第1話:種馬騎士、悪夢を見る


 ひどい悪夢を見ている気がした。

 鮮血と死臭に満ちた、密林の記憶だ。


 夕刻になって降り出した激しい雨が、煤けた装甲板を濡らしている。

 ダナキル大陸の西端。橙海とうかいに面した密林の奥に、鋼の巨人がうずくまるように倒れている。


 狩竜兵装シャスール・ダシエ——


 凶暴な魔獣に抗うために人類に与えられた人型兵器。全高九メートルにも達する機械人形だ。


 だが、その巨体は激しく傷ついて、流れ出した循環液が全身を赤く染めていた。

 深々と斬り裂かれた機体の胸部からは、内部の骨格と操縦席が剥き出しになってしまっている。


 操縦席にいるのは若い煉騎士だ。

 歳はせいぜい十七、八か。

 引き締まった鋼のような肉体とは裏腹に、顔立ちにはまだ幼さを残している。


 乗機と同じく、彼の全身も傷だらけだった。

 かろうじて致命傷は避けているが、出血が酷い。意識があるのが、不思議なほどだ。


 それでも煉騎士の少年は操縦席から這い出し、焦燥と怒りに満ちた瞳で正面を睨みつける。


 彼の視線の先にいたのは、巨大な影。

 優に全長二十メートルに達する超大型の魔獣だった。


 砲撃にも耐える珪素質の鱗と、鋼鉄を引き裂く鋭利な爪。強靱な翼は巨体を高速で飛翔させ、戦鎚のごとき尾は城壁すら容易く打ち砕く。


 それは地上で最強の生物。魔獣たちの絶対王。龍種ドラゴン。それも上位龍だ。


 だが、その龍はすでに死んでいた。


 折れた巨大な石剣が、龍の胸元へと深々と喰いこんでいる。

 龍の心臓に剣を突き立てたのは、少年が操る狩竜機シャスールだ。

 彼の乗機は、龍と相打ちになったのだ。


 本来ならば上位龍は、狩竜機シャスール一機で倒せる魔獣ではない。軍の大部隊を投入して、それでもどうにか追い払えるかどうか、という相手なのだ。


 それをたった一人で倒したとなれば、英雄と呼ばれるにふさわしい偉業である。

 にもかかわらず少年は、不安と焦りに表情を歪めていた。


「フィー……ッ……!」


 動かない狩竜機シャスールを置き去りにして、彼は傷だらけの身体で歩き出す。


 密林の中には、そこかしこに狩竜機シャスールの残骸が転がっていた。


 上位龍に倒されたものだけではない。倒れている機体のほとんどは、ほかの狩竜機シャスールによって破壊されている。この密林は、狩竜機シャスール同士が激突する戦場だったのだ。


