19 友だちだけど友だちじゃない(2)

         †


 登校して、教室に向かおうと階段を上っていたら、ワックーことわくこういちろうが駆け下りてきた。

「おっ、高良縊! なあ、高良縊!」

「……おはよう、ワックー。え? 何……?」

たかさ……」

 ワックーは肩を組んできた。

「小耳に挟んだんだけど、マジ? なんつーかその、あすみんと別れたって」

「あぁ……うん、まあ」

「うっわ、やっぱりか。そっか。ていうか、本人から聞いたんだけどな」

「……そうなんだ」

「や、何だろ、一方的な情報かもしれないし、一応ね。が原因だって、あすみんは言ってたけど」

「蕎麦?」

「一緒に大好物の蕎麦食いに行って、高良縊は完食しなくて、食が合わないのだけはどうしても許容できないみたいな」

「……しらもりさんが、そんなことを?」

「若干トリッキーっつーか、ギャグっぽい理由だからさ。あれ本気なんかな、あすみん」

 ワックーが不審がっているのも無理はない。真の理由は、ようするにそうせいうそつきだったせいだ。白森の見込み違いで、想星は不誠実な人間だった。

「その話は本当だよ」

 嘘つきらしく、想星は平然と嘘をついた。

「マジか」

 ワックーは笑った。

「おもろいな、あすみん。いや、高良縊には気の毒だけど。ごめん。悪い、悪い。笑っちゃいかんよな」

「いいよ。大丈夫」

「や、まあまあ、いろいろあるよね、人生。ううん。蕎麦かあ。それはなあ。そっか。あんま気、落とすなよ? 無理か。落ちこむかぁ。だよなあ……」

「心配してくれて、ありがとう」

「いやいや。俺はぜんぜんあれだから。ノーダメージだから。あたりまえか」

 ワックーは想星の背中を何度もさすった。

 教室へ行く前に、想星はトイレに寄ることにした。用を足す必要性は感じない。丁寧に手を洗った。

(……白森さんは、嘘つきが嫌いなのに。僕を悪者にしないために、あんな嘘を──)

「あれ、想星」

 はやしゆきさだがふらっとトイレに入ってきた。

「おはよう。手、洗いすぎじゃない?」

「……外科医じゃないんだから?」

 そうせいがそう返すと、ゆきさだは、ふふっ、と含み笑いをした。それから小首をかしげた。

「おれ、何しにトイレに来たんだっけな」

「何だよ、それ」

 想星も少しだけ笑ってしまった。

 雪定と一緒に教室へ向かうと、廊下でしらもりがモエナことしげや数名と何か話していた。想星は一瞬、足がすくんだ。

「あっ」

 白森が想星に気づいて、軽く手を振った。

「おはよ、想星」

「……お──はよう、ございます……」

「言い方!」

 白森は声を立てて笑った。モエナは微妙な顔をしている。それでも、想星と雪定に向かって、おはよう、と挨拶をした。

「そうだ、想星」

 教室に入ろうとしたら、白森に呼び止められた。

「呼び方、いいよね? 変えなくても。やっぱりなんか、戻すの逆に気持ち悪くて」

「……それは、もちろん。というか、僕はそれで、ぜんぜん」

「想星も、あすみんとかでいいから」

「あ……すみん」

「みんな──」

 モエナがちらっと想星を見て、口を挟んだ。

「そう呼んでるし……」

「……うん」

 想星は胸が一杯になっていた。もう少しで涙ぐんでしまうところだった。

 教室に足を踏み入れる前に、一抹の不安がよぎった。もし彼女が来ていなかったら、と考えたのだが、ゆうだった。

 ひつじもとくちなの姿は窓際一番後ろの席にあった。例のごとく、ほおづえをついて窓の外を眺めていた。


         †


 授業が終わると、想星は校内でいくらか時間を潰した。

 教室に戻ったら誰もいなかった。

「……うそだろ」

 そうせいは少しの間、ぼうぜんしつしていた。ひつじもとが後方の出入口から教室に入ってこなければ、いつまでも立ちつくしていたかもしれない。

 羊本は想星には目もくれずに歩いていって、自分の席に腰を下ろした。

(まあ……そりゃいくらなんでも、ひたすらずっと座ってるわけじゃないか……)

 想星がせきばらいをすると、羊本はほおづえをついて外を見た。

(無視ですか……)

