会って、恋に落ちるという筋書きになっている。国民向けのゴシップではね」


「つまり一カ月後には、俺も王女と接触することになるわけか」


「そう。だからきみには、それまでに筆頭皇宮衛士としての実績を作っておいてくれ。アルギル皇国の代表者として隣国の王女と接触しても、不自然とは思われない程度のね」


「それくらいなら、なんとかなりそうだな」


 ラスが投げやりな口調で言う。

 フィアールカが少し意外そうに片眉を上げた。


「なにか策があるのかい?」


「いや。だが、こっちが特になにもしなくても、向こうのほうからなにか仕掛けてくるだろ」


 そう言って、ラスはつまらなそうに肩をすくめてみせた。そして自分が身につけている皇宮衛士の制服を指し示す。


 菫色のフィアールカの瞳に、理解の色が広がった。


 中央統合軍セントラルの師団長を名乗る人物が、ラスへの面会を求めてきたのは、それから四日後のことだった。

電撃文庫『ソード・オブ・スタリオン』キミラノ試し読み

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