 しかし龍種ドラゴンの乱入によって、戦場の様相は激変した。

 上位龍の圧倒的な暴力は、敵も味方もなく、その場のすべてを無慈悲に破壊し尽くしたのだ。


 少年の操るたった一機の狩竜機シャスールが、その上位龍を討ち果たすまで。


「どこだ、フィー! 返事をしてくれ! フィアールカ——!」


 薙ぎ倒された樹木の隙間を縫うようにして、少年は、そこにいるはずの狩竜機シャスールを捜し続ける。


 無惨な戦場跡を彷徨い続けて、目的の機体はようやく見つかった。


 狩竜機シャスール同士の激戦の中心付近にいたのだろう。その機体の周囲には、無数の巨人の残骸が、敵味方入り乱れて屍のように散らばっていた。


 そして互いを庇い合うような姿で、二機の狩竜機シャスールが倒れている。


 一機は美しい菫色すみれいろの機体。

 もう一機は蒼穹を思わせる深い青の機体だ。


 しかし菫色の狩竜機シャスールは、原形を留めぬほどに破壊し尽くされ、青の機体もまた胸部に深傷を負っていた。


 少年の頬が絶望に歪んだ。踏み出す足が激しく震えた。

 降り続く雨が勢いを増し、倒れた巨人たちの輪郭シルエットが白く煙る。


 そして少年は、それを見た。


 菫色の狩猟機シャスールの残骸の下。鮮血にまみれた長い銀髪を。

 ひしゃげた操縦席の中で無惨に引き裂かれた、かつて恋人と呼んだ少女の骸を——


    ■■■■


 暗い湖底から水面へと投げ出されるように、覚醒は唐突に訪れた。

 目覚めの気分は最悪だった。


 全身の筋肉が鉛に変わったように凝り固まっているし、激しい倦怠感と吐き気が交互に襲ってくる。煉術によって無理やり意識を奪われた後遺症だろう。


 悪夢を見たのも、おそらくそれが原因だ。


「お目覚めですか、ターリオン様」


 ラスが瞼を開けると同時に、誰かに声をかけられた。

 抑揚の乏しい冷ややかな声だ。


 侍女の制服を着た小柄な娘が、ベッドの隣に立ってラスを見下ろしている。

 ラスの知らない顔だった。


「きみは?」


 ラスは上体を起こして周囲を見回す。


 広くはないが、やけに上等な部屋だった。ベッドは広く清潔で、置かれている家具や調度も風格のにじむ高級品ばかりだ。


「シシュカ・クラミナと申します。皇宮内の居館パラスにて、皇太子付きの侍女をしております」


 侍女服の娘が、表情を変えないまま慇懃に一礼する。

 彼女の言葉に、ラスは驚いて眉を吊り上げた。


「皇宮だと……? 俺は昨晩まで商都プロウスにいたんだぞ?」


「はい。カナレイカ様が昨夜遅くに狩竜機シャスールで帰還された際に、ターリオン様を伴ってこられたとうかがっております」


狩竜機シャスールで皇都に乗りこんだのか……」


 ラスは呆れたように息を吐きだした。


 商都プロウスはアルギル皇国最大の港湾都市。貿易立国である皇国の流通と経済の中心地だ。


 対する皇都ヴィフ・アルジェは、皇帝の居城を中心とした皇国の首都。都市の規模としてはプロウスよりも遥かに小さいが、そのぶん皇都の警備は厳重である。


 皇宮衛士インペリアルガードのカナレイカといえども、皇帝の許可なく、狩竜機シャスールで皇都に乗りつけることなど出来るはずもない。


 つまりラスを皇宮へと呼びつけた目的に、皇帝自身も関与しているということだ。


「お目覚めになられたばかりで申し訳ありませんが、湯浴みの支度が出来ております。それが終わられましたら、お召し替えを。皇帝陛下がお会いになるそうです」


 シシュカが淡々とした口調で告げた。

 ラスは思わず天を仰ぐ。


 煉術で意識を奪われている間に皇宮内へと運びこまれ、皇帝との謁見の手筈まで整えられていたのだ。いくらラスでも、この状況で逃げ出すわけにはいかない。最悪の場合は、不敬罪、あるいは反逆罪で監獄送りだ。


「湯浴みのお手伝いは必要でしょうか?」


 寝室の隣にある扉を指さして、シシュカが確認する。

 なんとも豪勢なことに、この客室には入浴設備までしつらえられているらしい。


「不要だ。浴室の使い方だけ教えてくれればいい」

「承知しました」


 浴室に通じる扉を開けて、シシュカがテキパキと入浴の支度を始めた。さすがに皇宮務めの侍女だけあって手際がいい。


 しかし皇帝への謁見を控えた客の面倒を見る侍女が、シシュカ一人きりというのは、いかに彼女が有能とはいえ少し奇妙な印象を受けた。


「この部屋にいるのは? きみ一人か?」


「ほかの侍女たちは、本来の持ち場に帰しました。皆、ターリオン様に怯えておりましたので」


 シシュカが初めて気まずそうに目を伏せた。


「怯える? なぜだ?」


「〝極東の種馬ザ・スタリオン〟の勇名は、皇都でも知られていますから。うっかりターリオン様と接触して、赤子を身籠もるのではないかと不安になっているようです」


「噂に悪意がありすぎるだろ……」


 ラスが顔をしかめて嘆息する。

 接触しただけで女性を妊娠させるとは、まるで妖怪のような扱いだ。皇都に噂が伝わってくる過程で、ラスの悪評が盛られまくっているらしい。


「きみは俺が恐くないのか?」


 ラスは、ふと気になってシシュカに訊いた。

 ほかの侍女たちが恐れて近づかない相手に、なぜシシュカは平然と接することが出来るのかと不思議に思ったのだ。


「私は、貴族とは名ばかりの貧乏男爵家の娘ですから」


 シシュカが自嘲まじりの笑みを浮かべて説明する。


「私が皇宮内で辱めを受けて自害したとなれば、両親はむしろ喜ぶでしょう。金銭できちんと償いをすると、皇太子殿下が約束してくださいましたから」


「そうか。たいした覚悟だよ」


 ラスは精いっぱいの皮肉をこめて呟き、やれやれと深い溜息をついた。

 どうやら事態はラスの思惑を超えて、厄介なことになっているらしかった。

電撃文庫『ソード・オブ・スタリオン』キミラノ試し読み

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