 想星は後頭部をいた。迷ったが、羊本に歩み寄る。想星が前の席の椅子を引いても、羊本はぴくりともしない。想星は羊本のほうに体を向けて椅子に座った。

「昨夜は平気だった?」

 そう声をかけると、ようやく反応らしい反応があった。といっても、羊本は身じろぎしただけだった。

「夢を見るって、言ってたよね。僕もなんだ。ちょうど、今日も見たんだけど」

 三十秒くらいしてから、羊本は想星を見ずに低い声を出した。

「どんな夢?」

 ほんの少しだけ語尾が上がっていた。

 想星は窓の外に目をやった。西日が少しまぶしくて、あたたかだった。

「真っ暗な場所に四十九人の子供たちが閉じこめられて、殺しあうんだ。最終的に一人だけ生き残る。その一人は、死んだ子供たちの命を総取りして、自分のものにできるんだよ。それだけじゃない。そのあと誰か殺せば、その命まで奪ってしまえる」

「それは──」

 羊本はそっと息をついた。

「……あなたのこと?」

「そうだよ」

 想星はうなずいた。

「僕がその生き残りなんだ。僕以外の四十八人の中には、腹違いの兄弟たちや、僕を友だちって呼んでくれる人もいた」

「あなたが殺したの?」

「僕が殺したのは一人だけだよ。大事な友だちを手にかけた。人を殺したのは、あれが初めてだった」

「生き残りたかったから?」

「どうかな。わからない。その友だちに頼まれたんだ。殺してくれって。でも、やっぱり僕は、死にたくなかったのかもしれない」

 最後の二人になるまで、想星はあの暗闇の中に身を潜めていた。

 うきひこそうせいに言った。そうくんは大丈夫だと思うけど、気をつけて、と。浮彦はなぜ大丈夫だと思ったのか。きっと、知っていたのだ。想星が人一倍、生き意地が張っていて、あきらめが悪いことを。

「あなたはこれまで何人殺したの?」

「今、僕の中にある命の数は、百十三だよ」

「大勢殺したのね」

「うん。実の父親も殺したよ。僕たちをあの暗闇の中に閉じこめて殺しあわせたのは、父さんなんだ。それから、半分血がつながっている姉も殺した。父さんを殺すためには、リヲねえがどうしても邪魔だったから」

「わたしにあなたを責める資格はない」

「だろうね。僕たちは似た者同士だ」

「違う」

 ひつじもとは想星に顔を向けた。ほおづえを外し、手袋をめた手を机に置く。彼女は眉を寄せて、想星をにらみつけようとしたのかもしれない。けれども、むしろ泣き顔のように見えた。

「似ていない。わたしとあなたは、違う」

「そうか」

 想星は彼女に笑いかけようとしたが、中途半端な表情にしかならなかった。

「羊本さんなら親を殺したりしない。僕のほうが悪い人間だ」

「それも、違う──」

 羊本は何か言いかけた。でも、言葉にならなかったようだ。

 想星も自分の気持ちをうまく表現できる自信がなかった。ただ、こんなふうに誰かと口をきいたことはない。あけすけに自分自身の過去を打ち明けたことはない。あの夢のことは姉にすら話したことがない。

 羊本も同じなのではないだろうか。想星を殺すためだったのかもしれないが、彼女は冷凍保存されている両親に会わせてくれた。彼女が大切に思っている人たちに。彼女をさいなむ恐ろしい悪夢について語ってくれた。

 彼女が生まれ持つ力を、想星は身をもって知っている。

 想星があの暗闇を生き延びて身につけたおぞましい命の秘密は、彼女の手の中にある。

「羊本さん」

 想星は背筋を伸ばしてももの上に両手を置いた。突然、想星が居住まいを正したものだから、羊本は少し驚いたようだ。彼女の瞳が揺れた。

「僕と友だちになってくれませんか」

 羊本は目をみはった。それから、まばたきを二回した。

「……は?」

ひつじもとさんと僕は、友だちになれると思う。少なくとも、お互いにうそをつかなくていい。自分自身を偽らなくていい」

「自分自身の──」

 羊本の顎がかすかに震えた。

「人殺しの、本性を?」

「そうじゃないよ」

 そうせいは羊本の机に手をかけた。羊本はひるんだ。彼女の椅子が音を立てた。

「僕らは人殺しだけど、それでも人間だろ。傷つくこともある。悲しいときも。何も感じないふりなんて、しなくていいんだ。友だちには、隠さなくていい」

「いいかげんにして!」

 羊本は席を立った。彼女はそうするだろうと、想星は見越していた。だから想星もすぐさま立ち上がった。右手を差しのべて、彼女の右手首をつかんだ。振り払われてしまう前に、無理やり彼女を自分のほうへと引き寄せた。

 両腕で彼女を抱きしめる。

「──っ……」

 彼女はあつにとられているようだ。

「こうしないと、羊本さん、逃げちゃうだろうから」

 彼女は間もなく手袋を外す。素手で想星にふれようとするに違いない。そんなことをする必要はないのだ。わざわざ想星を殺さなくていい。殺されるまでもなく、想星は自分のほうからそっと、彼女の頬に右手を押しあてた。途端にスイッチが切れた。



「──たかくん……!?」

 想星は死んで、命を一つ失い、生き返った。どうやら羊本は、即死した想星をとっさに抱きとめたらしい。想星の右手はだらんとしていたが、まだ彼女の首や顎にいくらかふれていた。想星は思わずつぶやいた。

「すごい」

「……え?」

 羊本も気づいているはずだ。彼女が想星を地下室に置き去りにしようとしたあのときも、同じことが起こった。いになり、想星は一度、殺された。生き返った想星を、彼女はふたたび殺そうとした。でも、どうしてか死ななかった。

 想星は右手で羊本の左頬を軽く押さえた。彼女の頬はひたすらやわらかい。かつに力を加えたら、皮膚が破れてしまうのではないか。怖くなるほどだ。

「ん……」

 彼女が目をつぶって、吐息をもらした。そうせいの指先が彼女のかすめたので、くすぐったかったのかもしれない。

「ごめん」

 想星は謝って、いったん右手を彼女の頬から離した。それから、また彼女の肌に手を接触させた。

「ほら、ひつじもとさん──」

 胸や背筋のあたりがぞくぞくする。鳥肌が立っていた。想星は自分自身が味わっているこの感情に名前をつけることができない。これは感情なのか。それさえわからない。

 彼女が目を開ける。顔全体が赤らんでいる。彼女の唇が少しだけ開く。彼女はせわしく、浅い息をする。想星は知らなかった。今、初めて気づいた。彼女の唇の右下にほくろがある。目立たない、とても小さなほくろだ。

「死んでから、生き返ったとき、きみにふれたままなら──」

 想星は息継ぎをした。胸が詰まる。苦しいのに、このままでいい。このままがいい。

「僕は死なない。不思議だよね。こんなことがあるなんて。奇跡みたいだ」

 彼女は何も言わない。ただ震えている。でも、想星の腕を振りほどかない。できるはずなのに。

 きっと、この広い世界で、彼女はどこまでもひとりきりだった。

 彼女にとって、情け深いひつじもと夫妻の存在は心の支えだったのだろう。しかし、だからこそ、夫妻が彼女の弱みになってしまった。

 それに、夫妻にしても、彼女の孤独を本当の意味で理解することはできなかったはずだ。彼女に同情し、見守ることはできても、そこまでだった。たとえ夫妻がそうしたいと望んでいたとしても、彼女に寄り添うことはできない。物理的に不可能なのだ。

「僕なら、怖がらなくていいんだ」

 他の誰にもできない。たかそうせいだけが、こうして彼女に寄り添える。

「間違って殺しちゃっても、平気だし。何なら、八つ当たりとかで殺したとしても、大丈夫だよ。死ぬのは慣れてるから」

「知ってる」

 彼女はかすかに鼻を鳴らした。笑ったのかもしれない。

「もう何回も、あなたを殺した」

 想星はもっときつく彼女を抱きすくめたかった。けれども、友だちとして、それはどうなのだろう。

 そもそも、友だちをこんなふうに抱きしめたりするものなのか。それ以前の問題として、高良縊想星と羊本くちなは友だちなのだろうか。想星の申し入れを、果たして羊本はれたのか。

 いずれにせよ、想星はあきらめが悪い。たとえ羊本に拒否されたとしても、簡単に引き下がることはないだろう。

(あぁ──)

 想星は歯を食いしばった。さもないと、おかしな声が出てしまう。彼女がわずかに首を傾けた。まるで想星のてのひらに頬をすりつけるように。彼女にそんな意図はないのかもしれない。でも、彼女の体はこわばっていない。想星に身を委ねているかのようですらある。

(僕はこの先何回、羊本さんに殺されるのかな)

 想星は彼女を抱きしめているのではない。あくまでも友人として、大切に扱っている。ただそれだけだ。想星は彼女に安心してもらいたい。くつろいで欲しい。彼女が目を伏せる。長くて量の多いまつに覆い隠されそうな彼女の黒い瞳は、にじむようにれていた。

(いくら死んでもいいように、もっと殺さないと──)

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